飼い主さん、だいすきだし


1

　思いがけず、８割引きのたぬきを買ってしまった。

　明らかに機を逸した「子だぬき」と言うにはそろそろ限界と言った塩梅のたぬきが、大きな展示用のケージの隅で膝を抱えて顔を突っ伏したまま微動だにしないでいた。

　別のケージの前で足を止めれば「元気にジタバタできるし！」とか「たぬきは…モチモチしてますし…」等、不快にならない程度に自分を売り込んでくる他のたぬき達とは違い、諦めの境地と言った感じのその立ち姿からは「屈辱」や「悲しみ」や「恐怖」と言った負の感情が渦巻いているのが可視化できそうな程の悲壮感をまとっていた。

　そこに現れた店員の熱意のこもった売り込みに圧倒されてしまい、つい思いつきで「９割引きで税抜なら買っても良い」と、逃げ口上を打った所、意外にもすんなりとその要求が通ってしまったのである。

　店長の嬉しそうな顔と、店員達の安堵のため息を見てしまった為に、提案を取り下げて、購入をキャンセルする事を躊躇している間に、購入の手続きが終わってたという、目まぐるしい状況を経て今に至る。



　８割引きのたぬきは、ショップがおまけでつけてくれた使い古した安物のペット用キャリーケースの隙間から、他のたぬき達よりも、一層ションボリとした悲しげな顔を、僅かに覗かせていたが、ショップから外へと出て、生まれてから初めて見たであろう街の景色を一望すると、キュッと身を縮めて「やだし…」と不安げに呟やいて、ケースの中へとサッと潜り込み、それからは帰宅するまで一度も顔を出すことは無かった。

　自宅へ到着し、８割引きのたぬきの入ったケースのドアを開けたが、８割引きのたぬきは出てこなかった。ケースを斜めに傾けても出て来ないので、不思議に思って中をのぞき込むと、ケース内部のヘリにつかまって泣きそうな顔をしている。仕方がないので、ケースの中に手をつっこんで８割引きの首根っこを掴んで引きずり出すと、8割引きのたぬきはジタバタと暴れる気力も無い様子で「やだし…」と呟きながら、宙でブラブラと揺れている。

　そんなたぬきを、フローリングの床へと降ろすと、キョロキョロと不安げに辺りを見回しながら、フンフンと忙しなく鼻を鳴らして、落ち着かない様子で部屋の色々な箇所の匂いを嗅ぎ取りながら、ウロウロと動き回る。

　自宅では、既に三匹の豆たぬきを飼育しているので、その匂いが気になるのだろう。

　8割引きのたぬきは、豆たぬき達の縄張りである匂いの強い場所を避けているようで、最終的に追い詰められるように、壁と観葉植物の隙間にたどり着くと、そこに挟まるようにギュッギュッと身体を滑り込ませて、ぺたりと座り込むと、また一切動かなくなった。



　人間は、たぬき用の牛乳を餌入れに注ぎながら、その様子を眺めていた。この有様では、同居人である豆たぬき達には、まだ接触させるべきではないと思い、ペット専用の飼育部屋に居るであろう豆たぬき達に「リビングには降りてこないように」と伝えようと部屋を出た。

　飼育部屋に居た三匹の豆たぬき達に、新入りである8割引きのたぬきの状況を手短かに説明すると、

「わかったし…」
「ここにいますし…」
「はやく一緒に踊りたいし…」

　と、快く承知してくれた。そんなやり取りを終えてリビングへと戻ると、壁と観葉植物の隙間に、先程まで居た８割引きのたぬきの姿は無く、部屋を見渡すと台所で餌入れの中に注がれた牛乳を浴びるように飲んでいた。

「ゴクゴクし…！ゴクゴクし…！ゴクゴ…ﾀﾇｯ！？」

　8割引きのたぬきは、人間と目が合った途端に酷く怯えた様子を見せて、すぐさま飲むのをやめると、ヘニャリと下へ向いている耳を両手で抑えながら、酷く怯えた表情で「ごめんなさいし…ごめんなさいし…」と、何度も言いながら、観葉植物の影へとモチモチと逃げて行ってしまった。

　初めて外の世界を見て、慣れない場所へと連れてこられた為に、緊張で余程喉が乾いていたのだろう。人間は、むしろ気が効かなかった事を詫びるような声色で「もっと飲みたければおいで」と言い、それに加えて「何か食べたいものはある？」と聞いたのだったが、

「はいし…たぬきは食べませんし…」

　と、8割引きのたぬきは、観葉植物の影から顔を少しだけ出しながら力なく呟くように返答すると、くるりと背中を向けて丸くなってしまった。

　取り付く島もないと言った感じだが、暫く一緒に暮せば、じきにこの家の生活にも慣れるだろう。そう思った人間は、餌と水分を８割引きのたぬきの傍に置いて「食べたくなったらお食べ」と伝えると、８割引きのたぬきに、無理強いさせる事なく、距離をとって自由にさせた。



　人間が仕事部屋で小一時間程の作業を終えてリビングへと足戻ってくると、餌皿は綺麗に空になっており、やはり、遠慮していただけで、具合が悪いわけでは無いようだと安心した。

　そして、８割引きのたぬきは、ようやく少し落ち着いたのか、壁と観葉植物の間から少しだけ後頭部をはみ出しながら、浅い寝息を立てていた。

「ﾎﾟｺー………し…ﾎﾟｺー………し…」

　8割引きのたぬきは、尻尾を股からお腹の方へと引っ張り込むと、それを抱きかかえて、うつ伏せに丸くなる。という、土下座を思わせる変わった姿勢で眠っていた。

　人間は「妙な寝方だ」と僅かに思ったが、然程気に留める事もなく、程なくしてから目を覚ました８割引きのたぬきに、トイレの場所や、入っては行けない部屋、同居人の三匹の豆たぬきの事等、この家の事の説明をしたのだった。

　説明の間、８割引きのたぬきは、今にも泣き出しそうな悲痛な表情で「はいし…はいし…」と小声で、相槌を打っていた。

　そんな常に不安をはらんだような表情とは裏腹に、人間が「ここまででわからないことはある？」と問いかけると、８割引きのたぬきは「たぬきは…できますし…」と、ルールを理解している様子だったのが、人間には少し意外に思えた。

　もしかしたら極端に根暗なだけで、物覚えはいい子なのかもしれない。

　等とその日は思ったのであったが……。



　次の日、まず目に飛び込んで来たのが、観葉植物と壁の間の”水たまり”であり、それは言わずもがな、たぬきのオシッコであった。

　そして、その犯人は水たまりのすぐ隣で、下半身を濡らしたまま悲しげな顔で座り込んでいた。

「ごめんなさいし…ごめんなさいし…」

　8割引きのたぬきは、メソメソと顔を手で覆ってすすり泣きながら、何を聞かれても、それしか言わない。

　ここで、ようやく察しの悪い、この家の主でも、８割引きのたぬきが体験したペットショップでの過酷な処遇について、思いをはせるに至ったのだった。

　当初のショップ側からの説明では、「いい子なので部屋を汚したりはしない」と、店員は言っていた。

　実際8割引きのたぬきが居たケージ内で、排泄をそこかしこで行う、等の粗相をした形跡は無かったので、それを鵜呑みにしてしまっていたのだが、今のこの様子から察するに、与える水の量を脱水状態にならないギリギリに制限されていた上に「展示スペースでは何があっても漏らすな」と固く言いつけられていたのだろう。

　故に垂れ流すのは、就業後のバックヤード。それも身動きもままならない狭いケージの中という事が察せられた。

　動きもぎこちなく、常に何かに怯え、発する単語の数も異様に少なく、極端に狭い場所に逃げるように移動し、寝る姿勢と言えば尻尾を守る様に抱え込んで丸くなる。その眠りも明らかに浅いのだ。

　これはペットショップの内部での飼育状況の劣悪さを物語っていた。

「いい子で部屋は汚さないとは言ったが、トイレを決められた場所でする等の基本的な躾が完了しているとは、最初から言っていない」……とでも言い訳するつもりなのだろうか？

　人間は、ショップにクレームの電話をしようと思い立ち、携帯を手にとった。

　しかし、普段は人間から逃げるように距離を取っていた８割引きのたぬきが、自らポテポテと人間の元へとすり寄ってくると、平素からの悲しそうな顔を更に歪めながら、

「やめてし…やめてくださいし…たぬきのうまれた所は…いいところですし…」

　と、いかにも取ってつけたようなセリフを懇願するように連呼しだしたのだった。

　こういったショップ側が不利にならない為の躾は、しっかり行なっている事を目の当たりにした人間は、思わず絶句してしまったが、実際に返品されてしまえば、最早ショップに8割引きが帰れる展示スペースが残っている筈もなく、ショップ側がたぬきに対してどんな非道な処置を行うか、簡単に想像ができてしまった。

　そう考えれば、たぬきとショップ側の思惑は一致しているわけで、人間としては、携帯をテーブルへと戻して、泣き寝入りを決め込むしか無かったのである。

　ならば、この家で一から躾直せば問題ないだろう。

　人間がかつて暮らしていた実家では、幼少期から何度もたぬきを飼育していたし、比較的飼育難度が高いと言われている豆たぬきとも、現在こうして問題なく生活できている。漠然とした楽観的な感情が人間にはあった。

　……が、それは甘かった。



　豆たぬき達の時と同じ要領で躾を行おうとして、面と向かって会話をしようとするだけで、身体を震わせて怯えだし、粗相をすれば申し訳無さそうに何度も「ごめんなさいし…」と泣いて地面に頭をこすりつけるようにして謝罪するものの、改善される様子は全く無い。

　そもそも自分の意思を言葉にする事が非常に苦手なようで、言葉を交わしても「はいし…」と、とりあえずの相槌は打つものの、それはただ機械的にそう返答しているだけで、実の所は理解したのか、していないのかは教えてくれない。こちらとしても何を考えているかもわからず、意思の疎通が困難だった。　

　豆たぬき達と対面させれば、その一挙一動に怯え、定位置である壁と植物の間に逃げ込むと、頭を抱えて丸くなり、ただひたすらに時が過ぎるのを待つという有様で、豆たぬき達が悪戦苦闘しながらも、何とか８割引きのたぬきを引きずり出して、一緒に遊び、踊りを踊っても、その動きに全くついていけず、豆たぬき達も互いに顔を見合わせて、途方に暮れてしまっていた。

「別に踊れなくてもいいんだよ」と励ましたものの、ますますその性格は卑屈になっていく。

　考えてみれば、今まで飼育してきたたぬき達の躾けが問題なく行えたのも、産まれた直後からブリーダーの手によって、あらかじめ知識を吸収する”基盤”が作られていたからだったのだ。現在の歯車の噛み合わない状況を目の当たりにして、そんな少し考えればわかりそうな事ですら、今頃になって気がついた自分に嫌気が差してきた。

　カワイイ奴隷の少女を買取り、甘やかせて仲良く暮らす。今までの辛かった生活から解放された少女は、希望に満ちた新しい暮らしに目を輝かせてご主人様を敬愛する。
　
　滑稽なまでに割引かれたたぬきを、善意で買い取ってみた時に、心の隅に過ぎった浅はかで愚かな妄想は、厚顔無恥な世迷い言の類であったことを痛感して、人間はひどく落ち込んだのだった。

　しかし、だからと言って生き物の命を預かっている以上、簡単に諦める事はできない。

　人間は、たぬきの再教育に関する書籍を探して読んだり、専門家の元へと出向いて話を聞いてもらったりと、何とか状況を改善しようと、あれこれと模索した。

　相談に乗ってくれた、たぬきカウンセラー兼ブリーダーは、たぬきに対して、忍耐強く体質改善や定義づけを行う事によって再教育を施し、幼少期における心的外傷を払拭させる事は可能だと教えてくれた。

　トイレが上手に行えないのならば、粗相をした時に使ったタオルやティッシュをトイレに置くなど、匂いによる誘導を行なったり、粗相をしてしまう場所にトイレそのものを移動させて矯正する方法があるという。

　当初は、唯一の心休まる場所である、壁と観葉植物の間にトイレを置かれた8割引きが、一日中その場ですすり泣いたり、トイレで用を足すという理屈は覚えたものの、トイレから動けずに、申し訳なさそうな顔で一日中トイレに居座ってしまう等、何度か失敗もあったが、忍耐強く、繰り返し教え込む事で、なんとか決められた場所で用を足す事を覚えてくれた。

　更に幼少期の劣悪な環境により、歪んだ骨格を矯正する為のストレッチやマッサージを行い、身体の痛みからくる恐怖心を抑えることで、無意味な嗚咽を抑えるというトレーニングも行なった。

　最初は暴力でも振るわれるのかと思い、「やめてくださいし…やめてくださいし…」と大暴れしたが、次第に、処置によって、節々の痛みがやわらいで、身体が楽になる事に気がついた8割引きのたぬきは「やだし…やだし…」とは言うものの、抵抗することはなくなり、最近では、距離をとって隠れて様子を窺うと、部屋の隅でじっとしているのにも飽きたのか「ふんし…ふんし…」と人間にされたストレッチの真似事を自主的にはじめたようだった。

　そんなある日の事だった。

「え！？今日でケージから解放されるかし！？」
「おう、今までお疲れさん」
「やっと…やっと8割引から解放されるし！狭いケージで首を曲げなくて済むし！」
「ケージからは解放されるな、たしかに」
「でも今日はたぬきショップに誰もこなかったし…もしかして、素敵なスズキが電話でたぬきを選んでくれたかし！？」
「はいはい」
「ｼﾞﾀﾊﾞﾀし放題だし、ヒガシマルのうどんも…店員さん、それ何だし？」
「何って、ゴミ袋。お前用のやつだよ」

　8割引きは珍しくパタパタと自分の方から寄って来て人間を見上げると、時折口をパクパクさせて、思わず「ごめんなさいし」と言いそうになるのを我慢しながら、自らのスカートの端をギュッと握りしめると、ションボリとした顔をモチリと上に向けて、人間を見つめて口を開いた。

「飼い主さん…ごめっ…ありが…あ…あ…ああ…”ありが…とうですし…”」

　と、フルフルと身体を震わせながら、鳴き声と変わらない感情のこもってない謝罪ではなく、自分の意思で感謝の言葉ひねり出す事に、何とか成功したようだった。

　人間は、8割引きのたぬきのその頑張りと成長に感動し、思わず8割引きのたぬきを抱きかかえそうになってしまったが、ここはぐっと耐えて、適切な距離を保ちながら大きく頷いて8割引きの頑張りを褒め称えた。

　この調子ならば、この子も近い内に普通のたぬきのように散歩をしたり、遊んだり、なんならあの有名な”うどんの踊り”とかも、きっとできるようになるだろう。そんな希望めいたものを感じずにはいられなかった。

　しかし……結果から言うと、そうはならなかった。

「ごめんなさいし…ごめんなさいし…」

　ある日を堺に、8割引きのたぬきは、突如、またトイレで用を足すことができなくなってしまった。まるでセーブデータが破損したアプリのように、何の前触れも無く、積み上げてきた経験が初期化され、振り出しへと戻ってしまったのだった。

　すぐにこの事を、たぬきカウンセラーに相談すると、「生活の中で現在よりも、以前の状態に戻った方が心が楽になると考えてしまうような出来事」が起きてる可能性がある。と推測し、様々な凡例を挙げてくれた。

　しかし、カウンセラーの説明で、殆どがこれだとされるケースが、”飼い主の過度な期待”がプレッシャーとなっていたり、同居しているたぬきから”イジメを受けている”可能性が高い。という事だと聞くと、人間は露骨に不機嫌になってしまった。

　バカバカしい…。

　人間にとって、その二つの指摘はありえない話だった。

　自分と豆たぬき達の苦労も知らないで、よくそんな無責任な事が言えたものだ。たぬきカウンセラーの予測は、良い結果が出ない事に対する見苦しい言い訳の類としか受け取れなかった人間は、会話を流して切り上げると、次回のカウンセリングの予約も取らずに足早に帰宅してしまったのだった。
「きっつねー…きーつね…きつね…？……きつね？？？」
「何もかも、間違ってるし…ちゃんとやってほしいし…」
「そういうのやめてほしいし…せめてたぬきで間違えろし…」

　リビングでは、豆たぬき達が、”あの”有名なうどんの踊りを踊っていたのだが、どうにも調子が良くなさそうに見える。

　豆たぬき達にまで、不調と不和の連鎖が伝染して、何らかの体調の悪化を招いているのかも知れない。と、人間は思わず目眩いを感じた。

「…………」

　更に、視界へと飛び込んできた光景は、床を汚物で濡らして、いつもの死にそうな顔をして俯く、辛気臭いたぬきの顔だった。

「ごめんなさし…ごめんなさいし…」

　いい加減ウンザリしてしまった人間は、たぬき用のおむつを8割引きに強引に履かせて「そうしていなさい」と、その日は躾けを放棄して、床へと付いてしまった。

　それから数日間。人間は、8割引きの事を豆たぬき達に押し付け、8割引きがうつむきながら、自分の足元へとトボトボと寄ってきたら、おむつを替える。という8割引きにとっても、人間にとっても心苦しい生活が続いてしまった。

　しかし、躾を再開する気力がどうにも沸かず、便意のように周期的に波のように押し寄せてくる焦燥に駆られた気分に、人間は、むしろ自分がカウンセリングを受けたいと感じる程に、身体に脱力感を覚えていた。

　更に数日が経過した。

「…………ﾀﾞｼ」

　おむつを変えて欲しそうにこちらを見ている８割引きの視線を感じる。

　数日を経ても、8割引きの状態が好転する事は無かった。

　最早、人間にとって8割引きの存在そのものが、憂鬱の原因となっており、たぬき達の世話以外の行動までもが、億劫に感じる精神状態にまで追い詰められていた。

　8割引きの不調と同調するかのように、改善の気配を見せない自身のメンタルのせいか、仕事まで滞り、いくつかの仕事を未達にしてしまって、自宅に持ち越していた。

　――仕事に、豆たぬき達の世話に、自分の世話にと、やらなくては生活が回っていかない事が山積みになっている。だから、８割引きの介護にばかり手間をかけている訳にもいかない。

　……等と、言い訳をして、８割引きを避けている自分が情けなくて仕方がなかった。

　自己嫌悪で息が詰まりそうになりながらも、”生活の基盤となる優先順位の高い用事から始末しなければならない”と、悪意のある理由付けを自分に課した人間は、逃げるように仕事部屋へと足を運ぶ。

　その時だった。

　いつもは、被害者面丸出しで壁に張り付いてすすり泣く８割引きが、トボトボと人間の後を追従すると、申し訳無さそうに声を絞りだした。

「ごめんですし…あの…お…おむつを…」

　と、切り出してきたのだ。

「おむつをかえてほしい」たぬきからその言葉がでかかっていた。

　何とかして、現状を覆そうと足掻く、8割引きの姿に人間は僅かだが心を動かされる感覚を感じ、それに光明を見出した。その言葉を聞ければ、また頑張れるかもしれない。人間はそう思った。遠くから様子を見守っていた豆たぬき達も、傍によって来て8割引きをジッと見つめる。

　……そんな、縋るような眼差しがいけなかったのかもしれない。

「あっ…あっ……や、やだし……ご、ごめんなさいし…」

　そう言って８割引きは頭をグシャグシャと抑えて背を向けてしまった。

　人間は、期待に胸を膨らませた反動で、いつもよりも更に白けきった気持ちを抑える事ができず、心の苛立たちを抑える事ができない。

「用もないのに呼ばないでくれ！」

　いつになく強い口調で８割引きに吐き捨てると、ドカドカと足音を鳴らしてリビングを出ていってしまった。

　その直後だった。

「だしぃぃぃぃぃぃぃぃ……！」

　人の言葉と獣の叫びの中間のような、理性の欠片もない鳴き声が家の中に響き渡った。

　人間は、それが8割引きの発した声であると理解するのに、暫くの時間を要したが、何とか我に返ると、すぐさま身をひるがえしてリビングへと駆け戻る。

「「「………！！！」」」

　豆たぬき達は、8割引きの雄叫びを間近で聞いたショックで、全員並んで倒れ込み、自身に降り掛かった精神的苦痛を、何とか払拭しようと、本能的に一心不乱にジタバタと身を捩っている。

　そんな豆たぬき達を尻目に8割引きは、鳴き声とも怒声ともつかない、素っ頓狂な声をあげていた。

「いぃぃぃぃぃィ……ひぃぃぃぃぃィ……」

　８割引きは、自身のほっぺを引きちぎれんばかりに伸ばしながら、狂ったように身悶える。ミチミチと音を立てて引き伸ばした皮膚が顔から剥離しかかって糸を引いていた。

　人間はすぐさまそれを止めようと、８割引きを抱き寄せて、ほっぺから手を引き剥がす。しかし、８割引きは間髪いれずに、自身の両手を食いちぎってしまう程の勢いで齧りはじめた。

　人間はそれもやめさせようと、8割引きの両手を引っ張って自分の手で包み込む。動きを封じられた8割引きは、その身を一心不乱に揺さぶっていたが、唯一自由に動かせる頭を大きく振りかぶると、壁に、テーブルに、棚にと、届く箇所にどしんどしんと、自ら何度も頭を打ち付けた。

　突起のある物体への体当たりは、たぬきの弾力のある肉体をも容易く裂いて、そこから血がダクダクと滲む。人間は8割引きの頭がどの物体にも届かない部屋の中央に滑るように移動すると、一切の行動を封じようと、床へと暴れる身体を押し付ける。

「ﾀﾞﾇｯ！ｳﾋﾞｯ！…うびゃぁぁ……し！！」

　圧迫によって、食べたものを吐き散らした８割引きは、それに顔を埋めて自ら窒息死しようとする。人間は、それも止めようと髪をひっぱりあげて顔を無理矢理反らす。

「グキュァ！グキュオァ！！」

　8割引きのたぬきは壊れてしまった。

　かつて、心細そうにフンフンと鼻を鳴らして床の匂いを嗅ぐ可愛らしいたぬきは、髪を引きちぎれんばかりに強く引っ張られながら、狂った獣のような叫び声を発して吐瀉物の上でのたうちまわっている。

　８割引きは最終的に全身を床に強く押し付けた圧力で失神するまで暴れ続けた。

　数時間が過ぎた。
　
「やだ……やだぁ……やだしぃぃ………」

　何とか正気を取り戻した８割引きのたぬきは、初めてこの家に来た時に入っていた安物のキャリーケースの中に入れられた。

　いや、閉じ込められたという方が正しいだろう。

　この家へ来た時よりも更に狭くなったケースの奥底に、無理やり身体を押し込んで、小さく縮こまりながら「やだし…やだし」と悲痛な嗚咽がいつまでも繰り返し漏れ聴こえてくる。

「こっちだって…あんな奴、もうやだし…」

　人間は、豆たぬきから発せられた一言に思わず視線を移すと、コピペしたようなションボリとした顔が三つ並んでいて、それを誰が言ったのかはわからなかった。

　8割引きのたぬきをどうするかは、明日たぬきカウンセラーの所へ行って相談して決めるしかないだろう。

　入院する事になるかもしれない。たぬきの入院施設なんて聞いたことがなかった。そもそも近場にそんな施設があるのだろうか？　治るのだろうか？　入院費は？　自分の生活は？　グルグルと不安ばかりが渦巻いて降り掛かってくる。そんな憂鬱な思考の波に、成す術なく溺れている内に、疲労を無視してギンギンと覚醒をつづけていた意識はようやく倒れ込むようにして途切れた。
「なんだし…！これ…！こわいし！！」

　次の日、豆たぬき達の悲痛な叫び声で、人間は目を覚ました。

　声のするリビングへ行くと、どこにそんな力があったのか、8割引きのたぬきは、安物とはいえ、ロックのかかったキャリーケースの扉を破壊して外へと脱出していた。

　割れた金属とプラスチックの欠片で怪我をしたのか、床には点々と血の跡が続いている。

　その跡を辿った先で豆たぬき達が立ち尽くしていた。

「「「これやだし…こわいし…こわいし…」」」

　怯える豆たぬき達の視線の向こう。

　8割引きのたぬきは、この辛い世界でもっとも落ち着ける場所であった壁と観葉植物の間で「蛹」になっていた。

　蛹は音や振動に反応して時折ピクッ！と痙攣のような胎動を行なっている。

　しかも、その蛹は、8割引きが履いていたおむつを取り込んでおり、まるで蛹がおむつを履いているかのような、少し情けない姿を晒していた。こんな姿になっても少し滑稽な様は、逆に８割引きの最後の最後まで言葉に出せなかった悲しみの葛藤が伝わってくるようだった。

　そんなグロデスクな容貌から、豆たぬき達はそこしれぬ呪怨のようなものを感じ取って一様に怯えきっていた。

　そしてそれは本当に呪いの類であったのかもしれない。

　程なくして、強いショックと極度のションボリによって、三匹の内二匹も後を追うように、蛹になってしまった。

　そんな蛹達は、数日で徐々にみるみる黒ずんでいき、ほどなくして腐ってしまった。

　ほんの数日で、にぎやかだった人間とたぬき達の家は、人間と豆たぬき一匹の二人きりになってしまったのだった。

　また数日が過ぎた。　　　　　　

　たぬき達が死んでから、暫くの間は憂鬱と空虚な気分で、何も手がつかなかったが、それでも人は腹が減るもので、寝て起きて食べて仕事に行くと徐々に心がフラットになっていくのが、良くも悪くも救いだった。

　生き残った最後の豆たぬきが、人間の足にしがみつき「よっこらし…よっこらし…」と少しずつ身体をよじ登って腹の上まで到達すると、ごろりと体勢を楽にして人間の体をベッドのようにして寝転がった。人間は、そんな様子をぼんやり視界の端にとらえつつ、以前とは打って変わって静かになってしまったリビングを見渡して物思いにふけっていた。

　”他のたぬきが八割引のたぬきにイジメを行なっているかもしれない”

　たぬきカウンセラーが、以前言っていた言葉が、何故か人間の頭の中で何度も繰り返し響いていた。

　たぬきは、大きな精神的ショックを受けると、蛹になってしまう事があるという。それは実際に起こったのだが、残ったこの一匹は、何故、蛹にならなかったのだろうか？

　8割引きの事があまり好きではなく、然程ショックを受けなかったのだろうか？　それとも蛹になった二匹が8割引きをイジメていて、その罪の意識から蛹になってしまったのだろうか？　どのパターンも現実味を感じない。蛹化の有無は、単純な個体差でそこに答えは無いかもしれない。

　そんな人間の堂々巡りの思考など、知る由もない豆たぬきは、人間のシャツをめくりあげて、それに自身を包み込むと「さわるなし…さわるなし…」と言いながら、嬉しそうに人間の身体にその柔らかなほっぺをすりすりとこすり付けながらションボリと微笑んでいる。

　そんな様子の豆たぬきに気がついた人間は、豆たぬきの頭を撫でると

　「おまえがあのでかいのを虐めていたなんて、ありえないよな…」

　と、膝の上の豆たぬきに対して自分の考えを思わず口に出してしまった。

「あっ……」

　人間は、自分でも何故こんな事を言ってしまったのかと、すぐに後悔の念が渦巻いたが、同時に豆たぬきは、何のことかからずキョトンとするか、豆たぬきが自身に向かって言われた事と理解できないだろうとも思った。
　
　だが、豆たぬきの反応は違っていた。

　人間の腹の上の豆たぬきは、ビクリと身体を震わせると、ゼンマイが回るようにカタカタと少しずつ首を動かして人間の方を見上げた。そしてその目に涙がじわじわと浮かび上がった。

　そのまま、豆たぬきは大声で泣き出してしまった。人間は、本当に無意識に口から出てしまったとは言え、あまりにも軽率な行いだったと反省した。実は、まだ自身の復調は表面的なもので、心の均衡はまだ保ててはいないのかもしれないと思った。

　しかし…

「おまえ……」

　すぐに言おうとした謝罪の言葉は止まり、思わず絶句してしまった。その鳴き声は、明らかに8割引きのたぬきを模したものだった。

　決まった箇所で声が上ずり、悲しみの表現なのにどこか滑稽に聞こてしまう特徴的な鳴き声。「こういう風に泣けば、これ以上は追求されない」とふんだ打算のこもった所作。人間には、そう感じとれてしまった。

　思い返せば、豆たぬきの調子を崩したような下手な踊り。あれも8割引きの児戯より拙い踊りの真似だったのではないだろうか？　8割引きが何かを訴えようとしている度に、心配そうに周囲から見守っていたように８割引きを見ていたが、もしかして…見守っていたのではなく、余計な事を人間に言わないように見張っていたのだとしたら？　

　カウンセラーが指摘した通り、イジメは存在していた？

「な…なんでそんな事をした？　はじめはあんなに協力的だったのに」

「まずい」「そんな事を言ってはいけない」と思いつつも、言葉を喉の奥に留める事ができない。

「ちがうし！でかいのの事は、弟たぬきと思ってかわいがってやってたし！でも…でもでも…」

　豆たぬきは、自分が泣いていた事を忘れてしまったかのように、語調を荒げて人間に食い下がった。

「でも？」

「あいつがうどんの踊りを馬鹿にしたんだし…！やだやだ…！って無礼たんだし…！」

「それはあいつには踊れないだけで舐めた…だなんて」

「飼い主さんもだし…！「そんなの踊れなくてもいい」っていったし…！いいわけないし…うどんの踊りを無礼るなし！」

「まってよ…それだって…あいつにそう言っただけで…」

「あのウスノロばっかり、大事にしてみんな寂しいって言ってたし！」

　”ウスノロ”

　どうやら影で八割引の事は、そう呼ばれていたようだ。基本的な躾けを完璧にこなして踊りもできる立派なたぬきである自分と、出来損ないのウスノロとを同列にされているのが、最初からずっと気に入らずに我慢していたという事なのだろう。本性を覆い隠す我慢も、またショップによる躾けの賜物なのだろうか。

　しかし人間はその考察から湧き上がる「すまなかった」という後悔の気持ちよりも、それを押しつぶす程の「もう、どうでもいい」という、いい加減にうんざりした諦めの感情が滴り落ちるほどに溢れ出していた。

「みんな怖い蛹になっちゃったし！会いたいし！ウスノロはもう要らないけど、二人は戻してほしいし！！」

「もどしてし！もどしてし！もどしてし！もどし…」

「うるさい！黙れ！」

「もどっ！！タヌッ！？」

　所詮はペット。と、潜在的に下に見ていた存在に、強く叱責された人間は、思わず豆たぬきを力任せに突き飛ばしてしまった。

　豆たぬきの身体はテーブルの上の小物を撒き散らしながら、勢いよく転がった後に硬いフローリングの床へと叩きつけられて「ズムッ！」と、頭から落ちて、そのモチモチの身体がそのまま潰れてしまうのではないかと、錯覚する程に全身を拉げさせ、更にその上に自身が撒き散らしたコップや辞典といった重い物がドサドサと降り注いで、その内のいくつかは、豆たぬきの身体を強く打った。

「ｸﾞｪｫｧ！！……ｷｭｩｩｩﾝ……ｷｭｩｩｩﾝ……」

　その苦痛から思わず、戦意喪失した犬の様な情けない声をあげてしまった豆たぬき。自身の中で高等教育を受けたという自負をもっていた豆たぬきにとって、そんな理性を失ったかのような情けない声をあげさせられた事は、屈辱以外の何者でもなかった。

「ﾀﾇﾀﾇﾀﾇ……タヌ――ッ」

　力を振り絞しぼって床をゴロンと転がると、人間に見せつけるように、口をいつもよりキツく、ギュッとへの字に曲げて、目に涙を貯めながら、無言でバンバンと床に手足を叩きつけながら只管にジタバタした。

（ジタバタ！ジタバタ！ジタバタ！ジタバタ！）

　人間は、そんな生き物から、醜悪なおぞましさを感じてしまった為に、思わず目を反らしてしまった。

　その時、不思議な事に視線を移した先には、壁と観葉植物の間に座り込む8割引きのたぬきの姿が一瞬だけ見えたような気がした。

　当然そこには、8割引きのたぬきは居らず、観葉植物もなかった。8割引きのたぬきは腐って死に、観葉植物もたぬきのオシッコによって根腐れて枯れてしまって、そこには代わりに立て掛け式の鏡が置かれていた。

　どうして、一瞬だけあのたぬきが居たような気がしたのかというと、そこに映った人間の表情が、あのたぬきのように、滑稽なまでに酷く底なしにションボリとしていたからだった。

おわり