【東雲と私の旅行記】 「東雲~?大丈夫~?」 「もうダメかもしれません...」 飛行機酔いで、私にもたれかかりながらキャリーバッグを引きずり歩いている東雲に声を掛ける。 北海道に着いてからこの調子で、顔色も健康的な普段の肌色から完全に白く染まって太眉も垂れ下がっている。 東雲は乗り物酔いしないタイプだから、飛行機酔いもしないだろうと油断してた...。酔い止めの薬とか用意してあげるべきだったかなあ。 「お空がぐるぐる回って...わぶっ...」 ぼふっ。 倒れた東雲の顔が私の胸に着地した。完全にダメっぽい。 「...友達からおすすめって言われてたスープカレーのお店に行く予定だったけど、具合悪そうだから、さ。そこのファミレスで一息付こう?ね?」 東雲はやさしいから、予定を変えまいと無茶しているんだろうけど...。 流石にこの状態で、更にバスに揺られて行くのは無理。 「東雲?私もちょっと休憩したい気分だから、ね?」 「ぼうしばけあいあえん、まふたー」(申し訳ありません、マスター) 東雲が気を使わないように再度声掛けすると、胸のあたりから服でくぐもった声が聞こえた。 別に何も悪くないのになあ、健気な子。 「大丈夫、大丈夫」 申し訳なさと気持ち悪さでダウナーになった東雲の頭をそっと撫でてあげた。 スープカレーのお店に行けなかったのは残念だけど、一緒に楽しめなきゃ嫌だよ。 せっかくの1泊2日のGW旅行だしさ。 「落ち着いてきた?」 「はい、おかげさまで...」 ファミレスに付いてから1時間。 小さい両手でお冷をこくこくと飲んでいる東雲はすっかり落ち着いた様子。よかった。 「旅先は体調崩しやすいんだから、こういう時はすぐ言ってね?」 「...ありがとうございます、マスター」 コップを置いてから深々と礼をする東雲。 人前でやられると...ちょっと恥ずかしい。 「何でもないことだから...頭上げてよ、そうだ、東雲も何か食べる?かなりお昼過ぎちゃったけど」 「今は少し...食欲がわきません」 それもそうかぁ...。 頼んだあったかいコーヒーを飲みながら、食べ終わったサーモンサラダの皿を店員に渡す。 お昼だから東雲にも何かお腹に入れて欲しいけど、無理はさせられないね。 「...そうかぁ...夜、ホテルのバイキングだけど大丈夫かな...?」 「大丈夫です、夜までにはお腹を空かせておきますから!」 東雲は両手をグーにして、私に安心させるように胸を張った。 いや、頑張ればお腹がすくわけでもないと思うよ。 私も流石に食べれない東雲の目の前で、バイキングまでも堪能するわけにもいかないしなぁ...。 ...。 「そうだね、頑張ってお腹すかしておいてね」 「はい、頑張ります!」 私も2度もグルメお預けは凹む。 東雲には頑張ってお腹を空かせてもらおう。こう...気合で何とかなれ。 通りがかった地元の学生さんに、このやり取りを変な目で見られたけど気にしない。 「え~っとザベーシックホテルってここかな...違うか」 バスから急遽タクシーに変更して1時間、今夜止まるホテルの近くまで来た。都会と違って生い茂るように森が点在していて、明日遊覧船に乗る予定の大きな湖も見えた。 その、近くまで来たはいいが、何件かそのホテルと似ている白い建物が並ぶように建っていて見つからない。かれこれ20分くらいぐるぐると歩いている。 「ちょっと寒くなってきた...」 流石、北海道...5月だというのに薄手のコート着ても寒い...。東雲も青黒のパーカーを着ているが、ちょっと寒さが堪えていそうだ。 「こんなことなら地図とか持ってくればよかったなあ...」 「大丈夫ですよマスター、今は地図アプリとかがありますから、少しスマホを貸して下さい」 それを見かねた東雲がポケットから私のスマホを借りて、画面の上でササッと指を動かす。 和風美人という風体だが、こういう事には意外と詳しい。わたしがそういうの知らなさすぎるだけだけど。 さっき自信満々にこの辺りだったはず!と宣言したのが恥ずかし...。 「...すでに入ってますね、地図アプリ」 「えっ、最初からこれ使っていればよかったのかなあ...失敗しちゃった」 「しばらく歩いてましたけど、一緒にこの辺りの景観めぐりをしているみたいで楽しかったから大丈夫ですよ、さっき助けられましたから、私がマスターを助ける番です」 「...ありがと、東雲♡」 ほんとに健気~~~~。 無駄に連れ回しちゃったのに、愚痴の一言も言わないなんて...。 「アプリによると、ホテルは3つ通りを挟んだこっち側ですね」 「全然場所違った...」 とほほ...マスターとして、カッコ悪いなあ...。 そんな傍から見たらどっちが主人なんだかわからない東雲の先導に従うと、白くて縦長状の目当てのホテルが見えてきた。 二つの建物をつなぐように通路が繋がっており、真ん中下が空洞となっている。旧ホテルと新ホテルをつなげた影響なんだとか。旧ホテルの使われてないフロントもちらりと見える。今は休憩室になってるっぽい。 送迎用のバスやら同じ旅行者の家族連れなどの人だかりを抜け、大きめの自動ドアをくぐりホテルのフロントへ。 ホテル内は茶と黒を基調とした落ち着いた感じの配色。フロントの真ん中に置いてあるデカいトーテムポールみたいな置物はアイヌとかそういう系のやつなのかな。 「旅行先決めの時に一緒に写真を見ましたけど、実際に見ると色々違いますね」 「そうだね、照明とかで実物の方が雰囲気良く見えるし、建築の時にそういうのも計算してるのかな!」 「どうでしょうね...照明が反射するくらい床のタイルは磨かれているので、清潔感はあると思いますが」 想像よりも綺麗な感じで、私と東雲も上機嫌気味。 ととと、まずは受付してからだね。幸いなことにあんまり人は並んでないみたい。 「東雲、まず受付の人と話してチェックインするから、荷物見ててね。そこに休憩用のソファとかあるからさ、そのあたりで座ってて」 「はい、承知いたしました」 東雲に荷物を任せて少し並ぶと、はきはきと喋る受付の人に部屋の鍵と夜のバイキング用の入場券を渡された。ついでにホテルの地図代わりのパンフレットも。 「お待たせ~東雲...」 「思ったよりも受付時間短く済みましたね」 「ちょっと早めに来たからかな?あっ」 ソファには座らず立ったままキャリーバッグの面倒を見ていた東雲と合流すると、同タイミングで観光バスから外国人観光客が続々とホテル内へと入ってきた。 外国語を話せるフロントスタッフは複数いるだろうけど、いつもより受付手続きに手間取ることは容易に想像できる。 「危ないところでしたね...」 「15分くらいで済んだけど、この列の後ろに並んだら1時間くらいかかってたよね...」 旅行先は早めに動いたほうが良いと聞くが、その通りなようで。 ガチャリ 私は受付に渡されたカギで4階の部屋を開けた。 ちょっと重めのドアを開けると、薄緑を基本とした和風の畳張りの部屋が目に入ってくる。天井照明も和を感じさせる木で作られた格子状の照明で、部屋にはベッドが二つ。窓を見ると青々とした湖が顔をのぞかせていた。 「良い部屋ですね、景色もよく見えますし」 「東雲は、こういう落ち着いた雰囲気の部屋は好きって言ってたね」 「そうですね、派手な色調よりもこっちの方が私は好きです、マスターはどうでしょうか?」 「私もこういう感じの方が好き~」 「ふふふっ」 「えへへ」 意見の一致に少しうれしくなる二人。 少し話し込んだ後、靴を脱いでからキャリーバッグを部屋に入れて、木のクローゼットに着ていたコートを入れる。 そして、いったん休憩。ちょっとドタバタしたし。 テレビをつけると、北海道のお天気ニュースが始まっていた。明日は快晴だが、最高気温は9度らしい。明日もコート必須かな...。 東雲は、ホテルによくある小さい窓際スペースの椅子に座って外の景色を眺めていた。明日乗る遊覧船が出航していて、湖を掻き分けるように小さい波の軌跡を起こしている。 私はもう一つの椅子に座り、その窓を見る東雲に話しかけた。 「明日晴れだってさ、今日は曇りだったけど...晴れの明日なら湖がもっと綺麗に見えるね」 「それは楽しみです。実際に船に乗ればここで見る風景とも変わって、臨場感も変わりそうですね」 東雲は髪をかき上げる仕草をしながらそんなことを語った。そのしぐさで、遊覧船に乗って風に吹かれながらそのポーズを決める東雲を頭に浮かべた。 うーん、絵になるね。 そんな妄想をしていると、部屋の壁に掛かっている四角い時計が目に入った。16時か...。 夜のバイキングは18時からと書いていたので、結構時間がある...そうだ。 「ちょっとお外見に行く?彷徨っちゃった時に面白そうな通りを見かけたからさ」 「木彫りの置物をたくさん置いていた場所のことでしょうか?」 「そう、それそれ、買う予定はないけど見るだけでも面白そうだしね」 私は備え付けの冷蔵庫に入れていたペットボトルのお茶を飲みながら、そう提案したのだった。 私たちはホテルを出て、黒い三角屋根の民芸品店が多く存在する通りまで到着した。隣の歩道にはフロントにいた旅行ツアー客とは別の旅行客の一団が列をなして歩いている。 ここの建物に三角屋根が多いのは...雪がたくさん降るからかな? ううっ、そういうこと考えたら暖房の効いた部屋から出たのもあって、少し寒くなってきた。 「昼過ぎになると一段と寒いね、もうそんな季節じゃないのになあ」 「一昨昨日に雪が降っていたそうですよ、そこの日陰に雪が解け残ってますね」 「え、ホント!?わぁ、ホントだ...」 指された家と家の間の日陰を見ると、5㎝くらいの雪が解け残ってるのが見えた。 マジかあ...。 「寒いし、ちょっとお店の中はいろ!」 緊急避難で近くの適当な民芸店に入った。 店の中は控えめな照明で薄暗く、北海道の民芸品と言えば過半数の人間が思い浮かべるであろう、鮭を咥えた木彫りの熊が並んでいた。 「たくさんありますね...」 「木彫りのストラップなんてのもあるんだ」 店内をくまなく見ると、熊とは別に小さい人間の置物や、奇妙な顔に獣耳が付いた4足動物の木彫りもいた。 「なんだろう、これって犬かな?」 「キツネじゃないですか?尻尾が丸いですから」 「ホントだぁ...顔は変だと思ったけど、尻尾は可愛いね」 「そうですか?お顔も可愛いと思いませんか?」 東雲が木彫りのキツネの顔をこちらに向けてくる。 う~~~~~ん。可愛いというか鋭そうな目がちょっと怖いくらいだ。 何か目を離したら勝手に動いてきそう。 「よく見ると可愛いかも...?」 「そうですよねっ、可愛いですよね」 内心は全然可愛くは思えなかったけど、大人としてそれっぽく合わせる。 しののめセンスは少し私と...いや世間と違うのかもしれない。 でもなんか面白いし、満足げにキツネの置物を抱えた東雲をスマホでパシャリ。 そんな調子で、店で暖房のあったかさを蓄えるようにしてからまた通りへ出た。 通りを歩いていると店の中で、実際に木に何かを彫っている黒ぶち眼鏡のおじさんが目に入った。 備え付けのライトで細かく角度を変えて照らしながら彫刻刀で彫っている。 「1個彫るのにどれくらいかかるんだろうね」 「サイズにもよると思いますが、1日は最低でも掛かるのではないでしょうか...?」 「凄い集中力だね...私には無理そ~」 結構値段が張るのにも理由があるのね。 集中してる黒ぶちおじさんには、ガラス越しに眺めているこちらの事は全然目に入らないようだし。 あっ、おじさんがこっちに気が付いた。 何を彫っていたのか自慢げに見せてきてる...彫ってたの動物のこけしだったんだね。 案外ノリがいいね、このおじさん。 「バイキングの料理、思ったよりも種類がある...あっすみません」 民芸品を見て時間を潰した私たちは、そのまま夜食バイキングへと突入した。 複数ある黒の大きな丸テーブルに、お洒落な魚と野菜をあえたイタリア料理から、こってりしてそうな肉の洋風料理、せいろに入れられた中華料理まで取り揃えている。 料理の迫力に比例するように、ホテル客も押し寄せている。 時間で区切った入場券があるのにもかかわらず、席と席の間を埋めるほど人が多くてぶつかってしまった。 「マスター、28番の席はこっちですよ」 抜けるのに一苦労してる私とは違い、スラリとしている東雲は人ごみをスルスルと抜けて、入場券に書かれたテーブルへと到着した。 その余裕のある様子だと、東雲のお腹はちゃんとすいたようでよかった。 「分かった~、ここ通りまーす」 スラリとしてない私は周りの人を掻き分けて、なんとか席にたどり着いた。 4人用の白テーブルだけど、二人で使うから広々と使えそうだ。 テーブルに置かれている【食事が終わりました】と書かれたプレ-トをひっくり返して【食事中】にして、いざバイキングコーナーへ。 大きめのお盆を取り、料理を品定めするようにして取った皿にのせていく。 選んだのは、マグロと蛸の寿司、ブロッコリーと鮭の蒸し料理、しらすとほうれん草のパスタ。 一部の料理には透明なガラスの蓋があって、料理の熱が冷めないようにしているようだ。いや、蒸し料理だから蒸気が逃げないようにしてるのかな?う~ん。 おっ、せいろに入ったシュウマイも美味しそう。じゃあせいろの蓋を取って皿に盛っ── 「熱っつい!」 「だ、大丈夫ですかマスター?」 あちちちち。 蓋がもの凄い温度を持っていた。 「火傷する前に離したから大丈夫。なんでこんなに蓋も熱いのか...中身取れないよこれ...」 「お任せください」 東雲がそう言うと、お盆に置いていた箸で熱いせいろの蓋をつまむようにして持ち上げた。頭いいなぁ。 蓋から解き放たれた猛烈な湯気の中、私の皿にシュウマイや小籠包などを乗せてくれる。 「ありがとね、東雲。流石私の頼れるパートナーだ」 「いえいえ、何でもないことですから」 私が大げさに褒めたたえると、顔を赤くして謙遜した。 可愛いなあ、連続写真にこの照れ顔を収めたいくらい。今はお盆で手が塞がっているから無理だけど。 「あれなんだろう、ちいさいお鍋?」 進んでいくうちに、ミニサイズのお鍋が置いてある場所までたどり着いた。横に色んな言語で説明書きが書かれている。 なになに、下の固形燃料に火をつけて蓋をして、15分くらい待てば完成と。 「へ~面白そうだね、これも食べよっか?」 「ばいきんぐでお鍋なんて考えもしませんでした...私も一つ頂きます」 好奇心でミニ鍋を取る二人。 中にはきのこ・つみれ・たら・ネギ・白菜が入っていて美味しそうだ。 このミニ鍋でお盆が満杯になったので、席まで戻りいざ実食。 鍋は火をつけてからちょっと時間かかるから横に避けてと。 「うわっ美味しい~」 始めに手を付けたのは、ブロッコリーと鮭の蒸し料理。塩が絶妙に効いていて、味は濃いめだけどしょっぱすぎない感じ。 「おいしそうですね...一口貰えますでしょうか?」 「どうぞ、あーん」 「はむ...絶品ですね、次、料理を取る時はこれも選ぶことにします」 ねだられたので、箸でちいさなお口に料理を入れてあげる。見ている側も笑みが浮かぶような、ほころんだ笑顔で料理を味わっていた。 ふふふ、よかったよかった。 東雲が選んだ料理は、レンコンとシイタケのてんぷら、エビと貝のトマト煮、鳥の胡麻揚げ。 和風の料理が多めかな? 「しののめ~それ一口頂戴♡」 「はい、どうぞ」 「んむ、おいしい~エビがプリプリだぁ」 東雲からトマト煮のエビを貰う。 トマトの旨味から始まり、噛むと新鮮なエビの味わいが口に広がってくる。 そんなふうにお互いにご飯を分け合いながら食べていく。 ん~お酒も欲しくなるけど、これから風呂に入るので自重。せっかくの露天風呂が台無しになったら嫌だし。 そうやって運んできた料理をあらかた食べ終わると、15分経ったのでお鍋を開ける。 血色良く色が付いた魚や、彩のあるきのこが中に入っていた。 ちゃんとできているか不安だったけど、いいかんじ。 「「フーフー」」 私と東雲は息を吹きかけながら、鍋の食材を口に運ぶ。 たらがホロホロと口の中でほどけるようで美味しい。ポカポカと体があったまってくるし。きのこと白菜も食感が良くてたまらない。 よし、次はがっつりお肉とかも食べよ。 お盆を新たにして、第二ラウンドの開始~。 「お~、温泉街とかウリにしてるだけあって浴槽おっきいね...露天風呂はあっちのドアからかな?」 「まずは体洗ってから入りましょう、エチケットです」 「分かってる分かってる、流石に大丈夫だよそこは」 あの後、肉料理やミニケーキを堪能した私たちは露天風呂にいる。 室内は全面水色のタイル張りで、浴槽全体はたまにいく銭湯よりもふたまわり大きい。今は食事している人も多いから、風呂内にいる人は許容量の1/3程度かな? さっと湯洗い場の椅子をシャワーで流してから座る。 東雲も同様の事をしてから、私の隣に座った。そして、透明なポーチに入れていた洗面用具を出した。 「東雲ってシャンプーとか自分のやつ使うんだね、普段使いの方が慣れてるから?」 「はい、旅行先のシャンプーは髪質に合わなかったりするので...こういう時、石鹸類は全部自前の物を使っています」 「女の子だなあ...」 石鹸が、髪に合う合わないなんてあるんだ。 使い分ける東雲の女子力に感心しながら、ホテル備え付けの高そうな馬油シャンプーを2回プッシュする。 家だとケチって1回にしてるけど、ここならホテルが持つし。 「お待たせしました」 東雲が髪を洗い終わると、待っていた私の元まで歩いてくる。髪は湯船に付かないようにお団子にし、前はタオルで隠して。 私はショートボブだから、洗うのは短く済むけど...東雲はロングだから時間がかかる。 しっかし、普段はストレートに伸ばしてるから、短く黒髪をまとめられるとギャップがあるよね。見るだけでコロッといきそう。可愛さ3倍。 「じゃあ早速、露天風呂の方へ行こうっと」 「いきなりそちらへ向かうのですね」 「だって私、のぼせやすいしさ...他のところ入ってたら先にゆだっちゃう」 「生活習慣の乱れだとか、運動不足・ストレスがあるとのぼせやすくなるらしいですよ?これらはお肌にも悪いです」 「うぐぐ、正論が耳に痛い~」 辛い正論を耳に受けながら、露天風呂に繋がる透明なドアを開ける。 冷たい外気が肌に当たって、ちょっと震えた。あと外気と湯の温度の差で少々湯気が多い。 露天風呂は大きな石を固めて浴槽を作っているようで、15人くらいは入れるサイズだった。一人用の壺湯も何個か置いてある。 奥に見える景色には湖と森が良く見えるようにセッティングされていた。 部屋の窓から見えた景色と同じようだったけど、夜景になると月明かりで綺麗さが断然違う。 「お~、キレイだね」 「奥に映る街の光もいさり火のようで、夜の闇で繋がって見える遠くの森と山も美しいです...」 ...語彙力の差! それはさておき、湯に身体をそっと入れる。 入れたつま先から、じんわりした熱さが肌に伝わってきた。 そのまま体を湯船に付けたら、心地よい暖かさが全身に流れ込んでくるみたい。外気が冷たいから猶更。 「...きれい」 「確かに夜景はよく見えるね」 「あっいえ...その」 さっきは語彙力凄かったのに急に落ちたね? 「湯に足を通す瞬間のマスターが綺麗と思ったんです。女性としての美が、この夜景に負けないくらいに」 感動までしたのか、頬を赤らめた東雲がそう私に告げる。 そんなに? 「私は成長することはありませんから、大人の女性のマスターがうらやましいです」 「褒めても何も出ないぞ~?」 「お世辞じゃないですよ」 「.........」 ...ちょっと気恥ずかしい。 そんなに褒められると、のぼせあがってしまいそう。 入浴を終えた私達は浴衣に着替えた。 今はお風呂場前の観葉植物の周りにソファを置いた空間で、お互いの浴衣姿を確かめるように見ている。 着物は、白の地に青色の鎖がつながったような柄で、ホテルで見かけるような一般的な浴衣。東雲曰く、こういう柄は「吉原つなぎ」というらしい。 東雲は花柄の櫛で髪をまとめてから、ドライヤーでその艶のある黒髪を適度に乾かしていく。完全に乾かさないのは、あんまり乾かし過ぎると髪が痛むからだそう。それでも、私よりも時間はかけてるけど。髪を伸ばすのにも苦労があるのだ。ガサツな私はロングにしたことはないけど。 東雲は、その乾かした髪を黒のゴムでまとめてポニーテールに。う~んかわいい。 風呂であったまって林檎色になったお肌にトレードマークの白青色の浴衣。やっぱり、東雲の方が綺麗だよ。 「浴衣、少し色がおばちゃんぽいかなと思ったけど、東雲が着ると穏やかな感じに見えて似合うね」 「マスターもお似合いですよ」 「そう?身体に凹凸があると...浴衣合わないんじゃない?」 「そういう体形の方でも、腰のあたりを補正するように着付けすれば問題ありません」 「着付け手伝ってくれたのそういうことだったんだね、ありがとう」 こういう気づかれない細かい心がけが、東雲の美徳なのかな。 ...女の子として教わる事がたくさんあるから、できればちゃんと教えて欲しいんだけど。 今知ったことは脳内にメモしておこう。 「そうそう、アイスいる?」 「氷菓子ですか、私が髪を乾かしている間に売店で購入して頂けたのでしょうか?ありがとうございます」 「いや、そこ、そこ」 お風呂場前の空間に置いてあるものに指を指す。 落ち着いたこの空間に、少し不釣り合いの業務用のアイスケースがそこにはあった。 透明なショーケースには、ぎっしりと入れられたカラフルなアイスバーが。 「ホテルのサービスだってさ」 「そんなものが」 「こういうのいいよね、凄いものじゃないけど...なんか嬉しいし」 アイス1本は大きなサービスとは言えないけど、ワクワクするというか。 「東雲~どれにする?」 「ではぶどうをお願いいたします」 「じゃあ私は~パインでっ」 ごそごそとアイスを取り出し、東雲に手渡しする。 透明な袋を破いてからゴミ箱に入れて、そっと舌で黄色のパインアイスを舐める。 ちべたい。 「このアイス市販のやつだから前に食べたことあるけど、その時よりおいしく感じるね、旅行先だからかなあ」 「お風呂に入って汗を流した後だからじゃないでしょうか」 「なるほど」 風呂の火照りが残ったところに冷たいアイス。これは最強の組み合わせなのかも。 普通のアイスだったけど、私はこれだけで上機嫌になった。 東雲も嬉しいのか、少し体を左右に揺らしながらアイスを口に入れていた。 ちょっと子供っぽい。 「よっし」 アイスを食べ終わった私は、お酒の自販機を押して何本かビールを確保しておく。 「夜は飲むぞ~~」 「ほどほどにしましょうね、明日もありますから」 夜はまだ続く。 「起きてくださいマスター、もう8時半です、朝食バイキング閉まってしまいますよ」 「ん~~~...」 深酒をした私はぐっすり眠ってしまったらしく、時間ギリギリまで寝てしまった。 カーテンを開けて光を入れて私を起こしてくれる東雲はもう着替えていて、上は明るい肌色のカーディガンに下は黒のチノパン。旅行先でもしっかり身だしなみを忘れてない。 「んっ...、今する、するね...」 「手伝います」 まず寝ぼけ眼を温水で洗ってから、浴衣を脱いで白のブラウスとロングスカートに着替える。 ぼさぼさになったショートボブの髪を東雲に櫛で整えてもらいながら、ファンデーションを薄く塗り、軽く眉描いて、目元を塗るだけのメイク。 「んっ」 目が覚めてきたので、昨日飲んでおきっぱだったビール缶の始末を...と思ったけど、既に東雲は片付けていてくれたみたいで跡形もなかった。私が寝ていたベッドもメイクしている時に畳んでくれていた。やさしい。 時計を見てもまだ9時で、東雲のおかげでスムーズに済んだ。 「朝食、行きましょうか」 「りょうかーい」 ホテル用のスリッパを履き、朝食バイキングへと向かう。 夜と違って、置いてあるバイキングのメニューも軽め。 目玉焼きとソーセージ、トマトとアボカドのサラダ、味付け海苔のついたご飯をお盆に乗せて、朝食バイキングの席に付く。 こういうしっかりした朝食は家では作らないから案外食べないものだよね。 「遊覧船、何時からだっけ?」 「9時30分から、1時間ごとですから...直近だと10時半になりますね、9時半の船には間に合いませんので」 私の質問に答える東雲の朝食は、卵焼きと塩鮭、トーフの味噌汁、ひじきのサラダ、白米、という感じの和食メニュー。 「今9時20分で、これから移動とかもろもろ考えて30分かかるとしたら、ちょっと40分余るね」 余った時間どうしよう...。 ほかほかしたご飯を味付け海苔で包んで、お腹に入れながら思案する。 ん~~、近くの民芸品店とか昨日見たしなあ。 いや、こうするか。 「お昼に空港で出発する前にお土産屋さん寄る予定だったけど、ホテルの売店の方にもいろいろあるみたいだから、そこで済ませちゃわない?」 「良いですね、私も近くを通った時に売店の内容を見ていきましたが、気になる物もありましたので...」 なんだろう。 そんなに面白いものでもあったのかな。 「なになに~~~?教えて教えて」 「それは、行ってからのお楽しみです」 東雲は口に指を当てて、私の質問をひらりとかわした。 焦らしてくるね。 「ご飯のおかわりに行ってきますね」 「いってらっしゃーい」 弾んだ会話と共にご飯も進んだのか、ご飯のおかわりのためにまた炊飯器に向かう。 東雲は朝食べる娘。 「結構売店広いね、思ったより奥行きあった」 朝食を食べ終わった私たちは、朝食バイキングと同じく1Fに存在する売店へと向かった。 売店内は人形やお菓子や乾物など様々なお土産が並んでいて、外の見た目からくる印象よりも広々としている。 「これは...日持ちしないから職場の人には渡せないなぁ」 お土産に入っている内容物が分かりやすいように、透明のショーケース内にサンプルが入っている。 まず職場の人用のやつを確保しないとね。 「この商品はお土産にどうでしょうか?」 「ん~」 これは...薄いチョコに丸いクッキーを挟んだお菓子かぁ。 旅行先っぽくないものだからパス。 「これはどうでしょうか?」 「これもいまいちかな」 「新商品!ミントチョコ」と書かれた商品も東雲におすすめされるがこれも無い。 日持ちするとはいえ新商品は地雷が多い...。職場の人に変なもの配るわけにもいかないしね。 「それではこちらはどうでしょうか、トウモロコシにチョコをコーティングしたチョコバーみたいです」 「いいね、これにしよう」 横に定番商品と書いているトウモロコシチョコを指さす東雲。 面白くはないけど同僚に配る無難な物として悪くないし、大きいの2個買おう。 「次は自分達のお土産ね、東雲も好きなのカゴに入れていいよ」 「分かりました、ありがとうございます」 職場の人用のやつは確保したので、次は自分と東雲へのお土産。 さっきと違って、日持ちやハズレの事を考えなくていいし、いっそ食べ物じゃなくてもいい。 ...あっそうだ。 「そういやさ、さっき言ってた気になる物ってどんなの?」 「それは...こちらですね」 東雲は小さい人形を手に取った。 その人形はシマエナガという鳥みたいだ。 白黒のカラーで、目とくちばしはまるで白い雪に胡麻を撒いたような小ささだった。 「カワイイ~~~いいね!これ」 「私も見たときから、ひとめぼれしました」 お土産屋のキツネの置物の時は共感できなかったけど、これはすごい可愛い。 撫でまわしたくなるような、小動物的な愛くるしさがある。 「じゃあ、私もこれ一つ買うね」 「2匹でおそろいですね」 私も気に入ったのでカゴに一匹入れた。 ふふふ、おそろいの鳥さんが2匹カゴの中に入った。 「買ってくれてありがとうピヨ」 「シマエナガはピヨピヨとは鳴きませんよ?」 私がふざけてシマエナガのふりをすると、東雲から冷静なツッコミが入った。 そりゃひよこじゃないんだし、ピヨピヨとは鳴かないよね。 「どんな鳴き声なの?教えて~」 「えっと...コホン、ちぃーちぃー、ちるるるるる」 「.........」 東雲は少し恥ずかしいのか、ちょっと赤面しながら鳴きまねを行ってくれた。 .....................。 かわいいいいいいいいいいいいい!!!! よし、自分達用のお土産もシマエナガの柄が書いたクッキーにしよ。 「予報通り、晴れましたね」 「日が出ているから、思ったよりあったかいくらいかな?」 ホテルのチェックアウトも済み、私たちは目的地の湖まで到着した。 既に9時半の出航から帰船している白の遊覧船は2階構造で、50人くらいは乗れそうだ。船の外壁にはこの土地の動物や名産品のイラストが描かれている。 天気は晴れており、透き通るような湖を見ると光に照らされた遊覧船が反射して、湖面が鏡のように見える。奥には山と緑が点在しており湖を彩っていた。 遊覧船乗り場まで歩いて向かうと、木でできた遊覧船乗り場が見えてくる。 チケットを販売している場所が縦長の木の板を張り合わせたような小屋なのは自然感を強調するためなのかな。 「自転車のレンタルも行っているのですか、この辺りの風景を眺めながら漕ぐのは楽しそうですね」 「面白そうだね、私の足腰だと景色を楽しむ前に足腰がやられちゃいそうだけど...」 遊覧船乗り場近くにはレンタサイクル受付も存在していて、自転車とヘルメットが並んでいた。 流石に今日は乗らないけどね。いや、今日じゃなくても私の身体じゃ無理っぽいケド。 そんなこんなで遊覧船窓口の人に話して、大人1枚子供1枚のチケットを購入。ついでに荷物を一時預ける。 「出航いたします~遊覧船にお乗りの方はチケットをお見せの上でご入場ください~」 職員の人が駅員のように間延びした口調で出航を伝える。 船と道を区切る鎖のカギが外されて、続々と人が船に乗っていく。 私たちも職員にチケットを見せてから陸を乗り越えて海へと足を乗せた。 「船内はけっこうあったかい~」 「自販機まで船内にあるんですね...舵のレプリカまでありますよ」 船内の内部に驚きながら赤いソファの席に二人とも腰を下ろすと、ゆっくりと船が出発し始めた。 「釣りしてる人いる!今もけっこう寒い時期みたいだけど釣れるのかな」 「氷上で釣りをする地域もあるので...雪が解け残るこの時期でも釣れるかと。釣り人がいるならば...魚もいるはずです」 「鶏が先か卵が先かみたいな?」 「少し違います」 遠くになった陸の桟橋を見ると人か釣りを行っていた。 魚がいれば釣り人も現れる...釣り人が現れれば魚も発生する的な。 「右手に見えますのは~~島です、この島は──」 船内アナウンスが湖に存在している島について詳しく話を始めた。 窓から視線を送ると小さい島が、小舟みたいに浮かんでいた。 「...何か止まっていませんか?鳥のような...」 「え、どこどこ?」 東雲がその島で何かを見つけた。 ...なんだろう? 「この鳥は...ワシですね」 「ほんとだ!羽根もおおきい」 小島に止まっていた生物は固有種のワシだったようだ。 遊覧船に驚いたのか、バサバサと羽根を震わせて威嚇するように動く。 「何かかわいかったね、シマエナガもよかったけど」 小島から遠ざかっていくと、ワシも小さくなっていき小動物のように感じて可愛く見える。 「別の鳥さんに浮気ですか?」 「ふふん、どっちも好きだから浮気じゃないよ」 そんな私に、冗談めかして浮気者のように言う東雲。 まあ、一番可愛いのは東雲だけどね(?) そうして船は林で挟まれるような狭い道へと進んでいく。林と船との間が、船一つ分くらいしかない。 「こんな道にも入っちゃうんだ...少し怖い~」 「でも、近いほど美しく感じますね...」 航路がギリギリの道でちょっと恐怖。 黄緑の葉っぱとわずかに残った雪のコントラストは東雲が見とれるくらい美しいけどさ。 「少し2階の方に行ってきます」 「はーい」 東雲は景色の良く見える遊覧船の外へと出た。 船の中は暖房効いててあったかいから、私は外には出ない。寒そうだし。 ...やっぱ東雲の事が気になるや。 私も外へ出よ。 「ううっ、やっぱり風が冷たい」 やっぱり湖を通り抜ける船の上は強い風が当たって寒い。 外に出ていた乗客とかも、ちょっと出てからすぐ戻っていたくらいだし。 「東雲は...1階にはいない」 冷たい風に打たれながら1階をぐるりと回っても東雲の姿は無かった。 となると2階かな? 手すりにつかまりながら2階へとつながる階段を上っていく。 寒いからか2階には案外人がいないようで、東雲一人だけだった。 ...その東雲は白い手すりに身体を任せて、船尾が湖の後ろへと起こす軌跡を眺めていた。 「今も見る幼き日の夢~かわした約束 胸に宿して」 風で黒髪をなびかせながら、小さく囁くように歌っている。 ...これは、私が小さいころ神社にいた東雲の前で歌っていた曲だ。 アイドルの曲だったかな。友達のいない私は家で父親のラジカセを借りて再生し、一人で聴いていた。曲は好きでも、表紙に何も書いていないカセットテープだったから、この曲を歌っている人の名前も知らない。 「見かけは嘘つきだけど、本当は信じている」 いじめられて泣いて帰っていたあの日。 内気だった私は、親にも先生にも相談できなかった。そんな中、たまたま神社の近くを通った私を東雲が引き留めた。 ただ泣いている私に何も聞かずにそばにいてくれた。 「サヨナラは言わないで~答えはまだ決めたくないから」 私はその日以来、帰り道で東雲のいる神社へと通うようになった。 その時にこの歌を披露したんだったね...。私の下手な歌だったから、今歌っている東雲の音程も間違っている。 でも...それはずっと昔の事を忘れないでくれたってこと。 「二人でシアワセ語り合おう~」 小学校、中学、高校、大学。そして就職が決まって、東雲がいる街を離れることが決まった。 ずっと私の心の支えだったけど...いい加減、東雲離れしないと駄目だって思った。 でも、東雲は都会まで付いてきてくれた。私が何の支えも無しに耐えられるような強い人間じゃないと知っていたから。体はともかく、わたしの心はまだ幼かった。 ...町を出た時からかな、東雲が私の事をマスターと呼んでくれるようになったのは。 「この軌跡は、ずっと続いてる~今でも」 ありがとう、東雲。 もっとかかるかもしれないけど、もっと成長して...昔を見つめて笑えるようなオトナになるよ。 「酔い止め飲んでも飛行機はやっぱり駄目でした...ああ空が、お空が回ります」 「.........」 思ったより、東雲も子供なのかもしれない。