それはこんな始まりだった。 何者かが魔王城に忍び込み、紛れ込ませた偽造書類へ五徹中のダースリッチが判を捺す。 そんな些細なきっかけで魔王軍の戦士兼教官役を務めるショウキを交戦中の国の一つであるレンハートへ送りこみ教鞭を振るわせることとなった。 誰が仕組んだか奇妙の人材交流のきっかけとなる出来事の始まり。 レンハート勇者学園、次代の勇者を育成するべく建てられたことが伺える名前の学び舎。 国王ユーリンの息のかかった講師や教官が比較的多い割合で雇われておりその中にはかつてユーリンと冒険したメンバーもいるという。 本日の授業を終えロッカールームで帰り支度をしているショウキの眼前に居る女講師もそのクチらしい。 金髪に褐色の肌、赤いジャージを突き破るように激しく主張する胸、勇者学園の非常勤講師サキその人だ。 練気術という魔王軍では聞きなじみのない呼吸法を教える彼女は聞けば一児の母らしく、 ショウキが勇者学園に派遣されてから何かと気にかけてくれる面倒見の良さからもそれが伺えた。 「どうだいショウキ先生。レンハートの空気には慣れたかい。」 体を動かす授業のあとなのかタオルを首筋や額に当てがいながらサキが問いかける。 「おかげさまでね。元が魔都なのか、人間も魔族も入り乱れてかなり面白い風土をしてるな。」 上着の右肩部分をはだけさせ、肘の先から紫色の灯りを発する腕に長手袋をかぶせようとしていると 「貸して」とサキが長手袋をショウキの腕にはめる手伝いをする。 手袋を着用すると無いはずのショウキの肘の先が腕の形に盛り上がり、指の先までくっきり形作る。 「にしても不思議なもんだねぇ。うちの国が交戦中の魔王軍相手に人材要求の書簡を送って、しかもそちらさんも乗り気とはね。」 「私も戸惑ったがいい機会だと思ったよ。人も魔族も入り乱れる城下…先々を考えれば私ら魔王軍の面々にも恩恵があるんじゃないかって。」 「ほぉ…、どういうことだい?」 「人族にしろ魔族にしろ、どっちが勝ったとして戦争が終わったあとの身の振り方を考える必要があるだろう? サキも知ってると思うが私の時は戦いの後…なんて考える時間も余裕もなかったからな。私はそれを持ち帰りたいんだよ。」 ただれた頬に光る眼孔、着替えの時に見えた胸や首を走る傷跡、戦いとは違う理由で付いたことが察せられる痛々しいショウキの傷跡に視線を落とすサキ。 彼女を見るサキの視線はそのままショウキを通り抜けどこかに居る誰かの身を案じるように遠い目をしていた。 「誰かが帰る場所を整えたいって気持ちはわかるよ。まったく…どこほっつき歩いてんだかあのバカ…。」 ジャージ越しの肩ひもを握りしめるサキがぼそりと呟いた。 窓から差し込む灯りが次第に赤みを帯び始める。 そういえば、とサキがショウキのカリキュラムについて尋ねる。 彼女の担当は魔力の操作方法と瘴気への対抗法、授業内容は事前にまとめてあるため長くとも1週間程度の滞在だという。 「瘴気への対処方法か…あらかじめ知ってればカンラークの連中も呪われずに…いや、これはたらればか。」 「瘴気にカンラーク…あぁ、サウザントケイルの件か。あれは魔王軍内でも詳細不明だったな。 謎のモンスターの出没にうちのアンデッドの失踪事件。捜索を頼まれてカンラークの跡地に行ったらなぜか先回りしていたボーリャック。 エビルソードが暴れた件とは別に一部のものは土地の地下が怪しいとか言ってたような……。」 「そのサウザントケイルってのどんなやつだい……?」 ショウキの呟きに慌てた反応を見せるサキの怪訝な目にはなにかしらの心当たりがあると物語っていた。 これはあくまで噂だけど、と前置きをしたうえで周囲を見回し警戒するサキ。 「……以前レンハートの王都で起こったとされる魔人騒ぎでね。カンラークの魔物って呼ばれてるえらいバケモンが出たって話なんだ。 かなり暴れてうちの勇者……ユーリンが騒ぎを鎮めたってファンの連中の一部が話してたんだけど誰もそんな騒ぎを見てなくて。 だけど壊れた建物といくつも刻まれた手の跡が街中にあったのは誰もが知ってる事実でね。」 「戦いの痕跡はあるのに記録は無い、妙な話だな。」 「ショウキ先生さ、魔王軍には手の跡残して暴れたりするやつってどのぐらい居るんだい? 今のお互いの状況的にかなりセンシティブな質問なのはわかってるけど、サウザントケイルってのは……。」 「魔王軍の名簿には居ないはずだ。私も実際見たわけじゃなくて報告でしか知らない。 サキ、今は教師仲間でなく魔王軍の立場から言わせて貰うが世界は広い。魔王軍以外の勢力や魔物もかなり多く存在している。 カンラークでエビルソードが暴れたうちの件とは別にカンラークはあそこ独自の秘密や隠し事があると私は思う。それが何かまではわかりかねるが……。」 そう、と深く息を吐き改めて呼吸を整えるサキ。気功のプロが呼吸を乱されるほど込み入った話だったことに改めて驚かされるショウキ。 「そもそもサキはなんでそんな話を知りたがるんだ?身内か誰かがもしやカンラークに?」 「あぁ、いや。私じゃないんだけどね。あいつが……国王のユーリンがね。 その手の跡があるところにあくる日ぼーっと突っ立って、苦虫をかみつぶしたような顔をしててね。あんな表情初めて見たもんだから気になってね……。」 気が付くとまだ明るかった窓の外はすっかり日も落ちて暗くなっていた。 更衣室を二人一緒に出ながら施錠を済ませ帰路に就く。 「カンラークか。地下にヤバいなにかが埋まってるだの色々噂は私らも聞くよ。マジで調査するとなると対立しながらは正直かなり難しいだろうね。」 紫色の火で足元を照らしながらショウキが呟き、灯りに灯されながらサキがその横を歩く。 「変な話したらなんか背筋がうすら寒くなってきちまったよ。ショウキ先生さぁ今日うちに泊まってってくれない?」 「はは、いいよ。ところで話しそびれてたけど実は正体不明の刺客の話はあたしらも持っててね。 魔王城の城壁に謎のサインを残すアズライールってやつなんだが……。」 アズライールの名を聞いた途端悪寒に震えていたサキは羞恥と怒りでとたんに発汗し始めた。 だがその理由はサキ以外誰も知ることは無い……はずである。