No.62「無知」

生き汚いたぬきの野良生活において、安定して餌を獲得できる場所は限られている。
その中で最も一般的なのは、ゴミ捨て場だ。
治安や景観維持のためにコンビニの外や公園からゴミ箱が撤去されて等しいため───もっとも、たぬきは背が低いのでどう頑張ろうと届かないが───まだ夜も明けないうちから出されたゴミ袋を漁るのがこの辺りの野良たぬきの日課だった。
しかし時間が来ればゴミは回収される。
それまでに迅速に───といってもたぬきの歩みは遅い───餌にありつく必要があった。
そのために、とある野良たぬきはちび達を少し離れたところに隠れさせあまり時間をかけずに餌を選別し分け与えていた。
薄暗く、人通りも少ないため大中小からなる3匹のちびたぬきは早い出勤やゴミ出しに急ぐ人間達に見咎められる事なく、親の言いつけを守り電柱の影で震えて縮こまっていた。

たぬきは以前ゴミ捨て場で拾ったコンビニ袋に収穫物を入れて持ち運んでいる。
ゴミ捨て場から持ってきた腐りかけのリンゴを手に取った。
齧って何度か咀嚼するとそのまま飲み込まず、砕いたものを手に載せた。
「ちび達…こっち来ていいし…」
「ｷｭ…わかったし…」
「ｵﾅｶｽｲﾀｼ…」
「ｷｭｳｳ〜…」
親たぬきの許しを得て、幼いちびたぬき達がぴょこぴょこと歩き寄る。
親たぬきの手に載せられた食事に涎を垂らしながら、顔を近づけた。
「ペロペロし…」
「ﾍﾟﾛﾍﾟﾛｼ…」
「ﾚﾛﾚﾛ…」
歯が揃っていないちびたぬき達は自分達で食べ物を噛む事がまだ出来ない。
咀嚼して細かくしたものを与えられ、一心不乱にペロペロと舐める我が子達を親たぬきは愛おしそうに見つめていた。


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朝食を終えて、巣の入り口近くでちびたぬき達が遊んでいる。
葉っぱの中に隠した木の実を探す遊びは、親が見ていない所では巣から離れてはいけないと教えられているちびたぬき達が出来る遊びの一つだった。
この遊びは、勝者が木の実を食べられるので小さなちび達にも人気だった。
もちろん、後で親たぬきに噛み砕いてもらうまで待つ必要はあるが。
大ちびたぬきは2匹を気遣ってわかりやすいところに隠してやっている。
他にもゴミ捨て場で拾ったクレヨンを使って葉の裏側にマークを描いて行う葉っぱの神経衰弱や泥団子を使ってのおままごとなどがある。


しかしちびたぬき達は遊び盛りであり食べ盛りでもある育ち盛り真っ最中だ。
特に中と小のちびたぬき達は先程の朝食だけでは物足りないらしく、ぐずりはじめた。
「まだお腹すいてるし…？
「ﾎｼｲｼ… 」
「ｸｩｸｩｩ…」
大ちびたぬきは口元に手を当てて、しばし思案した。

───ままのやり方は見て覚えたし。
ちびもおねえちゃんだから、きっとやれると思うし。

「じゃあ…おねえちゃんといっしょにさがしにいくし…」
「ｲｸｼｨ…」
「ｷｭｯｷｭ…」
親たぬきへの憧れもあったのか、大ちびたぬきはまるで親がそうするように妹達を連れ出した。
当の親たぬきは木の幹にもたれかかったまま船を漕いでいる。
「タヌゥ…ズビッ…タヌゥゥ…」
活動時間帯をずらし、未明から起きていた親たぬきは明るくなり始めると同時に眠気が襲ってくる。
今日はそれなりに食事にありつけたのも手伝って、満腹感から余計に眠いらしかった。

燃えるゴミ回収は週2回と決まっていて、次の回収日までは日が空く。
親たぬきは曜日の概念はなくとも、2回ほど夜が来るまで同じゴミ捨て場に食べられる物はやってこないという事を知っていた。

あえて余らせた今朝の収穫物はちび達に見せないよう保存しておき、体力の回復させて後でまたエサ探しに向かうつもりだったのだ。

大ちびたぬきはトテトテと歩き出し、手を引かれた残る2匹もポテポテと追随していった。
こうして3匹は、親元を離れて別のゴミ捨て場へと歩き出してしまった。
不幸なことに、ゴミの回収にはぎりぎり間に合う時間帯だった。


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「いいニオイがするし…」
手を繋いだ三匹のちびたぬきが、自身にとっては巨大な、白いゴミ収集車を眺めていた。
轟音を立てるそれは親に恐ろしいものだと教えられていたはずだが、切なげに鳴くお腹のたぬきを撫でると、ジタバタしたくなるのをぐっと堪えた。
いつも“まま”が食べ物を取り出す袋が、人間の手で次々と放り込まれて行く。

朝とは違うゴミ捨て場だが、何度か来た事のある場所だ。
不思議なことに悪臭はせず、フルーティな香りが漂ってくる。

飢えしか知らないちび達は、あの中にたくさんのフルーツが仕舞われているに違いないと思い込んでいた。

親は日々の食糧を得るのに必死で、子供達におよそ教育というものをしてこなかった。
する余裕がなかった。
あるいはもっと熱心な親たぬきならば寝る間を削ってでも危険なものを教えていただろう。
しかし、親の言いつけを守らず巣を出た時点でちび達の運命は決していた。

何とかして入り込めないものかと、大ちびたぬきは再び思案する。
右側の中ちびは口寂しそうに大ちびと繋いだ手と反対の手をちゅぱちゅぱしゃぶり、左側の小ちびは手を繋いだまましゃがみ込んでアスファルト上を移動する蟻に視線を送っている。
しかしちび達にとって収集車の背の高い入り口は遠く、足を伸ばしても届きそうもない。
ちび達は近くに立つ人間にお願いする事にした。

大ちびたぬきが中ちびと繋いでいた手を離し、作業員の裾をくいくいと引っ張って呼びかける。
「人間さん…おねがいがあるし…ちび達をあの中にいれてほしいし…」
「ｲﾚﾃｼ…ﾊｲﾘﾀｲｼ…」
「ｷｭｳｳ…ｷｭｳ〜ﾝ…」
作業員の人間はちびたぬきに話しかけられた事よりも、内容の突飛さに目を瞬かせた。


「え、いいのか？」
普段は気にせずたぬきの死体も放り込んでいる作業員だが流石にこれほど小さなたぬきが、しかし自ら望んで入りたがる事に疑念を覚えた。
世を儚むにはあまりに幼すぎるのではないかと困惑したが、
「ちびたち、あの中に入りたいんだし…」
「ｵﾅｶｽｲﾀｼ…ｸﾞｰｸﾞｰﾀﾞｼ…」
「ｷｭ…ｷｭｳｳ…」
弱々しくも懇願してくる様に、飢餓状態に耐えかねて身投げをしたい───という事だろうかと納得した。
見たところ親もいないようだし、幼体だけで生きる事に限界を覚えたのだろうか。
飼ってくれとかゴミ袋の中身をよこせとか言ってくるわけではないし業務の一環なので構う事はないと、願いを聞き入れてやる事にしたのだった。
腰を下ろして軍手に包まれた掌を上に向けると、大ちびたぬきが右に、中が小を抱えながら左の掌に乗り込んだ。


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「ちび達…どこだし…」
親たぬきは焦っていた。
少し目を離した隙に、3匹ともいなくなってしまった。
1番上のちびは聞き分けも良く、妹達を連れて勝手に遊びに行くことなど考えられなかった。
食い意地の張った中ちびあたりがワガママを言って餌を探しに行ったか、危機感の薄い小ちびが巣を離れたのを追いかけたか───まさか人間に攫われてはいないかという懸念も脳裏に浮かんでいた。

親がやってきたのはちょうど、作業員に摘まれてはしゃいでいるちび達が放り込まれる瞬間だった。
「あ…ちび達…いたし…」
なんだし。人間に遊んでもらってたんだし。
やさしい人間でよかったし。
ほっと息をついたのは、ほんの僅かな間だった。

「いいニオイだし…」
「ｷｯﾄｱﾏｲﾉ、ｲｯﾊﾟｲﾀﾞｼ…♪」
「ｷｭｳｳﾝ…♪」

ボールを放るように3匹はゴミ投入口へと投げ込まれていく。
空中で手足をジタバタさせながら、3匹は幸せな気持ちのまま宙を舞った。
「ぢっ」
「ﾋﾞｯ」
「ｷﾞｪ」
取り込み口に吸い込まれていった後は、赤い鮮血を撒き散らしながら挽肉と化す運命が待っているなど知る由もなかった。

このゴミ収集車は匂い対策として特殊な機構を備えていた。
ゴミの取り込み口に備え付けられた噴射口から噴射されたスプレーの成分が生ゴミの匂いと結びつき、フルーツのような甘い匂いに変わる仕組みだった。

冬場で水洗いもできず、生ゴミそのものなちびたぬき達の体臭とも例外なく結合し、自らもフルーティな香りの素となっていった。
哀れなちびたぬき達はそんな仕組みなど知らないので、ゴミ収集車の中にフルーツが山盛りに詰め込まれていて、それを食べられるのだと最期まで期待してやまなかった。
しかし、辿り着いた空間はいい香りこそするものの食べ物は見当たらない。
ガッカリしながらも諦めきれず探そうと立ち上がったちびたぬき達に回転板が襲い掛かる。
暗闇の中で突如鋼鉄の板に掬い上げられ、奥へと押しやられ他のゴミと一緒に押し潰されていく。
べきべきべき！
後続のゴミ袋に押しやられ、自分達の肉が圧迫され骨が砕けていく音を聞きながら、幼い命が悲鳴をあげる。
「ま、ま、ままぁぁ…」
「ﾔﾀﾞｼｯ…」
「ｷｭｳｳｳーーー！」
ちび達の救いを求める断末魔は、間に合わなかった親たぬきの耳に届く事はなかった。

親たぬきは呼びかけようと挙げかけた手を引っ込め、一部始終を見守っていた。
───否、硬直して動く事ができなかった。

「ヘンなちび達だったなぁ。自分からこの中に入れてくれなんて」
作業員の独り言を耳にしながら、親たぬきは悄然と立ち尽くしていた。
作業員がその様子を視界に入れて、はたと気づく。
「お前も入りたいのか？」
悪魔のような問いかけだった。
あるいは、脅しのようにも取れた。

たぬきは無言で、ふるふると首を振った。
いっそ後を追いたい気持ちもあったが、自分の身体の大きさではちび達のように一瞬では死ねないだろう。
激痛に揉まれながら轢き潰される不穏な想像を重ね、小刻みに震えるしかなかった。
やがて作業員はゴミ収集車に乗り込み、車は走り去っていく。

たぬきは立ち尽くしていた。
いくら考え込んでも、我が子がゴミとして処分された事実しか残らない。
後になって考えてみれば、あの人間の口ぶりから、ちび達は自ら望んであの中に入っていったのだ。
どうしてゴミ収集車に入りたがったのだろう。
それ程までに、生きるのが辛かったのか。
一体何に絶望してしまったのかもわからない。
自分は子育ての中で何を間違ったのだろう。
答えを教えてくれるちび達はもういない。
確かな事は、答えがわかるまで自分はちびを育てられそうにないという事だけだった。

「やだし…」
身体は無事だが、野良であってもちび達を育ててきたという自尊心はへし折られ、すり潰され、跡形も残らなかった。
拭わなかった涙がこぼれ落ち、たぬきの頬を濡らす。
排気ガスの匂いに混じって、やけにフルーティな香りが鼻腔に押し入ってくる。
何の慰めにもならなかった。
たぬきはションボリと垂れた耳を伏せ、トボトボと歩き去っていくしかないのだった。


オワリ