「ちゃりんこ騒動」

ちりんちりん、とベルを鳴らす。買ったばかりの自転車を乗り回しご機嫌に河川敷を走り抜けていく。迷惑をかけないようにと人がいない時間帯を狙った為に快適だ。
頑張って働いてようやく買ったピカピカの自転車に興奮が抑えられず、ペダルを人一倍早く漕ぎ…目の前に突然呑気にうどんダンスを踊りながらちびたぬきが河川敷を駆け上がってきた。結構なスピードを出していたがすぐにそれに気付き、急ブレーキをかける。
ギリギリちび轢きそうなところで自転車が止まる。が、タイヤの先っぽがコツンと棒立ちのちびに当たった。
すると、突然ちびたぬきはその場でひっくり返りジタバタし始めた。

「いだいいだいいだいしぃ〜！しんじゃうしぃ〜！」

怪我などしていない、全くの無傷である。だというのになんだろうかこの白々しい演技は。まだ幼いであろうにちびたぬきはどこでこんな事を覚えたのか。

「あー！うちのちびに何してるしー！」

河川敷の下の方から親たぬきらしきたぬきがポテポテとやってきた。面倒なことになりそうだなと思っていると案の定、

「私のちびを自転車で轢いたし！最低だし！許せないし！」

キューキュー非難の声を浴びせてくる。こうなると非常に立場が悪い。周囲に人はいない。わんわん泣くちびという状況証拠まで揃ってる。このまま大声を上げられてはたまったものではない。

「わ、わかったわかった。悪かったよ…」
「じゃあ食べ物よこすし！あとお金もよこすし！慰謝料って奴だし！」

一転して親たぬきは掌を出してくる。なんということだろう、そこでようやくこの親子たぬきが当たり屋をしていると気付いた。
しかし反抗するにもアレなので勉強代だと思い手持ちの飴玉と菓子パンを何個か手渡し、500円玉もつけてやる事にした。

「ししし…これでチャラにしてやるし。これからはちゃんと足元に注意するんだし」

と、さっきまでわんわん泣いていたちびが急に泣き声を止めたかと思えば親たぬきへと駆け寄り、「いたいフリおわったし〜」とまあ呑気に頬をすりすりする。親たぬきは茶番の裏側があっけなくバレたものだから苛立ちを隠せずに顔をしかめ、思い切りちびの頭を叩いた。

「馬鹿し！相手がいなくなるまで痛いフリするし！！」
「ｷｭ…ごめんなさいし…」

なんとひどい親なのだろう。ちびを当たり屋行為に使いながら偉そうな態度に流石にカチンとくる。

「恥ずかしくないのかよ…こんな事してたらきっと大変な目に遭うぞ。ちびにも酷い事するなって」
「なんだし！ちびをどう使おうが勝手だし！こいつは誰のおかげで食わせてもらっているかわかっていないし！そもそも私のちびを轢いた奴に偉そうに言われたくないし！」

かなり心が荒んだたぬきだ。きっと良い死に方はしないだろう、リポップ先もフジツボたぬきとかかもしれない。
ちびが可哀想だがずっといるとまた因縁をふっかけられそうだと思い、さっさと自転車にまたがり当たり屋親子から逃げ出す。が、それなりに離れたところまで来てふと振り返ると、ちびが今にも泣き出しそうな顔でこちらをじっと見つめていた。
心が締め付けられるが…頑張って無視した。



「見ろしちび！向こうからまた自転車が来たし！」

数日後、親たぬきは全く反省していなかった。それどころか人通りの少ない時間帯を見計らい、また自転車に当たり屋を仕掛けようとしていた。
彼女は独りぼっちの時に偶然事故に遭い、その時人間に優しくされた経験から味を占め、今や悪質な当たり屋たぬきとなってしまったのだ。

「やだし…いたいのやだし…」

ちびはと言えば、一度の成功をきっかけにして何度も自転車に轢かれるフリをさせられていたものだからすっかりボロボロである。嘘泣きどころじゃなく、本当に泣きそうだ。

「ふんし、全くだらしないし！じゃあ今からお手本見せてやるし！」

すぱぁん！とちびの頭を叩いてから親たぬきは目一杯の可愛さを振り撒きながら自転車の前に飛び出し、

「わーい！たーぬ、たーぬ、ｷｭ、ｷﾞｭｳｳｳ!?ｷﾞｭｷﾞｭｨｱ!?」
轢かれた演技をする暇もなくあっさりと押しつぶされた。よりにもよって猛スピードだっただけでなく自転車のタイヤは通常のものより大きく膨らんだものだった。

「あ！やべ！」

自転車を漕いでいた人間が慌てて走り去る。轢き逃げの現場を目撃し呆然とするちびのわきで、親たぬきは全身を襲う激痛に悲鳴をあげていた。

「い、いだいじいぃい！あの人間今度見つけたら絶対にゆるざ、ﾝｷﾞｭｳｳｳｳｳ!!」

運悪くまた猛スピードで自転車がやってきて、親たぬきはぐちゃあと嫌な音を鳴らしながら轢かれた。

「うっわ！たぬき轢いちゃったよ！タイヤ汚れちまう〜！」

またも人間は逃げていく。親たぬきはボロ雑巾の様になりピクリとも動かなくなった。
ちびは仮にも親だった存在が目の前で残酷な死を遂げた事を受け止めきれず、わんわん泣きながらジタバタし始めた。

「ままーー！！やだしいいいいい！！！こわいしいいいい！！」

しばらくちびたぬきはジタバタしたが、何とか落ち着き、また親たぬきの死体に驚いてジタバタした。そうしていると時たま自転車が通りかかり、ギュギュギュというタイヤの音がちびたぬきを苦しめた。完全にトラウマになってしまったのである。
親たぬきの死骸から離れられず、加えて自転車も怖くてちびたぬきは尻尾を抱きしめて道のそばから動けなくなってしまうのだった。
と、親たぬきが死んでから数日してある自転車が通りかかり、ぴたりと止まった。ちびたぬきはお腹が空いて尻尾もボロボロ、今にも死にかけていた。

「おや…この前のちび…うわ！？親たぬき死んでるし、ボロボロじゃん！」

この前ちびが当たり屋を仕掛けようとした人間だった。彼は色々取られた事からしばらく河川敷を避けていたのだ。

「だから危ないって言ったのに…」

人間は腐敗が始まったぐちゃぐちゃの親たぬきに顔を歪めつつ、ちびをそっと抱え上げた。人間の両手に収まるくらいの小さな小さなちびに人間はまいったな、と頬をかく。
ちびは抱きしめられるのは初めてだった。親たぬきは物心ついた時からちびをこれっぽっちも愛していなかったし、自分で歩ける様になればすぐ当たり屋に仕立て上げたのだ。
ちびは体を包む暖かさに身を委ね、人間の手に頬をスリスリする。

「一匹だけで生きていくの無理だよな多分…さてどうしたものか」

青年は手の中でスリスリしているちびたぬきを見下ろしながらこめかみをかいた。
当たり屋たぬきの死骸のそばで拾ったはいいものの、見るからに衰弱している。家に連れ帰っても何かしてやれるとは思えない。

となれば必要なのは医者だ。青年は自転車の籠に背負っていたリュックから色々取り出して即席のクッションを作り、そこにちびを載せる。青年の手から離れた途端、ちびは目に見えて不服そうな顔で嫌だ嫌だ、とジタバタしようとしたがその力もないようで、首を左右に振る事しか出来ない。そしてしばらくして、ぐったりと寝転がる。
自転車に親を轢かれた子にはひどい仕打ちだとわかってはいるが、時は一刻を争う。

「我慢してくれ！」

青年は一気に自転車を漕ぎ出し、近くの動物病院へと向かった。

※

「栄養失調、それと体の節々に擦りむいた跡があるけどそれ以外は問題なさそうだね」

獣医はクタクタになったちびをたぬき専用のベッドに寝かせながら、青年にニッコリと微笑んだ。緊張がほぐれ、青年も口の端を緩める。

「この子、当たり屋していたんだっけ？最近近くの河川敷にたぬきが住み着いたって話は聞いていたけど、その子達だったのかあ」

ちびの細い腕には点滴が施されている。たぬき専用の、それはもう細い注射針がここ数年で普及したのである。

「君はこの子を飼うの？それとも引き取ってもらうの？」
「飼うつもりです。その、この子がこうなった責任は自分にある気がして」

原因はちびの親である当たり屋たぬきに屈して要求に従った自分にある、と青年は罪悪感に苛まれていた。ベッドの上でくしゃくしゃになったちびを見ていると、お前のせいだと叱咤されている様な気分に駆られるのだ。

「じゃあこれ渡しておこうか」

そう言って医者は分厚い本を青年に渡す。タイトルは『たぬきの飼い方』と書いてある。医者なりに応援する、という事なのだろう。

「一応今のうちに助言しておくけど、親絡みのトラウマ持った子との生活は大変だよ。覚悟しておきなさい」
「大変って？」
「今のうちにしっかり教えておいた方が良いね。あのね……」

※

獣医から忠告を受けて帰路へと着く。点滴で栄養を補給したおかげか、ちびは籠の中で尻尾を抱えてキューキュー寝息を立てている。自分が自転車に乗っている事に気付いていないのは幸いだろう。
家に着く頃にはすっかり日が沈み、自転車を駐輪場に止めてからそっとたぬきを手で持ってエレベーターに乗る。

（そういえばここってペットいいんだっけ…）

ぼんやりと考えていると、壁に諸々の注意書きが張り出されている事に気付いた。

『犬・猫　お断り！　（鳥・魚・たぬきはOK。管理人のたぬきは犬猫が苦手なので絶対飼わないでください）』

管理人がたぬきを飼っている事を今この時初めて知り、青年は目を丸くした。もしもちびの事で行き詰まったら相談してみよう。
自分の部屋につくなり青年は箪笥からタオルを取り出し、それでちびを包んでやった。おくるみたぬきの完成である。体を包む心地よさにちびは目を細めてぬくぬくとしている。

ちびが眠っている間に夕食を作る準備に入る。獣医からはお粥、柔らかく煮たうどんといった消化にやさしいものを食べさせる様にと言われていたので、指示通りにうどんを作ってやる事にした。

「し…良い匂いするし…」

おくるみの中からそんな声に続いてちびが起きた。そして自分が部屋の中にいると気付き、ギョッとしながら周囲を見廻し始める。

「ここ、どこだし…まま、どこだし…？なんで人間がいるし…？」
「ええと、覚えてるかな、ほら、二週間くらい前に君と話したと思うんだけど…」
「……？」

まだ幼いちびたぬきでは、人の顔を覚えるのは難しいだろう。自分が小学生の時に二週間前に一瞬だけ会った人間の顔を思い出せるかと言われたら答えはノーだ。
ちびはおくるみの中に引っ込み、尻尾を抱えて震え始めた。自分がどうして何処にいるのか、何が何だかまるでわかっていない様だ。

「ままに会わせてし、ままに、ままに会いたいし…」

ちびは自分の親がどうなったのか覚えていないらしい。いや、それとも忘れようとしているのか。とにかく家族がいない不安に駆られ、キューキューと悲鳴を上げた。
お前のままは、自転車に撥ねられて死んだよ。
そう言おうとして、青年は口をつぐむ。確かにちびの親は酷いたぬきだったかもしれない、それでも親は親だ。親が死んでしまったと、そんな事実を突きつけるのはあまりにも酷だ。

「君のままは、ええと、その…そう、少し遠くにお出かけに行ったんだ。『ちびの為にやらなきゃいけない事があるし！』って。だから、それまでは俺と一緒にここでままを待つんだ」
「そうなのかし…？ままがそう言ってたのかし…？」
「そうだよ。だから安心して、そこでゆっくりしててね。今ご飯作ってあげるから」
「ありがとうございますし…人間は優しいし…」

僅かにちびの警戒心が緩む。この純真さを、あの親たぬきは当たり屋という最低な仕事に利用していたのだと思うと心底腹が立った。

※

「美味しいし…うどんなんて初めて食べるし…」

よく煮て柔らかくなったうどんを食べさせると、ちびはモチモチとした頬を手で持ち上げながら微笑んだ。もっと欲しい、もっと欲しいと促されても青年はしっかり一口ずつ食べ終えるまで待った。

「美味しいかい？」
「美味しいし…前は虫とか、草とか食べてたし…いつもお腹ぺこぺこだったけど、ままは我慢しなさいと言ってたし…でもままに言われた通りにすると、いっぱい食べ物が…が…」

ぴたり、とちびの動きが止まる。その瞬間に青年はちびが自分が忘れようとしている地雷を踏み抜いた事を理解した。

「そうだし…人間の前に飛び出して、わざと痛がるフリをしろって…それをしないとぶたれたし…ままが私がやるって言い出して、それで、それで！」
「待っ…！」

遅かった。青年がもういい、と口を塞ごうとしたその時、ちびの両目から涙が溢れ始める。

「ひいいいいいい！！！まま、ままは死んじゃったしいいいいい！！！」

その場にひっくり返り、ちびはジタバタし始める。発狂したかの様なその勢いに青年はギョッとし、その小さい体を手で包んだ。

「落ち着いて、落ち着いて…よしよし…」
「し…し…」

赤ちゃんを抱いた事など一度もない。それでも見様見真似で左右に体を揺らしてみると、泣きじゃくっていたちびの様子が少し穏やかなものになっていく。

「暖かいし…これ、前にもしてもらったし…人間がやってくれたのかし…？」

また拾った時の様にちびは青年の手に頬をスリスリした。あの時よりもモチモチしているものだから、感触がくすぐったい。
青年は声は出さずに頷くだけに留める。ちびは顔を安堵で輝かせながら、気が済むまで手に抱きついた。

※

「ままは、もういないし…」

今度は包み隠さず全てを説明すると、ちびはションボリしながらもなんとか現実を受け入れた様だった。

「君が良ければなんだけど、俺と一緒に住まないか？ここなら眠る場所も食事もあるし…」
「良いんですかし…？私、人間にいっぱい迷惑かけたし…」
「君はそれを脅されてやってたんだ。無罪だよ」
「し…あの、それじゃ、一緒に、いたいですし…」

ちびはそう言うと、両手を広げる仕草を取った。どういう事なのかと首を傾げていると、

「もう一回、ぎゅーっとして欲しいですし…」
「なるほどね」

両手でたぬきを持ち上げて、ぎゅっとしてやる。体を包む心地よさがそんなに喜ばしいのか、ｷｭｰﾝｷｭｰﾝとちびは鳴いて頬をスリスリした。
では同居の確認を取ったならばちびの寝床を準備しなければなるまい。と言ってもたぬき用のベッドなど持っていないので、手近な箱にタオルやら何やらを敷き詰めて即席のベッドを作り上げた。

「ここが私の寝るところだし…？」

お風呂から上がり、歯磨きをしてやってからベッドへと連れて行く。恐る恐る箱に入れられたちびだが、ふかふかとした足場にあっという間に魅了され、ゴロリと寝転がった。

「ここ良いし…最高だし…」
「気に入ってもらえたなら良かった。俺もすぐ隣で寝るから、何かあったら声をかけてね」
「はいし…おやすみなさいし…」
「おやすみなさい」

そう言いながら青年はちびが眠りにつくまで見てやった。最初は眠そうではなかったちびだが、満腹に疲れも重なって欠伸をした後、静かに寝息を立て始める。

「ｷｭｰ…ﾀﾇｰ…ﾎﾟｺｰ…ま、ま…」

ぽつりと、寝言が聞こえた。悪たぬきとは言え母親を失ってしまったちびは、これからどう成長していくのだろうか、自分は何処まで手助けすれば良いのだろうか、青年は胸の中で不安が駆け巡るのを感じていた。

（いいや、やるんだ。この子が立派なたぬきになるまで育てるのが俺の使命なんだ…）

「まま…会いたいし…」

そんな寝言と共にちびの頬を涙が伝わるのを見て、青年は胸が締め付けられる。
もしも可能ならばちびに同じたぬきと触れ合う環境を作ってあげよう。確か幼い飼いたぬき達が集まる、託児たぬき所が駅前にあったはずだ。仕事の時はそこに預けてちびに同族と遊んでもらっても良いかもしれない…。

※

「ちび、俺にも仕事があるんだ。その間君は一人になってしまうから、ここに置いていくわけにはいかない。だから、他の人のところで待っていてくれないか？」

ちびたぬきを拾ってから数日、青年はそう切り出す。小さなたぬきが本来のモチモチとした体を取り戻すのにそう時間はかからず、あっという間にちびは元気になった。
元気になれば自然とお転婆になる。嫌な気持ちを忘れたいのか、ちびは自分にも仕事はないのかと繰り返し青年に尋ねる様になった。
けれどちびが出来る事など限られている。体が小さいのだから人間の家事など出来るはずもないのだ。

もしも青年が仕事に行っている間に行動力のあるちびが動けばどうなるか、想像するのは難しくない。最悪なケースを想定して、青年は平日の日中はちびを託たぬき所に預ける事にしたのだ。

「えー、し…私も一緒にお仕事行くし！」
「人間の職場はとにかく大きくて広いんだ。それに忙しいからちびと一緒にはいらないんだよ」
「ｷｭｰﾝ…わかったし」

渋々承知するちびだが、しょんぼり顔がギュッと険しくなっている。夜になったらいっぱい抱きしめてあげるから、と青年が宥めるが、不満を隠しもしない。
ともかく出勤の時間である。青年はちびにたぬき用のケースに入ってもらい自宅を出る。
まだちびは外に、より正確に言うと外に溢れかえっている自転車や車に触れさせるには幼い。獣医に渡された飼育本にも、『基本は室内で飼う事。移動の際にはケースを忘れずに』と記されているのだ。

「し…ここ、狭いし…」
「ごめんな、すぐだから」

駅前にある託たぬき所はネットでの評判がとても良く、さらに一週間無料体験まで行っている。何日かちびをを預けてみて、本人が満足そうだったらこれからも預けていこうと青年は考えていた。

「おはようございます。無料体験に応募した●●です」
「おはようございますし！そちらのケースの中にいるのが預けるおちびさんかし？」

保育たぬきが「おはようしー」とケースの中に手を振るが、尻尾を抱えたままのちびは返事もしない。

「ごめんなさい、恥ずかしがり屋で…」
「事情は聞いてるし。そうなるのも仕方ないし…ともかく、しっかりお世話するから任せて欲しいし」

託たぬき所内にはそれはもう多くのたぬきがいた。ちびは全部で三〇匹ほど、面倒を見る保育たぬきは二〇匹もいた。

「ｷｭｰ!ｷｭｰ!」
「はいはいし、元気なちびだし…よしよし…」
「ｷｭｰﾝ…♪」

「こらこら、喧嘩はしないし。モチモチでもパンチされたら痛いし…」
「ごめんなさいし…でもこのちびが私のおもちゃ取ったんだし…」
「でもパンチする理由にはならないし…ちびも、ちゃんと謝るし。かーしーてってお願いするし」
「ｺﾞﾒﾝﾅｻｲ、ｼ…」

都内でも有数の規模を誇る託たぬき所と書いてあったが、予想以上の数に青年はギョッとした。こんなにいっぱいいる中でちびは気圧されないだろうか？
ともかくずっとケースの中にいては息苦しい事だろうと思い、青年はちびをケースから取り出した。

「やだし…やだし…」
「ちび、安心して。みんな優しいたぬき達だから」
「ふふふし…ここに来るちびは最初は皆こうなるし…あるあるし…」

尻尾を抱えたちびを保育たぬきは青年の手からそっと抱き上げ、優しく左右に体を揺らす。それらしく真似するだけの青年とは違い、プロの動きはやはり違う。
ちびはあんなに不満げだったのにすぐに笑みを浮かべ、「しっ、しっ、しっ…」と保育たぬきにスリスリした。

「可愛いもんだし…それじゃお迎えは18時30分頃でいいかし？」
「はい、お願いします。それじゃちび、いってくるね」
「し！？やだし！やだし！置いてかないでしー！ｷｭｰ!!!」

ハッとして泣き出すちび。自分も昔幼稚園に預けられた時はああだったな、と思い出しながら青年は保育たぬきに会釈し、託たぬき所を後にした。

※

仕事を終え、早足で託たぬき所へと急ぐ。安心して預けたものの、やはりどうにも心配になってしまうのだ。

「寂しかったしー！」

こういう風に抱きついてくるだろうか？

「あ！帰ってきたし？凄く楽しかったし！」

こういう風に時間も忘れて遊んでいるだろうか？
と、ほんの少しだけワクワクしていた青年の脳裏に獣医からの忠告がよぎった。

『あのね、たぬきだって周囲とズレを感じたりするんだよ。君だってあるでしょ、自分が嫌な事を周りが嬉々として語っているとムカッ！てなったり。たぬきは犬猫とも微妙に違う生き物だから、そこんところしっかり認識しておかないと。この子はトラウマ持ちなわけだから特に』

胸がざわつく。保育たぬきにはしっかりちびの事情を説明した。その上でしっかり預からせてもらう、という言葉ももらった。あれだけの保育たぬきがいればトラブルもそうそう起きないはずだ…

「どうも、ウチのちびなんですけど…」

不安に駆られながら青年は意を決して託たぬき所へと到着し、

「しいいいいいい！！！！」
「ｷﾞｭｱ!!暴れるなし！！やめるし！！」
「ｷｭｰﾝ…痛いし、痛いしいい…」

今朝のうちに預けられていたたぬき達は殆どが帰っていったのだろう。部屋にはもう一〇匹ほどのたぬきしか残っていなかった。
そして、そんなたぬき達がキューキューと大騒ぎしている。その中心には、手足をジタバタさせて暴れ回るちびとそれを必死に宥めようとする保育たぬき達の姿があった。

「ちび！？どうしたんだ！」

慌てて土足で保育ルームへと踏み込む。保育たぬきの顔にはちびの噛み跡まであり、何が起きたのかを示していた。

「飼い主さんですかし…このちび、とんでもない悪たぬきだし…」
「一体、何があったんですか？」

恐る恐る聞いた青年に返答したのは保育たぬきではなく、顔にたんこぶを作った二匹のちびたぬきだ。

「えーんしえーんし！急にこいつが殴ってきたんだし！」
「怖いし…怖いし、ﾀﾇｰ…」
「しいいいい！！！殴ってやるしいいい！！！」

ちびはと言えば、狂った様に叫んでいる。青年は頭が真っ白になるのを感じながら慌てて暴れるちびを両手で掴み抱き寄せた。

「落ち着けって、何があったんだよ…」
「しいい、しいい…あいつら、あいつらが悪いんだし、あいつらが酷い事してたんだし…！」

※

保育たぬきに預けられたちびは泣きながら青年を見送る事になった。彼に置いていかれてしまう、そんな気持ちに涙が溢れた。

「そんなに泣くなし…すぐに帰ってくるし…」

ベテラン保育たぬきはよしよしとちびの頭を撫でてやった。泣きじゃくりながらもちびはその心地よさに少しずつ調子を取り戻し、なんとか涙を止めた。

「ごめんなさいし…」
「良いし、良いし。それよりあっちでみんなと遊ぼうし…」

にっこりと微笑む保育たぬきだが、ちびはちょっとだけ怖かった。自分をよく叩いていた親たぬきとは違うと分かっているのに、怒ったらぶたれそうな気がするのだ。

託たぬき所での時間はちびには幸せそのものと言えた。親以外のたぬきと話すのは初めてで最初こそ怖がっていたが、一緒にダンスを踊る事ですぐに打ち解けていった。

「私の飼い主さんはとっても大きいんだし…」
「私のご主人はむしろ小さいし…寝る時はいつも一緒なんだし！」
「私の飼い主は…あれ飼い主じゃないし、赤ちゃんだし…可愛いし…」

仲良くなったたぬき達は口々に自分の飼い主に関する話をしてくれた。けれどちびと彼女達の間には明確な違いがあり、それに気付いたちびは思わずションボリした。

「私のままは働いているんだし…飼い主さんの為に自分も頑張るし！って今はコンビニで働いているんだし」
「私のままはたぬきの服を作ってるし！」
「ほほほ、し…ままはエリートたぬきらしいし…いつもビシッとしてるし…」

どのたぬきにも親がいた。それに全員が『ショップ』という場所で飼い主さんに買ってもらったらしく、拾われた野良たぬきはちび一匹だけだったのだ。

「わ、私のご主人？はとっても優しいし！いつも私をギュッとしてくれるし！あったかいし！」

それでも負けじとちびは青年の事を自慢した。けれど返ってきたのは、

「そんなの私いつもやってもらってるし！ままも飼い主さんもギュッとしてくれるし！」
「ギュッとしてもらうなんていつもの事だしー！」

決してこのたぬき達に悪気があったわけではない。幼い内は無遠慮な子もいる、それを責めるのは誤りでしかない。
それでもちびはショックを受けた。自分にとってこれ以上ないほどに幸せな体験が、他のたぬきからすれば当たり前だというギャップが胸の中で小さな劣等感を生み出していく。

「みんなー！ごはんの時間だしー！」

ちびの周囲とのズレによる違和感はお昼ご飯の時にも湧き上がった。
ズラリと並べられたたぬき用の机にはたぬきの大好物であるうどんが並べられていて、ちびは嬉々とした顔で席についた。

「手を合わせて、いただきまーし！」
『いただきまーし！』

青年が作るうどんよりほんのり味が薄いが、それでもちびは美味しい、美味しい、とうどんを啜る。
けれどその隣、普通より二倍くらいの大きさのちびが声を上げた。

「味が薄いし！私ハンバーグが食べたいし！たぬフードも食べたいし！」
「だーめし。お前の飼い主さんいっぱい食べさせすぎな様だし…ちょっと言っておこうかし…」
「アイス食べたいし〜！ジュースも飲みたいし〜！！」

聞いた事もない食べ物の名前に首を傾げながらちびはうどんを啜る。
改めて見るとちび以外のたぬきは皆恰幅が良い。先程の『ショップ』も合わせて、ちびは自分は彼女達とは育ちも食生活も違う事をなんとなく理解し、胸の内でモヤモヤが渦巻いた。

※

ジワジワと蓄積される劣等感、自分と他のたぬきとの間にある大きな溝。ちびは最初こそ託たぬき所での暮らしを楽しんでいたが、だんだんと居心地の悪さを感じる様になった。
そして、極め付けに事件が起きる。

「ぶうーんし！たぬバイクだし〜！」

日が沈み、多くのちび達が飼い主と一緒に帰っていく中で広々とした部屋を駆け回るちびたぬきが二匹いた。恰幅の良いおデブたぬきと、ぽっちゃりたぬきだ。

「ぶいぶい〜！し！どけどけーし！！」
「あんまり走り回るなし…」
「怪我するし…」

保育たぬき達の呼びかけに二匹は耳も貸さずに、粘土遊びの時に使う棒を使ってバイクごっこをしている。
それをじっと、ちびは見ていた。
バイクは見た事がある。自転車よりもずっと大きくて、ずっと大きな音を出す怖い乗り物だ。当たり屋をしていた親たぬきでさえ「あれはダメだし…」というほどの代物である。

「ぶいぶい〜！」
「きゃ〜！轢かれちゃうし〜ｷｭ~!」

おデブたぬきがはしゃぎながらぽっちゃりたぬきにのしかかりジタバタする。側から見ればただ戯れているだけだが、それを見てちびの脳裏に嫌なものがよぎった。

『ふんし！全くだらしないし！じゃあ今からお手本見せてやるし！』
『わーい！たーぬ、たーぬ、ｷｭ、ｷﾞｭｳｳｳ!?ｷﾞｭｷﾞｭｨｱ!?』
『い、いだいじいぃい！あの人間今度見つけたら絶対にゆるざ、ﾝｷﾞｭｳｳｳｳｳ!!』

ここにタイヤはない。そもそもバイク自体ない。そのはずなのだが、ちびの目には別のものが見えていた。

「やめるし！！！」

ちびは自分でもびっくりするくらいの大声をあげていた。部屋中のたぬきが、保育たぬきも含め全員がびくりと体を震わせてしまうほどの声に、おデブたぬきとぽっちゃりたぬきは振り返る。

「なんだし…」
「こいつ新入りだし…」

ちびは眉間に皺を寄せ、おデブたぬき達を睨みつけた。

「それを今すぐやめるし…！！」
「な、何言ってるんだし…私達遊んでるだけだし…
「ぶいぶいーし…！」
「轢かれたら！死んじゃうし！！」
「？？？いつもはおうちにいるから轢かれるわけないし、轢かれるのなんて野良たぬきくらいだし…」

野良とは、自分や自分の親の事を指しているのだとちびは完全に理解した。

「……ッ！！！ｷﾞｭｳｳｳｳｳｳｳ!!!!」

そしてちびは床を蹴って思い切りおデブたぬきへと頭突きを食らわせていた。

※

ちびの生まれは保育たぬき達にも伝えていたが、よその子供に喧嘩を吹っかけて怪我をさせたとあっては事情が異なる。
青年はちびが傷つけたたぬきの飼い主達にそれはもう何度も頭を下げた。

「全くこれだから野良たぬきは…さあ帰りましょうねたぬきちゃん」
「ぐすん…怖かったしぃ…」
「おいお前！その野良たぬきにしっかり躾をしろよな！！たんこぶで済んだから良いけど、大怪我した日には医療費を払ってもらうぞ！！」

飼い主の恨み節を背に受けながら、青年はちびを連れて託たぬき所を後にする。
彼の手の中でちびは啜り泣いていた。朝と同じ様に尻尾を抱いて、ぐすんぐすんと。

「私やだし…あそこやだし…」

青年はその様子を見ながら自分の軽率な判断を心の底から後悔していた。
ちびは元野良たぬきだ。そんな彼女がペットショップで育った他のたぬき達と認識に差を感じてしまうのは当たり前だ。感性が僅かにズレているのだ。
獣医の言葉通りだった。たぬきはペットなどではない、もっと賢くて人並みに悩む生き物なのだ…。

「轢かれたら死んじゃうし…遊びじゃないし…ままは死んじゃったし…」

そして思わぬ形でトラウマを刺激されるなど思っていなかった。
ちびと同じくらいションボリしながら青年はトボトボと歩いていく。

「ちび達〜今日のご飯は木の実のジャムだし〜」

と、自宅近くの公園に通りがかったところで青年は思わぬものを目撃する。
それは、和気藹々とする野良たぬき一家だった。

「木の実のジャムだし〜…美味しそうだし…」
「ｷｭｰｷｭｰ!」
「私も手伝ったし…」
「ｵｲｼｿ､ｼ…」

親たぬきが何処から手に入れたのか定かではないがお皿にいっぱいのジャムを盛り付け、子供達に差し出す。
しっかりたぬき達は手を合わせて、

『いただきますし…』

なんて言いながらペチャペチャとジャムを食べ始める。野良とは思えない行儀の良さに青年はしばらくじっとその様子を観察していた。

「ん…？おや、人間さんだし。何かご用ですかし？道がわからないのかし？」
「ああいや、その、君達はここに住んでるの？」
「そうですし…人間さんから許可をいただいてここに住まわせもらっていますし。毎日公園の掃除と地域の清掃活動に参加しているし」

自宅近くにこんな礼儀正しいたぬきがいる事など青年はまるで知らなかった。公園に用などないし、この付近にやってくる事もそうそうなかったからだ。
ちびを拾ってからというもの、青年はどれだけ自分がたぬきに無関心であったかを思い知らされる。少し見る場所を変えるだけで、小さな命はそこらじゅうにいるのだ。

「ところでそのちびはどうかしたのかし？」

親たぬきの勘は鋭い。ちびの声さえ聞こえていないだろうに、青年の手の中にたぬきがいる事を見抜いたのだ。

「何処から説明したものか…」

何があったのか、そしてちびについて、それを説明すると親たぬきは渋い表情を浮かべて唸った。

「河川敷のアイツ…死んだのかし。前に会った時にあれほど当たり屋はやめておけと言ったのに、馬鹿な奴だし。それで、そのちびは今人間さんが飼っているけれど預ける場所に苦心している、と」
「そうなんだ。野良たぬきと飼いたぬきは違う、そんな事にも気付けなくて自分が恥ずかしいよ」
「生きてるモノを扱うのは難しいし…そう気を落とすなし。それより、良ければちびをウチで預かってもいいし」

親たぬきの提案は思いもよらぬもので、青年は面食らった。たぬきと言えば家族以外の同族には冷たいと言う事で有名だ。託たぬき所のたぬきは訓練された個体だが、もう三匹も娘がいる野良たぬきが自分から提案してくるとは予想できない。

「そのちびの親と私は幼馴染だったし…ろくでもない小狡いたぬきだったけどそのちびは言わば宝みたいなもんだし。ああ、別に人間さんから取ろうって訳じゃないし。ベビーシッたぬきって奴だし」

ししし、と親たぬきはそう言って微笑んだ。隣に立っている三匹のちびは青年の手の中にちびがいると聞いて興味津々だ。
全く予想外の展開に驚きながらも、青年は親たぬきの元にしゃがみ込んでペコリと頭を下げた。

「それじゃあ、お願いします」
「任せて欲しいし…」

とても悲しい事に続いて、とても嬉しい事がやってきた。青年は安堵に微笑みながらも、ただちびを守るのではなく、たぬきという生き物と向き合っていくべきだと新たに決意するのだった。

※

「それじゃあちびをよろしく。ちび、今度は前より快適だと思うから、よろしくな」

翌日。青年は託たぬき所ではなく公園に向かい、野良たぬき一家にちびを預ける。
ちびは託たぬき所の一件がまだ尾を引いているようで、ケースから出る時にはこれまで以上に警戒心をあらわにしていた。

「し…よろしくお願いしますし…」
「そんなに怖がらなくて良いし。ちび、挨拶するし。お前達の…うーん、お姉さんじゃ色々めんどくさいから最初はお友達からだし！」

親たぬきはご機嫌な様子でちびに愛娘達を紹介する。

「まずは長女だし。面倒見が良くてしっかりもの、言葉もすぐに覚えたし」
「家族じゃないちびと会うの初めてだし！よろしくし！」
「次に次女だし。言葉を覚えたてだからまだ上手く話せないし。好奇心旺盛で動かずにはいられない性格をしているから、もしも何か無茶しようとしてたら止めて欲しいし…」
「し！し！後で一緒に冒険行こうし！木登りするし！！」
「最後に三女だし。まだ言葉は覚えてないけど長女に負けず劣らずのしっかり者だし」
「ｷｭ~!ｼ!」

「「遊ぼう！！し！！！（ｷｭｰ!）」」

三匹の野良ちび達は自己紹介が終わるや否や、ちびへと群がった。家族以外のたぬきと触れ合った事が無いのである。
ちびはと言えば突然詰め寄られ、ギョッとしながらも満更では無い様子でほくそ笑んだ。

「う、うん！遊ぶし！」
「木登りしようし！あ、でも高いところは降りられなくなるから気をつけようし！」
「やだし、限界突破するし！キュー！」
「ｷｭｰ…」

野良ちび達は皆活発で、体にあふれるエネルギーを発散したくて仕方がなかった。託たぬき所のたぬき達よりも体はがっしりしていて、動きも力強い。一日のほとんどを室内で過ごし、食べたいものを食べてグダグダする飼いたぬきと違い、自然に揉まれながらも逞しく生きる野良たぬきは強いのだ。

「うん、し、うんし…木登りは難しいし…」

幾ら元野良たぬきとはいえちびは木登りの経験はない。それ故に野良ちび達がどんどん上に登っていくのとは対照的に、どんどん下へずり落ちていた。

「おーい、大丈夫かしー？」
「すぐに行くし〜…えっし、ほっし…」
「ぷぷぷし…木登り苦手なのかし？今行くし！」

次女たぬきがスルスルと滑りながらちびの位置にまで下がってくる。
素早い身のこなしにちびは驚きのあまり「ﾀﾇｰ…」とおかしな声をあげてしまう。

「木登りのコツは体をピッタリ木に押し付ける事だし。たぬきは体がモチモチしてるから体重を預けると、木に張り付けちゃうんだし！ほら！」

そう言って次女は体を木に押し付ける。するとら、まるで体にテープを貼っているかのように木にくっつくではないか。
真似てみると、ちびの体も木にくっついた。隠された能力を思わぬ形で発見し、ちびはションボリどころかニッコリ笑顔で木を這い登っていく。

「凄いし…楽しいし…」
「ししし…私に敵う木登りたぬきはいないし！」

次女たぬきはお調子者ではあるが、わからない事はすぐに教えてくれる素直な子たぬきだった。

※

「ここには木の実があるし…美味しい木の実だし…」
「ｷｭｰ！ｷｭｰ!」

長女と三女の二匹に連れられてちびは木々の奥へと向かう。街の中にありながら自然あふれる森は、一度空気を吸えば言葉にし難い心地よさを味わえた。

「二人とも、私が来て嫌じゃないかし？」
「全然良いし、むしろ私達も友達が欲しかったし！」
「ｷｭｰ！」
「それにままが喜んでるのは嬉しいし。いつも疲れている顔だったから、心配してたんだし…」
「ｷｭｯ､ｷｭｯ…」
「要するに大歓迎だし！ようこそ我が家へ！し！」

長女と三女はまだ幼いだろうに親を気遣う、優しい子たぬきだった。

※

「ちび達、お昼の時間だし〜」

ちびはドキドキした。野良たぬきが何を食べるかはよく知っている。木の実はまだ良いが虫は体が受け付けず、吐き戻す可能性がある。もしそうしたら嫌われてしまうかもしれない。

「今日のメニューは、うどんだし！木の実と食べられる草を添えてし…」
「ししし…うどんだし…いただきますし」
「私もいただきますし…
「ｷｭｷｭｷｭ…ｷｭｵﾝｼ…」
「え！？うどんし！？」

湯気を立ち上らせるおいしそうなうどんを前にして、ちびは素っ頓狂な声をあげた。彼女の母親はうどんなど出さなかったし、とにかく虫を口に突っ込んできた記憶しかない。

「ふふふ、ちょっとだけ人間さんの力を借りているけど90%メイドインたぬきだし…さあ食べるし…」
「ふう、ふう、し…」
「あちし、あちあちし…」
「ｷｭｰﾝ♡」

既に野良ちび達は箸を使ってうどんを啜り始めている。ちびもドギマギしながら手を合わせ、「いただきますし…」と言ってからうどんを口に運ぶ。
これまで食べたどのうどんとも違う独特な味付けだ。飼い主の青年が作るうどんはちょっと濃く、託たぬき所で出されたうどんはちょっと薄かった。親たぬきが振る舞ってくれたうどんは、ピリピリとしていた。スパイシーという奴である。

「私特製の麺とスープだし…人間さんも認める味だし…」
「すごおいし…」
「私とちび達は食べ終わったら仕事をするし。お前はここで休んでいて良いし」
「仕事…？何するし？」
「公園のお掃除だし、ゴミを集めたり箒で掃いたりとかそんな感じだし」

ごくんとうどんを飲み込み、更に木の実を絞ったジュースもグビリとあおってからちびは立ち上がると、自分としては最高のキメ顔を浮かべた。

「私もやるし！お世話になってばかりじゃ恥ずかしいし！」
「うーし、その意気や良し…じゃあちび達と一緒にやるし」

親たぬきはちびにたぬき専用の箒とちりとりを手渡すと、やるべき事を事細かに説明した。
たぬき達の仕事は全部で三つ。
①公園の敷地内にある目立つゴミを回収し、ゴミ箱に捨てる
②人間の落とし物が無いかチェックする
③怪しい物が落ちていないかチェックする
まだ小さいちび達の仕事は基本②で、手が空いたら①と③を親たぬきと共に行う。よく出来た役割分担である。

「じゃあ落とし物チェック頼むし！」
「「「はーいし！（ｷｭｰ!）」」」

※

「ねえねえしお姉ちゃん、聞きたい事あるし」
「お、お姉ちゃん？私がお姉ちゃんかし？」
「私達の中で一番大きいちびだし…」

落とし物は落ちていないかとベンチの下や草むらを探す途中、次女がちびへと声をかけてくる。ちび呼ばれ慣れていない名前にちょっとだけ顔を赤くした。

「外の世界はどんなところだし？ちょっとだけ教えて欲しいし…」
「外の世界はとにかく広いし…それで危険もいっぱいだし。私達ちびたぬきじゃすぐに大怪我しちゃうし」
「ふうーんし…お姉ちゃんが言うなら、信じるし」

※

仕事を終えた青年は早足で公園へと向かう。前回と同じ事になってやしないかと戦々恐々だ。

「わーいわーいし！こっちだしいー！」
「このー！捕まえてやるしー！」

公園の入り口についたところで青年は目の前の光景に「はぁ…！」と歓喜してしまう。
夕焼けを浴びながら野良ちび達と遊ぶちびの姿がそこにあった。

「お姉ちゃんが鬼だしー！」
「全然追いつけないしー！」

喧嘩もしていない、仲間外れにもされていない。それどころか、みんなで楽しく遊んでいる。
これまでに無いくらい弾けた笑顔に青年も口元を綻ばせる。

「おーい！ちびー！」
「あ！帰ってきたし！おーい！」

ちびはトボトボどころかもっと軽快な足取りで青年へ駆け寄ってくると、ギュッと足に抱きついてくる。優しく抱き上げてやると、それはもう喜ばしげに手に頬をスリスリさせた。

「俺がいない間、寂しくなかったか？」
「全然だし！凄い楽しかったし！木登りしたり、木の実集めたり、あとうどん食べたし！！」
「そうかそうか、良かったなあ！」
「ししし…私達の仕事まで手伝ってくれて本当に良い子ですし…」

たぬき一家はニコニコしながら青年とちびの戯れを見守る。今までずっと自分達だけで生きてきた彼女達にとってちびの存在は新鮮で、それでいて活力を与えてくれたのだ。

「本当にありがとうございます。こんなに楽しそうなちびを見るのは初めてです！」
「これからも困った時はウチに預けて良いし…ただその、約束通り例のブツが欲しいし」
「あ！はい！」

恥ずかしそうに親たぬきは青年に手を差し出す。青年は懐から何本かの便を取り出すと、しゃがみ込んで手渡した。
瓶に貼られているラベルには「塩」「胡椒」「七味とうがらし」と書いてある。いわゆる調味料の類である。

「うひょー、し…これがあれば味変無限だし…」
「良いんですか？食べ物とかじゃなくて」
「私達はあくまで自然と共に生きる種ですし…だから人間さん達から物資の提供をしてもらいはするけれど食べ物そのものはねだらずに自分達で頑張るし」

親たぬきは胡椒の瓶に頬擦りしながらそう言った。野良ちび達も楽しい想像をしてるのかよだれを垂らしている。

「とと、妄想はなしだし。ともかく今日はこれでおしまいだし。ちび、また明日し」
「はーいし！」
「それじゃあ…」

公園を出るまでたぬき一家に見送られる。いつもの様にちびをケースの中に入れてやると、嫌がるどころか尻尾を抱えてすぐ寝てしまった。どうやら遊び疲れてしまったらしい。

「良かったなちび…本当に良かった…」
「zzz…むにゃむにゃし…木登り…」

※

公園のたぬき一家にちびを預ける様になってから生活は一変した。思う存分楽しめる場所が生まれたおかげか、ちびはこれまでよりも体が大きくなっていった。
情緒も発達していき大嫌いだった自転車にも少しずつ慣れてきたのか、前ほど過敏に反応する事はなくなっていた…。


「おはようございますし！良い朝だし！！」

青年は元気な声に目を開ける。目の前にはもっちりとした子たぬきの顔があり、朝がやって来た事を知らせてくれた。

「今日は日曜日だからお休みかし？良かったら、公園に散歩に行こうし！あ、あとケースいらないし！」

小さい体ながら手足をジタバタさせ、ハツラツと子たぬきは笑う。かつてちびだった頃、親に命じられて当たり屋をさせられていた彼女はすくすくと育ち、拾った時よりも明るいたぬきに成長した。
それとは裏腹に青年は不安げな顔で、こう尋ねた。

「本当？ケースないとまずくないか？」
「全然大丈夫だし！」

これまで外に行く時彼は必ず小さい同居人をケースに入れて守っていたのだが、今朝はいらないと言う。
子たぬきは目の前で親が自転車に轢かれて死んだ。それ以来外に出る事さえ怖がっていたが、ケースに入れて連れ歩く地道なリハビリで少しずつ恐怖を薄れさせていた。それでも自転車が近付くと怖がり、ケースのの中で尻尾を抱いて震えていたのだ。
人間と自転車は切っても切れない関係にある以上、身を守る何かも無しに外出するという事は恐怖と隣り合わせだと意味する。

『トラウマがある以上、それに触れる機会は可能な限り減らすべきです』

精神科医は子たぬきを診てからそう言った。じっくりと時間をかけて、今の環境に慣れていくしかない。心の傷はすぐには治せないのだから、飼い主が親身になってケアするしかない、と。

「いや、ダメだ。何かあった時大変だろ？しっかりこっちの中に入りなって」
「私もう大人だし！交通ルールだってバッチリだし、それにご主人がいるし！ずっとケースの中じゃ、狭くて死んじゃうし！」
「…そこまで言うのなら、わかった。ただし何かあった時の為に持っていくからな」

どのあたりまで自由意志を尊重すればいいのか、青年はどうにも掴めずに四苦八苦する。初めて会った時のボロボロなちびとは違い、今の子たぬきは随分と成長して賢くなった。それ故に彼女の意見にも正当性がある。ケースの中にいれば安全だが、それでは多大なストレスを与えてしまう。
青年は半分折れて、いつでもたぬきを助けられるように準備する事にした。


※


「ふんふふん、ふーんし…♪散歩だしー！」

青年は気が気でなかった。いつもはなんでもない歩道でさえ、子たぬきからすればいつどこから自転車が来てもおかしくないからだ。
まだちびの頃、近くを自転車が通り掛かるたびに彼女はタイヤの音や金属音に反応し、手足をぶつけながら箱の中でそれはもうジタバタした。

『ひいいいいい！！！やだし、やだし！！！やめて、やめて、許して、ままー！！！』

それから時が経ち、今や子たぬきはすっかり大きくなった。だが自転車に慣れていく事はあっても根本的な克服には至っていない。もし今、曲がり角からぬっと自転車が飛び出してきたら…！

「公園だし…あそこで遊ぶし！」

子たぬきが目的地の公園を見つけ、歩調を早めたその時の事である。
ききっ、と曲がり角から自転車が飛び出してきた。思わず青年はあっ！と声をあげ、即座に子たぬきを助けるべく手を差し伸べる。

「わっ、し…」

ところが、子たぬきは驚きこそすれど飛び出してきた自転車と、跨っている少年をぎゅっと睨んだ。

「こらー！曲がり角には気をつけるしー！」
「ご、ごめんなさあい」

青年の予想とは大きく異なる展開だった。伸ばしていた手は空を切る。子たぬきは何事かと振り返った。

「どうかしたのかし？」
「い、いやなんでも…」

子たぬきはえっへん、と胸を張ってまた歩き出す。あんなに怖がっていた自転車が今はもうへっちゃららしい。青年は心から安堵しため息をつく。
それでも気を取り直して子たぬきのそばを歩く。何かあってからでは遅いのだ、しっかり守ってやらねば。

※

これまで何度も子たぬきを預けてきた公園に到着する。

「おおーいし！遊びにきたしー！」
「おー！来たのかし！」

子たぬきがポテポテと駆け寄ると、親たぬきはニッコリ笑顔で出迎える。会った時より随分と老け込んでいるが、その包容力は全く変わらない。もう一人の娘にハグをし、それから頬をモチモチした。

「お前達、お姉ちゃんだし！」

子たぬきがちびの時に遊んでくれていたちびもすっかり大きくなり、長女と次女は立派な子たぬきに成長していた。

「お姉ちゃーん！」
「遊ぼうしー！」
「ｷｭｰ!あそぼうしー！」
「おー！一緒に遊ぼうしー！」

子たぬきは野良たぬき達を引き連れて公園をぐるぐると走り回る。いつもと変わらない元気な様子にホッとしていると、親たぬきがズボンの袖を引っ張り、

「あの子、いつものに入れてこなかったし？大丈夫なのかし？」
「大丈夫だって言うから試しに。さっき自転車に出くわしたけど、全然気にしていないみたいだった」

公園に住む野良たぬき達との付き合いは長い。ちびを拾ってからしばらくして、他のたぬきと交流しようと公園に連れていった。野良たぬき達はちびの境遇を聞き、自分の子でもないのにちびを溺愛し母親代わりに色々な事を教えてくれたのだ。

「ふうーんし…トラウマは時間で解決されるものだけど、まだちょっと心配だし。街中自転車や車でいっぱいだし」
「それなんだ。どうすれば良いんだろうな…田舎とかに引っ越してみるとか？」
「もし、もしも可能ならあの子は森に帰るべきだと思うし」

親たぬきの言葉に青年はギョッとして、ちびを肩車してぴょんぴょん跳ねている子たぬきに目を向ける。親たぬきが発した言葉の意味、それはつまり彼女を放逐するという事だ。

「今は確かに自転車へのトラウマは緩んでるみたいだし…でも、いつ何が起きるかまるで予想できないし…それなら、最初からそうしたものとは縁遠い場所で暮らす他にないし」
「でも、それはあいつを、捨てるようなもんじゃないのか？」
「違うし。本来たぬきは森の中でひっそりと暮らす生き物、こうして街にいる事は間違いないんだし…だから、森に帰すというよりかは森に戻すというのが正しい表現だし」

森に戻す。コンクリートに囲まれた窮屈な世界ではなく、もっと広い自然あふれる場所へ…。
青年もそんな気はしていた。というのも子たぬきは家の中にいるより公園で自然に囲まれながら遊んでいる時の方がずっと楽しそうにしている。
子たぬきがいるべきはここではない、遠い場所なのだろうか。

「いいところを知っているし。○○町の近くにある▲▲山では、たぬき達が山の一角に集落を作っているし…天敵もいなくて人間とも仲良くしてるんだし」
「どうしてそんな場所を知ってるんだ？」
「この前自治会の人に聞いたし。私も行きたいのは山々だけど▲▲山は遠いからたぬきの足じゃ辿り着けないし、だからといって人間に頼むのは我が儘だし、ここに骨を埋めてもいいかなと思ってるし…」

親たぬきはぽつりぽつりとそう言った。帰りたくても帰れない、それはどれだけ辛く苦しい悩みだろうか。
青年は決断出来なかった。たぬきを他者に託す、その決意が固まらないのだ。

「まあゆっくり考えていけば良いし…何事もじっくりとだし…」

けれど、事件は起きた。起きてしまった。

※

「あ！落とし物だし！」

いつもの様に野良たぬき一家に預けられた子たぬきが仕事である公園の清掃をしていると、次女が小さな鍵を見つけた。

「ここに座ってたお爺さんさっき帰って行くの見たし！そんなに離れてないだろうから私届けてくるし！」
「待つし！それは…」
「心配いらないし！」

そういうと次女は意気揚々と鍵を持って公園の入口へと走っていく。成長して少しずつ自我を持ち始め、次女はこれまで以上に活発になっていた。親の手を煩わせたくない、自分がやるんだ。そんな気持ちが先行してしまったのである。
慌てて子たぬきは次女を追いかけ、一緒に私に行こうと説得した。
幸い鍵を落とした老人自体はすぐ近くを歩いていた。老人は感激し、二匹のたぬきに持っていた飴を一粒ずつくれた。

「良い事すると気分いいし…」
「でもこれから無理するなし…甘いし…」

コロコロと舌の上で飴を転がしながら二匹が公園へと戻ろうとした、その時である。

「ｷｭｰ!ｷｭｰ!」

か細いたぬきの声が聞こえた。子たぬき達が歩く歩道の隣、車が行き交う車道のど真ん中にたぬきの親子が取り残されていたのだ。

「あ！そこのたぬき、助けて欲しいし…車が少ない時を狙ったのにあっという間にこの有様だし…」
「今助けを呼ぶし！そこにじっとしていろし！」

とは言ったものの車の往来はそれなりに激しい。助けを呼ぶまでに何かあってもおかしくない。
子たぬきは心臓がバクバクと鼓動を鳴らしている事に気付く。これ以上ないほどの緊張のせいである。
車に轢かれたらどうなるのか？考えるまでもない。脳裏によぎるのは凄惨な死体と今は亡き母の姿だ。

（余計な考えはいらないし！！早く助けを呼ぶし！！）

けれどもう怖がるだけのちびではない。子たぬきはピシャリと恐怖を振り払い、近くに人間がいないか探し始めた。
次女はと言えば、目の前で大ピンチの親子たぬきを見守るだけだなんて信じられずにいた。たぬきは素早い、あの二匹をすぐに助け出す事など造作でもない。そんな絶対の自信があった。
そして、遂にいてもたってもいられず次女が何も言わずに飛び出してしまった。

「私が行くし！素早いから車なんてへっちゃらだし！」
「ま、待つし！」

次女たぬきは確かに素早い。野良たぬき一家の中でもスピードは一等賞で、かけっこなら誰にも負けない。けれどそれはたぬき達と比較しての場合である。

「行くなし！！行くな、行かないで！！」

子たぬきの声を無視し、次女は車の間を縫う様にして親子の元へと向かっていく。動体視力も優れているのか、危なげもなく進んでいく様子はたぬきとは思えないほどに軽快だ。
そして遂に次女は立ち尽くす親子へとたどり着く。思わぬヒーローの登場に親子は感激の涙を流した。

「ありがとうし…」
「まだお礼を言うには早いし！すぐに…」

プァーン ！！！！
瞬間、耳を塞ぎたくなるほどの爆音が響く。小さなたぬきの鼓膜を破壊しかねないほどの音に次女も、親子も、離れている子たぬきも全員ひっくり返ってジタバタしてしまう。
大きな大きなダンプカーが鳴らしたクラクション、それはたぬき達から冷静な判断を失わせるには十分過ぎた。

「しいいいいいい！！！」
「ｷﾞｭｷﾞｭｷﾞｭｷﾞｭ!!」
「ひいいいい、ひいいい、なんだし！なんだし！」
「は、早くこっちに戻ってくるし！」
「ひいいいいい！！ままああああ！！」

先程までの調子は消え失せ、次女はパニックになった。
野良たぬき一家の親はちび達を育てる中で自分なりに段階というものを決め、それに従って子育てをしていた。まずはマナー、それから言葉遣い、大きくなってから交通ルールと外の世界の色々、という風に。
ちび三姉妹は全員大人になるまではしっかり守られ、優しさを与えられ、情緒が育ち切ってから車に関してを教えられるはずだったのだ。
けれどもう遅い。次女は理解の範疇にない爆音に思考が追いつかず、地面の上で手足を振り乱す事しか出来ない。そして…！！！

「まま！まま！助けてし、助けてし、たすけ…ｷﾞｭﾌﾞｴ!!」
「わあああ、し！！わあああ…ｷﾞｭｳ!」
「ｷｭｰ!ｷｭｰ!!ｷｭ､ﾝｷﾞｭｳｳｳ!!!!」

次女も親子も、同時にタイヤの下敷きになった。ぐちゃりと木の実が潰れる様な音に続き、ポキポキと大切な何かが砕け折れる。

「あ」

子たぬきは間抜けな声を漏らした。
一瞬の事だった。ちびを轢いた車は速度を緩める事なく、血の跡を残しながら走り去っていく。残されたのは道路に張り付いた次女と哀れなたぬき親子だけ。

「ｷﾞｭ､ｷﾞｭ…おね、え、ちゃ」

辛うじて次女だけはまだ息があった。それでも下半身から下がぺちゃんこになり、おびただしい量の血が道路に広がっていく。

「お、ねえちゃ…たす、け、ﾌﾞｷﾞｬｯ」

もう一度、次女をタイヤが踏み潰す。頭蓋が割れ、てらてらと光る中身が弾けた。
元気な元気な次女たぬき。お調子者でおしゃべりで、それでもみんなに優しい健気なたぬき。
モチモチとした体は木登りに役立つと教えてくれた、せっかちたぬき。
けれどもういない。轢かれて死んだ。惨めに死んだ。
まるで、まるで、ままみたいに。


「わあああああああああ！！！ああああああああ、ああああああああああ！！！！ひい、ひぃ、ひいいいいいい！！！！」

※

家に戻るまでにたぬきはケースの中でじっとしていた。尻尾を抱えて、家を出た時とは逆に一言も口を聞かずに。

『お前は悪くないし…あいつの運が悪かっただけだし…お前が生きていて良かったし』
『お姉ちゃんの選択は間違ってなかったし…妹の選択も間違ってなかったし…」
『ｷｭｳ､気にしないで、し…』

親たぬき達はそう言って精一杯子たぬきを励ましたが、返事はなかった。何も出来ずに次女たぬきを死なせたのは自分だと、子たぬきはそう考えてしまっているのだ。

※

家に戻り、居間にケースを置いて扉を開ける。けれど子たぬきは出てこない。

「大丈夫か？」
「ごめんなさいし、ごめんなさいし、ごめんなさいし…許してし、許してし、許してし…」
「おい、たぬき…？」
「ままがいたし、ままが、ままが死んでたし！アレはままだったし！！」

ああ、と声をあげそうになる。トラウマが、治りつつあったトラウマが、次女の死によって更に強く重くなって子たぬきにのしかかっているのだ。

「ごめんなさいし、ごめんなさいし…」

子たぬきはずっとカゴの中でブツブツと死んだ親への謝罪をした。このままではきっと気がおかしくなってしまうだろう。
青年はすぐに子たぬきをカゴから引っ張り出した。大きい体を縮こめて、まるで何かに押しつぶされたかのような様子に言葉を失いつつも、

「お腹とか、減って…いやなんでもない。水か何か飲むか」

悲惨な光景を見せられて、何か食べたいと思う者はいないだろう。下手すればもう肉を食べたくないとさえ思うかもしれない。
子たぬきは一際ションボリとした顔で青年から渡された水をぐいっと飲み干す。はああ、と強くため息をついた。

「落ち着いてきたけどお腹空いてないし…その、今夜一緒に眠らせて欲しいし…」

体を震わせながら子たぬきはトボトボと青年にしがみついてそう言った。体格に見合わない、出会ったばかりのちびだった時を思わせる姿にに青年は胸が締め付けられた。

※

その夜はどちらも物を食べる気にならず、早めに寝る事にした。
子たぬきを抱えて寝室に向かう。いつもはたぬき専用のベッドがあるのだが、今日は特別である。子たぬきをぎゅっと抱きしめながらベットに体を預けると、モチモチとした手が青年にしがみついてくる。怖くて仕方がないのを必死に堪えているのだ。

「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさいし…」

電気を消し、部屋が真っ暗になる。子たぬきが眠りにつくまで見届けてから青年は瞼を閉じ…
ギュギュギュ、ちゃりんちゃりん
ブーン　ブオーン
どこからともなく音が聞こえた。地面に擦れるタイヤの耳障りな音、ベルの音、車の耳障りなエンジン音…。

「ぎゃあああああ！？」

腕の中の子たぬきが、その小さな体から発せられているとは思わないほどの絶叫をあげた。ベッドがガタガタと揺れるほど凄まじい勢いでジタバタし、ひたすら叫ぶ。

「やめてし！やめてし！ごめんなさいし！もうやらないし、もう痛いのやだし！！許してし…！」
「おい！落ちつけって！」
「ままがいるし！ままが、ままが呼んでるし！！」

子たぬきは要領を得ない事をひたすら叫んでいる。恐らく頭の中でこれまでに見た凄惨な光景が何度も何度もフラッシュバックしているのだろう。
再発したトラウマはかなり根強い。このまま放っておけばストレスで死んでしまいかねない。都会の喧騒はこのたぬきにとっては最早地獄に移り変わろうとしているのだ。

青年と子たぬきの生活は一変した。たぬきはちびの頃に逆戻りしてしまい、家から出なくなった。

「やだし…外はやだし…ここが良いし…」
「ぎゃあああああ！！！！ごめんなさいし、ごめんなさいし、もうしないし、許してし…！！！」

家の中でやる事はベッドの中で頭を抱えているか、たまに近くを通りかかる自転車や車の音に反応して奇声をあげている。
更に外に出るという行為を心底嫌がり、外の空気を散歩に行こうと提案すると、

「絶対に嫌だし！！！」

と喚いてジタバタした。酷い時は青年の指に噛みついたり、ベチベチと柔らかい手を使って叩いてきたりもした。

青年の精神も少しずつ荒み始める。何しろ子たぬきは一日中様子がおかしい。いつも何かに怯え、音に反応しては奇声をあげる。
アパートの住人達から騒音被害で訴えられる事も何度かあった。今までは子たぬきを可愛がってくれていた老人達まで昼夜問わず奇声をあげる姿に侮蔑の目を向け、青年に小言を言う様になっていった。

辛い事に音が聞こえなければ子たぬきはこれまでよりも臆病ではあるが、変わらない姿を青年に見せた。けれど一度でもタイヤの音でも聞こえようものなら、発狂した様に騒ぎ始める。
夜泣きをすれば青年がはそれをあやさねばならず、睡眠不足に陥る。幾ら落ち着かせてもすぐに子たぬきは叫ぶ。
最悪な悪循環の中で、青年は何度もちびを黙らせてやりたい衝動に駆られる。首をギュッと絞めればそれで終わる、枕を押し付ければ静かになる…と。
けれどその度に自分に言い聞かせる。それは間違いだ、そんなのやってはダメだ、と。

「ひいいいいい！ごめんし、ままごめんし、ちびごめんし…叩かないで、叩かないでし…」
「よしよし、よしよし…」

たぬき好きなアパートの管理人は相当な苦情が来たのか、遂に青年にこう告げた。

「私のたぬきちゃんも嫌がってるのよねえ。さっさと何処かに捨ててきなさいよ」

※

青年の取るべき行動は残すところあと一つだった。公園で野良たぬきと交わした、たぬきの理想郷。そこに子たぬきを連れていくしかない。
ただ聞こえはいいが、要するに子たぬきをそこに捨てるという事だ。手に負えないから押しつける、そんな気がしてならない。
だからといってこれ以上子たぬきと一緒に暮らすのには限界がある。何より車や自転車の音が聞こえない家など、そうそう見つからない。

「引っ越しをしよう。ここからずっと離れたところに山があって、そこでたぬきが暮らしてるそうなんだ」
「………」
「君の苦しそうな姿は見ていられないんだ。山の中なら車の音なんて聞こえない。それに仲間達もいっぱいいる」
「………し」

子たぬきは無惨なものである。あんなに毛並みの良かった尻尾は暴れる際に自分で毛を引きちぎるせいでハゲていて、手や足に噛み付くせいで赤い痕がいくつもある。

「一緒に住む事は出来ないけど、週に一回は遊びに行く。だから…」
「………わかったし」

ぽつりと子たぬきはつぶやく。尻尾を抱えたまま、震えながら必死に絞り出した言葉だった。

「本当？」
「でも私一匹だけじゃ行けないし…公園にいる、あのたぬき達も連れて行って欲しいし…」
「いいとも…！」

※

事故からしばらくの間公園に行く事はなかった。子たぬき自体会いたくないと嫌がった。
親たぬきは青年の姿を見ると、ペコリと頭を下げる。

「お久しぶりですし…あの子の様子はどうだし？」
「その事で話があって…」

青年は親たぬきからの話をそっくりそのまま伝え返し、子たぬきと一緒に来ないかと誘った。

「でも公園の仕事が…」
「それなら俺がやるよ。実は仕事やめちゃってさ…」

子たぬきの事を考えると仕事をする気にもなれず、毎日の世話もしなければならない都合で彼は職場に辞表を提出していた。
親たぬきはギョッとしながらも青年と子たぬきの好意を無碍には出来ないと、▲▲山への同行を承諾した。

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そして▲▲山への旅が始まる。
交通手段は車以外、つまりは電車である。子たぬきは耳当てをつけた上でケースに入れて厳重に運ぶ。何度か耳当てをして生活をさせたが、嫌いな音は聞こえないもののストレスが凄まじくそれ以来封印していた。役に立って幸いだ。

「お姉ちゃん、冷凍みかんだしほら…」
「冷たくて美味しいし…」
「…何言ってるかわかんないけど、ありがとうし…」

長女と三女は献身的に子たぬきに声をかけた。食べ物をケースの中に入れてあげたり、ケースに顔だけ突っ込んでお話をしたりとそれはもう優しく、優しくて子たぬきと交流していた。

▲▲山には話の通りたぬきの集落があった。
そこでは多くのたぬき達が住んでいて、山の様子を人間に伝えたり時には動物と交渉したりと、人と獣の間で潤滑油の役割をしているそうだ。
他所から来るたぬきも受け入れ、条件を満たせば飼いたぬきも引き取ってくれる。その条件というのは、連絡先と住所の記入らしい。飼えないからたぬきを捨てる、そういう目的の飼い主を防止する為である。

「はい、記入終わりました」

名前と住所を書き終え、青年にケースの中の子たぬきに呼びかける。

「もうすぐそこから出してやるからな」
「●×さん、ご案内します」

案内に従い、たぬき達を連れて山の中へと入る。
山中はとても静かで、人間の世界からの音は完全に隔絶されている事がわかる。大丈夫ですよ、と職員に促され子たぬきをケースから出し更に耳当ても外してやる。

「どう？何も聞こえないでしょ？」
「うん、し…凄いし…」

聞こえてくるのは虫の声、水のせせらぎ…そして、たぬき達の声だ。

「みんな、新入りが来たし！盛大にモチモチしてやるし！」

これまで見た事がないほど大量のたぬきが山の奥からポテポテとやってくる。全員が幸せそうに笑っていて、子たぬきや野良たぬき一家にハグをすると挨拶のモチモチをしてくれた。

「わわ、わし…」
「くすぐったいし…」
「よく来てくれたし！もうパーティーの準備は出来てるし！」

大歓迎ムードの中で、子たぬきはゆっくりと青年に振り返る。喜び、悲しみ、色んな感情が入り混じったションボリ顔に青年は微笑みかける。

「行っておいで。大丈夫、毎週遊びに来るから」

子たぬきは青年に駆け寄り、足にしがみつく。優しく持ち上げてギュッとしてやると、心地良さそうに小さな同居人は手に頬をスリスリした。

「…今日まで色々迷惑かけて、ごめんなさいし！それと、…今まで、ありがとうございましたし！」

そして子たぬきは青年にペコリと頭を下げると、仲間達に迎えられながら山の中へと消えていった。
もちろん、これでお別れというわけではない。青年は新たに職を見つけた。たぬきの為に色んな事を請け負う、いわば何でも屋である。開業してすぐに飼いたぬき野良たぬき問わず様々な依頼が舞い込み、家を建ててやったりちび達のお世話をしてやったりした。
最終的に青年も含めてたぬき達を助けたい、という意思の元でたぬきホテルやたぬきカフェといったたぬき専用娯楽施設が生まれるのは、まだもう少し先の事である。

青年は一週間に一度、仕事の間を縫って▲▲山に遊びに行く。子たぬきは一週ごとに大きくなり、あっという間に立派な大人たぬきに育った。山の中でも一番大きくて、次のリーダーになるのだとか。
野良たぬき一家をずっと守ってきた親たぬきは、入山してから五年後に息を引き取った。山のたぬき達の間でも頼れるうどん職人として尊敬されていて、葬式では多くのたぬきが涙を流したという。
その娘達も大きくなり、相変わらず面倒見のいいたぬきとして活躍している。長女は次女の一件もあってか医者を目指しているとか。

あの日、当たり屋をしていたちびと出会ってから青年は多くのものを目にし、そして目の前の世界が広がった。
ちびには幾つもの困難が待ち受けていたが、最終的に彼女は幸せな生活を得る事が出来た。

一人と一匹は互いに支え合い、そして互いに進むべき道を見つけた。
青年とちびの人生（あとたぬ生）は、まだこれからである。

