「名探偵シャロ=ポームズの冒険 ~ミーニャ・ニーニャ号事件~」 初夏の光。白と黄色の帆の間を吹きぬける海風。 「絶好の航海日和だねぇ、助手くん! 君もこの船旅を楽しみたまえ!  そんな辛気臭い顔してちゃ、もったいないよ?」 冒険探偵シャロ=ポームズは、愛用のルーペ付きステッキを振り回しながら、甲板を散策していた。 「いや、アンタさっきまで船酔いでぐったりしてたじゃないですか……」 「船長さんにもらった酔い止めでだいぶスッキリしたよ。  蒸気帆船に乗るのは初めてだけど、思ったより煙も少なくて快適だなぁ!」 テンション上がりっぱなしの探偵とは逆に、助手である俺は、地獄行きの船に乗っている気分だ。 探偵と船旅をすることになったのは、一週間前、探偵事務所に届いた奇妙な招待状がきっかけだった。 「見てくれ助手くん!  ”絶海の孤島の館で開かれる、世界各地の優秀な探偵だけを集めた特別な会にご招待”  ……だって! これは行くしかない!」 「いやだ! 絶海の孤島の館なんて、絶対に事件が起きるじゃないですか!」 「それがいいんじゃないか、助手くん。  僕たちコンビで華麗に謎を解き明かしてみせようぜ?」 「関係者全員探偵だったら、その中にいる無能な助手なんて格好の餌食だ!  いやだ! 殺される! 孤島の館なんて行きたくない!!」 しかし冒険探偵は俺の必死の抵抗を聞き入れることなく、すぐに旅装を整え、俺を港に向かう馬車に押しこんだ。 港町までは五日ほど。道中でトラブルがあり、港に着いた時には、招待状にあった、島へのチャーター船は出航したあとだった。 「これで助かる」と思ったのもつかの間、探偵は普段のぐうたら加減からは想像できない恐るべき行動力を発揮した。 あっという間に孤島の近くに向かう臨時便を探しだし、翌日の乗船の約束をとりつけた。 それが、いま俺たちが乗っている、貿易船ミーニャ・ニーニャ号だ。 本来の目的地は南西のミナミノ諸島なのだが、その途中にある、招待状の孤島に寄ってくれるのだという。 「目的地に着くまで、あと一日半もあるからね。  それでは早速聞き込みを開始しようか」 「聞き込みって……なにか船で事件でも起きるんですか?」 「事件があろうがなかろうが、こういう閉鎖空間では、関係者全員の顔と名前を把握したい、と思うのが探偵ってものなんだよ」 探偵は甲板を見回した。 最初に目をつけたのは、木製のマストに背中をつけて立っている獣人の少女だ。 少女は両手をあげて、身体を覆うくらい大きな茶色い布を掲げている。 布を乾かしているのだろうか。茶色の布は海風にあおられてバタバタはためいていた。 「こんにちは、お嬢さん!」 探偵が満面の笑みで近づくと、少女は全身をびくんと震わせた。 「みっ……、見つかった……」 ……隠れているつもりだったのか。布で体は全く隠れていなかったが。 近くで見ると、少女の格好も奇妙だった。 赤髪に、黒いウサギの耳。……と思ったら、黒い耳は装備品のバニー耳で、本当の耳は赤い髪の間から覗く、犬耳だ。 黒い水着のような服に、東洋風の籠手、義手。 全体的にちぐはぐな印象の装備だ。 「僕は冒険探偵シャロ=ポームズ。こっちは助手くん。  僕たち、船に乗っている人の話が聞きたいと思ってるんだ。  お嬢さんのお名前を聞かせてもらえるかな?」 「……サンザシ」 サンザシは布を畳みつつ、うさんくさいものを見る目を向ける。 「ふむ。黒いバニー耳……東洋風の武具……、布で体を隠す……」 探偵はルーペ付きステッキをサンザシにかざして覗きこんだ。 「……サンザシくん。君はもしかして、バ忍なんじゃないかな?」 「なっ……!?」 サンザシの表情が一変する。 「えっ、バ忍ってなんですか?」 「知らないのかい助手くん。バ忍とは東方の……」 「わーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」 サンザシは大声を出しながら探偵の口をふさぎにかかった。 「むぐむぐ……」 「バ忍の! ひみつは!  衆人のまえで、かたってはならぬ!!!」 サンザシは探偵の頭をヘッドロックしながら叫んだ。 「む、むぐ……わかった、わかったから……言わない、から…………」 サンザシはそれを聞いてようやく探偵を解放した。 「……失礼、サンザシくん。  そのような掟があるとは知らなかったんだ」 「……わかればいい。  まさかバ忍のことをしっているものがいるとは……」 「サンザシくんはバ忍のお仕事で船に?」 「しまには、にんむで……って、わぁっ!?  それも、ひみつだ!」 情報を聞きだそうとする探偵を警戒するように、サンザシはグルルとうなる。 「すまなかったね、ありがとう。よい旅を!」 サンザシに噛みつかれる前に、探偵は退散した。 「いやぁ、なかなか興味深い人物だったねぇ、助手くん。  じゃあ次は、あの人だな」 探偵は甲板の隅に座る男を指す。 いかにも冒険者らしい風貌の男だった。使いこまれた鎧と長剣が、鈍い輝きを放っている。 だが、金髪には白髪が多く混じり、傷だらけの顔には疲れきったシワが刻まれ、一言で言うと、陰気な印象の男だった。 「こんにちは、冒険者さん! 僕は冒険探偵シャロ=ポームズで、こっちは助手くん。  お名前を教えていただけますか?」 「……スプドラートだ」 「ありがとうございます、スプドラートさん。  よい航海を!」 探偵はルーペ付きステッキを振りながらスプドラートの前を通り過ぎた。 「え? あれ???  話を聞かなくていいんですか?」 「助手くん、君は本当に見る目がないなぁ」 声が聞こえないくらいスプドラートから離れてから、探偵が解説した。 「彼は相当の傑物だね。  僕が今まで見た冒険者の中で一番の腕利きかもしれない」 「え???」 「S級冒険者にもお目にかかったことはあるけど…それ以上かもしれないな。  本当の“勇者”とは、ああいう人物の形容なのだろうね」 探偵にしては珍しくベタ褒めしているが、俺にはとてもそんな偉大な人物には見えない。 「えっ、でも、……そうですか?」 「僕と一緒にいるんだから、もうちょっと観察眼を鍛えたまえよ、助手くん。  あの歴戦の剣と鎧を見たかい?  それに僕の探知魔法によれば、彼のあらゆる能力値はとんでもなく驚異的な値を示している。  僕は初めて、魔王を倒しうる人間を目にした思いだ」 「はぁ……」 あの暗い雰囲気の男が、魔王を倒す勇者とは到底思えないが。 「なんにせよ、彼のような男が同じ船に乗っているなら、航海の道中は安心だね。  それじゃあ、次に行こうか!」 船に乗っている三十人近い人間の聞き込みが終わった頃には、空は夕焼けで赤く染まっていた。 船員、用心棒、ギルドの仕事でミナミノ諸島に向かう冒険者……様々な人間のプロフィールを聞き終わった冒険探偵は、手帳にペンを走らせて情報を整理していた。 「シャロさん、助手さん。体調はいかがですか?」 船の欄干にもたれている俺たちに話かけてきたのは、ミーニャ・ニーニャ号の船長ピタだ。 貴族のようなドレスの彼女は、一見貿易船の船長には見えない。 だが、腕利きの船長として港町では有名らしい。 普段は長距離航海の仕事をしているのだが、今回は長い航海と航海の間の、つなぎの仕事だそうだ。 「おかげさまで! 船酔いもすっかりよくなりました」 「それはよかった。  船の者が、皆びっくりしていました。  船員全員の素性を聞きだそうとする客人の方は、はじめてですから」 ピタは口に手をあてて笑う。 「そうそう、今朝、船を出す前に港で聞いたんですが、シャロさんは有名な事件をいくつも解決された探偵さんなんですね。  すみません、陸の情報には疎くて」 「いやぁ大したことはないですけどね!  ちょっと王都でいくつかの有名な事件に携わっただけで!」 「ほんの一日の船旅ですから、シャロさんの協力をあおぐようなことはないと思いますが、とっても心強いです。  ……あ、そろそろ着きますね」 「?」 船長ピタは船の先を指した。 「海の中に、たくさんの岩が立っているのが見えますか?  あれは「シーサーペントの墓」と呼ばれていて、ちょっと有名な場所なんです」 彼女が説明する間にも、船はどんどん岩場に近づいていく。 「伝説によると、海だけでなく天をも支配しようとしたシーサーペントが、神の怒りに触れて、石にされてしまったそうです」 海の中に屹立する何本もの白い岩は、船のマストの先よりも高くまで伸びている。 夕暮れの赤い光に照らされて、その風景は神々しさすら感じさせた。 「ふぅん……あれは海食柱というものだね。元々はこのあたりにも陸地か島があったんだけど、長い時間の海の浸食にさらされて、あんな細い岩になってしまったわけだ。もう数百年もすれば、さらに浸食が進んで、海の上に見える場所はなくなってしまうだろうねぇ」 探偵の早口の解説を、ピタは興味深そうに聞いている。 ふと、サンザシが甲板の端の手すりから身を乗りだすようにして、ばたばたと動いているのが目に入った。 「おや? 彼女はどうしたのかな?」 探偵は言い終わるより早く、サンザシに近づいていった。俺とピタも後から着いていく。 サンザシは大きな瓶をひっくり返して、その中身を海に注いでいた。中身を捨てているのだろうか? サンザシは瓶の中身を空にすると、瓶を傍らに置き、両手をぱんぱんと打ち鳴らした。 頭を垂れて、祈るように手を合わせる。 少しして顔をあげたサンザシは、探偵が横から覗いているのに気づき、むっとした。 「……なんだ」 「いやぁ、何をしているのかな、と思って」 「……頭領がいっていた。もし神をかんじることがあったら、ちゃんといのりをささげたほうがいいと。  だからおいのりした」 「ふむ、東洋の風習かな?  海に注いでいたのは、酒……。  ……御神酒、とかいう言葉が東方にあったな」 探偵が腕を組む。 「海の神に捧げるために酒を注ぐ風習は、こちらの古代の神話にもあるし、東西共通なのかもしれないな。近年でも、著名な詩人がそんな詩を読んでいたよ!」 「シャロさんは博学なんですね」 ピタが笑顔で相槌をうつ。 サンザシは迷惑そうな顔で、そろりそろりと探偵から距離をとっていた。 「このあたりは岩礁地帯で、夜に航行するのは危険なので、今日はここで一泊します。  船員に指示を出してきますね。  夕食のあとに、ぜひまたお話を聞かせてください」 ピタが立ち去ると、探偵は俺の頬に触れそうなくらいに顔を近づけてきた。 「うわっ!?」 「……助手くん。僕はどうも、彼女は怪しいと思うんだけどね」 「はぁ?」 探偵はひそひそ声で続ける。 「だっておかしいじゃないか。あんな若い女性が船長なんて、普通じゃ考えられないよ」 「単なる偏見じゃないですか……」 「しかも船員はみんな彼女を慕っていて、甲斐甲斐しく働いている。  これはやっぱり裏で何かやってるんじゃないかなぁ」 「失礼すぎる……」 「若い女が荒くれ者たちをまとめあげるには、女の武器を使っているとしか考えられない。  そう考えると、一見さわやかなこの船は実はただれているのかも……」 「下品すぎる……」 探偵はなぜか、若い女性に対して辛辣なところがある。 普段の論理的な推理はどこへやら、ほとんど中傷としか思えない発言も多い。 なんで若い女性が嫌いなんだろうか。 聞いたら怒られそうなので聞けない。 「しかもあんなフリフリの服で、船長としてあの格好は適切ではないんじゃない……うわぁっ!?!?」 突然、船が大きく揺れた。 船が錨を降ろしたからかと思ったが、それにしては船体が傾きすぎだ。 ほどなくして、雷が落ちたような轟音が響いた。船が岩に乗りあげたように大きく船首を上げる。 探偵の身体が、空中に投げ出された。 「…………っ」 咄嗟に探偵の腕を掴んで、引っ張った。 俺たち二人は甲板にたたきつけられるようにして転がる。 「……いてて…………。  …………あ、あれは……っ?」 探偵は転がりながらも、船首から目を逸らさずにいた。 俺もそちらに視線を向ける。 船首の先に、空をつくような水柱があがっている。 その水柱から人影が降ってきて、船首に着地した。船が、今度は舳先が水につっこむような形に傾く。 号鐘が打ち鳴らされた。 「敵襲!!! 敵襲ーーーーー!!!!!!」 「うるせェなぁ。まだ敵だって決まったわけじゃねえだろうが」 船首に立った人影が呟く。 遠目には人間の女に見えた。 だが、肩にかついだ巨大な黒い錨と、背後であがっている水柱が、彼女が普通の人間ではないことを示していた。 「船長はどいつだ?」 女は、女性にしては低いがよく通る声で甲板に話しかけた。 船員たちが口々に呟く。 「おい、……あれ、……カイネじゃないのか……?」 「……まさか、……こんなところで……」 「ほぅ、テメェら、よく勉強してるな。  そう、カイネ・ドリームガーデン様だ」 カイネと名乗った女は、左手の鉤爪の先を軽く打ち鳴らしてみせた。 船長ピタが数人の船員とともに歩みでた。 「船長はわたしです。どういったご用件でしょうか?」 歴戦の船長らしく声はしっかりしていたが、ピタの表情は硬かった。 「はぁ? 女が船長?」 「いやアンタも女だろ」 甲板の視線が、一斉に発言者に注がれた。 突然の来訪者に対して不用意なツッコミをいれてしまったのは――――俺だった。 ……しまった、いつも探偵に対してツッコミばかり入れているから思わず口から…… 「あ゛ぁ゛ぁん??」 怒号を上げたカイネは船首から飛び上がり、一息に甲板に着地した。 身のこなしは軽かったが、巨大な錨を担いだ人間が、かなりの高さから降ってきたのだ、着地地点の甲板板はメキメキと音を立てて割れた。 「なんだぁ? テメェ…………」 カイネがものすごい怒気を放ちながら俺の方に歩いてくる。 やばい。やばすぎる。死ぬ。殺される。 絶海の孤島に着く前に死ぬ。 カイネと俺の間に割って入ってきたのは、探偵だった。 「いやああぁぁすいません!! うちの男女差別主義者がご迷惑をおかけして!!!!!!!」 探偵は俺の頭をつかむと床に向かって全力で叩きつけた。 俺が抵抗する間もなく、二度三度と俺の額を甲板板に打ちつける。 「すみません、空気も読めないし配慮もできない愚かなやつなんです! ここはよーーーく叱っておくので!! どうか! 捨ておいてはいただけないでしょうか!!!」 「……何者だテメェは。副船長か?」 「まさか!  僕もこの差別主義者も、単なる乗客です!」 会話の最中も床に叩きつけられつづけ、額からだらだら血を流す無様な俺の姿を見て、カイネは興味を失ったらしい。 俺に対して蔑む目線だけを残して、船長ピタの方へ向きなおった。 「あー、船長の嬢ちゃん。  別に俺は船を沈めに来たってわけじゃねえ。  ただ、ちょっと通りすがりに酒の匂いがしたから、分けてもらえねえかと思ってね」 「酒……ですか」 その言葉を聞いて、マストの影に隠れて様子を見ていたサンザシの顔色が変わった。 “酒の匂いがした”。 先ほど、サンザシは“酒を海に注いだ”。 サンザシがガタガタ震えはじめる。 「それでしたら……」 「あああああぁぁぁーーーーーーーお酒ですね!!!!  それなら、実はとっておきのがあるんです!!!!!!!!」 カイネとピタの間に割って入ったのは、またしても探偵だった。 「ただ、ちょっと!! ちょっとだけ準備にお時間がかかるので!!!  少々お待ちください! さぁ行こう船長さん!!!」 「え? え!???? あ……」 探偵は、船長ピタと俺を強引に引っぱって船尾の船長室へと向かった。 船長室に辿りつくと、探偵は後ろ手に扉を閉める。 「たっ、探偵さん、どういうことですか、お酒って……」 「いや、これから考えるんだけど」 探偵の言葉にピタが絶望の表情を浮かべた。 「ただ、考えるにしても時間稼ぎが必要だろう?  ということで、船長さん、いくつか確認したいんだが、アレは何なのかな?  名前を知ってる者もいたようだけど」 「あ……アレは」 ピタが呼吸を整える。 「カイネ……かつて“絶望峰の悪夢爪”と呼ばれた海賊だと思います。  昔は人間の男だったのですが、“海の呪い”を受け、船は沈み、女の体にされてしまったと言われています」 「ふぅん……なんだかおとぎ話みたいだね。  見た目は人間の海賊だけど、まとっている魔力は、魔物のものに近かったな」 「今でも陸の人間を恨み、海から現れては船を沈めることがある、と……。  でも、本来、この海域に現れるはずはないんです。なんで…………」 「そこは今考えても仕方ないな、来てしまったものはどうしようもない。  何か対策方法はないのかな?」 「――高価な酒を渡せば見逃してくれる、……と」 「……高価な酒ねぇ。船に酒はあるのかな?」 ピタが顎に手をあてて考えこむ。 「ここ船長室にいくつか酒瓶はありますが、高価とまでは……。  あとは、積荷に蒸留酒と赤ワインがありますが、こちらも庶民向けの品で…………」 「うーん、とりあえず、積荷を確認してみよう。  何かいい手が見つかるかもしれない」 ――同刻、甲板。 船長と血まみれの助手が探偵に連れていかれて以降、甲板では緊張した空気が続いていた。 「準備に時間、ねえ。  俺はどれくらい待ってればいいんだ?」 カイネが船員に話しかけるが、船員たちは恐怖で後ずさるばかりだ。 甲板には雇われた用心棒たちもいたが、一人で船を傾ける力を持つ女に対峙しようというものはいない。 しばしの膠着状態の後、一人の男が歩みでて、カイネの正面に立った。 「ん? 暇つぶしに手合わせでもしてくれるのか、冒険者?」 カイネの前に歩み出た男、スプドラートは首を振った。 「いや……船を壊したくはない。  代わりに、これで時間を潰さないか」 スプドラートは小さなピンク色の鍵のようなアイテムを取りだし、それを床に投げた。 垂直に甲板板に突きたったアイテムは、ピンク色の煙を吹きだしはじめる。 (アイテムによる攻撃か) カイネはそう判断し、距離をとろうと地面を蹴った。 煙がカイネの視界を霞める。 ――しかし、一瞬の後。 カイネは、麻雀卓の前に座っていた。 「……………………は?」 「パイパイ☆シスターズが、成敗してあげますッ!!!!!!!」 見知らぬ女の声が響き渡り、大爆音の曲が流れはじめた。 ♪世界はパイで回ってるッ  世界はあたしで回ってる~ カイネは状況を把握しようとする。 いつの間にか甲板には麻雀卓が出現していて、カイネはその前に座っている。 麻雀卓には他にも、スプドラートと、獣人少女のサンザシが座っていた。 サンザシも状況を理解できていないらしく、不安げにキョロキョロとあたりを見回している。 カイネはかついでいた錨が手元にないことに気づいた。周囲にも見あたらない。 麻雀卓の上に飛び乗り、左手の鉤爪をスプドラートの喉元につきつけようとする。 しかし、左手どころか、自分の身体を椅子から立ち上がらせることもできない。 四肢が石のように重くなり、動かないのだ。 「………くっ」 攻撃の意思をゆるめると、手足は何事もなかったように動いた。 「…………あー、つまり、アレだ。  これは、金がかかった賭場で見る、決められたルール以外で戦えない、誓約結界呪法とかいうやつか」 「そういうことだ」 スプドラートは自動麻雀卓の机上から目を上げずに答えた。 スプドラートの腰に差していた長剣と、サンザシの武器の大ナタもなくなっている。 武器を探して、サンザシは椅子の下を覗きこんだ。 傍らでは、今まで船上にいなかった角の生えた少女が、胸元の露出したシスター服を揺らして歌い踊っていた。 ♪飛び出せパイパイ 弾けるパイパイ  輝く魅力でシスターズ イェイ! スプドラートの使ったアイテムは、この麻雀卓と少女を召喚する類のものなのだろう。 (麻雀をしないと通常の戦闘行為はできない、……か。  冒険者風情が厄介なアイテム使いやがって……) カイネは舌打ちする。 「君、麻雀はできるか?」 スプドラートがサンザシに聞いた。 「まーじゃん……まーじゃんは……里のものがやっているのを、みていたことはある。  一・二・三とか、おなじしゅるいの絵を三つあつめるやつ……」 「それがわかっていれば、大丈夫だ」 サンザシの大いに不安な様子を無視して、スプドラートが答えた。 シスター服の少女がテーマ曲を歌い終え、こちらを向いた。 「えー、改めまして皆さま! 本日はお集まりいただきありがとうございます!  パイパイ☆シスターズのナナです!」 ナナと名乗った少女は、麻雀卓の三人にぺこりと頭を下げた。 「本日は皆さまと、楽しく公平公正な麻雀をしたいと思いますッ。  皆さまと戦うのは、半荘戦!  ルールは飛びナシ青天井で、喰いタンあり、……」 「おい待て。青天井ってのは何だ」 カイネが口を挟む。 答えたのはスプドラートだった。 「“青天井ルール”は、満貫の際に点数の打ち切りをしない。  点数計算の方法が通常のルールとは異なる」 「ふぅん……違うのは点数計算の方法だけか?」 「そうだ」 点数計算の変更だけなら対応可能か、とカイネは考える。 そもそも、海の男の間では、麻雀はそれほど普及した遊戯ではなかった。カイネはかつていくつかの賭場でやったことがあったし、一般的なルールも理解していたが、特殊なルールには詳しくない。 未知のルールには、常に「カモられる」可能性がある。 ナナはそれ以外の細かいルールを説明しはじめた。こちらはどれもカイネが聞いたことのあるものだった。 「それで、何を賭けるんだ?  俺は金はねえぞ。港で全部使ってきたからな」 サンザシは、船を暴力で襲う化物にも、港で金を使う程度の社会性があることを初めて知った。 「賭けなんてしませんッ!  麻雀は純粋な知的遊戯ですッ!!!」 ナナが頬をふくらませる。 「おいおい……賭けのねえ麻雀の何が楽しいんだよ?」 「もし、順位がナナより下になると、“お仕置き”がある」 またもスプドラートが答えた。 「なんだよ“お仕置き”ってのは?」 「彼女の氷雪魔法で雪だるまにされる」 「あ゛ぁ? ……それで、勝ったらどうなるんだ。  リスクしかねえってことはねえだろう?」 「ナナより順位が上なら、彼女が脱衣する」 カイネは弾かれたようにナナの方を向いた。 「……う、うぅ……だから、こんな恥ずかしい格好イヤなのにぃ……ッ」 ナナは豊満な双丘を覆う薄布を、身体に押しつけるように引っ張る。 カイネはゆっくりと顔を戻すと、肩にかけていた身体に不釣りあいな大きさのコートに袖を通し、椅子に座りなおした。 「まぁ仕方ねえなぁ!  久しぶりだし付きあってやるかァ、麻雀!!」 その様子を確認したスプドラートがナナに伝える。 「じゃあ、はじめよう」 ――同刻、船倉。 冒険探偵シャロ=ポームズと俺、船長ピタは、積荷の確認を終え、探偵の語る“事態を打開できる完璧なプラン”に耳を傾けていた。 「……というわけだ。どうだい船長さん?」 「たしかに……たしかにそれなら、なんとかなるかもしれません……」 「一番大事なのは話術だからね。そこは僕が請けおう。  船長さんは、最終的に奴に品物を渡すだけでいい」 「それは大変ありがたいです……が……」 「安心したまえ、僕は王都の要人から犯罪組織の頭まで、交渉の経験がある探偵さ!  海の怪物くらい問題ない!」 ピタはしばし考えこんでいたが、ほかに有力な案もないようで、ため息をついた。 「……わかりました。探偵さんのおっしゃる通りにします」 「よし! なら早速準備だ」 船倉に連絡の船員が降りてきた。 興奮した語調で、甲板で麻雀がはじまったことを伝える。 「冒険者がアイテムで敵と麻雀をはじめた」という情報はかなり意味不明だったが、時間稼ぎができているという意味では、よい知らせだった。 「麻雀をする少女……パイパイ☆シスターズかな?」 探偵が口にした言葉は、この緊迫した状況にはそぐわない、気の抜けた語感だ。 「パイ……? え……?」 「魔王軍との戦の前線によく現れる、無理やり麻雀させる悪魔だね。  ふざけた名前だけど、魔王軍と人間の戦では戦況を変えたこともある。  ……全部終わったら、ぜひ色々と話を聞いてみたいな」 探偵はピタの方を振りむいた。 「上では半荘戦をしているらしいから、そんなに時間もないな。  船長さん、手先が器用な船員を何人か集めてくれるかい?  急いで作業にとりかかろう」 ――それから少し後、甲板。 停泊する船の上で、麻雀の打牌音が響く。 カイネは“青天井ルール”の底知れなさを体感していた。 最初はごく一般的な麻雀だった。 サンザシがほとんどルールをわかっていない素人であることを除けば、各局は順調に進んだ。 しかし、先ほどの東三局。 「スプドラートさん、七対子・混一色・ドラ、+76800点! サンザシさん、-76800点!」 毎局終わりに天から降ってくる謎の声が点数を宣言したとき、これが通常のルールでないことがはっきりとわかった。 「76800点……?  …………テメェ、ダマテンしてんじゃねぇ。これは俺への接待麻雀なんだぞ?  テメェがアガってどうする」 「……」 スプドラートは目線を上げないで全自動卓の投入口に牌を押しこむ。 「……なぁ、麻雀の嬢ちゃん。今のこいつの七対子、普通は跳満で18000点だろ?」 「そうですねッ」 「……普通は18000点の手が、今回のルールだと76800点になる。  じゃあ、普通のルールの最高点の48000点のアガりは、今回のルールだと何点になるんだ?」 「えっと、通常のルールでも役満の重複があると48000点より高くなることもありますが……。  それはともかく、カイネさんの疑問にお答えすると、普通のルールの最高点・役満の点数は、青天井ルールだと、役の内訳によって違って――例えば大三元を親のロンアガりした場合で、安くて393万2200点、多くて2949万1299点ですかね」 「あ゛?」 「もちろん役満が複合したらもっと高くなりますッ」 突然の想像を超えた数字の単位に、カイネは言葉を失った。 つまり、デカい手だと、点数がものすごくデカくなる。 細かい駆け引きなど意味はなく、ただデカい点で殴りあうだけ。それが青天井ルールなのだ。しかも飛びナシなので、どんなにマイナスが大きくなっても、途中で終わることはない。 1000万点台は想像もつかないが、10万点程度の役でもかなりの差がつくだろう。 (しかし、俺がデカい手でアガれば、そう簡単に追いつかれることもない、か) そう思いなおして、カイネは自分の牌を全自動卓の投入口に流しこむ。 しかし。 「ぶっぶ~! カイネさん、ガン牌は禁止で~す!」 天から謎の声が降ってくる。 ナナがむすっとして口をとがらせた。 「カイネさん……ズル、しましたね?」 「……ちっ」 ガン牌とは牌へのマーキングである。カイネは左手の鉤爪で牌に傷をつけて目印にしていた。 傷をつけられた牌は不思議な力で浮かびあがると、新しい牌となって落ちてきた。 「もぉぉッ、今回は初回だから見逃しますけど、次からは駄目ですからねッ!  次にやったら“お仕置き”です!」 「……“お仕置き”ってなんだ」 「彼女の氷雪魔法で雪だるまにされる」 スプドラートが答えた。 「くそっ、なんだよ雪だるまって……」 とにかく、最終的にナナよりも着順が上になればいい。 カイネはせりあがってきた次局の牌に目を通した。 一方、カイネ以上に混乱していたのが、サンザシだった。 そもそもサンザシに麻雀の経験はなく、ただ後ろから見ていたことがあるだけ。 これまでの局では放銃を繰り返し、今回の、スプドラートへの振り込みによる-76800点を受けて、サンザシの頭の上で揺れる数字は「-66100」と表示されていた。 ルールはよくわからない。 ただ、自分の点数がどんどん低くなっていることはわかる。 (なんとかしないと……なんとか……) サンザシは震えの止まらない手を牌にのばした。 ――同刻、船員部屋。 俺たちは急いで作業を進めていた。 冒険探偵は、船長と船員に細かい手順の指示をしているものの、手は出さない。 作業が進み、炉で消毒用の湯を沸かしていた船員の手があいた。 すると探偵は彼らに命じて、別の作業をはじめさせた。 「こっちは何ですか? ……赤ワインと、オレンジとベリーに、スパイス?」 俺が聞くと、探偵が説明する。 「ちょっと僕も甲板の様子を見てこようと思ってね、差し入れを作ってるんだ。  あの化物殿が、ちゃんとこの手の酒を飲むかも確認したいし」 そう言って探偵は、ピッチャーにつめた赤ワインと材料、人数分の酒杯を持って、甲板への階段を上がった。 俺もあとを追いかけようとしたが、探偵に制止される。 「君はあいつに嫌われてるかもしれないから、こっちで作業していてくれ」 ――甲板の麻雀卓は、南一局。 「どうもみなさん、差し入れをお持ちしました!」 探偵は笑顔で対局者たちに酒杯を渡していった。 「酒? 気が利いてるじゃねえか」 「はい! 即席のサングリアを召し上がれ!」 探偵はカイネの酒杯にサングリアを注いだ。 「果実酒……まぁ、たまにはいい」 カイネは酒杯を一息に飲み干す。 「……肝心の赤ワインが安酒すぎるな。  おい、これが俺を待たせた品か?」 探偵はすぐにカイネに二杯目を注いだ。 「まさか! もっと素敵な品を用意してありますよ!  これは単に麻雀中の息抜きです! ……ん?」 探偵はサンザシの手牌を見て止まった。 「……すみません、お姉さん。  えーっと、パイパイ☆シスターズさんかな?」 「えっ、パイパイ☆シスターズをご存じなんですか?  嬉しいッ、わたし七女のナナですッ」 「そりゃあ一部では有名だからね。  ナナさん、対局者へのアドバイスはしていいのかな?」 「他の人の牌を教えたら駄目ですよ~」 「あ、そうじゃなくて、サンザシくんが、今のでツモアガりできるのに気づいてないみたいだから……」 「えっ!? アガれるのか!?」 考えこんでいたサンザシが顔をあげる。 「うん、これが一・二・三で、一・二・三、一・二・三…」 「でもこれは鳥だから……」 「鳥は索子の一だからね」 「早くしろよウサギ」 カイネが容赦なく野次を飛ばす。 「うぅ……わ、われはウサギではない……。  ……えーっと、これを? 倒せばいいんだな???」 「うん、“ツモ”って言ってからね」 「はい、ツモできた! できました!」 サンザシが手牌を倒す。 天の声が宣言した。 「サンザシさん、ツモ・平和・純全帯ヤオ九・三色同順・ドラ、41000点オール!」 カイネの手から酒杯が落ちる。 「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」 サンザシの頭上の数字に、12万3000点が加算された。 ――作業中の船員部屋。 甲板から戻ってきた探偵に、ピタが走り寄った。 「ど、どうでしたか……?」 「うん、ちゃんと化物殿はサングリアを飲んでくれたから、いけると思うよ。  まぁちょっと怒らせちゃったけど……」 「?」 「気にしないでくれ、些事だ!  作業の進み具合はどうかな?」 「はい、探偵さんの指示通りにしたらこんな感じで……。  あとは封蝋をするだけです」 「よし、じゃあ、できたら甲板へ行こう。  もう少しで麻雀も終わりそうだしね、みんなで待とう」 探偵は帽子をかぶり直すと、ルーペ付きステッキを左手で掲げた。 「さぁ、事件解決パートといこうじゃないか!」 ――甲板、最終局(オーラス)。 すでに日は落ちていたが、西の空はまだ明るいままで、星々がまたたいている。 ここまでの成績はスプドラート、ナナ、カイネ、サンザシの順で、ナナとカイネは僅差だった。 (さっきのウサギのアガりはデカかったが、元々のマイナスがデカいし、そのあとも振り込みまくってるから最下位に落ちた……。  ……問題は、この最終局で俺がアガらないと、俺が麻雀女に負けるってことだ) スプドラートは前半の点差で逃げ切るためか、ベタオリに終始している。 一方のナナは、最初は堅実な打ち筋かと思われたが、途中から変わった手筋でカイネを混乱させていた。 ただ、ナナの打ち方は、スプドラートやカイネのような麻雀を理解している者が相手で、サンザシのような超初心者には効果がない。 「あー、ウサギ、捨てるなら字牌にしとけ。  さっきみたいに萬子捨てるんじゃねえぞ、漢字が一文字書いてあるやつを捨てろ」 カイネはサンザシの捨て牌を指示することで、サンザシからナナへの振り込みを防ごうとしていた。 「カイネさーん、あのぅ、あんまり過度な指示は……」 「さっきの差し入れ女の指示は許してただろうが。  これも同じだ、俺の独り言だ」 「……うぅぅ……」 パイパイ☆シスターズの中でも特に真面目な性格のナナは、カイネに言い返すことができず黙りこむ。 スプドラートが伍筒を切った。 「……よしっ、ロン!」 カイネは手牌を倒す。 天の声が降ってきた。 「カイネさん、タンヤオ・一盃口、+2600点! スプドラートさん、ー2600点!  以上で対局終了となります!」 「テメェもだいぶ接待がわかってきたじゃねえか、冒険者」 「…………」 スプドラートは小さく息を吐き、手牌を伏せる。 大音量の音楽とともに、天の声が最終結果を宣言した。 「一着、スプドラートさん、49000点!  二着、カイネさん、31800点!  三着、ナナさん、29800点!  四着、サンザシさん、9400点!」 「まぁこんなところか」 探偵が置いていったサングリアを手酌で飲み、カイネがつぶやいた。 「うぅ~~~……わたしがっ、負けるなんてぇ…………」 ナナがべそをかく。 「……お、おわった……」 抜け殻のようになったサンザシは、ぐったりと椅子にもたれかかった。 「それでは、まずはお仕置きターイムッ!!!」 天の声が宣言した。 「うぅぅ……ごめんなさいサンザシさん……。  雪だるまになってくださ~いッ!!!!」 「ふびゃ!?」 ナナが起こした氷雪魔法で、あっという間にサンザシの身体は雪につつまれていく。 そうしてできあがった雪だるまに、ナナは泣きじゃくりながらマフラーをかけた。 「…………これが……雪だるま……」 「次に、ご褒美ターイムッ!!!」 「おっ、来た来たァっ」 待ちわびていたカイネと、うつむいたままのスプドラートが座る麻雀卓を、白い煙が包みこんでいった。 ――ふたたび、甲板。 封蝋作業を終え、船員部屋で作業をしていた俺たちは甲板に上がった。 甲板の麻雀卓があった場所は、白い煙で包まれている。 「……あれ?」 ピタが様子を見ていた船員に確認すると、二十分程前に麻雀は終わったのだが、その後、白い煙が麻雀卓を包みこみ、中の様子は全くわからなくなった、とのことだった。 「うーん、麻雀が終わると動作する魔法があるのかな……あっ、煙が晴れてきた」 白い煙が薄れていく。 甲板に出現していた麻雀卓は跡形もなく消え去り、そこにはスプドラートとカイネが立っていた。 「あれ? サンザシくんは??」 二人の隣には雪だるまが置いてある。 スプドラートがアイテムを雪だるまに放り投げると、中からサンザシが転がりでた。 「ぐぼぁっ」 「サンザシさん!?!?」 ピタが近くにいた船員に、すぐに毛布を持ってくるよう指示する。 「…………し、……しぬかと……おもった……」 ガタガタ震えて横たわるサンザシの隣で、スプドラートとカイネは何か小声で話しあっていた。 しばし二人は真剣な顔つきで会話していたが、話は終わったらしい。 カイネは船長ピタの方へ顔を向ける。 「……あー…………んー…………なんだ……。  ……そうだ、酒だ。  ……酒は用意できたのか、嬢ちゃん」 「はい、こちらに」 ピタは社交的な笑顔で品物を手渡す。 「……随分時間がかかったじゃねえか。  死体が入った樽から酒を抜いたか?」 「まさか、そんなことはしませんよ」 カイネは渡された品物を包む布を無造作に剥ぎとった。 「……なんだこりゃ」 近くにいたスプドラートには、それは何かをつめた大きなポーション瓶に見えた。 「僕が説明させていだこうっ!!!」 我らが冒険探偵が、カイネの前に躍り出る。 「カイネ殿、それは、どんな財宝を積んでも手に入らない貴重な酒だ!」 「コレがァ……?」 カイネは両手に抱えるような瓶を、月明かりに透かすように持ちあげて見ている。 「そうっ。それはミーニャ・ニーニャ号特製・アプリコット酒だ!」 瓶は透明の液体で満たされ、黄緑色の小さな果実がびっしりとつめこまれている。 船員に毛布でくるまれていたサンザシが叫んだ。 「そっ…………、それはっ…………、梅酒ではないか!?」 「………ウメシュ?」 探偵がサンザシを指差す。 「そう、東方出身の君ならきっとわかってくれると思っていたよサンザシくん!!!  これは東洋に伝わる伝統の梅酒の製法で作ったアプリコット酒なのだ!!!!!」 「…………」 カイネは無言で瓶を傾けた。 「東洋の梅酒とは、すなわち各家庭に伝わる秘伝の製法で作られる、門外不出の秘酒!!」 「……たしかに……それは頭領しか、のむことをゆるされない……」 息も絶え絶えのサンザシが説明する。 「東の国の歴史ある家でしか作られないそれは、通常、我々には手に入れることができない……。どんな金を積んでも、だ。  しかも!!!」 探偵はカイネを指差す。 見ているこっちがハラハラするから、敵を指差さないでほしい。 「これは、海に暮らす貴女のような方の手に渡ることで、さらに価値を増すのだ!」 「……はぁ?」 「カイネ殿、貴女は海の底に住んでいるんですよね!?」 「…………そんなところだ」 「それこそがこの酒の価値を高めて完成させる最高の一手!!!!!!」 探偵はカイネが持つ酒を指す。 「このアプリコット酒、できあがるには最低半年はかかるのですが、」 「あ゛ぁ!? 半年!?」 「そう、先ほど召しあがっていただいた即席サングリアのように、すぐにはできないのです。  しかし、だからこそ価値がある。  カイネ殿、貴女は沈没船の葡萄酒の話をご存知ですか?」 カイネは冷たい目を向けて答えない。 「十年以上前、とある積荷を満載した船が嵐で沈みました。それからしばらくして、物好きなマーマンが沈没船から積荷の葡萄酒を引き上げたのです。彼らはそれを地上で味わい……驚きました。その葡萄酒は、他に類を見ない絶品だったからです」 探偵は大仰な身振りで語りながら、甲板を歩き回る。 「偶然、同じ年に作られた葡萄酒が残っていました。しかし、味は沈没船から引き揚げたものの方がずっと上……すなわち!  酒を熟成させるなら海底に限る!!!!!」 探偵は熱意をこめて拳を握る。 「王都の知識人は、海の底という温度の変化が少ない環境が酒の熟成に適しているのだと仮説を立てています。  門外不出の秘酒! そして海の底という酒の熟成に最適な環境!!  この二つを手に入れられるのは貴女しかいない!!!」 「……」 「これほど貴重な酒が他にあろうか!!!  いやなぁいっっっ!!!!!!!!!!」 探偵はふたたび酒を指差した。 「ちなみに栓の上から封蝋してあるから、海の底でも安心して保管できるはずです!」 探偵の独演会が終わった。 船の上はしばしの静寂に包まれる。 カイネと探偵を取り囲む船上の一同は、固唾をのんで成り行きを見守っていた。 「……テメェで漬けた酒を、貴重な酒だと言いはる態度は面白いが……。  ……できあがるまでに半年ってのは、気にくわねえな」 カイネがぎろりと探偵を睨む。 「……だが……まぁ、麻雀の嬢ちゃんにも楽しませてもらったしな。  いただいていくとするか」 カイネは甲板に落ちていた黒錨を拾いあげ、船の手すりを飛び越えると海に戻った。 ザブン、という水音。 一瞬の静けさ。 船長ピタが叫んだ。 「皆の者、出航準備! 海域を移動する!!」 「「「了解!!」」」 今まで凍りついていた船員たちがにわかに動きだし、出航準備のために船を駆けまわりはじめる。 ピタが探偵に歩み寄った。 「探偵さん。本当に……本当に、ありがとうございます」 「いま船が沈んでいないということは、どうやら僕たちは助かったようだね!」 長い演説を終えた探偵は、少し汗ばんだ顔で微笑んだ。 「本当に……なんとお礼をすればいいか……」 「そんな、お礼なんて!  船代を無料にしてくれるくらいで十分だよ?」 「もちろん、船代はいただきません! それだけでなく謝礼も……」 「いやぁすまないねぇ!  謝礼はいくらでもいただこう!!」 「探偵さんには危険を顧みずに矢面に立っていただいたのですから、当然です!」 「危険? いや、スプドラート氏と助手くんがいるから、僕に危険はなかったさ。  一番心配だったのは、梅酒を作っている間に、奴が暴れださないか、だったけど。  仮にスプドラート氏とアイツが戦闘になって甲板に死人が出ても、僕は船長さんを船内に連れて行っていたからね。  船長さんがいれば、残りの船員で船を動かすことはできるから、どんなに人が死んでも大丈夫だってわかってたよ!」 「えっ……」 自分のことしか考えていない探偵だった。 「それに、僕はアイツの前では徹頭徹尾、名乗ってないからね。  今後何かあっても、僕が恨みを買うことはないから安心さ!  ま、話の流れでこの船の名前は出しちゃったけど仕方ないよね!」 「……先生。シャロ=ポームズ先生」 「なんだい助手くん?」 「ちょっと黙りましょうか」 なんでこいつはせっかく脅威が去ったのに船長にダメージ与えてるんだ。 あわれな船長ピタは、氷雪魔法をかけられたかのように固まっていた。 俺は探偵の襟首をつかんで甲板をひっぱっていった。 「一体なんなんだい助手くん?  あっ、そうだ、スプドラート氏にも話を聞かないと!」 スプドラートは毛布にくるまれたサンザシの傍らに座って、サンザシに小瓶の治療薬を飲ませていた。 「……巻きこんでしまって、すまなかった」 「……かまわぬ。あのばけものをよびよせたのは、われだから……。  ……せきにんをとるひつようはあった」 「……そうか」 「スプドラート殿! ぜひお話を伺いたい!」 近づいてきた探偵に、スプドラートは目を伏せる。 「……よく短時間であんな酒を用意できたな」 「いやぁ、積荷の蒸留酒とアプリコットと砂糖に、船倉にあった業務用ポーション瓶を組みあわせただけさ!」 「……どうして、おまえは梅酒のつくりかたをしっていたのだ?」 治療薬をちびちびなめていたサンザシが問う。 「冒険探偵にとって、古今東西のレシピに精通するなど造作もないことさ!」 料理は一切しないが、レシピの知識だけは豊富な冒険探偵だった。 「そんなことよりスプドラート殿!  貴方がお持ちのアイテムについて、ぜひお話を伺いたい」 「……あれは……もらったものだ。  詳しくは知らない」 「でも、パイパイ☆シスターズが出てくることは知っていたんだろう?」 「……それは聞いていた。時間つぶしに使えると思っただけだ。  もしあの女の順位がパイパイ☆シスターズより低くなれば、雪だるまで行動不能になるから、その間に斬れるとも思っていたが……増援がくる可能性もあるし、避けたかった。  ……なんとか思ったような順位にできてよかった」 「ふぅん。  じゃあ、パイパイ☆シスターズより上の順位になったら、どうなるんだい?  あの白い煙は……」 「……さぁな」 スプドラートはそれ以上は話さないというように立ちあがり、船室への階段を下っていった。 「うーん、新しい謎が生まれたなぁ。  パイパイ☆シスターズに勝ったらどうなるんだろう?」 船員の大きな声が響いた。抜錨。 船が動きはじめる。 「あぁ……さすがにちょっと疲れたな。  コーヒーが飲みたいなぁ、助手くん?」 「コーヒーは持ってきてないって、何度も言ってますよね……」 「そこは僕のパートナーなんだから、港を駆けずり回って用意しておくべきだろう?  まったく君と来たら……」 探偵はぽかぽかと俺の胸を叩いた。 船は進む。 きっと明日には、絶海の孤島に辿りついてしまうのだろう。それでも。 「コーヒーぃぃ~~~~~!!!  コーヒーが飲みたいぃぃぃ~!!!!!」 それでも、この冒険探偵なら、なんとかしてしまうのかもしれない。 探偵は甲板で駄々をこねてごろごろ転がっている。 俺は期待のような、諦めのような気持ちを胸に、探偵をなだめつづけた。