No.63「みんな」


「じゅんくん、誕生日おめでとう〜」
「おめでとう。さあ、開けてごらん」

“じゅんくん”と呼ばれた4歳の男の子は両親の祝福にコクンと頷き、ワクワクしながら誕生日プレゼントとして贈られた緑色の箱を両手でそっと持ち上げた。
黄色いリボンで飾られた箱の中───暗闇で身を丸くしていたたぬきは、突如広がる目の前の景色に動じることなく、視界が明るく開けた事を合図にして仮死状態から覚醒した。

どこか誇らしげなたぬきの胸元には、誕生日のお祝いを示す黄色いリボンが蝶ネクタイのように結ばれていた。
くしゃくしゃにならないよう、大事に抱えていた小さな花束を持ち直す。
ぺこりとおじぎをして、すうっと胸を張り肺の中に空気を取り込む。

たぬきが立つ円形の台座の前には“じゅんくん　お誕生日おめでとう”と描かれたプレートが備えられている。
台座にはスピーカーも仕込まれており、パパがスイッチを入れるとオルゴールのような曲調でバースデーソングのBGMが流れ始める。
わあっと顔を明るくする人間の男の子を前にして、たぬきは緊張しながら頭の中の歌詞をなぞり始める。
男の子の顔は、事前に写真で散々見せられてきたものだった。

「ハッピーバースデーだーしー♪
　ハッピーバースデーだーしー♪」
本能に従って踊りだしたい衝動に抗いながら、覚えさせられた歌を必死に歌う。

「…ハッピーバースデーじゅーんくーん♪」
口をすぼめて“to you”が言えないたぬきは、プレゼント対象となる男の子の名前を覚えさせられて、文字通り血の滲む特訓の成果通りに歌いきった。
歌い終わりに“だし”とつけてしまうたびに鞭で叩かれた事が強制的に思い出され、たぬきは“じゅんくん”の名を呼び終えると、キュッと身を強ばらせた。
それがキリッと気をつけの姿勢をとったように見えて、両親や男の子は感心しながら拍手で迎えてくれた。


歌い終えたたぬきはハッと我に帰り、両手で抱えていた小さな花束を差し出す。
「じゅんくん、お誕生日おめでとうだし…今日からたぬきをよろしくですし…」
「わっ…ママ、パパ、ありがとう！」
花束を受け取り、男の子は両親に満面の笑みを見せた。

1年前の同じ日に生まれた調教済みのたぬきが箱の中から現れた瞬間、贈られた子供に向けたバースデーソングを歌わせるサービスだった。
歌い終わった後のたぬきは捨ててもいいし、愛玩用に飼ってもいい。
この家では、たぬきは家族として迎え入れられた。

そして、1年後───。


　　❇︎      ❇︎      ❇︎


「じゅんくん、誕生日おめでとう〜」
「おめでとう」
お化粧をバッチリ決めたママがお祝いの言葉を贈り、髪をセットしたパパも優しい口調で続く。
2人とも寝巻きではなく、外行きの服に着替えていた。
檻の中で丸まっていたたぬきは慌てて身を起こした。
「おめでとうだし…！」
そして去年と同じように歌い始めようとして、パパの発言に遮られた。

「今日はみんなで遊園地に行くからな」
「やったー！」
男の子が歓声をあげて飛び跳ねる。
地面からしっかり離れて、天にも飛び上がる勢いだった。
「すごいし！たぬきお出かけ初めてですし！」
短い手をあげて、檻の中のたぬきが飛び跳ねる。
大して浮いていない。


せっかくの歌を再び披露するタイミングは失われてしまったが、遊びに出かけられる嬉しさが勝ってしまい、たぬきは気にしなくなっていた。
だって、”じゅんくん”が誕生日という事は、自分の誕生日でもあるという事だ。
みんなで、というパパの言葉に伏せられていた耳がピコピコと動く。
去年は祝う側だったが、今年はどうやら家族の一員として迎えられた自分も祝ってもらえるようだとたぬきは喜んだ。


これまで、たぬきは散歩に連れて行ってもらった事がなかった。
生まれた頃から檻の中で躾けられて、出荷されてからはおうちの檻の中で過ごし、外の世界は知らずに育った。
じゅんくんが出かける時にはいつもお留守番だった。
ワガママは言わない“約束”を教え込まれていたので、たぬきはいつも大人しく檻の中で待ち続けた。
帰ってきたじゅんくんの言葉を、要領を得なくとも黙って聞いているしかないのだった。


「夕飯は予約したレストランだぞー」
レストラン、という言葉は知っている。
みんなでごはんを食べるところだ。
檻の中で、家族達が見ている大きな光る板から流れてくる音声から学んでいた。
元々躾けられていて、うどんダンス以外の歌を覚えられる知能があったからこその芸当だった。
普通のたぬきはうどんダンスの歌詞以外を覚えられない。
頭たぬきだからだ。

人間に逆らわない。
ワガママを言わない。
何かを欲しがったりしない(ちび含む)
うどんダンスは踊らない。
どんなにつらくても、泣いてジタバタしない。

バースデーソングを覚える以外はことごとく禁じられ、たくさんの“約束”を鞭の痛みと共に教え込まれてきた。
もちろん従えない仲間達は途中でいなくなった。
たぬきは教え通りに育ち、厳しい関門をクリアしてここにいる。
名前をつけてもらえなかったのは残念だが、こうしてお役目を果たした後もおうちで飼ってもらえる事は嬉しかった。


「ぼく、おみせのハンバーグが食べたい！」
「たぬきはうどん、食べたいですし…！」
一度も食べた事はないが、たぬきブリーダーが飴がわりの言葉として使っていたのを覚えていた。
いい子にして言う事を聞いていれば、いつかは食べさせてもらえるかもしれないからその日までいい子にしておくように、と。
おうちの中では、家族が食べているのを何度も見た。
床に直置きされた檻の中のたぬきに与えられるのはたぬフードだけだったので、匂いしか知らない。
たぬきもうどん欲しいですし…と言いたいのをずっと我慢していた。
飼い主に要求をしてはならないと肉体に厳しく教え込まれていたからだ。
だけど今日は誕生日。
いつもの固くておいしくないたぬきフードでなく、好きなものを食べさせてもらえる可能性が高かった。


「遊園地で遊んだらおもちゃ屋さんにも行くからなー」
「やったぁぁー！」
「おもちゃ屋さん…知ってるし…！」
じゅんくんが時々、たぬきに“おもちゃ屋さん行ってくるねー！”と話しかけて出ていき、しばらく孤独で寂しい時間を過ごしていると必ず新しいおもちゃを持って帰ってくるのだ。
たぬきに見せびらかしてはくるものの、触らせてもらったことは一度もない。

じゅんくんはこのロボットがほしい、と様々な関連商品が載っているカタログ調の絵本を抱えて持ってくる。
この間テレビに出たやつだから強いのだとか、これとこれが合体したらもっと強くなるのだとか、ここの部分がカッコいいとか、色々と彼にとっての魅力をプレゼンする。
必死になって内容を考えて話す姿に、パパはうんうん頷いて聞いていた。
ひとつだけよ、とママに釘を刺されてじゅんくんは2体のロボットが一つの箱に入った大箱を頼むつもりのようだが、“ひとつっていうのは、箱の中のモノがひとつよ。この箱はロボットがふたつ入っているでしょう？だからどっちかにしようね。もうひとつは、また今度サンタさんにお願いしましょうね”
と言い聞かされ単品箱を買ってもらう事になるのだが、たぬきには関係のない話だ。


たぬきにも何かひとつ、買ってもらえるかもしれないし…と、たぬきは胸をときめかせた。
時々檻から出してもらってじゅんくんのボール遊びなどの相手になる時、横目で見ていた数々のおもちゃ達が思い出される。
ロボットの敵役の怪獣にされて胸の黄色いリボンをちぎられた時には思わず気を失いかけたが、泣きたいのもジタバタしたいのも我慢したのだ。
いい子にしていた自負はあった。


「たぬきは、ベアルフくんが欲しいですし…」
たぬきの檻の中にあるのは、ごはんやおみずのお皿にトイレとボロボロの毛布だけ。
最初に入れてもらってから、モノが増えた事はない。
調教されていた時も個別の檻だったが、隙間を通して他ぬきと会話をすることはできた。
今は1匹きりなので、たぬきは寝る時にとっても寂しいのだ。

たぬきという生き物は本能的にたぬき玉を作りたがるがそれは生存のためだけでなく、同族が傍にいるという安心感を得るためでもある。
適温に保たれて毛布もある室内ではたぬき玉にならずとも眠る事はできる。
が、孤独なままでは心が落ち着かない。
まだこのおうちに来たばかりの頃、じゅんくんが“たぬきを抱っこして寝るー！”と言い出した時には胸のときめきが抑えられなかったものだが、結局は衛生的な観点から止められてしまい、たぬきは生涯において一度も誰かのぬくもりを感じて眠った事はない。


じゅんくんが飽きてから洗濯もされていない服は埃まみれで、毛繕いもしてもらっていないので髪やしっぽの毛はボロボロだ。
お風呂も入れてもらえていないのは、いつ頃からか思い出せない。
身汚いので檻から出される事はなくなり、ほぼ軟禁状態で過ごしていたのだ。
肉体の成長と共に手狭になってきていた檻は高さだけはあったので立つ事はできたが、たぬきは基本的にしっぽを抱いて蹲っていた。
一緒に寝るベアルフくんがいれば寂しくないし、遊んでもらえない時も我慢出来ると考えての事だった。


「あ、でもお出かけならこのモフルフくん持っていきたいですし…」
何も持てない生活の中で唯一の財産と言える毛布に、自分すらつけてもらっていない名前をつけていた憐れなたぬきの発言にふと、一同の視線が集まる。

暗く、あたたかみのない瞳孔。
まるで場違いな者を見るような目。
コイツは何を言ってるんだという怪訝な表情。
場の沈黙に耐えきれず、たぬきは血の気の引いた顔で呟いた。
「どうしてみんな、たぬきをそんな目で見るんだし…？」


「えー、だって…」
「なんかお前も行くみたいな雰囲気出してるけどさぁ…」
「連れて行かないわよ」
「ダヌゥゥゥ！？なんでし！？」
たぬきはこの家で初めて、大声を上げた。
バースデーソングよりも大きな声量だった。

「たぬきも家族だって言ったし！みんなでお出かけって言ったし！たぬきも家族だしぃぃ！」
そのまま自分勝手な理論を並べ立て、喚き立てる。
檻に縋り付くその表情は、今にも泣き出しそうだった。

「たぬきはペットだよ？」
「レストランはペット可じゃないしな…」
「ていうか連れ回すためのケージ買ってないし…」
そもそも“みんな”の想定に組み込まれていなかった事を知り、たぬきは愕然と震えた。

「たぬきずっといい子にしてたし…家族じゃなかったなんて…ひどいし…」
涙をこぼしそうになるのを必死で堪える。
同情を誘うような涙を流すと、鞭で散々叩かれ無意識に涙腺を引き締めるようにコントロールされていたので思いきり泣く事は出来ない。

それはお前が勝手にそう思い込んでいただけだろ───パパは愛する息子の前できつい言葉をぐっと飲み込んだ。
息子がかわいそうだから連れて行ってあげようと言い出す前に話題の転換を図らねばと思考を開始する。

「たぬきも連れて行ってし…お誕生日だし…自由にさせてし…」
ブリーダーが聞いたら首根っこを掴んで叩きつけそうな言葉を発する。
誕生日なのだから、少しぐらい許されるはずだという謎の甘えが精神に仕込まれた枷を外してしまっていた。

「じゅん、出かける用意をしてきなさい」
「さあ、上に上がってね」
「はーい」
じゅんくんはママに連れられ、階段を上がって洋服箪笥のある寝室へ向かう。

息子の姿が見えなくなると、パパは檻の中のたぬきを見据えた。
たぬきはアピールのためにかざしていた手を下ろし、青ざめたまま直立不動でこちらを見つめている
やっぱり人語抑制スプレー使うべきだったか、とせっかくセットして固めた頭をかく。
しかし人前で歌を披露したたぬきが急に喋れなくなるのは幼児にも不自然であったし、一応話し相手として息子の教育にも貢献していた面もあるので使わないでおいたのが仇になったか、とパパは嘆息した。
いっそ連れ出して置き去りにするのも手だがいなくなった事に気づいた息子が泣き出しても困るし、それを人に見られるのも不味い───。
結局たぬきには何も言わず、トイレに行ってしまった。

　　
　　❇︎       ❇︎       ❇︎


「はい、というわけでたぬきちゃんはこれ食べててね」
たぬフードが餌皿にざーっと流し込まれ、水皿には水道水が補充される。
たぬきは眉をひそめながら、顔を近づけてクンクンしと匂いを嗅いでみる。
少しでもいいやつかと思ったら、いつもの。
あんまりおいしくなくて、固くて食べにくいたぬフード。


「え…え…？し…？」
理解の追いつかないたぬきが棒立ちで困惑しているうちに、身支度を整えた家族達が移動を始める。
「パパ、車の鍵持った？」
「持ったよ。ママこそ、スマホだけ持ってサイフ忘れないでくれよ…」
「ねえねえ、お菓子もっていっていい？」
「ひとつだけね。あっ、トイレの電気つけっぱなしじゃない」
「たぬきー、ばいばーい」
両親はさっさと行ってしまい、じゅんくんはおでかけの言葉を言うだけ言って、こちらへは振り向かずに玄関へ向かって行ってしまった。
“待ってし”も“たぬきも連れてってし”も“いってらっしゃいし…”も伝える暇さえ与えられなかった。
バタン、とドアが閉じられる。
ガチャリ、と鍵がかけられる音だけが響く。

「しィッ……！」
胸が苦しい。
両手を胸に当てたままのたぬきは疎外感に堪えきれず、苦悶の鳴き声を漏らした。
不満を感じてもジタバタが出来ないよう肉体に刻み込まれているので、身体を動かして発散する事すら叶わなかった。


家族は快晴に恵まれ、人混みに揉まれながらも遊びを満喫し、食事を楽しみ、じゅんくんは一悶着あったものの欲しかったおもちゃをひとつ買ってもらうことが出来た。
遊び疲れ、新しいおもちゃに興奮していたじゅんくんは帰りの車中ではチャイルドシートに座ったまま眠りについていた。


　　　❇︎      ❇︎      ❇︎


団欒を楽しみ、すっかり暗くなってから家族が帰宅した時───たぬきは檻の中ですっかり冷たくなっていた。
しっぽを抱えて、乾ききったションボリ顔には涙の跡が残っていた。
今日の空が青いとか、とても暖かく過ごしやすい日だったとかを知る事もなく死んだのだ。


「1年経たずに死ぬって言ってたのになぁ」
厳しい躾によりストレスを受けているため寿命が短く、醜い姿を晒す前に死ぬのがこの商品のもう一つのウリだった。
たまたまこの個体に生命力があっただけの事だが、まさか1年を経過してしまった。
持ち主であったはずのじゅんくんは3ヶ月ほどで飽きてしまい、特に愛着も持たない両親が殺すのは忍びないと義務的に飼育を続けていただけだ。
やっと死んでくれたか、と両親は肩の荷が降りた気分になる。


「最初からぬいぐるみにしとけばよかったかなぁ」
「やっぱりフンの片づけがね…」
ママも苦い顔をして応じる。
トイレトレーニングはされていて、糞は砂で消臭されて固まるとはいえ、後始末はしなければならないし最近ではたまにたぬき自身に消臭スプレーをかける手間も増えていた。
ビックリして“しッ…！？”と毎回呻くのが少し鬱陶しかった事が思い出される。
見苦しくジタバタしないだけマシだったけれど。


じゅんくんは新しいおもちゃに夢中で、顧みられる事のなかったたぬきの死体は翌日ゴミ袋に入れられ燃えるゴミに出された。
安らかに眠るお墓も、たぬ生をねぎらう勲章も用意されなかった。
今後、男の子の人生においては体験だけが残り、たぬきの存在は記憶の中で想起される事もなかった。


オワリ