　数日前に降り積もった雪はすっかり融けてしまったけれど、道路の端にそのなごりを感じさせます。空にはきらきら光る朝の陽光。寄り集まった雪がどれだけ我慢つよくこらえても、じきに耐えきれなくなってしまうような、そんな暖かな一日の始まりでした。
「それでも冷えるものは冷えるし…」
たぬきは昨日と同じ道を歩いて、明日と同じようにトレセン学園へと戻ります。その半ば、今日の散歩道で目に留まったのは、消えてなくなりかけた雪だるまの姿でした。

　とはいえ、雪だるまを意識したのは今日が初めてではありません。雪が降った翌日、さくさくと新雪を踏みしめながら歩くたぬきは、通り道の公園で雪だるまを作る子供たちを見かけました。次の日には雪だるまが堂々とした立ち姿でたぬきを待ってくれていたのだけれど、その次の日には、もう暑さで顔をしかめていました。そうしてたぬきは、散歩の途中で段々と小さくなっていく雪だるまを見つめてきました。あっという間に腰を曲げて、そうと言われなければ分からないほど形を崩して、もういつまで残っているか分からなくなって。だからたぬきは、雪だるまの一生の、その最後の日が、いつにも増して気になってしまったのです。

　「もう私の足より小さいし…」
初めはたぬきと同じくらいの背丈があった雪だるまだけど、数日のうちにその身体を弱らせてしまいました。2つの丸でできた自慢の姿も、今となっては融け残った三角です。普段は横目で見やりながら通り過ぎてきたたぬきでしたが、今日ばかりは正面で立ち止まって、つぶさにそれを眺めます。この手のひらで収まるような小山が、元は雪だるまだったなんて、どれくらいの人が覚えているだろうか。たぬきはそんなことを思います。作った子供たちは覚えているだろうか。さすがに覚えているだろう。いつになったら忘れるだろう。すぐに忘れてしまうだろう。そして忘れてしまったら、そこには何が残るだろう。

　モノが無くなってしまっても、楽しかったり悲しかったりした思い出は残るとよく言います。とても欲しかったり必死に作ったり、具体的なモノではなくて、その時の経験や気持ちが自分を形づくる、なんて話もたくさん聞きます。それはきっとそうなのだろうとたぬきは思いました。それでもやっぱり、少しだけ違うような気もしたのです。

　たぬきは昨日のお昼ごはんを思い出そうとします。スペシャルウィークの母親から届いたにんじんをみんなで分けたのでした。たぬきはその前の日のお昼ごはんを思い出そうとします。たしか食堂におじゃましてにんじんハンバーグを食べたはずです。もう一日前となると…、美味しいものを食べたはずですが、すぐには思い出せません。ごはんはとてもおいしくて、その後は栄養となって自分の血肉に変わります。たとえおいしくないごはんでも、栄養となることに変わりはありません。そして数日もすれば、何を食べてどんな味がしたかなんてことは、ふわりと消えてなくなります。思い出も似たようなものかもしれません。喜びも悲しみも、きっと誰かの血肉となります。でもそれが、具体的にどんな喜びだったのか、どんな悲しみだったのか、後になって振り返って、全部を思い出せることはないでしょう。今たぬきの目の前にある雪だるまは、子供たちに大事な経験をくれたけど、名も無きそれは、名も無き栄養に変わるでしょう。

　たぬきは携えたカメラをその手で構えます。覚えていなくてはならない気がしたからです。一枚、パシャリ。我ながら会心だし、たぬきはそんなことを呟きます。アルバムに残せるものは長い時間のうち、ほんの一瞬だけ。それでも、大事なことを思い出すきっかけくらいにはなってくれるはず。もしモノが、ヒトが、ウマが、自分と違う場所に行ってしまって、そこには何も残らなくても、積み上げてきたアルバムが思い出に名前をくれるはず。たぬきは小さな雪塊から目を離して、ぼんやり空を見上げます。空に浮かぶのは真白な太陽。あんまり眩しいからまっすぐには見られなかったけど、そういえば3日前のお昼ごはんは、あんな風にまん丸なスペシャルウィーク謹製のおにぎりだったと、そんなことを思い出して、たぬきはトレセン学園へと戻っていくのでした。

終
