「どう、ギリードゥモン?」 「……ダメね、常にデジコアを翼でカバーしてる。一発じゃ仕留めきれない。」 「どういうこと?偶然かしら?それとも……」 4組のテイマーとデジモンたちが話をしている、その様子を双眼鏡とスコープで覗き見ている二人。 『ひと屋』の幹部、イム・ファヨンとギリードゥモンである。 「他のデジモンもあのデカいのが邪魔で狙えない。まさか本当に気づいているの?」ギリードゥモンが困惑を漏らす。 「まさか、こっちは1kmも離れた丘の上よ?見えるわけ…………!?!」ファヨンが息を呑んだ。 狙おうとしていたパロットモンの傍らに立つ、小豆色のジャージを来たメカクレの女性。 彼女はまっすぐと彼女の方に人差し指を伸ばし、バンと撃つ仕草をしたのだ。 「嘘でしょ、あいつこっちが見えてる!」 「無理よファヨン、あれは多分私たちの敵う相手じゃないわ。一旦引きましょう。」 ギリードゥモンの提案を、ファヨンは飲むしかなかった。 樹上から下りてきたファヨンとギリードゥモンを、一人の青年と2体のデジモンが出迎えた。 「どうでした、センパイ?」二人の表情から察していながら、青年はそう訊いた。 「ダメだったわ、新入り。」不愉快そうなのを隠そうともせずにファヨンが答えた。 「こんな遠くからじゃなくてガーッって襲えばいいんじゃねえのか?どうせ完全体は一匹だけだろ?」 2体のデジモンのうち、シンテンモンが言った。首のない肩の上で手に持つ斧をトントンさせている。 「これだからテイマーのいないデジモンは……いいかい、テイマーがいるとデジモンは成長期でもあっという間に究極体になったりするんだ。油断は禁物だよ。」 もう1体、デジタマモンがそう言い返したが、光る目しか見えないので表情は読みづらい。 「あー、そうだったそうだった……ックショウ、俺も早くテイマーが欲しいぜ。」 そう言いながらシンテンモンがデジタマモンと青年を胸の目で睨む。視線に羨ましさと妬ましさが滲み出ている。 「やり方はセンパイに任せますよ。私は『獲物』に無用な傷をつけたくないです。」 青年の言葉にファヨンは不快げに鼻を鳴らす。 「そういう言い方はやめてちょうだい。『商品』ならともかく、あなたが『獲物』って言うと物騒なのよ、悟。」 悟と呼ばれた青年は軽く苦笑いをしてみせる。 「これは手厳しい。しかし、ちょっと見た限りでは、なかなかに上物のように見えたので。」 しかし全く悪びれずに言葉を続ける。 「あの大人の方は毒が入ってそうな感じがするけど……あのメガネの子はなかなか美味しそうだ。」 「どのメガネよ。全員メガネだったじゃない?」悟の言葉にギリードゥモンが毒づく。 「全員さ。茶髪の女の子は脂がのってそうだし、黒髪の女の子は柔らかそうだ。男の子は赤身が食べごたえがありそうだ。」 嬉しそうな悟とは対象的に、ファヨンとギリードゥモンは不快そうに顔を顰めた。 「……あなたの食生活に口出すつもりは無いけど、私たちを巻き込まないで欲しいわ。」 この青年、神馳悟はカニバリズム、つまり食人者である。ファヨンはその事を知っていた。 いや、医療業界を追い出されて食い詰めた彼がダークエリアにあるひと屋を訪ねた時に居合わせていたのが彼女である。 その時に彼が言った『廃棄予定の人間とか余ってませんか?食べれれば質は問いませんので。』という言葉は不本意なことに忘れられなかった。 「それにしてもお前、人間なのにあんな遠くが見えてんのか?」シンテンモンが素朴な疑問を口にする。 「ああ、私の視神経は半分デジモンになってまして……こんな小さな単眼鏡でもあの距離なら見えます。」 手のひらサイズの単眼鏡を弄びながら悟は説明する。 その事実も、それが人やデジモンを食べたからだという経緯もファヨンは知らされていた。 知らされた上で、このいけ好かない青年の教育係を任されたことに、ファヨンは複雑な感情を抱いていた。 さらにもう一人の新人のシンテンモンの教育係も任されたこと、そして――ここまでの会話がすべて韓国語で行われていたことも、彼女の気持ちをより一層複雑にしていた。 数少ない、彼女の母国語で会話できる相手の一人が、この人の姿をした化け物であるのだ。 「それでどうされるので、ファヨン先輩?」この言い種が癪に障る、しかし新人教育に自分の他に適任がいないことも理解していた。 「見てなさい新入り、私たちの頭脳プレーってやつをね。」そう言うとファヨンはシンテンモンを手招きした。 「ついてきなさい。」 「いろいろ情報とアドバイスありがとうございました。」黒髪メガネの少女、財前日影が深々とお辞儀をする。 「いいえ、それほどでも。では私は学校の授業がありますので。」ジャージ姿の女性に残りのテイマーとデジモンたちも頭を下げた。 女性はパロットモンの背中にさっと飛び乗ると、そのまま上空へと飛び去っていった。 「それデこれカラどうすル?」茶髪の少女、チェ・セヨンが横の少年に話しかける。 「そうだな……」話しかけられた少年、弦巻昌宏は少し考え込む。 「おーい、君たちー!」そこに離れたところから呼びかける声がした。 見ると、20歳ぐらいの少し背が高くてスレンダーな女性が歩いてくるのが見えた。 その少し後ろから胴体が顔になっているデジモンがついて来ていた。女性のパートナーデジモンであろうか。 「君たち、この世界に飛ばされてきた子たちー?」手を振りながら女性が問いかける。 「ええと、はい、そんなところです。」昌宏が答える。 「そっかー!アタシはイム・ファヨン、韓国から飛ばされてきたんだ。」 「エッ?お姉サン、コリア?ワタシもなんだ!」嬉しそうな表情で、セヨンが嬉しそうな声を上げる。 「えっそうなの!?」ファヨンはちょっと驚いた様子でセヨンを見る。 『私はチェ・セヨンといいます。こっちはパートナーのルクスモン。』セヨンの韓国語にファヨンは少し嬉しそうな顔を見せる。 『はじめまして、ファヨンさん。そちらのデジモン……ええと、なんだっけ?ファヨンさんのパートナー』ルクスモンがシンテンモンを見て尋ねる。 『あっ、えっと……シンテンモン、そうシンテンモンは私のパートナーよ。』彼女が促すとシンテンモンは無言で軽くお辞儀した。 『彼ったら無口でね、あまり喋らないけど気にしないで。』 実際は余計なことを喋って正体や目的がバレないようにそう命じているのを、ファヨンはそう誤魔化した。 セヨンのスマートグラスのLEDが明滅し、ルクスモンがセヨンのカーディガンの裾を軽く引っ張った。 『……そう言えばファヨンさん、デジタルワールドに来て長いの?この辺のこと詳しい?』 『実はアタシもデジタルワールドに来てそんなに経ってなくて……この辺のこともあまり詳しくないの。』 『……そうなんだ?』セヨンの質問にファヨンは嘘をついた。 ベテランだと知れれば色々訊かれてバレるリスクが増えるかもしれない。 『だから近くの町まで一緒に行ってほしくて声をかけたの。』何よりこういう理由で同行するきっかけを作りたかった。 「マサヒロくン、ヒカゲさン、このお姉さんがワタシたちと一緒ニ行きたイんだっテ!」 「そうなの?」反応する昌宏の隣で、ソーラーモンリペアの目が何度か光る。 「俺は別にいいけど、日影さんもいいよね?」クロスローダーの表示を見ながら昌宏は日影に確認する。 「わ、私は……昌宏くんとセヨンさんがいいなら……。」 「じゃ決まリだネ!」そう言ってセヨンはファヨンの手を取って歩き出した。 「行こウ、ファヨンさン!一番近い町はコッチだヨ!」 韓国人二人が進む後ろを日本人二人がついていく隊列で、一行は道を進んだ。 その間、セヨンはファヨンの前に回り込み続けるような状態で話を続けた。 『ファヨンさんの家族ってどんな人達?』 『あ……そうね、両親と、兄と……ああ、でも今はノ、パートナーが家族よ。』 『ふうん、そうなんだ。私の両親はね、飛行機事故で死んじゃった。弟もその時に……。』 セヨンは暗い顔をする。涙の代わりかのように、メガネのLEDが明滅を繰り返す。 『あっ……ごめん。』 『いいよ、悲しんでばかりもいられないし、私にはやることがあるから。』 話している間にも道は上り坂に差し掛かり、一行は丘の稜線へと登っていく。 この先は開けた窪地になっていて身を隠すようなものの無い草原である。 ファヨンの通信機のイヤホンマイクは髪で隠されている。しかし発声するわけにもいかないので他からの通信を聞くだけである。 このまま隠れられない場所に誘導して、離れた場所からギリードゥモンがデジモンを狙撃。 1体仕留めたところで残りはシンテンモンで攻撃。 ギリードゥモンの援護射撃と、気づかれないよう離れて追っているデジタマモンたちの後詰があれば難なく殲滅できる。 そうしてテイマー3人を生け捕りにする。あの新入りには食べさせずに全員オークション送りにする。 それがファヨンの目論見だった。 坂を登り切ろうとする手前で、セヨンが話しかけた。 『それにしてもシンテンモンの盾、確か滂沱方干とかいう名前でしたっけ?あれ防御すごそうですね。』 (アレそんな名前だったの?知らなかったわ……)ファヨンはそう思いつつも、適当に話を合わせる。 『そうそう、ボウダホウカン、結構頼りになるのよ。』狙撃ポイントが間近く、そのことに集中力が割かれていた。 そのため、シンテンモンが慌てた顔をしたことに気づくのが遅れた。 喋らないように言われていたシンテンモンが、言葉を発するのを躊躇したのも致命的だった。 気がつけば、セヨンの左手にはデジヴァイスiCが握られていた。 「デジソウル、フルチャージ!」 「!!」 「ファヨン、『引っ掛け』られた!」シンテンモンが警告を発したが遅かった。 「ルクスモンワープ進化!シャイニングエンジェモン!」ルクスモンが、一気に完全体へと進化する。 「ギリードゥモン!見えてたら撃……」 『コアシュート!』ファヨンが指示を出すのと、ギリードゥモンが撃つのが同時だった。 「破ァッ!」シャイニングエンジェモンの光る拳が銃弾を叩き落とす。まるで撃たれることを予測していたようだ。 いや、このタイミングで進化したということは、既にファヨンの企みは見抜かれていたのだろう。 「ギリードゥモン、エンジェモンを撃ち続けて足止め!新入りは成長期の2体を殺せ!」 実戦経験豊富なファヨンは即座に切り換える。ソーラーモンっぽいのとキャンドモンを潰せば、数的優位に立てる。 少し待てばデジタマモンも合流し、そうなればエンジェモンはどうとでもなる。 「セット、Devotion!」セヨンは背負っていた布包みを構え持つと、その布を投げ捨てた。 中からは未来的なデザインのオモチャの銃のような物が出てきた。セヨンはそれにデジヴァイスiCを差し込む。 そのままデジヴァイスを左に捻り上げると、銃身らしきものが僅かに開いて伸びた。 「ギドレェパチラァ(祈りを捧げよ)。」猛烈な勢いで光弾が連射され、シンテンモンを叩く。 当初意に介さず無視していたその攻撃のダメージが予想を遥かに超えており、慌てて盾を構えて防御態勢をとった。 デジソウルガンの追加モード、軽機関銃形態であるディヴォーションモードである。 狙撃モード時と同程度の威力の弾を、最大で毎秒15発発射する。 全弾当てれば完全体デジモンをも屠りうるそれは、デジソウルの消耗も非常に激しい。 それ故に常にデジヴァイスを握ってデジソウルを供給し続ける必要があり、取り回しの悪さが欠点である。 シンテンモンの動きが止まった隙を突いて、セヨンはデジヴァイスを前側に倒しデジソウルガンを再変形させる。 銃身が閉じつつ更に伸び、スコープが展開して狙撃モードになる。そのまま即座に膝立ち姿勢で狙撃手のいる方に狙いを付ける。 「あっちだ、セヨン!」シャイニングエンジェモンの視覚情報がスマートグラスに転送され、スコープがギリードゥモンの姿を捉える。 即座に射撃、命中はしなかったが至近距離への着弾でギリードゥモンは慌てて身を屈めて隠す。 「今だヨ、マサヒロくン!」2体のデジモンが一時止まった隙を 「分かった!ソーラーモンリペア!」昌宏がセヨンの声に応じてクロスローダーを掲げる。 「おぉ!」 「シャイニングエンジェモン!」 「応ッ!」 「「「デジクロス!」」」ソーラーモンリペアとシャイニングエンジェモンが光となって融合する。 光は再び天使の形となって弾け、そこに新たなるデジモンが降臨した。 「ガルガリモン!」巨大な歯車を背負った天使が、自らの名を叫び上げる。 「くっ!斧乗炎怒!」シンテンモンの斧が炎を纏ってガルガリモンに斬りかかる。 それをガルガリモンは一歩踏み込みつつ左腕のバックラーで受け流す。同時に右腕のバックラーから炎の刃を生み出してシンテンモンの右腕を下から斬り上げる。 「バーニングスラッシュ!」 「ぐああっ!」シンテンモンの右腕が斧ごと失われ、咄嗟に盾を前に構えつつ後ずさる。 「ギリードゥモン、キャンドモンを撃て!」 「キャンドモン、下ガって射線切っテ!」 「ひっ!」ギリードゥモンの狙撃を既のところでしゃがんで避け、後ろに下がるキャンドモン。 その射線を見て新しい狙点を推測、数発撃ち込んで敵の狙撃を妨害する。 丘の稜線の手前を主戦場とすることで、ギリードゥモン側は戦場の一部しか撃つことができずにいる。 一見ファヨン側の方が不利に思えるが、彼女に焦りはない。後ろから来ているデジタマモン組との挟撃ができれば一気に形勢逆転するからだ。 そのファヨンの落ち着いている様子を、セヨンはちゃんと観察していた。 そしてシンテンモンのテイマーが伏兵にいて、他にデジモンの戦力がいるのかもしれないと推測した。 半分当たって半分外れているこの推測は、セヨンに持久ではなく速攻を決断させた。 「ヒカゲさン!デジクロス!」坂のやや下の方、昌宏と身を寄せて様子を見ていた日影がデジヴァイスを構える。 「「ダブルクロス!」」キャンドモンが火の玉となってガルガリモンの元へと飛んでいく。 火の玉は歯車の天使にぶつかると大きな炎となってそれを包み込み、それが火の粉となって発散した後には―― 「「「ウリエルエンジェモン!」」」炎の輪と歯車を背負い、全身を金色に光らせた天使の姿があった。 「盾射轟哀!」間をおかず、シンテンモンの盾から濁流が襲いかかる。それはウリエルエンジェモンを貫き、そして――ウリエルエンジェモンの姿が掻き消えた。 「なっ!?」 「幻影だ。」炎熱で蜃気楼現象を起こし、自身の幻影を生み出すバーニングミラージュ。これを駆使してウリエルエンジェモンは敵の攻撃を回避しつつ懐に潜り込んだ。 「ギリードゥモン!」 『無理!狙えるものがない!』通信機のむこうから、パートナーの憤慨した声がファヨンの耳朶を打つ。 成長期デジモン2体ともが完全体とデジクロスしてしまったため、一撃で倒せる相手がいなくなってしまった。 デジクロスしたデジモン1体を倒せばそれで敵は全滅だが、幻影を生み出し銃弾を叩き落とすような相手を狙撃だけで仕留められるとは思えない。 ただ一人、自分を狙撃してくる少女は攻撃できるが――あれは商品だ。殺してしまっては元も子もない。 「らっ……雷鬧!」シンテンモンは至近距離のウリエルエンジェモンに腹の口から衝撃波を放とうとする。 しかし、発する直前にウリエルエンジェモンの右手がシンテンモンの腹に突き刺さった。 「僕のこの手が真っ赤に燃えるゥ!」右手のバックラー、そして小翼が硬化したクローに炎が灯る。 「勝利を掴めと、轟き叫ぶゥ!ばぁぁくねつ!」炎が腹の口からシンテンモンの中に流れ込む。 「ゴォォォッド、フィストォォオオ!!」灼熱の指がシンテンモンのデジコアを掴む。 「バーストォ……エンドォオ!!!」デジコアが灼き潰され、シンテンモンが絶命する。 各部が燃えながら砕け散り、やがて火の粉となって天に登り完全に消滅する。 「ウリエルエンジェモン、スナイパーを!」セヨンの指示を受け、ウリエルエンジェモンが飛び出していく。 昌宏と日影はギリードゥモンの射線に入らないように、丘の稜線の手前から回り込むようにしてウリエルエンジェモンを追う。 丘の上の方に残ったのはファヨンと、銃を持ったセヨンのみ。 距離は15m程、セヨンは狙撃モードで数発をスナイパーの方に向け撃った後、ショットガンモードに変形させて銃口をファヨンに向けた。 『なんで……分かったの?』セヨンを見ながら、ファヨンが問う。 『ファヨンさんが名乗った時、ルクスモンが気付いたの。お姉さん、自分の親を殺した人だって。』 『……は?』 『ルクスモンはね、仕事の関係でデジモンやデジタルワールドが絡んでそうな事件は全部チェックしてるんだって。その中に、お姉さんの事件があったことを覚えてたの。』 選ばれし子供候補のスカウティングがルクスモンの任務であり、そのためにデジタルワールドやデジモンに関わりのありそうな人間、あるいは事件の情報収集を続けていた。 そのルクスモンが『両親を殺害した後行方不明になった女性、目撃場所の近くでデジタルゲートの痕跡』という事件の事を覚えていた。 『ただの同姓同名かもしれないから、会話の中で色々質問したりして……でも決め手はファヨンさんが嘘をついてたこと。』 『嘘?』どれのことか、なぜバレたのか、ファヨンの頭がフル回転する。 『ファヨンさん、デジタルワールドに来たの最近じゃないですよね?だって……最近までリアルワールドの韓国に居たなら、私のことに気づくだろうから。』 『……?』ファヨンにはセヨンの言っていることがまるで理解できなかった。 『財閥と関係のある新興企業の社長夫婦が乗るプライベートジェットが墜落、何者かの陰謀か?ってテレビでも騒がれたもの。』 『え?』 『一人残された悲劇のプロゲーマー小学生、も随分ネットで話題にされた。実名も出してたから、もう大変だった。』 『ちょっと、どういうこと?』ただ、ファヨンにはまるで縁のなかった世界の話であることまでは理解できた。 しかし、そういう話と目の前の少女がダイレクトに結びつき、それが自分を窮地に追い詰めているとは到底信じられない話だった。 『でも一番大きかったのは、情報提供があったことね。謎の狙撃手とか、誘拐組織とか。』 (……あのメカクレジャージ女か!)ファヨンは察して内心で歯噛みした。 『ファヨン、金ピカのエンジェモンが近づいてくる!撃っても防がれる!』ギリードゥモンの半ば悲鳴じみた通信が彼女の耳に届く。 彼女の視線が一瞬、 「!させナイ!!」セヨンは銃を右手で持ったまま、左手首を掲げる。 そこにあるのは、壊れかけて手製のバンドで手首に括り付けられたバイタルブレス。その画面が光を発し、空間に歪んだ境界が球状に発生する。 それは一定の大きさまで広がると霧が湧いて見えなくなり、視界が数十メートルにまで狭まった。 (これは……疑似デジタルワールド空間!?あのガキ、バイタルブレスまで持ってたのか!) ファヨンの細い目つきが更に細く鋭くなり、セヨンの丸顔どんぐり眼を睨みつける。 『あのスナイパーデジモンへの支援も進化もさせないよ。』再び両手で銃を構えてセヨンが言う。 『それはそっちだって同じだろう?あのエンジェモンとお前とのリンクだって切れるんじゃないのか?』 単なる強がりではない。ファヨンのD-3とギリードゥモンのリンクが遮断されていることは確認できている。 その状況で相手のデジヴァイスだけリンクを維持できているとは思えない。 デジクロスが解除されればエンジェモンは成長期のガードだけで手一杯になるはずだ。そうすれば勝機も見えてくる。 『切れても問題ないようにしてある、と言ったら?』自信に満ちたセヨンの言葉にファヨンは考えを巡らす。 『……そう言えばあの男の子のデジヴァイス!』彼が持っているのは、確か―― 『そうだよ、クロスローダー!』 遡ること一時間。 ジャージ姿の女性は3組の少年少女デジモンたちと話をしていた。 「クロスローダーは多数のデジモンを格納する機能や他のテイマーとデジモンを貸し借りする機能があります。」 そう言うと女性は昌宏に近づいてクロスローダーを操作する。女性と昌宏の距離の近さに、少女二人がヤキモキする。 「デジクロスの経験は?……なるほど、キャンドモンと。ではそちらのルクスモンを試してみるといいでしょう。」 セヨンのデジヴァイスiCに手を伸ばし、いくつか操作をする。 「……これは興味深い。このデジヴァイスはリモート機能が強化されています。おそらく、そのスマートグラスと連携させるためでしょう。」 クロスローダーを持つ昌宏の手と、デジヴァイスiCを持つセヨンの手を近づけさせて操作させる。 必然的に互いの顔が近づき、赤くなる昌宏とセヨン。 「……これでスマートグラスの操作でルクスモンをクロスローダーに移せるようになりました。その状態でもリンクは維持されますのでデータリンクも進化も可能です。」 実はこのデジヴァイスとスマートグラスの情報を前もって知っていたのだが、その事はおくびにも出さずに女性は続ける。 「そちらのバイタルブレスも一部機能が使えそうです。スマートグラスとのリンクを構築しておきましょう。」 その作業をしながら、世間話でもするように女性は重大な情報を話し出す。 「そうそう、最近この辺りでは人さらい……人間を誘拐する集団がいるそうです。お気をつけください。」 「「「!?」」」その言葉に三人ともが驚いた顔をする。 「人間を攫ってテイマーとしてデジモンに売りつけるそうです。狙撃タイプのデジモンをパートナーにしているという噂もあります。」 程なく作業を終えた女性は、本当は今しがた自分が直接『目視』した情報をさぞ噂で聞いたかのように話す。 「気さくに話しかけてくるような人間やデジモンがいたら警戒を。凶悪な者ほど、優しい隣人の顔をしているものです。」 そう言うと女性はあらぬ方へ手を伸ばし、指で撃つ仕草をする。 「いざとなったら躊躇ってはいけません。あなた自身や、大切な仲間が失われます。」 そうして警戒しているところにファヨンが近づいてきた訳である。 連れているデジモンが狙撃型ではなかったので、会話や質問を重ねて真偽を確かめようとしたのである。 もしかしたら狙撃デジモン、あるいはそういう方向に進化できるデジモンを連れていると警戒されるかもしれないとファヨンは思っていた。 だから接近戦能力の低いギリードゥモンと別れてシンテンモンをパートナーに見せかけていたのだが、結局無駄だったのだ。 プテラノモンやファングモンに襲われた経験から、ルクスモンとソーラーモンリペアに発声せず文章で意思疎通する通信機能も実装した。 セヨンがファヨンに積極的に話しかけて注意を自分に向けさせている間に、セヨン・ルクスモン・ソーラーモンリペアは文章で相談しあい、クロスローダーを通じて昌宏にも伝えていたのだ。 そして自分たちが朝方までいた町のほうに……つまり午前中に通過済みですでにセヨンが地形を把握しているルートへと誘導したのである。 そして現在、疑似デジタルワールド空間の外側。 「ウリエルエンジェモン、行けるか?」 『問題ない、このまま一気に詰める!』昌宏の問いかけに、ウリエルエンジェモンはクロスローダーを通じて答える。 現在、ウリエルエンジェモンはソーラーモンリペアをメインコンソールとして昌宏の指揮下にあった。 セヨンとのリンクが切れているのは分かっているが、すでにその事も織り込み済みだ。それでも…… 「……あいつ、大丈夫か?」昌宏は不安な気持ちを抑えきれない。 「人間が狙いだからすぐには殺さないって言ってたけど……」それは日影も同様であった。 必要とあれば容赦なく殺すし、前例もあったとあのジャージの女性は言っていた。 ならば一刻も早く狙撃デジモンを撃退し、セヨンを助けに行かなくちゃならない。 その思いで、少年と少女とデジモンの3人の心は一致していた。 一方その頃、先程まで3人がいた場所、つまり丘ではバイタルブレスによって疑似デジタルワールド空間が展開されている。 本来なら外部から視覚的に認識することはほぼ不可能……であるのだが、そこにはぼんやりしたと白い巨大な球体が発生していた。 バイタルブレスが破損している影響で、空間の形成維持が不完全なのだ。 「ああ、これはいけません。」丘を駆け上ってきた悟がそう言っているが、表情は平静そのものだ。 「どうするのさ、サトル?」デジタマモンは遠くを見る。遥か彼方に金色に光るエンジェモンの姿が見える。 その手前にはおそらく黒髪の少女と少年がいるし、先にはギリードゥモンが潜んでいる、はずだ。 離れて追跡していた悟は、完全にではないがおおよその状況は聞こえていた通信と遠くからの目視で把握していた。 「私が境界面の弱そうな所を探します。デジタマモンはそこを全力で攻撃してください。」 閉鎖空間の内部では、ファヨンとセヨンが少し距離を置いて対峙していた。 しかし状況は一方的だ。セヨンは銃口をファヨンに向け、引き金に指を添えている。 『ファヨンさん、ルクスモンが言ってたけど、自分の両親を殺したって本当ですか?』 『…!』 『あ、答えなくていいです。今の顔で察しましたし……どう答えても、ファヨンさんの事は好きになれないと思うから。』 『……このガキ!』毒づきながらも、ファヨンは銃口とセヨンの目から視線を外さない。 事実を察した故か、セヨンの顔からは一切の感情が消えて無表情になっているのに気がついた。 『私に危害を、私の家族や友達に危害を加えようとした時点で、許すとか見逃すなんて選択肢はないです。』 それ故に、この言葉が脅しやハッタリではなく本心であることをファヨンは感じ取っていた。 『こっちを舐めた相手は潰す、それがプロゲーマーの世界です。ああ、殺したりはしませんよ。』引き金に力がこもる。 『情報を引き出したら警察に……そう言えば、デジタルワールドの警察ってどうなってるんでしょうね?』 『……アンタに教える義理は無いわ。』怒りの滲むその声に、セヨンの態度は冷徹なままだ。 『それもそうですね。とりあえず、デジヴァイスを使えないように両手を、逃げられないように両脚は潰させてもらいます。』 銃口の狙いが、頭からD-3を持つ右手にスライドする。 「ナイトメアシンドローム!」閉鎖空間の外側では、デジタマモンが悟に指示された場所を攻撃していた。 殻の中から出てきた黒い姿が虚空にヒビを生じさせ、わずかに光が漏れ出す。 「後もう少しですデジタマモン、がんばってください。」悟の励ましを受け、デジタマモンの目が光る。 「これでどうだっ!」殻を閉じ、防御形態となったデジタマモンがヒビ割れに体当たりをする。 張りつめていたものが弾け飛ぶかのように、ヒビは瞬時に広がり、空間が裂けた。 その先には、ファヨンとターゲットの少女の姿があった。少女の手には銃らしきものがあり、ファヨンに向けられている。 「デジタマモン!」悟は呼び掛けたが、反応が無い。 見れば、体当たりの勢いが強すぎたのか地面に真っ逆さまにめり込んでしまっている。 間に合わないかもしれない。そう判断した悟は動き出した。 「少し遠いけど、いけるか?」ウリエルエンジェモンはすでにギリードゥモンの狙撃の最低射程の内側に来ていた。 「もう届く!ゴォォォッド、サァプライザァァアル!」構えた両手が放った巨大な火球が拳の形を取ってギリードゥモンへと飛んでいく。 「まずっ……!!」テイマーとのリンクを絶たれ、瞬間的な進化を封じられたギリードゥモンは已む無く狙撃銃「ベリョータ」で火球を受け止める。 かろうじて炎の拳を受け流したが、代償に唯一の得物が焼かれて瞬時に灰となった。 丸腰になったギリードゥモンに、拳を振りかぶった黄金の天使が迫る。 「僕のこの手が真っ赤に燃える!勝利を掴めと、轟き叫ぶ!ばぁくねぇつ!ゴッド……」 『痛くするけどごめんね。』セヨンが引き金を引いたその瞬間、二人の間に何者かが飛び込んできた。 「!?」気づいた時にはすでに弾は発射され、散弾モードのデジソウル光弾のすべてがそれに突き刺さった。 セヨンの目に映ったのは、右腕を吹き飛ばされた女性ではなく、胸と腹にいくつもの大穴を開けた青年だった。 胸から即座に大量の血が流れ出しており、心臓への直撃でもう助からないのは明白だった。 「エッ……ダレ?」突如現れた謎の人物、そしてそれを自分が殺してしまった事実にセヨンは頭が真っ白になる。 「……新入り!?なんで?!」助けられたほうのファヨンもまた、悟の行動が理解できず驚愕する。 しかし、撃たれた側である悟の方は落ち着き払っていた。 「デジタマモン、進化を。」口から血の泡を吐き出しながらも、まるで痛みなど感じていないかのように平然と。 視界の端で起き上がったデジタマモンを確認した悟がそう言うと、左手のD-3が輝いた。 「デジタマモン究極進化!」 丘の中腹に、セヨンは立っていた。手にはデジソウルガンを構えている。 「……アレ?」目の前には誰もいない。自分が何をしていたのか一瞬わからなくなる。 (確かファヨンさんを撃とうとして……いや撃った……どうだったっけ?) どうも記憶がはっきりとしない。混乱しそうになるのを必死に抑えて、周囲を目だけで見回し観察する。 あちこちに戦闘の痕跡がある。シンテンモンは完全に消滅している。 少し離れた場所には血溜まりがあった。その大きさ的にどう考えても無事では済まない出血、だったはずだ。 (一体何が……私がやったの?)思い出そうとするが、思い出せない。 ファヨンを撃ったような気がする。撃ってないような気もする。記憶が曖昧すぎてまるで頼りにならない。 ただひとつはっきりしていることは――得体の知れない後味の悪さが感じられるということだけ。 「あれ?」日影が気がつくと、少し遠くにいたギリードゥモンの姿が消えていた。 「なんで俺、クロスローダーを……違う、今戦ってて……あれ?」昌宏は混乱している。 「マサヒロ、何を……あっ」そのせいか、デジクロスが解除されてウリエルエンジェモンは3体に分離する。 「……一体何が?」シャイニングエンジェモンは退化し、ルクスモンが困惑した声を出す。 「わかんない……」キャンドモンもまた不安そうな表情を見せる。 「おそらく敵が何かしたのだろうが……ワレのログにも記録がない。」表情は全く変わらないものの、ソーラーモンリペアの声には暗い響きがあった。 周辺に敵の姿は無く、どこかに潜んでいる感じもせず、おそらく逃げたのだろうと思われた。 しかし、薄気味の悪さを感じている彼らは、とても快哉を叫ぶ気も安堵に胸を撫で下ろす気にもなれなかった。 丘から5km程離れた低空。巨大な鳥人のようなデジモンの背中に、二人の人間と一体のデジモンが乗っていた。 悟とファヨン、そしてギリードゥモンが退化したノヘモンである。 「……あのままあいつら全員倒せたんじゃないの?」眉間にしわを寄せたファヨンが悟に言う。 「無茶を言わないでください。今の私の体は『時間を止めて』無理矢理動かしてるんですよ?」対して悟の返答は素っ気ない。 「クロノモンの時空操作能力はまだ不完全です。私の体がダメになったり、私の認知時間まで巻き戻ったりしたら全てご破産です。」 嘘は言っていない。だが全てを話してもいない。 あの瞬間、デジタマモンは時空操作能力を持つ究極体デジモン、クロノモンに進化して時間を停止させた。 止まった時間の中でクロノモンは悟の肉体だけを個別に時間停止させて『肉体が死亡すること』を阻止。 そのまま悟とファヨンを回収して崩壊しつつあった閉鎖空間を脱出、ギリードゥモンも回収した。 全員をクロノモンの背に乗せてその場を離脱、視程外で時間停止を解除した次第である。 確かにファヨンの言う通り、時間逆行で悟の肉体を被弾前まで巻き戻したり、あの子供たち一行の時間だけ止めて連れ去ってしまえば勝てたかも知れない。 だが悟はリターンよりリスクを重視する性格である。 もしも肉体だけでなく意識の時間まで巻き戻してしまって『やるべき事を忘れて』しまったら? もしも止めたはずの彼らの時間停止が不意に解除されてしまったら? クロノモンの時間操作能力はまだ完全ではなく、今も自分の肉体の時間停止が解けてしまわないかと不安でしょうがないのだ。 逃げた理由はそれだけではない。 「第一、あの子は商品になりませんよ。」どの子供もテイマーとしての素質は高い。しかしあの茶色い髪の少女はダメだ。 あの強すぎる攻撃性は、デジモンに大人しく使われる道具たり得ない。どのみち殺すしかないだろう。 「それは……そうかもしれない。」ファヨンは苦々しく呟く。 「全く……サジャンニムになんて報告したら……」 「生きて貴重な情報を持って帰れただけでも良しとしましょう。そう言う日もあります。私だって狩りに失敗することなんて……」 「一緒にしないで。」悟の軽い口調に、神経を逆撫でされたファヨンはそう吐き捨てた。 しかし、あの場から逃げたのには他にも理由があった。 ある変化が悟に起き、精神的な動揺でそれどころではなくなり逃げるしかなかったのである。 ダークエリアにある自分の『家』に戻ってきた悟は、早速自分の肉体の治療ならぬ『修復』を開始した。 家と呼ぶにはいろいろと医療器具や様々な『仕事道具』が揃いすぎてる処置室で、まずは『人間』の部分と『デジモン化した部分』を分離する。 口から黒っぽいラクガキ線のような何かが出てきたその様子は、さながらデジタマモンの必殺技を使う姿のようだ。 時間停止を解除し、こんなこともあろうかとセルフクローニングで用意してあった『部品』で肉体を治し、いや直していく。 「……デジタマモン、ひとつ訊いてもいいですか?」作業の手を止めずに、悟はクロノモンから退化したデジタマモンに問うた。 「何?」 「なぜ私は『ひと屋』の社員になっています?私は『FE社』の社員だったのですか?」 「ああ、俺の能力を使ったから、サトルも認識できるようになったんだね。答えは……『誰かが歴史を改変したからそうなった』、だね。」 「……やっぱりそういうことですか。」その言葉から悟の感情は窺い知れない。 「さすがだね、推測できてたんだ。そう、多分今サトルの中にはふたつの記憶があるんじゃないかな?今の状況に合致してる記憶と……明らかに食い違ってる記憶とが。」 「その通りです。もう一つ質問してもいいですか?」 「どうぞ。」 「何故、今まで黙ってました?今の私のこの状況が、改変された結果だということを。」 感情を感じさせない声で、淡々と尋ねる。それに答える声もまた、淡々としている。 「俺だってクロノモンに進化しないと認識できないからだよ。つまり知ったのはついさっき、進化したと時さ。」 「ということは……改変のきっかけは比較的最近、以前の究極進化より後の時間で、そこから遡って歴史が改変された、という事で合っていますか?」 「合ってるよ。」 しばらくの間、悟が手術する音だけが響く。 「もう一つ黙ってましたね。歴史や時間が改変されたら、それを察知できるって事も教えてくれませんでしたね。何故ですか?」 「理由は二つあるね。ひとつは、改変された事自体は認識できるけど、誰が原因で何がどう変わったかまではわからないから。」 「もうひとつは?」悟の言葉に、デジタマモンの目が一瞬光る。 「歴史が改変されてるって言っても、君たちには認識できないし、信じてもらえるとは思ってなかったからさ。」 「……成程。」 「でも、改変前後両方の記憶を持つようになった今のサトルなら認識できるだろうし、信じられるんだろう?」 「……そうですね。」 それ以上はデジタマモンの言葉に対する感想は出てこないまま作業は進み、やがて終わった。 「……さて、私はやりたいことができました。」 自身の『人間の』肉体の中に戻ると、悟はデジタマモンにそう言った。 「手伝ってください。上手く行けば、『食べ放題』になれますよ。」 (了)