竜馬の危惧は、意外なほどに事態が終息したことで穏やかに解消された。 名張一家(娘一華を除く)によるエンシェントモニタモンの"図書館"襲撃事件。一家だけでなく図書館の情報を狙う多くの勢力が押し寄せ、各地で乱戦となっている。担当スプシモン、そしてエンシェントモニタモンからの要請で防衛陣に加わった竜馬だったが、顔見知りの名張夫妻が敵に回ったことに少なからず戸惑いを隠せなかった。 確かな大人としての冷静さと強さ、そして家族を愛する────自分の家族にはなかった────暖かみを持った蔵之介が、これだけの凶行を起こしただけでなく、実娘とも敵対した。この事実に竜馬は総毛立った。それが顔見知りの変貌に対する困惑なのか、それとも『家族』という概念そのものに対する自分のトラウマによるものなのか、竜馬には分からなかった。 しかし、蔵之介については娘の一華が打倒。心変わりを起こさせることで、名張一家の相剋は驚くほど穏やかに終息した。あっけに取られた自分がいる一方で、この上ないほど安心している自分の存在を、戦いを見届けた竜馬は実感していた。 ──よかった。家族が憎み合うことほど悲しい事は無い。彼らは俺とは違ったのだ。 そうなると、後のやるべき事は自ずと各地の乱戦を解決することに絞られる。わだかまりなく戦える事はありがたい。何も考えず、襲ってくる敵を退けていけば良い。楽な仕事だ。 …だが同時に、それは自分が戦いに染まりきっていることも意味している。そのことに思い立った時、竜馬はまたしても自己嫌悪を感じるのだった。 「竜馬!こいつらウジャウジャいる!キリがないぜ!」 「…わかってる。黒白たちと腹ごしらえをしといてよかった。」 「違いないね!」 手近なゴグマモンオニキスを2体ほど吹き飛ばしながら声をかけてくる相棒のトリケラモンに、竜馬も鷹揚と返す。タフなことになるから、と戦闘前に食事に誘ってくれた黒白の判断に感謝だ。 当初はなんで戦場に出店があるのだと困惑していたが、今となってはありがたい以外の感想はない。 ゴグマモンオニキス、イータモン、そしてトループモンの群れが入り乱れて暴れる戦場である。見知った人々もどこかで戦っている。その事は竜馬にとって救いではあったが、同時に気掛かりでもあった。 自分のことはいい。果たして仲間たちは無事に生還できるだろうか。およそ半端な敵にやられるような奴らとは思ってはいないが、それでも心配するのが人情だ。 その竜馬の懸念は、ある意味で的中することとなる。 『それ』に最初に気づいたのは竜馬だった。 敵味方入り乱れる乱戦の中、飄々とした男がふらりと佇んでこちらを見ている。直感で分かった。…味方ではない。そして野放しにしていい相手ではない。 混沌とした状況で平静を保てる者ほど、ある種歪んでいるものだ。…自分と同じで。竜馬の少なくない戦闘経験の中で熟知した傾向である。 やがて違和感に気づいたらしいトリケラモンが、背中の竜馬に話しかける。 「…竜馬。ヤツは…」 「…あぁ。向かう。」 「了解…」 言葉少なに同意した2人は、その男へと向かっていく。 「…はは。やっぱり気づいてくれた。俺が見込んだ通りだったよ。三上竜馬くん?」 「…いい気はせんな。目的は?」 「無駄のない切り込み方!ますますいいねぇ!戦いに慣れてる!いや、戦いに愛されてると言った方が正しいか!くひ…くひひひひ!!!…そうだなぁ…餅は餅屋、戦争は戦争屋ってね!!俺は争いがあるところに現れるだけのただの"斡旋屋"さ!!そして争いを広げるだけ!!意味なんてない!!それ以上もそれ以下でもない!!」 「……。」 「竜馬、こいつまともじゃないぜ。」 「鋭い洞察だねぇトリケラモンくん!さすがは百戦錬磨だ!デジモンの方も研ぎ澄まされてる!!」 愉悦そうに男は嗤う。こういう手合いもいるということを竜馬は知っている。争いと混沌を何よりも好む、そんな輩も。 竜馬が黙り込んだのは、呆れから閉口したわけでも、敵を警戒しているからでもない。 …自分と何が違うのか。戦いが染み付いた自分と、この男がどう違うのか。それが気になったからだ。 「聞いてただ怒るわけじゃない。さすが。冷静で、余裕そうなのも強者ゆえか。ますますいいねぇ!気に入った!その顔を歪めたくなる!!」 「…どう歪める?やってみろよ。」 初めて竜馬は言い返した。客観的にこいつと俺の違いはないかもしれない。戦いに飛び込み、戦いが染み付いた者。だが、主観的に言えばこいつと一緒にされたくない、相容れない者だと感じた。それで十分だった。俺は俺だ。どうであろうと。こいつは敵だ。こいつを退けるだけだ。 「クヒヒヒ…!!!そうだなぁ…あの女の子、真菜ちゃんって言ったっけ?いやぁ…可愛かったねぇ…。クヒ…!クヒヒヒ…!!」 「…何が言いたい?」 竜馬の顔色が微かに変わった。自分のことをどう言われようと、どう扱われようと知ったことではない。だが見知った相手が絡むとなると話は別だ。 「おぉ!!表情が変わったね!!いやぁ…そのままの意味だよ!!まぁ…こんな戦場だからさ、どんなことが起こってもおかしくないよね!!例えば無数のレイヴモンに襲われて…なんてね!!ぎゃははははははははは!!!!」 「………!」 「竜馬!!」 トリケラモンの怒号が飛ぶ。叱責ではない。その意図は竜馬も汲み取れた。竜馬も同じ思いだったからだ。真菜に危害を加えるつもりだ。 この男を倒すのは今じゃなくていい。それよりも彼女の救援に行かなければ。踵を返して真菜たちのところへ向かおうとする竜馬とトリケラモン。そんな彼らに背中から喜色の滲んだ歪んだ声がかけられる。 「察しがいいねヒーロー!!ますます素敵だ!!さぁ、彼女を助けに行くといいよ!!行けるならねぇ!!」 進行方向に立ち塞がるはトループモン…否、彼らが進化したレイヴモンの群れである。黒い翼を広げた黒衣のサイボーグ忍者たちが、一斉に忍者刀を構える。全員究極体だ。並大抵の敵ではない。 通さない。その邪な思念が、竜馬とトリケラモンの脳髄に直接叩きつけられたかのような圧だ。愉悦そうに不愉快な笑い声をあげる斡旋屋と、無言で臨戦体制を整えるレイヴモン軍団。不釣り合いなように見えて、その動きは明らかに巧みに連携していた。 敵の軍勢を前にして、斡旋屋に徐に振り向いた竜馬は口を開く。 「…おい、戦争屋。」 「…『斡旋屋』、だよ?」 「これから潰す相手の名前なんざどうでもいい。………無事で帰れると思うなよ。」 その顔は、竜馬を知る誰もが見たことがないものであった。 「……うん!良い!いい顔してるねぇ!ぜひともそうしてくれ!!ぎゃは……ぎゃははは!!」 斡旋屋の地の底から溢れ出るような笑い声をBGMに、竜馬とトリケラモンは光を放ちながらレイヴモンの群れに躍りかかっていく。 「「マトリクスエボリューション!!!!」」 黒衣の軍団と蒼き聖龍の、戦いの幕が切って落とされた。 「「サンダージャベリン!!」」 スプシモン達を庇いながら、魚澄真菜とメガシードラモンは、懸命に敵の群れを退けていた。放たれた雷が、ゴグマモンオニキスを、そしてトループモンを薙ぎ倒していく。 「キリがないぞ、真菜!」 「分かってる!でもこの子達を…!」 「あぁ…みすみす死なせるわけにはいかない!!」 尽きることのない敵デジモン軍団の波状攻撃は、彼女らの体力を少しずつ削っているのも確かだった。 だが、そんなことでへこたれる真菜たちではない。気丈にも奮い立ちながら、真菜は懸命に小さなスプシモン達を庇うように立ち塞がる。メガシードラモンも同様だ。 「…シードラモン?」 「…なんだ貴様は」 先に気がついたのはメガシードラモンであった。飄々とした男が、突如として現れた。空間跳躍かそれとも。理由はわからないが、メガシードラモンが警戒している最中に姿を現した。普通ではない。言葉通りの意味でも、そうでない意味でも。 「やぁ、お初にお目にかかるね、魚澄真菜さん、そしてシードラモン?俺は斡旋屋。争いに呼ばれて来た男さ。」 「真菜、こんな奴に構うことはないぞ。時間が惜しい。」 「分かってる。でも怪しい相手に油断しちゃダメ。」 「あっはは!いいねぇ!『彼』と同じような目だ!嫌いじゃないよ!素敵だ!」 「…どうも。」 キッと睨み返しながら、真菜は注意深く斡旋屋の出方を見た。彼女もまた幾多の修羅場を潜り抜けて来た。抜かりはない。シードラモンが真菜の言葉に耳を傾けるのは、こういうところも理由の一つである。 それに男は『彼』と言った。あえてぼかしたあたり、真菜も知る誰かのことを指しているのだろう。真菜の仲間に接触した可能性は高い。もしかすると危害を加えられたのかも。 「…ん?あぁ彼のことなら気にしないで。多分あの程度じゃ死なないよ。…クヒヒヒ。それにしても愛されてるねぇ、君は。いやぁ、いいねぇ……慕われるって……それを一瞬で壊すクズみたいな存在もいるんだ……例えば俺みたいな……!ぎゃはは!!さあ、愛しの王子さまはぁ来てくれるかなぁ?それとも己の身は自分で守れるかなぁ、お嬢さん!!」 斡旋屋の言葉に、真菜は目を見開いた。敵の目的は自分や仲間ではない。スプシモンだ。 「…! メガシードラモン! 少し、場所を…」 「ああ、真菜。分かっている。スプシモンを巻き込まないように、だろう」 構えるメガシードラモン。殺気立つ2人を前にしても、男の飄々とした態度は変わらない。それどころか、なおも愉快そうに顔を歪めて嗤う。 「ぎゃは……ぎゃはは!巻き込まないってぇどーこにぃ?どこもかしこも無限に湧き出る敵敵敵!!巻き込まないなんて言うなよぉ、巻き込んでいこうぜ?守るべき相手に誤射して恐怖の目で見られようぜぇ!ぎゃははは!!」 狂ったような嗤い声と共に、近くにいたトループモンの群れが一斉にレイヴモンへと姿を変え、翼を広げて殺到する。 「真菜、来るぞ!」 「…ッ!!」 身構える2人。殺到する黒い影の群れ。 空間を引き裂くような轟音と共に、敵軍に青い雷が降り注いだ。 「…竜馬くん!!」 上空より姿を現したのはチンロンモンだ。200mもの巨躯をくゆらせながら、真菜たちの前に舞い降りる。無数のレイヴモンたちを切り抜け、真菜たちの元へと辿り着いたのだ! 後ろを振り向けば、手早く詩菜とギガシードラモンがスプシモン達の小さな身体を庇いながら収容していく。 「横からすいませんがウチのギガシードラモンがスプシモン達を収容し終わりましたよー。」 おどけたようなお姉さんの声が、戦場の静寂に突き刺さる。仲間達が来てくれたのだ。 「ぎゃははは!!!白馬の王子様達が来てくれたね!!!君の美貌と人望に感謝だ!!!ぎゃははは!!!」 「…笑ってられるのも今のうち。多勢に無勢だけど、どうするの?」 「それはこっちのセリフだよ…ククク!これだけのレイヴモンを前にして無事でいられると思う?」 真菜の言葉におかしそうに返す斡旋屋。あくまでその愉悦そうな態度は崩さない。再び戦場を静寂が包む。 『……おい、戦争屋。』 口火を切ったのは竜馬だった。 チンロンモンからテレパシーのような思惟が発せられる。 「…はぁー。だから斡旋屋だって。」 『知らん』 そのやり取りで、真菜と詩菜は、斡旋屋と竜馬が接触済みであると察した。『彼』とは竜馬のことか。無事でよかった。真菜は内心胸を撫で下ろす心地だった。だが、その安堵はすぐに払拭されることとなる。 ─────竜馬の様子がおかしい。 『王子様とか抜かしたな。違う。』 いつものように無表情に見えるチンロンモンから、明らかに異質な思惟が感じられる。…怒気、否、殺気だ。 「…竜馬くん…?」 「真菜ちゃん。これは…」 詩菜が真菜の肩に手を添える。 俺は結局ヒーローじゃない。戦いに慣れすぎた。今更そんなものになれないしなる気もない。 『来たのは』 だが目の前の男のようなモンスターでもない。俺はそんな奴らを倒すためにここにいる。チンロンモンが言葉を発しながら鎌首をもたげ、レイヴモン達を威嚇する。 黒衣の忍者達は微かに身動きした。怯えが感じられる。メガシードラモンは、敵軍がチンロンモンから発せられる殺気に気圧されているのを感じた。 『…死神だ。』 チンロンモンの大地を揺るがすような咆哮と共に、戦いのゴングが鳴った。