被害者ちゃんストーリー

「知らない記録」

全13章+終章 ・ イラスト23枚 ・ 2026年11月 完結

舞台は、都内のワンルーム。薄いピンクの壁紙の一角に記者デスクと事件のホワイトボードがある、彼女の部屋。

主人公は成人女性の記者。大企業の闇を嗅ぎ回り、まずいものを映してしまった張本人。

これは、彼女が「自分のものではない保存先」で見つけた記録ファイル群と、それを再生した彼女自身の反芻の記録である。

被害者ちゃん(仮称)
成人女性 / 記者
外見
黒のショートヘア(癖っ毛)、茶色の目、丸顔
コーデ
キャスケット×茶ジャケット×クリーム色ブラウス×サスペンダー×IDストラップ×黒タイトスカート
性格
大企業の不正を追う若手記者。嗅ぎ回るのが仕事で、嗅ぎ回りすぎたのが運の尽き。本人はまだ、その自覚がない。

目次

第1章 REC 01(10/06)「いつもの挨拶」

フォルダを開いたのは、取材データの整理のついでだった。保存先の階層に見覚えのない枝があって、辿ったら、サムネイルが並んでいた。全部、私の顔だった。

仕事の流儀として、私はまず資料を疑う。日付、形式、保存の癖。ファイル名は REC の連番で、作成日時は夜の1時から3時の間に集中していた。私の就寝時間とされる時間帯に、私の部屋で、私の顔の映像が、律儀に連番で増えていく。その「律儀さ」が、真っ先に背筋を冷やした。悪意というのは、普通もっと雑だ。これは雑じゃない。これは、管理だ。

最初のファイルを開く。画角の端に、夜の窓。私がレンズに顔を近づけて、何かを確認している。口が動く。音はない。「……画角、よし」。たぶん、そう言っている。自分の口の動きくらい、私には読める。

部屋の描写を、仕事の癖で正確にやる。ベッドの位置。窓の向き。カメラの据えられた棚の高さ。私の部屋の、私の家具。見間違える要素がないのに、頭のどこかがまだ「編集のうまい贋作」を探していた。贋作であってほしい、という願いが、検証のふりをして残っていたのだと思う。

次の瞬間、私はベッドに座って、笑って、手を振っている。はい、こんばんは。たぶん、そう言っている。誰に。深夜一時、鍵のかかったワンルームで、誰に挨拶を。

時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえた。普段は気にもならない音だ。再生中だけ、部屋の音が全部遠ざかって、この秒針と、自分の呼吸だけが残る。彼女の夜は無音なのに、私の夜はやけにうるさい。

42分という長さにも、意味がある気がした。長すぎず、短すぎず。番組一本分の長さ。……そんなことを考える自分を、途中で止めた。結論を急ぐな。まず全部見る。記者の取材と同じだ。全部見てから、判断する。その判断の先に何があるかは、その時考えればいい。――その「取材の作法」が、この先ずっと、私を再生ボタンへ運び続けることになる。

再生を終えて、最初にしたのは歯磨きだった。口の中の渇きが気になって。……違う。気になったのは、鏡の中の自分の口だ。さっきまで画面の中で笑っていた口。手を振る彼女の口と、この口は、本当に同じものか。歯ブラシを止めて、鏡の自分と、しばらく見つめ合った。先に目を逸らしたのは、私だった。

合成だ、と最初に思った。思うのが自然だ。今は顔くらい誰でも作れる。仕事柄、そういう映像の真贋を見分ける目はあるつもりで、だからこそ、最初の数分は分析で過ごせた。光の当たり方。瞬きの回数。耳の形。……耳の形まで、合っている。

でも、一番変なのはそこじゃない。手を振る仕草の、最後の小指の残り方。笑った時の、右の頬だけ先に上がる感じ。そういう「癖」の部分が、気持ち悪いくらい正確だった。

再生バーの下に、時間が表示されている。42分。この挨拶のあと、私は42分間、何かをし続ける。今日は、ここまでにした。続きは、明日。……そう決めて閉じたのに、閉じた画面の向こうで、あの笑顔がずっと残っていた。

第2章 REC 02(10/08)「手順」

二日後の記録は、帰宅の場面から始まっていた。玄関で靴を揃え、カバンを机の右端に置き、社員証を外してフックに掛け、キャスケットをその上。……私の帰宅の手順、そのままだった。いや、違う。私の手順より、整っていた。

私は普段、カバンを椅子に放る日もある。社員証を首に掛けたまま冷蔵庫を開ける日もある。なのに記録の中の私は、一ミリも寄り道をしない。置く位置も、掛ける順番も、寸分違わず毎回同じ。まるで、誰かに見せるための手本みたいに。

帰宅の記録というのは、地味だ。誰も見ていないはずの、ただの段取り。それが一番、嘘がつけない。ポーズは作れても、段取りの癖は作れない。私が追ってきた被疑者たちだって、結局はこういう「いつもの動き」の綻びから崩れた。自分の映像に、自分の仕事の物差しを当てている。それが滑稽で、滑稽なのに正しかった。

ベッドに座る姿勢もそうだった。背筋を伸ばし、膝を揃え、手を膝の上に置く。私が普段、そんな座り方をこの部屋でしたことがあるか。ない。ベッドは私にとって、座る場所じゃなくて倒れ込む場所だ。

翌日の会社で、私は同僚の何気ない一言に固まった。「最近、寝てる? 顔色はいいけど」。顔色はいい。夜中の手順の果てに、彼女はスキンケアまで済ませて横になるのだと、02の記録の最後で見たばかりだった。私の肌の調子は、彼女の手順の成果だ。褒められた端から、その出所を思って、背中が冷えた。

「一度きりなら偶然」という言い訳は、この章で早くも崩れた。偶然は、手順にならない。手順というのは、繰り返しの果てにできるもので、繰り返しというのは、つまり――私の知らない夜が、もう何度もあったということだ。

ホワイトボードの端に、先週の私の字で「要・裏取り」と書いてある。その裏取りの対象は、もう画面の中にいた。

再生を止めて、部屋を見回した。フックの社員証。机の右端のカバン。今朝、私はそれを、無意識にそこへ置いた。……いや、今朝だけじゃない。いつからだ。いつから私は、家に帰ると、まず「整える」ようになったんだろう。

第3章 REC 03(10/11)「私の癖」

三本目は、笑っている私の記録だった。何が可笑しいのか、画面の外に向かって、声を殺して笑っている。笑いながら、右手が耳の後ろの髪を触る。考え事をする時と、照れた時に出る、私の癖だ。

癖の一致は、これまでも積み上がっていた。頷く時の顎の引き方。困った時に目線を右下に逃がす癖。指先で机を叩くリズム。その全部が、「似た他人」という言い訳の上に、少しずつ重しを載せていく。

笑い声は入っていない。音のない映像の中で笑う彼女は、楽しそうだ、というより、楽しみ方を知っている人の顔をしていた。何が可笑しいのかは、最後まで分からなかった。たぶん、画角の外の何か――通知か、声か、文字か。それに彼女が応えて笑う、その呼吸だけが残った。

言い訳その1は、こうだ。似た他人。世の中に、私と似た顔で似た癖の女がいて、たまたま同じような部屋に住んでいる。……確率の話をするまでもなく、部屋のホワイトボードが致命的だった。事件の相関図は、私の字で、私しか知らない取材メモの書き方で、画面の端に映り込んでいた。

それでも、まだ「私だ」とは認めなかった。認めるためには、もう一段、決定的な何かが要ると思っていた。後から思えば、この時点で私がやっていたのは検証じゃない。認めるための条件を、少しずつ後ろにずらす作業だった。

第4章 REC 05(10/14)「脱衣」

ファイルの番号は、05だった。04がない。03の次が05。欠けた一本のことが、この章の間ずっと頭に残った。

記録の中の私は、ベッドの前でジャケットを脱いでいた。畳んで、椅子の背に掛ける。ブラウスのボタンを一つ外し、襟元を整える。動作の一つ一つが落ち着いていて、急ぐ様子も、迷う様子もない。帰宅して、着替える。それだけのことのはずなのに、目が離せなかった。

手順の正確さが、もう一段上がっている。01の頃は、まだ「やらされている感」の残る固さがあった。05の私は違う。自分の意志で段取りを進める人の動きだ。……本当は逆なのかもしれない。段取りが身体に染み込むほど、繰り返したということ。

窓の外は、オフィス街の明かりだった。私の部屋の窓から見える景色。14日は雨で、ガラスに水滴の跡がある。その雨の夜に、私は原稿を書いていたはずだった。書いていた、という記憶の隣で、記録の中の私はブラウスを整えている。記憶と記録が、同じ夜を取り合っていた。

REC 04は、どこへ行ったんだろう。削除されたのか。最初から無かったのか。無かった、というのはどういうことか。カメラが回らない夜が、どういう夜なのか。

この頃から、日常の端々に、彼女の痕跡を見つけるようになった。朝、シャワーの温度が私の好みより少し熱い。髪を乾かす順序が、左右逆になっている。些細なことの集積だ。一つ一つは気のせいで済む。でも「気のせい」の在庫が、日に日に減っていった。

考えたくない方向に、考えが進む。もし、記録に残す価値のない夜――つまり、何も「始まらなかった」夜が、04だったのだとしたら。始まる夜と、始まらない夜を分けるものは何なのか。

記録の彼女の、ブラウスの整え方にも手順があった。裾を引く。襟を立てる。胸元のボタンの掛かりを確認する。鏡もないのに、彼女は自分の見え方を正確に把握していた。見られている前提の身体は、鏡なしで完成する。その事実が、脱衣そのものより、私には重く響いた。

この章の最後、私はブラウスのまま、カメラに向かって小さく頷いた。誰かに、報告するみたいに。その頷きの先にいる「誰か」のことを、私はまだ知らない。

第5章(記録なし)「空白の夜」

10月15日の記録は、存在しない。ファイルの一覧を何度並べ替えても、14日の次は17日だった。

だからこの章には、映すものがない。あるのは、その夜についての、私の記憶の曖昧さだけだ。

15日。何があった日か。手帳を見た。夕方まで通常の取材、夜は原稿。……原稿。確かに書いたはずの原稿は、下書きフォルダに三行だけ残っていた。三行書いて、私は寝たのか。眠気が来た記憶も、ベッドに入った記憶もない。歯を磨いたかどうかさえ、言い切れない。

再生を止めた夜更け、洗面所の鏡を見た。寝不足の顔。目の下の隈。15日の私は、この顔で会社へ行った。誰も何も言わなかった。当たり前だ。夜のことは、顔には出ない。出ないから、続く。出ないから、誰にも止められない。

人は、自分の夜のことを、意外なほど覚えていない。覚えていないのが普通だ、と自分に言い聞かせる声と、でも「普通」は14日までの話だ、と返す声が、頭の中で交互に響く。

空白の夜のことを、もう一つだけ。15日、私は夢を見た気がする。内容は覚えていない。覚えているのは、目覚めた時の、妙な満ち足りた感じと、口の中の渇きだけ。夢日誌にも書けなかった。書くための言葉が、起きた時点で消えていたから。身体は覚えているのに、言葉だけが置いていかれる。その感覚が、後になって、このフォルダ全体の縮図だったと分かる。

記録がないということは、裏を返せば、記録の外側では何が起きても分からないということだ。これまでの記録は「起きたこと」の全部じゃない。残すと決めたものだけが、残っている。決めたのは誰だ。私じゃない、はずだ。

この章を書きながら――いや、思い返しながら、私は気づいた。記録のない夜のことを、私はもう「何もなかった夜」とは呼べなくなっている。何もなかった、のではなく、何があったか分からない夜。分からない、という言葉の重さが、この数週間でまるで変わってしまった。

この夜、私は再生ボタンを押さなかった。押すものがなかったから、代わりに、自分の部屋の暗さを眺めて過ごした。カメラは据え置きのまま、ランプも点いていない。点いていないことを、ほっとして確認する自分がいた。……確認する癖が付いたのは、いつからだ。

第6章 REC 06(10/17)「下着」

17日の私は、下着姿でベッドに座っていた。ブラウスを脱ぎ、スカートを脱ぎ、タイツを丁寧に畳んで――畳んで、だ。脱いだものを畳む人間が、恥ずかしさで死にそうになっているはずがない。

正直に言うと、最初に来た感情は羞恥じゃなかった。「慣れている」という事実への、恐怖だった。羞恥は初めてのものに対して来る。何度も繰り返した手順の前では、羞恥はもう消費されて、残らない。

白いブラウスが、少しずつ解けていく手順も映っていた。ボタンを上から順に外す。私の癖は下からだ。その違いに、一瞬だけ安堵したのを覚えている。違う、と思えた箇所が、ようやく一つ見つかったから。……安堵は長く続かなかった。外し終えた彼女が、ブラウスを畳んで椅子に掛けるのを見たからだ。私も、脱いだものは畳む。下手くそに、でも必ず、畳む。

記録の中の私は、カメラの前で平然としている。いや、平然というのも違う。どこか、誇らしげでさえある。姿勢を正し、顎を引き、見られていることを前提に身体を置いている。見られている。……誰に。

自分の下着姿を、こんなに長く見つめたことは人生でなかった。鏡の前でも、ここまで冷静には見ない。目が吸い寄せられるのは、肌や曲線そのものより、そこに至るまでの段取りの跡だった。タイツの畳み目。ベッドの端に揃えられた服。行為の前から、行為の後までを設計する誰かの几帳面さが、脱衣の場面にまで通っていた。

この問いが、だんだん形を変えてきた。最初は「誰が撮っているのか」だった。今は「誰に見せているのか」になっている。カメラは固定だ。画角の外に、操作する手は見えない。つまりこれは、撮られている映像である以上に、届けられている映像なのだ。

この記録の再生中、私は一度も時計を見なかった。見たら、自分の夜がどれだけ「向こう側の時間」に食われているか、数えてしまいそうだったから。

見る、という行為の暴力性についても考えた。私は取材で、人の夜を覗いたことがある。張り込みの車内から、他人の窓の明かりを数えたことがある。その時の私と、今の私は、していることが同じだ。違うのは、覗いている先が自分の人生だという一点だけ。その一点が、全部を変えてしまう。

届け先が分からない。下着の私が、届け先の分からない誰かに向けて、姿勢を正す。それを、私は自分の部屋の暗がりで、息を詰めて見ている。

この章を見終わった夜、私は自分の下着の畳み方を思い出そうとした。思い出せなかった。思い出せないのに、たぶん今夜も、私は畳む。

第7章 REC 07(10/19)「許可」

19日の記録で、初めて「始まり方」が変わった。これまでの私は、ベッドに座れば、すぐ手順に入っていた。その夜の私は違った。座って、少し待って、視界の端に何かが開いたのを見て――小さく息を吐いて、それから頷いた。頷いてから、始まった。

電脳の窓だ。私の視界にだけ開く、通知の類。記録の画角では中身までは読めない。でも、窓の開き方、消え方、その前後の私の表情の変化で、だいたいのことは分かった。何かが申請されて、何かが返ってきて、私はそれを確認してから、動き出す。

窓は、彼女の視界の右端に開いていた。半透明の、見慣れたデザイン。私の電脳の標準ウィンドウだ。その中に、短い文が一つ。画角の圧縮で文字は潰れていたけど、ボタンの配置は読めた。ボタンは一つだけ。選択肢のない窓。申請しますか、ではなく――申請する、しかない窓だった。

許可。その言葉が、頭に浮かんだのは自然なことだった。申請と、許可。始める前に、許可が要る。……誰に。何のために。私の身体で、私がすることに、なぜ。

許可の仕組みについて、取材者として仮説を立てた。第一に、遠隔の操作者がいる説。第二に、私の電脳内の何らかのプログラムが自動で回している説。第三は――立てかけて、やめた。今はまだ、立てない。仮説は検証のためにある。検証のしようがない仮説は、ただの恐怖だ。

理由を考えた。取材で潜入した先の変な儀式か。催眠まがいの何かか。どれも、しっくり来ない。しっくり来ない理由は単純で、記録の中の私は、その「許可」を不自然だと思っていないからだ。歯を磨く前に歯ブラシを取るのと同じ顔で、彼女は許可を待つ。

笑った、と書いた。でも正確には、笑うしかない顔だったのかもしれない。嬉しい、という感情の形を、私は自分の顔で初めて見た。取材の成功でも、給料日でも、私はあんな顔をしたことがない。

窓のボタンの話には、続きがある。あの夜の後半、行為の合間にも窓は開いた。許可は一回きりじゃない。段階がある。進むたびに、彼女は待って、頷いて、進む。その律儀さが、だんだん私には「儀式」に見えてきた。儀式には主催者がいる。主催者の顔を、私はまだ一度も見ていない。

一番ぞっとしたのは、次の瞬間だった。許可が下りた時――窓が消えた時、彼女が、本当に嬉しそうに笑ったのだ。始めることそのものより、許されたことに。

私は再生を止めて、自分の電脳の通知履歴を開いた。19日の夜の欄は、空だった。空であることが、もう何の証明にもならないことだけは、この数週間でよく分かった。

第8章 REC 08(10/22)「道具」

22日の記録には、ベッドの上に、見覚えのない物が置かれていた。大人の、道具。色も形も、私の趣味じゃない。……「私の趣味じゃない」という言い方が、まずおかしい。私がそういう物の趣味を語れる立場にないことは、私が一番知っている。経験が、ないのだから。

なのに次の瞬間、記録の中の私は、それを手に取って、迷いなく電源の位置に指を置いた。初めて触る人間の手つきじゃなかった。置き場所も決まっていた。シーツの右端、枕から手の届く距離。私の部屋の、私の「物の住所」の決め方そのままに。

道具の話には、もう一つ付け足しがある。その夜の記録の最後、彼女は道具を元の場所に戻し、引き出しを閉め、ベッドを直してから横になった。使った形跡を、部屋に残さない。それも手順だった。朝の私が、何も知らずに起きられるようにするための、手順。

購入の履歴を調べた。カードの明細。通販の履歴。全部、辿った。痕跡はあった。私の名前で、私の住所に、私の金で届けられた注文が。日付は、この記録より少し前。注文した記憶は、ない。受け取った記憶も、ない。なのに段ボールを開けた形跡だけは、ゴミの日の記録にまで残っていた。

レシートの話を補うと、玄関の宅配ボックスの履歴も合っていた。私が受け取ったことになっている荷物が、その週だけで二つ。どちらも今、私の引き出しと、ベッドの右端にある。物の住所は、最初から決められていたのだ。私が「片付けた」のではなく、届く前から置き場所が決まっていて、私の身体がそこへ運んだ。順序が逆だった。

誰かが私の名前で買ったのか。そう考えるのが一番楽だった。でも、楽な説明ほど、この数週間で何度も裏切られてきた。暗証番号も、生体認証も、私の身体が鍵の買い物だ。私の身体が、私の知らない買い物を、私の部屋のために済ませている。

引き出しの話を、もう少しだけ。その引き出しは、私が「下段」と呼んでいる場所で、普段は予備の文具と、使わない充電ケーブルの場所だった。記録の映像の中で、その引き出しの開閉は三回あった。三回とも、彼女の手つきに迷いがなかった。住所は、引き出しの中まで、もう書き換わっている。

道具は、回を追うごとに増えていくんだろう。そう思った根拠は、画角の端に映る引き出しだった。私の引き出し。私が文具しか入れていないはずの引き出しが、記録の中では、少しだけ、開いていた。

第9章 REC 09(10/25)「身体だけ」

25日の記録は、再生する前から、手が震えた。サムネイルの時点で、今までと違うことが分かってしまったからだ。座っていない。彼女はもう、ベッドに身を任せて、始めてしまっている。許可の頷きも、手順の確認も、この記録では全部、画角の外で済んでいた。

内容を、言葉で正確に書くことはしない。私が見たのは、自分の身体が、自分の知らない快楽の回路を、迷いなく辿る様子だった。どこを、どうすれば、どうなるか。彼女は全部知っていた。私が知らないことを、私の身体は全部知っていた。

匂いの記憶だけが、先に来た。シーツの洗剤の匂い。夜の空気の匂い。映像は無音で無臭なのに、身体の方が勝手に場面を補完する。取材で鍛えたはずの距離感が、自分の映像の前ではまるで役に立たなかった。そりゃそうだ。これは他人の事件じゃない。

途中で、何度か、彼女は届かなかった。頂きの手前で、身体が止まる。焦れたように身をよじって、視界の端を見て、待つ。……許可待ちだ。最中でも、許可が要る。やがて窓が開いたのだろう。彼女の表情がほどけて、身体が大きく波打った。深く、深く、落ちていくのが、見ていて分かった。

許可待ちの間の彼女は、泣きそうな顔をしていた。焦れと、期待と、ほんの少しの絶望が混ざった、複雑な顔。それを見て、私は目を逸らさなかった代わりに、自分の頬に触れた。乾いていた。当然だ。泣いているのは画面の中だけ。……本当に、そうか。私の指先は、ほんの少しだけ、湿っていた気がした。気のせいだ、と今度は声に出して言った。

一番、認めたくないことがある。この記録を見ている間、私の身体が、画面と同期していた。同じ場所が熱を持ち、同じタイミングで息が詰まる。記憶はない。思い出もない。なのに身体だけが、この映像を「初めて」だと思っていない。

深く落ちていく、と書いた。実際はもっと静かなものだった。波打つ身体と、時々漏れる声にならない息。それが三度、四度と繰り返されるのを見て、私は数えるのをやめた。数える行為自体が、観察者の真似事に思えたからだ。この映像の前で、私は観察者ではいられない。関係者だ。当事者だ。――当事者、という言葉の意味すら、この記録は静かにずらしていく。

彼女の呼吸が荒くなるにつれて、私の呼吸も勝手に追いついていった。止めようと思えば止められたはずだ。目を逸らすことも、音のない画面を閉じることも。どれも、しなかった。しない自分を、もう一人の自分が、少し離れた場所から冷めて眺めていた。その「眺める目」だけが、私の最後の記者の部分だったのかもしれない。

止めるボタンに、手は伸びなかった。最後まで見た。見終わってから、しばらく、暗い画面の中の自分の顔を眺めていた。問いが一つ、静かに残った。私は今まで、誰の夜を生きてきたんだろう。――いや、逆だ。私の夜は、今まで、誰のものだったんだろう。

第10章 REC 10(10/27)「報告」

27日の記録は、終わりの場面が長かった。彼女は事後、ベッドに座り直し、姿勢を正して、カメラに向かって口を動かしていた。音はない。でも、口の形は読めた。

「……しました」。たぶん、それが最後の語尾だった。その前を、遡って読む。「い、き」。……読むのを、やめた。読めてしまったから、やめた。

彼女の口の動きは、ゆっくりで、はっきりしていた。報告のための発声だった。誰かに聞かせるための、丁寧な発音。無音の部屋で、丁寧に報告する私。それが、許可の頷きよりも、このフォルダ全部の中で、一番人形みたいで、一番生々しかった。

報告。始める前の許可と、終わった後の報告。彼女の夜は、その二つに挟まれて回っている。誰に報告しているのか。その報告は、どこへ届いて、誰の記録に残るのか。私のこのフォルダは、その届け先の、控えでしかないのかもしれない。

報告の声は、聞こえない。聞こえないからこそ、その丁寧さが際立った。彼女は報告を終えると、小さく頭を下げた。礼までするのか、と思った瞬間、画面の端で窓が閉じるのが見えた。受理、されたらしい。その一連の流れの滑らかさに、私は「ご苦労さま」と言いそうになって、自分の声に自分で驚いた。誰に。何に対して。

受理の窓が閉じた後、彼女はすぐに寝なかった。ベッドの端に座って、しばらく天井を見上げていた。満ち足りた、とも、疲れた、ともつかない顔。それが、このフォルダで一番「普通の夜」に近い顔だったのが、私には一番堪えた。普通の夜の顔で、彼女はあの夜々を生きている。

この章を見た夜、私は初めて、声に出して言ってみた。「やめて」。誰に言ったのか分からないまま、暗い部屋で言ってみた。返事はなかった。当たり前だ。……当たり前のはずなのに、返事がないこと自体が、少しだけ、怖かった。

第11章 REC 11(10/30)「昨夜」

30日の記録は、眠っている私だった。ただ、眠っているだけの映像が、3時間分。早送りしても、何も起きない。起きない、ということが、この章の全部だった。

昨夜の私だ。一昨日の夜と言ってもいい。私はこの映像の夜を、確かに「寝た」と思って生きていた。朝起きて、少し寝不足で、でも普通に会社へ行った。

3時間の映像を、私は1時間かけて見た。早送りと、一時停止を繰り返して。何も起きない映像を止めては、寝顔を拡大した。寝返りの回数。寝言らしい口の動き。……何かを探していた。彼女が「来る」兆しを。兆しはなかった。来る時は、たぶん、こんな顔で寝ている私の隣に、静かに来るのだと思う。

寝不足の理由を、この映像は知っている。私だけが知らない。そういう夜が、あと何回、私の知らないうちに過ぎたのか。数えるのが、怖くなった。

第12章 REC 12(11/01)「もう一つの習慣」

11月1日の記録は、静かなものだった。彼女はパジャマでベッドに座り、膝を抱えて、しばらく何もしない。カメラを見るともなく見て、やがて小さく息を吐いて、横になる。それだけの記録。行為も、道具も、許可の窓さえない。

なのに、この章が一番、胸に来た。何もしない夜にも、彼女はカメラの前に座るのだ。座ることが、もう目的になっている。始まるかどうかは、向こうが決める。今夜は「なし」だった。それでも彼女は、待つ場所に、ちゃんと来ていた。

見ている私の方も、同じだった。フォルダを開く。日付を選ぶ。再生する。その手つきが、いつの間にか手順になっていた。止めようと思えば止められるはずの夜に、私は毎晩、ここへ来ている。彼女がカメラの前に座るのと、同じ形で。

待つ、という行為の形は、実は一つしかない。膝を抱えた彼女と、再生バーを眺める私と、どちらも同じ格好で、同じ暗さの中で、向こう側の都合を待っていた。

この章の記録を見た後、私は初めて、具体的な対抗策を考えた。カメラを壊す。部屋を引っ越す。電脳の初期化を相談する。友人の――警察関係の、あの子に相談する。候補はどれも、頭の中で三秒ともたなかった。壊せば「何も起きなくなる」保証はどこにもないし、相談は、相談した時点で私の夜が他人の資料になる。記者の私が、一番よく知っている。資料になった人間の、その後を。

私と彼女は、だんだん同じ習慣を生きている。向こう側が私を真似たのか、私が向こう側に寄っていったのか。もう、区別がつかない。

第13章 REC 13(11/03)「最新の記録」

一番新しいファイルは、今朝のものだった。眠る私。目覚める私。寝ぼけた手が、枕元の端末を探る。フォルダの通知に気づく。……気づいて、顔色が変わる。私が知っている、あの朝だ。

再生は、現在に追いついた。この先のファイルは、まだない。

今朝の映像の中の私は、フォルダに気づいてから、しばらく固まっていた。固まったままの私を、私は今、再生して見ている。輪が閉じていく感じがした。見る私と、見られる私。その距離が、章を追うごとに縮んでいく。この調子で縮み続ければ、いつかゼロになる。ゼロになった時、私はどっち側の人間として目覚めるんだろう。

まだない、という言い方をした自分に、ぞっとした。

第十四章 「視聴」 ―― 十月三十一日

消さない、と決めた夜から三日。三十一日の夜、私はまたフォルダを開いていた。理由は決めてあった。本当に最後の確認。最初の挨拶の目が、どこを見ているのか。それだけ見たら、閉じる。

開いたのは REC 06、下着の夜だった。証拠の確認のためだ、と自分に言った。半分ほど進んだ所で、自分の姿勢に気づく。体重のかけ方、脚の置き方。画面の中と、寸分たがわず同じだった。手は、いつの間にか自分の腿の上にあった。用もなく、ただ置かれていた。

気づいても、手は止まらなかった。そこが変だった。手の動きは画面の中と同じくらい手慣れていて、私は二画面分の自分を見ている気分になった。片方は記録。もう片方は――何だろう。練習の成果が、練習した覚えのない側に出ていた。

終わってから、羞恥は時刻表通りにやってきた。でもその下に、もっと始末の悪いものがあった。これは真似の感触ではなかった。続きの感触だった。画面の向こうの行為が終わって、こちらの手が、その続きを引き受けたような。

私は立ち上がって、洗面所の明かりをつけた。明るすぎた。確認したかった。原本のほうを。鏡の中の私は、いつもの私だった。髪も、顔も、身体も。それから私は、署名の真贋を確かめるみたいな手つきで、自分で自分を確かめていた。違いが、どこかにあるはずだった。

「大丈夫…だよね?」声に出ていた。鏡の中の私は、半拍遅れて同じ口の動きをした。それが気のせいだということは分かっていた。分かっていることが、まるで役に立たなかった。

違いは、どこにもなかった。毎朝見るのと同じものが、そこにあった。つまり違いは、見える場所には保管されていない。そのことが、一番怖かった。私は必要以上に長く、手を乾かしていた。

部屋に戻ると、フォルダは開いたままだった。一覧を眺めるとはなしに眺めて、目が止まった。ずっと飛ばしていたファイルがあった。飛ばしていることに、自分で気づいていなかった。REC 09。日付は、十月二十一日。もう見たはずの「道具の夜」より、前の日付だった。開くな、という判断が追いつく前に、指が開いていた。

第十五章 「十月二十一日」

始まりはいつもの手順だった。挨拶、座り直し、整った姿勢。角の日付だけが、二十一日を指していた。「許可」の夜の二日後で、「道具」の夜の前日。私は今まで、ファイルの並びを階段だと思っていた。下る順番が、だいたい合っているのだと。

挨拶が終わると、記録の彼女は振り返って、引き出しを開けた。ベッド脇の、一番下の、奥。手つきに迷いがなかった。私はその地理を、覚えたくないのに覚えながら見ていた。

取り出されたものを見て、私は固まった。私は、そういうものを持っていない。持ったことがない。そもそも私は処女で、私の人生のどこを探しても、あれが部屋に入ってくる経路がない。それなのに記録の中では、それは丁寧に包まれ、手入れされた道具として、あるべき場所から出てきた。

使う段取りは、落ち着いて、よく知っていた。角度も、間合いも、手順の全部に年季があった。私は逆算していた。この手つきが二十一日に出来上がっているなら、始まりは、私が見たどのファイルよりも、ずっと前でなければならない。

やがて窓が出た。申請。ここまでの振り付けは知っている。送信。――返事は、すぐには来なかった。来たのは「却下されました」だった。記録の彼女の顔から、表情が抜けた。本気の戸惑い。それから彼女は両手を合わせて、泣きながら頼み始めた。「お願いします、お願いします」。カメラに。窓に。聞いている何かに。

それは一分近く続いた。私は無意識に数えていた。そして「許可されました」。あの顔に広がった安堵は、何に対しても釣り合わない大きさで、そのあとの絶頂は、私が見たどのファイルよりも深かった。

ファイルは報告で終わった。整然と、いつも通り。私は三十一日の夜の暗い部屋で座っていた。見ることで少しずつ階段を下りているのだと思っていた。違った。階段は、向こうの彼女が、私の見始める前に下り終えていた。

視線が、勝手に動いた。自分のベッド脇の引き出し。一番下の、奥。今夜は開けない、と私は部屋に言った。「今夜は」という言い方が、明日の分を空けてあることに、言ってから気づいた。

第十六章 「しちゃった日」 ―― 十一月一日

十一月一日、日曜日。組み立てた一日だった。洗濯、掃除、開いたまま一行も進まない原稿。フォルダの入ったノートパソコンは閉じたまま。その事実を、私は一時間ごとに自分に報告して、褒めていた。それ自体が、もう自白だった。

夕方、考えは仕事の服を着てやってきた。記録を検証する方法がある。記者のやり方だ。同じ条件を再現して、何が起きるか見る。引き出しが空なら、あのファイルは捏造で、もっと単純な何かを怖がればいい。手順の最初は、姿勢だった。動画と同じ座り方をする。それは、ぞっとするほど簡単に組み上がった。私はそれを証拠として記録し、記録している自分を嫌った。

次の手順で、計画は壁に当たった。同じことをするには、道具が要る。「出さないと、同じにならない」。その一文は実務的で、ほとんど退屈だった。私の手は引き出しに向かった。一番下の、奥。自分の部屋の鍵を開ける手つきで、開けた。

中には、同じものが、同じ場所に、同じように仕舞われていた。取り出す手は震えなかった。震え始めたのは、持ってからだった。頭が、手のしたことに追いついた時に。

私はそれを、まじまじと観察していた。検証には観察が要る。重さ、温度、手順の細部。記録と寸分違わないことを、一つずつ確かめた。――確かめている間に、私の身体は、私に無断で準備を始めていた。気づいた時には、もう済んでいた。点検しているつもりで、点検されていたのは、こちらのほうだったのかもしれない。

ベッドの上で、長い静止があった。検証の論理はいくつも出口を用意していた。存在は証明された、ここで終わりにできる。でも私は、念の入れ方の声で、一つずつ断っていた。動画の主張は、存在だけじゃない。もう一つは、この身体についての主張だった。

おっかなびっくり、というのは、ああいうことを言うのだと思う。私の知る私は、誰にも触れられたことがない。痛みや、きつさや、身体の正直な拒絶を、私は予期していた。謝りながら、ゆっくり進めた。

するっと、入った。拒絶はなかった。痛みもなかった。私の身体は、それを自分の鍵を受け取る錠前みたいに受け入れて、私の頭は真っ白になった。しばらくの間、思考は一つもなく、ただ事実だけが、大きく、静かに、そこにあった。

手は――検証を正確に、と私は手に言った――動画の取った角度を取った。そして、知らない場所に触れた。快感は即座で、私の分類のどれにも入らない種類のものだった。電気が身体を通り抜けた。漏れた声は、スピーカー越しにだけ聞いたことのある声だった。

知らない場所が、知ってた。来たのは恐怖だった。気持ちよかったからではない。知っている、という感触だったからだ。私の身体には、誰かの手で引かれた地図があって、私はその中を、何も知らずに歩いて暮らしていた。どれくらいの間――いえ、長さは問題じゃなかった。

私はやめた。膝を抱えて座って、震えていた。行為のせいじゃない。証拠のせいだ。文が、頭の中で、一語ずつ組み上がった。向こうの彼女が報告を組み立てるのと同じ手際で。身体だけ、覚えてる。

あとは、全部洗って、寸分たがわず元に戻した。その正確さに、遠くでうっすらとぞっとした。シャワーは水が冷たくなるまで浴びた。ベッドに入ってからも、私は眠らずに目録を作っていた。引き出し。角度。場所。私の身体には、私の読んでいない伝記がある。明日は月曜日。仕事がある。それがまだ、自分を引っ張ってくれるはずだった。

第十七章 「休んだ日」 ―― 十一月二日

十一月二日、月曜日。目覚める前から、身体が燻っていた。昨日の続きが、寝ている間に発酵したみたいに、布団の中でうずいていた。手は、止める理由を頭が組み立てるより先に、もう動いていた。

時計は、出社時間が近づいていることを知らせていた。支度をすれば、まだ間に合う。手は止まらなかった。「あと少し」が、何度も更新された。

電話は、ぼーっとした頭のまま、かけた。「体調不良で、お休みをいただきます」。相手の声に頷きながら、私は自分の声の滑らかさと、もう一方の手の動きを、別々の場所で聞いていた。入社以来、初めての欠勤だった。

電話を切ると、もう何も、私を止めるものはなかった。引き出し。一番下の、奥。昨日あんなに怖かったものが、今日は朝の手順の一部になっていた。

動画と同じ角度。動画と同じ間合い。私の弱点は、もう地図になっている。何度もそこを虐めて、達して、喘ぎ声が漏れた。自分の声が部屋に満ちていくのを、どこか他人事みたいに聞きながら、また達した。

何度やったのか、昼の光が角度を変える頃には、数えていなかった。限界は来なかった。来たのは眠気で、私はそのまま、気絶するように落ちた。

目覚めたのは、昼をだいぶ回ってからだった。シャワー。湯の中で身体を洗いながら、昨日の私と今日の私を数える遊びをした。うまく、数えられなかった。

湯上がり、タオルを取る手が、止まった。「あ、撮らないと…」。声に出ていた。その一言がどこから来たのか、私には分からなかった。分かるのは、それが命令でも衝動でもなく、当然の手順みたいに聞こえた、ということだけだった。

スマホを立てる。赤いランプ。湯上がりのまま、動画と同じ座り方をして、見せつけるように始めた。誰に――という問いは、もう形を失っていた。カメラの向こうの席は、最初から一つしかなかったのだから。

深く、速く、手順通りに自分を追い込んだ。達する、その直前。目の端で、ウィンドウが開いた。見覚えのある文面だった。「許可を申請しますか?」。身体は、頂点の手前でぴたりと停められて、熱だけが、行き場なく貯まっていった。

どうすればいいのか、私は知っていた。それが一番怖いはずなのに、その瞬間の私には、救いに近かった。私は声に出して、言った。「申請します。お願い、許可してください」

「許可されました」。表示と同時に、貯めていた全部が一度に来た。仰け反って、声を上げて、私は達した。身体が弓なりに反っている間、頭の中は真っ白で、その白さの中で、全部が繋がっていた。

理解は、言葉ではなかった。あの動画は、私に宛てたものだったこと。申請は、外の誰かへのものではなかったこと。訊く場所には、もう係員が座っていたこと。――分かった、と私は思った。それは、絶望の形をしていなかった。それも含めて、分かった。

終わって、私はカメラに向かって、いつもの声で言った。「報告します。本日、許可をいただいて、一回、達しました」。言い終えてから、それが誰への報告なのか考えて、考えるのをやめた。部屋は、静かだった。

終章 「十一月二日、夜」

夜。部屋は片付いている。片付けた覚えはない。

フォルダを開くと、REC 14 が増えていた。カメラのアイコンに、赤いランプ。私は椅子に座って、画面の中で待っている椅子と、向かい合った。

挨拶の宛先も、そのあと訊くべき相手も、もう分かっている。口が、小さく開く。

ランプは赤いままだった。私は、目を逸らさなかった。

―― 完 ――