・01 ある日の昼、青年・祭後終は無心でコンビニ弁当を温める電子音を聞いていた。 だが突然、スマホが震え出す─聞き慣れた嫌な着信音。画面には、ただ一言。 【バカ】 ひとつ深く息を吐いてから通話を取ると案の定、いつもの変人が大声で騒ぎだした。 「こんちゃ!!!シュウちん元気〜?」 「おう。今、元気じゃなくなった」 「アタシ都心にいるんだけどさー、また出ちゃったのよ」 「…下の世話はもう二度としないからな」 脳裏をよぎったのは黄色とアンモニア臭に支配された地獄絵図─あれはもう、忘れろというほうが無理な惨劇だった。 シュウはもとより乏しかった食欲がさらに萎んだ。 「この前は悪かったってば〜。ね、それよりさ、アタシの話聞きたくない?」 「俺、今弁当温めてんだけど」 「野良デジモン、大発生!デジタルポイントも確認済み!ほらほら出番っしょ?」 確かに電話の向こうでなにかが弾けるような音が響き、同時に電子レンジが「チン」と鳴る。 面倒事だ…シュウの顔が、ひきつった。 「…場所は?」 「有楽町駅前。お巡りさん来てるけど、ちょい手こずってるっぽい。あとね─」 「ってかミツメちゃんはどうしたんだよ?」 チドリの言葉をシュウは遮ると、彼女の相棒である究極体デジモン・デスモンの所在について質問した。 「拗ねてるよ」 「…は?」 「この前さ、シュウちんがチョコあげなかったじゃん?まだ機嫌わるくしててさ〜。もーしらんデス!って、今朝もスネてた」 彼女は簡単に言ってのけたが、これはデジモン・人間双方の命が関わっている話である。 「命の問題なんだぞ…?」 「うんうん、わかる〜。でも拗ねてるからムリ〜」 しばし言葉を失ったシュウは、再び深いため息を吐いた。 「あ、あとオアシス団もいたって噂。信じるかどうかはお任せ」 「ま〜〜たアイツらか!」 大きな溜め息のあとスマホを切るとゆっくりと立ち上がり、小さな鞄を手に取る。 「ユキアグモン、昼は抜きだ」 「えーっ、オレまだ食べれるゼ!」 肉まんを頬張るユキアグモンは不服そうに騒ぎだす。 「…そうだ、オレが留守番でシュウがバトルだ!」 シュウは無言でユキアグモンを蹴り飛ばすと、彼はデジヴァイス01に吸い込まれていった。 シュウはデジヴァイス01を鞄に仕舞うと肩にかけ、玄関を開けた。 ・02 騒然とした駅前では必死に無線で応援を呼んでいる警察官や、パニックの通行人が逃げ回っていた。 空間に走る0と1のノイズがデジタルポイントの発生を示していた。 「大体は幼年期か成長期みたいだな…」 路地の陰からチドリが大袈裟に全身を使って手を振ってくる。 もちろん、ミツメちゃんの姿はない。 「シュウち〜ん、こっちこっち!」 「そこまで苦戦はしなさそうだが数が多いな」 そう言いつつ、シュウは周囲を一瞥しながらチドリの元へと向かう。 「こっちに野良デジモンはまだ来てないみたい!だからアタシ見張りやってんの!」 「危ないから隠れててもよかったんだぞ」 「やだ〜ん!心配してくれんの〜?」 チドリは子どもをあやすように、シュウの頭を撫でた。 「お前身長高いからって調子乗ってるな?」 シュウが顔をしかめた時、ひときわ大きなノイズが大きな家電量販店の上空に走る。 周囲のビルのガラスにヒビが入る。 駆け出そうとしたシュウたちの頭上に、デジモンの群れが降ってきた。 「ユキアグモン!」 鞄の中から飛び出した白い光が空から強襲してきたポロモンに激突した。 光が弾けてユキアグモンが姿を現すや否や、氷の弾丸を辺りに放った。 小さな冷気の爆発が何体かの飛行デジモンを不時着させていく。 「いいか。デリートはナシだ」 「おうよ!」 デジヴァイス01を右手首に装着したシュウは眠そうな顔を僅かに鋭くさせる。 次の瞬間、ユキアグモンが前に出ると群れの一体と対峙した。 ユキアグモンは地面を蹴って跳び上がると、機械の翼を広げたスパロウモンに向かって突っ込む。 デジヴァイス01の画面に【するどいツメ】の文字が走る。 次の瞬間─ユキアグモンの爪が閃き、スパロウモンの翼に深い傷を刻んだ。 バランスを崩したスパロウモンは真っ逆さまに墜落し、ユキアグモンはその背を踏み台に跳躍する。 急降下してきたサウンドバーモンたちとすれ違いざま、ユキアグモンは反転。 背後から氷の弾丸を連射し、次々と敵を地面へ叩き落としていく。 「いっちょ上がりだゼ!」 着地と同時に叫んだユキアグモンの頭上を、さらに一体が襲いかかる。 「後ろだ!」 振り返ったユキアグモンが後ろ回し蹴りを放つと、腹を蹴り抜かれた敵は高架下にあるチケット屋の看板に叩きつけた。 ユキアグモンは腕をグッと握り、ガッツポーズを取る。 「大体は銀座の地下に誘導済み!だから派手にやっていいよ〜ん」 「こういう時、お前は手が早いな」 シュウはユキアグモンに合図を送ると、家電量販店に駆け寄った。 その時とき、ビルの屋上から乾いた一発の銃声が響くと、ユキアグモンの隣で飛行デジモンが弾け飛んだ。 「今の音…!」 シュウがビルの屋上に目を向けると、成人であろう男とデジモンの影が見えた。 『いやっほ〜〜〜ん!そこのオニーサン!元気してる?』 突然、シュウたちの目の前にあるスピーカーから音が響いた。 「もしかしてこいつがオアシス団か…?」 『オアシス団って言っちゃう?言っちゃうよね〜っ!俺の名前はDJ-38号ちゃんでーす☆』 【ハイコマンドラモン:成熟期】 シュウのデジヴァイス01に警告音が鳴る。 どうやら彼の隣にいるのは寡黙な兵竜・ハイコマンドラモンらしい。 DJ-38号の声はスピーカー越しだが、こちらの言葉にはリアルタイムで返答がある。 彼のわざとらしいキンキンとした大声にシュウは目をしかめる。 「チドリ、アレお前の兄弟か?ムカつく言動がそっくりだぞ」 「あっははは!どこが似てるのさ〜」 チドリに頬をつつかれると、シュウは心底嫌そうな顔でその手を弾いた。 「えっ、ひどくない!?けっこう本気で振り払ったじゃん…チドリちゃん傷ついた〜!」 「…何が目的だ」 シュウが鋭く問いかけたその瞬間、ビル正面の大型ディスプレイが突如ノイズを走らせた。 「っ、シュウちん!ディスプレイが!」 チドリが目を丸くする。 先程まで最新のスマートフォンについての広告が流れていた画面が切り替わり、自撮りのアングルでふざけたマスクの男が写し出された。 『これでーす!』 DJ-38号が画面の中で指先に摘んで見せたのは、USBメモリほどのサイズの端末。 先端が淡く光り、空間に漂っていた光の粒が吸い込まれていく様子がそのまま映し出される。 『BEメモリって言いまーす!今日も今日とてゲットだぜ!』 その後ろには、何人ものオアシス団員たちが立ち並んでいた。 オアシス団特有の責任者にそっくりな格好をする謎のルールに従った奇抜な連中ばかりだが─ 『すっげーです!センパイ、マジすごいです!!』 画面の隅から、一人の少女が勢いよく顔を出す。 白い上着、"お"とだけ書かれた変な缶バッジ、雑な作りのお面、妙に丁寧な言葉遣い…最近オアシス団に入団してしまったMM-999号を自称する少女・面乗 跳雨だった。 『…いやオマエなんでついてきてるの』 『はい!勉強させていただきます!樫戸センパイ!』 『んん〜ん…そういう事じゃなくてね…』 彼女はオアシス団とかいう不思議な迷惑集団を恩人だと思っているらしく、リスペクトや学習の一環として彼らの引き起こす騒ぎには必ず現れていた。 基本的にひねくれ者だらけのオアシス団員も全肯定が基本の彼女には甘い。 「ハウちゃんまた来てるのか…危ないぞ」 『ほ、ほら…アイツもそう言ってるからさ…』 DJ-38号は困ったように言い訳しながら、少女をディスプレイの視界外に移動させた。 ・03 『やれやれ…さて、やりますかね』 乾いた音が鳴るとポロモンの小さな身体は粉々に砕け、光の粒子へと変わった。 その粒子を、ディスプレイに映るDJ-38号が愉快そうに指差す。 『おおっと、また一体ゲットぉん!BEメモリちゃん、お腹いっぱいになっちゃうかも〜?』 三発目、四発目と、ためらいなく狙撃が続く。 次々と倒れていたデジモンたちがデリートされ、空に溶ける命は全て銀色の小さなスティックへと吸い込まれていく。 どこかで、誰かが悲鳴をあげた。 ビルの影に、データを失ったデジモンの亡骸が光となって散っていく。 「俺のせいだ…!」 「い、いや、シュウちんのせいじゃ…」 「アイツら、遊びみてーにデジモンを消してやがるゼっ!」 シュウの声は後悔に震え、ユキアグモンの声は怒りに震えていた。 それを聞いたDJ-38号は楽しそうに笑いながらシュウを画面越しに指差した。 『そ!お前のせい!助かったわマジ!わざわざデリートしない程度に押さえてくれてるんだもの!ゲヒャヒャ!』 「後悔は後だ!シュウ!」 ユキアグモンの声に叩き起こされるように、シュウはデジヴァイス01のバンドを締め直す。 “取り乱すな。俺は、そういう人間じゃない” 内側でざわめく怒りや後悔を、いつものように外側から押し潰す。 俺は冷静でなきゃならない。俺は頼れる大人でなきゃならない。 シュウは息をひとつ深く吸って吐くと、"なりたい自分”の仮面を再びかぶる。 冷静さを取り戻したシュウは視線だけを素早く動かし、辺りを観察する。 今目の前にいるのは、ふざけた言動で通している奇抜な男。 オアシス団の名を騙る連中の中でも、あまりに騒がしく、軽薄で、無責任で─。 「いや、おかしい…」 シュウの眉がわずかに動いた。 これまでのオアシス団は、言ってしまえば近所迷惑を楽しむイタズラ集団だった。 試食コーナー荒らし、連続スカートめくり、深夜に朝のラジオ体操…どれにも計画性のなく、衝動的で場当たり的な行動ばかりだったはずだ。 「やってることが、やけに整然としてる」 効率のよいデリート方法を見つけ、手慣れた精度と無駄のなさで命を刈り取っている。 ふざけた仮面の奥に、確かな“意志”がある。 「オアシス団にしちゃ、目的がハッキリしすぎてる…」 家電量販店の正面出入口…自動ドアがしゅーんと軽い音を立てて開く。 DJ-38号と似たような格好を纏った団員たちがぞろぞろと姿を現した。 各々のデジヴァイスを光らせるとあちこちで光が弾け、デジモンたちがリアライズした。 「こりゃ大層なご歓迎だ…ユキアグモン!」 ユキアグモンは地面を蹴りつけると、冷たい突風と共に駆け出した。 ユキアグモンの拳が振り抜かれた。 大きく踏み込んだ足は街路のアスファルトに僅かなヒビを作り、弾け飛んだ敵の身体は電飾に激突する。 続けて放たれたソバットが別のデジモンを蹴り上げ、展示品のテレビモニターに叩きつけられる。 白竜がその体を翻す度、白く薄い氷煙が空気に漂った。 だが、その間にも空から降るようにして落ちていく野良デジモンたちは一つ、また一つと光の粒になって消えていった。 次々とBEメモリへと吸収されていく様をモニターから見たシュウは思わず舌打ちし、眉間を親指で叩く。 これは脳のどこかを刺激し、何かのアイディアを引きずり出そうとするシュウの癖だった。 「シュウちん、これ時間稼ぎが目的じゃない?」 「だろうな。だが敵の数がわからない内に進化を切れば、ユキアグモンのスタミナが持たない」 「シュウ!オレなら余裕だっ!パパっとブッ飛ばしちまおうゼッ!」 ユキアグモンが振り向きざまにそう叫んだ瞬間、獣型デジモンの牙が彼の肩をかすめる。 シュウは咄嗟に、デジヴァイス01が空中に展開したホログラム状の入力キーに指示を叩き込んだ。 送信されたコマンドを受信したユキアグモンは、口元に大きな氷柱を発生させる。 【ホワイトヘイル】 本来ならそのまま発射される氷柱を、ユキアグモンは片手で掴んだ。 そのまま振りかぶり、再び飛びかかってきた相手の顔面へと叩きつけた。 敵を包むように発生した氷の壁をユキアグモンは蹴り飛ばす。 氷壁はスーッと綺麗に滑り、正面入口を塞ぐ中年男性たちを吹き飛ばした。 「んお〜!ユキアグくんお見事!」 「へっへ…どんなモンよ!」 ユキアグモンが自慢げなピースサインでチドリの言葉に答える。 そして、シュウたちはユキアグモンを先頭に量販店の中へと足を踏み入れた。 店内には薄暗い照明と割れたディスプレイ、投げ出された販促POPが散乱していた。 ついさっきまで騒ぎの中心だったとは思えないほど、そこには奇妙な静寂があった。 「あーらら。こりゃ楽しかったろーねー」 「エスカレーターで行こう」 チドリがケタケタ笑っていると、シュウが指さす先にエスカレーターがあった。 停止中だった自動階段は人影をセンサーに捉え、ゆっくりと動き始める。 その上をユキアグモン、チドリ、シュウの順に歩を進める。 走ることなく、秩序正しく。 「なあシュウ。走った方がよくねぇか?」 「馬鹿野郎。エスカレーターで走るんじゃねぇ」 「じゃあ階段でよかったじゃん?」 「それは疲れるだろ…」 そうシュウが言ったその直後、吹き飛ばされた団員たちが起き上がっては追いかけてきた。 「いたぞォ!」 「逃がすなァァ!」 だが彼らもまたエスカレーターに差し掛かると、律儀に歩く速度を落としてしっかりと二列に並んだ。 静かな機械音、滑らかに昇る階段の列。 乱戦の只中にありながら、どこかシュールな時間が流れていく。 2階、3階、4階─無言で彼等はエスカレーターに乗り続ける。 エスカレーターの到達音が、かすかな機械音とともに鳴る。 瞬間、ユキアグモンは何の前触れもなく駆け出した。 「こら待て〜シュウちんに怒られちゃうぞ〜!」 チドリが驚いて言葉をかけるが、すぐにその後ろで手を伸ばしたシュウに手首を掴まれた。 「あらやだ大胆!でもいきなり触んなら予告してよね〜っ!?」 口では文句を言いつつも、されるがままにチドリは体を引っ張られる。 その先でユキアグモンは通路脇にあるキャスター付きの大型商品棚…冷蔵庫の実演機が載ったその棚を迷うことなく手で掴み、滑るように押し出す。 「おらよーーっ!」 ユキアグモンは脚力のままに床を蹴り、力を一点に集中させて棚を前方へと撃ち出した。 ガラガラッという車輪の音と共に、棚が冷蔵庫ごとエスカレーターの口へと滑り込む。 その勢いのまま、乗り続けていたオアシス団員たちの列を正面からなぎ倒すように直撃する。 「あれ?なんか来てね?」 「やばッ、避け」 整然と並んでいた彼らはきれいに弾かれ、雪崩のように階下へと転がり落ちていった。 「へっへっへっ、オレってば天才かもな!」 ユキアグモンとシュウがハイタッチする後ろで、ようやく手を離されたチドリが口を尖らせた。 「もー。そういうのはちゃんと言ってくんないと…ねえ?」 「悪かったな。だが成功だ」 シュウのデジヴァイス01は静かに点滅し、《油断させたところを一網打尽》という文字を表示していた。 「んじゃ、一気に駆け上がろうゼ!!」 「エスカレーターで歩くんじゃねぇ。階段で行くぞ」 「…は〜い」 返事だけは素直だが、どこか納得のいかない顔で階段を駆け上がるむユキアグモンだった。 ・04 8階─階段かエレベーターでしか来られないこのフロアは、屋上のひとつ下。 そこには現在も営業を続ける映画館が入っていた。 落ち着いた色合いの内装に、各シアターへと繋がる重厚な扉。 壁には最新作のポスターがずらりと貼られ、デジタル上映時刻表も点灯している。 どう見ても営業中の施設なのに、人の気配はどこにもなかった。 上映中ランプが灯ったままの劇場から、かすかに重低音だけが漏れていた。 「誰もいないね〜。今なら映画、タダ見し放題…シュウちん大丈夫?」 「お…おう!そうだな…!」 チドリは肩の力を抜き、シュウは肩で息をしていたその時─甲高い声がフロアに跳ねた。 「シュウさんっ!!」 非常口のそばに、小柄な少女が立っていた。 白いパーカーに「お」の一文字が入った缶バッジ…先ほどモニター越しに見た、オアシス団の新人・ハウだった。 やけに張り切った敬礼ポーズのあと、こちらに手を振ってくる。 「は…ハウちゃん、まだいたのか…ごほっ!」 「はいっ!シュウさん!わたしの名前!覚えていてくださったんですねっ!」 その声には疑いや打算のない、まっすぐな信頼と好意が込められていた。 だがその後ろに立つ存在は、別の意味で圧があった。 「あら、ごきげんよう。まさかこんなに早くお会いする日が来ようとは」 現れたのは、ハウより頭ひとつ大きい修道服姿のデジモン・シスタモン ブラン。 堂々とした物腰のわりに、手にしている槍は先端が折れ、柄は曲がり、なによりシスタモン一族にとって大切なウィンプルを装着していなかった。 「ユキアグモン…」 「おう!」 ユキアグモンが即座にファイティングポーズを取ると、ブランは大仰に咳払いしながらどう見ても戦闘には不向きな状態の槍を背中に回す。 「えー、その、本日はですね…いささか体調が芳しくなくて…お祈りの時間を削ってでもここに立っておりますので、精神的なアレがですね、その〜」 「見て二人とも!この子なんか武器が曲がってるよ〜うひょひょ!」 チドリが指差して笑うとブランは肩をすくめ、静かにうなずいた。 「ええ。これは人の心と同じですの。曲がっていても、磨けば一見だけは整って見える。つまり、戦うには不向きということですわ」 「よくわかんねーけどヤル気ねーってことか?」 ユキアグモンは拳を解くと、通路の床にゴロンと寝転がった。 「失敬な。私が本気を出すのは、宝くじの当選日とハウが玉の輿に乗れそうな時だけです」 「ブランの本気はすごいんですよ!わたし、見たことありませんけど!」 なぜか誇らしげなハウの口ぶりに、シュウは思わず息を吐いた。 「こんなとこで遊んでちゃダメだ…危険だ…はぁ…」 「でもシュウさんオアシス団のセンパイ方には、きっと何か素晴らしい目的が─」 「…いや、アイツは本当にオアシス団なのか怪しいゼ?」 ようやく息を整えたシュウの横でユキアグモンがぼそりと呟いた。 「うええっ!? そうなんですか!?」 「ちょっとやり口がな。あれは…なんか目的があって動いてる気がする」 そう言いながら、シュウは汗を拭きながら屋上を仰いだ。 激しい戦いを予測させるかのような気配だけがそこにあった。 「オアシス団が、まるで何の目的もないみたいな言い方ですね?」 「それはそうだろ」 ブランが頬を膨らませるが、シュウは当たり前のように言い放った。 「樫戸センパイもたまにお菓子とかくれるいい人ですのに…」 「だから俺が直接見に行くさ…ここ、通っていいか?」 「もちろんですっ!お気をつけて、シュウさん!」 ハウは少し慌てながらも、びしっと敬礼を返す。 「ではアタシどもはこのへんで…あっ、帰りは地下鉄ではなく、駅前のスイーツフェアをご利用ください。今日まで苺フェアですよ」 「…何言ってんだお前」 「アタシが食べたいからに決まってるでしょう。無傷で通して差し上げるのですから、お礼は当然です」 「シュウ!オレも食べたい!!」 目を輝かせるユキアグモンを背に、シュウは静かに屋上階の扉に手をかけた。 ・05 鉄の扉が重く軋む。 その先に広がっていたのは、ビルの屋上─無骨な手すりに囲まれた、辺りで空に最も近い場所だった。 コンクリートの床には排気用のダクトや空調ユニットが乱雑に並び、片隅には汚れたパイロンと折れた広告板が転がっている。 その中央でハイコマンドラモンが銃口を突きつけたまま、野良デジモンを足蹴にしていた。 その瞳には寸分の迷いもなかった。 その引き金が引かれようとした時、飛来した氷柱がハイコマンドラモンの銃口に力を込めた。 瞬間、氷の破砕音が同時に響くとその銃器を弾き飛ばした。 野良デジモンは慌てながら立ち上がると、屋上の端に現れた光の渦…デジタルゲートへと飛び出す。 電脳空間と現実をつなぐ一時的な抜け道に躊躇なく飛び込んだ小さな影が滑り込むように消えたそのとき、ゲートはするすると縮んでしまう。 やがてゲートがフッと消滅し、デジヴァイス01の画面はデジタルポイントの終息を知らせるために点滅した。 「よっ。はじめまして」 「おうおう…やってくれたね〜」 シュウが手をひらひらと振りながら話しかけると、DJ-38号は舌打ちする。 熱い意思と共に放たれる冷気、無感情に弾かれる甲高い銃声─鉄と氷の交差が始まる。 互いに動じることはなく撃ち交わされる攻撃に身を翻し、弾道と呼吸を読み合った。 やがて格闘戦に至るとハイコマンドラモンは巨大な盾を振り下ろし、ユキアグモンはその攻撃を咄嗟に折れた看板で防いだ。 その時、ハイコマンドラモンはその一瞬に見えた動きの中に訓練の果てにある“型”を感じ取った。 「…?」 シュウは眉を寄せる。 戦闘のように無機質なあの竜が僅かに“戸惑う”ような仕草を見せたことへ、かすかな違和感を覚える。 「ハイコマンドラモンちゃんさ…ほんの一瞬止まったな?」 DJ-38号は屋上の給水塔にもたれかかるように立ち、腕に巻いたバイタルブレスVVでその記録(ログ)を観測していた。 「あ〜こりゃそういうコト?ウケる」 まるで観戦を楽しむような口ぶりで笑うDJ-38号は、人差し指をユキアグモンへ向ける。 「お前…元D-ブリガードだろ?」 その言葉に、ユキアグモンの動きが一瞬だけ止まる。 彼は記録から自身のハイコマンドラモンとシュウのユキアグモンが時にほぼ一致した動きを取っている事に気づいたのだった。 「ログで見比べたらさ〜、ハイコマンドラモンとお前の動きが4割方一致してんだよな〜」 「…D-ブリガード?」 「まーまー。組織の名前なんてどうでもいいじゃない?大事なのは…」 シュウが聞き慣れない言葉に眉を潜めると、DJ-38号は口元をニヤけさせる。 「今のお前がコマンドラモンじゃないってことさ。違う姿、違う名前…つまり、お前はD-ブリガード(せんじょう)から逃げた弱虫毛虫ってワケ!」 「ち、ちが…!」 挑発のように指を振るDJ-38号を前に、ユキアグモンは僅かに後退る。 組織から仲間と共に捨て駒とされた過去─その事実に気付き、生き残るために思わず逃げ出した事に嘘は無かった。 「デジタマ化の転生を利用して名前・姿・過去も捨てた。おいおいおい、随分と見苦しいじゃん?」 戸惑い、怯える表情を見せるユキアグモンに次々と言葉を浴びせては高笑いをしだす。 「確かに、お前の言う通りかもしれない」 「んっひゃは!いいぞ、内ゲバか!?」 ユキアグモンはハッと振り返り、背後のシュウに怯えた視線を投げる。 だが彼の目は怒っても、責めてもいなかった。 「でもな…今、こいつは事実としてここに立ってる」 「…あン?」 「何度泣いてもいい。何度逃げたっていい─最後に立ち向かうってんなら、俺は隣に並ぶだけだ」 屋上を吹き抜ける風が、二人の距離を繋ぐように流れる。 「行こうぜユキアグモン。あいつの言う“弱虫の力”、見せてやろうぜ」 シュウのデジヴァイス01から光が弾け、それに釣られるようにユキアグモンの目も輝いた。 「ったりめーだゼッ!」 その返事はいつもの調子だった。 けれど、どこかいつもより─空の高みまで届きそうなほど、力強かった。 「ユキアグモン、進化─!」 そう叫んだユキアグモンの体は光に包まれ、白い卵が空中に生成される。 仄かに脈打つように卵の表面が波打ち、まるで内側で何かが変わっていく音が聞こえてくるようだった。 白く小さい体は、筋肉が盛り上がって伸びる。 腕のベルトが静かに焼き切れると、溢れる蒼炎を封じ込めるように鋼鉄と共に再構築される。 後頭部には炎を束ねるような長い赤髪が芽吹き、光の卵が内側から破裂する。 砕けた光はまるで降り注ぐ星屑のように屋上の空間を照らした。 【ストライクドラモン:成熟期】 「─ストライクドラモンッ!!」 炎を纏った鋼の竜が、そこに立っていた。 赤い髪が風を裂き、胸に刻まれた深紅の紋章が脈動する。 その瞳には、もう迷いはなかった。 「コレが、今のオレだ!!!」 ストライクドラモンが構えるよりも早く、ハイコマンドラモンのアサルトライフルが火を噴く。 弾丸が打ち出される度に巨躯がわずかに肩を揺らし、その間を潜るように蒼い影が地を駆けた。 「舐めてんじゃねーーッ!」 ストライクドラモンが地を滑るように接近する。 体は屋上の空気を裂き、足の爪はコンクリートを砕く。 銃口がこちらを向く寸前、その横腹へ渾身の拳が炸裂する。 【マッハラッシュ2】 右、左、肘、拳、裏拳、そして回転しながらの一撃─まるでアクション映画のような連撃が重装甲の腹部に炸裂。 ハイコマンドラモンの巨体をわずかにのけ反らせた。 「チッ…!」 舌打ちしながら後退したハイコマンドラモンは再び銃口を構え、正確にバースト射撃を返す。 至近距離での射撃戦は次々に互いの位置が入れ替えながら行われるが、ハイコマンドラモンは冷静にDJ-38号を避けて射撃を行っている。 ストライクドラモンは次々と銃弾を避けながら飛び退くが、バンッとなにかが低く弾ける音が響くと状況は一変する。 ハイコマンドラモンの足元から濃密なスモークが立ち上り、視界を奪う白煙は風に乗って屋上の片側─ストライクドラモンのいる元へと押し流されていく。 「…しまった!」 「うひっ。今さら気づいたワケ〜?」 これまでの射撃によってストライクドラモンは風下へと追い込まれていた。 後退する足が一瞬だけ躓いた、その刹那─煙の中から鋼の殺意が閃いた。 無言で姿を現したハイコマンドラモンがサバイバルナイフを構えて肉薄し、ストライクドラモンの胴体をかすめた。 続けて腹、肩、膝─縫うような連撃が襲いかかり、ストライクドラモンの全身に次々と傷を作り出していく。 足首や手の甲に装着されたメタルプレートでナイフを受ける度、鈍い金属音と火花が飛び散る。 「うおおおおおおッ!」 「─!」 腹部に一撃を受け、データを散らせながらストライクドラモンはそのまま踏み込んだ。 距離を詰めた紫竜は咆哮とともに、拳を鼻っ面に突き出した。 【とうきのこぶし】 ガゴッという鈍い音が空気を破裂させる。 鋼の拳は鋼の盾にぶつかり、その勢いを打ち消されていた。 「あっはは。残念でしたぁん」 「それでお前はホントにオアシス団か?」 給水塔の陰でDJ-38号が、口角を上げて不適に微笑む。 遊びの無い戦いぶりから、やはり彼らには“試食コーナー独占団”と違うものを感じていた。 「やだなあ、オアシス団よ?肩書きはホラ、超大事じゃん?」 DJ-38号はひらひらとラミネートされた薄い団員証を見せるが、ゴーグルの奥の目は笑っていなかった。 「別にね、俺にとってはどーでもいいの。団だの、秩序だの、正義だの、悪だの」 声色は軽いのに、語られる“何か”だけが地面の下でゆっくりと蠢いていた。 「でもまあ、一個だけハッキリしてんのはさ─」 DJ-38号は指を立てる。 その人差し指は、まるで導火線のようだった。 「俺には“どうしてもやりたいコト”があるんだよ。そんだけ」 それが何かはわからない…いや、目の前の存在がシュウとストライクドラモンにとって敵である事実は明瞭だった。 その会話の背後で拳とナイフ、脚と盾が鋭く交錯する。 耳をつんざく金属音が、屋上に何度も響き渡った。 「埒が空かねぇゼ…」 ストライクドラモンの拳は力強く振るわれている。 それでもその一撃はすべて巨盾に吸われ、反動に腕がしびれる。 だが、ストライクドラモンはデジコアの奥底にある訓練の記憶を確信した。 「ハイコマンドラモン、決めちゃってよ」 DJ-38号とシュウはデジヴァイスに表示された互いのステータスを確認すると、素早く入力盤を操作─同時に指示を送信した。 その時、ハイコマンドラモンの目が一瞬だけ光ると戦車が如き重さ・速度を伴ったタックルか放たれた。 それは盾を正面に構えられたまま、放つ必殺の突進─ 【デストロイチャージ】 前傾姿勢のまま、全体重をかけた突進がストライクドラモンを襲う。 迫り来る巨盾を前に紫竜は一歩も退くどころか、ニヤリと笑っていた。 「おりゃあああああッ!!」 拳にエネルギーを纏わせ、逆に踏み込んだ。 一点に込められて振るわれた一撃は、大きな破裂音と共に盾を砕け散らせた。 飛び散る破片が光を弾き、巨体の肩口に深く傷を刻む。 【ガードブレイク】 「ソレを待ってたんだ」 シュウはしたり顔でそう言うが、この状況下でDJ-38号の顔には一片の焦りもなかった。 「ん〜、いいパンチ。ほんっとイイよ、それ!でもさ〜?」 彼はちらりとシュウを見て、人差し指をゆっくりと後ろに向ける。 眉間に嫌な汗が滲むような感覚を覚えながら、シュウはゆっくりと振り返った。 「チドリ…!」 非常口の脇に数人の団員が立ち、その奥。 雑な結束バンドで手を縛られ、ガムテープで口を塞がれたチドリがいた。 肩を震わせながら身をよじる彼女に、団員の一人が軽くピースサインを送っている。 「んー!んー!」 「うひゃっ、また“らしくない”って言われちゃったり〜?」 DJ-38号は半笑いのまま肩をすくめる。 けれどその笑みにだけは、確かな敵意が宿っていた。 「んんっんー!んん?ん!んんんーー!」 チドリは身体をくねらせながら謎のリズムに合わせて跳ねる奇行に出ており、団員の一人が対応に困っていた。 「…いや、ちょっと余裕そうだなこいつ」 シュウはじっとチドリを見たあと、肩を落としてため息をついた。 「ちっ。シリアスになりきらねぇな」 DJ-38号は低く押し殺したような声でそう呟くと、腕のバイタルブレスVVに手をかける。 瞬間、眩い閃光に応答したハイコマンドラモンの輪郭が崩れ始めた。 「ハイコマンドラモン、進化─」 どこからともなく出現した金属ブロックが、炸裂する油圧音と共にハイコマンドラモンの四肢に嵌まっていく。 巨大な砲塔が背中から競り上がり、数々の火器が軋みながら内側から展開する。 複合装甲・二対の主砲・唸る履帯─それはまさしく戦場の主役。 「─タンクドラモン!」 眼孔の中に光るレーダーが、ストライクドラモンの胸を正確に捉えていた。 【タンクドラモン:完全体】 「はっ…完全体かよ…!」 「お前らは後々面倒になる。だから、今潰す」 デジヴァイス01が発した警告音にたじろぐシュウを前に、DJ-38号の声はもう“遊び”のそれではなかった。 「抵抗したらこの女を突き落とす。大人しく─ブッ消されてくれよ」 タンクドラモンの前腕が振り下ろされ、重い質量の一撃がストライクドラモンに炸裂した。 「ストライクドラモン…!」 地面を滑る相棒を見たシュウは焦り、解決策を探そうとする。 「オレは…大丈…」 タンクドラモンがドリフトしながら追突し、履帯でストライクドラモンの表皮をズタズタに傷つけながら吹き飛ばした。 赤黒い光の粒子が血のように舞い、ストライクドラモンに大きなノイズが重なるように表示された。 それでもストライクドラモンは静かに、だが確かに立ち上がっていた。 「もういい」 DJ-38号がうんざりしたように指を鳴らす。 非常口脇の団員が笑いながらチドリの背に手をかけ、その身体をふわりと宙へと投げ出した。 「おい!やめろッ!」 走り出したシュウの前に、タンクドラモンが履帯を軋ませて急転回する。 巨体がその進路を阻むと複数の機銃がカチリと音を鳴らし、シュウに圧をかける。 そのとき、壁を蹴り上げながら飛来した青黒い影が風を裂いてチドリの身体を攫った。 雷光をまとった竜─ライドラモンが地面に着地し、抱えたチドリを軽やかにシュウの元へ放り投げる。 「誰だか知らねえが助かった!」 受け止めたシュウの腕に、チドリの軽い体重が戻ってきた。 「はっ、まさかの姫ムーブ!?あたしお姫様抱っこされちゃったんですけど!?これは夢?希望?それとも絶ぼ─って、なんでまた塞ぐの!?」 「助けて後悔した」 即座にガムテープを貼り直すシュウの手際は職人芸だった。 電撃を纏う獣竜、鋼を纏った戦竜。 二体が火花を散らすように睨み合う中、非常階段の扉が軋む音が響く。 現れたもうひとつの影に反応した団員たちは、次の瞬間あっさりと吹き飛ばされた。 「祭後終…?」 「そういうお前は、相原浩介か…?」 ラフな格好の男が懐かしげに名を呼ぶと、シュウも驚いた顔で彼の名前を呼んだ。 「海外に引っ越したお前がなんでここに─」 「観光だよ観光。トーキョーのホテルからトヨス?イケブクロ?に行くつもりだったんだけど電車止まってたから歩いてたんだ」 浩介がスマホの画面を見せると、そこには徒歩で一時間以上と表示されていた。 「徒歩で行くつもりだったのかよ…相変わらず体力バカなんだなオイ」 「観光ついでに筋トレもできて一石二鳥だろ」 シュウのツッコミに、浩介はおおらかに笑った。 ガムテープを貼られたままのチドリは、開いているのか開いていないのかよくわからない目で浩介を見つめていた。 「…なんで縛り直してるんだ?」 「ん!!んんっんー!」 「コイツはこれでいいの」 浩介は苦笑いしつつも、タンクドラモンの砲身がうなりを上げるのを聞き逃さなかった。 鉄を軋ませる履帯とともに砲塔が揺れ、屋上の空気が圧に震える。 「それにしてもわかりやすく悪そうなヤツだ。手を貸すぜ」 浩介は懐からD-3を取り出して構えると、シュウの方を見て笑った。 「まさか浩介がデジモンに関わってるなんてな」 「そりゃお互い様だ─いくぜ!」 ストライクドラモンの炎が唸り、拳が鋼の装甲に叩きつけられる。 ライドラモンは周囲を駆け回り、タンクドラモンを包囲するように雷撃を放つ。 だがタンクドラモンは巨体に似合わぬ精度で攻撃をギリギリにいなし、最小のダメージに押さえる。 「チッ、まるで効いてねぇ…!」 「中々やるが火力不足ってヤツだ。そっちは成熟期二体、こっちは完全体だ」 DJ-38号はバイタルブレスVVの画面を空中に表示し、タンクドラモンの持つ戦闘能力を見せびらかす。 「ストライクドラモンはさっきのダメージで本気なんて出せやしない」 タンクドラモンがストライクドラモンの蹴りを腕で受け止め、反撃の拳を振るう。 「ライドラモンも結局は成熟期相当…大人しく倒されておけよ」 飛び越えて撹乱を仕掛けたライドラモンに、タンクドラモンの機銃が唸りを上げる。 火花を撒き散らしながら、青黒い肢体が空中で大きく弾かれた。 「シュウ、時間稼げるか」 「できるな?ストライクドラモン!」 「誰に言ってンだ?当然!」 浩介は視線だけをシュウに送り、返事を聞くと小さく頷いた。 シュウがデジヴァイス01へ入力した指示を受け、ストライクドラモンが駆け出した。 足元から火花を散らせながら、タンクドラモンの正面─砲塔の照準がブレるほどの至近距離へ飛び込む。 「足元がお留守だゼっ!」 【マッハラッシュ2】 右、左、肘、膝、拳─連撃。連撃。連撃。 厚い装甲に拳が炸裂し、金属音が屋上の空に反響する。 だが分厚い盾装甲がまるで壁のように立ちはだかり、打撃は全て跳ね返された。 「さっきと同じ目に合わせてやれ!」 DJ-38号の指示に答え、タンクドラモンが履帯を振り上げようとした。 ─だがその時、異音とともにその巨体が鈍く軋んだ。 「調子が悪そうじゃないか」 シュウが皮肉気に言うと自分のデジヴァイスを掲げ、そこに表示された《マッハラッシュの合間にスノークローを差し込み、履帯を凍結させる》の指示文を見せつけた。 「はっ。いやらしい戦い方して…!」 DJ-38号が叫ぶと、タンクドラモンの各部関節が金属を軋ませて震え出す。 次の瞬間、轟音とともに凍りついた履帯が無理やり砕かれた。 「その程度、タンクドラモンの障害じゃあない!」 砕けた氷塊が飛び散り、再び振り上げられる履帯の軌道がストライクドラモンを襲う。 「─いや、十分だぜ」 しかしシュウのすぐ脇で浩介が不敵に微笑むと、タンクドラモンが振り上げた履帯の下に黒い影が潜り込んでいた。 瞬間、影が纏う雷は炎へと変わった。 ほとばしる光が竜を包み、青黒いボディが真紅の炎を帯びた竜人・フレイドラモンへと変貌していた。 「燃え上がる勇気─、」 その叫びより早く、ゼロ距離からフレイドラモンの切り札・ファイアロケットが打ち込まれる。 天へ突き上げられた渾身の一撃が、分厚い複合装甲を突き破らんばかりに火花を散らす。 「─フレイドラモン!」 鈍い破砕音が鳴り響き、そのまま叩き上げられたタンクドラモンは頭から地面に激突する。 「なッ──!?」 DJ-38号が思わず後ずさる。 「コイツが俺たちの切り札・高速デジメンタルアップさ」 浩介はD-3をグッと握り締め、白い歯を見せた。 叩き伏せられたタンクドラモンの背で、火花が散る。 そして、その背後ではDJ-38号がゼエゼエと息を切らしていた。 「はーっ…はっ…もうマジでやってらんねえっつーの…!」 苦笑まじりに呻きつつも、その顔にはいつものぞんざいな余裕が戻っていた。 ゴーグル越しにこちらを見下ろし、ピンと指を立てる。 「…ま。でもさ、こっちも収穫ゼロってわけじゃないんだよね。BEメモリ、いい感じに溜まってるし」 DJ-38号はそう言いながら、手首のバイタルブレスVVを光らせた。 装甲がきしむような音と共に砲塔が収納され、全身がまばゆい光に包まれる。 分離したパーツの隙間から、ハイコマンドラモンの影がかすかに浮かび上がる。 光の中で再構成された装甲が再び装着されていくと、その姿を飛行機竜・カーゴドラモンへと変貌させた。 「さてと…じゃあ、そろそろおいとまするとしますかね。残念だけど、パーティーはここまでだ」 音を立てて小さく噴き上がるジェット音、ローターの回転音。 飛行型輸送機と化した機体が、DJ-38号と彼の取り巻き団員を積み込みはじめる。 「─あ、そうそう。言い忘れてた」 その背に乗り込もうとした時、DJ-38号は思い出したように立ち止まるとポケットからリモコンを取り出した。 彼はボタンを押してから、無造作にそれを地面へと投げ捨てた。 タイマーには《05:00》と表示され、既にカウントが始まっている。 「オイこれもしかして…」 「はいそうです!このビルはあと5分で吹っ飛びま〜す!」 「コースケ、どうする!」 「当然脱出だ!」 フレイドラモンに問いかけられた浩介は、迷うことなくそう叫んだ。 「それじゃ、バイビ〜」 DJ-38がゴーグル越しに下手くそなウィンクをすると、カーゴドラモンが屋上から飛び立った。 ・06 崩壊した屋上から非常階段で避難してきた一行は、サイレンの音を背に人気のないビルの裏手へたどり着いていた。 爆発は確かに起きたが、それは小さなものだった。 さらに、元から従業員や客がいなかったこともあり人の被害はなかった。 「…派手にやってくれたよな」 シュウが低くつぶやくと、ユキアグモンが隣で鼻を鳴らした。 「でも今回はオレたちの勝ちってことで、よくね?」 「勝ち、か…」 かすかに首を横に振ったシュウの顔には、達成感よりも疲労がにじんでいた。 「被害は、ゼロじゃなかった。もっと早くに止めていれば…」 「でも助けられた命だってあるじゃん?ってか全部助けることができたらもうソレって神様だよ〜?」 チドリが横からぽすりと肩を小突き、ケタケタといつも通りに笑う。 「神なんかじゃない…俺は─」 「隙あり」 そのとき、にゅっと伸びたチドリの手がシュウの頬を引っ張った。 「…なにすんだ」 頬を引かれたシュウはむすっと顔を歪めたが、チドリはおかしそうに笑った。 「反省モード長すぎ。“私は世界の不幸を全て背負ってます”って顔、やめな」 ふざけた調子で笑ってみせるチドリの目は、まっすぐだった。 「ま、ウダウダ悩んでるのもシュウちんの持ち味かもしんないけどね〜」 「…どんな味だよ」 「ちょっと苦い。あとしょっぱい?」 「嫌な味だな」 二人の会話に並走するように、すぐ近くでは別の会話が進行していた。 「いや〜今回も大迫力のバトルでだったね!ブラン!」 ハウは明るい顔で謎の演舞を行っているが、ブランはどこ吹く風で空を見上げていた。 「およよ…スイーツフェアが中止に吹き飛んだのは人生で五指に入るショックです。まぁアタシはデジモンなんですけど」 「まぁまぁ。家に帰って一緒にレモンケーキでも食べよ!」 「よし行きましょう。今すぐに」 「というワケで!シュウさん、お疲れ様です!」 まるで事件後とは思えない軽さだったが、それも彼女たちの…オアシス団の良さなのかもしれない。 故に、あの男の持つ挑発的なように見えつつも時折現れる重い雰囲気に違和感をシュウは感じていた。 「じゃあ俺も行くよ」 「ありゃりゃ。もう帰っちゃうの?」 「いや、あと少しは日本にいるぜ。派手な迎えでチビモンが疲れちまった」 浩介は笑いながら片手を上げると、背を向けて夜の闇に溶けていく。 「…あいつ結局、何の用事だったんだ?」 焦げた風が通り過ぎる。 なんだか浩介は隠し事をしているような気がしたが、近い内に明らかになるだろうとも思うシュウだった。 おわり