(1) ──暗闇の中にいる。 「クンニされてる…初華にクンニされてるよ私ぃ!んっ…お゛お゛お゛っ゛」 粗末なラブホのベッドが軋む。 そこらの性欲が異常な赤の他人。 汚物の渓谷に私は舌を侵入させる。 恍惚の表情を浮かべて濁声をあげる、モブレズ。 「ハァ…ハァ…ねえ、私すごいおもしろい事思いついたの…ちょっと待っててね」 私の顔に跨る醜悪な変態はそう囁き、自分のスマホと壁掛けのテレビのリモコンを操作し始める。 心底どうでもいい…。死んだ目で舐めていると、部屋に重々しいサウンドが『チッ』流れる。 汚れた下水道をクンニするのを止め、思わずテレビを見る。 映し出されたのは、私の──「顔」 ──ここから先は記憶が曖昧。 (2) 『I am a pretender up, up, up, up, shake, sh, shake it up, 後ろ姿 なじるあなた』「これ今やってるライブなの…はぁ、「顔」歌ってるときの初華かっこいい…んっ」 集めた銃口を、みんなでクンニしよう。 『The pretender up, up, up, up, shake, sh, shake it up, it up』「いい…いいよ…あの初華と同じ顔が私の洗ってないアソコ舐めてる…すごい征服感…」 敗者になって、にせものでイキまくる。 『馬鹿ね サヨナラ loser, loser, loser (Bye-bye and bye)』「ハァ…ハァ…顔よすぎる…信じられないくらいキレイねあなた…あんっ、奥っ、もっとっ」 ハイな彼女は、おまんこから垂れ流す。 『私 make up, make up, make up, babe あなたを渡る』「また会ってクンニしてくれるよね?ねえ?ねえ?お金ならいくらでもあげるから」 ああダメダメ、きたない言葉出ちゃう。 (3) 『You're just a pretender up, up, up, up, shake, sh, shake it up, どこまでそう気取るのかしら』「舐めるのうますぎ…どれだけクンニしてきたの…」 Hello Hello Hello How low? 『Hate pretender up, up, up, up, shake, sh, shake it up, it up』「気持ちいいとこばかり…おっ…ほぉ…」 Hello Hello Hello How low? 『いつまで演るの?Shut pretender up, up, up, up, shake, shake, shake it up』「ねえ、あなたって初華に憧れて整形したの?」 Hello Hello Hello How low? 『ごまかさずにほら向き合えば Hate pretender up, up, up, up, shake, shake, shake it up』「顔やっぱ同じ…瓜二つ…絶景すぎ…動画撮っていい?」 ハロー!!!!! ハロー!!!!! ハロー!!!!! (4) 『こっちがホンモノ 勝者、勝者、勝者 (Bye-bye and bye)』「スマホスマホ~、それじゃあ撮っちゃ…キャッ!?」 燈りがないなら、怖くなんてない!ああクンニ奴隷、主様を悦ばせて! 馬鹿馬鹿しいわ、壊れた私の血液!さあクンニ奴隷、さっさと舐めて! 豺キ縺代▽遞ョ! 繧「繝ォ繝薙ヮ! 陏翫! 遘√ヮ諤ァ谺イ! 『I am a pretender hater, hater, hate the fake』「やぁっ急に、激しっ…~~怒って…い゛ッッ、ごべんなさっ、ゆるしてぇ!」 輝く月の才能が…私を呪い続ける…努力なんて無駄…私はモブレズの…クンニアイドル…地獄は長く続く… なにがクンニだ…もう夢も忘れた…笑っちゃうから…幸せになれない…辛くて死にたい…もう何でもいい… 『鏡の中のお前を暴く』『チッ…ha haha ha』「イグッ…!し、しんじゃッッ~ああ゛ッイッてるのにクンニとまッッらなっ~~うううぅっぉ゛ぁ゛ッッ」 私は初音と違う!どうでもいいよ!健康にヨクナイ!近づけないでよ!おしっこ出る穴! 舐めたくないよ!臭い苦い汚いよ!もう全部消えて!なにもかも嫌い!!!!! (5) ─── これは小さい頃の記憶。 母の仕事場。あるお金持ちの別荘に併設された庭園。 色とりどりの花が咲く、のどかで、美しい景色。 「ママー、この紫のお花なんていう名前なの?」 「スイートバイオレット。すみれの花の一種よ、初華」 「なんか頼りなさそー…お姉ちゃんと似てるかも」 「……すみれは儚く見えるけどね、厳しい野生の中でも自分の力で咲ける強い花なの…頼りなくなんてない」 ──それに昔から神様を一途に愛して、愛されてる花なの── そう言い加えて、母は愛おしそうに紫の花に触れた。 (6) 「ふーん。でも私はこっちの方が好き!クレマチス!シャクヤク!あとバラ!」 派手だし!キレイ!超強そう!とド派手で華やかな花々を指して言う。 「この子達はすみれより強いでしょ?見た目かっこいいし!」 「んー…すみれは放っておいても咲くくらいに生命力に溢れてるけど…この子達は人間が一生懸命育ててあげないとうまく咲けない子達だから…どうだろうね?」 「えーっ!?こんな見た目強そうなのに!?」 「でも、花に強いも弱いもないの。がんばって咲こうとする姿はみんな美しいのよ」 「そういうもんなんだ…あっ!そうだ私お姉ちゃんと鬼ごっこしてたんだった!じゃあねママ!晩ご飯カレーがいい!」 「暗くなる前にお姉ちゃんと一緒に帰るのよ」と、呼びかける母に手を振り元気に駆けていく私。 なぜか姉が絶対に入ろうとしない不思議な安全地帯を出ていく。 この頃はママが笑っていて、パパが生きていて、優しくて大好きなお姉ちゃんがいて。 私にも夢があって、平凡だけど幸せな時間が流れていて…でも今は── (7) ── 「おえっ…」 気付いたらホテルの便器に盛大に嘔吐中。 ああ最悪。ニットにちょっとついた。お気に入りなのに。 トイレのレバーを回して、胃の中にいたママのスパゲッティが下水にサヨナラ。 あのモブレズ、マンコ汚すぎる……。もう舐めたくない。味。思い出してまた吐き気が── 洗面台の鏡を見る。無様な敗者の「顔」だ。 魂と身体を売った、卑しいクンニ奴隷の「顔」が鏡の中。 みんなのアイドル、モブレズ達の愛玩クンニ娼婦の「顔」が涙を流していた。 「ひどい顔…」 何故こんな事やってるんだっけ?そうか金だ。身を削って働くママを助けるために。初音とは違う、汚く輝くクンニの才能を活かすんだ。 この地獄からは誰も救ってはくれない。その事実に何千回目かの絶望をし、無様にイキ死んだモブレズに舌打ちしながら部屋を後にした。 (8) 外に出ると、酷い雨が降っていた。 ママが心配するから早いとこ帰らなきゃ。 コンビニで黒いレインコートを買い、駅に走る。 傘って気分じゃない。この顔と汚れた身体を今すぐ隠したい。 ─── よかった、終電に間に合った。ホームの屋根のない端で雨に打たれて電車を待つ。 東京に来てから、面倒事を避けるために人気のない所を探す癖ばかりついた。 電車がホームに入ってくる。最後尾車両。人影は二人組がひとつだけ。 『ドアが開きます。ご注意ください』 「今夜のマスカレードもなんとかなりましたわ~本っ当に大変でしたわ…」 「ふふっ、おつかれさま。でも楽しかったね、さきちゃん」 (9) 「初音、貴女ライブ中はしゃぎすぎで私ヒヤヒヤしてましたわ」 「え~?さきちゃんだって、ノリノリでお客さん煽ってたのに」 …。初音。一番会いたくて、一番会いたくない女。 「帰ったらまずはお風呂ですわね。初音が先にお入りになって」 「私は後でいいよ。さきちゃんの方が…それとも一緒に入る?」 ……。フードを目深に。握り込んだ手。雨の音。爪痕。血。 「…?あの方、乗らないのかしら?これって終電ですわよね?」 「う、うん。どうしたんだろうあの子…なんだか、こわい……」 ………。薄汚れてるクンニ奴隷は幸せな馬車の中には入れない。 『ドアが閉まります。ご注意ください』 (10) ── 大雨の東京の夜道を肩を落としてひたすら歩く。 絶望した眼の中で奇妙な歯車の幻覚がちらつく。 安いイヤホンから適当に再生した音楽が流れる。 ビート刻むギターの鳴動と共に問いかけられる。 『Look, if you had one shot or one opportunity』 もしお前が、一度きり、たった一度の機会で 『To seize everything you ever wanted in one moment』 望む物全て、一瞬で手に入れられるとしたら 『Would you capture it or just let it slip? Yo』 それを掴み取るか?それともみすみす逃すか? (11) 三叉路に突き当る。どちらに進んだら家に帰れるのか。 別れ道のその先が、どこに続いているかもわからない。 流れるリリックも、歯車の幻も何も教えてはくれない。  私が選ぶしかない。 ────左に行こう。   ⇒ Route [日音/華生/羅門(`ʌnk/ˈʌl/ɚd)] 『Better go capture that comet and hope it don't pass her』 あの彗星の手を掴んで。過ぎ去らないよう、祈ってる。 (12) 『You better lose yourself in "the music", the moment───z…ザザッ』 イヤホンが浸水。故障。曲が停止。 最後の歌詞の意味は…"この瞬間に、音楽に全てを捧げろ"? 音楽はこの世界で、私を最も苦しめている。私にはできっこない。 歌詞の中から私に、見慣れた女の顔が嗤う。敗者に指をさし嗤う。 お前は地獄にいて、クンニ奴隷がお似合い。一生そこにいろって。 吐き気がする。頭痛が止まらない。一日で168人にクンニさせられたときより体調が悪い。 歯車の幻覚が増える。歯車が視界を埋める。 歯車の回転が始まる。歯車がキリキリ鳴る。 この左の道に行けば、きっと家に着くはず。 早く、早く早く、早く早く早く、家族に会いたい─── ───突然、後ろから、着ていたレインコートを誰かに掴まれた。 (13) スナップボタンが次々に弾け飛んで、剥ぎ取られるレインコート。 すぐ私は大粒の雨の中に晒された。 手が伸びてきた方向に振り向く。 ひげをたくわえた中年の男性。 目元は暗くてよく見えない。 けど青い眼光が射してる。 「Hey brat. You're on the wrong track. Let's trade water"proof"s」 意味がよく分からない。何が言いたいんだよ。 ハスキーな声。英語。外国人?間違った道?雨具を交換しよう? その男は奪ったレインコートを片手に控え、もう片方の手で持っていた傘を私の手に握らせる。 「Take the right track, C'mon, man」 そして苛烈だけど、父のような手が、私の背を"右の別れ道"へ力強く押し出した。 (14) 初めて歩く道。 謎の人物から貰った男物の傘が、モブレズ汁で汚れた私を打ちつける雨粒から守る。 今日は散々な日…。そして相変わらず体調が悪い…。 でも先程から歯車の幻覚は見なくなった。 あのおじさんといいなんだったんだろう。 振り返ったら煙のように姿が消えてたし。 まあいいや───もう少しで家に帰れる。 しかし、この呪われた顔は厄介のモブレズ達を引き寄せてしまう。 『ねえあれって…初華!?』 『ウソっ!?初華じゃん!イケメスすぎ~!エッッrrrロ!』 『"本物"初めて見た~「顔」良すぎ…クンニさせたい…んっ…あっちょっとイクっ』 (15) 夜道をゆくモブレズ達が、私の何にも隠されていない顔を見て色めき立つ。 違う。私は初華だけど、お前達が知ってる初華じゃないんだよ。 見ないで。興奮して往来で股弄りながらこっち来ないでよ。 ほっといて…あ、れ?気持ち悪…頭痛い…寒い…。 ああさっきの汚マンコの毒が…残って…。 立てない…。 『おっ?初華具合悪そう?これ優しくしたらヤれる流れ?』『クンニ!クンニ!』『奴隷!奴隷にしよ!クンニ奴隷!ギャハハ!』 地獄の小鬼達が卑猥な顔を浮かべる。しゃがみこんだ私に舌なめずりしながら襲ってくる。 本土での生活はどこでもこんな感じ。ああなんて生きづらい世界なんだろう。 これが私が初音にした事の罰なんだ。初音、そんなに私が嫌いだった? 手を伸ばす──手は虚空を掴むだけ。もう目も開けられないや。 誰も私のことなんか助けてくれない。暗闇の中にいるんだ。 もう疲れた…もうどうなってもいい。神さま、バカ。 (16) ……?伸ばした私の手に。 温かい何かが触れてる。誰かの手? 性欲全開で触ってくるモブレズの手とは違う。 触り方、すごい安心する…誰の手だろう?あっ…抱きしめられ── 「すいませ~ん。この子、まなのなんで!触らないでください」 『ひぃっ!?本物のまなうい!?こんなん至近距離から浴びたら……ぴ゛ょ゛おおおおっ!!逝゛っ゛!!』『うっ…!顔面がいいメスが顔面がいいメスを抱いて…!尊みが眩しさで灼かれてぐああああ!滅゛っっ!!』『いやああああ!!光が!!灰になるうううううう!!ぽっぽっっぽおおおおおおお!!塵゛ッ!!』ジュッ 悪鬼達がこの世から消滅する音がした。 「……怖かったね。もう大丈夫だから。立てる?」 最悪の私に、とびっきりの天使が舞い降りた。 (17) ものすごい女子力の高い素敵なお家の玄関にいる。いきなりすぎて体調悪いのも吹っ飛んだ。 「もう体調は大丈夫?ごめんね~まなのマンションまで連れこんじゃって。えへへ、誘拐しちゃった」 どうしようどうしようどうしよう。このキレイな人って初音の相方の純田まなちゃんだよね。 まずいまずいまずいまずいまずい。お姉ちゃんに私の存在バレたくない絶対関わりたくない。 「わっ、服も髪もビショビショ!タオル取ってくるからここで待っててね!」 よし今だ。玄関から離れた隙に逃げ── 「はいタオル!もう遅いし危ないから外出ちゃダメだよ~」 速すぎる。こうなったら初音のフリ── 「ま、まなちゃ…」「あなた、まなの知ってるういちゃんじゃないよね?ほとんど同じ顔と声。でも違う子」 終わった─── (18) 「同じ顔なのに……なんで初華…じゃないってわかるの?」 「わかるよ~まなが知ってるういちゃんとはちょっと違うもん。妹さんとか親戚の子?」 「……もしかして私のこと、あの人から聞いてるとか?」 「ん~?家族の話とかは聞いたことないけど…違いは一目でちゃんとわかるよ~!あなたの方はういちゃんよりわんぱくで元気って感じする!」 なんでこの人…。 「それより!ズブ濡れのままだと風邪ひいちゃう。早くうち上がって。お風呂入れてあげる!」 「ちょっ、ちょっと待って!入らないからっ!マジでやめて!帰るから!手引っ張らないでっ!」 「ダメで~す!ほら服脱いで!脱がないなら脱がしちゃうよ~!」 「キャっ…やめっ…わかった!わかったから脱がさないでっ!い、いや~~~~!!!」 今日は服を無理やり脱がされてばかり…なんて日。 (19) 「~~♪~~~♪」 Here, the world!の鼻歌がお風呂場に響く。お湯を張ったバスタブにふたりで浸かっている。 なんで一緒に入ってるの…。それにまなちゃんスタイルよすぎる…。目のやり場に困るよ…。 「や、やっぱり私もう出る…私の身体、すごく、汚れてるから」 「さっき一緒に洗ったし汚くないよ?それに…すごいキレイな身体してると思うけど」 なんでこの人──私が…。 「まな、あなたのこともっと知りたいな。もうちょっと一緒にお風呂でおしゃべりしようよ」 なんでこの人──私が欲しい言葉ばっかりくれるの。 「ねえ、あなたの名前、教えてくれる?」 …………。 「私は──」 (20) ── 「ういちゃんは本当は初音ちゃんっていうんだ…それであなたは妹さんの本当の初華ちゃん」 誰にも話すつもりなんてなかったのに、私の本当の名前、家のこと、初音の秘密、全て話していた。 「ちょっと複雑で…びっくりだけど、そっか。初音ちゃん…うん、素敵な名前」 一度話してしまったら。 「初音……最初は喧嘩からの家出。そのうち戻ってくると思ってた」 もう止まらなかった。 「でも、ある日、テレビでまなちゃんと初音が歌ってるの見てびっくりしちゃった」 姉への怨嗟が。 「三角初音じゃなくて私の名前で、初華って名前で歌ってて。ここまで醜いことやるのかって」 (21) 今まで誰にも言えなかったことが。 「初音は私のこと昔からすごく恨んでたの。  最低な喧嘩もしたし。それで私の夢と名前奪って復讐達成。  アッという間に終わってた」 「……」 堰を切ったように口から出てくる。 「才能だけでトップアイドルに登りつめて。  それじゃ飽き足らず、ムジカで私を負け犬って煽りまくり。  天才の才能の暴力って怖い」 「……才能、だけで…?」 (22) こんな善良な人に呪詛を吐いてる。 「音楽の才能がない初華にはこんなの無理。  それを証明し続ける。きっとそれが初音が考えた復讐方法。  最高に趣味が悪すぎて笑う」 「……才能がない…?」 わたしってほんとうに最悪なんだ。 「どうせ、ないでしょ。  私なんかには無理だよ。  あんなにすごい初音に比べれば私なんか」 「………………………"どうせ"…?"私なんか"…?」 (23) 「………確かめたの?」 「えっ?」 「実際にあなたに才能がないって。音楽の世界に入って、やりきって、確かめたの?」 「……い、いや──ぁっっっ!!?」 卑屈な独白を神妙な顔で聞いていたまなちゃん。 私の否定の言葉を聞くや否や、高圧の水鉄砲を次々と手から射出。私の顔を痛打。 「な、なに…!?痛っ痛い!水が…やっやめっ!」 「ういちゃんの事情は知らなかったし、あなたへの仕打ちもかなりショックだけど」 目がすわっている。 「それは置いといて、大好きなういちゃんとプロの世界で一緒に頑張ってきたまなとしては、あなたの言葉は聞き捨てならないの」 そして、高圧の水流と重たい言葉を、私の顔めがけて淡々と連射し始めた。 (24) 「まながまずムカついたのが、ういちゃんが才能だけで成功したみたいな言い方したこと」 「水…!顔…!やめ…!」 「ういちゃんに才能があったのはそう。でもそれ以上に努力してた。まなはずっと隣で、sumimiでその姿を見てた」 「っ…ご、ごめんなさっ…っ!」 「毎日何かに追い立てられるように没頭して、遅くまで歌もギターも振り付けも練習して、レッスンを全力で受けて、作曲も作詞も、ずっと悩んで、勉強して、調べて、だから成功したの。そんなういちゃんをまなは尊敬してた。あの子が必死になって積み上げたものを才能の一言で片づけないで」 「水、み゜…水圧強っ!っ!息できな…」 「まなだって、ういちゃんだって、アーティストって人達は全員そう。才能は大事かもだけど、それだけでやっていけるほど甘くはないの。怖くても自分の才能じゃ届かないところに挑戦して、練習して、できなくて、どうすればできるか考えて、できるまで何回も繰り返して、無理なら工夫して、考えて、あがいて、悩み続けられる力の方がずっと大事。神様から貰ったものだけでのど自慢大会優勝できるほど単純じゃないの」 「っ!っ!」ピクッピクッ (25) 「それと、まなが一番悲しい気持ちになったのが、あなたが自分の可能性を最初から諦めてること」 湯舟に沈みかけていた私の身体を引き揚げ、まなちゃんは真剣な眼差しで言う。 「やってもないのになんで才能がないって諦めるの?」 この人は──。 「あなたのこと、最初からやってもダメな子だなんて誰もわからないのに」 いじけた私のことを本気で叱って、励ましてくれてる。 「それに自分には音楽の才能がないだなんて、あなたが言うにはまだ早いよ」 「………ぁ」 「だってそれは、"その瞬間に、音楽に全てを捧げて"、やりきった人にしかわからない事だよ?」 ああ……だめだ。効いた。困った。食らった。なにも言い返せない。 私は──自分自身に負けていた。 (26) だって、次々とやってくるウソみたいな現実に打ちのめされて、全部諦めて、なにもやってないから。 本当は、わかってた。 才能がどうとか初音の復讐がどうとかママがどうとかモブレズとかクンニとかも全部言い訳。 大きすぎるお姉ちゃんとしょぼい自分を比較するのがイヤで。怯えてて。 傷つかないための便利な諦めの材料で。 悲劇のヒロインへと逃避するための舞台装置で。 敗者ですらなくて。ただの逃げるクンニ奴隷で。 でも── 「それでも──初音のせいで私っ…同じ顔の私にみんな群がって、酷い事してきて…クンニさせて、暗闇に閉じ込めてきて…なんなのクンニ奴隷って!?外に出れば!いつも…!いつも…!あいつら好き勝手に興奮して自分の汚いモノ舐めさせてきてっ…!そんなイカれた世界で音楽なんかできるわけっ…!」 (27) 喚き散らす。泣きじゃくる。隠してるもの全てさらけ出す。絶望と悲嘆、着ていた物これで全部。 「……辛かったんだね。でも、まなはあなたみたいな子にこそ音楽やってほしいな」 小さな子供をあやすように、沈んだ私の顔を胸に抱いて。 「真っ暗闇の中でも音はあって、いつだって、誰だって、音を楽しんだっていいんだから」 まなちゃんの濡れた肌から、心音のビートが聴こえてる。 「誰もあなたに音楽やっちゃいけないなんて言ってない。興味あるんでしょ?勝手にやればいいの」 初音やクンニのせいにして、逃げる理由ばかり探してた。 「怖がらないでやってみて、やりきっちゃおうよ。素質がどうとか気にしてやらないのはもったいないよ」 こんな私がやってもいいの?自分を信じてみてもいいの? 「あなたもきっとできるよ、できるって信じてやってみようよ音楽!」 (28) 光る彗星のように閃光を放つ笑顔が、汚れたクンニ奴隷の目を灼く。 「お説教しちゃってごめんね?それと気になったんだけど…」 「…ふぇ?」 「クンニ奴隷って…なに?クンニって?知らない言葉なんだけど…舐めるってどういう意味?」 「………な、なんでもないから、今すぐ、今すぐに忘れて。まなちゃんは知らなくていいことだから!ぜ、絶対に調べちゃダメ!口に出してもダメ!」 この人だけは穢れてほしくない…。 そして私みたいな汚れきったクンニ奴隷や、エッチな歌詞を世に出しまくってる初音みたいなヤバイ女は関わっちゃいけない気がしてきた──── (29) ──って思ってたのに早々にバレた。 お風呂から出て髪を乾かしてると、スマホを持って、顔を青くしたまなちゃんが身を震わせながら詰め寄ってきて。 「ねえ?ク、クン…ニってもしかしてアソコを…!な、舐めるってことなの!?」 ああなんてこと、天使が穢れてしまった…。文明の利器め。 「じゃあクンニ奴隷って…」 「……女の人のアソコを舐めさせられる奴隷のこと。島じゃそんなことなかったのに、何故か東京だとみんな私の顔に気付くと興奮して…初音の顔みたいって…寄ってたかって舐めさせてくるから。しつこいし、もうどうせならってお金取ってやってたの。家計も助けられるしいいかなって。だから言ったのに…私の身体汚いって」 「ダ、ダメーーーー!!そ、そんなの絶対やっちゃダメ!!まだ中学生でしょ!?やらせる方もやる方もおかしいよ!!そんなのっ!ケンコウ二ヨクナイっ!!そんなひどいこと自分からやったらダメーーーーーっ!!」 泣かれた。 私はもう慣れたから、大丈夫だからって言っても、悲しむのをやめてくれない…。 (30) 「……決めた。もう絶対にクンニ奴隷なんてやらせない。お金が必要って言うならまながあなたのこと、買う」 「えっ?なんでそういう話になるの?」 「大事な人の家族が、年下の子が怖い思いしてたらどんなことしてでも助けるよ。諦めた顔で慣れたとか大丈夫とか言わないで」 ……大事な人の。 「あっ…」 手を引かれる。優しく握ってくれてるのに、絶対に離さないって意思を感じる。 「決めたから。もう夜遅いし寝よう?じゃっ、ベッド行こ?」 「はぃ…」 クンニとか、クンニ奴隷とか、買うとか、最悪な単語ばかりの会話だったのに…すごい嬉しくて。 なんか…お腹のあたり、キュンキュンする…なんで…? (31) まなちゃんの寝室のシングルベッドで、二人向き合って横になってる。 「狭くない?大丈夫?」 「大丈夫…でも私なんか床でいいのに」 「自分のことなんかって言うのもう禁止!床で寝させるのはまながイヤなの!……まなが寝たの見計らってベッドから逃げちゃダメだよ?」 「ひゃっ」 まなちゃんの両腕が私の腰を引き寄せるように抱き、逃げ道が塞がれる。 お互いの下腹部が触れ合って、思わず変な声が出ちゃった…。 ふんわりした穏やかな目元と艶っぽい唇が十数センチ先。 またお腹が……。今夜、ドキドキがうるさくて寝れない気がする。 (32) 「……まなちゃん」 「なあに?」 「なんで私のこと助けてくれたの?  なんでこんなに励ましてくれるの?  なんでこんなに優しくしてくれるの?」 「ん~~………なんか出会った頃のういちゃんみたいだったから?」 私の頬にしなやかな手が触れる。 そう…結局は初音に顔が似てるからなんだ…。 「……初音に似てるのは当たり前だよ。昔から性格は全然違うのに嫌になるくらい瓜二つ。姉妹なんだから」 「そういう意味じゃないよ~。あのとき、まなが街中でナンパしたときのういちゃんみたいで」 思い出を慈しむように私の髪を撫でながら。 「迷子の子犬みたいな、途方に暮れてる雰囲気してたんだもん。まな、そんな子ほっとけないよ」 (33) 「途方に………えっ?ウソ?まなちゃん初音のことナンパしたの?」 「すごく優しそうでキレイな子が困った顔してしょんぼりしながら歩いてる~って思って!」 初音が…東京来たばかりの頃に…?困ってた…?落ち込んでた…? 「だから誰かに取られちゃう前に、その場で事務所まで拉致して一緒にアイドルになろって誘ったの!」 「…っ…ふふっ…っっ…なにそれっ…だ、誰かに取られる前にって…っ…ナンパして拉致ってっ…ぷっっ…あははっ!絶対に初音びっくりしてもっと困ってたでしょ?」 「まなにいきなり声かけられたときのういちゃん、すごいあわあわしててかわいかったな~。今思えばあれが素だったのかな?……あっ!!!」 「?」 急に大声出して、どうしたんだろう? 「…やっと笑ってくれた!」 「あっ…」 (34) 「やっぱりういちゃんとは全然違うよ…笑った顔とか特に」 私、笑ったのなんていつ以来だろう。 「ういちゃんはお月さまみたいにキレイで優しい笑顔だけど」 それは私の記憶の中の初音の優しくて、だけど悲しい、何も満たされていない顔と同じ。 でもさっきの、電車でさきちゃんと一緒にいたときの、初音の笑った顔はまるで……。 「あなたの笑顔は元気なお日さまみたいで素敵」 誰かに本当の自分を見つけてもらったみたいな、幸せそうな顔だった。 まただ…また、お腹の奥、熱いの止まらない。 私、どうしちゃったんだろう── (35) 「……でもそっか、偶然だったんだ…初音がアイドルになったの。てっきり最初から私のこと」 憎くて、いやがらせで、復讐するために、最初から計画してやったんだと思ってた。 それも多少あったのかもしれないけど。だからこそショックで、大切な家族に捨てられたと感じてた。 でも話聞いてると、初音は行き当たりばったりで東京来てがっつり困ってるみたいだったし、 アイドルや音楽の活動に誠実だし、こんなことやってるのは想像してた理由だけじゃない気がしてきた。 初音のこと、全部知ってたつもりだったけど全然知らないんだ私。 多分だけど、お姉ちゃんには私が知らない「顔」があるんだろう。だから── 「まなちゃん。もっと…聞かせて?私が知らない東京でのお姉ちゃん、まなちゃんだけが知ってるsumimiの初華のこと」 「いいの?」 「いい…もっと聞きたい…」 (36) 「だって今夜まなちゃんの口から全然知らないお姉ちゃんの話ばっかり出てくるんだもん」 はにかみながら想像する。 まなちゃんにナンパされて慌ててるお姉ちゃん。頑張ってるお姉ちゃん。悩んでるお姉ちゃん。 「ずっと一緒に暮らしてたのにまだまだ知らないお姉ちゃんの顔…気になる。もっと知りたい」 「……まなもういちゃんのこと全然知らないことばかりだけど~…あっそうだっ!」 いいこと思いついたって表情。きっと素敵なこと。大好き。 「ういちゃんの話、出し合いっこしない?家でどんな子だったとか!まなそれすごく知りたいな~」 「……喜んで。まあ、お姉ちゃんは私や家のこと苦手だったかもだけど」 それでも── 「それでも私も、ママもパパも、お姉ちゃんのこと愛してたから…いくらでも話せる──」 囁くように笑い合う声が、窓から差す優しい青白い光の元で静かに響く。 いつの間にか雨があがり、雲間から月が顔を出して──その下で月の神話を語り合った。 (37) ── 「それでね~、ういちゃんったら毎日すごい量のコーヒー飲んでて~」 「初音、コーヒー好きだよね~。いっつも飲んでる」 「そう!だからケンコウ二ヨクナイっ!って言ったら、すごいしゅ~んとしてて~、怒られたワンちゃんみたいでかわいかったの」 「うちでも一日中、しかも寝る前でも飲むから飲みすぎ!ってママにしばらく禁止にされて泣いてたな~。ふふっ初音ったら変わってない」 ── (38) ── 「あと初音、虫がありえないくらい苦手」 「え~ウソ~?」 ── 「──それで、このくらいのクモだったんだけど…初音、怖がって腰抜かしちゃって」 「かわいいね~ういちゃん」 ── (39) ── 「それでね、ムジカのキーボードの、祥子ちゃんの話するときのういちゃんの顔…すごいキラキラしてて」 「……さきちゃんは…お姉ちゃんの…アイドルで……神様…だか…ら………………」 「うん、ちょっと嫉妬しちゃう…。ん?あれ?寝ちゃった?」 「………」 「かわいい寝顔……楽しかったな~もっとお喋りしたいけど」 「……」 「今までいっぱい大変な思いしてきたんだよね…ゆっくり休んでね……おやsumimi~」 「…」 ── (40) ─── ──これは…幻。夢。大好きな母の仕事場だった場所。 辺り一面に紫色の花弁をつけた、生命力に溢れたすみれの花だけが咲く、荒れた庭園の景色。 人の手がないと咲けない、見た目だけのか弱い花々は淘汰され、その姿はもうどこにもない。 野生でたくましく謙虚に自分の力で咲くすみれの花。 神への一途な『忠誠』を古来から体現する神聖な花。 赤い空を見上げる。歯車の月が回っている。 いつも見る悪夢だ── 庭園で対峙をする、同じ顔の女の子が二人。 (41) 一方が罵詈雑言を浴びせる。もう一方は押し黙っている。 一方が悲嘆に暮れ泣き喚く。もう一方が片方を押し倒す。 鏡の断片を握る。首に突き立てる。憎しみを込めて。息絶えるのは妹。 血しぶきが立つ。死骸を蹂躙する。顔の皮を剥いで。持ち去るのは姉。 奪った顔の皮で作った仮面を被り、無表情で庭園から去っていく勝者。 鮮血の赤を咲かせて地面に転がり、顔を取られて打ち捨てられた敗者。 敗者となった偽物には蚊、蝿蛆、百足、甲虫、蟲達が次々に殺到する。 血が滴る顔に我先にと群がり、暴虐の限りを尽くす。悪夢は長く続く。 仮面の下の悲しそうな顔に絶望して、真っ暗闇に包まれ全ておしまい。 いつもの内容。あの去っていく本物に手を伸ばしてもいつも届かない。 (41-added)     でも一応、無駄だろうけど片手を伸ばしてみる。     ───私の手を誰かが掴んだ。     悪夢から、地獄から救いあげられる感覚がした。     (42) 普段とは違う寝床。嗅ぎ慣れない匂い。聴こえてくる寝息。手に感じ取れる熱。 覚醒していく視界に飛び込んできたのは、すごくキレイで安らかな寝顔。 ああそっか…昨晩まなちゃんのお家で…。 最悪の朝じゃない。こんなに寝覚めがいいのは本土に来てからすごい久しぶり。 悪夢で飛び起きるような今までの朝じゃない。気分が晴れ晴れとしてる。 朝の陽の光ってこんな心地良かったんだ。 愛らしい寝息を立てるまなちゃんを起こさないよう、ベッドから出ようとする。 あっ私の手握ってくれてる。そっか…私を悪夢から守ってくれたのは…。 まなちゃん本当にありがとう…大好き…。 私の手に絡んだ指を丁寧に解いていく。夢の中にいる彼女を起こさないように。 地獄から救ってくれた恩は忘れないよ。私の人生あげたい…一生、推す…貢ぐ。 一生、『尊敬』する──そして静かに支度をし、傘を手に取って、まなちゃんの家から出ていった。 (43) ──地平線から顔を出し始めた太陽が地上を照らしてる。 私はまなちゃんのマンションの近くの公園のベンチでぼーっとしていた。 眼前には多様な花が咲く、人の手で丁寧に手入れをされた花壇が広がる。 チューリップ、シャクヤク、クレマチス、バラ、そして──すみれの花。 昨日の大雨を経て、水を滴らせる草花たち。 故郷のあの庭園を思い出し、私のセンチメンタリズムに影響した。 これからどうしよう…。まあどうにでもなるかな。 今の私には最高の天使と語らった、月の神話の甘い思い出がある。 未だに複雑で、初音のこと許してなんか全然ないけど、不思議と気分は晴れやかだった。 今はこれだけで歩いていく。そして、一人慎ましく、陰からまなちゃんを激推しする生活へ。だから大丈── 『うひょっ…ビジュ最高の美人のメス八犬伝!レズの早起きは三文の徳っ!』『sumimiの初華じゃない?やべっ!股濡れるんだけど!』『レ~~~ッズッズッズッズ、朝からビンビンに興奮してきたレズ!』 ──ああ、台無し。 (44) ふざけないでよ。人がせっかく立ち直って、決意を新たに再出発しようとしてたのに! 初めてクンニを強要された、東京の中学転入初日の、あのときの絶望を思い出した。 モブレズがモブレズを呼んで、学校の女子全員のを泣きながら舐めさせられた。 モブレズ共め。 またクンニをさせられる。 でも天使と、まなちゃんと約束したんだ。 もうクンニ奴隷には絶対に堕ちちゃダメって。 だから絶対に抗う。クンニなんてしてやらない。 来るなら来い。一人でも絶対に負けない。 お前らのなんて舐めない。 ………………。 ……あれ?……なにも来ない? (45) 『顔のいい女、いいよね…全員もれなく幸せになってほしい…』 『いい…同じく顔のいい女とツガイになって幸せになってほしい…』 『顔のいい遺伝子を洗練していってほしい…まなういで子を為してほしい…』 『あっ!たくさんお花が咲いてますわよモブレズのお嬢様方!うふふ、お美しいですわね…』 『きっとおめしべとおめしべでお受粉してお繁殖されたんですわ…早朝のお嬢様ジョギングが捗りますわ!』 通り過ぎていった。 相変わらず頭おかしい人達…。 でもいつもの流れなら、もうすでに脱がされて…物陰に連れ込まれて…。 おかしい。何が起こってるの…? ─── ── (46) 『ビジュが最強すぎる女性が世界に産まれてきたことに感謝…あなたのご両親に祈らせてください…』 『Girl…幸せにおなり…私は帰ったらあなたの美しい顔面を思い出してオナるけど…儚い…』 『いつ…純田まなさんとご成婚されるんですか…?ご出産予定日は…?』 『本来クンニは可憐なメス同士が愛し合う神聖な儀式なんです…』 『まな様とオブ様、二人も娶るおつもりで?いいね…』 その後も、ベンチに座る私の目の前を何人ものモブレズが通っていった。 だけどクンニ奴隷をやらされることはなかった。 東京に来てからこんなことは初めて。 それでも発言の内容は怖すぎるけど…。 困惑していると───スマホに着信。 ママから電話だ─── (47) 「もしもし?ママ?帰れなくてごめん。うん…心配かけた。えっと…知り合いの…すごく優しくて、かわいくて、かっこいい女の子のお家に泊めてもらって…大丈夫だから…え?『泊まったときに、お腹の奥キュンってなってなかった?』……ん~?そういえばなってたけど…なんで?……『三角の女の呪い?』『島の外に出るとモブレズが魅了されてクンニレズゴブリンになる?』『子宮が恋をすると解呪?』……は?ママなに言ってんの?酔ってる?それが本当だとして、じゃあなんで島から私のこと連れ出したの?私ひどい目にあってたんだよ?……『三角の女はクンニを経て覚醒する?』『初華はあのまま塞ぎ込んで島で腐っていくと思った?』『心を鬼にしてクンニの千尋の谷につき落とすのが大ガールズクンニ時代を戦った母としての役目?』…ママ?頭イカれてんの?…もう私ママのことお姉ちゃんより軽蔑してるんだけど……えっ!?『再婚する!?』『赤ちゃんも産まれる?』『孕ませた?』『相手は…』……ヒッ…ご、ごめん頭痛くなってきたから切るね。うん、さっきのは嘘。愛してる。でもしばらく顔も見たくない。家帰らないから。お幸せに。…赤ちゃん、産まれるとき連絡して」 (48) ………。…………。……………。狂ってる世界。 謎展開すぎて頭の理解が追いつかない。 ひとまずママのことは忘れたい。 もうなんも考えたくない。 これからどうしよう。 ふと、顔を上げると人影。 昨夜、傘をくれた変な髭面のおじさんが立っていた。 キャップの上にフードを被って相変わらず目元がよくわからない。 あれ?なんかちょっとうな垂れて落ち込んでない?気のせいかな? 「Last question───」 神妙な面持ちで問いかけがされる。緊張感が走る─── (49) 左手に紫のすみれの花。 「Loyalty or」 右手に白のセージの花。 「Respect」 二択──左か右か。『忠誠』か、『尊敬』か。どちらを選ぶかってこと?何が言いたいんだよ。 でも──確実にこの選択で私の、「本物の三角初華」の人生が決まる予感がする。 問いかける人物の表情がそれを物語っている。冷や汗。生唾を飲み、考えこんだ。 すみれの忠誠。厳しい試練の中で己の力で咲いて、神様に仕えて謙虚に尽くす姿。 セージの尊敬。純粋な光で暗闇にいる者を癒して、救いを与えて敬意を集める姿。 脳裏によぎるのは昨夜の、まなちゃんとの甘い…。どちらかを選ぶなら右を──。 ふと、初音との最後の記憶、愚かな私に絶望した表情を向ける姉の顔が浮かんだ。 (50) 大好きだった初音。傷つけてしまった。こわしてしまった。もう元に戻らない。 甘い記憶を抱いて、このまま慎ましく、隠れるようにして、姉から逃げる人生。 あんな悲しい顔でお別れは嫌。尊敬する右の手を、それを選んでも変わらない。 それは──変わってない。それは──クンニ奴隷だ。またクンニに逃げる人生。 じゃあ…左を、ずっと隣で育ってきた、私が傷つけてしまった『忠誠』を選ぶ? 昨夜のまなちゃんとの神話。叱ってくれて、励まされて、姉の話で笑い合った。 恋をした。片思いだけど。あの優しい、『尊敬』の思い出を手放したくはない。 そして─── 初音がしたことを、私は許せていない。あんな屈辱を受け、許せるわけがない。 でも姉を嫌うには、愛情が残っていて。また姉を愛すには、理解が足りなくて。 (51) 「Loyalty or Respect?」 …………。じゃあ、もう答えは決まっている。 ああ、さようなら。私の平凡で孤独だけどささやかな幸せがあっただろう未来。 私と、初音は違う。 きっと、後悔する。 十中八九、苦しむ。 この未来は、地獄。 ただの島娘でしかない私には、クンニするしか能のない私には、身投げと同じ。 でも初音を、お姉ちゃんを理解するために。その軌跡をもっと知りたい。 そして、彼女たちに私自身をもっと知ってもらいたい。 信じて飛ぶしかない。だから、私の答えは─── (52) 「Loyalty or Respect?」 問いかけを発する男の横を通り抜けていく。紫のすみれも、白のセージも、私は選ばない。 ──両方、欲しいから。 多くの花が咲く花壇を目で物色する。………あった。陳腐だけど、究極で最強の選択肢。それは── 「……Love. 私の答えは愛。それも…裏切りと抱き合わせの、愛」 私は花壇の中に隠れている、まだ蕾の、黄色の薔薇を指した。 (53) 忠誠も尊敬も、どちらも根底に存在するのは愛。 愛がなければ、忠誠を誓っても尊敬を示しても、本物にはなれない。 愛こそが本当。 そして─── 黄色の薔薇は、裏切りを身にまとった愛を映す。 小銭のために、愛する人を売ったやつの服の色。世界一の嫌われ者。 家族の愛情を、裏切り捨て去った初音のことは、絶対忘れはしない。永遠に許してあげない。 それでもその裏切りには背景があって、裏切った方も誰にも言えない苦しみや怒りがあった。 それを知ろうとする努力をやりきって、愛してた方は寄り添うかどうかを決めればいいんだ。 それに───『初音はパパが違うから悲しくないんだ!』───私も初音を裏切ったんだよ。 (54) 独善的な愛は拒絶されるかもしれない。 いつかは愛は裏切られるかもしれない。 生涯この愛を貫いて咲くためには、私の手持ちの物は心許ないかもしれない。 立派に自ら咲いたあの華と違って、人の手がないと咲けない華かもしれない。 徒花にすらなれないかもしれない、花になれても醜い姿形の華かもしれない。 それがなんだ。とりあえず咲こうとして、やりきってから落ち込んで、また考えたらいいんだ。 苦難が待ち受けようとも、何万人ものモブレズのマンコをクンニするのに比べれば楽勝すぎる。 罪だらけの愛情をもって、あの華に並び立ちたい。 胸を張って宣言しようか。 「裏切りを忘れない愛が私の未来。そしてお姉ちゃんを知って、私を知ってもらうのを諦めたくない」 (55) その答えに、フードの下の髭面の口が満足げに笑って、手を叩く。 「That's the answer. That is the answer. Right」 すると黄ばんで汚れたルーズリーフを渡してきた。 折りたたまれているそれを開くと、中にはいくつかの薔薇の種子。 そして紙いっぱいに乱雑に書き殴られている激しい怒りに満ち溢れたリリック。 目の前のおじさんは、背中を押すように、力強く、私に向かって言い放つ。 「You can do anything you set your mind to, man」 心に決めたことは何だってできると。 受け取った。それじゃあ愛を証明するために、 瞬間に、私の全てを捧げ── (56) ───むり。 おじさんと別れ、背中を丸めて情けなく尻込みキメていた。 これからやるべき事、やらないといけない事も一応決めてはいる。 い、いや…でも、いきなりはちょっと無理かな~。こう…気持ちの整理がね。 テンション上がって愛がどうとか恥ずかしい決意表明したけどさ。段階ってやつがあると思うの。 どこかであのおじさんが私に韻踏みまくりのバチギレ高速disかましてる気配がする…。こ、こわーい! どうしよ…家にはもう帰れないし。……あっバス停だ!そうだ!旅に出よう!自分探しの旅ってやつ! とりあえずJR東海とsumimiのコラボのまなちゃんの推し旅ボイス聴きたい…聴く…。 そうと決まれば善は急げ!財布財布……あれ?お財布がない。 ウソ?どこかで落とした?家出少女なのに無一文? ……しょうがない。こうなったら─── (57) 「もう、クンニ奴隷になって稼ぐしか……!!」 「二度とやらせないって、まな言ったよね?」 突然、鈴の音が鳴るような澄んだ声が私の耳元にかかる。 「ひゃっ!?」 飛び上がる。掴まれる手首。振り向くとすごい美人。 ニコニコしてるけど絶対にめちゃくちゃ怒ってる顔。 「ま、まなちゃん…」 (58) 「やっと見つけた。探したんだよ~~?」 私の手首を掴んで笑顔で詰め寄ってくる。後ずさり。 「勝手にベッドから逃げちゃダメって約束したよね?」 逃げ……あっ…後ろはもう壁。強すぎる圧。ない。もう逃げ道が。 「それに今クンニ奴隷…って聞こえた気がするんだけど。どういうこと?」 「まなちゃんはそんな穢れた単語を口にしちゃいけな……ヒィッ!?…手が壁にドンっ!?」 「また、他の知らない女の人のを……舐めるつもりだったの?まながダメって言ったのに約束破るの?」 「ごごごご、ごめんなさい…!お金と住む場所がなくって…!でも冗談!冗談だから!」 「"ウイちゃん"のことはまなが買うって言ったよね?」 「ひゃぃ…もうしません私はまなちゃんの物です………"ウイちゃん"???」 (59) 「まなにとってのういちゃんはsumimiの初華だけど…あなたも三角初華でしょ?だから、ウイちゃん」 「あっ……うっ……」 嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しすぎて言葉が出てこない。涙は勝手に出てくる。 私。私の名前。私だけを呼んでくれる名前。お姉ちゃんと一緒でもいい。 見つけてくれた。また見つけてくれた。 「……心配したんだからね?」 「うんっ…うんっ…もう勝手にどっか行かないから…ありがとうまなちゃん…うっ…うぅぅ…」 「泣くくらいなら急に出ていかないでよ~!起きたときびっくりしたんだから!はい、ハンカチっ!」 「ありがとう……あははっこのハンカチ…いい匂いする…。味も……おいし…。家宝にしたい…する」 「変なこと言わないで。まなのハンカチ食べないで~!」 泣きながらハンカチを貪る私にドン引きするまなちゃん。 ああ好き。一生、あげたい。 (60) 屋根付きのバス停のベンチに二人座る。他に誰もいない。 「ウイちゃん、大丈夫?」 「うん…涙止まった。ありがとう…」 ハンカチは弁償しよう。宿無し一文無しの女子中学生だけど…なんとかお金を稼ごう。 クンニ以外───ママ活くらいならいいかな? 「またろくでもないこと考えてるでしょ?やらせないからね」 なんでバレるの…。 「もう突然いなくなったりしないって今度こそ約束できる?」 「する。絶対、何も言わずにいなくならないって約束するから」 「よかった~…まな急に誰かがいなくなるとか…そういうの、トラウマなの」 暗い面持ち。ポツリ…、ポツリ…、話し始める。 「あっちのういちゃんがね…急にいなくなって、sumimiも休止した時期があってね」 (61) 「連絡もつかないし、事務所の人に聞いても答えられないって言われるだけで…」 思い出すのは、パパが亡くなったあとの…。 「いなくなる前は様子が変だったし…あのときすごく怖かったの」 私が一方的に罵って。傷を抉ること言って。 「ういちゃんともう二度と会えないんじゃないかって思って」 急にいなくなった。二度と会えなくなった。 「結局ういちゃんは戻ってきてくれた。すごいスッキリした満ち足りた顔で」 なにそれ。 「それで…何があったかは…まなには話してはくれなかった…」 「……は?」 「でもよかったの。戻ってきてくれただけで十分。それでハッピーエンド」 (62) それでもさみしそうな顔。 握った拳に爪が食い込む。奥歯を噛みしめる。 初音がいなくなった理由。その詳細は私もまなちゃんもわかりはしない。 でも少しだけ想像できる。きっと産まれながらに抱えたあの複雑な事情。 お姉ちゃんは誰にも話さない。自分だけで全て完結する。秘密を抱えこむ。うそつき。 心配して聞いても突き放して。人の気持ちも知らないで。ノンデリクソ女。うんざり。 この親切で優しすぎる人にも、一線を引いて何様なんだ。あの不義理な姉。鬱陶しい。 忘れたようにスッキリしてさ、自分事ばっかりの身勝手。逃げてばっかり。責任取れ。 まだ、クンニゴブリンモブレズの方が人として誠実だよ。 自分だけが不幸だと思ってる。 毒マンコ舐めた事ないくせに。 嫌い。大嫌い。逃げないでよ。 (63) だから── 「まなちゃん。私ね、初音のこと追いかけようと思うの」 逃がさない。 「初音の通ってきた孤独な道、全部辿って知って、また話し合いたい」 私も──もう逃げられない。 「初音がどんな気持ちでsumimiの初華を、ドロリスを、音楽をやってきたのか」 私の──この先の人生、全部あげる。 「会って話しても、どうせ私じゃ嘘で逃げられるだけだから…すごく遠まわりで、険しい道で」 瞬間に、私の、三角初華の全てを捧げてあげる。 「だからまなちゃんにお願いがあるの。しかも私の都合だけで、まなちゃんには何の利益もないお願い」 「いいよ」「ほんとごめんなさい嫌なら全然断って────えっ?」 (64) 「えっ…いいの…?聞いてもないのに」 「いいよ~やりたいことは伝わってるもん…音楽はそういうことにこそ活かさなきゃ」 ……心から尊敬する。この人にも一生かけて尽くそう。人生あげなきゃ…あげたい…あげる。 「どうか私に"音楽"を教えてください。音楽の力を借りて、お姉ちゃんのところに行きたいんです」 大嫌いで、大好きで、裏切って、裏切られた愛をまた伝える道へ。 必死すぎ。ダサすぎ。精一杯に、頭を下げて私をむき出しにして。きっと一人じゃ咲けない私をさらけ出す。 「初音とちゃんと話せるようになるにはそれしかないって思って…だから、お願いします」 「うん、いっぱい…教えてあげる。それに利益がないって言ったけど、まなにもちゃんとあるんだよ?」 それは── 「まなも、ういちゃんのこともっと知りたいもん。ういちゃんが思ってること。ういちゃんが悩んでること、ういちゃんが…後悔してること。それであなたのことも。ウイちゃんのことも全部知りたい」 (65) お姉ちゃん、まなちゃんにすごい愛されてるじゃん。いいなあ…。羨ましいなあ……。 こんな大天使に塩対応とかお姉ちゃん…本当に人間の血、流れてる?責任取って結婚するべきだと思う。 「ありがとう…これから、よろしくお願いします。ひとまず私はこれで…じゃっ!」 「えっ?ウイちゃんどこ行くの?」 「家に帰れなくなっちゃって…住むとこ探さないと!住み込みで働けるとこか…最悪クンニどr」 「は?」 「………ち、違うの、まなちゃん聞いて?最悪の、最終手段ってだけで………きゃっ!?」 また手首を掴まれる。笑顔なのに怖い。 「なにが違うのかな~?ほんとあっちのういちゃんと違ってやんちゃで悪い子だよね~?」 今度はギリギリと音が鳴るくらい強く。アイドルの握力凄すぎて逃げられない。 で、でも私より初音の方が悪い子だと思うの…。 (66) 「来て」 「ど、どこに…?」 「まなの家。ずっと住んでいいから」 「いやそこまでお世話になるわけには…ぎゃっ!痛いっ!嘘ですごめんなさい住まわせてもらいます!」 「まな以外の人に自分を売っちゃうのも叩き直してあげる…もう許さないからね?今度したらおしおき」 「はぃ…」ドキドキ 「じゃあいこっか?」 バス停のベンチからまなちゃんに連行さr…手を引かれ、共に歩き出す。 あっ…水滴?見上げると曇天。昨夜やんだ雨がまた降り注ぐ。 「雨…まな傘持ってきてない」 「まなちゃん、私の傘入って?」 貰った傘。帰る家も、クンニで巻き上げた汚いお金も、全て失って裸になった私の数少ない持ち物。 (67) 「………」 「ありがと~!…どうしたのウイちゃん?傘じっと見つめて」 「ううん、傘っていいなって思って…こうやってふたり入れるし」 あのとき交換してよかった。いや交換というより身ぐるみ剥がされたが正しいか…。 でもレインコートは自分ひとりしか守ってくれないけど──傘ならふたり分。 雨でもふたたび歩きだせるんだから。こうやって肩を並べて、一緒に。 「急にロマンチックなこと言って…もしかして、ウイちゃん変な子?」 「だいぶ普通の子だよ!変な子はお姉ちゃんの方だもん!」 「またういちゃんのこと悪く言ってる!も~、仲直りできないよ~?」 初音と、お姉ちゃんともいつか───ううん、それは私とお姉ちゃん次第かな。 ひとつの傘の下、ふたり賑やかに笑いながら、新しい生活が待つ場所へと歩んでいく。 ──秘密を抱えた、愛する私の偽物を迎えにいくために。 (68) ─── 「じゃ~ん!まなの秘密基地!」 まなちゃんのマンションの一室。 吸音材、遮音材で囲まれた防音室になっている。 そこにはマイクにピアノやギター、様々な機材がきれいに並んでいた。 「はいギター!その子ウイちゃんにあげるねっ!」 「……これ、もしかしてお姉ちゃんと同じやつ」 「事務所から発売記念の献品でもらったんだ~!でも、まなもギター弾くけど多弦は手に合わなくて」 黒い7弦。 「たぶんこの子は、ウイちゃんのこと待ってたんだと思う」 SHECTERのロゴがヘッドに、月の歯車がネックに刻印されたギター。 『Artist Collection, Ave Mujica, Full Spec Series ─ Doloris 三角初華 ─ Signature Model』 (69) 黒光りしてるボディが威圧的で、思わず気圧されてしまう。 きっとこれを手に取った瞬間に、私の人生は今以上に狂う。 だけどそんなことどうでもいい。才能があってもなくても。 いろんな思いに背中を押されて、覚悟をしてここまで来た。 怖気る過去の私を蹴っ飛ばして、自信満々にネックを握る。手にズシリと重い荷重。 一人で咲けなくても咲くと決め、先のことなんか考えない。やりきって会いに行く。 「ストラップ、かけてあげる」 初音が感じてきた重さが肩へと、この重みを生涯忘れない。ありがとうまなちゃん… ストラップにかかった私の髪が、まなちゃんの手のストロークで払われ……あっっちょっとメロつくっっ! (70) 落ち着こう──でも、こうやって実際に持つとすごい高揚感。 なんだかふわふわする。今の私かっこいいかも? 「どう?どう?かっこいい?初音みたい?」 「う~~~ん…なんか服に着られてるというかギターに持たされてるみたいな~…ちょっとかわいい感じ?」 はい。わかってました。どうせ私はただの島娘ですよ~っと。 「でも、ういちゃんも最初はそんな感じだった。これからいっぱい…あの子が通ってきた道を教えてあげる」 「うん、頑張ってお姉ちゃんに追いつきたい、追いついてみせる…だから協力お願いします──まなちゃん」 「最初に言っとくけど、歌もギターもまな結構スパルタだからね~?…覚悟してね」 優しい顔から、プロとしての顔に切り替わる。やだ…まなちゃんすごいかっこいい…。 「のど自慢大会連覇できるくらいには仕上げてあげるからついてきて。………泣いて逃げないでね?」 「………はい…絶対逃げません…たぶん…」「たぶん?」「いいえ!絶対!」 (71) 「じゃあまずはきらきら星……いや初めてギター持ったんだから~、一番気持ちいいの弾こっか?」 「うん!」 やることは決まってる。アンプにシールドを差し込んで。電源オンで赤いLEDがキラリ。電流がくる。 木の死骸に血が通った合図の雑音がスピーカーに。ピックを握って、生命を与えられたギターを構える。 お姉ちゃんも絶対最初にやったこと。 ギターと一つになる喜びに浸りたい。 クンニ奴隷だった私の暗闇の世界にサヨナラを告げる音! 何者にも押さえつけられてない弦に右手を振り下ろした! B-E-A-D-G-B-E!!!!!!! 私の身体中に全弦解放の音が鳴り響く─── (72) 気持ちいいっ!こんなのやってたなんてお姉ちゃんずるいっ! コードとか理論だとかまだまだ知らない! でも追いつく、どれだけ時間がかかっても。 首洗って待っててお姉ちゃん! 「ありがとうまなちゃん!これすっごく気持ちいい!クンニよりいいかも!」 「えへへ~どういたしまして!でも下品な言葉使わないでね?おしおきね?」 「あっ…しまっ…ごめんなさい!ごめんなさい!イヤあああああああああ!」 アイアンクローで顔面をギリギリと〆られる元クンニ奴隷の悲鳴が木霊した。 挑戦は長く続く。 (73) ─── 「まなちゃんお待たせ。ごめん私の方のレコーディング手こずって…エンジニアさんがsumimi全部OKだって」 「おつかれういちゃん。まなは全然いいよ~!sumimiはふたりでひとつだもん気にしないで!今回の曲も歌ってて楽しかった~」 レコーディングの待機ブースでまなちゃんとふたり微笑み合う。 ムジカのゴタゴタもひとまず落ち着いて、こうしてsumimiの活動も再開できるようになった。 まなちゃんにも心配かけたけど今までと変わらず─── あれ?まなちゃんが手に持って読んでる本…… (74) 「その本…『犬のしつけ 入門』って…?まなちゃんペット飼いだしたの?」 「そうじゃないけど~…まなのお家で一緒に住んでる子がいてね?ワンちゃんみたいですごくかわいいの」 「えっ人間?じゃあしつけって……?」 「まなじゃない知らない女の人のとこで色々舐める悪い癖があるから。もっと躾しないとって思って。この前なんかエフェクター欲しいからとか言ってお金目当てでまた…」 もしかしてまなちゃん、バンドマンのヒモ飼ってる? しかも遊んでるタイプ? えっ?えっ?えっ?えっ? ウソ嘘うそ嘘やだやだやだやだ。 脳がグチャってなった音がした。 ……マナチャン?マナチャン? (75) その同居人…ものすごく嫌な予感がする。 さきちゃんも大事だけど、まなちゃんだって私のかけがえのない恩人なんだから。 勇気を出して忠告を…。 「ま、まなちゃん?その人ちょっと危ないんじゃ…」 「え~?やんちゃだけど明るくて家族思いですごくいい子だよ?…妹ができたみたいで毎日楽しいんだ~」     妹。     その単語に一瞬息ができなくなる。 よかった、年下の女の子か…と安堵したのもつかの間。 連想してしまった。私が勝手に存在を奪って、私のことをおそらく憎悪してて、私が人生を壊した── (76) 「……いつか会わせてあげる。あの子はたぶんういちゃんが想像してるような悪い子じゃないよ~」 「う、うん…楽しみにしてる…でもなにかあったら相談して」 「ういちゃんがそれ言うの~?……あっそろそろ帰らないと!またねういちゃん!おやsumimi~」 「……おやsumimi~」 今ちょっと刺された気がする…。 まあいいや。思い出したくないことは忘れて帰ろう…。 さきちゃんと暮らすあの部屋に。 忘却とともに永遠に──それだけで私は満足なんだから。 (77) ──暗闇の中にいる。 「ああまたダメ…また間違えた…まなちゃんの鬼…こんなのできるわけないじゃん…………もういっかい」 何度も何度も弦をかき鳴らせ。 弾き方を間違えたらまた最初へ。 納得いくまで繰り返して挑み続け。 苦しみを越えて楽しくなって次第に、私を忘れて。 クンニ奴隷とかお姉ちゃんへの嫉妬とか、全部雑音。"今この瞬間に、音楽に私の全てを捧げている" まるで奴隷。もう音楽の奴隷。音楽って麻薬にハマってしまった。これがないと生きていけない。 でも怒りは忘れない。今は初華の偽物だから。これはきっとガソリンだ。忘れたら走れなくなる。 なんで初音はあそこまで高く飛べたのか。偽物として、道程をなぞってる今ならわかる気がする。 才能だと思ってた。そんなくだらないものじゃない。違う。きっと初音はさきちゃんの…私の…。 暗闇の先に初音の、お姉ちゃんの背中がちらりと、少しだけ、ほんの少しだけ見えた。 もう少し?いやまだ遠いのかな──あのいけ好かないクソ女の「顔」を早く見たい。 (78) 必死に考えて。 ギターを弾いて。 怒りでペンを走らせ。 リリックをルーズリーフに起こせ。 狂気と執念を五線譜の上に叩きつけて。 歌いあげる──忠誠と尊敬と、怒りと裏切りと、愛をもって。 ダメ。モブレズのおりものの味がする。こんなもの。全部破り捨てよう。 もう一回暗闇に潜ろう。また没頭のサイクルに、何回でも身を投げよう。 捨て、悩んで、何度でも作って、何度でも飛び降りて、何度でも咲こう。 私はきっと初音にはなれない。でも、それでいいんだ。それがいいんだ。 じゃあもう一度覚悟を決めて、暗黒の汚マンコへクンニしていくように─── 「ウイちゃんただいま~!!ドーナッツ買ってきたよ~!!」 「!!!!!ドーナッツ!?やった~~~!!まなちゃん大好き!!おかえり~~!!」 でも最後には必ず喜びと共に光の元に駆けていく。鉢植えに植えた黄色の薔薇が蕾をつけ、そろそろ花が──