「おお〜…!」 星見市凱旋ライブの打ち上げで連れて行くと約束したバーの入口を見て、雫が感嘆の声を上げた。 「いや、まだ中にも入ってないぞ?」 俺は苦笑いを浮かべながらそう言った。 まあ、気持ちはわかる。俺も初めてこういった店に連れてきてもらった時には同じような反応をしたものだ。 「緊張してるか?」 「う、うん…。でも、大人!って感じ…で、ドキドキも、してる…」 「まあ、普通は子供は入らないからな」 ネオンに彩られた扉は、確かに初めて足を踏み入れるのには躊躇する佇まいだ。 「予約の時間もあるし、そろそろ入ろうか」 「うん…行く」 扉を開いて、雫を中へと誘う。雫はゆっくりと、一歩ずつ中へと足を踏み入れていく。 店内は間接照明やランプの明かりだけが照らされて、薄暗い。 「雫、足元に気を付けてな」 注意を促した後、少し進むとカウンターが見えてきた。 こちらに気付いたウェイターさんに予約であることを告げると、予約席に案内してくれた。 席までの移動の間も着席してからも、雫は感嘆の声を漏らしつつ興味深そうに店内を見回している。 「どうだろう」 「すごい…こんなオシャレなお店、知ってるんだ…」 雫が感嘆の声を上げ続けているし、早々にネタ晴らししておこう。 「実はここ、三枝さんに教えてもらったんだ。  もっとこう…お高いところもあったんだが、最初はこんな感じの方がいいかなと」 「なるほど…!うん、色々考えてくれた、それだけも嬉しい」 雫はまだ興奮冷めやらぬみたいで、連れてきてあげた甲斐がある。 「料理はコースにしてあるから、ドリンクを選んでくれ」 お酒のメニューを手渡すと、雫は時折声を漏らしながら隅々まで目を通していく。 お酒の種類なんてわからないだろうから仕方がない。下手に強いお酒をえらんでしまったらストップをかけてあげなくては。 「えっと…これが、いい」 「ん?どれどれ」 雫が指さす先は… 「梅酒…?」 「梅酒」 まず梅酒があることに驚いた。 「変、かな」 「い、いや…雫が飲みたいならいいと思うぞ。じゃあ、注文しようか」 カウンター越しにウェイターさんに注文を伝え、飲み物が運ばれてくるのを待つ。 その間も雫はお酒の準備をするウェイターさんの一挙手一投足が気になるようで、興味深そうに見つめていた。 当初の予定とはちょっと違ったが、まあ最初だしいいだろう。 そうこうしているうちに、俺たちの前にグラスが置かれた。 雫は自分の目の前に運ばれてきた琥珀色の液体をまたじっくりと観察し、恐る恐るグラスを持ち上げると、ゆっくりとその香りを嗅いでみる。 「ちゃんと、梅の香り…」 それはそうだろう。そんな反応が新鮮で、俺は少しだけ笑ってしまう。 「雫」 俺が自分のグラスを雫に向けて差し出すと、雫は意図を察してゆっくりとグラスを近づけた。 「遅くなってしまったが、誕生日おめでとう。それと、ライブお疲れ様」 「ありがとう、ございます。ライブもイベントも、本当に楽しかった…」 雫は目を閉じて、コラボのために奔走した日々を思い返していた。 長期間に渡って大変ではあったが、その分充実していたのは見ていれば分かる。 俺は雫の邪魔をしないよう、ただ静かに待つ。 やがて、ゆっくりと目が開き。 「「乾杯」」 2つのグラスが、キン、という心地よい音を響かせた。 ----- お酒も食事も進んで、時刻はすっかり深夜と呼んでいい時間帯に差し掛かっている。 お酒の力もあってかいつもより饒舌に話をしていた雫も、酔いが回ってきたらしく目がとろんとしている。 そろそろ最後のアレをお願いする頃合いだるう。 「雫〜?眠くなっちゃったか?」 「んん…らいじょうぶ…まら…おきへる…」 これは大分限界が近そうだ。 「すまないが、もうちょっとだけがんばってくれないか」 「ん〜…?」 反応も鈍くなってきているな…。 俺は慌ててウェイターさんに目配せすると、意図を察したウェイターさんは頷いて準備に取り掛かってくれた。 バーテンダーさんに合図すると、店内のBGMが静かに流れていたジャズから、一気に大音量の楽しげな音楽に変わる。 いきなりの事態に、雫も驚いたようで、 「ふえ!?な、なに?なにごと?」 今にも寝落ちしそうだったのが、一発で目が覚めたようだ。 その様子を微笑まし気に見ていたバーテンダーさんが、マイクを手に、高らかに店内に宣言する。 「本日、お誕生日のお祝いでご予約をいただいたお客様がいらっしゃいます!」 そう言いながら右手で雫を指し示すと、周りにいた他のお客さんから一斉に拍手が上がった。 中にはおめでとう、の声を上げてくれる方もいらっしゃった。 「あわわわ…あ、ありがとう、ございます…!」 慌てて椅子から立ち上がって周りにぺこぺことお辞儀を始める雫を見届けてから、 「さ、雫。最後のパフォーマンスが始まるぞ。座って」 「え、えっと、パフォーマンス…?一体、何が…」 まだ混乱した様子を見せながら言われた通りに座り直したのを見て、2人のバーテンダーさんがゆっくりとカウンターの中で準備を始めた。 何本かのカクテルのベースのボトルを手に取り… 「お、おお〜!?」 雫の目が一気に輝いた。 ウェイターさん達が始めたのは、フレアパフォーマンスと呼ばれるものだ。 ダンスのような動きの中でさながらジャグリングのようにボトルを投げ上げてはキャッチ、 時に激しくボトルを回転させてみたり、時には腕の上を転がしてみたり、またある時はお互いにボトルをパスし合う。 音楽の盛り上がりに合わせ、どんどん動きも激しくなっていった。 このパフォーマンスを見たのは久しぶりだが、やっぱり何度見ても圧倒されるな…。 「〜♪」 雫もすっかり目が覚めたようで、パフォーマンスに夢中になっている。 しかし、どうしても終わりの時間はやってくる。 バーテンダーさんはシェイカーにカクテルベースを注ぐと、素早くカクテルを作り上げた。 グラスに注がれたのは、綺麗な青色のカクテル。 雫は差し出されたカクテルを、両手で大事に受け取った。 「これ、は…?」 「ここのお店のスペシャルサービス。  特別なイベントの時に、パフォーマンスとオリジナルカクテルを用意してくれるんだ」 「特別な、イベント…」 雫はじっとカクテルを見つめた後、 「飲んでも、いい?」 「もちろん」 雫の様子に、バーテンダーさんも誇らしげな笑顔を見せている。雫はゆっくりと、カクテルを口に含んでいった。 「美味しい…すごく、優しい味、です」 ありがとうございます、とバーテンダーさんにお辞儀をする雫。 よかった、満足してもらえたみたいだな…。 ----- 最後のカクテルを堪能してから少しして…興奮がようやく落ち着いたところで、牧野さんがお開きを宣言した。 お会計を済ませてくれて一緒に外に出ると、少し肌寒さを感じる。もうすっかり、秋の夜の空気。 「雫、寒くないか?」 私の事を気にして、牧野さんがこちらを振り返った。 お酒を飲んでいても変わらない、いつもと同じ優しい牧野さん。 「うん。大丈夫、です。…でも、ちょっと頭とか、ふわふわしてる、かも…?」 「これだけしっかり話できてるなら大丈夫そうだけど、しんどくなったら言ってくれ。  もう遅いし、このまま寮まで送るよ。すぐにタクシー捕まえるから、ちょっと待っててくれ」 そう言いながら、車道に近づいてタクシーを探し始める牧野さん。 4年間ずっと見続けてきた、私を、私たちを導いてくれる、背中。 ずっと見ていられるし、いつまでも見続けていたい、背中。 「お。来たぞ、雫!」 残念。今日はここまで、みたい。 牧野さんに手招きされて、一緒にタクシーに乗り込んだ。 運転手さんに星見寮の住所を伝えると、車は夜の闇の中を走り出す。 「今日は、本当にありがとう」 忘れないうちに、横に座る牧野さんにそう伝えた。 「満足してもらえたかな?」 「お料理も、お酒も、あのショーも、全部が完璧…!本当に、楽しかった…!」 「…そうか。それなら、よかった」 心から安堵したような表情。すごい人なのに、いつまでもこういうところがあるのが、かわいい。 「また、連れてきて、くれる?」 「ああ、そうだな。また行こうか」 そして、私が望めば、こうやって肯定してくれる。 うれしいけど、でも、それにちょっとだけ、不満もある。 やっぱりまだ子供だと、妹のようなものだと、思われているということだから。 「…雫?」 急に黙ってしまったせいで、牧野さんが心配そうにこちらを窺う。ほら、やっぱり。 ちょっとだけむっとしたので、嘘をつくことにしました。 私は返事をせずに、そのまま牧野さんの肩に頭を乗せます。 「し、雫?大丈夫か?」 途端に慌てた様子になるところも、やっぱりかわいくて…思わず笑顔が出そうになるのを、必死にこらえます。 「ん…やっぱり、ちょっとねむい…」 4年の間に、演技のお仕事もやった。内心のドキドキは、きっと漏れていない…はず。 「そ、そうか…うん、そうだよな。着いたら起こすから、そのまま寝てていいぞ」 バレてはいないけど、冷静に返された…。 ん、でも…耳から感じる鼓動の音が、速い…気がする。 薄目を開けて、ちらっとだけ、顔を見る。…ばっちり、赤くなってる。 …そっか。意識、してくれてるんだ。 あ、まずい。そう思ったら、恥ずかしくなってきた。 かといって、寝たふりしてるところから、急には動けない。 …詰んだ。 私は寮に着くまでの間、牧野さんの体温と鼓動を感じ続けるのでした。 …今日は、眠れないかもしれない。 終わり。