No.68「南極」


コウテイペンギンは、南極で暮らす世界最大のペンギンです。
コウテイペンギン達は巨大な氷の上で群れを作り、4月から繁殖期を迎えるのです。
ただし、4月と言ってもマイナス60度にまで達するブリザードが吹き荒れる厳しい環境です。
それでも外敵が少ないため、なんとか子供を育てられるのでした。

真っ白で何もない雪だけの営巣地に、招かれざる闖入者が降り立ちます。
何の因果か、ポップした赤ちゃんたぬきでした。
南極にはたぬ木などないので、累積したションボリを基に自然発生したのです。
けれどその身体は、一糸纏わぬ姿でした。
とっても寒そう…。
「ｷｭｯ…ｷﾞｭ、ｷﾞｭｳｳｳ…」(さむ…さむいし…しんじゃうし…)

「ｷｭーｳｳー…ｷﾞｭｳ…ｳｳｳ…」(あのいきもの…なんだし…？とっても、ふかふかだし…ずるいし…)
はだかんぼの赤ちゃんたぬきからすれば、ふさふさの毛皮に覆われたコウテイペンギンの赤ちゃんはとっても恵まれて見えます。

ｷｭーｷｭｷｭｳｷｭｷｭー…(たぬき玉だし…ちびもいれてし…)
凍った鼻水で鼻の穴を詰まらせて、真っ青な顔になった赤ちゃんたぬきはクレイシと呼ばれる、赤ちゃんペンギンの群れを見つけました。
身体を寄せ合って、おしくらまんじゅうのようにして寒さに耐えるその姿は、赤ちゃんたぬきからすれば馴染みあるたぬき玉のように思えました。
「ｷﾞｭｴｴ…ｷｭｳｷﾞｭｳ…」(はいるし…ちびもはいるし…)
赤ちゃんたぬきは寒さに身体を丸めながら、まだ弱い足の力でヨチヨチと近寄っていき、クレイシの中にどうにか潜り込もうと必死です。
カチカチの手を突き出したり、毛皮の壁をペチペチ叩いてこじ開けようとします。
───が、元々弱い赤ちゃんたぬきの力では何も起こりません。
それどころか、赤ちゃんペンギン達が作る白い波に押し返されてしまいます。
「ｷﾞｭ……ｷﾞｭｳｳ、ｳ…」(お…おさないで、し…)
なんだこいつは、とコウテイペンギンの赤ちゃん達はすでに警戒心を強めています。
ふかふかの毛皮を持っていない、はだかんぼの赤ちゃんたぬきはやがて仲間でないと判断されクレイシから弾き出されてしまいました。
「ｷｭ､ｳ､ｳ…ｷﾞｭｳｳ…ｷﾞｭー…ﾁﾞｭ…」(あっあっあっ…おいださないでし…いれて…じ…)
どんなに悲痛な鳴き声でお願いしても、一度閉じられたクレイシの中心にはどうあっても辿り着けません。

「ｷﾞｭｳｳｳ！ｷﾞｭｳ…ｳｳｳ…！」(やだしぃぃぃ！なかまはずれ、やだしぃ…！」
赤ちゃんたぬきは納得がいかず、駄々をこねるように仰向けでジタバタと泣いていましたが、やがてその涙も凍りついて、弱々しい動きがどんどん遅くなっていきます。
「ｷ……ﾁﾞｭ………」(い……じ………)
孤独感に絶望しながら、赤ちゃんたぬきは凍え死んでしまいました。
こうしてたまに紛れ込む邪魔者を追い出しながら、コウテイペンギン達は大人への階段をのぼって行くのです。


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再び、寒冷地に赤ちゃんたぬきがポップしました。
今度は服のような毛皮を身にまとっています。
でも所詮はたぬきの毛皮。
見掛け倒しのそれでは極寒の地を耐え抜く事はできません。

「ｷﾞｭ、ﾌﾞｪ…ﾁﾞﾁﾞﾁﾞ……」(さむいし…おなか…すいたし…)
コウテイペンギンが育てるのは1匹だけ。
エサをもらえるのも、親1匹につき子供1匹だけなのです。
「ﾁﾞｨｱｱ…ｷﾞｭｲ…ｷｭｷﾞｭｳｳ…」(まま…どこだし…たぬきの、まま…)
不安そうに背中を丸めて立ち尽くす赤ちゃんたぬきの悲壮な叫びは無視したまま、コウテイペンギンは頭を垂れて、見上げる我が子に嚥下した食事を与えていました。
ペンギンミルクと呼ばれる、赤ちゃんペンギンでも呑み込める分泌物です。
ｷｭｷｭ…ｸﾞｩｩ…ｷﾞｭﾁﾞ…(まま…ごはん…ちびにも…)
あちこちで赤ちゃんペンギン達が親の口からペンギンミルクを受け取っていますが、誰も赤ちゃんたぬきを顧みることはありません。
だって、たぬきですから。
ヨダレと涙を凍りつかせていくら近寄ろうと、コウテイペンギンは背中を向けてしまいます。
「ｷﾞｭ…ｷｭｳｳｷｭ…ｼﾞ…」(むし…しないで…じ…)
服を着た赤ちゃんたぬきは振り解かれても、また別のペンギンにすがりつきます。
周りに何もないので、生き残るために必死です。
「……ｷﾞｭｴ？」(……まま？)
ふわりとした浮遊感が身体を包み込んで、抱き上げてもらったのだと勘違いしたのは一瞬のことでした。
赤ちゃんたぬきはコウテイペンギンに邪魔くさそうに摘み上げられると、ポイッと放り投げられてしまいます。
「ﾁﾞﾍﾞ…ﾁﾞ…ﾁﾞﾁﾞ…」(い、ぢぃ……ど、じ…でぢ…」
突き飛ばされて、再び1匹きりになってしまった赤ちゃんたぬきに近づいて来たのは───トウゾクカモメです。

まだ意識があるうちに連れ去られてしまった赤ちゃんたぬきは上空の冷たい空気を浴びながらジタバタと抵抗しますが、脱出したかと思えば海水が満ちた氷の穴にぼちゃんっ、と落ちてしまいました。
「ﾁﾞｪ…ﾁﾞ…ﾁﾞﾁﾞ…」(ざ……む…じ…)
ほとんど意識のなかった赤ちゃんたぬきは、自前の服が濡れて張り付く不快感と身を刺すような冷たさに苦しみ、ジタバタを続けられなくなってしまいました。
トウゾクカモメはやれやれ、といった様子で戻ってきて、動かなくなったエサを摘み上げて再び飛び去っていきます。

赤ちゃんたぬきが囮になってくれたので自分達の子供が無事であったことにほっとして、けれどもたぬきには感謝せずコウテイペンギンたちの日々は続いていきます。


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今度は、服を着た大人のたぬきがポップしました。
「な…何だし…ここ、ものすごく寒いじ…」
我が子が作った“子育て勲章”を授かり記憶を引き継いだ、いわゆる2週目たぬきなのでした。
ゴミを勲章だと思い込むことで勲章持ちの特性を発揮したのです。
たぬきのデタラメな生態がなせる業でしたが、たぬき自身はそれなりの賢さを備えていました。
「ふかふかの生き物がいっぱいだし…」
赤ちゃんペンギン達はあまり力が強くないので、大人のたぬきが押し退ければ簡単にクレイシの真ん中に移動することができました。
「たぬき入るし…この中で暮らすし…」
赤ちゃんペンギン達を追い出し、クレイシの中心に居座る事でなんとかして暖を取ろうと企みます。
「ふふ、し…ぬくぬくだし…」
意地の悪い笑みをたたえて、お水は周りの雪を食べるとしても次はどうやって食事にありつこうか思考をフル回転させていた大人のたぬきは───。
子供達の悲鳴を聞いて、周りのコウテイペンギン達が集まってきた事に気がついていませんでした。

なんだこいつ。
ヘンな生き物がいるぞ。
ウチの子になんてことするんだ。
追い出しちゃえ！

コウテイペンギンの親たちは結託して、不埒なたぬきを突き回しました。
いつの間にかコウテイペンギンの赤ちゃん達も離れ、クレイシはドーナツのような輪っかになっていました。
その中心に位置する大人たぬきは、やられ放題です。
「いぢっ！いだいじ！やめでじ！」
一際大きなアタマを抱えて守りますが、背中やほっぺたなどあちこちを一斉に突かれ、大人たぬきはたまらず逃げ出しました。
あちこち赤くなりながら、そしてその傷口もすぐに凍り始めています。

大人たぬきの命は、クレイシを追い出されてわずか30秒ほどで風前の灯火となりました。
いくら大人でも、結局はたぬきです。
もし栄養を溜め込んで冬服たぬきになれたとしても、凍てつく大地を生き抜くことはできません。
生まれた時から死が確定している大人たぬきの身に、奇跡が起きました。
と言っても、そのたぬきが助かるわけではありません。

大人たぬきがその身に溜め込んだションボリと絶望的状況から生まれたションボリが合算され、新たな命を生み出したのです。

「ｷｭｳｯ…！」
服を着た、赤ちゃんたぬきが白い大地の上にぽんっ、と現れました。
しかし新たな命の誕生を祝福するものは、誰もいません。
「あああ…あのちびも死んじゃうし…」
己の最期を悟った大人たぬきは、我が子同然の赤ちゃんたぬきの末路も同じだと悲しみました。
「ｷｭｷｭｷﾞｭｷﾞｭｰｷﾞｭｷﾞｭ…！」(さざさざむじじじじ…！)
寒すぎて震える声帯からは、周りのコウテイペンギンの赤ちゃん達にも似た鳴き声が発せられました。
その時です。
ペタペタと歩いてきた1匹のコウテイペンギンが、赤ちゃんたぬきの前に立ち、守るように覆いかぶさったのです。
「ｷﾞｭｷｭ…？」(まま…？)

「ｷｭｴ…ｷｭｰｳｳ…？」(ちびの…ままなんだし…？)
不思議そうに見上げる赤ちゃんたぬきですが、応答はありません。
ただ───ふかふかの毛皮の感触とあたたかなぬくもりが、自分を受け入れてくれたと感じた途端、赤ちゃんたぬきは少し変わってるけれどこれが自分の母親なのだと思い込みました。
実にたぬきな考え方ですね。


子供を失って、おかしくなってしまったコウテイペンギンが赤ちゃんたぬきを我が子として迎え入れ始めたのです。
過剰に分泌されたプロラクチンという母性にも関わるホルモンがなせる業でした。
これにより我が子を失っても、時には他所の赤ちゃんペンギンを衝動的に奪おうとして、親ペンギンと争いにまで発展するのですが、たぬきの赤ちゃんは誰とも奪い合いになりません。
「どうしてし…たぬきのションボリから生まれたちびなのに…し…」
ただ、納得のいかない様子で見つめていたのは大人たぬきでした。
あと数分の命では、仔を巡る競争の場に立つことさえ、ままなりません。
「たぬきもいれてし…」
棒立ちのまま、歯の根が合わずにガチガチと鳴らすばかりです。
情けない気持ちで懇願しても、警戒されてしまった大人たぬきには今度こそ誰も応えてはくれません。


「ﾍﾟﾁｬﾍﾟﾁｬ…ｷｭー♪」(んまんま、し…まま、ありがとし♪」
赤ちゃんたぬきは親代わりになってくれたコウテイペンギンから、口移しで豊富なタンパク質と脂質を受け取ります。
食事に夢中になって、降り注ぐペンギンミルクにまみれた赤ちゃんたぬきは顔を拭った手をペロペロしと舐めまわし、満足げに鳴きました。
「ｷｭｯｷｭｳ♪」(まま、あったかいし♪)
育児嚢に入れてもらい、あたたかな感触に包まれた赤ちゃんたぬきは、ふるえながらも安心してほっぺたをプルプルさせています。

「ちび…たぬきに気づいてし…ちび…」
自分より遥かにか弱いはずの赤ちゃんたぬきであろうと構わず、唯一の同族に助けを求めます。
赤ちゃんたぬきからすれば弱い視力で何かこっちを見ている生き物がいるのはわかりますが、そもそも寒いから出たくありません。
すっかりペンギン気分になって、親代わりになってくれたペンギンの中で赤ちゃんたぬきはまどろんでしまいました。
「ｷｭ…ｸｩ…ｸｩｩ…」

「ひど…いし…」
すやすやと眠る赤ちゃんたぬきを見つめながら、大人たぬきは真っ白な手を伸ばしたまま倒れて、動かなくなりました。


翌朝、一際大きなお肉が転がっている事に気づいたトウゾクカモメが白い大地に降り立ちました。
お肉の塊をその場で何度も突いています。
ようやく、注目してもらえましたね。


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ペンギンとして育てられた赤ちゃんたぬきは、ペンギンミルクの栄養のおかげですくすくと成長していきました。
服のように見える毛皮も耳当てやマフラーのような形状が加わり、多少は寒さに耐えられるようになっていました。
それでも多少でしかないので、うどんダンスを教えてくれる大人がいないのと、寒さのせいで派手な動きが出来ないため常に両手だけ振って熱を生み出しています。
「ｷｭ、ｷｭ、ｷｭｳー…」(ジタバタするし…)
丸々太ったその姿では、飛べない鳥が必死に飛び上がろうとして、醜く抗うようにしか見えません。
かわいい赤ちゃんペンギン達が手をバタバタさせているのとは、似て非なるものでした。


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赤ちゃんだったコウテイペンギン達も、いよいよ自分でエサを取る時期がやってきました。
もう親にペンギンミルクをもらってばかりいられません。
コウテイペンギン達は、さーやるぞー、といった様子で氷の穴に次々と飛び込んでいきます。
その列の中には他のペンギンにしがみついている赤ちゃんたぬきも並んでいました。
言葉を話す必要がないのと、誰も教えてくれないので身体は大きくとも未だに鳴き声をあげることしか出来ません。
「ｷｭｳｯ…ｷﾞｭｰｷﾞｭｰｷﾞｭｷﾞｭ…」(いくし…ちびもみんなといっしょにいくし…)

すでに自分もペンギンの仲間だと思い込んでいる赤ちゃんたぬきは、何の躊躇いもありませんでした。
しっぽが濡れるとか、そもそも泳げないとかそんな事は全く、考えていません。
両手を胸に当てたまま、つま先からぴょいんっと穴の中に飛び込みました。

水の中に入った途端、氷の上とは見違えるような速さでコウテイペンギン達は流れに乗って泳ぎ回ります。
「ｶﾞﾎﾞ…ｶﾞﾎﾞﾎﾞﾎﾞ…ｹﾞﾌﾞｧ！」
あらあら。極寒の氷水の中で1匹だけジタバタともがき、飛沫をあげてキューキュー騒いでいた赤ちゃんたぬきが、やがて力尽きて丸いお肉の塊として浮かんできてしまいました。
やっぱり、無理でしたね。


───戻ってきたコウテイペンギン達に邪魔そうに押しのけられ、ぷかぷか揺れる物言わぬちびたぬきを画面の中心に据えて、動画は終了した。

「あ…あ…ちび…どうなっちゃったし…？」
「どう見ても死んでるよ」
「あううし…」
飼い生活のありがたみを知らしめ、また大自然の厳しさを教えるために見せていたのが、この動画だった。
食い入るように見つめながら鼻を鳴らし、ちびの死に様には涙を流していた飼いたぬきがぽつりと溢した。
「おうちの外には、あんなにかわいそうなちびがいっぱいいるんだし…」
む。なんか変なスイッチが入ってしまったような気がする。
義憤に駆られ、決意と共に立ち上がった飼いたぬきがんふー、と鼻息を吐き出す。

「ちびを助けにいくし…！」
と意気込むので外に出してやったらそのまま帰ってこなかった。
まあいいか。ワンコインで買ったのを育ててただけだし。


数日後、駅に向かって歩いていると片耳と右腕を失った薄汚いたぬきが馴れ馴れしく寄ってきたので蹴っ飛ばしてやると知らないたぬきはゴロゴロ転がって車道に出てしまった。
大型トレーラーの車輪が、すぐそこまで迫っていた───。


オワリ