
No.47「格差」

「おねえちゃ、モチモチしてしぃ！」
「またかし…仕方ないし…モチモチし…」
「ｷｭｳ♪うれしいしぃ！」
ある所に、とても仲の良い野良のたぬき姉妹がいました。
姉はしっかり者で、妹は少々甘えん坊なきらいがありました。
幼い2匹には、すでに親はありませんでした。

野良で姉妹を育てるのは容易でなく、姉妹の親たぬきはゴミ捨て場でのエサ探しに夢中になるあまり、周りのゴミ袋と一緒にゴミ収集車へと詰め込まれていってしまったのです。
その時から、姉チビたぬきが妹にとっての親代わりでした。


「ま、ま、まっ、まってしぃぃ…ままぁああ゛あ゛…！」
幼い姉妹の目の前で、親たぬきが連れて行かれていった事はあまりに衝撃的で、特にまだ甘え盛りだった妹は事あるごとに痛烈な記憶が蘇って、天に向かってジタバタしながら騒ぎ出してしまうのでした。
「ｷｭｳｳｳｳｳｳ！おいてかないでしぃぃぃぃ！」
「だいじょぶし…おねぇちゃんはここにいるし…」
唐突に思い出し泣きを始めてしまった妹を道端でよしよししていると。
「オマエ達…どうかしたのかい？」
人間の男性が手を差し伸べてくれました。


ままはいなくなっちゃったけど。
2人とも、やさしい飼い主さんに拾ってもらえたし。
親が連れて行かれた時、すでに自分達の先行きを案じていた姉チビたぬきはひとまず胸を撫で下ろしました。

これでもう、危ない思いをしながらごはんを探してばかりの日々ともお別れです。
決して戻りたくはありませんし、大好きだった母親のことを思い出すとさみしさが止まらなくなるので、もう考えないようにしました。
その日は安心感と疲労で、姉妹2匹とも飼い主さんに運ばれている最中でありながら、すぐに眠ってしまっていたのでした。


次の日。
姉チビたぬきは、首輪に繋がれたまま、
悲しそうな顔をして庭からガラス戸を眺めていました。
「…なんでし？」


一方の妹チビたぬきはというと、
「ｷｭｳｷｭｳｳ♪おふとんキモチいいし…！」
ガラス戸の向こう、あたたかな部屋の中で、布団の上に背中から何度も倒れ込み、その度に嬌声をあげてジタバタしていました。
これまでに味わった事のない、幸せな気持ちでいっぱいでした。


ずっと別々にされるのかと心配でしたが、おさんぽの時は一緒にしてくれました。
2匹とも飼いたぬきの証である首輪をつけられ、リードに繋がれています。
中と外に分ける必要性が分からず困惑していましたが、やっぱりやさしい飼い主さんなんだしと姉チビたぬきは無理矢理思い込むことにしました。
「おねぇちゃ！さびしかたし…！」
「よしよし…おねぇちゃんもだし…」
涙目で甘えてくる妹と存分にモチモチし終えると、姉妹はちっちゃな手を繋いで揚々と歩き始めました。


その日、姉チビたぬきは皿に盛られた安いたぬフードと水だけを与えられ、ボロボロの毛布が敷かれた犬小屋の中で眠りました。
それでも野良生活よりはマシだったので、思ってたのとはなんか違うけどこれでよし…と思い込むことにしました。


さらに次の日。
目が覚めると姉チビたぬきは、家の中にいました。
寝ぼけ眼をこすりながら、不思議そうに辺りを見渡していると。
「外は寒かっただろう。ココアだ、飲みな」
飼い主さんが出してくれた”ここあ”という飲み物はーーーとってもあったかくて、あまくて…今まで一度も口にした事の無い味に姉チビたぬきは感動のあまりジタバタしてしまいました。
こんな素晴らしいものを屋根の下で飲ませて貰えるなら、この冬だって怖くはありません。
でも今度も、妹が見当たりませんでした。
たぬきの口にもちょうど良い温度の“ここあ”を飲み干し、ほっと一息ついた姉チビたぬきは、再び辺りを見渡します。

たぬきにとっては透明な壁ーーーガラス戸の外、昨日自分がいた庭に置かれた犬小屋の中でメソメソと泣いている妹が見えました。
こちらに気づく様子はなく、しっぽを抱きしめてしゃぶっています。
「あ、あのっし…」
飼い主さんに声をかけますが無視されてしまい、姉チビが飲んで空になったカップを手に何処かへ行ってしまいました。

戸を開けようと試みますが、カギが閉められていて、チビたぬきの力ではどうしようもありませんでした。
そもそも、どの方向に動かせばいいかもわからないのでモッチリとした手を押しつけるだけに終始しています。
諦めて耳を伏せ、ションボリしながら最愛の姉妹と自由にモチモチ出来ない事を悲しむ事しか出来ませんでした。
こちらに気づかない妹はそのうち寒さに耐えきれなくなったのか、鼻水を垂らしながらガチガチと震え、小屋の中に引っ込んでそれっきりでした。

おさんぽの時には再会できるのが、姉妹たぬきにとっての救いでした。少なくとも、この時点では。
「おねえぢゃあ゛あ゛あ゛！」
「よしよし…会いたかったし…うっ…ひやぁし…」
外での境遇の差がよっぽどつらかったのか、泣きながら抱きついてほっぺを擦り寄せてくる妹の体はずいぶんと冷え切っていて、
姉チビたぬきは心配になっていつも以上にモチモチを繰り返しました。

「チビも“ここあ”飲んだし…？」
「のんだし！おいしかったし！クッキぃまでもらっちゃったし！」
「そうかし…よかったし…」
外では餌の皿に入った水しか与えられませんでしたので、妹も昨日はつらい思いをしたはずでしたが、どうにか無事だったようで姉チビたぬきは安心しました。
「おねぇちゃもたべたし…？」
「うん…し…でも…」
しかし妹は夜も外で過ごさねばならない事が心配になった姉チビたぬきは、自分がもらったクッキーは食べずにポケットに入れていたので、家に入る前に飼い主さんの目を盗んで妹にこっそり渡しました。
「これ食べるし…ナイショだし…しー…だし…」
「おねぇちゃ、だいしきしぃ！」
妹は人目を憚らず大はしゃぎしたので飼い主さんにバレて取り上げられないかヒヤヒヤしましたが、飼い主さんは気付く様子はありませんでした。


その日の夜は、“はんばーぐ”というこれまたあたたかくて、やわらかくて、とっても美味しい食べ物を出してもらえました。
姉チビたぬきは妹の身を案じながらも、昨日の自分と同じ扱いなら死ぬことはないだろうと思い込むことしかできません。
それまで水浴びしかした事のなかった姉チビたぬきは、生まれて初めてお風呂で洗ってもらい、濡れたしっぽも乾かしてもらった後、あたたかな布団に包まれながら妹への申し訳なさと、恵まれた空間に満たされるような気持ちーーーふたつの心に揺られて眠りにつきました。

その日の夜、外では。
犬小屋の中で、クッキーの食べかすで口の周りを汚して丸くなっている妹チビに近づく影がありました。

それから、2匹の待遇は家の中と外で分けられ、1日ごとに交代させられる事になりました。
飼い主さんから特に説明はないですが、姉チビたぬきはそういうものなのだと勝手に納得していました。

次の日もやはり、2匹の立場は入れ替えられてしまいます。
「ﾑﾆｬ…？さ…！さむーし…」
姉は外の寒さで目が覚めましたが、おさんぽの時間まで丸くなり、じっと耐えました。

　
「どうしてべつべつなんだし…？」
「やだし…おねぇちゃといっしょがいいし…」
おさんぽの時に姉妹で一緒になって疑問をぶつけ、やんわりと抗議しましたが、
「お金がないんだ。お前たち2匹共を養う余裕はないんだよ。せめて交代でいい思いをしてくれ」
「ｷｭｳ…やっぱり、べつべつなんだし…？」
「しかたないし…チビ…わたしたちは飼ってもらってるからワガママはダメだし…」
飼い主さんに悲しそうな顔で言われてしまっては、まだまだ小さい自分達では外で生きていくことも出来ませんので受け入れるほかありませんでした。

「今日は妹が中にいる番だからな。うどん作ってやろう」
その言葉に、姉妹どちらもが胸をときめかせました。
うどん。見たことはなくとも、親たぬきから聞かされてきた憧れの食べ物。
“いつかおまえ達にうどんを食べさせてやる事が、ままの夢なんだし…”と語っていた頃が、思い出されます。
「うどんたべれるし！？やったしぃ！」
妹チビは姉チビの手を放し、両手を上げてぴょんぴょん飛び跳ねて喜びます。
大して飛んでいませんし、その上着地に失敗して横倒しに転びました。
「ぶぇぇ…し！ああ゛あ゛あっじ！」
「よしよし…いたくないし…」
「っぐし…ぐじ…」
姉チビは泣き喚く妹チビをやさしく起こしてやり、傷がないか確認して土埃を払ってあやしました。
しゃくりあげていた妹チビは姉チビの献身的な行動で落ち着きを取り戻すと、
「はやくおさんぽおわらせるしぃ！チビはおうちかえってあそぶしぃ！そのあとうどんだしぃぃ！ｷｭｷｭー♪」
何事もなかったかのようにタタタッと駆け出し、飼い主さんと姉チビに向かって両手を振り、歩く速度を上げるよう促します。
姉チビたぬきは、ちゃっかりしている妹に呆れながらも少し安心しました。
「よかったし…チビだけでも食べれるし…」
そうです。自分は外なので、うどんは食べられません。
胸の奥がずきりと痛む違和感を覚えながらも、姉チビにはこの感情の正体がわかりませんでした。


「飼い主さん！チビをはやくいれてしぃ！」
おさんぽから戻ると、うどんの事しか考えられない妹は家の中に駆けて行き、再び離ればなれにされてしまいました。
外は薄暗くなってきていて、姉チビたぬきはカーテンの隙間から明るい家の中を覗きました。
飼い主さんに、座卓の上にホカホカの湯気を立てたうどんを出してもらい、喜んでいる妹チビが見えます。
こちらの事には気づいていないのか、一瞥もしませんでした。
姉チビたぬきは口元のよだれを拭い、犬小屋に戻って冬場の空気で乾燥した固いたぬフードを食べました。
チビの顎の力では噛めないので、水でふやかしながらもそもそと食べていると、なんだか涙が止まりません。
「…モグモグ…じ…」
食べたあとは何もやる事がないので、毛繕いをするか星を見るしかありません。
今日は曇っていたので、星は見えませんでした。
1匹きりで見上げる空は、何故かぼやけて見えました。


「…いもうとのニオイがするし…」
小屋の中の毛布に染み付いた妹の匂いは懐かしさを感じさせ、孤独を少し紛らわせてくれました。
「クンクンし…」
寂しくて惨めな気持ちを誤魔化すように、姉チビたぬきはボロ毛布に顔を埋めて眠りにつきました。
幸いな事に、次の日にはうどんを出してもらえて、姉チビたぬきは泣きながら待望のうどんをすすりました。

よかったし。わたしだけ食べられなかったら、どうしようかと思ったしーーー。


つらくて寒い思いをしても、次の日にはあたたかな部屋で、ごはんがもらえるし。
部屋の中のモノを勝手に触ったり、汚さないように気をつけていれば、どう過ごしていても何も言われないし。
1日だけのがまんと思えば、耐えられるし。

かわりばんこの生活に姉チビたぬきは少しずつ慣れていきましたが、幼い妹はそうではありませんでした。

「ｷｭ…おねぇちゃ、かわいそだし…でもチビ、おそとやだし…」
中にいる間は姉のことを忘れたように贅沢な生活を満喫し、自分の番が近づくと部屋の隅でうずくまり、イヤイヤと首を振り続けていました。
 飼い主さんはそんな事は関係ないかのように、順番が来れば妹チビたぬきの首ねっこを掴んで運びます。
入れ替えるタイミングは夜中だったり朝だったり、いつやってくるかはチビたぬき姉妹にはわかりません。
妹チビは部屋の中でコロコロ転がってぬいぐるみを抱きしめていたのを中断させられて、
「やだっしぃぃいいい！テレビみたいし！
おかしたべたいし！モチモチしてほしいし！まだおもちゃであそびたいし！ベアルフくんつれていきたいしぃぃぃ！」
駄々をこねながら、イヤイヤジタバタを繰り返しますが、訴えは何一つ通りません。


チビは、中でそんなに色々してもらってたんだし…？
常に妹を気にして、自分が家の中にいる時でも遠慮していた姉チビたぬきでは思いつきもしなかった様々な好待遇を口にわめき散らしながら、妹チビたぬきは庭に連れ出されていきました。


中に入れてもらった姉チビたぬきは妹が口にしていた様々なものに興味がありましたが
交代した時は妹が寂しくないように、庭に面したガラス戸の前でションボリとしゃがみ込んで、眠りに落ちるまで夜通し妹の姿を見守り続ける事にしていました。
時々ガラス戸の前にやってきて、何事か呟きますが諦めて犬小屋に帰っていく…というのが妹チビのいつもの行動でした。


そしてまた、交代の時間になって。
「ｷﾞｭｳｳｳｳ！やだしぃぃぃ！おそとやだぁぁああしぃぃ！」
ジタバタしながら抱え上げられ、しがみついていたテーブルから引き離されるといっそう　騒がしくなります。
「うるさい」
「ﾌﾞｷﾞｭ！」
開け放たれたガラス戸から外へと放り出され、顔から地面に叩きつけた妹チビたぬきは汚い悲鳴を漏らしました。

「あの…食べもの、はんぶんこでもいいから、いもうとも入れてほしいし…」
妹チビの身を案じて、姉チビたぬきは何度目かのお願いを口にします。
懇願する姉チビたぬきを無視して、飼い主さんは何処かへ行ってしまいました。
「……し……」
姉チビたぬきはションボリして、少し開けたカーテンの隙間からそっと妹の様子を窺います。
妹チビは寒くて仕方がないのか、体を動かすためにうどんダンスに夢中でした。
全部覚えきる前に“まま”がいなくなってしまったので、とってもヘタクソだなと思いました。
かわりばんこ生活ではちゃんとしたダンスを教えてあげることすら出来ません。
「今のままじゃいいたぬきになれないし…かわいそだし…」


「お待たせ」
戻ってきた飼い主さんがお盆に載せて持ってきたのは、イチゴのショートケーキでした。
ココアも一緒に出されて、いっそうキラキラ輝いて見えます。
魅惑的な匂いと見た目に、カーテンを開けたまま振り返った姉チビたぬきもごくりと唾を飲みます。
ふと、視線を感じて振り返ると、ダンスに飽きたのか必死の形相をガラスに押しつけていた妹チビたぬきと目が合いました。
涎をダラダラと垂らして、恨みがましい視線を送り続けています。
「それチビたべてないし！！おねぇちゃだけずるいしぃぃぃ！」
とガラス越しに訴えかけてきます。
カーテンを閉められ見えなくなっても尚、何事か騒いでいるようですが、あまりうるさくすると近所迷惑になるので玄関から出た飼い主さんにガムテープを貼られてしまいました。
見えなくなり、聞こえなくなったことに安心してしまった姉チビたぬきは、
「ご、ごめんし…ごめんし…」
謝りながらも、目の前の美味しそうな食べ物を我慢する事ができず、
目の前のケーキを平らげて“なかったこと”にしてしまいました。

一緒におさんぽする時間になって。
結局妹チビたぬきは朝になるまでガムテープを外してもらえなかったらしく
時間が経って無理やり剥がされた口元は赤くかぶれており、
空腹に苦しむお腹のたぬきがｷﾞｭｰｷﾞｭｰと鳴き続けています。
中に入れるとわかった時はこちらを振り向きもせず、外に出された時だけ甘えてくる調子のよい妹にだんだんと腹を立てていた姉チビたぬきでしたが、
弱々しくなった姿を見て流石にかわいそうになり、せめておさんぽの時だけは寄り添うようにしてあげようと思い直しました。
ところが、出発時に手を繋ごうとしても妹チビが妙に距離を空けているのに気が付きます。
いつもなら開口一番にモチモチを要求してくるはずが、今日は何も言ってきません。
姉チビたぬきは不安になって尋ねました。
「モチモチはいいし…？」
「いいし…しないし…おねぇちゃだけ、ずるいし…」
涙声で答えて、拗ねてしまった妹チビはぷいとそっぽをむいてしまいました。
昨日のケーキは“なかったこと”にはなって、いませんでした。
姉チビたぬきは叱るわけにもいかず、2匹の間には気まずい時間が流れ、飼い主さんは何も言わずにその様子を見つめていました。

家に戻り、落ち着かない気持ちで座っている姉チビたぬきは、交代を告げられるとため息をつきました。
ガラス戸が開けられます。

「…はやくかわってし」
鼻水を垂らしながら、妹チビたぬきが低く唸ります。
姉チビたぬきは無言で立ち上がり、開け放たれた戸口へと向かいます。
「ｷｭｳｳｳﾝし！やったし！」
妹チビは姉チビの肩にぶつかるのも気にせず、何処に残していたのか元気いっぱいに家の中へと駆け込んでいきます。
「ばいばいし！」
当てつけのように手を振る妹に、じんじんする肩を抑えた姉チビたぬきは何も答えませんでした。
別にわたしが追い出してる訳じゃないし。
なんだかモヤモヤしながら、姉チビたぬきは犬小屋へと向かいました。


日毎寒さがきつくなり、小屋の中で毛布に包まり丸まっても幼いチビたぬき1匹では震えが止まりません。
温めあう姉妹がいれば話は別でしたが、きっと妹は今頃あの暖かい部屋の中でぬくぬくと過ごしているはずです。
自分だけが外に追いやられる理不尽に怒りと、虚しさを覚えながらも。
「もすこし耐えるし…」
無駄に元気を消費しないよう、姉たぬきは小屋の中で丸まって踊りもジタバタも我慢しました。

ところが、次の日になっても姉チビたぬきは中には入れてもらえませんでした。
気まずいおさんぽが終わっても、位置関係はそのままです。
妹は何も気にせず、おしりをフリフリしながら飼い主さんの開けたドアを通り家に入っていきます。
「やったしぃ♪今日もおうちだしぃ♪」
と、やたらと上機嫌でした。
「まだし…？まだなんだし…？」
姉チビたぬきは、全く振り向く様子のない後ろ姿を、どこか恨めしそうに眺めるしかありませんでした。


ーーー数時間後。
玄関のドアを開けて、庭へ歩いてくる飼い主さんの姿を確認して、顔を上げた姉チビたぬきは犬小屋からもそもそと姿を現し、ションボリ立ち上がって待ち構えました。
へばりつく視線を感じていても飼い主さんは何も言わず、エサ用の皿にたぬフードを流し込み、水用の皿にペットボトルの中の水道水を注ぎます。
飼い主さんがこちらへ何も声をかけず、家の中へと戻ろうとするので、
単に補充しにきただけだと理解した姉チビたぬきは、たまらず駆け寄り、飼い主のズボンの裾をつまみました。
「あの…今日はわたしが中の番じゃ…ないですし？」
「今日はこのまま」
「えっ…し…？」
姉チビたぬきが理解に時間を要している間に裾をつまむ手が緩み、飼い主さんは気に留めず屋内へ行ってしまいました。
今日は、て事は。
明日はきっと、中に入れてもらえるんだし…？
その疑問に答えてくれる者は、誰もいませんでした。


「まだだし…？」
しかしあの日を境に、1日ごとだったはずの交代はなくなり、
毎朝、期待を裏切られる日々が続きました。
エサも水も補充されるので死にはしませんが、姉チビたぬきは日々を焦りと不安とションボリに覆われて過ごしました。

「あの…飼い主さん…かわりばんこ、まだですし…？」
何度目かのおさんぽの時に、たまらなくなった姉チビたぬきは飼い主さんに疑問を投げかけました。
妹チビたぬきは我関せずといった様子でしゃがみ込み、排水溝を覗き込んだりしています。
「いや、もう一生このままだけど」
飼い主さんは何でもないことのように、あっさりと告げました。

もう、一生。
このまま。

姉チビたぬきは飼い主さんを見上げたまま、硬直してしまいました。


何を言っているのか、わかりません。
「気分で入れ替えてたけど、もうこれで、固定しようかなって」

気分で。
固定。

やはり、何を言っているのかわかりません。


言われた内容が衝撃的すぎて、姉チビたぬきは置いていかれても歩みを止めてしまいました。
飼い主さんが振り向いて立ち止まり、妹チビも何してるし？と姉チビたぬきを見つめました。
やさしかったはずの飼い主さんも、かわいかったはずの妹も、まるで異物のようでした。
「やだし…ずっと外は、やだし…」
姉チビたぬきは弱々しくも抗議しました。
飼い主さんは傍に立つ妹へと顔を向け、尋ねます。
「妹はどうする？」
「…やだし！チビはずっとこのままがいいし！」
「うんうん。そうだよなー」
「かわりばんこっ、やだしぃ！」
姉をこっち側にしていたら、こんな清々しい返事はもらえなかったでしょう。飼い主さんは満足げに頷き、歩き始めました。
姉チビたぬきは言葉を失い、諦めてトボトボと1人と1匹の後を追いました。


「だめし！おねぇちゃはあっちだし！」
家に戻った妹チビたぬきは、何とか家に入れてもらえないか飼い主さんの脚にすがりついていた姉チビたぬきを突き飛ばしました。
「どしてし…どしてチビはいじわるするし…」
何日もずっと中にいて、栄養状態の良い妹に阻まれて、姉チビたぬきは涙を浮かべました。
痩せこけて服はボロボロ、肌はがさがさ、髪の毛は艶を失っていて、およそ姉妹とは思えないほどの差が生まれていました。
「おねえちゃ、おうちのなかにいるあいだ、ずっとチビのことみてわらってたし！」
「それは、おまえが寂しくないようにみまもってたんだし…」
「うそだし！おねぇちゃはあたたかいへやからチビがないてるのみてたんだし！」
「ちがうし…そうじゃないし…」
「もうチビがずっとここにいるし！おねぇちゃは、ずっとそとだし！！」
「えっ…し…」
またも、足元の地面が割れて立っていられなくなるような眩暈が、姉チビたぬきを襲いました。



そうして家の中に入れてもらえなくなってから、どれだけの日数が経ったのでしょう。
数も数えられず、気力も無くした姉チビたぬきにはわかりませんでした。
「おねえちゃ！おさんぽのじかんだし！」
「……じ」
小屋の前で首輪をつけた妹チビたぬきが犬小屋の屋根をばんばんと叩き、姉チビたぬきは力無く応じました。

前日の夜は冷たい雨が強く降っていて、
地面に置かれた小屋の中は水浸しになり、敷かれていた使い古しの毛布もぐずぐずに濡れてしまって何の役目も果たしていませんでした。
加えて朝の冷え込みですっかり体調も悪くなり、おさんぽどころではありません。
それでも無理やり妹に引っ張り出されて、姉チビたぬきはトボトボとつらい道のりを歩きました。


その日の夕方。
暗い犬小屋の前が更に暗くなり、伏せて丸くなっていた姉チビたぬきが見上げると飼い主さんが立っていました。
「これが正真正銘最後のチャンスだ」
妹チビたぬきが、ボールを片手で掴むように頭からぶら下げられていました。
何事かと思い、のそのそと犬小屋から出てきた姉チビたぬきがゆっくり立つと、
地面に解放された妹が泣きじゃくりながら近づいてきます。
「おね゛ぇ゛ぢゃ…じ…」
泣き腫らした顔は、左目のまぶたにタンコブが出来て、口元は切れて血が滲んでいました。
姉チビたぬきは驚いて、久々に鳴き声以外の声を上げました。
「ど…どしたし…」
「こいつ、調子に乗って家の中でうんこ漏らしやがってな。“躾け”てやったんだよ」
飼い主さんは冷たい声で続けます。
「だがその時さらに漏らしやがった。替えのパンツなんて用意するつもりはないからこのままじゃコイツはうんこしっこを垂れ流しだ」
「っぐ…えぐえぐし…」
妹が両手で顔を覆いながらも、手を下げて時々ちらちらとこちらを見てくるのが慰めを要求してくるようで、姉チビたぬきは少しイラつきました。
「そこで」
飼い主さんは一旦言葉を切って、震え続ける妹の頭をまた掴みました。
妹チビはびくっと反応して両手で頭を抱え、がくがくと揺れる足が曲がって、より小さく丸くなります。
「ひっ…し…やめてじ…もぅたたかないでじ…」
「じゃあ少し離れてろ。いいというまでこっちに来るなよ。わかった？」
「……し…」
コクンと小さく頷いた妹チビを追い払い、飼い主さんは姉チビに向き直り、前置きから始めました。
「お前に相談したいんだが」
声を潜めて続けます。
「これからアイツを追い出そうと思うんだが、どうする？」
「……し…？」
姉チビたぬきは思っても見なかった急展開に、目をぱちぱちさせました。
「けど、お前に妹の世話を任せられるなら、2匹共中に入れてやってもいいぞ」


以前なら二つ返事で了承してしまうような、破格の条件でした。
ですが、心も身体も壊れかけている現在の姉チビたぬきには到底受け入れられないものでもありました。

もう自分の言う事など聞くつもりのない妹のトイレトレーニングなど、考えるだけで気が重くなってしまいます。
姉チビたぬきは、心の奥底で言えずに後悔していた言葉を、伝える事にしました。

「なかに…なかに入れてくださいし…」
もはやこれからは自分の番だ、ということしか考えられなくなっていました。
「わたしは、ずっと、がまんしてたし…でもなんにもいいことなかったし…次はわたしが中で暮らすし…」
「いいのか？そうなると妹がずっと外になるけど」
「いいし…アイツはもう…いもうとじゃないし…」
「そうか。わかった」
飼い主さんは頷くと、後ろを振り向きました。
目線の先では、このやり取りを聞いていた妹チビが青ざめた顔で家の陰から半身を乗り出してこちらを覗いていたのです。
「あ…あ…し…おねぇぢゃ…」
「え…し…」
聞かれていると思わなかった姉チビたぬきは、しまった、と口をつぐみました。
てっきり夜中にでも、こっそり交代させると思い込んでいたからです。
「だからいいというまで来るなよって言ったのに」
飼い主さんはやれやれ、とわざとらしいため息をつきました。
妹チビはショックのあまり、見えていません。

「おねぇぢゃ…うそだし…チビおそとやだし…」
「…わたしだってやだし」
それでも、姉チビたぬきは訂正しませんでした。
それどころかこれまでの恨みを晴らすように、突き放す物言いを続けます。
「お…おねぇちゃ…！」
「ちがうし…オマエはしらないたぬきだし…」
妹は信じられないものを見たように首を大きく振り、イヤイヤと泣き叫びます。
「やっ、やだじぃぃいいいい！ゆるじでじぃぃいぃぃぃい！」
妹チビたぬきは姉チビたぬきに泣きつこうと走り出しましたが、それは叶いませんでした。
「オマエ、ママにもお姉ちゃんにも捨てられちゃったなぁ」
飼い主さんは皮肉たっぷりに笑いながら妹チビたぬきの首ねっこを掴み、下手投げで放ります。
犬小屋の前に滑り込んで顔から着地し、砂埃にまみれた妹チビたぬきが、
「ダニュウウウウウ！」
地面にへばりついたままうつ伏せでジタバタしながら絶叫しました。
近所迷惑になるので、飼い主さんは妹チビの横腹に蹴りを入れました。
柔らかなモチモチボディに靴先がめり込み、
「……ぎっ…」
小さく呻いた身体が犬小屋の中に蹴り込まれます。
内壁に背中や後頭部をしたたか打ちつけた妹チビは、そのままお腹を抑えてうずくまり、大人しくなりました。


姉チビたぬきは飼い主さんが初めて見せた暴力性に多少は驚きましたが、
調子に乗りすぎて嫌いになっていた妹が痛い目にあっているのを見て、重かった胸がすく思いに駆られました。
こうして姉チビたぬきは念願叶って、中での生活を手に入れる事となったのです。


翌日。おさんぽの時間がやって来ました。
まだ横腹が痛むらしい妹チビは、蹴られた左の脇腹を庇うように傾いて歩いています。
「おねぇちゃ…モチモチ…してし…」
妹は恥も外聞も捨てておずおずと切り出しますが、姉チビたぬきは自分が受けた仕打ちを忘れることなく、無視し続けました。
「きいてし…おねぇちゃ…きいてし…」
「さわるな…」
“元”妹の手をモチッと払いのけ、姉チビたぬきは頑なに前だけを見据えていました。

以前はおさんぽ中、こっそりポッケに忍ばせていたお菓子を握らせてくれていましたが、それもありません。
妹チビはこれまで好き放題やっていたので、中と外の落差に耐えられず、姉以上に弱っていきました。

「おなか…すいたし…しんじゃうし…」
「おみずでものんでろし…わたしは、そうしたし…」
「し……」
すっかり別たぬのようになってしまった姉を涙目で見つめて、妹チビたぬきはトボトボとつらい道のりを歩きました。


あったかいうどんも、甘いお菓子もなくなって。
変わり果てた食生活を、妹チビたぬきは受け入れる事が出来ませんでした。
皿に盛られた安いたぬフードは、やはり妹チビにも硬すぎたのですが、ろくな教育も受けずに甘やかされてきたせいでふやかして食べる発想も起こりません。
「かたいし…たべられないしぃ…」
もっとも、もし食べられたとしてもやわらかくて食べやすい物ばかり摂取してきた妹チビたぬきの胃腸では安いたぬフードの脂肪分を分解できずにお腹を壊していましたが。
「ぺろぺろ…し…ぺろぺろ…し…ｳｳｳｯ…し…！」
結局は、“元”姉に言われた通り、水をすするだけしか出来ませんでした。


「さむいし…すごくさむいし…」
小さな身体ひとつとしっぽだけでは耐えきれず、妹チビたぬきは嫌々ながらもボロボロの毛布に包まりました。
ずっと外に放置していたのでノミがいてかゆくなりますが、この寒さをしのぐにはこの毛布を使うしかありません。
クンクンと嗅いでみれば、なんだかとっても、懐かしいニオイでした。
「おねぇちゃのニオイするし…おねぇちゃ…」
誰も、その声に応えてはくれませんでした。


一方その頃、妹の姿など見たくもない姉チビたぬきは以前と違いカーテンの向こうはまるで気にせず、
今まで触れていなかったベアルフくんを抱きしめてみたりラッパを吹いてみましたが、どれも妹のニオイがして不愉快で、すぐに放り捨てていました。
「飼い主さん…おねがいですし…たぬきは新しいの、ほしいですし…」
「そんな余裕…ウチにはないよ」
「……うう、し…」


また、今度は好きなだけ豪華な食事に舌鼓を打つはずでしたが、
「げぇぇし…たべられないし…」
長い間、粗末なたぬフードと水だけの生活をしていた姉チビたぬきの胃腸は高タンパク高カロリーな食事を受け付けなくなってしまっていました。
無理に詰め込んでも、消化できずに吐き出してしまいます。
部屋の中を汚して追い出されないように、としか考えられず、たぬき用トイレに吐き出すか酸っぱくなった内容物を再びなんとか飲み込むしかありません。
さらに室内に入れた安心感で緊張が緩んだ結果、却って体調を崩してしまっていたのでした。

「おなか…いたいし…」
ゴロゴロと唸るお腹のたぬきを鎮めようと両手でさすりながら涙目で横になる姉チビたぬきは、知りませんでした。
この日の夜は、自分がいた時より遥かに寒くなっていたことを。
自分より小さな妹が、その極寒を耐えるほどの逞しさを持ち合わせていないことを。


翌朝、散歩に出かけるために庭に向かった先で。
冷たく、動かなくなってしまった妹を今更モチモチとさすりますが、なんの反応もありません。
死後硬直に陥った小さなションボリ顔を前に
姉チビたぬきは肩を落として、
「ちょっと…ちょっと懲らしめてやるつもりだったんだし…」
ぽろぽろと溢れた涙が、一晩で別れる事となった妹の死骸に降り注ぎます。
姉チビたぬきは後悔の念を滲ませて、飼い主さんのズボンの裾を引っ張りました。
「飼い主さん…妹を…妹をかえしてし…」
「いや…無理に決まってるだろ」
飼い主さんに言われたって困ります。
結果は、予想していましたが。
「オマエが妹のところに行くしかないんじゃないかな」
「……し…」
待望の家の中で好待遇を独り占めするはずが、弱った胃腸は食べ物を受け付けず。
死んでしまった妹の事で意識もかき乱されて。

こんな事になるなら、妹なんていなければよかったし。

姉チビたぬきは家の中の生活をほとんど楽しむ事なく、短いたぬ生をションボリしたままで終えました。

「ああ…おもしろかった。親子もいいけど、姉妹もいいな。今度はどの組み合わせにしようかな」


ーーー数日して、この家の庭に2匹のチビたぬきがポップしました。
飼い主は外出していて、まだ新たな犠牲たぬもいない時でした。
2匹はお互いの顔を見合わせた途端に身体を寄せ合って、

「ｷﾞｭｷﾞｭー！」
「ｷｭｳ！ｷﾞｭｳｳ！！」

騒ぎ出すと何事か言い争いを始め、お互いにモチモチと顔を叩き合うとやがて背中を向け合い、庭から出て行ってしまいました。

“今度は、わたしの方がもっと良い生活をするし！“

1匹で強く生きていくと決意したチビたぬき達は袂を分かった道中で。
片方はカラスに、もう片方はたぬきもどきに食われ、仲違いで別れてすぐにそのたぬ生に幕を下ろしたのでした。

オワリ

