茉莉の他に、話をしておくべき相手がいる。そう思った俺は、彼女を呼び出した。 「こんなところに呼び出して何の用よ?」 仮設ハウスのリビング、間仕切りを開けて隣の部屋で寝ている茉莉の様子が見える。 そこに俺は伊舞旗を呼び出した。 「……帰る前に少し話したいことがある」俺がそう言うと、 「ああんっ!!?この期に及んでまだ………………」そこまで言って彼女は俺の顔を見ると、頭を掻きながら 「はぁ〜〜〜〜〜、手短にしてよね。」大きなため息をついてソファーに座った。 「で、話したいことって何よ?」 俺は対面に座るとちらりと茉莉を見てから話し始める。 「俺……いや、俺とそこで寝てる茉莉は、元々はファイブエレメンツ社の実験体だった。」 「……実験体?何よそれ、アンタ、うちの会社が人体実験でもしてるって言うの!?」 声を荒げる彼女に俺は言葉を続ける。 「心当たりは無いのか、全く?……いや、あるはずだ。お前ほどのハッカーなら。」 「うっ、それは……」一瞬目を逸らした。やはり勘づいてるか。 「だいたいあんただって見ただろう、あの茉莉の怪力を。完全体デジモンと殴り合えるパワーが普通の人間にあるものか。」 「……アンタは普通の人間じゃない!」……まぁ、そう見えるよね。 「俺は頭脳強化実験の被検体だ。肉体強化型の茉莉とは同じプロジェクトの実験体だった。」 「……っ。」彼女の顔が僅かに歪む。 「Dr.ポタラ、と言う人物がいるはずだ。役職は人事部長。」 「アイツ!?」明確な反応、これはDr.ポタラと直接面識があるのか。 「彼が以前進めていたチェンレジ計画、そこから半年前に脱走したのが俺達だ。」 「半年前……ってちょっと待ちなさい、アンタの活動って」 すぐに気づいたか、やはり聡いな。だが俺はそのまま説明を続ける。 「それから15年に渡ってFE社から逃げ続けてるのが俺達だ。」 「待ちなさいよ!半年前に脱走して15年逃げ続けてっておかしいじゃないの!」 伊舞旗は身を乗り出してテーブルを叩く。 「だいたいアンタ半年どころかもっと前から活動してるじゃない!脱走前からそういう事してたって……」 「Dr.ポタラのパートナーデジモンはクロックモンだ。」彼女の言葉を遮るように俺は言う。 「!!」 「脱走の際にソイツの能力が暴走して俺と茉莉は15年前のデジタルワールドに飛ばされた。」 「……確かに、それなら辻褄は合うでしょうけど……」彼女の語勢が弱まる。 「今の名前も事故死した一家の戸籍を乗っ取って名乗っているものだ。」 茉莉を見る。起きてくる様子はない。 「……俺は実験体になる前の記憶が無い。本名も不明だ。」後半は嘘だ。検証中のデータの中から俺の過去らしきものが見つかった。 ……いや、あれを名前だと定義できるのなら、だが。 「茉莉は……アイツは、それが許せなかったらしい。自分だけ本当の名前があって、俺に無いのは不公平だ、って怒ってた。」 「……それで、図書館に?」伊舞旗の質問に俺は首を横に振る。 「茉莉はそうだが、俺は違う。……俺は国のとある機関に所属するいわゆるスパイだ。」 「!」……その顔は、驚き半分、納得半分、ってところか。 「俺の任務は指揮官、鈴木助蔵の監視だ。」さすがに本名は明かせない。 「どうせ俺の過去なんて、実験体にされてる時点で察しがつくだろうに……」 「……だとしても、ほっとけなかったんでしょ。」 少しぶっきらぼうに、伊舞旗が茉莉を見ながら言う。 「自分のことを思ってくれる人がいるんなら、もうちょっと大事にしなさいな。」 ……耳が痛いな。 「それで、どうする?俺達のことはDr.ポタラには先日の襲撃でとっくにバレてる。」 俺は退出しようとする伊舞旗に声を掛ける。 こいつが知らなかったということは、あのDr.ポタラはそのことを社内に報告していないようだ。 「だからFE社に報告しても構わない。俺達のやることは決まっている。」 伊舞旗は少し悲しそうな顔をしている。 「俺達はFE社を潰す。俺達が、何者にも怯えずに、自由に生きるために。」 「今までみたいに逃げるっていうのは……」 「あんたが俺だとしたら、それで満足できるか?そんな状況に我慢できるか?」 「それは……」伊舞旗は言い淀む。 彼女もできないはずだ。誰かに支配され、隠れて生きていくなど。 「あんたもだ、龍泉伊舞旗。」もう一つ、言いたかったことを言う。 「あんたのその才能はすごい。間違いなく超一流だ。だがその才能はFE社にいる限り、人を不幸にするためだけに使い潰される。」 「なっ……」 「FE社を出ろ。あんたにふさわしい場所じゃない。もっとあんたの力と才能を活かせる場所があるはずだ。」 「……そんなの、余計なお世話だって言うのよ!」そう強がっているが、言葉に動揺がにじみ出ている。 「……言いたかったことはそれだけだ。」俺は一歩後ろに下がる。 「……次会う時は敵同士よ、覚悟なさい。」伊舞旗が玄関のドアに手を掛ける。 「……そうだな、さようなら。」ドアが開かれ外の光が入る。 「……さよなら。」軽い音を立ててドアが閉じられた。 「……浮気相手じゃなくて、敵の人、だったんだね、あの女。」 「茉莉……!」部屋に戻ると、茉莉が目覚めていた。 ベッドの上で上半身を起こし、俺をまっすぐに見てる。 「おはよう、真弓ちゃん。」その言葉に思わず俺は茉莉に駆け寄って抱きしめる。 「茉莉!茉莉!」 「……ちょっと、真弓ちゃん痛いよ。」 「あっごめん……。」しまった、つい。俺は慌てて茉莉から離れる。 あれだけのダメージを負ったんだ。あちこちまだ痛むだろうに……。 「……ごめんね、真弓ちゃん。真弓ちゃんは、私がああなりそうだって気づいてたんだね?」 「……うん、そうだよ。」前にもあったからな、茉莉の暴走は。 「……それで、図書館は結局どうなったの?」少し不安そうに茉莉が訊いてくる。 「あーそれは……名張さんは負けたけど、図書館のデータは見せてもらえてる。」 「……どゆこと?」頭に疑問符がいっぱい浮かんでる顔だな。 「最初から戦う必要なんかなかったって事だよ、茉莉。」 「ああ、なーんだ、そういうことかー!じゃあ私の調べたいことも……」 「それなんだけど」茉莉の言葉を遮って割り込む。 「実はもう俺の過去のことは分かってるんだ。」 「えっ!そうなのそうなの!じゃあじゃあ真弓ちゃん!」すごく嬉しそうな顔して。尻尾があったらすごいブンブン振ってる感じだ。 「真弓ちゃんの本当の名前って何だった?」 ……………………言わないと、納得してくれないよな。 「……12番。」 「じゅうに、ばん?それって……」 「あとはチビとかお前とか売約済みとか……それから……」 「ちょっと待って待って!真弓ちゃん、それ本当に人間の名前!?」 「じゃないよね、どう考えても。」言ったら悲しむよな。 「つまりさ、FE社に売られる前の俺って人間扱いされてなかったみたいなんだ。」 「………!!!」あー……だから言いたくなかったんだ。 茉莉の顔がくしゃくしゃになっていく。目から涙が溢れてる。 「そんな……そんなの……」茉莉が俺の胸元に顔を埋める。 「そんなのってないよ―!ああーっ!!」大声を上げて茉莉が泣き出した。 俺はそんな茉莉を、泣き疲れるまでハグすることしかできなかった。 何だよ、泣きたいのは俺の方だっていうのに……。 「……そんなに俺に名前が無いことが嫌?」 泣き疲れて俺の胸で鼻をグスグスさせている茉莉の頭を撫でながら俺は訊く。 「だって、そんなの当たり前じゃん……」あーもう、しょうがないな…… 覚悟決めるか。 「だったらさ、俺にくれよ。」 「?」涙目のまま、茉莉が俺を見上げる。 「『あい』の持ってる、初幡って名字を、俺にもくれよ。」 「えっ、それって……」 「俺の名前も、お前がつけてくれよ。」 「えっ、えっ、えっ!」 「結婚しよう、あい。」 「えっ、嘘、だって、真弓ちゃん、これ、ホント?」 ……完全にパニックになってる。仕方ないな。 俺は茉莉……『あい』を抱き寄せて、頭を軽く撫でた。 「……落ち着いた、あい?」 「……うん、まゆみぢゃん、ごんなあだぢでよがっだら、もらっでくだざい……」 ……せっかくのプロポーズが台無しだ。でも、ある意味俺達らしい。 「……それで、報酬代わりにこの仮設ハウスが欲しいって?」 翌日、名張さん夫妻と話し合った。 「はい。俺達はデジタルメキシコに移住します。」 「リアルワールドの日本じゃダメなのかい?」名張さんの疑問はもっともだ。しかし…… 「……俺達の戸籍は知っての通り『乗っ取って書き換えた』状態です。」 俺達はずっと、この事を負い目に思っていた。それをどうにかしないと、前に進めない気がする。 「俺と茉莉の戸籍を本来の持ち主にちゃんと返してあげたいんです。」 そう言えば、俺が名張さんにスカウトされたのがその辺りの騒動が発端だったな。 「……そうか、そうだね。いいよ、もともと図書館探索のために作ったものだ。君達に譲ろう。」 ……前々から思ってたけどこの人結構気前いいな。だれかブレーキ役がいないといつか会社潰すんじゃない? でも今回はありがたく貰っておこう。 「……ありがとうございます。」 「それで、C別の方はどうするんだい?」 「辞めます。」俺が短くそう言うと、名張さんは短く驚いた後、フッと軽く笑った。 「そうか……じゃあ僕の復隊も考えなきゃいけないね。」 「……すいません、俺達のために。」 「そこはありがとう、だろ?」いつものような不敵な表情で、手にした紙コップで俺を指す。 「そうですね……ありがとうございます。」 龍泉伊舞旗がリアルワールドに帰ってきてからしばらくした頃、彼女の家に一枚の絵葉書が届いた。 差出人は『初幡 魁・藍』、住所はデジタルメキシコ。 見覚えのある仮設ハウスの前で、あの二人が並んで写真に写っていた。 文面には簡潔に『わたしたち結婚しました』と書かれていた。 「……何よ、結局私を出汁にしていちゃついてたんじゃないの。」 そう毒づく彼女の口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。 その数日後、FE社・本社、『木行』オフィス。 社のシステムに外部からの攻撃が加えられ、伊舞旗は対処に追われていた。 上司の中野はピノッキモン30体の暴れ方が激しくなったので一時退席している。 「しつっっっこいわね!ホント……こんな時に何!」彼女の私物のスマホの通話アプリの呼び出し音が鳴り響く。 「はいもしもし!ちょっと今忙しいから後に……」 『や、どーも、久しぶり。システム防衛大変そうだね?』 「あっ、アンタ……!」声の主は先日の絵葉書に写っていた男、海津真弓だった。 『ごめんねー、俺の攻撃で忙しくなっちゃって。』 「バッ、アンタ、ふざけんじゃないわよ!この通話が聞かれたら……」 FE社内での通信・通話はすべて自動的にモニタリングされている。 この通話が聞かれたら彼女に何らかの嫌疑がかかるかもしれない。 「あーそれなら大丈夫、検閲システムにはあんたが担任から出席日数が足りないってお説教食らってる様子が聞こえてるから。」 さっと操作してモニタリングシステムの様子を覗き見する。……彼の言う通りの内容の通話が聞こえてきた。 「なんでうちを攻撃してるのよ!デジシコに引っ越したんじゃないの!?」 『いやー、職場に出した辞表が受理されなくってさ―。』 平坦な感情の読みづらい口調で海津は言う。 『仕方ないから平日はリアルワールドで週末だけデジシコに帰る日々だよ。』 あの感傷的になった自分の気持ちを返せ!とは言えず、伊舞旗は小さく歯噛みする。 『いいところだよデジシコはー。あんたもこっちおいでよ、そんなブラックな会社辞めちゃってさ。』 「あのねえ、こっちにだって義理とかしがらみってもんがあるのよ!それを放り投げて行ける訳ないでしょ!」 『……あー、そうだねそっちにはそっちの都合があるよね。そっか、じゃあそういうしがらみが無くなればいいのか。』 「ちょっとアンタ、何考えてるのよ?」 『じゃ、しばらくの間は敵同士ってことで、よろしくね。』 「ちょっとアンタ何するつもりなのよ!答えなさい!……ああもう、切れてる!」 すでに向こうから切られている通話アプリを閉じながら自分がキレそうになる伊舞旗。 ほぼ同時に外部からの攻撃は終息していた。 「……デジシコ、か。」 システムに何か仕掛けられていないかをチェックしながら、彼女はひとり呟いた。 ピノッキモンたちを宥めた中野がオフィスに戻ってきた。 (了)