「っづあ」  先ほどまで自宅にいたはずだった。三つの約束……宿題、入浴、そして寝る前のストレッチを済ませて、意気揚々といつも遊んでいるゲームに手をつけようとしていた、その瞬間だったはずだ。  だというのになんだここは? どうみても外だしどうみても森だ、ありえん、着の身着のままで外に放り出された?  低い野生動物のような唸り声まで聞こえる、新手のドッキリか、あるいは寝落ちして夢でもみてるのか。 「……いてっ」  後者の線は今消えた。裸足で踏んだ草で足が切れた痛みが、やけにリアルだったからだ。 「おいおい、勘弁してくれよ……俺様なんかしたかってんだ」  野生動物の唸り声は、まだ聞こえる。ひとまずあれに見つからないように逃げて、視界の開けてそうな場所まで移動するべきか?  いや、それはそれで危険が伴うかもしれない。辺りの暗さを見るに、時間は夜のままだ。そんな状態ではまともな人間に助けを求めるのは無理だろうし、何より開けた場所に出た途端囲まれると言うのも考えられる。  ならどうすべきだ? 「……よし」  朝まで身を隠して、可能であればあの声が通り過ぎるのを待つ。これが最善だろう。そうと決まれば善は急げだ。身を低くかがめて、低木の茂みに隠れて── 「ムギュッ」 「おおっと悪い、踏んで……」 「キュウ……」 「なんだこのクソでかい芋虫!?!?」 「ギューーーーッ!?」  しまった。思わず口を塞ぐが、最早手遅れ。耳を澄ますと、聞こえたのは唸り声ではなく、力強い足音だった。どうする、どうすべきだ? 「ガルルルルルウ!!!!」 (逃げるか)  咆哮が聞こえた瞬間頭に浮かんだのは、問いかけや提案ではなく決断だった。  目の前の芋虫を引っ掴み、即座にターンして足音と反対方向に走る。 「悪いな芋公お前も道連れだ!」  めちゃくちゃに足に雑草が絡む、新調したての寝巻きが土で汚れている気がして気分も悪い、だが文句なんて言っていられる状況じゃない。  吠える獣の声を背に、とにかく一方向に走る。追い立てられているような気もするし、逃げ切れそうな気もする。ただ遊ばれているだけかもしれない。足音と咆哮がだんだん背に迫っているのが頭で理解できる。  それでも、と巨大な芋虫を抱えて、夜の森を駆ける。 「くそっ、もっ、キツ……っ」  とはいえ、全力で走れる距離には限界があった。もう息もままならないし、足も惰性で動いているだけだ。  そして、俺を追いかけているそれは当然ながらまだまだ余裕がありそうときた。くそっ、もうここでお終いなのか? 「……! 伏せるんだナ!」 「おあっ!?」  突然言葉が聞こえたと同時に、足が絡んだ草に躓いて転倒した。結果的に伏せたと同じことにはなったが、これでは…… 「キュウっ!」  プッ、と芋虫が何かを吐き出した。それが獣にぶつかったのか、ズサ、と引きずる音がしたと同時に獣の足音が途絶えた。そして、 「『ヘブンズナックル』!!」  次の瞬間頭上を何かが掠め通り、ギャァ、と獣が悲鳴を上げて倒れるが聞こえた。 「ってて……何だ……?」 「君、大丈夫ですか!?」  遅れて駆け寄ってきたのは、背に何枚もの翼を生やした天使だった。 「うわっ天使!?」 「ああ、やっぱり人間だ……良かった。早くこちらへ。今のうちに逃げましょう」  そう言って俺の手を引く天使は、思いの外力強かった。  / 「……本当に申し訳ない……!」  ひとまずの避難と経緯の説明を経て、その天使……「エンジェモン」からまず出てきたのは謝罪の言葉だった。あまりの沈痛な面持ちにこちらまで申し訳なくなる。  聞けば、デジタルワールドと呼ばれるこの世界で起きている異変を解決してもらうために、異世界から人間を呼ぶことがあるらしい。そして、この目の前にいるエンジェモンはその人間を呼ぶ連中の一角、カーネルと呼ばれるものに仕えている天使らしい。 「い、いや別に謝んなって……俺がアンタのとこの……なんだっけ。カーネル?の管轄かどうかも微妙なんだろ?」 「それはそうなんですが……こちらの都合で人間を勝手にお呼びしているのはあまり変わらないので」 「そういうもんかぁ……」  妙に責任感の強い天使だった。 「私にもやらねばならないことがありますから、君のそばにずっとついていることはできません。ですが、せめてものお詫びに、こちらをプレゼントさせてください。その足を覆うための靴と、それから我々天使型の身に纏うものと同じ布を利用した上着です」 「靴!? ありがてぇー……!」  骨身に染みる親切さだ。ついでに漸く痛みを思い出した足の傷口も沁みる。 「それから、こちらも差し上げます。『P.D.A.』……我々は神の智慧と呼んでいるデバイスです。使い方は……あなたは若い人ですから、使ってみればわかるかと」 「人間の若さに全幅の信頼置きすぎじゃね?」  言いたいことはわからないでもないけどさ。 「それにしても、アンタがいなくなるとなると一人旅になるかぁ……」  ふとそう溢すと、足元にいたあの黄色い芋虫が疑問を呈するかのように声を上げた。 「キュウ!」 「おや。彼女は君について行く気満々みたいですよ」 「芋公が? ……でもなぁ俺知ってるぜ、こういうの喋れない奴だろ?」 「キュッ……失礼な奴だナ! ウチはめちゃくちゃ喋るんだナ!」 「えっ」 「えっ」  エンジェモンも呆気に取られている。どうもやっぱりあんまり喋るタイプの奴ではないらしい。 「テントモンもワームモンも喋るこのご時世にウチみたいなのは喋れないとか思われても困るんだナ! そういうよくない先入観が差別を生み差別が巨悪を生むんだナ! そこんとこ、ウチが叩き直してやるから覚悟するんだナ!」 「おっ、おう……?」 「じゃ、ウチはクネモン! よろしくナ。ソッチの名前は?」 「ワタル。土屋ワタル」 「よし! じゃ、ワタルは今日からウチのテイマーなんだナ」 「……なぁエンジェモン、もうちょっと一緒に来てもらうの、無理?」 「……頑張ってください」