害獣駆除ファイルＩＦ  「猟たぬき」

害獣駆除を生業とする男は山間の農村に暮らす農家の男性から依頼を受け、山から降りてきて畑を荒らしていた猪の群れを駆除する依頼の遂行中であった。
まず男は基本的な対策として畑の周辺に設置した。
檻の中に餌を設置し、匂いで獲物を誘い出して餌の位置まで到達すると出入口が閉まる一般的な籠罠である。
罠は十分に効果を発揮し、群れを構成する大部分である子供のうり坊はその全てを捕獲することができた。
問題はその親である。籠罠に飛び込んで捕らえられたうり坊を見て学習したのか、危険と判断して一匹だけで逃げ出したのだ。
猪には親子間の情というものはあまり存在しない。
助けられる状況ならば勿論そうするが、基本的には残機の扱いである。
そういうわけで、男は木々を掻き分けその痕跡を追跡していた。
やがて残された足跡が途切れるほどに草木が生い茂ってくると、姿勢を低くして膝立ちになり着ているベストの膨らんだ胸ポケットに声を掛ける。

「足跡はここで終わっている…後はお前の出番だ。」

胸ポケットがもぞもぞと動き、そこから一匹のたぬきが顔を出した。
この個体は鼻が利くことを買われて猟犬ならぬ猟たぬきとして男から訓練を受け、十分に実践に耐えうるとして今日始めて現場に連れてこられた。
始めての現場ということでそのしょんぼり顔はまだ緊張しており口元は固く引き結ばれている。
覚悟を決めて胸ポケットから出たことを見届け、男は荒らされた畑に残されていた猪の毛を猟たぬきへと差し出す。

「獲物の匂いだ。追えるか？」
「やってみるし…スゥー…クンクンし…クンクンし…」

猟たぬきはその鼻をヒクヒクさせて獣の匂いを胸一杯に吸い込んだ。そしてそれと同じ匂いを周囲の木々から敏感に嗅ぎ分ける。

「むむ…こっちだし！」

とてとてと歩いて猟たぬきは匂いを追跡し始めた。
男はその様子に頷くと背中に背負っていた猟銃を取り出して弾薬を装填した。

「クンクンし…クンクンし…これは違うし…」

猟たぬきは時折立ち止まり、確認するように鼻腔を膨らませまた歩き出すことを繰り返す。
たぬきは小さく一歩一歩の歩幅は極小であるためその追跡行はゆっくりとしたものだ。
しかしそれでも確実に獲物への距離は縮まっていた。

「あっ…うんちだし！」

追跡開始から30分、遂に猟たぬきは重要な痕跡を発見した。恐らくは件の猪のものであろうと思われる糞が落ちていたのである。
まだ温かく、時間が経ったものではなくつい数分前まではこの場にいたであろうことは間違いない。
獲物はこのすぐ近くにいるのだ。

「よくやった。戻れ。」
「はいし！」

屈んだ男の差し出した手に猟たぬきはぴょんと飛び乗り、そのまま男の胸ポケットへと収まった。
頭だけ出してナビゲーションを続ける。

「匂いはあっちに続いてますし…」

男はたぬきの鼻に従い極力足音をたてないよう慎重に進んだ。猟銃を構え、いつでも発射可能な状態を維持しつつ山中を進む。
そして、ついにそれと遭遇した。

「フゴッ…フゴッ…」
「いたし…」
「発砲する。耳栓をしていろ。」

雌の猪である。体長は1m50cmほど。
まだこちらには気付いていないらしく、食べ物を探しているのか前足で木の根もとを掘り返していた。
不意打ちには最高のタイミングである。
猟たぬきは男に事前に与えられていた耳栓を垂れた耳を持ち上げて耳の穴に押し込み胸ポケットの奥に引っ込んだ。近距離で発砲音がしてもじたばたをしないための措置である。
猟たぬきが耳栓をしたのを確認した男は、片膝を立てた膝立ちになり姿勢を安定させて猟銃を構えた。その一番の弱点である頭は頑強な頭蓋骨で守られているため避けるべきだ。
それ以外で十分な致命傷を望めるのはやはり心臓などの重要臓器が集中した腹部か胸部である。
狙いを定め、大きく息を吸って止める。それと同時に引き金を引いた。
空を切り裂いて弾丸が放たれ、直進したそれは猪の胸部へと狙い違わず突き刺さったのだ。

「プギィィィ！？」

絶叫を上げて猪は横転した。地面に血を撒き散らしながらなんとか立ち上がろうとするが、体内に侵入した弾の与える激痛によりその足で地面をゴリゴリと掘り返せはしても立ち上がることは出来ない。

「やったし！？」
「まだ出るな。」

もぞもぞと動く胸ポケットの猟たぬきを手で抑えて制すると素早く二発目の弾丸を装填してゆっくりと瀕死の猪へと接近する。

「ピギィィィ！ピギィィィ！」

猪は口から血を垂れ流しながら絶叫を繰り返していた。
神経か骨も破壊したらしく後ろ足は動いているが前足は動いていない。
男はそのまま脳天に向けて二発目を発射した。
断末魔すら上げられずに猪は頭を吹き飛ばされて絶命する。

「終わったし…？」

銃声が止んだことを受けて猟たぬきは胸ポケットから頭を出した。
そこには血を流してピクリとも動かない猪がどうと倒れている。
男から受けた訓練でその過程の動画は何度も見返したが、実際に見るその迫力は猟たぬきを圧倒した。

「う…わ…し…」

漂う血の匂いに頭がくらりとする。言葉に詰まり身体の奥から沸き上がってくるじたばた欲求を猟たぬきは尻尾を掴んで抑え込んでいた。

「どうだ？これが俺とお前で仕留めた獲物だ。」
「すっごく大きいし…うわ…牙もたぬきの体くらいあるし！？」

その初々しい猟たぬきの反応に男は笑い、その姿にかつての自分自身を重ねた。
男も資格取り立ての頃は先輩猟師にああでもないこうでもないと言われながらこうした反応をしたものである。

「さ、仕事は終わりだ。農家と行政に連絡するから今日はこの仕留めた猪を二人で食うか。」
「食べられるし？」
「あぁ勿論。焼くと美味いぞ。」

猟たぬきと会話をしながら男は空薬莢を回収するなどの後始末をテキパキとこなしていった。
最後に猪の死骸をビニール袋に詰め込み、プラスチック製の大型トレーに乗せてそれを紐で引きずりながら男と猟たぬきは下山していった。


＊


その日の夜のことである。
自宅に帰宅した男と猟たぬきは血抜きを済ませ解体した猪の肉を豪快に厚切りステーキにして貪っていた。

「これすっごく美味しいし！」
「そりゃ良かった。猪も成仏できるだろうさ。」

たぬきの好物は全般的にうどんであるが、それ以外には個体差が出る。この猟たぬきのように肉を好む個体もいれば野菜が好きなものもいる。千差万別であった。
そうして二人で肉を食べ終わった辺りで、男は猟たぬきに尋ねてみた。
今後についてである。基本的に臆病な性質のたぬきに猟師としての仕事の補佐は能力的には務まっても性格が付いてこれない場合も多い。

「今日は初仕事だったが、どうだ？これからも同じように出来そうか？」
「…ちょっと怖かったけど、二人一緒なら大丈夫だし！これからも一緒にやるし！」

以外にもやる気はあるようだった。
それを聞いて男は一つ頷くと一旦離席し、あるものを二つもってまた戻ってきた。

「それ何だし？」
「初仕事を無事に終えたお前に、これをやる。」

そう言って男が差し出したのは仕留めた猪の牙に穴を開けて紐を通した簡単なネックレスであった。
たぬきにとって大きな価値を持つ「勲章」としてである。

「勲章だし…！」
「今まで訓練にしっかりついてきたからな。これはその分もある。大事にしろよ？」

男はそう言うとネックレスを猟たぬきの首に掛けてやった。自分の胸に踊る牙のネックレスを猟たぬきは目を輝かせて見回している。
もう片方のネックレスは男が自らの首に掛けた。
喜ぶ猟たぬきを見ながら、男は猟たぬきが仕事を続けることを断っても良いようにしたためていたたぬきの就職斡旋所への推薦状を折り畳んでゴミ箱に放り投げた。
実のところ男はこれまでに猟たぬきとチームを組むことを求めて四匹のたぬきに訓練を施していたのだ。
うち二匹は訓練途中でギブアップし、残りの二匹は訓練は完璧にこなしたがいざ実際に現場に連れていくと怖じ気づいてしまい先程の質問に否と答えたのである。
こうして男は新たな仕事のパートナーを得たのである。


＊


それから数ヶ月が経った。
男と猟たぬきはまさにベストパートナーといった具合で、たくさんの案件を次々とこなしていったのである。
男の害獣駆除の対象は猪や熊などの大型生物からアライグマやネズミのような小型の害獣まで多岐にわたる。
そしてそのどれもが猟たぬきの鼻と男の射撃の腕から逃れることはできず、チームによる追跡で獲物を取り逃したことは一度たりとも無かったのである。

「クンクンし…クンクンし…むっ！見つけたし…回り込んで脅かしてくるし…トドメは任せたし…」
「よし、行け。気を付けろよ。」

最近では猟犬が行うような獲物の追い立てすらも猟たぬきは行えるようになっていた。
猟たぬきに限らずたぬきは軽い体重と柔らかい手足をしていることによってゆっくりと歩けばまず足音は立たない。それを利用して猟たぬきはクラッカーやかんしゃく玉といった大きな音の出る道具を持って追い立てたい方角の反対側に移動し、耳栓をしたのちに音を放って獲物を驚かせるのである。
後は駆け出した獲物に男が不意弾を撃ち込んで終わりという流れであった。

パン！

クラッカーが破裂する鋭い音が響き、今回の獲物である鹿が耳をピンと立てて危険を察知すると勢いよく駆け出した。
鹿が狙いやすい開けた場所に躍り出た瞬間、待ち構えていた男は引き金を引く。
鈍い発砲音と共に走っていた鹿はつんのめるように転倒すると地面を転がって近くの木に衝突し、そのままピクリとも動かなくなった。

「ふぃ〜…成功だし…」
「お疲れさん。帰って飯にするか。」

猟たぬきはすっかり仕事が板に付き、ベテランの貫禄すら感じられる穏やかな足取りで男に合流してきた。
しかしどんなに慣れても彼女の指定座席は男の胸ポケットと決まっている。

「鹿肉の肉うどんって美味しいし？」
「鹿肉かぁ…」

今日の食事についてああでもないこうでもないと言い合いながらチームは山を降りていく。
どちらが上でも下でもない、両者の間には確かな信頼と深い絆が結ばれていたのだ。


＊


ある日のことである。
山間部を切り開いて新たな住宅地を建築するニュータウン計画が始動した。
山の伐採自体は数ヶ月前から行われていたが、それにより生活の場を奪われた一部の動物が人里へと降りてくることを男は危惧していたがだからといって開発計画にどうのこうのと言える訳でもないので仕事の準備はずっと進めていた。
そしてとうとうそうした危惧が的中し、山に住んでいた熊が建設現場へと侵入してきたという一報が入ったのである。更に最悪なことに作業員が襲われて重傷を負ったという。
早急に駆除を行うよう依頼が入った。

「今回の獲物は熊だ。」
「熊はまだ相手したことないし…」
「猪の比ではない。今回は追い立ては危険だ。俺から離れるな。」

日本で生きているなかで遭遇する可能性があるもっとも危険な野性動物が熊である。
全身が発達した筋肉の塊であり、分厚い毛皮は生きた装甲板と言っても遜色はない。生半可な角度と距離から弾丸を放ってもまったく効果はないという恐るべき野獣である。
その腕の一振りを受ければ人のごときは小枝のようにへし折られてしまうだろう。
毎年数は少ないが犠牲者も出ている。

「他の猟師も参加するから彼らに失礼の無いように。」
「はいですし…」

準備を終えた男は猟たぬきと連れ立って建設現場へと出立した。
現場は警察官によって封鎖されており発砲の許可も降りているが、それだけ危険であることも意味している。
合流した同業者の猟師も熊の危険性は重々承知しており緊張した面持ちで猟銃を握り締めていた。

「あんたか…猟たぬきを使ってるんだって？」
「ああ。」
「よろしくですし…」

男と猟たぬきのチームは界隈でもそこそこ名が売れるようになっていた。
そもそも猟犬と違い猟たぬきはその数が少ない。否応なく有名にはなるのだろう。

「俺は別方向から探す。警察の連中熊公を見失ったらしいどこに潜んでるか分からんから気を付けなよ。」
「お気をつけて。」

そう言い置いて同業者は建設現場の奥へと慎重な足取りで向かっていった。
それを見送ると、男は胸ポケットの猟たぬきに声を掛ける。

「今日も頼んだ。」
「お任せですし…」

猟たぬきは胸ポケットから飛び降りて見事な着地を披露すると何時ものように匂いをかぎ分け始めた。

「うっ…血の匂いだし…」

漂う濃密な鉄臭い血の匂いに猟たぬきはしょんぼり顔をしかめた。
周囲には傷つけられた作業員の流した血が点々と続いている。熊の一撃を受けた後、他の同僚が工具を投げつけて気を逸らしているうちに残りの数人で運び出しそのまま逃走したそうなのだ。
男としては作業員たちの勇気ある行動を称賛したい気分である。怪我をした者も助かって欲しいが、熊に攻撃されたとあっては望み薄であった。
そうした血が周囲に撒き散らされていたため、猟たぬきはいつもよりも時間をかけてじっくりと匂いを辿った。

「血と獣の匂いがこっちに続いてるし…」

しっかりとした足取りで猟たぬきは進む。
二人の猟師は弾を込めるとそれに続いた。

「クンクンし…クンクンし…近いし…！」
「よし、戻れ。」

しゃがんで胸ポケットに猟たぬきを戻し、男は同僚へと連絡を飛ばした。
合流までの間に男は狩りに利用できる地形を探した。
周囲は建築途中の建物の骨組みや基礎だけが完成した状態の物件が多く立ち並んでいる。
これを盾として熊への一方的な銃撃を行うと決断した。
同時に足早に別行動していた同僚が合流する。

「さすがは猟たぬき、優秀な鼻をしているな 。」
「えへへですし…」

照れる猟たぬきを他所に男はすぐに打ち合わせを始める

「出てきたら俺は頭を狙う。」
「では、こちらは胸を。」

肉体の重要部位をそれぞれ破壊されれば熊とて生き残ることは不可能である。同僚と即座に射撃位置の配分を決めた両者は基礎の影に隠れて機会をじっと待った。

「グルル…」

やがて地獄の底から聞こえてくるようなおどろおどろしい唸り声と共に遂に熊がその姿を表した。
黒い体毛に胸元のみ一筋の白い毛のラインが伸びる、ツキノワグマである。
体長は1m80cm程。種族的にほぼ最大値といえる大きさである。

「ひっ！？」

猟たぬきはそののそのそと歩く巨大な姿を見て動物の本能的恐怖を刺激された。
息を飲み身体が勝手にじたばたを始めそうになる。
しかし直後にそれを察した男が胸ポケットに手を当てる。
ジャケットの布地越しの暖かな体温を感じ、猟たぬきは正気を取り戻した。

「ごめんし…」
「良い。」

簡素な受け答えであるが両者の間にはそれで十分であった。
そうしているうちに熊は猟銃の射程内へと侵入する。

「タイミングを合わせて撃つぞ。」
「了解。」

安全装置を解除し、引き金に指を掛けてタイミングを合わせる。
そうして熊が身体の側面をさらした瞬間、二人の猟師は基礎の影から身を乗り出して同時に射撃を行った。
バンバンと二発の銃声が建設現場に響く。

「ゴァァァァ！」

同時に凄まじい熊の叫び声が轟いた。
二人は即座に次弾を装填して熊へと照準を合わせる。
撃たれた熊は苦痛の呻き声を上げて立ち上がり、怒りに燃える双眸を下手人へと向けた。

「もう一発だ！」

同僚は叫び、男も追撃の一発を撃ち込む。
再び銃声が轟き、放たれた二発の弾は両方とも熊の胸部へと吸い込まれていた。

「ゴォオォ！」

熊は断末魔の叫び声をあげ、立ち上がって凶器そのものの両腕を振り上げたが、ついに振り下ろすことは叶わず前のめりのどうと倒れ込んだ。

「おぉ…やったな。」
「ええ、これは…だいぶ大きいなこれは。」

熊が完全に活動を停止したのを見て二人の猟師はほっと胸を撫で下ろした。
随分と大きい個体で相応にタフだったが駆除は完了である。

「すぐに終わって良かった…こんなに早く見つけられるとは、猟たぬきの名は伊達じゃあないな。」
「良かったたぬき。誉めてもらってるぞ。」
「えへへし…」

耳栓を外して頭をプルプル左右に振っていた猟たぬきはまたも誉められ赤面した。
それでこの仕事は終わりだった。
ニュータウン開発計画は障害が排除されたことにより滞りなく進むだろう。
だがそれはもともとの山に暮らしていた生き物の生活の場を奪う行為でもあるのだ。
似たような仕事は今後継続的に舞い込むことになるだろう…


＊


「今日はお留守番ですかし？」
「あぁ。留守中家のことは頼む。飯は作りおきのやつを置いておくからそれを食っておけ。」
「はいですし…」

熊退治から数週間が経った。
ここ最近男の仕事件数はどんどん増えていっているが、それに反比例して猟たぬきを現場に伴う回数は減っていった。
理由は簡単で受けている依頼が野良たぬきの駆除だったからである。
男は大切な相棒をその同族を駆除する仕事にわざわざ連れていくことをしなかった。
世の中には割り切りという言葉が存在するがだとしてもそれを態々本たぬきに確認するのは非道というものだ。
猟たぬきとて男に鼻を鍛えられ数々の匂いを掻き分けてきた。
洗ったとしても同族の血の匂いがベッタリと付いていることは両者ともに承知していたのだ。
連れていかないのは、礼儀のようなものだった。

「ひぃ！？人間だし！？許してし…食べるものがなかったんだし…」

男はそれが出来るタイプの人間だった。
ごみ捨て場を荒らし回る野良たぬきの親子を捕らえると淡々と駆除をしていく。

「ちびならいくらでもあげるし！だからたぬきは見逃してくれしぃぃ！」
「ｷｭｰ!?ﾏﾏ!?」

言葉を話せるぐらいまで成長していたらしいちびたぬきたちは親たぬきの言葉を聞いていやいやするように首を振ってその足や尻尾にすがりついた。
 
「離せし！」

親たぬきは叫ぶと非情にもちびたぬきを掴んで男の方へと投げつける。
たぬきの筋力でちびたぬきを投げても飛ぶはずはない。
もちもちの肌を地面で擦り傷だらけにしながらちびたぬきは男の足元にコロコロと転がってくる。
一瞥もせずにそれを踏み潰し、男は親たぬきの頭を左手で掴んで右手には鋭い針状の道具を持つ。
ガタガタと震えて命乞いをする親たぬきの足元に、一足先に地面の赤い染みになったちびたぬきの血液がだらだらと流れてきた。
親たぬきを見る男の表情は険しい。
この親たぬきの生き汚い行動は男にかつての猟たぬきとの出会いを想起させたのだ。
猟たぬきの出自は元野良たぬき。
正確には物心つく生まれたてのちびたぬきの頃に男が保護したのだ。
今回のような野良たぬきの親子を追いかけていたとき、親たぬきは男の追跡の手を逃れるため生まれたばかりだった猟たぬきを投げつけてきたのである。

『そのちびはやるし！好きにしていいし！』

あまりの非道に男は立ち止まって哀れなちびたぬきを拾い上げた。その隙に親たぬきは逃げ出し、それ以降養育と訓練を行い今の猟たぬきがいるのだ。
そして同様の言動をする野良たぬきを男は仕事として駆除する。
そこに情の類いは存在しない。

「その尖ってるの近づけないでし！ｷﾞｬｯ!?ｷﾞｭｯ!?」
「ｷﾞｭｰ!」

たぬきは打撃に強いが刺突などの小さい範囲にエネルギーが集中するダメージには弱い。
男はそれを踏まえて少数のたぬきを駆除する際には決まって千枚通しを使った。
簡単に手に入りたぬきの身体を貫通するに十分な長さと鋭さを持っている。
瞳と瞳の間の眉間を一突きにすれば余計な出血もせずに息の根を止められる。
残ったちびたぬきなどは言うまでもない。
まとめて頭を突いてやればその死体は頭だけ横一列にならんでぶらぶらと動かなくなった手足が宙に投げ出されるのみだ。
そして、ある種の代償行為なのかそうした仕事を終えた後男は決まって家で待つ猟たぬきにお土産を買って帰った。

「ただいま。」
「おかえりですし！」

家に帰れば何時も猟たぬきが迎えてくれる。
男にとって猟たぬきは家族も同然の存在であった。

「ほれ、お土産だ。前欲しがってた植物図鑑。」
「おぉー！これを待ってたし！ありがとし！」

男が買ってきたのは植物図鑑だ。それも小学生用の簡単なものではなくサバイバルの参考にされるような実用的なものである。
おおよその繁殖範囲やその時期、植生、危険な毒を持つものから薬草として使用できるものまで詳しく記載されたそれを猟たぬきは希望した。

「もっともっと役にたちたいんですし…」

その健気な言葉を聞いて男は感動したものである。
子供を生け贄に逃げ出した親たぬきからこのような素晴らしいちびたぬきに育つのだから、性格や人間性というものは後天的な要素で構成されるのだろう。
留守番が多くなり始めた頃から、猟たぬきは訓練を受けていた時期よりもさらに貪欲に知識を求めるようになっていた。

「この辺だとゼンマイが美味しく食べられますし…裏の山に生えてるのを見ましたし…」
「流石は相棒頼りになるな。」

男は猟たぬきを抱き抱えて頭を撫で回した。
もちもちの肌を持たぬ男が出来るのはこのくらいだが、同族間の親愛のもちもちすら知らない生まれたての頃に捨てられた猟たぬきはそれをストレスに感じたことはなかった。
むしろ幸せである。
一緒に暮らして仕事をしてご飯を食べてたまに遊ぶ。
そんな穏やかな日々がずっと続くと男もたぬきもこの時はそう思っていた。
しかし世の中に永遠はない。ある日、遂に二人の間の歯車が狂う事件が起きた。

「うーん…」

この日、猟たぬきは男が帰ってくるのを待つまでの間にテレビを見ていた。
それ自体は何時ものことだが、放送されていた番組の内容に猟たぬきは強く心を惹かれたのだ。
なんのことはないドキュメンタリー番組で、たくさんの動物の生態が広く浅く取り上げられていた。
その中でたぬきも紹介されていたが、それは親子のたぬきだったのだ。
物心ついたころから猟たぬきの隣には男がいたので意識したことすらなかったが、自分にも親たぬきはいたはずである。
そう思った猟たぬきは仕事を終えて帰って来た男に聞いてみたのである。

「たぬきにも親っていたし？ままってどんな感じなんだし？」

それを聞いた男は逡巡した。
まさかばか正直にお前は野良たぬきが命惜しさに自分の代わりに殺される生け贄として投げ出されたのだなどとは言うわけにもいかない。
さりとて物心ついたころから一緒にいるのに知らないと答えるわけにもいかなかった。

「あぁ…お前は嵐の日、雨風と雷鳴と共にうちの庭に現れたのだ。」

一瞬悩んだ結果男は適当に言って誤魔化すことにした。
真実を告げるのはもう少し待ってからでもいいはずだとそう思ったのだ。
結果として男はこの選択を一生後悔することになる。

「猟師よりも詐欺師に向いてるし…アホなこと言ってないでほんとのこと言うし…」
「へいへい、お前はな…」

ここで言い出せていたらあるいはこの先に待ち受ける悲劇は起こらなかったかもしれなかった。
しかし男の言葉を遮るように持っていた携帯電話が鳴り出したのである。

「ちょっと待っててくれ…はい、私です。はぁ…分かりましたすぐに向かいます。」

電話の内容は近所の公園にスラムを作ったたぬきの群れの駆除だった。
命乞いをする人型の生命体ということでたぬきの積極的な駆除をやりたがる業者は少ない。
男はこのたぬき駆除の件については無条件で引き受ける便利屋的ポジションだったのだ。

「お仕事だし？」
「ああ、終わるまで留守番を頼む。続きは帰ってきてから話そう。」

そう言って男は足早に出掛けていった。
それから数時間後、悲劇の引き金が引かれたのである。
それは、時間をもて余して男の狩猟道具のひとつであるボウガンの手入れをしていた時だった。

「たぬきのまま…どんなたぬきなんだし…？」

猟たぬきはちび時代のことをうんうん唸ってなんとか思い出そうとしていた。
男とやった訓練よりも前のことはほとんど覚えていない。
唯一の記憶は何かの声と浮遊感があったことだけだ。
それでも意識を集中して過去を見やれば朧気ながらにその輪郭が浮かび上がってきた。

「もうちょっとで…思い出せそうだし…？」

人間から見ればたぬきの顔は皆同じようなものに見えるが、たぬきの間ではその微妙な差異も個性として判別が可能となっているらしいことが最近の研究で明らかになっている。
猟たぬきも記憶の中の顔をなんとか浮かび上がらせようとしていた、その時である。

ガチャン！

玄関ドアが乱暴に開けられる音がした。
男が帰ってくるにはまだ早い。そもそも帰ってくるときは必ずただいまと言うのだ。
猟たぬきは思索を中断して何があったのか確認しようと玄関へと向かった。

「ひぃ…ひぃ…危うく死ぬところだったし…ちびたち皆ついてきてるし…？」
「ｷｭ!ﾐﾝﾅｲﾙｼ!」
「ｷｭｰ!ｷｭｰ!」

そこにはみすぼらしい格好をした野良たぬきの親子が息を切らせて集まっていた。
男が猟たぬきのために作った玄関のたぬき用ドアから入ってきたのだ。

「誰だし！？あっ…」
「仲間のたぬきだし！？聞いてくれし！人間に追われて…えっ…」

誰何をした猟たぬきと同族に助けを求めようとした親たぬきは一瞬互いを見つめあった。
視線が交錯し互いのしょんぼり顔を舐めるように見る。
そしてその言葉は自然と口から漏れだしてきた。

「ままだし…？」
「ちび…？ちびだし！」

その顔は猟たぬきの朧気な記憶を鮮明にし、過去の記憶を蘇らせたのだ。
実際、この親たぬきは嘘偽りなくちびたぬき時代の猟たぬきの親であった。
産まれたばかりの猟たぬきを抱えて連れ帰ろうとしていた所を男に発見され、慌てて逃げ出しだしたまさにその個体だ。

「ちびぃぃ！生きてて良かったしぃぃ！」

親たぬきは猟たぬきに抱きついて親愛のもちもちをした。
一見すればたぬき同士の平和な交流に見える。
実際猟たぬきはそのつもりであった。
しかし親たぬきからすればそれは多分に打算を含む。

「会いたかったし…今までずっと探してたんだし…」
「まま…！」

親たぬきは人間の家の中で暮らしているかつての子供を見て間違いなく「使える」と判断した。
今の親たぬきは住んでいたスラムを男に壊滅させられ養わなければならないちびたぬきを抱え込んでいる。
親子の情に訴えて匿ってもらおうと考えたのだ。
あわよくば人間に話を通して家に住み着かせてもらえないだろうかと目論んだ。

「ちびは覚えてないかもしれないけど、お前の妹たちだし…ほら、ご挨拶するし…」
「ｷｭｰ!ｷｭｰ!」

ずる賢い親たぬきは猟たぬきに取り入るために彼女に「姉妹」を作った。
猟たぬきを捨てた後に育て始めたちびたぬき達を指してそう言ったのである。
無垢なちびたぬきは基本的に親たぬきが言ったことは真実であると認識する。
だからちびたぬき達にとって猟たぬきは嘘偽り無く「姉」なのだ。

「ｷｭｰ…ｵﾈｲﾁｬﾝ…」
「妹なんだし…可愛いし…」

猟たぬきは寄ってきた「妹達」を抱き締めた。
丁度家族について考えていた時に遭遇してしまったのが悪かった。
猟たぬきは疑うことをせずすっかり家族の暖かみを得た気分になっている。
その柔らかくなった心に親たぬきはつけこむのだ。

「ちび…聞いてほしいし…」

その悪魔のような囁きは、普段の賢い猟たぬきならば見破ってしかるべきものだった。
だがその当然に抱くべき警戒心を家族というその一点で猟たぬきは解いてしまったのである。

「今ままたちはすごーく怖い…そう、もどきに追われてるし…このままだと皆まとめて食べられちゃうし…！」
「もどきだし！？大変だし…武器を持ってくるし！」

ずる賢い親たぬきに一つ誤算があるとすれば、それは猟たぬきは男との生活の中で野良のたぬきにとっては絶対捕食者であるたぬきもどきを何匹も仕留めていたということである。
呼び止めるまもなく猟たぬきは収納から男が猟たぬきの自衛のためハンドメイドしたボウガンを抱えて持ってきた。

「うわ…ちび、それなんだし！？」
「これはボウガンだし…たぬきはこれで何匹ももどきを倒してるし…任せるし！家族はたぬきが守るし！」

使命感に燃える猟たぬきは男から受けた訓練や得た知識を総動員して待ち伏せ場所を選定し、玄関の正面にある靴箱の上にボウガンを抱えて素早く飛び乗った。
地を歩くたぬきもどきと距離を置きつつ頭を押さえて一方的に攻撃が出来るポジションである。
今この瞬間、猟たぬきはまさに狩人の相棒として相応しいたぬきの中にあって最上級の能力を発揮していた。
そして、その頼もしい姿は親たぬきにとんでもない邪念を抱かせるに十分な輝きを放っていたのだ。

(あの時捨てたちびがとんでもない大物に育ってるし…もどきを何匹も倒してるのは本当のことだったんだし……？待つし…これだけ強いちびならもしかして…ひょっとして…)

親たぬきもまた、そのずる賢い頭脳を総動員して自分と今連れているちびたぬきの利益を考えていた。
幸い捨てたはずのちびたぬきはその事を覚えておらず、都合の良いことに自分が親だということしか知らない。
だとすれば素直に言うことを聞いてくれるはずで、もどきを何匹も倒した武器があればこの家に住んでいる人間も…

(いけるし…ちびとたぬきの安住の地を得る最大のチャンスだし…)

親たぬきのへの字口の両端が急角度を描いて持ち上がった。
家に住まう人間さえ排除してしまえばこの場は自分達の楽園となる。
もう雨風をしのぐために苦労する必要も、たぬきもどきやその他の動物に襲われる心配も、そして住まいを追い出されることもなくなるのだ。
そのあまりにも甘美な欲望に抗えるほどの知性も判断能力も親たぬきは有していなかった。

「ちび…ちびにだけ任せてはおけないし！ままは身を張ってもどきを誘い出すし…！妹達を頼むし！」
「まま！？」

流れるように嘘を付いて親たぬきは玄関のたぬき用ドアから外に出た。
当然たぬきもどきなどいない。
家の主は帰ってきたときに玄関先にいるたぬきを見つければ追い払おうとするだろう。
そのときに素早くたぬき用ドアから屋内に戻り、追ってきた家主をちびに撃たせる…完璧な作戦だった。
家主とちびは間違いなく近しい関係だろうが、自分で撃たせてしまえばもう家族は自分達だけと言い含めて言うことを聞かせることが出来る。
それだけの打算を親たぬきは短い時間の中で組み上げていたのだ。
そして5分もせずにその時は訪れた。

「…来たし…だしっ！？」

来るには来たがそれは親たぬきにとっては凶兆であった。
自分達の住んでいるスラムを壊滅させ、何もかも捨てて逃げるしかなくなった全ての元凶、駆除業者の男である。
そして両者の目があった。

「…お前！」
「ひぃっ！やばいし！」

親たぬきは血相を変えてたぬき用ドアに逃げ込むと追ってくる男の足音に震えながらあらん限りの大声で叫んだ。

「今だし！撃つしぃぃぃぃ！」
「しっ！」

待ち受けていた猟たぬきは親たぬきの決死の行動に胸を打たれそのままボウガンの引き金を引いた。
放たれた矢の先にはドアを勢いよく開け、逃げた親たぬきを捕らえようと手を伸ばした男の胸元がある。

「ぐっ！？」

突如胸に走った鋭い痛みに男は手を胸元へ手を伸ばした。
細く固い感覚が矢であると気づくまでに数秒を有し、その間に膝が勝手に崩れ落ちて地面に付く。
胸から生えた矢から視線をあげるとそこには靴箱の上でボウガンを構え、顔面蒼白になってガタガタと震える猟たぬきの姿があった。

「たぬ…き…な…ぜ…」

言葉を一言紡ぐごとに鋭い痛みが男を襲った。
耐えきれずにそのまま玄関へと倒れ込む。

「あ…あぁぁぁ！何でだし！？何で…！」

自らのしてしまった取り返しの付かない凶行に猟たぬきは愕然とした。
抱えていたボウガンを放り投げて靴箱から飛び降り、倒れ伏し血を流す男へと駆け寄る。

「ごめんなさいし…！ごめんなさい…！起きてし…お願いだし！」

叩いても揺すっても男からの反応はない。
苦しげな息づかいが続くだけだ。
猟たぬきの心は僅かな時間で完全にボロボロになっていた。
自らの手で大切な家族を傷つけてしまった絶望、降って湧いたたぬきの家族への疑心。
そしてその家族の甘い言葉に易々と耳を貸してしまった自分への怒り。

「たぬきが悪いし…お願いだし…起きてし…」
「ぐ…」

瀕死の男は最後の力を振り絞って猟たぬきへと手を伸ばした。
伸ばされた手を掴もうと、一歩踏み出した瞬間、手は力を失い地面に落ちる。

「う…あ…あぁ…」

涙を流し許しを乞う猟たぬきの横に計略が成功し得意満面の親たぬきが歩み寄りまたもや嘯く。

「ちび…よくやったし…この人間は悪い人間で…たぬきとちびを殺そうとしたし…この結果は当然の報いだし…」
「…！」

その言葉を聞いて猟たぬきの脳は急にクリアになった。
疑心が確信へと変わり横に立った親たぬきの尻尾を掴んで引きずり倒すとその首を足で押さえ付ける。

「ダヌッ！？なにするしちび！」
「もどきと言ったし！これはどういうことだし！」

じたばたと暴れる親たぬきを見てちびたぬき達がわらわらと集まってきた。

「ｷｭｰ!ﾏﾏﾆﾅﾆｽﾙｼ!」
「ｷｭｰ!ｷｭｰ!」

何も知らないだろうということは猟たぬきにも分かった。
だが今は何もかもが煩わしかった。

「退くし！」

尻尾を凪払うように一振すればちびたぬき達はころころと転がってその場で泣きながらじたばたを始めた。

「ｵﾈｲﾁｬﾝｶﾞｲｼﾞﾒﾙｼｰ!」
「ちびになにするし！」

非難の声をあげる親たぬきの尻尾の毛を猟たぬきは乱暴に引き抜いた。

「ダヌぅぁっ！？」
「正直に答えないと尻尾を丸裸にするし…」
「ひっ…やだし…やだし…ちびは優しい娘だし…ままにそんな酷いことしないでし…ダヌッ！？」

この期に及んで親子の情に訴えようとする親たぬきの尻尾の毛を猟たぬきは無慈悲に引き抜く。

「答えるし…たぬきを騙したし…騙してこの人を撃たせたし…何故だし…！？」
「そんなの…そんなのこの人間が悪いし！この人間のせいでたぬきは家を無くしたし！仲間も大勢殺されたし！こいつがいなくなればこの家で平和に暮らせるし！」
「この人はそれが仕事だし！復讐なら自分の力でやるし！」
「ダヌァァ！？」

猟たぬきは怒りに任せて尻尾の毛をむしり取るとそのまま親たぬきの身体を蹴飛ばした。
ゴロゴロと転がった親たぬきはそれでもなお嘘を重ねる。

「ちび…騙されてるのはお前だし！この人間はちびが小さい頃お前を拐ったんだし！その才能を目当てに…！たぬきのところにいれば今頃勲章だって持ててたし！」
「もういいし…」

猟たぬきはゆらりと幽鬼のような足取りで放り捨てたボウガンを拾い上げた。
投げ捨てたときに弦が緩んでしまったようだがこれからすることに弦など必要ない。

「たぬきは…もう猟たぬきは名乗れないし…でも最後に…この人に代わって仕事をするし…」

ボウガンの予備の矢を猟たぬきは槍のように構えた。
その矛先には尻尾の痛みで悶絶し動けない親たぬきがいる。

「ひっ…ちびやめるし！」
「お別れだし！」

猟たぬきは矢を構えてだっと駆け出し、そのまま体当たりするように親たぬきの身体にぶち当たった。
矢の先端は窶れてカサカサになった親たぬきの身体を簡単に貫通し血を纏って背中から飛び出す。

「ぎゃっ！？……あぁ…血が…止まらない…し…」

猟たぬきは一切の躊躇なく矢を傷口をえぐるようにして引き抜いた。
大量の赤い血が飛び散り、その丸くもちもちとした顔を深紅に染め上げる。

「ぢ…び…おやを…ごろずじ…？」
「お前なんて親じゃないし…たぬきの親は…！」

猟たぬきは最後まで言いきらなかった。自分にはそれを言う資格は無いと分かっていたのだ。
そしてその視線を未だにじたばたを続ける「妹達」に向ける。

「お前達に罪は無いし…」
「ｵﾈｲﾁｬﾝｺﾜｲｼ!」
「許せし…これからはたぬきが…」

そう言ってまだ小さなその命を両手で抱えて抱き上げる。

「あぁ……そうだし…警察…救急車…」

血に染まった玄関から赤い跡を引きずって猟たぬきは固定電話から電話を掛けた。

「はい…三丁目のモトダの家のたぬきだし…あの人が大怪我をしたし…すぐに来てほしいし…よろしくお願いするし…」
「事件発生だし…三丁目のモトダさんが胸を矢で撃たれたし…目印？近くにポストがあるし…」

やらねばならないことをすべてやった猟たぬきはふらふらと夢遊病患者のような覚束ない足取りでちびたぬき達とたぬき用ドアから外へと出て、そして二度とこの家には戻らなかった。



＊




それから数週間元猟たぬきは熱に浮かされたように歩き続けた。
連れてきたちびたぬき達はものの数日で全滅した。
一番成長していたちびたぬきは親殺しの猟たぬきから逃げるように駆け出しそのまま道路に出て車に轢かれて赤い染みになった。
残りのちびたぬきはそもそも何が起きていたのか理解できる年にまで成長していなかったがそれ故に身体が弱く、鍛えられた猟たぬきに付いていけずに離れたところをたぬきもどきに襲撃され残らず貪り食われたのだ。
元猟たぬきはそれに対してなにもしなかった。
無気力状態であったし武器もなくもどきと正面からやりあうことなど出来ない。
絶叫を背中に受けながらその場から逃げ出した。

「もう…どうでもいいし…」

本当の意味で全てを失った元猟たぬきは川原の草むらに寝転がって空を見上げた。
空はこんなにも青いのに自分は生きながらに地獄にいる。
全ては自分の招いたこと。このままじっと横になって干からびて死ぬかもどきか鳥にでも食われてしまえばいい。
そんなことを考えながらゆっくりと眠りに落ちていこうとしたことろを一つの声が邪魔をした。

「お前…こんなところで何してるし？」
「ほっといてくれし…」

それは近くのスラムに暮らす一匹のたぬきだった。
縄張りの近くに見慣れぬたぬきがいるので様子を見に来たら全てを諦めたしょんぼりの極北みたいな顔の奴がいる。

「何かあったなら聞くし…同じたぬき同士遠慮するなし…」
「もういいんだし…たぬきには何もなくなったし…」
「行くアテが無いならうちに寄ってくといいし…うちのスラムは狭くて汚いけど皆良い奴ばかりだし…」

スラムたぬきの伸ばした手を元猟たぬきは躊躇いながら握った。
スラムの一員となってからの元猟たぬきの働きは目覚ましいものがあった。
もともと優れた才覚を持っており生き残るための術を男から叩き込まれていたのだ。
自分とスラムの全員が生きていくためのその心得の全てを惜しみ無く使った。

「待つし…その木の実には毒があるし…こっちにするし…」
「危なかったし…命の恩人だし…」

ある時はその知識がスラムを毒から救った。

「美味しそうなお菓子が落ちてるし…」
「待つし…あれは人間が仕掛けた罠だし…お菓子を取ると檻が閉まって捕まるし…」
「ひぃ！？人間は恐ろしいことするし…」

ある時は男との数々の仕事の経験がスラムを罠から救った。

「タヌー♥️タヌー♥️」
「もどきだしぃぃぃ！？」
「死ぬし…」
「諦めるなし！たぬきが道を開くし！」

ある時はその勇気がスラムをもどきから救った。

「何て頼もしいたぬきなんだし…」
「勲章持ってるだけはあるし…」
「皆頼りにしてるし…」
「リーダーと呼んで良いし？」

あれよあれよと言う間に元猟たぬきはスラムのリーダーに収まった。収まってしまった。
これまでのたぬ生で男から学んだこと、一緒に成し遂げたこと、それらの全てを男が忌み嫌っていたことのために使う。
スラムの仲間達から頼りにされ惜しみ無く力を振るいながら、しかし元猟たぬきは自分自身の手で男の命だけでなく思い出さえも汚していると思い詰めていった。

「本当はあそこで一緒に死ぬべきだったんだし…」 
「リーダー何か言ったし？」
「何でもないし…」

今の彼女の心を埋めているのは、男を撃ってしまったときに一緒に死んでおくべきだったという苦い思いだけだ。
男と共にあったこの命は男が死んだときに投げ出すべきだったのだ。
何故それが出来なかったかというとちびたぬきに絆されたからである。
しかしそれもいなくなった今、その心はがらんどうの空虚な穴がぽっかりと空いていた。
何時か、死ぬことは出来るのだろうか。
そうぼんやりと考えることが日課になっていった。

そんなある日のことである。
その日は午前中から空がどんよりと曇り、雨が降ることが予想されたためスラムの食料確保チームは何時もよりも早く仕事を切り上げ家路に着いていた。
雨による浸水を防ぐため川の水で満たしたペットボトルを重し兼土台にした発泡スチロール製の家々に籠り、スラムの面々は尻尾が濡れないよう注意を払っている。
一方で猟たぬきは雨の中スラム外周に建てられた木の枝を組み合わせた物見櫓に登り周囲を警戒していた。
尻尾にはビニール袋を被せて付け根の部分で輪ゴムを使って縛って水濡れ対策をしている。
お風呂に入れてもらった時にしょんぼりしないようにと巻いてもらったのを思いだし、猟たぬきはたぬきでありながら雨天での活動も可能であったのだ。
降り続ける雨の中、彼女は何か胸騒ぎがしていた。
懐かしい、しかしもどきを前にしたときなど比ではないほどの緊張感が彼女の全身を支配し、尻尾の毛も逆立ちっぱなしであった。
目を凝らして雨粒の先を見据える。
雨脚が更に強くなり、ゴロゴロと雷鳴が鳴り始めた頃、彼女の優れた視力を持つ瞳は滝のような雨の中をこちらに向かって進んでくる影を認めた。

「っし…」

元猟たぬきは粗大ゴミの山から拾い上げた千枚通しを握りしめた。ろくな整備も出来ない環境下で使い続けたそれは、針先は鈍り所々に錆が浮き始めてはいるが彼女にとっては大切な武器であった。
やがて影はほんの数メートルまでの距離に近付く。
元猟たぬきは千枚通しを構えて誰何の叫びをあげた。

「誰だし！何の用だし！」

影は答えない。じっとその場に佇んでいる。
元猟たぬきは実力行使も辞さぬ覚悟でもう一度誰何した。

「答えるし！一体誰だし！」

その時、一筋の雷光が周囲を眩く照らした。
一瞬だが確かにその影の顔を元猟たぬきは見た。
絶句し、握り締めていたはずの千枚通しが手から離れ櫓の下へと落下する。
しかしそんなことはもう彼女にはどうでも良かった。
震える声で影へと声を掛ける。

「生きてたし…？」

そこには彼女が撃ったはずの男が傘もささずにじっと一人で立っていた。
全身をずぶ濡れにした男は元猟たぬきの問いかけには答えずに何かを彼女の足元へと放る。

「あっ…」

それを見て彼女は全てを理解した。
ボウガンの矢は、男の心臓ではなく首から下げていた猪の牙のネックレスに命中して致命傷を避けていたのである。
命中の衝撃で先端は折れ、紐を通していた根本の部分しか残ってはいなかったが、それは確かに男と猟たぬきが始めて共にした仕事を成功させた記念の品として作ったお揃いの勲章だった。
そしてその片割れは今も彼女の首から下げられている。
猟たぬきは覚束ない足取りで地面に落ちたネックレスを拾い上げ、じっと動かずに見下ろしている男の顔を見上げた。
雨に濡れたその表情は死人のように空虚で、かつては優しい光を湛えていたその瞳は今は深い悲しみに沈んでいる。

「たぬき、俺とお前の今の立場を言ってみろ。」

男はようやく口を開いた。その声は努めて平静を装ってはいたが確かに震えていた。
猟たぬきは逃げることも立ち向かうこともせず裁きを受ける身としてその問いに答える。

「スラムのたぬきと…駆除業者ですし…」
「そうだ。これから何が起こるかも分かるな。」

元猟たぬきは神妙に頷くと両膝立ちになり全てを甘受するかのように両腕を広げてその時を待った。
男は同じように膝立ちになると彼女の首に掛けたネックレスを外した。
そこに一切の抵抗はなかった。
自分にはその勲章を付けている資格は存在しないと誰よりも知っていたのだ。

「お願いですし…」
「あぁ…」

男は震える両手で元猟たぬきを優しく抱き上げた。
腕の中で震える小さな身体の体温を感じ、そして決意をすると大きく息を吸ってその頭部をきつく抱き締めた。

「…！…！」

苦しげではあったが抵抗はなかった。
本能によるじたばたすらもない、完全にそれを受け入れていたのである。
ビニールに覆われた尻尾がだらりと力無く垂れた。
男は腕の中の命の鼓動がなくなるまでじっとしていた。
やがて、残された身体の温かさも完全に消えると男は立ち上がった。
雨で濡れて分からなかったが、彼はきっと泣いていた。
そして、何時ものように猟たぬきをジャケットの胸ポケットに納めると目元を拭って目の前のスラムを見据える。
やるべきことは一つ。
二人でやる最後の駆除業務であった。



＊



数日後、男の家の慎ましい庭には一つの墓が立った。
拳大の墓石には二つのネックレスが掛けられ、表面にはただ一文字「友」とだけ彫られていた。
それからは男は二度と猟たぬきを鍛えることもコンビを組むことも無かった。
ただ一人狩場に立ち孤独に、しかし力強く戦い続けたのだ。
その傍らには常にたぬきの遺髪を束ねたお守りがあったという。