タイトル:『映(ば)え』  「映え」のために、自分の内申点を犠牲にするという事は、インスタが始まってすぐその直後に起こった。  旧約聖書のアブラハムだっけ? 神様のために自分の息子を殺そうとした人。あれマジでエグいけど、今の私に言わせれば「推しのライブのためにバイト代全ツッパして、来月のスマホ代払えなくなる」のとメンタル的にはほぼ同じだ。  神が「お前の愛する一番のアカウントを消せ」と言ったら、震える手で削除ボタンを押す。それが「信仰」であり、現代における「推し活」であり、私の生き様だ。  洋の東西を問わず、「義」の世界はマジでぴえん(悲哀)である。  私はテスト期間になると、いつも「佐倉宗吾郎」の動画を思い出す。義のために子供と別れて処刑されるやつ。  今の私もそうだ。明日が期末テストの数学II・Bだというのに、私は教科書を机に置き去りにして、スマホ片手に家を出る。  リビングでは、妹が真面目に英単語を覚えている。「お姉ちゃん、どこ行くの? ママ怒るよ?」と目で訴えてくる。  私は前髪を整え、無言で家を出る。妹よ、泣くな。姉は遊びに行くんじゃない。「付き合い」という名の修羅場(地獄)へ向かうのだ。  私さえいなければ、クラスの平均点は上がるだろう。  私は今年で高2になるが、これまで親からもらったお小遣いの全てを、スタバの新作と、すぐゴミになるガチャガチャと、似合わないリップにつぎ込んできたと言っても過言ではない。  しかもその遊びは、私にとって楽しいものではない。 「ダルい」「金欠」「帰りたい」と思いながら、微妙な関係の友達とプリクラを撮り、変顔をし、インスタのストーリーに「うちら最強」とアップする。心の中は虚無だ。  親が汗水垂らして稼いだ金を、秒でタピオカに変えて、飲みきれずに捨てる。  親不孝? 知ってる。私は生まれた時から「金食い虫」という不治の病にかかっているのだ。死ななきゃ治らない。いっそ留年して親を絶望させてやろうか。ああ、私はなんて極悪人なんだ。死ね!  午後4時。私は「図書館に行く」と嘘をついて家を出た。  外では近所の小学生が遊んでいる。その中に、塾へ向かう弟がいた。弟は私を見て、少し軽蔑した目で見る。私も弟を見下ろす。無言の戦い。  私はポケットからAirPodsを取り出し、耳にねじ込む。参考書も買わず、またしても無意味な消費活動へ向かって歩き出す。これが私の子別れ、いや「弟別れ」の場だ。姉はどこかで、義のために遊んでいる。赤点覚悟で遊んでいる。  そんな時、スマホが震えた。 「今日暇? 駅前のマックいない?」  送り主は、隣のクラスの「マエダ」だ。  別に仲良くもない。先週、たまたまトイレで一緒になって「今度遊ぼうよ〜」と社交辞令を言っただけの女だ。自称インフルエンサー気取りだが、フォロワーは大して多くない。  普通のJKなら断って勉強するだろう。でも私は違う。「義」に生きる女だ。 「行くわー(笑)」と返信した。  マエダは駅前のマックで、Sサイズのポテト一本で粘っていた。  インスタの加工フィルター越しに見ればマシだが、肉眼で見るとファンデーションが浮いている。性格もキツイし、話もつまらない。私の最も苦手な人種だ。 「お疲れー。テスト勉強してんの?」と私が聞く。 「してないよー。てか、勉強とか意味なくね? 人生経験っしょ」  出た。中身のない意識高い系発言。  私はイライラしながらコーラを飲む。 「遊ぼうって言ったじゃん。何すんの? カラオケ?」 「えー、喉の調子悪いしー」 「じゃあプリ撮る?」 「今日メイク盛れてないから無理」  は? こいつ何しに来たの?  私は帰りたくなった。教科書の二次関数が恋しい。サインコサインタンジェント、愛してる。  でも帰れない。それが「義」だ。私はこのつまらない時間を、地獄の業火に焼かれるつもりで耐え抜くのだ。 「あ、場所変えようよ。あそこの新しいカフェ行かない?」  マエダが立ち上がった。私は死んだ魚のような目でついていく。  その時だった。  カフェへ向かう途中、ガラス張りの自習室の前を通った。  いた。  私の親友たちが、必死の形相でノートを広げていた。さらにその奥には、私の妹もいた。風邪気味なのに、マスクをして頑張って勉強している。  妹がふと顔を上げ、ガラス越しに私を見た気がした。  私はとっさに、マエダの影に隠れた。 「え、なに? 知り合い?」マエダが聞く。 「いや、全然。知らん人」  私は前髪で顔を隠し、早歩きでその場を去った。心臓がバクバクする。妹よ、すまない。姉は今、どうでもいい女と、どうでもいいカフェラテを飲みに行くところだ。 「ねえ、聞いてる? あのカフェ、映えるらしいよ」 「うん……マジ楽しみ……」  結局、その日はマエダの自撮りのアングル調整に一時間付き合わされ、カフェ代も割り勘負けし、終電ギリギリで帰った。  家に帰ると、妹はすでに寝ていた。机の上には、私のために妹がまとめてくれた「テスト範囲のメモ」が置いてあった。  義。  義とは何か?  その解明はできないけれど、アブラハムが息子を殺そうとしたように、私が留年覚悟でつまらない遊びに興じるのも、また一つの「逃れられない哀しいJKのサガ」なのかもしれない。  とりあえず、明日のテストは詰んだ。 (終)