「ご注文は?」 「ブレンドコーヒー、ホットで。…理音は?」 「私…カフェモカ。」 注文を取った店員が、マスター達のいる席を離れて行きました。 「………」 「…………」 2人の間に気まずい沈黙が流れています…。かといって私が出るわけにも… 「……コーヒー…飲めるんだね。」 「当たり前じゃん。私、もう大学生だし。」 「… そっか」 「………」 マスターがお兄様とこんな気まずい時間を過ごす事になったのか、それは今日の朝にまで話が遡ります…。 ───────── 「Zzz────」 ぐっすりと眠る、特に愛する人と共に眠れると言うのは、とても幸せなことです。 しかもこの所涼しくなってきて、余計によく眠れるようになってきています。 特にこうして朝日が当たると暖かくて……朝日? 「───────!大変ですりおん!もう8時です!遅刻ですよ!」 つい最近、マスターの長い夏休みは終わってしまいました。 「んー…だいじょぶだよむらさきちゃん…今日全休だし…今期は1限とってないから…もうちょっとねかせて…」 大学というのは不思議な施設です。マスターが好きなように時間割を作れるようになって、しかも休みも今までより長いのです。 こうして一緒にいられる時間が長くなるのは嬉しいですが、マスターが高校生だった時のことも、少し恋しいような気がします。 「ねぇもっとこっちきて…ん…」 マスターが私の背中に抱きついて顔を埋めると、程なくして寝息を立て始めました。 これでは動けませんね。私も二度寝することにしましょう。 ───────── それから一時間ほどが経ったでしょうか。 もう少し太陽が上がってきて、寝るにも少し明るすぎるぐらいになってきました。 「起きてくださいりおん。寝すぎると生活リズムを崩しますよ!」 そう話しても反応が薄いので、私はマスターの首のあたりを優しく咥え、布団から引き摺り出します。 マスターは寝起きが悪いです。これぐらいしないと起きてはくれません。 「ん〜………ふぁぁ…………サングルゥモン厳しいよ……………じゃあなんか食べよっか。」 ようやく目を覚ましたマスターと一緒に朝食を摂ってしばらくすると、彼女はブラシを持ってきました。 「そろそろ生え変わりでしょ?」 私たちデジモンはあくまでも電子生命体。普通の生き物とは違います。 とは言え、デジモンはネット上の情報から生まれた生物。情報元の習性や生理をある程度なぞってしまうのです。 だから換毛期もあるし、その時期はこうしてブラッシングしてもらう必要があるのです。 「ふぁうぅぅぅぁぁん……」 ブラシで毛をとかされると、気持ちいいようなくすぐったいようなで、自然とこんな声が出てしまいます。 「ふふん、サングルゥモン、変な声。」 マスターは笑ってそう言います。 「りおんだってイく時はこんな声の時も─────いたたた!痛いです!抜けちゃいけない毛まで抜けちゃいます!もっと!もっと優しく!」 ───────── …と、こんな風に平和に過ごせれば何よりなのですが、そういうわけに行かないことも多くあります。この日もそうでした。 「────!マスター、デジモンのニオイです!しかも近い!」 錆びついたような生臭いような、おそらくはこびりついた血が固まった匂い。 デジモンの匂いに混じって香るそれは、根源であるデジモンが凶暴なものであることを示していました。 「行きましょうマスター!今にでも誰かを襲い始めるかもしれない!」 「ちょっと待ってサングルゥモン…!メイクがまだ…!」 「大丈夫!りおんはそのままでも十分かわいいです!それより早く!気配が大きくなってます!」 「…もう!わかった!行くよサングルゥモン!」 なぜか少し赤くなっていたマスターはマスクをつけてノーメイクを誤魔化すと、私の背中に飛び乗ります。 私はベランダから隣のマンションの屋根に飛び移ると、匂いを追って走り出しました。 マスターを乗せて走る時は、だいたいこうして屋根を伝っていくことにしています。 普通に道を走っては車や人が邪魔になるし、見られると色々と厄介。 人間たちは下を向いて生きている者が多いから、こうやって上を駆けている私たちには気付かないのです。 「急ぎましょうマスター!」 「わかってる!進化するよ!」 「サングルゥモン超進化!ガルムモン!」 私は彼女を乗せたまま超進化し、スピードをさらに上げていきます。 「やばい…振り落とされないようにしないと…!」 気配を追いかけている内、ズシン、ズシン、という地響きを感じるようになりました。 「ねぇ、ガルムモンあれ!」 そこから程なくして、ビルの隙間から緑色の巨体が見えるようになりました。 「あれは…オーガモン!」 「大きい…ビルの4階と同じぐらいじゃない…」 巨大なオーガモンは何かを探しているかのように下を向きながら斧を振り回し、すでに何棟かのビルを叩き壊しているようです。 「早く止めないと…!」 私はマスターを降ろして一度サングルゥモンに戻り、飛びかかろうと体勢を整えました。 しかし、そうするよりも先に、オーガモンは地面に倒れたのです。 「何、どう言うこと!?」 よく見てみると、その体には何か細長い…ヘビのようなものが巻き付いていました。 「ハナセ…!」 「放せ?おもろいこと言うなぁ。アンタがうちらを追いかけてきたんと違う?」 2体の会話が漏れ聞こえてきます。 「マスター、もしやあれは…?」 「ええ、デジモンみたいね。」 マスターは解析用のアプリを起動し、スマホのカメラをそれらに向けていました。 「ラミアモン、って言うのね。あれ…おかしいな…?」 「どうしたんですか?」 「ラミアモンってこのデータだと毒を使った搦め手が必殺技らしいんだけど…あれ…どう見ても武闘派よね…」 確かに、オーガモンの腕に巻き付いて無理矢理にへし折ったり、執拗に傘で殴ったりと、かなり近接戦闘が得意に見えます。 「まぁ、そのくらいの個体差はあると思いますが…とにかく、止めに行ってきます!」 そのラミアモンの戦闘はかなり激しく、体をバネのように使った飛びかかりを何度も使うせいで、足場にされた建物はもちろん、ふらついたオーガモンが倒れたことによっても被害が広がっていました。 「サングルゥモン、究極進化!」 私は建物を飛び降りながらプルートモンへと進化し、未だ戦闘を続ける2体の元に割って入りました。 「なんや?うちの邪魔、するつもり?」 「そうではありません!こんな戦いをしていたら、周囲に被害が!」 「被害?あほなこと言いな。戦うたら周りが壊れるのんは当たり前やん?こまいこと気にしてると早死にするで。」 ラミアモンは飄々と答えます。 「────ッ!見ていてください!ヘルズゲート!」 私はオーガモンの顎下に拳を叩き込んで高く打ち上げると、ヘルズゲートを発動して丸ごと飲み込んだ。 「おもんないなぁ…そないにすぐケリをつけてもうたら悲鳴楽しめへんやん…」 ━━━━━━━━━ 「……ちょっと待って…人…⁉︎」 プルートモンがそうして戦っている頃、私は戦いを近くで見物して逃げようとしない人間が下にいるのを見つけていた。 「アイツもか…まったく…!」 そう言う人間は案外少なくない。野次馬ってやつだ。 戦闘に巻き込まれて死ぬかもしれないってのに、呑気なものね。 私は非常階段を使ってビルから降りると、その人間のところへ走った。 「もう一体出てきた…⁉︎ワミさん大丈夫かな…?」 こう言うところに野次馬しにくる人間にしては弱々しい声。…て言うか…なんか聞き覚えがあるような… 「ちょっとアンタ!見惚れてないでさっさと逃げた方が良いわよ!下手したら死ぬから!」 「うわぁっ⁉︎ごめんなさ────」 そう情けない声を上げたのは、ちょっとヨレたスーツを着たサラリーマン。あれ…やっぱり見覚えが──── 「理音!?」「お兄ちゃん!?」 「こんなとこで何してんの!?……デジモン嫌いなんじゃ…」 「いや…その…ワミさんが…」 「ワミ…?それって…」 ━━━━━━━━━ 「どうですラミアモン?これが私の戦いかたですよ。」 「おもんないなぁ…そないにすぐケリをつけてもうたら悲鳴楽しめへんやん…」 「悲鳴を楽しむって…あなたどう言う趣味を…」 「それに周りに被害出えへんでも、あないにハデなことやったら、周りにバレバレやん?」 どうやらこのラミアモン、私とは相当感覚の違うデジモンのようです… 「こんなに被害が…はぁ…」 私がマスターのその声を聞いて振り返ると、そこには見覚えのある人がもう一人いました。 「!…マスター、もしかしてその方は…お兄様ですか…?」 「やぁ…久しぶり…」 相変わらずデジモンを怖がっている…かと思いきや、意外と彼は平気そうな様子でした。 「おやまぁ、このデジモン、お兄さんの知り合いやったんや。」 「ねぇ、あなた、おにい……じゃない…兄貴のデジモンなの?」 まるで蛇が獲物を品定めするかのような瞳で自分を見るラミアモンに、マスターは臆せず話しかけました。 「そや、うちはお兄さんのデジモン。…あんたがお兄さんの言うとった妹…えらい可愛らしい子ぉやなぁ。」 「聞きたいことはいっぱいあるけど…このままここで話すわけにもいかないか…」 『やったら、近くに喫茶店があるみたいやし、そこにいきまひょ。』 マスターの話を聞いて、お兄様のスマホに潜り込んだラミアモンは、そこから話を続けました。 『そこのプルートモンが遠うからも見えるようにオーガモンを倒したせいで、警察やら何やらがすぐにでも来そうやさかいね。』 私を揶揄するような言い方…ちょっとむかつきますが…実際、これだけの被害の跡にいたら事情聴取を喰らうのは当然。私たちはラミアモンの言った喫茶店へと、逃げるように入ることになったのです。 ━━━━━━━━━ 「髪…染めたんだ。」 「何、ダメ?別にそれぐらいいいじゃん。」 「いやその…そうじゃなくて…似合ってると思うよ」 「………」 「…………」 久々すぎて、どう話したら良いのかよくわからない。 お兄ちゃんと会うのは、ずいぶん久しぶりのことだった。あっちが大学生の途中で家を出てからだから…たぶん6年ぶりぐらい。 私の中学の卒業式も、高校の入学式と卒業式も、大学の入学式も、直接顔を出すことはなくて、手紙と祝い金だけが私の元に届いた。 お母さんとお父さんは、お兄ちゃんは忙しいのだと言っていたけど、多分理由はそれ以外にもある。 …お兄ちゃんは私のことが…というか、私とサングルゥモンのことが嫌いなんだ。 サングルゥモンと会う前───と言ってもかなり小さい頃だから曖昧だけれど、その頃の私とお兄ちゃんは、仲が良かった。 それが変わったのは、私が小学校に上がってからの事。 小学生の時、私はデジタルワールドでサングルゥモンと出会って、一緒に家に帰ってきた。 お母さんもお父さんも仕事を休んで私のことを探していたみたいで、それはもう、手厚い歓迎を受けた。 サングルゥモンのことを伝えると、二人は少し困ったような顔をしていたけれど、彼女と話すうち、すぐに打ち解けた。だってサングルゥモン、良い子だもんね。 でも、お兄ちゃんはそうじゃなかった。 元々犬が…というか、人間以外の生き物全般が苦手だったから、当然サングルゥモンのことも受け入れ難かったのだと思う。 お兄ちゃんが遊んでくれなくなった寂しさもあったのかな、私とサングルゥモンはどんどん仲良くなった。 その様子を見ていたお兄ちゃんは、サングルゥモンだけじゃなく、私のことも、まるで意思疎通のできない怪物を見るかのような目で見ている時があった。 それだけに、お兄ちゃんがデジモンとパートナーになっているなんて、信じられない。 ───────── 「ぅあちっ…!舌やけどしたかも…」 「……あのさ。」 私はコーヒーに舌をやられているお兄ちゃんに向かって、口を開いた。 「なんで兄貴が、テイマーやってるの」 「えっと……テイマー…?」 「デジモンと一緒に戦う人のこと!……知らないの?」 「…初めて聞いた」 「ジェネラルとかハンターとかクリーナーとかも?」 「将軍と狩人と掃除屋…?」 お兄ちゃんはきょとんとしたような顔でそう言う。 まぁ…知らなくても不思議じゃないか。 「だから…なんでデジモンと一緒にいるかを聞いてんの!」 「あーっと…ちょっと説明しにくいって言うか……特に家族には…」 兄は口ごもったまま、またコーヒーを一口飲んだ。 『なら…うちが説明しまひょか?』 机に置いてあったお兄ちゃんのスマートフォンからそんな声がした。さっきのラミアモンの声だ。 …あのスマホ、この前発売したばっかりの17だ…しかも一番高いプロマ…。 「ちょっ…やめてくださいよワミさん妹にあれを言うのは…!」 『確かに、お子様にはちょい刺激強─────── そう言いかけて、スマホからの声が止まった。 …なんか変な感じがする。何かに…いや、誰かに見られ…品定めされているような気持ち悪い感覚。 多分、ラミアモンが私を見てる。 『いいや、この子やったら十分、話についてこれるやろな。』 「それってどういう─── 『お兄さんはうちのテイマーと違う、彼氏や。もう何回も寝てる。』 「は……⁉︎」 お兄ちゃんがラミアモンの彼氏…!? 寝てるって…そういう事だよね…? 理解が追いつかなかった。 別に人間とデジモンが付き合うことなんて驚かない。私だってそうだし、知り合いにもいる。 「なんで…」 でも…あのお兄ちゃんが…私とサングルゥモンに拒絶の目を向けていたお兄ちゃんが…? 「なんでお兄ちゃんがデジモンと付き合ってるの!!?」 困惑、混乱、そして怒り。グルグルとそれらが渦巻いて、よく分からなくなってくる。 「だったらなんで私とサングルゥモンの事受け入れてくれなかったの!!」 「…それは────── 私はまだ湯気の立っているカフェモカを一気に飲み干すと、何かを言いかけていたお兄ちゃんを置いて、走って店を出た。 ───────── 「あの…りおん」 「………何」 「久しぶりなのに…これで良かったのですか?」 本当はもっと、聞きたいことも話したいこともあった。 あのオーガモンに心当たりはあるのかとか、あれ以外にはどんなデジモンと戦った、とか。 この前アリーナで会った不気味な黒いアグニモンのことも、できれば聞きたかった。 …それに、今まで何をしていたのかも…気になる。 「そんなの…わかんないよ。」 舌が痛い。 ちょっとヤケドしちゃったかも。 ━━━━━━━━━ 「ち…ちょっとワミさん!なんで急にあんな事言ったんですか!いくら理音がずっと昔からデジモンと暮らしてるって言っても…いきなり付き合ってるとか寝てるとか…ああなるに決まってるじゃないですか!」 『おかしいなあ…あの子ならわかる思たんやけど』 「それって…どういう…?」 『あの子、たぶんパートナーと懇ろの関係や。…気付いてへんかった?』 「懇ろって………ええっ!?」