これは、もしかしたらありえたかもしれない物語。もしかしたら、忘れてしまった物語。 「もー、お兄ちゃん!早くしないと遅刻しちゃうよ!」 「ま、待ってくれ…すみれは今日も元気だなぁ」 お向かいさんから聞こえてくるのは、いつものやりとり。出会ってからずっと聞いてきた、2つの優しい声。 この声が聞こえてきたし、そろそろ私も学校に向かわないと。 「…おはよう、こーくん、すみれちゃん」 家の外に出て、いつものように幼馴染の2人に挨拶する。 「あ、雫ちゃん!おはよう!」 「ふわぁ〜…おはよう、雫」 すみれちゃんは元気いっぱいに、こーくんはまだ眠そうに、返してくれた。 「また、渚ちゃんと遊んでて遅くなった?」 渚ちゃんは、こーくんとすみれちゃんの家で飼われている猫ちゃん。 すごく賢い子で、そんなはずないけど、私達の言葉がわかってるんじゃないか、って思う時もある。 「う、それはその…」 あれ、なんかこーくんの反応が…? 「雫ちゃん、もっと言ってやって!ほら、早く!」 「わっ!ちょ、待ってくれすみれ!そんなに引っ張るなって」 こーくんをグイグイ引っ張っていくすみれちゃん。いつも通り、仲良し。 そういえば、最近渚ちゃんのこと見てないな。久しぶりに遊んであげたいかも。 …おっと。私も行かないと、だった。 「私も、一緒に行く」 「うん!行こ、雫ちゃん!お兄ちゃんは!ちゃんと!自分で!歩く!」 こーくんを頑張って引きずっていたけど、諦めたみたい。 放り投げるようにされて、慌ててちゃんと歩き出した。 「やれやれ…。あ、そういえば今日だっけ?前に話してたライブ」 「うん。今日は学校終わったら、そのままライブに行く…帰りはちょっと遅くなる、かも」 楽しみにしすぎて何度も話をしたから、覚えてくれてたみたい。 「…」 あれ、すみれちゃん? 「すみれちゃん、大丈夫?なんだか、怖い顔してる」 「…あ!ううん、何でもないの!遅くなるなら、気を付けてね。最近物騒みたいだから…」 「?うん、わかった」 微妙に歯切れが悪いような気がしたけど…気のせい? でも、心配してくれてるんだし、ちゃんと気を付けようかな。 帰ったら、ライブの内容をいっぱいお喋りしたいな…。 まずは、授業をちゃんと受けないと。 前を行く2人の背中を、小走りで追いかけた。 ----- 「はあ…今日のライブ、最高だった…!」 早く帰るつもりだったのに、終演後気付けばカフェに籠って2時間以上ネットの感想を漁ってしまった…。 本当に急いで帰らないと、怒られる…。 早足で駅からの帰り道を進んでいると、 「…えっ?」 通り道にある公園から、なんだかすごい光が…。 何か事件とか起こってる…?危ないかもしれないけど、ほっとくのもそれはそれで、心配…。 「…見に行って、みよう」 こっそり、こっそり…。 木の陰に隠れながら、光が見えた方へ進んでいく。 そこにいたのは…。 「はあ…はあ…なんとか倒せたね!」 「お疲れ様にゃ、ヴィオレット!」 「うん、渚ちゃんもお疲れ様!お兄ちゃんも、怪我は無い?」 なんか、凄くかわいい服を着てるすみれちゃん?と、猫耳の女の子…え、渚ちゃんって言ってた? あ、物陰から出てきたのは…こーくんだ。ということは、やっぱりあれはすみれちゃん、ってこと、だよね。 「俺のことより、結構強い相手だったけどすみれは大丈夫なのか?」 「うん、大丈夫。でも、ちょっと疲れたかも…」 「無理はしないでくれ。変身解いて、ちょっと休もう」 「うん、そうする」 光に包まれたすみれちゃん。その後には、いつもの恰好のすみれちゃんに戻っていた。 本当に変身してたんだ…。あれ、魔法少女、ってやつ、かな?アニメとかゲームで、よくある感じで、可愛かったな…。 「!そこ、誰かいるにゃ!」 あ、見つかった。渚ちゃん、猫だから感覚が鋭いのかな? 「えっと、こんばんわ…」 「「雫(ちゃん)!?」」 さすが兄妹、息ぴったり。 「なんでこんなところに…」 「ええと、その…ライブの後、ずっとネット見てたら遅くなって…」 「ああ…」 それだけで察してくれたらしい。まあ、前科がいっぱいあるからね…。 「もう、危ないって言ったのに…」 「ご、ごめん…。それより、さっきの恰好…」 「あ。やっぱり、見られてた…?」 「うん。ちょっとだけ、だけど」 困った顔をするすみれちゃん。 どうしたものか、としばらく考えていたようだけど。何が起こっているのか話してくれた。 異世界から魔力を求めてやってくる存在、サキュバス。それに対抗する魔法少女。『レア物』として狙われているこーくん。 そんなことになっていたなんて、全然知らなかった…。 「まあ、サキュバスが現れるのは大体夜中だからね」 「夜は大体アイドルの動画見たりゲームしてたから、すみれちゃん達が戦ってるなんて全然気が付かなかった…」 「戦いが終わって帰ってきた時、大体まだ部屋の電気付いてたもんな…」 「あんまり夜更かししたらダメだよ?って、私が言えたことじゃないけど」 なんでこの流れで私が逆に心配されてるんだろう…。 「それにしても、最近はあのルイって子も含めて強いサキュバスが増えてきたな」 「そうだね〜…今は何とかなってるけど、ちょっと真面目に修行してレベルアップしないといけないかも」 そこはゲーム的な感じなんだ…。 「修行って言ってもどうするんだ?」 「うーん、山田先輩に教えてもらうのが一番いいと思うんだけど、町を空けるわけにもいかないし…」 一気に魔法少女感が無くなった。 「それなら、私にいい考えがあるわよ」 「そ、その声は!」 何か魔法陣的なものが空中に現れて、その中からなんかすごい美人のお姉さんが出てきた。 あと、すごく、大きい。あ、それは関係なかった。 え、何?誰?なんか羽とか生えてるけど。 「大精霊ハルドンさん!?なんでこっちに?」 「いや〜、あっちの世界でもサキュバスたちの動向について問題視する声が大きくなってきたのよ。  この世界に現れること自体は完全には防げないけど、流石にこのまま放ってはおけなくなってきたのよね」 なんか軽いノリで話してるけど、それって物凄く大変なことなんじゃ…? 「というわけで、山田ちゃんには私から声かけるから、修行の方は問題ないわよ」 「でも、私がいなくなったらこの町を守る魔法少女が…」 「そうにゃ!私一人じゃさすがにキツいにゃ!」 魔法少女業界も、人材不足なんだ…社会問題? 「それなら大丈夫。ねえ、そこの貴女」 ハルドンさん?が急にこっちに話を振ってきた。え、私? 「えっと、何でしょうか…?」 「魔法少女、やってみる気は無い?」 「…へ?」 魔法少女?私が? 「ななな、何言ってるんですかハルドンさん!一般人の雫ちゃんを巻き込むなんて!」 「あれ、それを言ったらヴィオレットだって元々は一般人じゃない」 「それは、そうですけど…」 すみれちゃん、私を心配してくれてる。 「彼女、才能あると思うわよ。私のカンだけど」 「カンって、そんな適当で大丈夫にゃ?」 「大丈夫よ、問題ない!もちろん、初心者向けのサポートは手厚くするしね」 そんな保険の勧誘みたいな感じでいいの…? 「どうしよう、こーくん…」 本当に困った時、迷った時。私が最初に頼るのは、いつもこーくんだった。 聞かれたこーくんも困ってる。それはそうだよね…こんなこと、簡単には決められない。 「…すみれや渚が戦うのだって、本当は嫌だよ。傷ついたり、苦しんでいるところなんて、見たくない」 そうだよね。こーくんは優しいから。 「雫だって同じだ。大事な…幼馴染だから」 うん。ありがとう。 「代われるものなら代わってやりたい」 でも、それは無理だから。 「俺には何もできない」 そんなことないよ。 「…でも」 「もし雫がやる、って言うのなら」 「全力で守るよ。約束する」 声だけじゃない。全身怖くて震えてるのに。こーくんは、そう言ってくれた。 それだけで、十分。 「…わかった。私、やる。魔法少女」 「いいのか…?」 「うん。みんなのためになるし…すみれちゃんが帰ってくるまで、頑張ってみる」 こーくんがいてくれるなら、きっと大丈夫。 「ちょ、ちょっとストップ!いい雰囲気になってるところ悪いけど、本当に危ないんだよ!わかってる!?」 慌てた様子で、すみれちゃんが割って入ってきた。 「私、すみれちゃんがこの町をずっと護ってくれてたなんて、全然知らなかった。  だから、お手伝いさせて。私たち、幼馴染で、友達、でしょ」 「う…」 「決心は固いみたいだし、どっちにしても修行するならお願いするしかないんじゃにゃい?」 「渚ちゃんまで…。…ハルドンさん、本当に、大丈夫なんですよね?」 すみれちゃんが、ハルドンさんに問いかける。 一応、認めてくれた、ってこと…だよね。 「ええ。彼女にも、ちゃんと魔法少女としての資質はあるわ。  手、出して。あ、利き手じゃない方でね」 「えっと、はい」 私は右手をハルドンさんに差し出した。 ハルドンさんは私の手を取ると、何やら呪文を唱えて…あたり一面に光が走った。やがて光が収束して、薬指に綺麗な指輪が現れた。 エメラルドグリーンの宝石が、月の光に照らされて輝く。 「これ、は…?」 「あなたは正式な魔法少女じゃないから、変身するには特殊な媒体が必要になるの。それじゃ、試しに変身してみよっか」 「え、いきなり…?」 「ちゃんと使えるか確認しておかないと、いざという時に困るでしょ?」 それはそうだけど、ちょっとこの流れは想定してなかった。 「さ、やってみて。変身用の呪文は勝手に浮かんでくるわ」 ちょっと雑じゃない? 「わ、わかった。やってみる…」 変身する。そのイメージをしたら、確かに頭の中に言葉が…ううん、呪文が浮かんできた。 「兵藤雫、行きます!」 目を閉じて、深呼吸。意識が、自然に、集中していく。今なら、できる。 「バースト・アウト!」 全身を、何かが駆け巡っていくような、熱さ。 その熱さが、一瞬にして形になっていく。 魂から、弾けてくるような、情動。これが、魔法。 気が付くと、私は魔法少女の衣装に姿が変わっていた。 「弾ける光のひとしずく!魔法少女、ぷにもちどろっぷ!」 「…ぷにもち?」 勝手に口から出てきたその名前に、こーくんが反応した。 …自分でも、よくわからないけど、ちょっと恥ずかしい…かも。 「上手くいったみたいね」 「…すごい、本当に、変身した…」 恥ずかしさとは別に、これはこれで、ちょっと感動…衣装も、かわいい。 ちらっとこーくんの方を見ると、頷き返してくれた。 「その指輪には変身以外に、着けてるだけで魔法への耐性も上がるの。できるだけ身に着けておいてね。」 やっぱり、なんかゲームっぽくない? 「あとは…2人とも、ちょっとこっちに来て」 「私たち?」 「にゃ?」 ハルドンさんに呼ばれてすみれちゃんと渚ちゃんが近づいていくと、ハルドンさんは2人の手を取って、また呪文を唱えていく。 2人の体が光ったかと思うと、ハルドンさんの手には何かのカードが現れていた。 「はい、これも持っていって」 「このカードは?」 よく見ると、それぞれにすみれちゃんと渚ちゃんの絵が描かれてる。 「2人の魔力をコピーしたものよ。あなたに、力を与えてくれるわ」 「えー!ハルドンさん!そんな簡単にパワーアップできるなら、私にもそういうのください!」 …そうだよね。それができるなら、そもそも私、変身する必要ないかも。 すみれちゃんが言うことは、もっとも。 「う〜ん、これは魔法少女としての力の適正というか、方向性というか…。すみれちゃんとは相性が良くないのよ」 「そんなぁ〜…。はぁ、やっぱり修行するしかないのかぁ」 「しょうがないにゃ、すみれちゃん。この町は私たちにまかせて、強くなって戻ってきてほしいにゃ」 「はぁ〜い…」 しょんぼりするすみれちゃんをよそに、ハルドンさんはカードの使い方を教えてくれた。 「こんな感じね。ただ、強力な分消耗も激しいから、本当にいざという時だけ使うこと」 「ん、わかりました」 …できれば、そんな事態にはならないでほしいけど…。 「さて、それじゃ…そろそろ行きましょうか、ヴィオレット」 「…はい」 さっきまでとは違う、決意に満ちた瞳。 先輩魔法少女、頼もしい。 「お兄ちゃん、雫ちゃん、渚ちゃん。…行ってきます」 「ああ。気を付けてな」 「こっちのことは、任せて」 「私もがんばるにゃ!」 私たちの顔をしっかりと目に焼き付けてから、すみれちゃんはハルドンさんとあっちの世界へ旅立っていった。 「…いつまでもここにいても仕方ない。帰ろうか」 「うん…あっ」 「?どうした?雫」 「…戻り方、わかんない」 「…えっ」 私の服は、まだ魔法少女の衣装のままだ。 この時間だから誰かに会う可能性は低いけど…さすがにこのまま歩き回るのは、ちょっと。 「変身した時みたいにやればいいんじゃないかにゃ?」 「う〜ん、なんか違う気もするけど…やってみる」 それから10分くらい、あれやこれやと試してみて、やっと元の姿に戻れた。 よ、余計に疲れた…ライブの余韻も、どこかに行っちゃった。 …明日からは、戦いが始まる、のかな。 怖いけど、すみれちゃんと約束したし…こーくんと渚ちゃんがいるから、きっと、大丈夫…だよね。 続く。