秘密の共有

自宅アパートから最寄駅へ向かう際、一番の近道はとある豪邸の前を通るルートだ。だが。

「やーい、貧乏人！朝から満員電車通勤ご苦労様ですし！ししし！」

豪邸のフェンス越しに、やたら高級そうなたぬ服を着たたぬきが朝から煽ってくるのを、甘受しなければならなかった。イラっと来た事も一度や二度ではないが、監視カメラが道を向いている事、たぬきが高い金を掛けて飼育されているのが伺われる事などから、とてもやり返せる雰囲気ではなかった。

「じゃあたぬきはご主人様から和牛を食べさせてもらいますし…貧乏人どもは牛丼でも食べるといいし…あっご主人様♡　タヌー♡」

一通り通行人を馬鹿にしたたぬきが飼い主に媚びる声を挙げるのにうんざりしながら、俺は客先プレゼンに向けて打ち合わせする内容を頭の中検討していた。

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「社内にて検討の結果、御社のソリューションを採用する事が決まった。ついては今後の営業担当である君と、是非話がしたくてね」

商談成功の後、先方の社長応接で通された人物。仕立てのいいスーツを着た老年の男性の顔に、実のところ、俺は見覚えがあった。──あの豪邸の持ち主、あの通行人を煽りまくるたぬきの、飼い主だ。

「まさか御社の営業担当が、私のご近所さんとはね」
「…いえ、それにしても奇遇ですね。はは、何かあればすぐ駆けつけます」
「それは頼もしい。ところで──うちのたぬきが、随分と不愉快な思いをさせてしまったようだ」
「！　…いえいえ、賢くて元気のいいたぬきちゃんで…」
「隠すことはないさ。あれは近所からも苦情が来ていてね、躾を失敗してしまったようだ」
「…たぬきの躾は難しいと聞きます。あまりお気になさらず」
「いやいや、君があれと顔見知りなら、却って都合がいい部分もあるんだ」

社長は立ち上がると、押しベルを鳴らした。

「この後は時間はあるかね？急で悪いが、少々込み入った話もしたくてね」

上司に客先の要望という事もあり、本日は直帰という事にして貰った。だが、『込み入った話』ってなんだ？

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豪華な料亭で、社長とサシで目も眩むような高級料理を出された俺は、箸も震える思いでそれらを食べ尽くした。
ハンバーガーと牛丼しか碌に食った事しかない俺には、全く未知の上品な味。「大変結構なお味で」と
料理対決番組の評論家のような台詞を繰り返すしかできなかった。

「商談成功の秘訣にはね、秘密の共有というのが重要、それが私の持論でね」

ほろ酔いの社長が何やら持論を語る。

「この結構なお料理が秘密の共有…という訳ではなさそうですね」
「勿論だとも。まあこれは慰謝料と景気付け、といった所かな。もう一件、君を連れて行きたい場所があるんだ。私と君…いや、我々が親睦を深める為に必要な場所さ」

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料亭から社用車で通された先は、会員制の秘密クラブらしかった。手持ちのPCとスマートフォンは全てロッカーに預けられ、代わりに高級タブレットを渡される。

「私はたぬきが好きだ。特に賢いたぬきが好きだ。自分と他人の地位と言うものを瞬時に見極める聡いたぬきは特にね。だから、君に粗相をしたあのたぬきを飼っていた訳だよ」
「左様でしたか…」
「だが、真に賢いたぬきならば身の程を知るべきだったとも私は思う。なのにあいつは、私に飼われているから無条件に道行く人間を馬鹿にするという愚行に走った。これは実に残念なことだ」
「……正直なところ、気分を害してしまった事はあります」

ぐるり、と社長がこちらを振り向いた。その眼は異様に爛々と輝いている。

「だろう！？　だから、私たちはその清算をしなければならないと思うんだ……『アレ』でね」

通された秘密クラブの一室。SMプレイ…いや、拷問器具が並べられたその一室に。

「ご主人様！！　ご主人様、どうしてわたしが縛られてるし！？　それに何で貧乏人と一緒にいるし！？」

豪邸の中で散々俺を罵倒してきたたぬきが、あの上等な服を脱がされ、両手を縛られ、天井から吊るされていた。

「え、あのたぬき、ご自宅のたぬきじゃないんですか！？　何であんな格好で」

戸惑う俺を尻目に、スタッフが熱く焼けた焼き印の長柄と、防熱手袋を社長に渡す。
防熱手袋を嵌め、焼き印を手にした社長は──

「ちょ、まって、ご主人、さま──  ｷﾞｭｱｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｧｯｯｯｯｯ!!!!???!!?」

無造作に、焼き印を、たぬきの右頬、そして左頬に押し当てた。
肉の焦げる臭いと共に、頬に刻まれた文字は……

『廃棄』

「もう私の飼いたぬきはいない。ここに居るのは、君を含む街の人を不快にさせた、廃棄予定のたぬきだ。さあ君、そのタブレットで頬の焼印を撮って見せて上げてくれたまえ」

ぱしゃり。そして頬に入れられた焼き印の意味を悟ったのか、元飼いたぬきはぽろぽろと泣き出した。

「ひどい…ひどいし…わたしはご主人様にかわいがられるために一杯つくしてきたのに…ｷﾞｭｪ…」
さすがに飼育状態がいいだけあって、焼き印だけでは死なないらしい。死ぬ前に糞尿を垂れるとも聞くが、そんな素振りも見せない。

「それはね。お前がいくら他人を見分ける知能が高くても、『足るを知らない』『分を知らない』という意味では畜生そのものだからだよ。もしお前が、自分を省みるだけの心を持っていたら、ここで廃棄する事もなかっただろう。だがそれも無意味な仮定だ」

スタッフが、ばしゃりとたぬきに水を浴びせた。悲鳴を上げる元気を失ったたぬきは、しおれたまま垂れ下がる。

「さて、私は君と秘密の共有をしたいと言ったね。それはこいつに対して日頃の恨みを込めて無残に処することだ。八つ当たりでもいい、こいつへの恨みでもいい。思い切り憎悪と暴力を振るう様を見せ合って、お互いに理解しあおうじゃないか。そして困った時には胸襟を開いて相談し合える関係を作ろう！」

「……分かりました。この道は私も初心者ですので、是非、御指南を賜りたく」
「いいともいいとも。まずは、そうだな…この革鞭などはどうかな？」

社長から手渡されたしなりのある革製のスティックを、俺はたぬきのまだ焼け焦げている頬へと、思い切り振り下ろした。廃棄たぬきが悲鳴を上げる。夜はまだ始まったばかりだ。そして俺と社長の『秘密の共有』も──。

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廃棄たぬきの『後片付け』をスタッフが済ませて去った後、俺と社長はお互いをよく理解できた気がする。わざわざたぬきを飼うというのも、相応の意味はあるという事らしい。