その人は、碧い瞳で僕を見た――触れられてもいないのに足元がぐるんと傾いたのは、 彼女の目の色が、左右非対称であったことにも原因しているのかもしれなかった。 右の白目は普通の色。だけど、左の白目は赤靄のかかっているように薄ら紅い。 それを見ているだけで、僕の視線はどちらに意識を向ければよいかを見失っていくようだった。 古い友人――師匠は腐れ縁だと吐き捨てたが――を訪ねてきたというその女性は、 師匠と、年齢的にもほとんど変わらない。つまり、僕よりはそれなりに上ということ。 二人の話している様子は、友人、だとか、腐れ縁、だとか言うものよりももっと生々しい、 喧嘩続きだった姉妹が――ふとした折に再会した風な感じさえ与えた。 お互いに遠慮のない言葉を投げかけ合い、鬱陶しがり合って、手を出すことも厭わない。 なのに、その奥深くには、決して相手を見捨てないという一本の糸が繋がっているのだ。 僕はそこに自分のいないことが――ひどく不愉快に思えてならなかった。 しかし不愉快を感じたのは、僕の方だけではないらしい。客人は僕から視線を切りもせず、 師匠に、一丁前に弟子を取るだけの甲斐性があったのかと煽り倒す。 よくもまぁ、人を馬鹿にするための語彙をあれほど溜め込んできたものだと呆れるほどに。 その言葉の中には、僕がそれまで一度たりとも聞いたことのなかった師匠の渾名―― 罪宝狩り、という言葉も初めて出た。僕が聞いたところで過去のことなのだろうけど。 師匠が片眉だけ上げながら適当にあしらうことを、むしろ彼女の側も喜んでいるようで、 なおさら、二人の間に――僕という異物の混ざっていることが気に食わなかったのだろう。 鼻先の触れそうな距離に、碧い瞳二つ。師匠とは対照的にきらきら光る金髪は、 その勢いに合わせてふわりと揺れて、また違った――甘い匂いで、僕の脳を揺らす。 彼女は、自分も魔術を教えると言って聞かなかった。師匠が何か一つ言うたびに、 その五倍の言葉であれこれと自分の優秀さと師匠の至らなさを言うものだから、 聞いているだけの僕も、いよいよ我慢がならなくなる――貴女がどれだけのものか知らないが、 僕だって――と、生意気な事を言った途端、二十倍の言葉がそれを押し潰すのだった。 結局、師匠に取ってもらっている時間と同じだけの時間を彼女に割いて、 僕は新たな師に教えを請うことになった――不承不承ながら。 彼女は僕からの呼び名を、また別のものにしようと言い出した。 同じでは気に入らない。自分の感性に合わない。かわいくない。ださい。つまらない。 “先生”とは、なんともありきたりの言葉を選ぶものだと思ったが、 しかし僕の舌の上に転がるその表現は、口にするたびに鉛のように重たく舌を圧す。 これから先、何回その名で彼女を呼ぶことになるのだろう――? それはそれとして。先生の教え方は、なるほど豪語するだけはあると認めざるを得なかった。 師匠のやり方は、多分に感覚的だったのだな、と違う教え方に触れて初めてわかる。 しっくりこなかったところ、理屈と実践との隙間の部分を、細かく区切られた言葉が埋める。 ――固め直された知識の上に、こんなことも知らないなんて、とか、何ならわかるの、とか、 時間の無駄遣いだけは得意なのね、と、きつい言葉が無数に降り注いではくるけれど。 一つのことを一つの方法で学ぶより、立体的に思考することが大切だったのだろうか? 中々成し遂げられなかった、秘薬の調合だとか使い魔の召喚だとかに成功したとき、 師匠は素直に驚き――どこか寂しそうな顔をした。それを見て、胸が、きりきりと痛む。 僕はあくまで、彼女だけを師としていたのにこれでいいのだろうか。 師匠も一人の女性であって、弱い部分も僕に隠さず見せてくれていたというのに。 自分のことだけに夢中になって――二人きりで少しずつ積み上げてきたものを、 一気に台無しにしてしまったことに、今更僕は気付いたのだった――先生の言葉が刺さる。 空っぽになっていた師匠の杯に、僕は自分から炭酸水を注いだ。 その次の日。先生は僕の首筋に顔を近づけ――息を吸い込んでから、細く吐く。 何の匂い――誰の匂い?答えをすっかり知っているものだけがする、あの問い方。 なぜあいつがこんな子供を手元に置くのかわかった――そんな口ぶりだった。 先生の指は、力も込められていないのに僕を軽々と突き倒す。 改めて見ると、大人の女の人というのは、僕よりもずっと大きく、威圧感がある。 そしてその相手が、僕を辱めようという明らかな意図をもっているとするならば―― 僕が最初に感じたのは、恐怖。自分が啄まれるだけの果実と知って。 先生は、妹に手を出した悪い子供にお仕置きでもするかのようににたりと笑う。 どうしてやろうか、と、彼女の中の嗜虐的な部分が首をもたげているのが見える。 それでも僕は――悲しいかな、自分が男の子、であることを隠し通せない。 先生の視線は、怒られながらも――無意味に元気になってしまっているそこへ。 男など所詮“そういう”ものに過ぎず、師に操を立てるなどできない獣――そんな事実を、 自ら立証してしまっている僕を、ことさらにいたぶろうとするかのごとく。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 掴まれる。師匠がそうしてくれたように優しく、ではない。乱暴に、でこそないが、 先生の掴み方は、汚いものでも摘んでいるかのような、あの持ち方に近かった。 そして握る力こそ加減してはあるものの、乱暴にごしごしと、掌の中で上下に擦られる。 決して気持ちよくはなかった。だが――一番大事なところを、他者に握られているという、 本来なら恐れおののくべき事態で、僕の身体は正直な反応を示してしまっていたのだ。 意思に反して、僕の最大限の大きさと、固さとが表れてくるに従って、 先生の手の動きはより一層、荒々しく――けれど、決定的な一線を越えさせてくれない、 実にもどかしい刺激の与え方。あと少し。足りない。もう少し。まだ届かない。早く―― 身体の内側からこみ上げるものが、うめき声になって僕の喉から情けなくとろとろ垂れる。 生意気な口を利く小僧っ子が、こんなに弱々しい姿を見せているのだ――さぞや気分よく、 先生は僕の間抜けな姿を笑っているに違いなかった。だが僕がそれを確認できないよう、 先生は、師匠に負けず劣らずの大きな胸を、僕の顔に被せて目隠しをしてくる。 先ほどまでは、彼女の手の動きから、与えられる刺激の波を僅かに予測もできた。 が、今では視覚を奪われて息もし辛い状態、鼻を動かせば甘ったるい匂いが脳を灼く。 そして身体は先生の身体と布地の間に挟まれて、どこにも逃げることなどできない。 もどかしさは、時間の感覚を引き延ばす――一秒が十秒に、何百分にも感じられるぐらい、 出そうで、出ない――出せない、出させてもらえないという苦しみは、 下半身から脳へと逆流していく。爪を剥がされるより耐え難いもののように感じられた。 それは不意に終わる。いや、あっさりと終わらせられた、が正しい。 先生は、手に少しだけ力を入れて、もどかしさの中にたゆたう僕の逃げ場を奪った。 あとは、その指の圧力に反抗するように、ぴゅく、ぴゅく、と情けなく熱がこぼれるだけ。 一方的に弄ばれておきながら、男としての何を示せたというわけでもなく――流されて、 馬鹿にする言葉をゆーっくりと、引き伸ばしながら耳元で繰り返されているうちに――また。 硬さを取り戻しては、玩具としてこねくり回され、また、抗い難くこぼれてしまう。 三度目が始まった時には、僕は指一本動かしていないのに金縛りのようになっていた。 それでも、先生は手を止めず――かといって強く動かしもせず――僕を虐める。 僕のよだれがべっとりと付いた先生の胸が、ゆっくりと上へと上がっていく―― 隙間から入り込む光と酸素で、僕の頭はもうちかちかとしてまともに何も考えられない。 けれど、耳だけは動く――先生の指が、ねっとりと、僕の出したものを練っている。 こんなに出して、気持ちよかった?あいつじゃない別の女に無理やりおっぱい押し付けられて、 それでも、気持ちよくなっちゃうような――我慢のきかない、情けない、馬鹿な男の子―― 先生の言葉が、僕のひび割れた心の隙間に染み入るように入ってくるのを止められない。 泣いたら負けだ、と思っても、恥ずかしさのせいで、僕の涙腺は決壊寸前だった。 最後に、勝ち誇るように彼女は言う。あんたは、あいつの弟子には相応しくないよ、と。 それだけは我慢がならなかった。いくら美人の――師匠以外の人に流されたとしても、 僕が彼女に対して抱いていた感情は、一緒に過ごしてきた一年余りは、 こうして侮蔑されて飲み込めるほど、軽いものではなかったはずなのだ。 僕はかあっと胸が熱くなるのに任せて、勢いよく身体を起こし、飛びかかる。 必然的に――僕は先生の上に、覆い被さるような格好になった。 もっとも、下半身は丸出しだ。体格も、向こうの方がずっと大きいのだから、 僕の犯行は、このまま良いようにされはしない、という意思表示にしかならず、 彼女は僕の下で、言葉も発さずにやにやと碧い瞳を細めるばかり。 何かしてやると息巻いた僕は、果たして彼女をどうしてやれるというのだろうか。 師匠の時は――相手が、自分の身体を委ねてくれていた。服まで、脱いでくれていた。 先生が、同じように、準備してくれるとは思えない。僕の行動を見ているだけだ。 悔しさにぽろぽろと涙をこぼしながら、僕は先生の胸を乱暴にぎゅっと掴んで揉んでみたが、 それでも痛がるどころか、僕の側に何一つ手札のないことを再確認した彼女は、 一層にやついて――僕の陰の中から、僕を見下す。やがて彼女は上体を起こすと、 自分の服――ぴっちりと、下半身の線をそのままなぞったような白い衣装の鼠径部を指で辿り、 その隙間、指の入るぐらいの切れ込みのあるところに、第一関節をすぽっ、と差し込む。 そしてもう一本指を足して摘んで――噛み合っていた金属同士をかたかた言わせる。ここだ、と。 その挑発に乗ったところで、このままでは僕は彼女に何一つ返せないような気がする。 どうしたの?との言葉を皮切りに、先生の口から何十もの弾丸の発されるより先に―― 僕は自分の唇で、彼女の言葉を封じた。両腕で、腰を掴んで、自分の意思で。 吐き出されるはずだった銃弾は、舌の上で溶けていく。僕は懸命に、 師匠と唇を交わした時のことを思い出して、相手の歯を、その奥の舌を、自分でねぶる。 不思議なことに、先生はその間、何をするでも、僕を突き放すでもなかった。 ただ、重なっている唇と唇、絡んでいる舌と舌だけが二人の間にはあって、 それ以上の何物でもないようだった――どれだけの時間が経っただろう。 僕の方から顔を離すと、明らかに、先生の顔も――赤くなっているのが見えた。 僕という獲物をいたぶることによってではない、別の種類の興奮が彼女の中に芽生えていた。 そして舌が――どこか名残惜しそうに、ほとんど無意識のうちに、突き出されていたのも。 また僕は先生の舌に自分の舌を絡め、彼女の指に指を絡めて、もっと濃厚に、口付ける。 僕の出したものが、二人の掌の間でべちゃべちゃとあちこちにくっついて、散る。 十本分の凹凸の隙間を埋めるように、青臭い接着剤が広がっていく。 やがて――今度は先生の方から顔を離すと、彼女は僕に、“そこ”を委ねるかのように、 先程の金具を指で降ろして、内側の、ぷっくりとした入り口を見せつけるのだった。 先生と同じぐらいの年、背格好も同じような女の人――なのに、まるきり何もかもが違う。 蠱惑的にてらつく肉色の中身の上に、恥ずかしそうな赤色をまとった隆起と、金色の一塊の毛。 そこに――僕は溺れていく。師匠の初めての人になったときと同じように、 先生の初めての人として、その内側へと身体を沈めていく。 痛がっていないだろうか、との心配が僕の顔に表れすぎていたのか、 先生はきっと内心とても不安だったに違いないのに、憎まれ口を叩くのをやめない。 客観的に見れば、彼女は年下の男にわざわざ処女をくれてやった女にしか過ぎなかった。 けれどあたかも、僕の方が泣いて懇願して――思い出作りでもさせてもらったかのように言う。 痛い、とは口が裂けても言うはずもなかったが、こうして喋るのをやめないこと自体、 現状を、黙って受け入れることのできない自分――その構図そのもの――についての、 彼女なりの納得の仕方であるように思えた――そして途端に、全てが繋がるのである。 先生に対して抱いていた半ばの反感は、そのまま愛らしさへと転ずるのだった。 ゆっくりと腰を動かし始める――そんなんじゃ夜が明けてしまう、と言われたところで、 激しくされて後悔するのは貴女自身ではないか。動かす方法もまた然り、 上下だけの、未開通の道をひとまずきちんと通すための最低限の動きであって、 僕が師匠と何度もそうしたような、する、ための立体的な動かし方、とはまるで違う。 そのことも知らない先生を、僕はなんだかひどく好きになってしまった。 減らず口は――無論本心からのものもあろうが――彼女自身を守る鱗のようなもの。 それが減り、生身の女性としての部分に触れている今、ようやく、僕らは同じ地平に立つ。 相手を一人の異性としてどう扱うか、という、一番原始的な関係性に還元されていく。 びゅるり、と先生の最奥に――といって、今到達できた箇所とそれは同義である――熱を、放つ。 先生は、その瞬間だけ――一際やかましく言葉を紡いだが、お腹の中に在る熱、 それを自覚すると、急に無言になって、自身の腹部の上に手を乗せ、何かを考えるのだった。 この行為、男と女が互いにくっつき合ってくっつけ合って行うことの意味―― 友人への対抗心から構った少年の精を、胎に受けた自分を客観視しようとするような顔―― そんなことは、させない。僕は不意打ちをするように彼女の唇をまた奪う。 結局、先生とも――師匠相手と同じように、身体を重ねることになった僕は、 回数の嵩むたびに、そのどちらもが違った重みを持ってくるのを感じていた。 方や恩義あり、半ば母のように姉のように感じていた、とても強い人。 方や孤独感や、不安感を、言葉の槍にて吐き出して自分を守る弱い人。 生意気な話ではあるのは承知の上で、僕はどちらにも甘えたかったし、どちらも守りたかった。 そんなことを彼女らに言えば、拳骨と嫌味が嫌と言うほど降り注いでくるに決まっていたが―― 僕が先生を大事な人だと思い始めたのと同様に、彼女もまた、 僕のことを、気まぐれに教えを授けただけのただの弟子とは思わないようだった。 相変わらず、彼女の言葉は時に辛辣で、人を人とも思わないようなことさえ言ってのける。 そこに腹を立てない――ということは、僕には無理だ。子供だということを差し引いても。 少なくとも、僕が彼女を先生と呼ぶだけの理由は、どうあったってそうそうなくならない。 ――必然的に僕は、彼女が僕のために割いている時間をどう考えているのか知りたくなった。 師匠よりよほど世渡り上手で外面のいい先生は、普通の仕事だって多いはずだ。 それをまだ、師匠への対抗心――か、僕への当てつけだけで後に回すなんて。 僕の頭を、彼女の右手――鴉のような黒い羽根の生えた、人ならざる手が掴む。 これは、先生がかつて、悪魔の遺したもの――罪宝を取り込んだ名残なのだ、と。 もう戻らないその手は、いつも、一人になると彼女を責め苛む。 師匠と先生とで仇を討ち、旅をするだけの理由を失った今においてさえ。 そこに僕の生中な言葉を挟むことは、二人の過去を汚すことであるように思われてならない。 だから――きっと先生は僕と初めて会ったとき、僕を許さなかったんだ。 かつての自分たちのように、大切な人に守られるその価値を知らない姿が憎くて。 僕は先生の孤独に――どれだけ向き合ってあげられるのだろう。 泣き出してしまった僕を、鴉の羽根が拭う。まだまだ僕は、弱い、子供でしかない。 それをいいことに、二人の身体に包まれて――ぬくぬくとしているだなんて。 でも、先生の腕の中は温かい。師匠と同じように、傷跡の残った肌を撫でると、 くすぐったがって――恥ずかしがって、すごく、かわいらしくてたまらない。 だからつい僕は、いつかの誓いを未来に先延ばしにしながら、先生の身体に溺れていく。 彼女たちが僕に身を開いてくれているという、無制限の愛情につい、甘えてしまう。 そして時には、最近少しずつ付いてきた僕自身の体力と精力に飽かせて、 僕以外の何者をも知らなかった先生の無垢な身体を、無理やりに深く掘っていくのだった。 肌を重ねてわかったのは、先生は――一度攻め始めると止めようがないが、 反面、僕の方から何かされる、というのに弱いらしい。特に口付けをしようものなら、 彼女自身は否定して憚らないが――目が、とろん、と力の抜けたようになって、かわいい。 もう終わりだ、と言ってからも僕が止めないと――最初は怒った口ぶりをしつつも、 最後は半分諦めたように、好きにさせてくれる。このあたり、きっちり止める師匠とは真逆だ。 ――そして体力が尽きて、仰向けで大きなお尻だけ僕に向けて枕を抱えながら、ぽつりと言った。 アステーリャも、どうしてこんな子供拾ったのかしら――言い辞めて、僕の方を向く。 口にしてはいけない言葉を、ついこぼしてしまったかのごとく、 普段の先生からは想像もできない、焦った表情になって。