たぬきは自身が望まない限り不滅である。老いず、死なず、ただそこにあり続ける。
古来からたぬきたちはその谷で暮らし、そこに来た様々な動物と共生した。
しかし知能と言語を持つ者は長らくおらず、たぬきはたぬき以外と交流することはそう無かった。
それ故だろうか？人間が山に住むようになってから、たぬきたちは言葉を交わせる人間と共に暮らし始めた。
人間との暮らしは、たぬきたちにとって新鮮だった。たぬきを家族のように愛で、共に田畑の世話をし、狩りや釣りをし、時に寝食をも共にした。
祭りや宴を共にした。誰かが結婚すれば共に悦び、誰かが死に至れば共に悲しみ――こうして苦楽を共にしながら、人間もたぬきも互いに仲間として暮らしてきた。
人間との暮らしは良いことばかりでもなかった。飢饉によって人間が共食いをし始めた時には、その血肉を狙われた。たぬきは自らが望まぬ限り傷つかない身体であれど、共に暮らしてきた仲間に刃を向けられることそのものへの悲しみと苦痛は耐えがたいものだった。
結局、その苦痛に耐えられぬたぬきの何匹かが自害を選び、その肉が人間の元に運ばれたことで、村人たちは生き長らえた。そのようなことは1000年ほどの歴史の中で少なからずあった。
それでも人間との生活を選び続けたのは、再び人間から離れたぬきだけで暮らす寂しさに耐えられなかったからだった。
生存の為に狂気に陥ることこそあれど、共に暮らす人間の本質が優しさと温かさと伴うものだったからだった。

それから長い時が経った。大きな戦争が始まり、終わり――その中で日本は全国で復興、発展を掲げていた。
戦争、出稼ぎ――様々な理由で人間の若者たちが村を去るのをたぬきたちはションボリとした顔で見送った。
しばらくして、その数こそ減ったものの若者たちが帰って来た。しかし、村の人間の顔色は好ましいものではなかった。
この村にダムを作ることとなったのだ。若者たちは老いた家族を村に置いていけなかった為に提案した、善意からのものであった。
しかし、老人たちは若者たちが村を滅ぼすと言い張り、その要望を突っぱねた。
そうなると、金も親の安全も手に出来ないと若者たちは言い張り、老人たちと対立した。
「たぬきちゃんたちもなんか言ってやれ！」と老人たちはたぬきをだしに村の存続を訴え始めた。彼らの目には村と自身の思い出は映っても、その中にたぬきの姿は見られなかった。
やがて人間たちは争い始めた。たぬきとすら共に生きてきた人間が、どうして同じ村の人間同士で争うのか理解出来ず、ただションボリと彼らの様子を見るしか出来なかった。
争いの中で、たぬきは何人か、若者老人問わず人間の命が死ぬ音を聞いた。「生コンに混ぜときゃバレねぇ」と人の声を聞いた。
たぬきを愛で、たぬきと共に過ごした暖かな心を持つ人間は、最早そこには居なかった。
生存を求めた狂気ではなかった。人間が変異し、たぬきたちの知るそれでは無くなってしまっただけだった。

人が去り、工事が始まれば、そこからは早かった。何人混ざったかも分からないコンクリートで地面が固められ、アッという間に谷に巨大なダムが築かれた。
たぬきたちはションボリした顔で、愛した村が、思い出が水に飲まれて消えていくのを見届けた。
やがて、そこにはダム湖だけが残った。たぬきが愛したものは何も残っていなかった。
それからたぬきたちは一心不乱に空気を吸い続けた。吐き出すことなく、自身が内側から膨らみ、軋むのを感じながら、ただ空気を吸い続けた。
そして限界を迎えたたぬきたちは一匹、また一匹と風船のようにはじけ、その赤黒い血肉を散らせた。
二度とたぬきは蘇らなかった。二度とたぬきが蘇ることを望む者はいなかった。