害獣駆除ファイル8  「空き巣たぬき」


害獣駆除を生業とする男はこの日、自宅兼事務所である郊外の一軒家で今月引き受けた案件のファイリングを行っていた。
最近はたぬきの生息数の増大と引き受けたがる人員が少ないためにたぬき駆除を引き受けることが多くなっているが、男の本来の業務は猪やアライグマ、ハクビシンなどの一般的な害獣の駆除業務なのである。
しかし、今月のうちに処理された26件のうちまともな獣による案件はたったの4件のみである。
残りの22件はたぬきによって発生したたぬ害によるものだ。
畑を荒らす、ゴミ袋を破って生ゴミを撒き散らす、スラムを形成して公共の空間を占有し上記のたぬ害を引き起こす拠点とするなどその暴挙には枚挙に暇がない。
環境に合わせた独特の変異をする種は通常のたぬきよりも遥かに大規模で深刻な被害を起こす。
宿りたぬきによる農作物の全滅や家たぬきによる家屋破壊などはその顕著な例だ。
それらのデータや群れの方向性、対策などをまとめるのはたぬき全体に対抗するために必要なことだ。
たぬき一匹一匹は羽虫のような雑魚であるが、その知能によって引き起こされる経済的な損害は決して無視できるようなものではない。
たぬきと人類との接触から数年が経ったが、農作物などの第一次産業における獣害による被害総額は接触前に比べて2倍に跳ね上がっている。
そしてその倍増分は全てたぬ害によるものなのだ。
行政も抜本的解決の調査と法整備を進めているが、アメーバのごとく不定形で不安定な存在であるたぬきにどのように対抗するかという問いは難問で対策は難航している。

prrrr!prrrr!

ごく最近の案件、『海たぬき』のファイルをまとめている時、机の上に置かれた固定電話がコール音を奏でた。
この事務所には二つの固定電話が設置されており、片方はプライベート用でもう片方が仕事用の番号に設定されている。
鳴ったのは仕事用の電話機であった。

「お電話ありがとうございます、こちらモトダ防疫です。ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「あぁ、業者の人だな！？すぐに来てくれ！家が大変なんだ！」

電話口で早口に捲し立てるのは若い男の声。
声色には焦りと怒りが滲み出ており、それが尋常ではない事態が発生しているとありありと表していた。

「分かりました、すぐそちらに伺います。具体的にどういった被害が出たのか教えてください。」
「たぬきだ！たぬきが家の窓ガラスを叩き割って家の中を荒らし回りやがった！」
「…たぬき案件ですね。承知いたしました。ではご住所の方をお願いします。」
「◯◯市の△△区、3番地の6、青い屋根の一軒家だ。田村って表札が付いてる。とにかくすぐに来てくれ。警察も役に立たなかった。もう専門家に頼るしかないんだ…」
「全力を尽くします。」

力無く言葉を締める依頼人に男は頷くと椅子から立ち上がった。
仕事の時間だ。
害獣を駆除し無辜の人々の生活の安寧を守るのである。


＊



各種道具を揃えた男は電話口で指定された住所へと軽トラを走らせた。
この周辺の住宅地はベッドタウンであり土日祝日以外の日中は閑散としており人気はない。
車の通行量の多い国道を外れて住宅地へと入る。
すると、正面から一台のパトカーがやってきた。
男は軽トラを路肩に寄せて先に行くように促す。
すれ違った瞬間、運転席の若い警官は片手を上げて謝意を示すとそのまま国道へ合流し走り去っていった。
道路が空いたことを確認した男は再びアクセルを踏み込み指定の住所へと向かう。

「この辺りか…」

青い屋根を目印に立ち並ぶ家々を横目に微速で進む。
やがて、言われた通りの外見の一軒家を発見する。
路肩に駐車して降車し、表札に田村の名前があることを確認して玄関口のインターホンをならすと直ぐに足音がして玄関ドアが開けられた。

「業者の人だな！？待ってたんだ、すぐ上がってくれ！」
「分かりました、失礼します。」

出てきた若い男、田村に案内され男は一軒家の敷居を跨ぐ。
家の構造はごく普通の平屋。
玄関から居間に続く廊下を渡って生活空間へと入った。

「これは…」
「見ての通り、全部ぐっちゃぐちゃだ。」

通された居間の惨状は目に余るものだった。
この家の居間はベランダを通して外の庭と繋がっているが、そこを仕切るためのガラス戸は粉々に砕かれていた。
室内に散乱した大量のガラス片は、それが外から破壊されたことを示す何よりの証拠となっている。
よくみれば散乱したガラス片の中には掌サイズの小さな石が幾つも混ざっていた。
そして、ベランダからはたぬきのものであることを示す泥だらけの丸い足跡が点々と続いている。
足跡は室内をくまなく探し回るように至るところに付いており、最終的にはキッチンへと向かって消えていた。

「キッチンも滅茶苦茶だ。あのカスどもは目につく食い物は全部食うか持ち出すかしてやがる。」

居間のドアを開けてキッチンを覗くと、そこは嵐でも吹き荒れたのかというぐらいの惨状であった。
調理器具を収納するための引き出しは残すこと無く開けられ、中身は床に散らばっている。
冷蔵庫も開けられっぱなしであり、中身の食べ物は粗方無くなっていた。
残った作り置きの料理も齧られた跡を残しつつ冷蔵庫内にぶちまけられている。
男はそれらを確認すると再び居間へと戻った。

「最初はな…たぬきがやったなんて思いもしなかったんだ。普通に…普通じゃぁないが人間の泥棒がやったと思ったんだよ。」

居間に置かれた椅子に力無く座り、田村はポツポツとこれまでの経緯を語り始めた。
男は室内に残される他の痕跡を探しつつそれを聞く。

「それで警察を呼んだんだ。現場保護？確保？なんだかは知らないがとにかく場所を弄るなって言われてさ、待ってた。」

男はベランダから伸びる足跡を注視する。
何か違和感を感じていた。通常ではないことが起こっていると経験が語りかけてきている。

「で、警察が来てさ。最初は調べてくれてたんだ。でもたぬきの仕業って分かった途端、これだ。帰っちまった。」

その時のことを思い出したのであろうか。
田村の語り口は徐々に怒りが混じったものにヒートアップしてきていた。

「あいつら…！人間のやったことじゃないと捜査の対象外です、だと！」

ダン！と床を蹴りつけて怒りを放つ田村を見て、男はたぬきと法律と警察の関係についての現状を思った。
これが人間の泥棒による犯行ならば男の出る幕はそもそも無い。
警察機構の持つ捜査能力を動員して下手人を特定し、逮捕状をもとに捕えて各種賠償金を支払わせて経済面だけでも救済が行われる。
しかし下手人がたぬきとなると話は別である。
たぬきは法令上暫定的に動物であると定められている。
暫定的に、というのはその不定形な変異と生命倫理に中指を突き立てる生態から本当に生命と定義して良いのか、という点で紛糾しているからである。
現状として結論は出ず、今後の研究で変動する可能性は大だがとりあえずの処置として動物と定められているのである。
そうなると問題となってくるのが保険についての話である。
金、金、と連呼すると品性がないなどと言われるが金は大事なのである。

「害獣のやったこととなると泥棒と違って保険も下りませんからねぇ…」

しみじみとそう言う。
これまでのたぬ害の事例もその多くが保険適用範囲外なのだ。
これはたぬきに限らず害獣被害全般に該当するが、駆除の費用に対しての保険金は下りない。
大抵の住宅保険においてそれらは対象外と定められている。

「泣き寝入りなんて出来るか…あの害獣は必ず駆除してくれ。」
「ええ、それは勿論。」

暗い情念を募らせる田村に相槌を打ちながら男はベランダから外の庭を覗いた。
ごく狭いが洗濯物を干しておくには十分なスペースが確保されており、隅には物干し台が設置されている。
そして家側の外壁には蛇口もある。
その下側には水溜まりが出来ていた。
泥まみれの足跡はそこから室内へ続いている。
男はそれを目を細めてじっと見た。
ここ数日、雨は降っていない。たぬきの水飲みに利用され、そのまま足跡となったのだろうか。

「んん…？」

再び割れたガラス戸の近辺を調べた男は床に人差し指をつけて擦った。
指先には少量の砂粒が付着している。
見えにくいが、もう一つの足跡が存在しているのだ。
それは泥まみれの足跡とは別の方向へと向かっている。
床から視線を上げてもうひとつの足跡の行き先を辿れば、それはタンスへと続いていた。

「どうした？」
「いえ…足跡がもうひとつ…このタンスに続いていますね。」
「…なんだって？」

それを聞いた田村は椅子から降りると急ぎ足でタンスへと向かって一番下の段の引き出しを開けて手を突っ込んだ。
中を手で探り、そして青い顔をして顔をあげる。

「やばい…ヤバイ！」
「どうしましたか？なにか、盗られていましたか？」
「お、俺の指輪が…」
「指輪…？」
「婚約指輪だ…今度、彼女に渡そうと思ってた指輪…無くなってる…！」

それを聞いた男は首をかしげた。
たぬきは即物的な生き物である。
食べ物以外に興味を示すということはあまりない。唯一の執着対象である勲章以外には興味を示さないかあっさりと切り捨てることも多いのだ。
指輪を盗むといったことをするのだろうか。
しかし、勲章代わりに持っていったということもあり得る。
男は絶望してへたりこむ田村を揺り起こすと椅子に座らせ、屋外へと続いていく泥まみれの足跡の追跡を開始した。



＊



住宅地から少し離れた高架下、薄暗く、人通りもなく、頭上の道路を走る車もまばらなこの場所は後ろめたい身の上の者達が浅ましく卑しい取引をするために度々選ばれる、そのような場だ。
そして、その闇の中で二つの影が蠢いていた。
緑色の服を模した毛皮と茶色の体毛、そしてそれに覆われた尻尾は紛れもなくそれがたぬきであるということを物語っている。
だが、その胸元にはこの二匹がそこらの野良たぬきとは一線を画す存在であることを示すように五円玉で出来た勲章がそれぞれ三つ踊って動く度にチャラチャラと金属音を奏でている。

「今日もうまくいったし…」
「ご飯もお宝もたくさんだし…」

この二匹は同じ日に同じ場所で生まれた姉妹のたぬきであった。
妹たぬきはたぬ木の実から生まれた新生のたぬきであったが、姉の方は勲章もちのたぬきがリポップした知識と意識を引き継いだ優秀な個体であった。
死因は餓死。ちびたぬきを育てようとしていたが食料確保が十分に出来ず結局共倒れで親子共に飢えて死んでしまったのである。

「大丈夫だし…今度は…うまくやるし…！」
「ｷｭ…ｵﾈｲﾁｬﾝ…？」
「妹…たぬきが妹を食わせてやるし…」

姉たぬきは元々勲章を持つことが出来るほどの優秀な個体、その上一緒に生まれた妹たぬきも聞き分けの良い素直な性格だった。
『前回』の教訓を活かし、姉たぬきは食料、安全な住処、勲章の確保を最優先としてたぬ生を新たに始めたのである。

「森の中は二匹で暮らすにはあまりにも危険だし…もどきもいるしそうじゃなくても他の動物に食べられるし…」

姉たぬきはともかく安全の確保に腐心した。
弱く脆いたぬきは他の捕食者に出会えば命はない。
森の中は確かに食料や水は確保できるが、それ以上に危険があまりにも大きかった。
これが大規模なスラムなどであれば役割分担などで危険無く暮らすこともできるが生憎と二匹は互いを除いて天涯孤独、周囲には仲間のたぬきの姿もなく合流も望めないとなれば選択肢は限られていた。

「町…人間が住んでる場所ならもどきも近寄って来ないし…」
「だいしょうぶなんだし…？にんげんはこわいし…」
「安心するし…良さそうな場所はもう見つけたし…ほら、あの辺りは暗くて一日見てたけど人が全然来なかったし…」

二匹はこの高架下に存在する死角に段ボールで出来た家を構え、雨風や稀にある人通りの視線から隠れ暮らしていた。
姉たぬきはリポップ前の経験から人間の暮らす領域には野生動物は滅多なことでは入ってこず、またこのような暗い場所には人間もまずやってこないということを理解していたのである。
事実、この高架下に居を構えてから数ヶ月が経つが人間がって来たことは一度もなかった。
近くの歩道を歩いている人間はたまにいるが、わざわざ暗い高架下にまで入ってくるものはいない。

「でもこの辺りには食べ物が全然無いし…お腹すくし…」
「食べ物は…あそこにあるし…！」

食料問題は姉たぬきの前回の死因である。
飢える苦しみをどんなたぬきよりもよく知っていた姉たぬきは最早手段を選ぶことは一切無くなっていた。
目を付けたのは不用心にも窓を開けっ放しにしている民家。
食事の準備でもしていたのか窓からは美味しそうな食べ物の匂いがこれでもかと放出されていた。

「入って大丈夫なんだし…？」
「大丈夫だし…住んでいる人間が出てくのを見たし…今のうちに入って食べられるだけ食べて逃げるし…！」
「分かったし！行くし！」

一度の成功経験は自信と慣れを生み出し抵抗感をなくす。
はじめは未知の行動に尻込みしていた妹たぬきも今や暗闇を蠢き不用心な家を選定する観察眼に優れた立派な空き巣たぬきと成り果てていた。
彼女らは賢く、人が通る道路側からは見えないように段ボールハウスの奥に缶詰めなどの保存のきく食糧を積み上げ日々の備えとしている。
そしてその横には大小様々ながらくたが同じく山となっていた。
割れたCDの破片、洗濯ハサミ、ティッシュの空き箱など、人間にはゴミ以外の何物でもないがこの二匹にとっては危険を冒した冒険の末に手に入れた大切な宝物なのであった。
そして、そのごみ山の天辺にはまるでそれが最上のものであると主張するかのように、この場にはあまりにも不釣り合いな丁寧な作りの木製の箱が置いてあった。

「なんだか分かんないけどこれはきっと宝箱だし…！」
「結構重かったし…でもきっとお宝が眠ってるし！」

二匹がこの箱を盗み出したのは単なる偶然であった。
家へと侵入し、好きなだけ飲み食いをした二匹は次にこれから来る冬を越すための寝床を作り上げるため人間が家によくもっている暖かな布を求めてタンスを漁っていた時、手の届く一番下の引き出しを開けると目に飛び込んできたのがこれである。
二匹の直感はこれが貴重なものであると言っていた。
それを信じ、二匹で一緒に箱を持ち上げて住み処へと持ち帰ったのである。

「ささ、御開帳だし…」
「ワクワクし…！」

二匹は仲良く一緒に箱の蓋を開けた。
するとどうだろう、その中には一つの美しい指輪が納められていたのだ。
輝くプラチナのリングに小型なれど確かに美しくカットされたダイヤモンドのあしらわれた逸品である。

「たぬっ！？なんだしこれ…！？」
「綺麗だし…！」

これまでのたぬ生の中でも一度として見たことのない最上級の輝きに、二匹は一瞬で魅了された。

「ふぁ…美し…」
「ぴかぴかし…」

うっとりとした目で指輪を見つめる二匹。
たっぷり十分は鑑賞した二匹は徐にその指輪に手を掛けた。

「これは最高のお宝だし…姉妹の絆の証の勲章にするし…！」
「仲良く半分こし…！」

指輪のリングの両端をそれぞれ掴んで力を込めて引っ張り始めた。
二つに割って半分こにするつもりなのだ。
だがたぬきの腕力で金属製のリングを引きちぎるなど到底不可能である。人間であっても膂力に優れたものでもない限りは難しいだろう。
しかし頑張ればすこしは歪みが発生するかもしれない。
そして、そうなってしまえば指輪としてはおしまいなのである。

「ふんし！」
「えいやこらし！」

二匹はうんうん唸りながら指輪を引っ張った。
しかしリングはびくともしない。
そして、二匹は指輪に夢中になりすぎていたせいで死角から近づく男の影に気づく事ができなかったのである。

「か、固いし…」
「意地っ張りな勲章だし…！はやくたぬき達に…ダヌッ！？」

パン！パン！パン！

高架下に乾いた破裂音が三つ響いた。たぬきを発見した男がたぬき駆除のお供であるかんしゃく玉を投げつけたのである。
突然の破裂音に驚いた二匹は指輪を放り出してじたばたを始めてしまった。

「なんなんだしぃぃぃ！」
「耳が痛いしぃぃぃ！」

素早く駆け寄った男は放られた指輪を素早く回収した。
たぬきの駆除もそうだが指輪の奪還も急務なのである。
同時に素早く視線を巡らせたぬきの住み処を把握する。
段ボール製、数はこの二匹だけ、ちびの気配無し。両方ともに勲章持ち。

「何するし！それはたぬき達のだし！」
「返すし！返ギュベッ！？」

必要な情報を把握した男はたぬきが抗議の叫びを終えぬうちに一匹の下半身を携帯型の棍棒を振り下ろして殴打し、叩き潰した。
即死に至るダメージではない。勲章を奪うため、死なせず移動手段を封じる必要があるのだ。

「じぃぃぃ！」
「あっ！ああっ！やめるし！」

血を流して苦しむ妹たぬきを目の当たりにした姉たぬきは、恐怖に震える自身を叱咤して男の足に組みつこうと飛びかかった。
姉としての責務を命を賭けて果たす、その覚悟が彼女にはあったのである。

「逃げるし！ここはたぬきが食い止めるし！」

もちもちの両足を最大までぽてぽて動かし、尻尾をバネのようにして姉たぬきはジャンプした。
このまま男の足に組み付いて思いっきり噛みついて妹たぬきが逃げるための時間を稼ぐ。
そういう算段があったのだ。
しかし残念なことに男はたぬき狩りのプロフェッショナルであった。たぬきの行動にどのように対処すれば良いのか、全て熟知しているのである。

「ふんっ！」

男は姉たぬきが狙っていた右足を半歩後ろに引いて飛びかかりを回避した。
当然目測の外れたたぬきは地面に着地することになる。
その動きが止まった一瞬を見逃すこと無く、男は姉たぬきに足払いを仕掛けた。

「ダヌッ！？」

黒い毛皮で覆われたもちもちの両足が勢いよく払われ、姉たぬきの視界は90°転回して地面にデカイ頭が叩きつけられた。
痛みと脳への振動で一瞬意識が飛ぶが、直後に身体を掴まれそれによる締め付けの痛みと持ち上げられた浮遊感で再びその意識は覚醒した。

「しぃぃぃ！人間…！たぬき達が何したし…！妹にも酷いことしたし…！絶対に許さないし！ダヌゥゥゥ！」

胴体をがっしり掴まれ身動きがとれない状態にされたにも関わらず、姉たぬきは怯むこと無く啖呵を切ってダヌー威嚇で抵抗の意思を顕にした。
男は小さな歯を剥き出して威嚇をするたぬきを冷たい目で見ると必要な行程を開始した。
緑色の服を模した毛皮に誇らしげに付けられた五円玉の勲章、これを一つ一つむしり取っていく。

「…たぬ！？何するし！」

勲章を摘ままれた姉たぬきは最初はその意図が分からず抵抗をすることができなかった。
捕まった以上は間違いなく死ぬと思っていたが、そこは幾度かのリポップを経て知識を得た個体である。
次のたぬ生に望みを託し、今のたぬ生は傷を負った妹たぬきが生き残るための捨て石にするつもりでいたのだ。
だが、勲章を奪われるということはそれを封じられるということでもある。
姉たぬきはそれを理解した瞬間に頭のなかが真っ白になった。

「し…？あ…ダメだし…！」

ようやく自分が何をされているのか理解した姉たぬきは勲章を引き剥がしている男の指をなんとか止めようとしたが、その短い手では虚空を掻くことしか出来ない。
もちもちぷるぷると柔らかい手を振り回してもそれが意味をなすことはないのだ。
無駄な抵抗を繰り返す間にも、二つの五円玉勲章は剥ぎ取られ最後のひとつに手が懸けられていた。

「あぁぁぁぁ！？やだし！やだしぃぃぃぃぃ！」

最後の勲章が千切り取られるに至り、姉たぬきの精神はいとも容易く決壊した。
妹を守るため自ら犠牲になるという高潔な選択。
しかしそれは勲章を持っているがゆえにリポップ出来るという打算が裏打ちされたものだ。
リポップした経験のある姉たぬきにとって、死は少しの間の痛みと引き換えに復活できるというものであった。
その前提を覆された姉たぬきの心には無冠であった頃にずっと抱いていた、そしていまこの瞬間まで消えること無くずっと潜み続けていた死への恐怖が鎌首をもたげていたのである。

「やだし！たぬき死にたくないし！勲章返してし！それはたぬきのだし！ダヌゥゥゥ！」

精一杯暴れてダヌー威嚇をしても男が手を緩めることはない。
遂に姉たぬきは恥じも外聞もなく泣き叫び始めた。

「やだしぃぃぃぃぃ！助っ、助けてしぃぃ！お姉ちゃん！お姉ちゃんだし！たぬきを助けるしぃぃぃ！」

自身を犠牲にしてまで生かそうとした傷付いた妹たぬきに助けを求める。
本末転倒な生への執着を見せるも報われることは決してない。
男はたぬきの胴体を掴む力をさらに強めた。
メキメキとたぬきの脆い骨が軋み、折れ砕け始める。

「げぶっ…」

けたたましく喚き続けていた姉たぬきは、しかし圧力で肺を圧迫されたのか空気が一気に抜けるような音を喉から湧き出させるとそのままぐったりとして動かなくなった。
男はそのままぐったりとした姉たぬきの首筋に腰から抜いたナイフを突き込んで文字通り息の根を止めると、物言わぬ死骸となった姉たぬきを回収用のビニール袋に放り込んだ。
既に男の視線は姉たぬきが助けを求めていた方向、高架下の柱の根元に向けられている。
逃げた妹たぬきが流した血が、ベッタリと一本の赤い線になってその行方を教えてくれていた。

「ひぃ…！し…！」

身体の下半分を潰されていた妹たぬきは、姉たぬきが勇敢に人間に立ち向かい、そして死んでしまった場面を尻目に残った手を必死に動かして地面を這いずり、姉たぬきと一緒に掘った緊急時の避難用の穴へと逃げ込んでいた。
必死に這いずるその背後で、姉たぬきの最期の助けを求める叫びも当然耳に入っていたが、どれだけ助けに行きたくても潰れた下半身は言うことを聞いてくれない。
だから妹たぬきは姉たぬきの最期の勇気を無駄にしないためにも恐怖に震える身体を叱咤して出血の痛みをこらえ、蛹になることに全神経を集中していた。

(お姉ちゃん…ごめんし…たぬきはお姉ちゃんのこと絶対に忘れないし…！ちびができたら…お姉ちゃんがどれだけ勇敢なたぬきだったか絶対に語り継ぐし…！だから…さよならだし…！)

身体を丸め、ふさふさの尻尾をもちもちの手足で抱いて強く硬い姿を念じ続ける事が蛹化の条件である。
無冠のたぬきがやると清潔な環境が整っていないかぎり、羽化することができず腐って黒ずみ汚ならしい死骸となるだけの大変に分の悪い賭けであるが、どういうわけか勲章を持つたぬきの蛹化は環境を問わず100%成功する。

(起きたら…お姉ちゃんの…お墓…し…)

パキパキと硬質な音が妹たぬきの耳に響く。
朧気になってきた視界に映る自身の身体は、まるで干からびたかのような硬さを持つ甲殻へと変質しつつあった。
蛹化は成功したのだ。
微睡みに落ちるように妹たぬきは最後の思考をし、そしてそのまま硬い殻を地面に接して眠るように動かなくなった。

「蛹化か。」

妹たぬきが蛹となった直後、男の手が穴へと差し込まれ転がっていた妹たぬきの蛹を潰してしまわないよう慎重に取り出した。
蛹の胸部分には妹たぬきが保持していた勲章が三つ誇らしげに輝いている。
蛹化して完全な防御回復態勢に入ったたぬきの処理には細心の注意を払う必要がある。
手をこまねいて放置すれば回復を許してしまい、かといってハンマーなどで叩き潰す等の強行手段をとればそのままリポップしてしまう。
盗みを覚え、また勲章の有効な活用法方も知っている個体だ。
既に幾度かのリポップと蛹化による重症からの回復を果たした経験があることは想像に難くない。
この好機になんとしても駆除しなければならないのだ。

「決して、絶対に、逃がしはしない。」

ゴトゴトと揺れる蛹を前に、男は腰のポーチから金属製の箱を取り出して蓋を開けた。
内部に納められているのは注射器と薬剤が充填されたアンプルのセットである。
アンプルは二種類、それぞれのラベルには『タヌベイトα』『タヌベイトβ』の文字が印刷されている。
男はβの方のアンプルと注射器を取り出すと、針を覆っていたプラスチック製のカバーを外してアンプルを開封した。
充填された薬液に針を浸して押し子を引く。
瞬く間にシリンジの内部には規定量のタヌベイトβが満ちる。
針先を上に向け、指で軽く本体を弾いて内部に混入した空気を集め、空撃ちして完全に空気を排除した男はそれを蛹化したたぬきに容赦なく差し込みシリンジのメモリ二つ分まで注入した。

「…！…！」

注射の痛みか或いは蛹の内部でどろどろに再構成されている肉体に変化が起きたのか、たぬきの蛹はごとごとと不規則に揺れた。
それを無感動に眺める男はひたすらに羽化の時を待つ。

この二種類のタヌベイトは元々勲章付きのたぬきを安全かつ確実に駆除する目的のもと開発されたものである。
開発のきっかけは、ある一匹の勲章持ちたぬきが生け捕りにされ勲章を奪われそうになった際それを飲み込んだことによる。
担当業者は開腹によって勲章を奪おうとしたが、腹にナイフを入れた時点でたぬきは絶命しリポップした。
以降、同個体が勲章もちの個体に勲章飲み込みが有効な手段であるという情報を伝播させ完全駆除がさらに困難になったのである。
勲章飲み込みに対抗するための対策は急務であり、その中でも最も有効とされるのがこのタヌベイトセットなのである。
使い方は、勲章を飲み込んだたぬきにはまず『タヌベイトα』を注入する。
このαには白蟻駆除などに使われるベイト剤と同様の効果がありたぬきの意思に関わらず強制的な蛹化を発生させる。
この時点ではたぬきの身体には何らの害もない。
蛹化が完了し、内部の肉体が溶けてしまうと次に注入するのは『タヌベイトβ』である。今回はたぬきが自ら蛹化したので処理はここから始まる。
これは蛹内部の肉体の形成を促進する作用がある。通常、蛹から完全回復したたぬきが羽化するまでの所要時間は一日ほどであるがβを注入するとそれが加速され僅か十分で羽化の時を迎えるのだ。
無論それは正常な羽化ではない。
通常一日の時間を要するのは蛹化前の身体の情報を読み取ってその通りに形成し直すためにそれだけ慎重に行われるべき工程であるからなのだ。
それを薬剤によって拙速に進めれば不完全な状態で身体が再形成される。
最も形成の早い心臓と脳は確保されるので最低限の生命活動は保証されているが、それ以外については雑なものなのである。
羽化を待つ間に男は依頼人である田村氏に電話をかけた。
下手人であるたぬきから大切な婚約指輪を取り返したという報告である。

「…はい、モトダです。ええ、取り返しました。これからたぬきを始末してそちらに戻ります。」
「良かった…！本当によかった…！ありがとう、あんたは俺の恩人だ…！」

電話越しの田村は歓声の声を上げて喜んでいた。ドタドタと跳び跳ねる音が聞こえてくるため小躍りしているのかもしれない。
男は頷いて電話を切ると足元で無様に転がる醜い蛹の状態を確認した。
そろそろ強制的な再形成も終わり羽化を迎える頃合いである。
蛹の背の部分がもぞもぞと有機的に蠢いて見えた。
パリパリと油紙が擦り会わされるような乾いた音を立て、背の部分に縦一文字の亀裂が入った。
めりめりと亀裂を押し広げて蛹の内のたぬきの肉体が外気へと露出する。
通常の羽化であればたぬきの意識は眠りから覚めたばかりの時のように朧気なものだ。
身体は完全に回復し、心身ともにリフレッシュされた心地の良い目覚めを迎えるのが本来の蛹化の用途である。
しかし今回は違った。

「たぁう…」

蛹からはまず最初に頭が出てきた。
その髪はポニーテールのような髪型に変更されている。
だがよくみるとそれは髪の毛を束ねてポニーテールにしているのではなく、本来は臀部にあるべきふさふさの毛に覆われた尻尾がスライドするように後頭部に接続されているだけのようだった。
顔については目、鼻、口それぞれが本来の配置からずれている。
それはまるで正月の福笑いのような本来あるべき位置から大きく外れはしないが、決して整ってもいないという塩梅だ。
しょんぼりと半開きの目は位置以外は以前と大差ないが、そのへの字口はだらしなく大きく開かれており口の端からは早速唾液が垂れて地面との間に透明な架け橋を作った。
ずるりとその身体をモゾモゾと動かして用済みとなった蛹から抜け出す。
その身体には茶色の溶液がベッタリと纏わりついていた。
その正体は蛹内部で再形成途中であった溶けたたぬきの身体そのものである。
溶液全てが固まる前に羽化してしまったのだ。
それゆえに身体の形成が十分に行われていない。
這い出した身体を見れば、福笑いのような歪んだ顔の頭はまだ優先して形成されていたことが分かる。
胴体から下、手足に至ってはたぬき特有のもちもちを失い萎びたような状態となって力無く揺れている。骨も神経も通る前だったのだろう。
奇形。まさにその表現が相応しい。
しかしそれでも優秀なたぬきの証明である三つの勲章はその胸元で誇らしげに、だが虚しく輝いていた。

「たう…？たぅぅぅ！？」

蛹から出て『新生』を果たしたはずのたぬきはまず手足がろくに動かせないことに疑問を感じ、ぎこちない動きで自身の身体を見回し、そしてその惨状を認識すると現実を受け止めきれていないのか半狂乱の叫び声をあげた。
そしてその叫び声すらも声帯が正しく形成されていなかったのか人の言葉でも獣の叫び声でもない奇妙に歪んだ物となっている。

「たうっ！たぅぅぅ！」

手足は動かないと認識したのかたぬきは芋虫のように這いずって必死に男から離れようとした。
首も満足に持ち上げられないのか身体をくねらせる度にもちもちの顔の下顎が地面に擦り付けられ擦りむいて出血をする。
男は後頭部についた尻尾を掴んでたぬきを宙吊りにした。

「たぅぅ！だぬぅぅぅ！」

後頭部の痛みと吊り上げられた浮遊感でたぬきは怒り、唸り声を上げるが男が反対側の手にナイフを持っているのを見ると血相を変えて全身全霊を懸けて身を捩らせ始めた。

「だぅぅぅ！だぬぅぅ！」

だがどれだけ暴れようとも人間とたぬきの間には絶望的な力の差がある。
必死の思いで手に入れた勲章は、しかしあっさりとナイフで切り取られてしまった。
もう用はないとばかりに男は尻尾を握っていた手を離した。

「だぬっ！？」

重力に従い地面に落下したたぬきはワンバウンドして転がった。
痛みと衝撃と勲章を奪われた絶望がたぬきの脳内を蝕む。
言葉を失い、身体の自由を失い、そしてその思考はもやがかかったかのように曖昧だった。

(たぬ…たぬき…なにか…わすれてるし…？おもいだせないし…からだがいたいし…しにたくな)

それが妹たぬきの最後の思考となった。

「…よし、終わりだ。」

地面に赤い染みを作ってミンチとなったたぬきの死骸をビニール袋で回収した男はその足で田村宅へと戻った。
たぬきの始末など今回の件では単なるマストに過ぎない。
愛する人との証を奪われた田村氏の心労は察するに余りある。
一刻も早く指輪を返してやりたかったのである。

「間違いない、これは俺が用意した指輪だ…よかった…」
「取り返せて良かったです。」

帰還した男から指輪を受け取った田村はほとんど泣き崩れるように指輪を抱いて崩れ落ちた。
安堵のあまり力が抜けてしまったのだろう。
手を貸して助け起こしてやり、男は最後にアフターサービスとして荒らされた部屋の片付けを手伝うことにした。

「何から何まで…ありがとう…」
「いいんですよ、このくらいは。たぬき関係の被害は保険金が降りませんからね…」

いきなりどこからともなく現れた生き物だ。
法律の対象もなにもあったものではない。
これからまだしばらくの間はこうした泣き寝入りせざるおえない事態も度々発生するだろう。
そうした被害がいつか無くなる、無くすため男は決意を新たに塵取りでガラス片を掃き集めていった。