全てが終わった今、すべてを思い出した今 最初に脳裏に描いたのは自らの始まりの記憶だった 遥か昔、我々を人は『電磁者』という妖鬼と呼んだ 世界の境界が歪みごくわずかな者たちが人間の世界に迷い込んだ自分はまだ鬼火のような小さく非力なデジモンであり、同胞のデジモンあるいは刀を振るい襲い来る人間から逃げまどい力尽きようとしていた そんな折に手を差し伸べてきた男が我が主君 名を《タツミ》という 蛇のようなにくつくつと笑う糸目の男が差し出した練り物を後先考えずかぶりついた。この世界に来て初めての食糧の味はとても鮮烈で感動した かくいう自身は人間の言葉を覚え話すのが非常に不得手だった。その感動と感謝を示したかった我はひたすらに「ちくわ」と豪語したのだがそれを汲み取った男は我を気に入ったのか即座に旅路へ引き回されることとなった 金と報酬で戦場を渡り歩き、女に目がなく、飄々と敵を切り伏せる不敵な傭兵。いつしか彼は『電磁者憑き』の浪人と呼ばれ、名を馳せ恐れられるようになった だがある戦いで同じ電磁者憑きの武士に敗れ瀕死となった主君 それを救ったのは"薬学に精通した白髪赤眼の娘"だった。一目ぼれだったという 彼女の献身的な介抱により主君は見る見る回復し、同時に主君はますます惚れこんでいくようになった 怪我が治った後も主君は人目を盗み彼女に会うようになった。口が上手く女を口説くのは十八番であったはずだが、純情さが勝ったのか彼女に対してはどうにも奥手さが抜け切らぬ だが彼女は主君の話を聞くのがとても好きだった。今まで渡り歩いた場所での出来事や景色に目を輝かせ、漫談には声を出して笑い、その様子は傍らから見ていた我にとっても幸せそうに思えた その笑顔は徐々に鳴りを潜めて行く 彼女はある武家の娘である。この大きな屋敷に忍び込むのも容易くはない ───何より彼女には許婚がいた。彼女が薬を学び生業とするのもすべては病に蝕まれ徐々に弱りゆく未来の旦那を支えるための献身だった この恋ははじめから結ばれる可能性などなかったのだ 複雑な胸中。それでも主君は彼女を敬愛し、その笑顔と喜びを尊ぶのを大切にしていた 時に疲れた彼女の相談に乗り、時に薬に足らぬ野草を取りに行く 隠し事となったままタツミの心を弄ぶカタチとなってしまったことや、それでも尚無償の奉仕をくれるタツミに彼女は申し訳なく何度も頭を下げたが、主君は笑い飛ばしていた それでも人気のない場所で『惚れた弱み』と苦笑いする横顔は飄々とした蛇の面に寂しさを隠しきれていない様子で ……結論からすれば、彼女の旦那となる男の病状は悪化の一途を辿っていった 何をしようと弱りゆきやがて床に伏したまま動けなくなったとやつれた顔の娘に告げられ、とうとう主君の表情は暗く沈んだ そんな折、戦場で主君が切り伏せた電磁者より我はこの世界に迷い込んだ原因を知ることとなる 我々デジモンが電磁者と呼ばれたこの時代にあった"おとぎ話"であり"真実" デジタルワールドと人の世界の境界を歪めこちら側に現れた"一つの秘宝" はるか太古デジタルワールドの闇の奥深く、人の世より古今東西すべての『不老不死』の伝承が集い混濁しやがて本物の神秘となった"存在してはいけない奇跡" ―――《蓬莱ノ輝塊(ほうらいのきかい》。FE社はこれを《ホウライ・オブジェクト》と呼称していた それを知り求める人間が暗躍しだしている。もしその権能が発揮されたのならばこの世の理はひっくり返る 手にしたものは神の摂理さえ超え天下を手中に納めうる ……だがタツミがそれに縋ったのは―――"たった一人の惚れた女の笑顔を取り戻すため"だった 「アナタにお別れを言いに来ました。タツミさん」 "一度目の"その台詞を告げられた時、苦心の末に蓬莱ノ輝塊へたどり着いた我と主君はおびただしい敵に囲まれていた。刀と矢に伏せられ戸惑う我々を見下し嗤うのは武士……彼女の父 彼女を隠れ蓑にし蓬莱ノ輝塊を奪い天下を掴むために、我々は利用されたのだ だが予想外の出来事が起きた。突如蓬莱ノ輝塊の姿が揺らぎ空の穴に霧散し飲み込まれてゆく。今思えばそれは間違いなくダークエリアの闇の色だった。原因はわからぬが人間の世界に降り立ったはずの奇跡は再び元の世界へと消えていったのだ 運命が見放したのか、あるいは汚い私利私欲にバチが当たったのかもしれない 激怒した武士たちが刃を振るったのは間もなくだった 組み伏せられた自身の前で主君の脚と舌が落ちる そして逃げることも助けを呼ぶこともできない体ごと蓬莱ノ輝塊が降り立った火口へと蹴落とされ滑り落ちていく 嫌だ。暴れ振り抜けた体を突き動かしタツミの手を噛み捕まえる背中へ……矢が引き絞られる 「…君の大切なヒト助けられんで、悲しませてもうた」 主君が呟いた最後の言葉は怨嗟でも哀願でもなく 「堪忍してや…………"くおんちゃん"」 「ごめんなさい、タツミさん」 かすかに重なった二つの声は矢の風切り音に消され 我々は…… ―――否定する。彼の死を。主君の死を。タツミという人間の死を 逝くな、往くな、下郎共の嗤いに、迫りくる鈍赤の死にこの人間の魂を汚させるな そうだまだ恩返しをできていない 我は主君にこの命を救われた恩義を何も果たせていない だからここに居ろ。我と共にあれ。共に、共に…… 青白い輝きが抜け出す。体に絡みついて溶ける。おぞましいほど冷たく、憤怒の如く熱い鬼灯が我を呼び覚ます 我が主君タツミ、汝の魂…我と共に在り 「我が名はオボロモン」 世界の境界が揺らぐ。血煙に彩られ一人怯え竦む唯一の息吹、白髪の娘を残したまま体が向こう側に溶けてゆく 「……汝の罪を肯定し、否定する」 ――――――No.321 オボロモンの独白より抜粋