バーには不釣り合いな影がある、しかしそれを補って余るように堂々とした所作が違和感をかき消していた。美少年だ、やや影があり、見るものによってはその姿に魅了されるだろう、その隣には羽の生えた球体、悪魔を模したかのような存在が椅子に鎮座していた。  老齢のバーテンダーもこともなげに対応している、手の動きによどみはない。ロンググラスには綺麗にカットされた氷とコーラとぶどうジュースをステアしたもの、ノンアルコールのカクテル、モクテルが注がれ、飾りにはチェリーが乗る。深い黒にはアクセントのように紫が見えた。光にかざせば美しい。2つのグラスが少年と小さな悪魔の前に置かれる。  慣れた手つきで少年は手に取った、まず伝わるのは冷気、まだグラスの中で解けずにいる氷が全体を冷やしていることを示していた。それをゆっくりと口元に運ぶ。舌に乗る液体から、コーラの鮮烈な甘さとぶどうジュースの深いコクが混ざり、溶けた。飲み下せばあとはわずかばかりの静寂、かえって余韻を感じまた次が欲しいと思わせる、手が進む。  半分程度飲み干してコースターにグラスを置いた。満足げに一息、 「相変わらずいい腕だね、マスター」  その言葉はやや気取った、あるいは目に見える背丈から推察される年齢には見合わないほどの口ぶりだがどうに入っている。明らかに通い慣れた所作だ。 「おほめ下さりありがとうございます」  そう言いながらゆっくりと頭を下げる。それは目の前の相手を一人前の存在と認めたもの、間違っても子供か未成年と侮った雰囲気はない。真心、というべきか、静かな空間には平等だけが満ちている。心地が良かった。  再度口を付け、飲もうとして耳に重苦しい音が入る。扉が開いたと思えば入ってきたのはだらしない恰好の男だ、よれたタンクトップに短パン、そのうえ女ものの甘い香りをまといながら大股で歩き適当なスツールに腰を落とす。 「じょぉぉおぉん……迎え酒くれ……」 「おめーにやるのはミネラルウォーターだボケナス」  乱雑に投げ飛ばされたペットボトルが額にあたり、恨みがましい視線とともに地獄のようなうめき声。ジョン、このバー『novenbar』を仕切るやとわれバーテンダー、"ジョン・""ジャック""・サリヴァン"だが雇用主に敬意といったものは見せるそぶりはない。ペットボトルを投げる動作も手馴れているからこれがいつものやり取りなのだとよくわかる。 「おっま……俺、オーナーで雇い主って忘れてない!?」 「だったらそれらしく振舞えって……お客様の前でみっともない」  その言葉に視線が来る。 「ん?おー、灯くんじゃーん、元気ー?」  ヘラヘラとした笑みを浮かべながら男はモクテルをのむ宵月灯へ声をかける。どうも、と灯は返答。 「浩一郎さん、あんまりマスター困らせてると別の店に引き抜かれちゃいますよ?」 「ちぇ、痛いとこ突く……などというか!俺とジョンには固いきずながあるもんなっ!」  その言葉にジョンが応、と言いながら親指と人差し指で円形を作り、 「金っていうかたーい絆がな」 「ドライだよ……しまい忘れて放置したカチカチのチーズ並みにガチガチだよコイツ!」 「アフォかっ!当然だろうが!」  およよ、とわざとらしいウソ泣きをどうでもいいとばかりに一蹴する。そんな様子が面白く、笑みが浮かぶ。 「おい、笑われてんぞ」 「笑われることやってるからだろうよ、それよりさっさと水飲んでシャワー浴びて来いよ、香水臭いんだよ」  ジョンがシッシと追い払うような手振りで浩一郎を追い払おうとする、本当にどちらがここの主かわからない。ジョンは雇われバーテンダー、浩一郎はこのバーのオーナーでありそも店が収まるこのビルの権利者ですらある。そういった意味でもここには平等がある。だから、軽口。 「浩一郎さん、また女の人連れ込んだんですか?」  普通ならば生意気、と怒りだしそうな言葉、しかし浩一郎はその言葉にまたヘラと笑みを浮かべて、 「お、わかっちゃうぅ~?」  そんなことを言う。 「マスターも言ってましたけど、香水の匂いすごいですから。浩一郎さんの普段使いもっと落ち着いたウッディなやつじゃないですか」 「いやぁ、ちょっと激しくしすぎちゃってね?」  ミネラルウォーターを飲みながらそんなことを言う。言葉はぼかしているが、つまりは性的なこと、セックスの示唆にほかならない。直接的な言葉は使っていないが言いたいことはよく伝わる。もちろん灯に気を使っているなどではない、そもそもちゃんと配慮するなら灯の前で性的な話など一切行われるわけがない。  だが嬉しく思う灯も確かにいる、それはある種の信頼、客で会って子供ではない、下世話な、子供が聞いてはいけない話の外に置かれない自分がそういった話の中に混じってもよい対等な一個人として見られていることに他ならないからだ。 「まったく……刺されても知りませんからね?」 「おいおい……まだ刺されてないと思ってるのか?」  予想外に最低の声が来る。 「えぇ……」 「えっと、日本で2回ロシアで1回フィリピンで1回……後ブラジルで1回、覚えてるのはそれくらいかなー?」  すでに斜め下に堕ちている評価をさらに落とす言葉が来る。突っ込みどころが多すぎて言葉が追い付かない。 「…か、かける言葉も見当たりませんよ」 「なぁに、灯君もあと少しで分かるようになる……ふふ…今はファッション女好きのようだが、その態度を貫いてるといずれはホンモノになるというものよ」  悪い大人の顔をしながら浩一郎は言う。  灯は女好きだ、身近な人間の大半に添う認識されている。しかしそれが装ったものであることを知る人間はほとんどいない、きわめて距離の近い人間か、あるいは別の嗅覚でかぎ取るような人間か、浩一郎は後者にあたる。  何度目かの来訪の際の雑談でばれてしまっていた。 『いや、だって同類っぽいニオイがないんだよね』  あっけらかんとそんなことを言っていた記憶がある。 『ってか灯君本気で女の子が好きだっていうならもっとここに飲みに来る女性陣にアタックするだろ、歳の差とか感じさせないように立ち回って口説くだろうし?でもそんなこと全然しないっていうかー……あ、俺なんか普通にモーションかけてるよ、お友達じゃなくて男って常にみられるようには動いてるしー、ってかそういうの隠してないし?』  下半身のだらしなさがとどまることを知らない話を聞かされればげんなりし、そのエピソードが焼き付くのも仕方がないと言えた。 「くくく…いいかね、若くて美人だけというのは2流……俺ほどともなれば死にかけのばあさんともヤれる……いや、ヤった……!迎えがきてる最中だったらアレ犯罪になってたのかな……?」 「言わせてくださいね、知りません」  投げやりな答えをぶつける。ダメな大人と言うよりはダメな男といった有様に、話していると引きずり込まれるような気がしたからだ。  これでいて実力自体はあるのだからたちが悪くもある。コト仕事や戦いにおいては実力者に数えてもいい、デジモンの進化その際応にある究極体にまで至らせ、更にはその先にすら手を伸ばせる。 「ちぇー、俺だけアウェイじゃん」  浩一郎がすねるように口をとがらせる。どこか子供っぽい仕草にこの人は本当に大人なのだろうかと一瞬思いつつも、正しく大人として動く姿があることも思い出す。きっとどちらもその人間の姿そのものなのだ。 「ってかさあ、俺ばっかりじゃあれだし灯君はどうよ、最近」  あまりにも雑な切り出し、しかし雑談とはどんなものなのだろう、最近は、とオチもつかないような近況を、モクテルを流しつつ管をまく。だらだらと雑談、そのうちに浩一郎のパートナー、クンビラモンが顔を出せばピコデビモンが反応しさらに会話が弾み始め、それにつられたのかジョンのパートナー……?のオロチモンが表れて酒をせびり、静かな店には喧騒が、気づけば時間が過ぎ夜になり、酒飲みの客たちが入れ替わるように入ってくる、皆テイマーでありある程度事情を知る人々が、そこからは後は宴、煩くもしかし楽しいそんな時間の中に灯たちは埋没していった。 〇  ほろ酔いの気分で灯は夜道を歩く、空には星空だけがあった。 「気分、よさそうだな」 「んー……そう見えるかい?」  ピコデビモンの言葉に肯定でも否定でもないどこか浮ついた返答。アルコールは一滴だって摂取してないのに酩酊したかの答え。 「酔ってるの?」 「いーや?お酒なんてちょっとも飲んでないしさ」  あの場では大人として、対等の個人として扱われる、だとしても好んで法を破ることをしなければ、店の皆はそれを進めることもない。それはある種の線引き、倫理だ、大人が大人であるための。  何より自分が大人になりたいと大人の真似をするようなことは憚れた、それは大人にあこがれる子供の様相を出してしまう。そうなればきっと自分は、駄々をこねるガキとしてあの場にいられなくなる気がした。それは望むことじゃない。  ただ、まあ、 「嫌いじゃないよ、うん」  ああいった場は貴重だ、人は多くレッテルを貼る、きっと自分もまた時々やっている。大人子供、貧乏金持ち、地位、名声、色々な要素から個人の背景を見ようとする。  novenbarはそうではない、あるいは皆がそこではそうあろうとしているのか、せめて個人を見ようとする。だからあの場では灯という人間は『未熟な子供』でも『庇護される存在』でもない、ただの『宵月灯』だ。もちろんそう思うことが子供のそれなのかもしれない、対等とみられたいという感情は社会において一人前でありたいという思考はむしろ子供の方が強い。大人はそもそもよほどのことがなければ意識などしない。  いずれは灯も意識などしなくなるのだろう、だからそのいずれが来るまであの場で胸を張れる自分であれるようにありたいと少しだけ思える。  その心がどれだけ自分の心の『――』に蓋をし、あるいはおこがましい思いかと思いつつも。 「そっか…良い事だと思うぞ」  ピコデビモンが静かうなずいた。  その姿を見て内心を図ることはできない、それはそれでいい、自分と彼を同一視するなどということはない。 「さて、だったらまた行くためにしっかり稼がないとな」 「そうだね……そういえば明日は依頼が入ってたね」 「どうする子供と侮られるかもしれないぞ」  時折いる、年齢が足りないことを理由に舐め腐る依頼者が、もちろん舐めるならまだましだ、子供であることを理由に値切る、評価を下げて依頼料を引き下げようとする、罵倒する、そういった存在がいないわけではない。 「その時はその時さ、やることをやるだけだよ」  勿論そうだったとして変わることはない、ただ1人の人間としてやることをやるだけだ、子供だとか大人だとかは関係ない。請け負ったことを正しく遂行するのは人として正しい事だから、年齢など些細。  それに言われた、帰り際に。 『あ、帰るの?んじゃまた来なよ?』  こともなげにそう投げかけられた言葉、意識なんて微塵もしてない、だが、そこにいていいと言ってくれることがどれだけ意味を持つかはきっと受け取る側の意識なのだろう。  だから、また行きたい、あの『いつだって酒を飲むことを喜ぶ人々の中』に。 「さて、夜更かしをし過ぎたね、早いところかえって寝よう」  ピコデビモンにそう笑いかけ、 「そこのキミ!止まりなさい!」  引き留める声、え、と、思えばそこには巡回中の警官がいた、正しく任務遂行中の立派なお巡りさんである。 「えーっと」 「こんな時間に歩いて何をしてるんだ!親御さんは!」  実直で、時折聞く不良警官とかけ離れた善良な常識的警官が正しい倫理とともに『少年』宵月灯あるいは■■■■を補導しようと試みてくる。  ……うーん、前言撤回をしたいかもしれない、やっぱ大人はいいよ、大人は、うん。  ややげっそりとしながら、対応を試みる。 ―前・終―