温泉に行きたいけど行く時間がない
そんな時に自宅で温泉気分を楽しめるのが入浴剤だ
有効成分とハーブを併せて血流を促進させ、さながら温泉に浸かるような気分を味わえるそれは現代人の必需品と言っていい

たっぷりとお湯が溜まった浴槽を確認すると家主は一つの小さな袋を取り出す
袋には「～森の香り～温泉たぬきのバブ」と書かれている
封を開ければそこに入っているのは掌サイズのたぬきであった
たぬきはポップした対象に応じて性質を変えるが、このたぬきは入浴剤を基点とした生きた入浴剤そのものなのである
そうしたたぬきを家主はお湯の入った浴槽へと放り投げた
その間に着替えとバスタオルと取り出して入浴の準備に取り掛かっている

さて放り投げだされたたぬきのほうではあるが、封の中にいる時は仮死状態ではあったが封を開けたら外の空気とションボリに反応して息を吹き返す
空中に放り出されて意識を覚醒し、なぜ宙にいるのか理解できぬままションボリ顔のまま浮遊している
わずか数秒すら満たぬ時の間に思考する暇すら与えられず、そのままたぬきはお湯にチャポンと音をしながら沈んでいった

(ギュェ…だぬうううう！？)

意識が本格的に覚醒し、次に感じるのはとにかく熱いという刺激であった
風呂の温度は41度とやや熱めだが風呂好きには丁度良いと言える刺激だ
しかしいきなりその温度を突然浴びさせられたら人間であってもびっくりするしかなり熱いと感じるだろう
当のたぬきは意識が芽生えた直後にそれを尻尾含めて全身に浴びたのだからそれはもうパニックに陥るしかない

(しっぽもぬれ…！？あじゅいおぼあがああ！？）

本来であれば尻尾が濡れたらションボリと大人しくなるたぬきであってもこの異常事態にはそうも言ってられない
何せ呼吸も満足にできずに溺れている状態でもあるのだ。このままでは遠からず溺死だってするだろう
水中でジタバタしながらも呼吸できる上を目指そうと本能的に泳ごうするその姿は生命の力強さを感じずにいられない
まだ子たぬきと言えるサイズで軽いからか、浮上する事は難しいことではなかった
尻尾が濡れて力が出ないという問題もたぬきには熱いお湯の温度が刺激となって嫌でも体を突き動かす

「だぬぅぅ！だぬぅうう！だすげ、ぼぼあぁ！」

ちゃぽんちゃぽんと少し音を立てながらもなんとか呼吸ができる位置まで浮上する
しかしただでさえパニック状態で泳ぎ慣れていないためか、沈んでは一呼吸のために浮上をするを繰り返して事態は好転の兆しすらない
家主のほうはのんびりとシャワーを浴びながら丁寧に体や頭を洗っているため、たぬきの声など聞こえていない様子であった

「だびゃびゃああ！」

そして何よりもたぬきはたぬきの姿をした入浴剤そのものだ
お湯に浸かり、その体はしゅわしゅわと音を立てながら小さく小さくなっていく
肌が崩れ落ちて中身が見えるというグロい見た目になるわけではなく、体積がそのまま小さくなり続けることにたぬきは恐怖した
このままお湯の中に溶け続ければそれは死よりも恐ろしい、消滅するのではないかという恐怖だ
たぬきはポップとリポップを繰り返す特殊な生態をしているため、死そのものを恐れない死生観を持つ
しかし段々と自分が消えていく未知の感覚には恐れを抱く他がない

「だぬぅぅう！だぼおぼあぉぉお！」

必死になって、必死になって生き残るためにお湯の中でかき分ける
そのあまりに自分を顧みない行いはお湯でぐずぐずとなりつつある自分の体をトドメを刺す形となった
尻尾は千切れ、泳ぐための腕と足も崩れ、ジタバタすらできないたぬきはお湯の中で沈んでいく

(ぼぼぼばあ！だぬ”！)

幸いにも体が崩れていく中で痛みはない
あるとしてもそれは溺れていく苦しみだけだった
お湯の中でぼやける視界には千切れた尻尾と手足が先に浮かんで溶けて消えていく
なぜこのような苦しい思いをしなければならないのか
死の直前になってようやくそうした考えができた時、たぬきの顔は割れたように崩れてお湯の中に消えていった

そうした入浴剤としての一生を数分で終えたたぬきであったが、家主のほうも入浴前に体を綺麗にしてようやく風呂に浸かれる準備が整った
森の香りが充満する浴室の中、熱いお湯にゆっくりと身を預けていく
一日の疲れがお湯の熱さと入浴剤の効果が吹き飛ばされていくような感覚は正に風呂好きであるなら一日に一回は味わなければ次の日に支障が出るほどだ

たぬきの入浴剤が普通の入浴剤とは違う効果はここから出てくる
まずたぬきはションボリから産まれ、時にはションボリを糧に生きる不可思議な生命体だ
それは基点が違えど変わりなく、たぬきの入浴剤は溶けたお湯にも同様の効果が生じる
つまり、たぬきの入浴剤が使われたお湯に浸かった生き物のションボリをお湯が吸い取ろうとするのだ
元々の入浴剤の効果に加えて精神的疲労でもあるションボリを吸い取る効果は現代人にとってとてもありがたい性質だ
例え一日に嫌なことがあってもたぬきの入浴剤を使って風呂に入れば綺麗さっぱりと心が軽く穏やかになるのだから

しかしながら元々のお湯に溜まったたぬきのションボリに加えて人間一人分のションボリを纏めて吸い取った結果、親指サイズではあるが小さなたぬきがポンと音がするようにポップする
ここで不幸なのはこうしてポップするたぬきは例外なしにお湯を基点としたポップをするため、出現位置はお湯の中となる
つまり、ポップした瞬間に溺れてしまうのだ

(ｷｭ……ｷﾞｭﾎﾞﾎﾞﾎﾞｵ)

いくら生命力が無駄にあると言われているたぬきと言えども、ポップしたばかりの子たぬきが41度のお湯の中に溺れながらポップしても生きられるわけがない
しかもこの子たぬき、先ほど入浴剤として使われたたぬきの記憶を引き継いだ子たぬきであった
つまり生まれながらに二度目の溺死を経験することなったのである

(ｷﾞｭﾎﾞｴﾎﾞﾎﾞﾎﾞ……ﾀﾞ…ﾇｰ…ﾀﾞﾇｰ………)

せめて呼吸のために浮上しようにもポップしたばかりの体では小さくジタバタするのが限界であり、泳げるほど自由に動かせない
こうして苦しい溺死を二度も体験した子たぬきは、まるでこの世の責め苦を味わい切ったように苦悶の表情をし、だらりと舌を出しながらぷかぷかと浮かび上がった
そうした子たぬきを見つけたら家主は一つまみすると浴室の排水口へと投げ捨てる
元々お湯もとい水を基点にポップしたたぬきは死ねば腐るよりも早く水に戻って溶けて消えていく
排水口には同じようにすでに溶けかかった同族が何匹かおり、どれもが苦悶の表情をしながら溶けて排水口の中に消えていく

現代人の疲れを癒し、その身を犠牲にしてションボリを受け持つたぬきの入浴剤
数多のたぬきの犠牲の上で成り立つ人間の穏やかな日々に、売れ行きも止まる事のない皮肉な品であった




たぬき余談話

温泉たぬきのバブ

入浴剤を基点としたたぬき
基本的な効果は基点とした入浴剤の成分と同じ効果を発揮する
ただでさえ水に濡れるとションボリ顔を深めながら力を失うたぬきであるが、このたぬきは下手に濡れようならしゅわしゅわと溶けてしまう脆さを持っている
普通のたぬき同様にモチモチとした肉体を持つが、更にバブの性質を持っているためか程よく溶けた後だと体が崩れやすく、軽く握りしめるだけで崩れてしまう
溶け切った後の水やお湯には一般的な人間の成人の一人から二人のションボリを吸い取る効果が付与される
その後バブのたぬきのションボリと結びついて新しいたぬきがポップされるが、水中にポップするため即座に溺死する
ポップしたばかりの個体のため、糞尿もせずに綺麗に処分することができる

注意点として水を基点としたたぬきは死亡後に水に戻って流されることになるが、水に戻る前に三桁を超える死骸の放置は危険である
三桁分のたぬきの溺死したションボリが一点に重なってポップした場合、その記憶とションボリに耐え切れずに破裂するため
いくら後々水になって消えるとはいえ、浴槽が破裂したたぬきの死骸で汚くなるのは避けたいところである