　自家製のチョコ作りは自家製のカカオ栽培から始まる。たぬきはベッドから這い出すと、トレセン学園のすみっこに設けられた栽培用ハウスに足を運びます。
「しっぽも湿るし…」
カカオのために用意されたハウスの内側は高温多湿、もわっとした空気がたぬきを襲います。しかしこれも来たる日に最高のチョコレートを作るため。こんなことでくじけてなどいられません。早く大きくなってほしいとの願いを込めて、今日も水やりに勤しみます。

　きっかけは昨年のバレンタインデー。サイレンススズカやスペシャルウィークとチョコを交換しあいながら、しかし市販のチョコを融かして作ったチョコは果たして真の手作りと呼べるのだろうか、なんて軽口を叩いていたことが始まりでした。その時はただの笑い話、すぐに頭の中から消えていったのですが、夜の眠る頃になって再び頭に帰ってきたものだから大変です。こういう疑問が浮かんだたぬきはすっかり眠気が覚めてしまうので、まずは余っていたチョコを一口。糖分を補給したら、次はネットや本を調べていくらかの情報をまとめます。そして終わりに、アグネスタキオンのもとへ話を持ちかけることにしたのでした。

　「ド深夜に突然やって来たと思ったらカカオの栽培だって？」
深夜に呼びつけられたアグネスタキオンの反応はこのようなものでした。研究ばかりで夜ふかししがちなタキオンだから、時間帯については特別問題にもならなかったのですが、荒唐無稽に思える提案が良くなかったみたいです。
「日本でも沖縄や小笠原諸島における栽培事例があることくらい私も知っているさ。でもねたぬきくん、この企画書に目を通した限りだと本州…というより、トレセン学園の中庭での栽培を考えているみたいじゃないか」
「そうですし」
「本州での気候条件じゃどうせ上手くいかないさ。それにカカオから連想されるものといえば当然チョコレートだけど、糖分摂取にしろ他の目的にしろ、その辺に売っているもので十分だろう」
「そうかもしれませんし…」
「時間は有限なんだ、そんなムダな時間を費やす暇なんて私には無いよ」

　けんもほろろ、取り付く島もないといった様子で、たぬきは理科室から追い出されました。そもそもアグネスタキオンの本領とはマッドな肉体研究。一応企画書だけは受け取ってくれたけど、頼む相手を間違えたかもしれないし…。たぬきはその顔つきをいっそうしょんぼりとさせて、トボトボと部屋に戻っていくのでした。

　その翌日の話です。
「たぬきくぅん！ちょっとその身体を貸したまえよ！」
「こわいですし…」
昨夜とは逆に、アグネスタキオンがたぬきの部屋まで押しかけてきたのでした。

　「先に言っておくけどね、私は栽培に直接手を貸したりはしないよ。他にやることが山積みだからね」
「そうですし？」
「そうだとも。でもね、昨日の企画書をもう少しちゃんと読んでみたら、まあずいぶんと熱心に考えていたみたいじゃないか！土のこととか、日除けのためにハウスを使うとか、ついでに暖房で加温してみたりとか！植物なんて私にとっては専門外だけれど、熱帯性植物の本州における栽培だなんて、これもある意味では研究だ。それなら同じ研究者どうし、あんまり無碍にしてしまうのもどうかと思ってね」
「研究かどうかは分かりませんし…？」
ひとしきりまくし立てた後に、それにチョコが肉体へ及ぼす影響についての仮説を用意してくれていたのが良かった、とアグネスタキオンは続けます。そこで少しくらい興味を持ってくれれば、なんて期待していたのですが、こうもあからさまに食いつかれると若干引いてしまうたぬきです。
「要するに…どういうことですし？」
「客土とかハウスの設営とか実際の栽培とか、そういうことはぜーんぶたぬきくんがやってくれたまえ。その代わり、分からないことがあれば私が相談に乗ってあげよう。いつでも、というのは無理な話だけど、気軽に来ておくれよ」
そうして、タキオンの協力のもと、たぬきによるカカオ栽培の日々が幕を開けました。

　トレセン学園の中庭を使う許可は下りなかったものの、誰も通らないような敷地の隅であれば自由に使ってよいとのことだったので、ひとまずそこを借りることにしました。アグネスタキオンと一緒に土がカカオ栽培に適しているかを調査して、ひとしきり手を加えた後にハウスを建てます。そんなに大規模でやるつもりもなかったので、広さはそれなり。売りたい訳ではなく、単なる趣味だとタキオンに告げた時は、なんだかもっと乗り気になってくれたように思えました。加えて暖房と、ミスト装置、足りない日照を補うための照明なんかも設置して、ようやく苗を移植します。気付けば時期は3月の終わり。いよいよ本格的な栽培が始まったのです。お金は色々必要だったけど、そこはたぬきの懐と、あとはたぬきの自由研究に興味を持った理事長がちょっぴり出してくれたり、くれなかったり…。

　そして来たるはバレンタイン。軽い気持ちで放った言葉は、1年間の大仕事となって、ずっとたぬきの背中を追いかけてきました。感謝の気持ちを甘味に乗せて、大切にサイレンススズカへと手渡します。
「実が生るまでもう3年くらいかかるから、今年は市販品になりますし…」
「嘘でしょ…」
どれだけ大事に育てても、カカオの実がなるまでには大体4年くらいかかるみたいでした。

　サイレンススズカには走りを気遣ってひとつだけ、スペシャルウィークにはたくさん、栽培を手伝ってくれたアグネスタキオンにはカカオ型のチョコを選んで渡しました。カカオの栽培は困難もたくさんあるけれど、今のところは何とかなっているようです。トレセン学園のすみっこに設置されたハウスの隣には、いつの間にか『たぬきのかかお』なんて看板も立てられて、ちょっとしたランドマークみたいになっています。もしかしたら枯れてしまうかも、おいしくなってはくれないかも。やっぱり不安はあるけれど、それも研究の楽しみだと、たぬきはそんな風に強がります。それにもし失敗したって、きっとまたやり直せるかもしれません。いつしか訪れるだろう収穫の時に胸を躍らせて、たぬきは今日もハウスへと向かうのでした。

終
