星見市内の大型レジャー施設であるシーパラダイスで行われる月スト・サニピの凱旋ライブ。 本番の日が近づいてきて、みんな張り切ってレッスンに臨んでいる。 通常の仕事もこなしながらで大変な状況だ。オーバーワークにならないように注意はしているのだが…。 「今日もレッスン室はフルで埋まってるな」 予定を記入するホワイトボードはギッシリと埋められ、普段は一緒に置いている鍵も無くなっている。 自主練だったり合同練習だったり、使用理由は様々ではある。みんな、仕事の合間に少しでも多く練習をしておきたいのだろう。 「今は…雫が使用中か」 丁度休憩に入ろうとしていたところだ。様子見がてらスポーツドリンクでも差し入れしよう。 自分用の缶コーヒーと差し入れ用のスポーツドリンクを自販機で購入すると、俺はレッスン室へと足を向けた。 扉をくぐると、鏡に向かい合って一心にダンスを続ける雫の姿が確認できた。 「ふっ…!はっ…!」 凄い集中力だ。俺が入ってきたことにもまるで気付いていない。 この集中を邪魔するわけにはいかない。俺はそのまま静かに曲が終わるのを待つことにした。 そして、数分後。曲のアウトロが終わり、雫が最後のポーズを決め、ゆっくりと息を整えたところで声をかける。 「雫。お疲れ様」 雫は少しばかり驚いたようだったが、すぐにこちらへと向き直る。 「あ…牧野さん。お疲れ様、です」 慌ててこちらに走ってこようとするのを手で制してこちらから雫に近づいていくと、俺は買ってきたドリンクを手渡した。 「調子良さそうだな。でも、無理はしないでくれよ」 「うん。でも、やっぱり凱旋ライブは楽しみ、なので」 タオルで汗をぬぐいながら、ドリンクを口に運ぶ雫。充実した表情は、まだまだやる気十分という感じだ。 「それに…」 「それに?」 「凱旋ライブの時期は、私の誕生日も近いから…ファンのみんなに、もっと成長した姿、見てもらいたい」 そう言う雫の顔からは、いつもより力強いものを感じる。 そうだった。ちょうど雫の誕生日の数日後がライブの日になっていたのを思い出した。 「雫が星見プロに入ってから、もう4回目の誕生日か…。雫ももう20歳になるんだな」 「ん、名実ともに、大人の女…!むん!」 そう言って胸を張ってみせた。 普段は少しずつ大人びた雰囲気になってきていたが、こういうところは昔から変わらないな。 「む、笑ってる」 「ああ、すまない、つい…」 「見てて。ライブでは、大人になった兵藤雫を見せる…!」 今はそういう時期なんだろうか。あまり深くツッコむのはやめておいた方が良さそうだ。 しかし、大人の女、か…そうなると、誕生日のプレゼントも少し考えた方がいいだろうか? 「雫は大人になったら何かしたいこととかあるのか?」 …我ながら、聞き方が直接的すぎるな…。 「え?うーん…何だろう…」 急に聞かれた雫は考え込んでしまった。 しばらくあっちへウロウロこっちへウロウロしながら頭を捻っていたが。 「あ、それなら…」 「何か思いついたのか?」 「うん。えっと、ね」 何やらこちらをチラチラと見ながらもじもじしている。何か言いにくいことなのだろうか? 「…お酒を、飲んでみたい、です。その、オシャレなバーとかで…」 意外なお願いだった。 「お酒が飲みたいのか?」 てっきり、遙子さんのあの姿を見ていて飲まないようにしようとするかと思っていた。 「今はまだ、ダメだけど…誕生日を過ぎたら打ち上げも兼ねて、連れて行ってほしい。…ダメ、かな?」 「いや、ダメじゃないよ。まあ、ちょっと驚いたが…」 俺も、20歳を過ぎて三枝さんに初めて飲みに連れて行ってもらった時は、それはもう緊張したものだった。 あの店、今思い返してもめちゃくちゃ高…もとい、いい店だったよな…。 雫を誘うには、ちょっとハードルが高いか?それなら…。 「せっかくだから、俺のおすすめの店に連れて行ってあげようか」 「おお、カッコいい…!お願い、します」 「任せておいてくれ。ライブ後のオフの日で予約しておくよ」 雫の目がキラキラしている。 今俺が考えているのは、誕生日を祝ってあげるにはうってつけの店だ。 ただお酒を楽しむだけではない。きっと雫にも喜んでもらえるだろう。 「うん。ライブ、絶対成功させなきゃ…!」 雫のモチベーションにも繋がってくれたようだ。 「おっと。張り切るのは良いが、そろそろ次の仕事の時間じゃないか?」 俺はレッスン室の壁に掛けられた時計を指さした。 「はっ!さとみさんに送ってもらうんだった…!急いでシャワー浴びて着替えてくる…!」 「ああ。橋本さんには俺から伝えておくから、焦らないようにな」 「お、お願いします!それじゃ…!」 大急ぎで荷物をまとめて走っていく雫を見送ってから俺は橋本さんにメッセを送った。 即リアクションが返ってきたのを確認すると、俺はデスクに戻ることにした。 「『大人の女』になるのは、もうちょっとかかりそうだな…」 今はまだ、それでいいのだろう。その時が来るまで、俺や他のみんなで見守っていけばいい。 素敵なレディーになったいつかの日の雫の姿を想像していると、入れ替わりにさくらと千紗がやってきた。 さくらに鍵を預けて二人の練習をしばらく見届けた後、執務室へ戻ることにした。 「さて…」 席に座ると、雫のスケジュールを確認しつつ個人携帯で目当ての店の予約を入れた。 後は、みんなが無事に凱旋ライブを終えてくれるのを願うばかり。 …いや、願うばかりではないな。本番までもうあまり時間も無い。 ずっと橋本さんに任せっきりにするわけにもいかない。もっとみんなのことをサポートしなくては。 決意も新たに、俺はまず自分の仕事を片付けることにした。 続く。