さくらもち：
とある都市に、年々拡大を続けるたぬきスラムが存在した。住宅街の合間の廃屋の中に位置するそこは、水場の公園からも餌場の公園や街路の果樹、ゴミ捨て場からも近く、入り口はかろうじてたぬきが通れる大きさの壁の割れ目のみであり、人間が入れずもどきや野犬も往生する狭さであった。更に廃屋の地権者は不明となっており、勝手に建造物を壊して進む事もできない。たぬき達にとって正に難攻不落の城と言えた。

行政も不衛生なたぬきの跋扈を看過できずたぬきの駆除作戦を展開していたが、廃屋の中までは進む事ができない。数年間スラムが維持される間にたぬきも知恵を付けていたらしく、毒餌作戦を展開しても即効性の毒では一部のたぬきが死ぬだけですぐに毒とばれ、廃棄されてしまう。廃屋の外には、たぬきが尿を掛けて毒見役の骸と一緒に捨てた毒餌が積まれるだけで、根本的な解決とはなっていなかった。

そこで行政は、作戦を変える事にした。


「おい、これを見るし…桜色の餅菓子が捨ててあるし…」
「ほんとだし…包装も破れてないし…人間の文字で…『さくらもち』って書いてあるし…」
「ボスの所に持ち帰るし…」

ビニール包装に包まれていたのは、桜葉パウダーを練り込んだ餅菓子であった。中には塩入りのこしあんが入っており、普通のたぬきなら何も考えずに残らず口にしただろう。だがスラムのボスは慎重だった。

「新入り、ちびと来いし。お前らがこのさくらもちを食え」
「私たちが、ですかし…？」
「嫌なら出て行ってもらうし。ここに入りたいたぬきは幾らでも居るし…共同体の役に立てし」
「ヒッ…わかりましたし！…はむ、ふむ、甘いですし！とても美味しいですし！変な味はしませんし！」
「ｱﾏｲﾃﾞｽｼｰ! ｵｲｼｲﾃﾞｽｼｰ!」

新入りの親子たぬきは美味しそうにさくらもちを平らげていった。スラム住民のたぬきが、涎を垂らして羨ましそうにそれを見る。それでもスラムのボスは慎重な姿勢を崩さない。

「何か不審な点はないかし？例えば苦味があるとか、口がピリピリするとか、痺れるとか…」
「いいえ！そういう変な味はありませんし！強いて言うなら、桜の香りが少し強い位ですし…」
「ふうむ…いったん明日まで様子を見るし。明後日の朝まで元気ならば毒の可能性はないし…」

その後、隔離されて普通の食事を摂っていたさくらもちを食べた親子は、特に倒れる事もなく元気なままだった。


人間にも何らかの意図はあるはずだが、スラムのたぬきは少しずつゴミ捨て場に増え始めたさくらもちに夢中になり始めていた。ボスたぬきは一度に食べすぎないよう釘を刺していたが、砂糖をたっぷり使ったさくらもちの魅力には抗えない。虫や木の実の収集は疎かになり始め、保存食よりもさくらもちを好んで食べる事がスラムの贅沢になりつつあった。

「あいてっ…アザが出来ちゃったし…ﾓﾁﾓﾁのたぬきにぶつけただけでアザが出来るとか前代未聞だし…」
「ちびがよく鼻血を出すようになったし…なかなか鼻血が止まらないし…」

さくらもちを常食するようになってから、内出血や鼻血の事がスラムの井戸端会議に上り始めた。

「まさか、あのさくらもちが悪さをしてるし…？」
「いやいや、あの味で毒な訳ないし！それに毒味役の新入りもピンピンしてたし…」
「ボスたぬきは自制してるけど、こんな美味いもの我慢する方が体に毒だし…」

だから食べよう。こんな美味しいものが、体に悪いはずがないのだから。


それから一週間経った夜。ボスたぬきは歯茎からの出血が気になり、口をゆすぎに床から出た。
するとそこには、スラムのたぬきたちが呻き声を上げながら悶え苦しむ地獄絵図が広がっていた。

「お前らどうしたし…！何かおかしいもの食べたかし！？」
「悪いものなんて何も…何も食べてないし…なのに急に…目が見えないし…」

スラムの中堅たぬきが、眼球を真っ赤に充血させて、呻いていた。
口を開けると歯茎からも血が流れ、腹を抑えて呻いている。
糞溜めを見ると、異常な量の血便が溜め込まれていた。

「やはり、あのさくらもちが毒だったし…！だがどうして…誰もこんなになるまで異常が出ないだなんて…」

クマリンという植物由来の芳香性物質がある。主に桜の葉に含まれるそれは、香料として使われる一方で強い肝臓毒性と抗凝血作用…つまり血が止まらなくなる作用を有する事で知られている。即効性はなく、一度に少量食べただけならば肝臓で分解されて大した害はない。しかし、クマリンを継続的に摂取し続けると、抗凝血作用は体内に蓄積し続け、やがて肝臓が毒性を処理しきれなくなる。そしてさくらもちには、クマリンを多量に含む桜葉エキスを練り込むだけでなく、無味無臭のクマリン系抗凝血毒をたっぷりと練り込んであった事は言うまでもない。

内出血や鼻血の時点で、遅効性の毒性である可能性に気づくべきであった。しかしたぬきの食性では滅多に得られない砂糖たっぷりのさくらもちの味を知った以上、その魅力から抜け出せる筈もない。さくらもちをたっぷりと食べ続け、結果として抗凝血毒をたっぷりと蓄積させたたぬきたちに残された道は、内臓出血と肝不全で死んでいく未来しか残されていなかった。そして──

「予想どおりに全滅してくれたね。君たちがこの建物の中で好き放題に振る舞っている映像を地権者の方々に見せたら、『すぐに駆除してください』との要請を受けられたよ」

行政のたぬき駆除担当者が、マスクに作業服姿でスラムに姿を現した。

「お前達が…お前達が、私たちを虐殺したのかし…！」
「虐殺？違うね。これは駆除だ。そして、君たちは殺さない。死なせない。リポップ自体させないのさ」
「リポップさせない？何を言っているし…」

別の駆除担当者が、水槽のような容器を運んできた。中には緑色の粘性ある液体が満たされている。

「これはリポップ抑止液と言ってね、君たちたぬきを死んでいても生かさず殺さずのまま半永久的に保存でき、リポップによる再出現を抑止できる優れものだ。君たちにはリポップ抑止液の実験体として、この中に半永久的に浸かり続けて──」

駆除担当者腕が、ボスたぬきの頭をひったくるようにして掴み……

「貰おうと思うッ！」

どぼぼぼぼぼ。

ボスたぬきは、リポップ抑止液の中に漬け込まれ、まるで石化したかのように、ぴくりとも動かなくなった。

「（思考が…働かない…何も…考えられない…ただ…目の前で…起きていることを…ああ…スラムのみんな…）」

「よし、全個体を回収してリポップ抑止液に浸けろ。生死を問わずだ。このスラムを消毒する前にスラムの原因をここで断て。いいな？」

「（苦しんでいる親も…もう死んでいるちびも…私と同じ生きた死体になって…永遠に動けなくなるし…誰か…誰か助けて…たぬきがここまで苦しめられる理由って何だし…）」

ボスたぬきが恨めしそうに駆除担当者を睨み付けると、駆除担当者は口を歪めて言葉をぶつけた。

「騒音、ゴミ漁り、糞尿、地価の下落、治安の悪化…たぬきスラムの存在は、この街にとって百害あって一利なしだ。そんな事も知らずにボスを気取っていたのかい、君は。──そのまま永遠に救われないままでいるがいい」

こうして、たぬきスラムの駆除と共に、地権者の合意を得て、たぬきスラム跡にはショッピングモールとマンションの複合型施設が開発建設される事になった。たぬきスラム駆除の教訓は学会にて報告され、次なるたぬきスラムの駆除に役立てられる事だろう。

なお、たぬきスラムのたぬき達は、リポップ抑止液に漬け込まれたまま、市の管理する倉庫にて半永久的に保管される事になった。いずれ法整備がなされれば、マリアナ海溝など二度とリポップ不能な地点への投棄も検討されるだろうという。