警視庁生活安全部サイバー犯罪課捜査第11係。 長いので庁内では下記の表記をされる。 通称、デジモン犯罪対策チーム。 が、それでも長いので大抵の場合は以下だ。 略称、デジ対。 その入口の扉がバタン、と勢いよく開かれる。 「せんぱいせんぱーい!」 まだ荒い息と着崩れした制服、額に残った汗。 いかにも慌てて滑り込んできました、って様だ。 「ふぅ…間に合ったっス…あ!おはよーございます!」 「おうおはよう!じゃねぇよ宇佐美!また定例会ギリじゃねーかよ!」 飛び込んできたのは、前髪をヘアピンで2つに別け、後ろを下で纏めたぱっと見大学生くらいの。 そしてあたしのことを未だに先輩と呼び続ける元気の有り余った女、『酒々井 宇佐美(シスイ ウサミ)』 恐らく、初見ではどちらが名字で名前なのか判別は難しい。 「あと!先輩って呼ぶな!班長だ!」 「えぇ〜そう言われてもサツキ先輩はサツキ先輩っスよ」 コイツとは奇妙な縁がある。 高校時代の後輩に思いがけないところで再開したと思ったら、よりによってその場所がウォールスラムと来た。 ダークウェブの奥底、今やクラッカー共どころか便乗してきた企業の連中がひしめくネットの最下層で何をやってるかと思えば。 ……何もやっていなかった、強いて言うなら相棒のもんざえモンを思う存分モフっていた。 何週間見張ってもクラッカーチームとも企業との繋がりも一切見つからない、正真正銘もんざえモンをモフるためだけにマインドリンクしてウォールスラムへと来ているイカれたヤロウ。 というのがあたし達、デジ対の結論だ。 特に違法な行為をしていないとは言え、あんな場所に好き放題出入りするのを容認することは出来ない。 コイツの「特殊な才能」もあって、そのままデジ対で預かることとなった。 「お前な…」 あたしの眉間のシワが更に深くなるのを察したのかどうか知らないが、そのままの勢いであたしに向けてあるものを差し出してくる。 「そんなことより先輩!」 「あぁん!?…これは」 味気ない半透明のクリアファイルに纏められた、数十ページの紙の束。 「『ブラックフォックス』、一通り情報集まったッス」 ─ 『ブラックフォックス』、ここ最近名前を急に上げてるクラッカー。 だが足取りを追っていくと、初めてその名が観測されたのは数年前にまで遡る。 「ってーと、マインドリンク流出より前か」 「っスね、ブラックフォックスという活動名に外見も一致、何より黒いレナモンなんて他に居ないっス」 「当時の記録は…普通だな、手当たり次第仕事を請け負って小銭稼いでる木っ端」 「それが流出事件以降、一気に名前が売れるようになったっスね、まぁこの辺りもよくある話っスけど」 あの事件以来ウォールスラムに居るクラッカー共の殆どがマインドリンカーだ。 その中にはマインドリンクしてから急に「ハジけた」奴らが居る、コイツもその一人というだけだ。 一昔前ならマインドリンクしているだけでA級クラッカー認定で即ブラックリスト入りだったが、今やクラッカーのリストとほぼイコールだ。 そんな人数を全員逮捕していたら刑務所がいくらあっても足りやしない。 とはいえ野放しにしていたら警察としてメンツに関わるので、定期的に「調子に乗ってきた」クラッカーを見せしめとしてしょっぴく。 ブラックフォックスは今回の獲物だ。、 ペラペラと紙をめくっていると、ある記述が目に留まった。 「ん?なんだこの空白期間」 ある日を堺に一切の活動記録が消え、その後突然記録が再開している。 待てよ、この日は確か… 「これは!オペレーションタルタロスか!」 「あー、自分は流出事件以降の人間なんでその辺詳しく知らないっス…せっかくの機会なんでお聞きしますけど、先輩も当事者でしたよね?」 ―われわれは今日深層≠目指す。 あの辛気臭いツラのおっさん、SoC「前」リーダーが盛大にブチ上げた大規模サイバー攻撃『オペレーション・タルタロス』 その標的は国内の、いや地球上のどこでもなかった。 彼らのターゲットはセキュリティゲート…つまり深層デジタルワールドへのクラッキングだ。 マインドリンクの有無を問わず参戦した無数のクラッカーとデジタルワールド側のセキュリティ、通称ゲートキーパー達、そしてあたし達デジ対。 各勢力が入り乱れるカオスを制したのは、クラッカー達だった。 …ということをかいつまんで説明する、『深層』への到達を果たした、3人と3体のデジモンの話は今はいいだろう。 つーかその辺詳しく話すと、あたしが無断で持ち出したブリガードラモンにも触れることになる。 「この日を堺に活動が途絶えたんならDMIAを疑うが、再開してる以上そのセンはない」 ゲートキーパー、飛び交う多数の究極体デジモン、そしてデジタルワールドのセキュリティ最高峰「ロイヤルナイツ」 そこら中に死が溢れたあの空間で帰らぬ身となったものは多い。 「第三者が名前を使ってる、もないっスね、どうしてもデジモン側がユニーク個体すぎっス」 「活動を止めてる以上何かがあったんだろうが、まぁ」 みなまで言うな、とばかりに宇佐美が言葉を引き継ぐ。 「ひっ捕らえて本人から聞けばいい、っスよね」 「わかってきたじゃねぇか」 それはそれとして、だ。 「で、ここまでは既出の情報だ、これで終わりじゃねぇよな」 ブラックフォックスの活動記録なんて既に収集済みだ、これだけでは資料として価値はない。 「勿論っスよ、次のページ開いてください」 不自然に空白の目立つページをめくって次を開く、コイツそのためにわざわざ別ページにしたのかよ。 「ブラックフォックスの本名が判明したっス」 「それを先に言え!」 途中のページすっ飛ばしても全く問題なかったろうが。 ページをめくって真っ先に目に入るのは、デカデカと貼られた顔写真と名前だ。  氏名『灰羽 音糸』という記載に、ボサついた灰色の髪と真っ赤な瞳をした不機嫌そうなツラのお子様。 「確かにブラックフォックスそっくりだな、多少違う…つーか大分幼く見えるが」 「っスね、それ行方不明になる前の写真なんで」 「行方不明?」 「まま、その辺も順を追って説明するっス」 読み進めるのを促されるとほぼ同時、灰羽という珍しい名字で思い出す。 「灰羽、ってもしかして」 「はいっス、あの『グレイクイーン』の一人娘っスね」 かつてこの国に存在した巨大企業「グレイノーツ」 その女社長「灰羽 音々(ハイバ ネオン)」は特徴的な灰色の髪と暴君っぷりからグレイクイーンの仇名で呼ばれていた。 「嘘だろ、このガキ元お嬢様なのかよ…」 しかし、強引な吸収合併によって築き上げられた彼女の帝国はたった一日で崩壊することとなる。 WWW−626便。 デジタルワールドに、デジモンに関わる者は嫌でも聞く言葉、多数の死者と行方不明を出した旅客機の便名。 表向きは原因不明の事故とされているが、実際は人類史上初にして最悪の、デジモンを使用したテロだ。 その「事故」に悪名高い女の名前が行方不明者リストへ名を連ねていた事は、当時大体的に報じられた。 多数の死者を出した原因不明の飛行機事故と大企業の崩壊、この2つが当時のワイドショーを支えていた2本柱だったのを覚えている。 「両親が死亡と認定された後は親戚…というより『自称』親戚筋を転々をしてるっスね」 所在地が次々に変わっているのはそれが理由か。 「転がり込んできた遺産目当てのクズ共か、胸クソ悪ぃ…」 所在地として連なる名前の一番下、突如として個人名から施設名へと変わっている。 名前からして児童養護施設だろう、絞るだけ絞って最後にはポイかよ。 「その後児童施設に預けられた後、行方不明者として届出がされてるっス」 ブラックフォックスという名前のクラッカーが活動し始めたのもこの直後だ、確かに時期は合致している。 「施設から脱走してクラッカーになった、か、とんでもねぇガキだな」 一体どこでデジモンドックを手に入れたのやら。 「おし」 あたしは資料を両手で勢いよく閉じて音頭の代わりとする。 それに応じて全員起立…いや1人だけ遅れて立ち上がる、勿論宇佐美が。 「クラッカー『ブラックフォックス』を『灰羽音糸』と推定、捕縛してアクセス元を解析!」 さて、コイツの出番だ。 「宇佐美は先行してウォールスラムに潜伏しろ…1人で先走んなよ?」 コイツ、宇佐美は特殊な才能を持っている。 マインドリンク限界時間を示すKライン及びLラインの閾値が、異常なほど高い。 あたしや他の隊員がLラインに到達する頃、コイツはKラインの7割にしか達していない。 しかも完全体デジモンのもんざえモンとリンクした状態で、だ。 それを利用して宇佐美が先行しウォールスラムへと潜伏、獲物の登場を待つ…というのが最近のデジ対11班の動きだ。 「わかってますよ!任せてくださいっス!} そう宣言し、わざとらしく敬礼のポーズを取って見せた。 本当にわかってんだろうな? ─ 『ラブリーアタック!』 「ちっ!?」 ハートの形をしたエネルギーの塊がキュウビモンの横を掠め、直後に爆発する。 それをキュウビモンは尻尾から炎を噴射し、強引に横向きに回避した。 「何がラブリーだよ!爆発してんだけど!?」 「ガハハ!吾輩の愛はスパイスが効いているのだ!」 のし、のし、と黄色いクマのぬいぐるみの様なデジモンが歩み寄ってくる。 攻撃を放った張本人だ。 ─もんざえモン 完全体 ワクチン種 パペット型 「あー、あー!ブラックフォックス!大人しく投降すれば危害は加えないっス!」 もんざえモンから別な声…女の声が聞こえてくる、おそらくマインドリンクしている人間だろう。 同時にデジ対のエンブレムが空中にホロライズする、てことはサツか。 「そういう警告って攻撃より先にするもんじゃないの?」 この国の警察が無警告で発砲してくる場面はそうないと思う。 「あ…やっべ、先輩には黙っといてっス!」 「無理であろうな、映像(ボディ・カム)には全て残しておる」 「ぎゃーっス!」 「…」 仕事も終わってさっさと帰ろうと思ったのに、やかましい二人に捕まってしまった。 当然付き合ってられないので無視して逃げることにする。 「あー!待つっス!」 「それで待つバカ、私は見たこと無いね」 構わずに背を向けてキュウビモンが駆け出す、ただし噴射炎によるブーストは使わず純粋に脚力のみを使ってだ。 ひと仕事終えた後でこっちは消耗している、スタミナを温存しておかないとあっという間にKラインだ。 「キュウビモン、次の路地裏に入ったら退化」 「おう」 都心の光景めいた高層ビルの立ち並ぶウォールスラムを、狭い路地を選んで進んでいく。 さて、完全体でどこまでレナモンの機動力に付いてこられるか… 「逃さないっス!」 『ラブリーアタック』 「っ!レナモンストップ!!」 路地から大通りを抜け向かい路地に抜けようとした瞬間、すんでのところで踏みとどまる。 視界のすぐ真横にはあのもんざえモンの放ったハート型のエネルギー弾が、ふわふわと浮かんでいた。 「低速で撃ち出して機雷にしてんのか」 「あっぶな…」 真正面から激突する所だった。 「ハッハッハ!よくぞ止まった!カンの良い子であるな!」 「褒めてどーすんスかもんざえモン!捕まえる相手っスよ!?」 「「チッ…」」 私とレナモン、二人同時に舌打ちする。 それと同時に発話機能を内部限定…レナモンとの会話に切り替える。 作戦会議だ。 「レナモン、途中結構な回数曲がったよね」 「あぁ、追っ手を撒くんだから当然な」 にも関わらず、向こうは私達の位置を正確に割り当て、先回りして罠まで仕掛けている。 …まさか。 「レナモン、セルフスキャンして、簡易でいいから」 「分かった」 即座に自分自身のデジコアにスキャンが走る、結果はすぐに出た。 「こいつか」 スキャン結果は即時対処推奨(レッド・アラート)、やはり何かに感染している。 「これ…」 「なんだ、この小さいの」 画面に表示されたのはナノモン…によく似ているが大きさが全く違う「何か」だった。 サイズがナノモンよりも遥かに小さい、恐らく肉眼では見ることが出来ないくらいに。 てことは、コイツがウワサのアレか。 「ウワサのデジ対の新装備だ、これ」 「そりゃ一体?」 極小サイズの人工デジモンを対象の身体に感染させ、自分たちの専用装備でその位置情報を受け取るデジ対の新装備。 最悪なのがコイツに感染し、探知範囲に居たままログアウトをすると、付着したコレを追尾してアクセス元が特定されることだ。 ウォールスラムで逃げ切った、と思って油断してると後日自宅のドアをコンコンと叩かれてお縄になる。 デジ対の決めた正式名称は知らないが、クラッカーの間では『ピコモン』と呼ばれている。 「なら一体どうやって追尾を振り切るんだ」 「あぁ、コイツ小さすぎてデジコアも無いし、自分が生存するためのエネルギーを自分で確保できないんだって」 「……エネルギーを外部から受け取ってんのか」 「そういうこと」 ピコモンの運用時には必ず範囲内に親機となるデジモンが必要で、そいつからエネルギーを供給されて稼働する。 「つまり、逃げ切りたいなら目の前のもんざえモンを振り切ってからピコモンが死滅するのを待つしか無い」 「「…チッ」」 事の厄介さにもう一度二人同時に舌打ちをする。 「しかし、こんなもん一体いつの間に食らったんだ?」 「向こうの初撃と同時にもう一つ別な爆発があったんだ、もしかするとデジ対のDCDボムの爆発だったのかもね」 威嚇射撃にしても2発撃つ理由がわからなかったがコレが目的だろう、DCDボムの方にピコモンが仕込まれていたわけだ。 「あー、そろそろ話まとまったっスか?投降する用意は?」 流石に待ちくたびれたのか、射撃体勢のまま再度警告してくる。 答えか、そんなもん決まっている。 「レナモン」 「おう」 内部通話モードを解除、外部スピーカーに切り替える。 そして私達は、二人同時に返答した。 「「くたばれクソッたれ」」 私の言葉を合図にレナモンがもんざえモン目掛けて飛び出す。 無論、ただ突っ込むだけではない。 「レナモン!進化!」 駆け出すレナモンの全身が黒い炎に包まれ、巨大な火の玉と化す。 その炎が収まると、中にいたレナモンの姿は変貌していた。 ─キュウビモン ウイルス種 成熟期 妖獣型 『鬼火玉!』 キュウビモンの周囲の空間に黒い炎の玉が出現し、もんざえモン目掛けて射出されていく。 「おぉう!?」 完全に不意を突かれたのか、回避か防御か判断が遅れ反射的に受けを取る。 が、パペット型の身体で炎の玉を受ければどうなるかは目に見えている。 「あっつ!あっつ!?」 「熱いのは吾輩の方であるぞウサミ!?」 燃え広がっていく炎消そうと全身を振り回すが、そんな程度で消えたら鬼火とは呼ばない。 やがて埒が明かないことに気がついたのか 「ええい、ままよ!」 『ラブリーアタック!』 エネルギー弾をわざと自身の目の前で爆発させた。 「自爆上等で消火か」 「ま、これが今日一番デカイダメージじゃない?」 それにずっと完全体の状態で私達を追跡していたし、そろそろKラインのリミットだろう。 まもなく爆風は晴れ、中から煤まみれのもんざえモンが姿を表した。 「不意打ちなんて卑怯っスよ!」 「いや、先に仕掛けてきたのそっちじゃん」 無警告で発砲してきたのもう忘れたのか。 「あー!もう怒ったっス!言うこと聞かないわ態度は悪いわ!行くっスよもんざえモン!」 何だ、何を仕掛けてくる? 「うむ!悪いお子様には少々キツめのお灸が必要である!」 そう言ったもんざえモンの赤い目から光が発せられる、パッと見完全にホラー映画のモンスターだ。 「もんざえモン!進化!」 「は」 進化?この状況で? ただでさえ完全体を維持したまま私達を追いかけ回した上に大技の連発、そして自爆のダメージ。 そんな状態で究極体にまで進化したらあっという間にマインドリンクの限界時間が来る。 なんてことは向こうだって理解しているはずだ、まさかデジ対が『トニック』でも使おうって? もんざえモンの姿が大きく膨らんでいく、だがレナモンがキュウビモンになるような肉体そのものの変質と言うよりは空気を入れられた風船の様な膨らみ方だ。 やがて膨張に耐えられなくなったもんざえモンの身体が破け初め、裂け目から紫色の「何か」が溢れ出てくる。 その紫色の何かと張り裂けた残骸によって一つの形が作り上げられていく。 出来上がったのは…一言で言えば羽の生えた巨大なクマのぬいぐるみだ。 ─しんもんざえモン 究極体 ワクチン種 パペット型  「ワハハハ!さぁ!お仕置きの時間である!」 進化が完了すると同時、しんもんざえモンは即座に動き出す。 『ファンシーファンタジスタ!』 腕を突き出すだけのシンプルなパンチ、だが究極体の身体で繰り出されるそれは成熟期のデジモンが喰らえば致命傷になる。 「フン」 キュウビモンは横のステップで回避、続いて横の薙ぎ払いが来るが今度は尻尾から前方に向けて炎を噴射、所謂バックブーストを行い回避する。 「ぬあぁ!前情報通り本当にすばしっこいっスね!} 「そりゃどーも」 「褒めてねーっス!」 とはいえこの状況、あまり良くない。 大通りに出たせいで足場に出来る壁面が離れている、そのせいで回避には基本ブーストの噴射が必要になる。 当然技を繰り出せば繰り出すほど消耗するので、実は今結構ジリ貧だ。 「ではこれを捌けるかね!」 しんもんざえモンが自分自身の身体を細かく千切り出す、色はともかくモコモコとした形状のそれらはなにかに似ている。 「綿あめかよ…」 などと呟いていたら、無数に分裂した身体の破片を一斉に射出してきた。 『ナイトメアレイン!』 「回避…いや、オレを狙ってない?」 撃ち出された破片達は、ほぼすべてがキュウビモンを狙っていない。 地面や壁面に着弾した後、トリモチのようにその場に貼り付き、そして 「クソ」 その他の全ては、キュウビモンの周囲の空間に浮かびあがった。 壁面や空中に機雷として設置、さっきのラブリーアタックの上位互換か。 まずい、これではまともに回避機動を取れない。 「よーやく捕まえたっス、言っとくけど触ったら身体にへばりついてそのままおやすみっスよ」 「これでもまだ続けるかね?」 しんもんざえモンの左目が赤く光り輝く、きっと何かの発射体勢だ。 警告のつもりだろう。 さて、と 割とピンチだ。 私達の基本スタイルは逃げ勝ち、進化段階を抑えて回避に徹底し相手を先に消耗させる。 だがおかしなことに、向こうは完全体状態をぶん回した上で究極体になってなお平然としている。 しかも今の攻撃でこっちの十八番である回避も封じられた。 私は視線を仮想ウィンドウの端にあるマインドリンク限界時間に移す。 まずい、大分Kラインに近い。 このまま続けていたら勝ち目はない、回避が封じられている以上レナモンに退化してリミットを引き伸ばしても意味はない。 それに究極体相手に今のままじゃまともに攻撃は通らない。 だったら。 「キュウビモン」 「やんのか、一か八か」 「うん」 成熟期を超えた進化、完全体。 未だにキュウビモンはその世代まで進化したことはないが、手持ちのカードはもう付きた。 現状を切り抜けるには進化に賭けるしか無い。 「3秒以内に進化を解除、中のクラッカーはホロライズして外に出るっス、従わないなら」 「命までは取らないが、相当痛い目を見るであるな」 向こうの最後通牒が言い渡されるが、さっきと答えは変わらない、NOだ。 私はそれには答えずに、プロセスの実行キーを叩いた。 「キュウビモン!進化!」 ─警告 デジコアの参照禁止領域が参照されています。 ─燃やせ、燃やせ、在るもの全てを焼き尽くせ。 プロセスの実行と同時、キュウビモンの黒い炎が熱波として全方位に放たれる。 その一撃で周辺一帯にばら撒かれていたナイトメアレインの機雷は一掃された。 「んなぁ!?しんもんざえモン!発射っス!」 『スイートラブリーアタック!』 私達に投降の意思がないのを確認すると、ついにしんもんざえモンの左目から光条が放たれる。 が、機動性を取り戻したキュウビモンにそんなもの当たらない。 回避機動を繰り返しながらも、進化プロセスは進行していく。 キュウビモンの全身に鈍い金色の金属装甲が取り付けられ、尻尾それぞれを覆うように巨大な円筒状のパーツが接続される。 「これ…ボイラー?」 前脚、後ろ脚の両方は獣の脚から、装甲と同じ色のクローに変わる。 更に前脚には長物のブレードが2本1対で取り付けられ、進化プロセスが終了する。 ステータス画面に表示された名前は ─名称不明 世代不明 属性不明 種族不明 なんだこれ、全部不明じゃん。 そう思った次の瞬間、文字列にノイズが走り表記が切り替わった。 ─スチームキュウビモン 完全体 ウイルス種 古代サイボーグ型 全身を覆う鈍い金色の装甲と生身の部分に着込んだ革製のハーネス、尻尾から直に生えた大型のボイラーが9連と前身を巡る配管、前脚には2本の長い実体剣。 全身にスチームパンクの意匠を持つその姿は、ネオン輝くサイバーパンクの摩天楼とは正反対だ。 「んなっ…データ未登録のデジモン!?」 「慌てるでないウサミ、倒してしまえば関係ない!」 『スイートラブリーアタック!』 未知のデジモンに対し中の人間はともかく、しんもんざえモンの方は冷静に対処してくる。 発射されたレーザーに回避機動を取るが、ここで驚いた。 「なにこれ、動きがずっと軽い」 今まではレナモン、キュウビモン共に身体から炎を噴射して半ば強引に各方向への動作を行っていた。 だが今は全身に取り付けられた噴出孔から蒸気を吐出するだけで移動できる、その制御は炎の噴射よりずっと細かく正確だ。 「あー!もっとすばしっこくなってるっス!」 「ぬぅ!流石にちょいと厄介であるな!」 レーザーの射出は続く、このまま躱し続けてもジリ貧なのに変化はない。 何か反撃に出なければ。 「えーと」 私は武装一覧をざっと眺める。 詳細は後で見るとしてスチームキュウビモンの武装はブレード、アーマーに取り付けられた銃座、脚のクロー、そして吹き出す高温の蒸気そのもの。 「…あいつに通りそうな武器見当たんないんだけど!?」 「知らん、オレだって初めてこの姿になったんだぞ」 進化した瞬間からKラインを超えたという警告音がやかましく鳴り響いている、もう時間はない。 次の一撃でケリを付けないと貴重なトニックを消費することになる、今日の報酬丸ごとパァだ。 「……待てよ?」 アイツ、しんもんざえモンは進化した瞬間から常に空中に浮いている、だが飛ぶためにあの紫色の羽根を羽ばたかせたことは一度もなかった。 もしかすると、突破口が見えたかも知れない。 「スチームキュウビモン!反転!」 「あ?相手にケツ向けろってか?…考えがあるんだな」 「うん」 「ならいい」 私の言葉に応じ、レーザーを避け続けていたスチームキュウビモンが足を止め相手に背を、いや9連のボイラーを向ける。 「え?…今更投降する気になったっス?」 「うむ、分かれば良いのだ、聞き分けの良いお子様は好ましい」 その姿を見て、何を勘違いしたのか攻撃の手を止めた。 んなわけ無いだろう、アホかよ。 「スチームキュウビモン」 今から使うのは、装備している武器のどれでもない。 私は仮想ウィンドウを操作して緊急停止用コマンド一覧を呼び出す、そして 「圧力弁緊急開放!」 コンソールに表示された真っ赤なボタンを思い切り叩きつけた。 同時にしんもんざえモンへと向けられたボイラー全ての弁が開き、内部に蓄えられていた高圧の蒸気が一斉に吹き出す。 9連のボイラーから繰り出されるそれは、言うなれば不可視の砲弾だ。 「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」 「ぬおぉぉぉぉおぉぉぉぉ!?」 それを受けたしんもんざえモンは、凄まじい勢いで上空へと吹き飛んでいく。 やっぱり、コイツは「浮かんで」いるだけで飛んでいる訳では無い。 あの全身を形作っている紫色の何かがガスのような性質があるんだろう、それで風船みたいその場に浮かんでいただけだ。 羽根だってそういう形をしているだけでフィイクか、あるいはもっと開けた場所なら実際に羽ばたいて移動したのかも知れない。 どちらにせよ空中で踏ん張りの効かないしんもんざえモンは、蒸気の砲弾を受けてはるか彼方へと吹き飛ばされた。 やがて周囲に静寂が訪れる。 「……シグナルロスト、ログアウトしたかは知らないが探知範囲には居ない」 「や、やっと終わった…」 私は即座にレナモンへと退化コマンドを実行、そのままアイツらを吹き飛ばした方向とは真逆に走り出す。 もうとっくにKラインを超えてLラインが近い、一刻も早くピコモンを駆除しないと。 ─ シャワーの蛇口を捻って頭から思いっ切り浴びる、温度はちょっとぬるめ。 「ふいー、一時はどうなるかと思った」 あの後、全速力でデジ対と反対方向に逃げながら必死にスキャンボタンを連打してピコモンの死滅を待った。 無事に消滅を確認したのでログアウトしてきたが、その時には本当にLラインスレスレだった。 「あー、疲れた」 もちろんマインドリンク中は身体は一切動かしていないが、精神的にも肉体的にもクタクタだ。 ぬるいお湯を浴びながら、今日一日を反芻する、開幕から気分を最底辺にした汚物型デジモン達、支払いを渋ったあの野郎、デジ対、そして 「ねぇレナモン」 スチームキュウビモンへの進化時に一瞬だけ現れた、システムエラーの表示。 私は左腕に巻いたままのデジモンリンカーに、レナモンに向けて話しかける。 非正規品とはいえ防水防塵防汚性能は本物と同仕様なので、つけたままでも問題ない。 「ん…風呂の最中に呼んでくるとは珍しいな」 返事とともに、狭いバスルームにレナモンがホロライズする、多少身体が浴槽にめり込んでいるがご愛嬌だ。 「それで、なんか用か」 向こうもくつろいでいたようで、バッカスモンのロゴが入ったビール缶を片手にウィンドウを開いて何かを読んでいる。 「身体の調子どう?なんか変な所とかない?」 ─警告 デジコアの参照禁止領域が参照されています。 真っ赤な背景色のウィンドウから重大な警告であることは明らかだ、しかしポップアップした直後に消えてしまったため、何が原因か特定は難しい。 当然こんなものが出てきては、レナモンの不調を心配する。 「いや別に、なんでだ?」 ぐび、ぐび、と喉を鳴らして缶の中身を飲み干す様は、確かにいつもと変わりないように見える。 「進化する時に一瞬だけ変な警告文が出たんだよね、何だと思うこれ」 辛うじて拾えたログをホロライズして画面を向ける、レナモンは空になった缶を後ろに放り投げながらそれを流し目でチラ見した。 「……これは」 が、それを見た瞬間レナモンの様子が考え込むような素振りに変わる。 「…オレが進化するたびに、オレの内側から声が聞こえるって話はしたよな」 その話は前から聞いている、なんならクラッカー復帰直後から。 「うん、燃やせ燃やせ〜って煽り立てて来るんだっけ」 「そんなに軽い口調じゃねぇけどまぁいい、その声は一定の大きさになると突然消える」 「プロセスの実行を別なプロセスがブロックしてるような挙動なんだっけ…あっ」 自分で言って気がついた。 「気づいたか、進化に付随して警告を出してくるコレと似てるだろ」 自身の内なる声を打ち消す何かと、進化する度に表れる警告。 ここから予想されるものは。 「えーと、もしかしてこのプロセスをなんとかしないとレナモンは究極体にまで成れない?」 「かもな」 「うぇぇ…」 なんて面倒な。 「そこまで悲観するものでもねぇ、厳重にプロテクトされてるのはそれだけ危険ってことだ」 進化というデジモンにとって本能とも呼べるシステムを、自身の内側から阻害する『何か』 だがそれほどまでのことをして進化を防いでいるのなら。 「…なら一度モノにしちゃえば、私達は圧倒的な力を手に入れる」 「そういうこった」 レナモンは再び寝転がってビールの二本目を開けだす。 カシュっ、という小気味良い音が狭い浴室に響き、ほぼ同時に私もシャワーの蛇口を閉じる。 そろそろ上がろうかな。 「じゃ、私もう上がるね」 「おう」 言葉とともに、ホロライズしたレナモンの姿が消えた。 私ももう出よう。 「ふぅ」 私は浴室から足を踏み出し片手で電気を消す、もう片方の手は壁にかけたタオルの方へ。 頭を拭きながら考えるのは、当然たった今判明した進化の阻害しているプロテクトについてだ。 「プロテクト、か」 こいつを突破しなければレナモンの進化は、私達はここが行き止まりだ。 「……」 鍵(プロテクト)が掛けられているから何だって言うんだ。 クラッカーにとってセキュリティ、プロテクトなんて物は 「やってやろうじゃん」 枷とは、破壊するために有る。