
自由を目指して

生まれた時から檻の中にいた。目を開くと広がるのは真っ白な天井と、嬉しそうな同類の顔。
「おお、目が覚めたし…これで四人目だし…」
「飼育員さん！新しいのだし！」
何が何やら、目をしばしばさせていると大きな手が頭上からぬっと現れて持ち上げられる。恐怖にソレは初めて手足をジタバタさせるが、それを目にした同類達が喜ばしげに声を上げた。
「今の見たし…？」
「もうジタバタしたし…元気な子だし！」
また一匹、たぬきが生まれた。

新入り、それがそのたぬきの名前だった。まだやってきて日が浅かったからだけでなく、仲間達が守るべき者としての意味合いを持っている特別な名前だ。
新入りたぬきが生まれたのは動物園と言う、大きな手の持ち主である人間達が通う娯楽施設。たぬき達はそこで飼育、つまり養われているいわば居候だ。
「私達はこれと言って仕事はないし…単にここでのんびりする。たまにダンスを踊って人間と話す、それだけで良いし…」
それだけで良いのか？と新入りたぬきは疑ったが、先輩達の言葉は本当だった。
朝になるとまず寝ていたベッドから出て、廊下を進んで外へと向かう。そこは檻に囲まれた「たぬきのステージ」で、多くのお客さんがたぬき達の登場を待ち構えていた。
「うーし…新入り準備いいかし…？」
「おっけーだし…」
ダンスを始める。なんとか練習を終え、ぶっつけ本番で踊るわけだから緊張はこれまでにないまでに高まる。
仲間達の顔に泥を塗らない為、必死に踊る新入りたぬき。だがその動きは他のたぬきよりズレていて、はっきり言うならば下手だった。自分がうまく踊れていないのは本人も気付いていて、恥ずかしくて顔が赤くなる。
「頑張れー！ちっちゃいたぬきー！」
「へたっぴー！でも可愛いぞー！」
ところが人間達は下手なダンスを咎める事はなく、むしろ新入りたぬきを応援した。失敗しているのに歓声を受けるなど想像しておらず、新入りたぬきは真っ赤な顔で最後まで踊り抜く。
ダンスが終わると自由時間。先輩たぬき達は檻の外から向けられる人間の視線など気にも止めず、檻の中に置かれていた雑誌やクッションに体を預けてのんびりし始めた。
「新入り〜、良いダンスだったし。次回も頼むし…」
「でも下手だったし…」
「心配いらないし、新入りのダンスは上手くてもそうでなくても可愛いから許されるし。私達大人がミスると、大体ブーイングだし」
人間に聞こえないようにコソコソと先輩たぬきはそう言った。思えば人語を解するたぬきは人間の前で下手な事は口走れない、もしやこの檻の中にいる間、たぬきのプライベートは保証されないのではないだろうか？新入りたぬきはゾッとした。
「人間さーん、どうもありがとうだし〜」
「たぬちゃん可愛い〜！」
他の先輩たぬきは皆個性を活かして人間に媚を売る。その仕草が下品で、新入りたぬきは拭いきれない違和感と疎外感にしょんぼりして頭を抱えた。
「見てあのおちびちゃん！丸くなっちゃってる！」
「良いなあ、可愛いなあ」
新入りたぬきの苦悩でさえも、人間達には愛おしく見えたようだ。

「毎日こんな感じなのかし…？」
動物園が閉園したその夜、新入りたぬきは飼育員が用意したお風呂に入りながら先輩たぬきに尋ねる。
「そうだし…ここなら安全だし…」
「外は危険でいっぱいだと飼育員さんは言ってたし…私達は幸運なんだし…」
「良い湯だし、極楽だし…」
新入りたぬきはそうは思わなかった。何から何まで人間の世話になり、人間の見せ物として一日を終える。それはとても歪なものである様に感じられた。下手くそなダンスまで拍手され、生暖かい愛護の目を向けられ続けるなど到底耐えられる自信はないのだ。

「うーしっ、うーしっ」
「前より上手くなってない？」
「練習してるのかな、こんな風にお尻振って！」
「やだー！可愛いー！」
一週間過ごすうちに、新入りたぬきの中で動物園での暮らしがどんどん窮屈なものになっていく。
お客さんの為に踊り、お客さんの為に用意されたセリフを言い続ける。たまにアドリブを効かせて、たぬき同士でコントじみた事をする。
うんざりだった。人間が見たいのは絵に描いたような動物で、その動物がどういった考えで生きているのかなど興味の対象ではないらしい。

新入りはうっすらと気付いていたが、たぬきは他の動物とは全く違う点があった。それは人と同じ言葉を用いる事だ。
他の動物は独自の言葉を発し、それでいて各々のやりたい様に生きている。だがたぬきは少々異なっていて、なまじ人の言葉を発する為に動物でも一つ上の部分に属していた。動物でありながら中途半端な賢さを要求され、中途半端な賢さを要求されながら動物としての愛らしさも求められる、歪な関係図がそこにあった。
たまに別の檻にいる動物を見るが、彼らは窮屈ではあるがさほど居心地は悪くなさそうだ。それもそうである。愛嬌を振りまく必要も、仕組まれた言葉をベラベラ並べ立てる必要もないのだから。
「おーい！たぬき！これ見てよ！」
と、少年が何か小さなものを抱きかかえながら檻の前にやってくる。新入りたぬきはギョッとした。
たぬきだった。同じたぬきが人間の両手で抱きしめられていた。どうやらあのたぬきも、人間に飼育されているらしい。
「ほらたぬき、お前と同じ奴だよ」
少年に促され、飼いたぬきが檻を見つめ、新入りたぬきと目線が合う。
「あ…」
なんといえば良いのか分からず、新入りたぬきはじっと同胞と見合う。すると飼いたぬきは鼻をスンスンと鳴らしながらそっぽを向いた。
「こんなの見たくないし…かわいそうだし…」
かわい、そう？今あのたぬきは何と言ったのか？
「どうしたんだよたぬき。かわいそうってどう言う意味だよ」
「すぐにご主人もわかるし…あいつら、かわいそうだし…」
少年は首を傾げながら檻から離れていく。その後ろ姿をじっと見つめながら、新入りたぬきの両手は虚しく空を掻く。
「ダンス2倍速だし〜！」
「いつもより多めにジタバタしちゃうし〜！」
背後では、先輩たぬき達が人間の笑いを取ろうとみっともない芸を見せびらかしていた。

「いやー今日も疲れたし！新入り、最近ダンス上手くなってきたし！この調子で行けば、踊りが下手っぴなちびが特訓して立派なちびに！って宣伝が出来るし！」
「……」
その夜、新入りたぬきがベッドに寝転がっていると先輩たぬき達はししし…！と嬉しそうに笑いかけてくる。相槌もなく、しょんぼりした唸りだけが部屋に響いた。
「どうかしたし？」
「先輩達は、外の世界を見た事はあるし？」
「んー、無いし。外は危ないから知らなくて良い、そう言われたし」
「たぬきを食べる怪物だとか、たぬきを虐めて喜ぶ人間達がいるとか聞くし…」
「自分の目で、それを見たのかし？」
「それは…」
「ないし…」
「しい…」
新入りたぬきは疑問だった。自分は人間に毎日洗ってもらえて体はピカピカ、尻尾もふさふさだ。あの飼いたぬきよりずっと綺麗で愛らしい。
だのに、どうしてかわいそうなどと言われたのか。
新入りたぬきは天井を睨みつけたま、ぽつりとこう呟いた。
「…こんなところ、オサラバしてやるし」

逃げ出すのはそう難しくなかった。檻に入るまでに拾った小さな石ころを使って、新入りたぬきは檻の鉄格子を削り始めた。
「ｷｭｰﾝ…ｷｭｰﾝ!」
人間は簡単に騙される。わざと檻に体を寄せて、「外に出たいよ〜」なんて甘い声をあげれば新入りたぬきがやろうとしている事には気付きもしない。体当たりじみたことをしながら少しずつ手に持つ石ころで檻を削る。
更に人がいない時もそれを繰り返した。熱心なサービスだなあ、と先輩たぬき達が感心している間も繰り返した。
そして、ある夜。たぬき一匹が通れそうな隙間が鉄格子に生まれた。新入りたぬきはこの機を逃すものか、と檻を後にする時を見計らい夜の闇に紛れて檻から外の世界に飛び出した。

「やったし！やったし！」
新入りたぬきは歓喜の声を上げながら夜の路上をひた走る。狭い檻から逃げ出し、外の世界へと飛び出した興奮に体が自然と跳ねてしまう。
かわいそう、そう言われてから新入りたぬきの中で少しずつ今の自分への恐怖が生じた。

『自分はこのまま、死ぬまでこの狭い檻の中で生きなければならないのか？』
『死ぬまで見世物として、自分の気持ちを我慢して人間に媚を売らなければならないのか？』

そんな真っ暗な明日への不安が新入りたぬきを突き動かし、ついに動物園からの脱走を成し遂げたわけである。
外の世界は予想よりもずっと広かった。たぬきは走り続ける息を切らし、疲れ果てながらトボトボと夜の街を歩く。
「でも…これからどうするかし…」
特に何をしようと言う考えはなかった。とにかく外に出たい一心でここまでやってきたのだから仕方がない。
と、目の前の暗がりを小さな何かがが横切った。新入りたぬきよりもずっと小さい、生まれたばかりのちびたぬきだ。
「ｷｭ?」
ちびは新入りたぬきを一瞥したが、そのまま大きな建物と建物の間にある暗く細い道へと潜り込んでいく。
もしかして檻など関係なく、自由に生きるたぬき達がこの先にいるのだろうか？新入りたぬきはワクワクしながらちびを追いかける。
動物とは、獣とは広々とした世界に生きるものだ。檻ではなく、自立した生活を送る。それが動物の誇りのはずだ。
どれほど辛いたぬ生が待っていても構わない、あるがままのたぬきでいたいのだ…！

「なんだし…ちび、なんだしその後ろのやつ」
筆舌に尽くし難い衝撃が新入りたぬきを襲った。薄暗がりの中を進みたどり着いたのは、たぬき達の家だったが、月明かりに照らされた同胞達の姿は薄汚れた獣と言うのがふさわしかった。
これがたぬき？これがたぬきの野生？
「ｷｭｰ?」
暗くてよく見えなかったちびも、頭から爪先まで黒く汚れていた。動物園でも嗅いだ事のない異臭に新入りたぬきは思わず口元を覆う。
「あ、あの、その…」
「良い服着てるし…何処から来たし？」
じろりとたぬき達は睨みつけてくる。いつの間にか新入りたぬきは怖いたぬき達に囲まれていた。
「その、動物園から来ましたし…」
「動物園…あーあー知ってるし…。何の用だし？」
「実は、そこから逃げてきたんだし！あそこやだし、外で暮らしたくて、だから…」
「ふうーん、し…別にここで暮らすのは構わないし。けど、スラムの掟には従ってもらうし」
「掟？」
「その服よこせし！！」
ばちいん、と新入りたぬきは思い切り顔を叩かれた。何が起きたのか理解できずに地面に倒れ込んでしまい、よろよろと体を起こすと、怖いたぬきの手には大きな石が握られていた。
「え…？」
額に触れると、真っ赤な血がどろりと流れてくる。殴られた、そう理解してすぐに新入りたぬきはその場から逃げ出そうとする。
「逃がすわけないし！」
「スラムのたぬきはあ！裸でいるのがルールだしぃ！」
「ｷｭｰ!ｷｭｰ!ｷﾞｭｷﾞｭｷﾞｭｷﾞｭ!」
ゾッとする声色でスラムたぬき達は滅茶苦茶に新入りたぬきを殴った。抵抗する力を奪ってから、ピカピカな勝負服が奪い取られてしまう。
大嫌いな動物園で与えられた服なのに、おかしな喪失感があった。服を着るのがたぬきだと、そう思っていた新入りたぬきは丸裸で呆然とスラムたぬき達を見つめる。
「これをちび達のおくるみにするし…あったかそうだしぃ」
「ししし…！」
「か、返してほしいし！それがないと裸になっちゃうし…」
「それがスラムのルールだし…それともなんだし、お前は動物園から逃げてきたのに人間からもらったこの服が恋しいのかし？」
「うう…」
うまく言い返せず悶々とする新入りたぬきの目の前でスラムたぬき達は勝負服を地面に敷き、小さな石のナイフで切り分け始めた。
「これがちび達の分で、あとこれでダンボールハウスの屋根にして…ししし…！」
「おい新入り！お前のおかげでスラムは安泰だし！」
「お前をスラムの一員に加えてやるし、感謝するし！」
服を奪われるという予想だにしない事態が起きたが、スラムたぬき達は新入りたぬきを受け入れてくれた。
（そうだし…野生の動物は服なんて着ないし。あるべき姿に戻るのならこのたぬき達の指摘はもっともだし…）
自分にそう言い聞かせて、新入りたぬきはスラムの新入りたぬきとなった。

「ほら新入り！食料調達に行くし！」
「はいし！」
新入りたぬきの最初の仕事はスラムの為に食料を探す事。教育係としてまた先輩たぬきがあてがわれる。
薄暗いスラムを歩きながら新入りたぬきは周囲を見回し観察する。初めてみる外の世界なのに、檻と同じくらい窮屈だ。
「先輩、これから何処に行くし？狩りかし？」
「何処にも行かないし…この路地裏で食べ物を見つけるんだし…おっ、人間の残した食いもんがあるし」
先輩たぬきがションボリとした顔を少し輝かせて走り出した先にあったのはハンバーガーの包み紙。新入りたぬきがぼんやりしていると、先輩たぬきは包み紙の内側を探りヨレヨレのレタスを取り出した。
「よーし…かなりの大物だし！」
「な、何してるし…食料って、これじゃ残飯だし…」
意味がわからなかった。スラムに幾つか武器が備えられているのを見た。それで他の生き物を狩って食べればいいのに、どうして先輩たぬきはこんな事をしているのだろう。
すると、先輩たぬきは渋面を浮かべた。
「たぬきは弱いし…路地裏から出たらすぐに人間に殺されるし…でも人間の残す食べ物は栄養もあるからスラムを維持するのに大切なんだし…」
「そんな…」
野生動物は狩りをして食料を手に入れる。人間に近いたぬきならば道具を使って自分より強い生き物を集団で仕留める、そのはずだ。
新入りたぬきの中で膨らんでいた野生への憧れに小さな穴が空き始めた。
先輩に反抗する意味などなく、渋々食料を求めて新入りたぬきは路地裏を放浪する。
「ん…？」
水浸しになりふやけた一枚の紙が手に入る。
『●●動物園　たぬきshow』
自分が踊っている姿の写真が貼り付けられているそれを見て、新入りたぬきの腹の中で嫌な気持ちが渦巻き始める。
（そうだし…大変な生活だけどあの檻の中でずっと暮らすよりここで生きる方がずっとマシだし…）
いつか立派な野良たぬきになって、自由でワイルドなたぬきになって、動物園に顔を出す。そして先輩たぬき達に成長した自分を見せてやるのだ。
「先輩！お手伝いするし！」

「今日は新入りの歓迎パーティーだし…新たな仲間だし…」
新入りたぬきを迎え入れ、焚き火を囲んでパーティーが開かれる。スラムたぬき達は二十匹ほど、もちろん全員汚いがお祝いムードで顔のションボリは幾分かほぐれている。
「お祝いだから我慢していた飴玉を支給してやるし…一個ずつ支給するから大切に舐めるし。あ、ちびは飲み込んで喉を詰まらせないように親は注意するし」
新入りたぬきにも飴玉が振舞われる。掌で転がる飴は、動物園にいた時は声をかけるだけで幾らでも食べられた飴よりもずっと小さい。
「……」
パーティーと言っていたが出されたのは残飯ばかりで、吐き戻さないように精一杯努力した。新入りたぬきの胃はすっかり動物園での食事に慣れてしまったのだ。
更に新入りたぬきは今の自分に矛盾を感じていた。人間の庇護から離れ自立しようとしたはずなのに、今は人間の食べ残しを漁っている。まるで寄生虫だ。
（何か、何かおかしいし…これが本当に野良たぬきなのかし？）
違う。野生動物は、たぬきはこんな生き方ではないはずなのだ。
モヤモヤが止まらず悶々としていた新入りたぬきは、パーティーの喧騒の中におかしな息遣いを耳にする。
「ｷﾞｭｰ…ｷﾞｭｰ」
「なんだし、これ」
隣にいる先輩たぬきに尋ねる。首を傾げながら二匹で耳を傾けると、みるみる内に先輩たぬきの顔が青ざめていく。
「も、も、も、もどきだしい！みんなもどきが来たしい！」
『しいいいいいいい！！！！』
もどき、その名前の意味を知らない新入りたぬきを他所にあれほど楽しそうだったスラムたぬき達は一斉に立ち上がり、右往左往し始める。
その時新入りたぬきは見た。のっそりのっそりとスラムにけむくじゃらの生き物が足を踏み入れるのを。顔はたぬきに似ているが、それ以外は薄汚い四足歩行のそれが「もどき」らしい。
「ｷﾞｭｰ…ｷﾞｭｰ」
「うわああああ！助けてええｷﾞｭｱｱｱｱ！」
もどきは舌なめずりしながらスラムを見渡し、逃げ惑う一匹のたぬきに狙いを定めると一気に飛びかかり大きな口を広げて食いつく。血が吹き出し、スラムの壁を赤く染める。
「ｷｭｰ♡ｷｭｰ♡」
「ｸﾞｯ､ｷﾞｭｱ､ｷﾞｭｳ…」
新入りたぬきは眼前の光景にただ震える事しか出来ない。もどきが次々にたぬきを食い散らかしていく光景を処理しきれないのだ。
「何してるし！早く来るし！」
先輩たぬきに腕を引っ張られ、スラムを連れ出される。新入りたぬきが最後に見たのは、焚き火に照らされながらちびをバラバラにするもどきの姿だった。
「あれは、なんだし…」
「わからないし…もどきはもどきだし…たぬきを食べるのが好きで、ひたすら食べ続けるし…」
新入りたぬきの脳裏によぎったのは動物園で聞かされた「外にはたぬきを食べる化け物がいる」という噂。
（本当だったし…嘘じゃなかったし…）

路地裏のスラムから逃げ出したたぬきは新入り含めて全部で八匹。その中にはちびが三匹もいた。とにかくもどきから逃げて何処か別のスラムから落ち着ける場所を探そう、と考えて移動を試みる。
「車が来たし！みんな端っこに来るし！」
急いで車道を横切ろうとしたところで、誰かがそう叫んだ。一斉にたぬき達は道の端に駆け込んだが、ちびが一匹誰にも助けてもらえずコロンと地面に転がった。
「ｷｭｰ?」
「あ！？なんで誰もアイツを助けてやらないんだし！」
「ちび！逃げるしー！」
幼いちびに叫びが届くはずもなく、まんまるとした体は間も無くやってきた車のタイヤに轢き潰された。残ったのはくちゃくちゃになった肉塊、けれどそれはまだ生きているようで、
「ｷｭ､ｷｭ…ﾏ､ﾏ｡ﾏ､ﾏ…」
か細い悲鳴をあげていた。命は助からない、それでも弔いだけはしてやりたいとたぬき達は助けに向かおうとするが、すぐに別の車がやってきてまたちびを轢き潰してしまう。後には何も残らなかった。
何度も見た事がある車が今や恐ろしい怪物へと変貌した。足が震えて仕方ないが、新入りたぬきは震えながら先輩達についていく。
人間は道を歩くたぬきなど気にも留めない。轢いてしまっても気付かないだろう。それ故にたぬき達の行軍はとにかく細心の注意を払う必要があった。
「端っこを歩くし…気をつけないとぺちゃんこだし…」
「私達何処に向かっているんだし…？」
それは誰にも分からなかった。安全な何処かを探そうとは思い付いたが、具体案は誰にも出せないのだ。
「私に考えがあるし…」
そこで先輩たぬきが声をあげる。
「この街の真ん中に公園があるし。あそこにもスラムがあると聞いてはいたけど、あまりにも遠いから誰も行きたがらなかったし…でも今はやるしかないし。みんなで行こうし…」
「ちびの為にも頑張ろうし…」
「うーし…」
新入りたぬきはといえば心躍らせていた。公園と言えば緑に溢れ、虫や木の実が沢山あるまさに自然の宝庫だ。そこで暮らしていける、まさに野良たぬきの在り方である。
「私、頑張るし！」

こうしてたぬき達は公園を目指してトボトボと進み始めた。
距離的にはスラムから公園まで一キロもない。それでもそこに辿り着くまでにはたぬき達の足では非常に長い時間が必要とされる。
たぬき達は可能な限り人がいない時間を見計らって進む。路地裏はいつもどきと遭遇するか分からない、慎重に道の端をこっそり進む。
時折目の前を人間の足がドシンドシンと横切っていきたぬき達を驚かせ、そして恐怖させる。新入りたぬきはいつも自分に笑いかけてくれる人間達が、今や自分を意にも介さない不気味な存在に見えた。
「まま、あれなんだし…」
「たぬきがいるし…」
夜の街を歩いていると二匹のちびが頭上を見上げる。たぬき達がそれに続くと、透明なガラスケースに何匹ものたぬきが入れられている。
「あ…」
新入りたぬきはケースより更に上に貼り付けられている看板の文字を読み、声を上げてしまう。
『ペットショップ』
「……」
つまりここは、たぬき達が人間に飼われていく店だ。新入りたぬきはそれなりに人間や人間の文化に接する機会があるためにそれだけは察せられた。
「新入り、どうしたし？」
「ここが何か知ってるのかし？」
「あのたぬき達はどうなるし…？」
眉をひそめながら問われる。どうやら街に住んでいたのに先輩たぬき達はペットショップを知らないようだ。
真実を言えばきっとたぬき達はここで引き取ってもらおうと言い出すかもしれない、しかしそれは間違いなく悲惨な未来へとつながるだろう。
新入りたぬきは嘘を言う事にした。
「こ、ここはたぬきを捕まえて食べるお店みたいだし！」
「えっ…」
「急いでここから離れようし…！あのたぬき達はもう助からないし！」
「わかったし…！」
慌ててその場を後にする。しかし新入りたぬきは背後から聞こえる声を聞いてしまった。
「お願いだし…買ってし…良い子にしますし…お願い、お願い…！」
ペットショップでたぬきが取り扱われているなんて知りたくなかった。悲鳴をあげそうになるのを堪え、新入りたぬきはわざとらしく声を大きくして行軍を進めた。

新天地を求めての旅は、新入りたぬきに外の世界をありありと見せつけた。
ペットショップに並べられるたぬきを。
コンビニでカラッと揚げられるちびたぬきを。
首輪を引っ張られ、ズルズルと引きずられていく飼いたぬきを。
「カラスだしぃ！みんな隠れるしぃ！」
「私が囮になるし…ちび達を頼んだし！！」
仲間を助ける為に自らを差し出し、啄まれ穴だらけになったたぬきを。
「な、なんだしこれ、やだ、落ちちゃうしぃ〜！！」
「助けて、助けて、寒いし…冷たいし、誰、か…」
道の脇にある細い穴に落ちて、凍え死んでいくたぬきを。

仲間達はどんどんその数を減らしていく。気付けば新入りたぬきの他に、先輩たぬきともう一匹、そしてちびが二匹だけとなった。
けれど確実に前に進んだ結果、たぬき達は目的地である街中にポツンと作られた森林公園にやってきていた。
「ここだし…ここが、公園だし！」
パァッとたぬき達は顔を輝かせる。陽が傾き始めた夕方、夕焼けに照らされながらたぬき達は新天地への到達に涙を流して喜んだ。
新入りたぬきは自分を取り巻く自然の音に歓喜する。風に揺れてざわめく森、何処からか聞こえる虫の声…これだ、これこそが野生だ。
「きっとここにもたぬきが住んでるはずだし…私探してくるし！」
新入りたぬきは意気揚々と草むらに飛び込む。ワクワクが抑えきれず鼻歌を歌いながら、ズンズンと森を進んでいくが、一向にたぬきは見つからない。
「うん…？」
もしかしたらここには誰も住んでいないのかもしれない。そうならば本物の楽園だ。これほどの自然を自分達のものに出来るのだから。
と、妙に開けた場所に出た。何処か路地裏のスラムに似ていて、新入りたぬきはそれがたぬきの遺した跡だと知ってがっかりした。
「なんだし…もう先客がいるし…」
しかし生活の跡は見受けられるが、どれも古いものばかり。どうやらここにたぬきがいたのは随分昔のようだ。
「ｷｭｰ!!!」
と、ちびの悲鳴が木々をかき分けて届く。新入りたぬきはギョッとして先輩たぬき達がいる場所へと駆け戻る。
初めて会った時スラムたぬき達を軽蔑していた。服を奪うし暴力を振るうし、それはもう散々な目にあった。それでも彼女達は間違いなく生きていたし、生きようとするその意思は本物であった。それ故に気付けば旅を共にする中で仲間意識のようなものが芽生え始めていたのだ。
（みんな…！）
草をかき分け、仲間達の元へ戻り…新入りたぬきは絶句した。
「おー、久しぶりにたぬき見たわ。最近見てなかったんだよな〜」
「なんかさー、聞いた話だとあいつら逃げたらしいぜ？」
「マジかよ。良いおもちゃだったのになあー」
「やめて、やめてし…私達何も悪い事、ｷﾞｭｱ!?」
「ちびだけはやめてくださいし、お願いし…！」
「ﾏﾏｰ!ﾏﾏｰ!」
「ままをぶたないでし…」
人間が三人、仲間達をなぶっている。
先輩たぬきは足をつままれ、何度もデコピンを浴びせられている。顔がどんどん赤くなり、腫れていく。
もう一匹の大人たぬきは髪を持ち上げられながら、必死にちび達を守ろうとしている。
二匹のちびはあまりの恐怖にカタカタとその場で震えていたが、それでも肉親に迫る危機に反応して声を上げていた。
新入りたぬきは何故ここに住んでいたはずのたぬきがいなくなったのかを理解した。あの人間達がいるから、あの人間達に襲われるから逃げ出したのだ。
「あー、そういやちびで一回やってみたかった事あるんだよな」
「ッ！？ち、ちびは、ちびだけは、ｷﾞｭｯ!」
「うるさいなあ、ほれちび」
「ｷｭｰ!ﾏﾏｰ!ﾀｽｹﾃｼｰ!」
髪を鷲掴みにされながらもジタバタするちびを笑いながら、人間は懐から細長い筒を取り出す。新入りたぬきが見た事もない人間の道具で、ライターと言う。
「たぬきって美味いらしいぜ。野良でも火を通せば多少の臭みは消えるとか…」
カチリ。シュボッ。
ライターから火が噴き出す。自分に何が起きるのか理解できていない様子のちびの足元、人間はライターを近付けた。
「ｷｭ!?ｷｭｳｳｳ!!!ｱﾁｯ､ｱﾁｯ､ｱﾂｲｼｲ!」
「ははははは！ちびの炙り焼き！なんてなー！」
足の先からゆっくりと火がちびの体を舐める。足先から頭まで駆け上る熱にちびは絶叫した。
「ﾏﾏｧｧｧｧｧ!!!」
「ち、ちびぃぃぃ！やめろ、やめろ、やめてくれし…！」
先輩たぬきの懇願に耳を貸さず、人間達は炙られながら叫ぶちびの反応に興味津々だった。
必死に身を捩り、火から逃れようとするちび。無慈悲にもその体は少しずつ火によって溶かされていく。
先輩たぬき達はちびがもう助からない事を理解し、目を伏せる。ちびの絶叫は一分ほどして止み、無残な炙りちびが完成した。
「どれどれ食ってみるか…んー…うわ、まっず！デマじゃねえかくそ！」
炙りちびの足を食いちぎったかと思えば、人間はペッと吐いてちびの死体を地面に投げ捨てた。ゴミの様に捨てられたちびに思わず目がいき、大人たぬきは時間が止まったように動けなくなった。
「そん、な…」
「じゃあ次こいつなー」
「や、やめて、やめ、ｷﾞｭｱｱｱｱ！！」
見ていられない。新入りたぬきは目の前で繰り広げられる惨劇から目を逸らし、その場に蹲った。しばらくして大人たぬきの悲鳴がやみ、次にちびの悲鳴が聞こえた。
「ちびたぬきってどこまで伸びるんだろうな？」
「やってみようぜ！」
「オーエス！オーエス！」
「まま！助けて！痛いし！痛いし！ﾔﾀﾞｧｧｧｧｧｧ!!!」
助けに行きたい。けれど自分が行ったところで死体が増えるだけ、そんな無力感に続いて今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られ新入りたぬきは目眩がした。ぼとりと音を立てて引きちぎられたちびの死体が地面に落ちた。
「じゃあ最後の一匹…こいつは時間かけて楽しもうぜ」
最後の一匹、それは先輩たぬきだった。余所者の自分に目をかけてくれただけではなくもどきの襲撃の際にも助けてくれたあの先輩は、力なく手足を投げ出し人間のされるがままだ。
と、不意に視線が合う。声を出しそうになるのを堪える新入りたぬきに、先輩たぬきはにっこりと笑って頷いた。
"逃げろ"
"助けなくて良い"
「何笑ってんだこいつ！」
「ｸﾞｯ､ｷﾞｯ…!」
先輩たぬきの顔面に拳が突き刺さる。ポキリと骨の折れる音に続いて、首が不自然に折れ曲がりそのまま先輩たぬきは動かなくなった。
「馬鹿！加減しろよ！一発で殺しやがって！」
「悪い悪い…」
「コラァ！お前らあ！そこで何してる！」
「やべえ！」
「逃げようぜ！」
何処からか怒号が飛んでくる。人間達は慌てて公園から逃げていき、たぬき達の無残な死体だけがその場に残された。
怒号の主である歳をとった人間は惨状を見ると「クソ…」と悲痛な声を漏らした。
「せん、ぱい…」
トボトボと新入りたぬきは草むらから出ると仲間達の死体へと跪き、ポロポロと涙を流した。何も出来なかった自分への怒り、あまりにも理不尽な世界への憎しみ、そして何より…動物園に帰りたいという懇願があった。
「おい、大丈夫かい…」
「帰りたいし、動物園に帰りたいし…檻の中でも良いし、ずっと踊っていても良いし、だからお願いだから、お願いだからぁ…！」

ちょうど動物園も捜索していたようで、新入りたぬきは保護されて間も無く動物園に戻った。あまりにもみっともない格好だった為に他のたぬき達と出会う前に体はピカピカにされてから戻された。
「新入り〜！生きてたかしー！」
「全く外に出るなんて命知らずだし！」
「ともかく無事で良かったし…！」
逃げ出したと言うのに本当の先輩たぬき達は優しかった。絶対に怒られると身構えていただけに新入りたぬきは拍子抜けしつつも、自分が動物園に帰ってきた事に深く安堵してた。
「それで…だし…」
「外はどうだったし？どんなところだったし？」
「良いところだったし？冒険とかしたし？」
新入りたぬきの無事を確認してから、先輩たぬき達はいくつも質問を投げかけてくる。どうして逃げたのかは関係なく、逃げた先で何があったのか気になって仕方ない様子だ。全員の目が好奇心でギラギラと光っているのを見て、新入りたぬきは確信する。
───なんだ。怖いとか言いながら、本当は外の世界に行ってみたくて仕方がなかったんだし…
脳裏によぎるのは何一つ良い事なかった野良たぬきとしての生活ばかり。
外の世界の方が幸せだったらどれだけ良かっただろう。こんな窮屈で退屈な生活がたぬきにとって安全な環境ではなかったら、どれだけ良かっただろう。
「外の世界は…酷かったし。たぬきを食べる化け物がいたし、たぬきを虐める人間がいたし…私もう嫌だし、ここにいたいし」
先輩たぬき達の顔はどんどんションボリしていく。絶望、失望、あらゆる負の感情が入り混じるそれ見て、新入りたぬきはもういない別の先輩たぬき達を思い出した。
（出るんじゃなかったし…あんな酷いのを目にするなら、ここにいる先輩達をガッカリさせるくらいなら…何も知らずに馬鹿でいたほうが、マシだったし…）

●●動物園ではその日、外に逃げ出したたぬきが戻ってきたと言う事で盛大なイベントが行われた。人々は新入りたぬきに「見つかって良かったね」、「怪我しなくてよかったね」と甘い声をかけた。
新入りたぬきはと言えばそれまで一度もしなかった人間へのファンサービスをするようになり、ますます人気が上がった。下手なダンスも上手くなり、今や動物園人気No. 1だ。
「見ろよたぬき！お前よりダンス上手いぞ！」
「…やだし、見たくないしあんなの」
いつかの飼いたぬきの声が聞こえた。けれど新入りたぬきはもうそれに怒りなど感じない。むしろ胸を張って「何が悪い！」と心中で叫んだ。
（生きたいと願って何が悪いし！死にたくない、生きていたいと頑張って何が悪いし！あのスラムにいた奴らはみんな頑張っていたし！私は、私はこうして生きていくしかないんだしいいいいい！！！！）
新入りたぬきは知らない。自分が大きくなってもそうして必死に踊り続ければ、客は「必死すぎ」「もう可愛くない」と離れていく事を。

余談ではあるが、新入りたぬきの脱走は園内で大きな問題となった。園長はたぬきの知力を侮っていたと反省し全てのたぬきに発信機がつけられる事となった。
今度こそ本当に、動物園で暮らすたぬき達から自由は奪われてしまったのである。

おわり
