・01 唐橋チドリ 冬のある昼下がり、駅のホームは休日の喧噪に包まれていた。 人々の足音、アナウンス、電車のブレーキ音。 その雑多な音の中で、一人の青年・藤原遼輔は何度目かの深い息をついた。 目的の人物を探すように周囲を見渡していると、背後から軽い足音とどこか気の抜けた声が落ちてきた。 「おまた?」 「いいや、ボクも今来たばかりさ」 「あ、そう?んじゃいっか、あはは!」 彼女はリョースケの元クラスメイトであり、いまはフリーのジャーナリストとして奔走している唐橋チドリだ。 「ネットニュースで君の名前を見た時はありがたかったよ」 リョースケは顔をしかめもせず、雑に破り取ったメモ帳を受けとる。 ほぼ押し付けられた紙片を受け取ると、近くの壁に寄りかかりながら内容に目を通した。 "最近シュウちゃんと関わった人物のリスト"─その字は酔いが混ざったように荒いのに、情報の精度だけは妙に高かった。 「…にしても唐橋さん、明るくなったね」 「へっへっへ。人間、色々あるのよ」 チドリは口角だけ持ち上げ、飲み終えた缶ビールを軽く放った。 空中で弧を描いた缶はゴミ箱の中心へ落ち、カランと綺麗な音を立てる。 リョースケが紙から顔を上げると、チドリは少しだけ酔いの隙を開くように目を細めた。 「…あの子、最近ちょっとヤバそうで気になるからね」 チドリはそう呟いた後、懐から新しい缶ビールを取り出して笑う。 「あ、リョーちゃんも大変でしょお?」 松葉杖を使うリョースケの足元を見て、まるで心配しているかのように言う。 …だが、表情はにこにこと楽しげで、その文字と心の温度がまったく噛み合っていなかった。 リョースケは、苦笑しながら視線を逸らす。 小学生の頃─チドリは落ち着き払い、誰とも目を合わせず、他人を寄せ付けずにいたような少女だった。 それが今ではアルコールの臭いを纏わせ、回りの視線を集め…ては即座に目をサッと逸らされる存在感の塊みたいな状態だ。 最初に再会したとき、リョースケは彼女のあまりの変貌ぶりに声を失った…だが、人間の適応力は思っているよりも高いらしい。 しかし、本人の望む望まないにも関わらず、他人の視線を集めてしまう点は昔から変わらなかった…気がする。 そう思いながら、リョースケは松葉杖を握り直し、柔らかく微笑んだ。 「もう慣れちゃったから大変ってほどじゃないよ。君こそ…酔いすぎじゃない?」 「あはは、仕事終わりの一杯ってやつよ〜!」 「あの…一応仕事中じゃないかな?」 チドリはふらりと笑い、酔いの揺らぎとともに空き缶の匂いが漂った。 彼女の変わった理由は、何も知らない。 ただ今は、こうして再び会話できることが不思議で、どこか嬉しかった。 雑踏の風が二人の間を通り抜け、遠くから電車の到着音が聞こえた。 ・02 竜崎大吾 チドリからもらったメモの中で、なんとなく目に留まった名前─竜崎 大吾。 この明らかに強そうな名前は、なんとなく便りがいのありそうな物に見えた。 リョースケは駅を離れ、指定された警察署の応接室へ向かった。 最初に対面したとき、竜崎は「唐橋チドリから会うように言われたが…事件の取材なら…」と酷く睨みつけてきた。 巨漢で、顔は怖く、拳銃より殴ったほうが早そうな男。 だが友人を探している事をと告げると、その険しい顔がわずかに緩んだ。 「…そういうことなら、我々の職務です」 低く重い声で、彼は応接室へ案内してくれた。 硬い椅子に座り、リョースケは財布から一枚の写真を取り出した。 そして、竜崎がシュウの小さい頃の写真を見た瞬間…その肩が、ほんのわずかだが動いた。 一瞬の沈黙─そして、押し殺したような声が漏れた。 リョースケは息を飲み、問われる前に自分からシュウを探す理由を語り始めた。 あの日─ゲーム大会に来なかったシュウを探しに行ったこと。 事故に遭い、右足を砕かれたこと。 そして、もう一人の親友・結城啓明が死んだこと。 自分は手術のために十年以上海外にいたこと。 負い目を感じているであろうシュウに、謝りたいということ。 竜崎は、静かに聞いていた。 途中一度も言葉を挟まず、ただ拳を膝の上で握りしめていた。 「…そうですか。なんとなく、ヤツの戦う理由がわかった気がします」 話し終える頃、部屋の空気は重く沈み込んでいた。 竜崎は、深く深く頭を垂れ、苦い息を吐いた。 「親友を守れなかった後悔。そして、守れなかった自分への怒り……か」 それは、竜崎自身の過去と重なってしまっていた。 身内を犯罪者に奪われたあの日から、ずっと"罪"と"正義"の狭間に立ち続けている。 だからこそ、シュウという青年が抱えるものの輪郭も、リョースケの背負う痛みも、静かに理解してしまったのだ。 「アイツは法も手続きも飛び越えて、デジモン犯罪と戦っている」 「そんな…危ないんじゃ…!」 リョースケは思わず手すりを強く握り、唇を噛んだ。 「俺は戦うことしかできない不器用な男です。だから、何かあった時…横に並んでやることにします」 竜崎はゆっくりと顔を上げ、鋭く、それでいてどこか悲しげな目でリョースケを見る。 ・03 猿田ヤスヒコ 「オレは猿田ヤスヒコ!おっさんの…えーーーっと…友達!そう友達だ!」 シュウの住んでいるというマンションの一室を訪ねると、そこに現れたのは全くの別人であった。 奇妙な身振り手振りをしているヤスヒコに家へ押し込まれると、リョースケの眼前には床にそのまま置かれた半開きの洋服ケースやぐちゃぐちゃな布団が敷かれていた。 「はは…アイツもあまり変わらないか…」 「あーーっ!ごめんね!それオレの!またおっさんに怒られちゃうや!」 目を点にするリョースケの横をヤスヒコが駆けると顔を赤くしながらテキパキとソレらを片付けた。 どうやら昔はだらしなかった親友も整理整頓はできるようになったらしい。 そう思いながらシュウの部屋に通されると、そこはベッド・PC・洋服ケースしかない真っ白な部屋であった。 整理整頓どころではない、ほぼ何も無い部屋にリョースケは思わず息を飲んだ。 リョースケはヤスヒコの要領を得ない会話を聞きながら部屋を見渡していると、ベッドの上に卵のようなものがあった。 「それ食べちゃダメだよ」 「い、いや。食べないけど…これは一体?」 「デジモンのタマゴ!」 ヤスヒコはタマゴに駆け寄るとニコニコしながらそれを撫で回す。 初めてヤスヒコと話したリョースケからしても彼がそれをとても大切にしているのが伝わってきた。 「食べると言えばさー、おっさん凄く辛いのとかそういうのばっかでオレ困ってたの!と思うとふつーのカップ麺とかでもニコニコしながら食べるから、じゃあおっさんの好きな食べ物とかなんだよ?って聞くとお前と一緒に食べるメシが好きだって…なんか気色悪いよな!」 真っ白な部屋にヤスヒコの笑い声だけがやけに響いていた。 手をバシバシ振り回しながら繰り出される畳み掛けるような言葉の洪水に、リョースケの思う不穏な感覚が少し和らいだように感じた。 「あれ?そういえばおっさんの好きなモノってなにも知らなかったな…」 「シュウのコト聞きたくて来たのか!いいぜ!」 ヤスヒコがうんうんと唸っていると、風呂から白くて小さい恐竜のような謎の生き物…ユキアグモンがカビキラーとブラシを両手に現れた。 リョースケ自信、デジモンと縁の無い生活をしていたので目の前に存在するUMA的生物に思わず声を上げながらひっくり返った。 「え、えーっと、君はシュウくんの…パートナーデジモン?」 「まず何かあってもニヤっと笑いながらピンチをひっくり返しちまう所がカッコいいんだゼ!あとは…誰かを助けるためなら完全体の前にも飛び出せるコトもカッコいいんだゼ!」 ユキアグモンのどこか誇らしげな表情に内心ビクビクしていたリョースケも釣られて笑いながら、頭の中でかつてのシュウを思い出していた。 「毎回死にそうになってるんだけどソレすら作戦だったりでもうオレにはなんもわかんねぇ!だからシュウの言葉ならなんでも聞くぜ!」 リョースケは今はもう存在しない親友と戻らない時間をどうしても連想させる"死"という言葉を聞いて思わず真顔になってしまった。 「わかんねぇコトといえば1日のおやつを一袋までって怒るのもわからねぇ…ポテチなんていくらでも食べれるのに…!」 ユキアグモンはポテトチップスの袋をバリっと開くとパクパク食べながら話し始めた。 一方的にシュウの話を続けるユキアグモンに少し圧倒されるリョースケは「そっか…」と相槌を打つ機械になっている。 ヤスヒコも無言でそのポテトチップスの袋に横から手を出す。 「そうやって真面目な顔してる時にチャック全開だった時もオレどうすればいいのかわかんなかった…うーん、世の中ってわかんないコトでいっぱいだなぁ」 「ええっ…シュウくんまだその癖治ってないのかい!?」 ・04 鮎川聖 某役所内の食堂は昼の喧騒で満ちていた。 職員たちの談笑、皿の触れ合う音、厨房から漏れる油の匂い─どれも生活の気配そのものだった。 その日常の真ん中で、リョースケは紅茶を片手に向かいの席へ視線を戻した。 「間が悪かったみたいですね」 「ふふ…ほんとね。祭後くんが珍しく有給取るんですもの。それも半月」 聖の声はよく通り、柔らかく、耳に心地よい。 けれど、不思議とどこまで本心なのかが読み取れない。 それが会話の最初から、微かに胸の奥をくすぐっていた。 「昨日、もう少し粘ればよかった。家まで行ったんですけどね」 「うふふ…あの子ね、真面目で、気遣いができてて…明るくはあるけど─人付き合いが悪いわね」 彼女は最後の部分だけは少し考えてから、穏やかに微笑んだ。 Yシャツの裾から見える白い手に真逆のブラックコーヒーを持ちながら彼女は語った。 「シュウくんは適当で、お節介で、友達が多い単純なヤツでした」 「嫌いだった?」 問いは軽い─けれど妙に深く、嫌なところを突く。 リョースケは彼女から手渡された名刺に書かれた"鮎川聖"という名前を見ると、財布にしまった。 「いえ。でも…話を聞いていると、ボクの知る彼とはなんだか違いそうだな…と」 「確かに違いそうね…嫌われたくないって、言外から伝わってきたもの」 聖は目元だけで笑った。 「何か、別人を演じようとしてるみたい」 その言葉の選び方は優しいのに、彼女の笑みは終始柔らかいのに…どこか体温のない氷の表面に触れたような感覚があった。 リョースケの背筋に、理由のない寒気がゆっくりと這い上がる。 「─彼のこと、もっと聞いていいかしら?」 理由の分からない恐怖ほど、始末に困るものはなかった。 ・05 千本桜冥梨栖 午後の陽は厚い雲に覆われ、古びた別荘の外壁に鈍い灰色を貼りつけていた。 風が走るたびに庭に残った枯れ枝が軋み、遠くで小さな悲鳴が上がったように聞こえる。 リョースケは玄関を一歩踏み越えた瞬間から、胸の奥で何かが沈むような違和感を覚えた。 空気は重くひんやりしていて、冷たさが漂っている。 そして綺麗に掃除された見た目とは裏腹に、人の生活の匂いがすっぽり抜け落ちているのも不思議だった。 部屋の中央には、その空気とまるで逆の存在が座っていた。 年端もいかない美少女から放たれる妙に現実離れしていた雰囲気は、近くに立つだけで体温が少しだけ下がる気がした。 古いソファに優雅に腰かけ、リョースケへ柔らかな笑顔をむけた彼女は、噂にも名高い大企業・千本桜グループの令嬢だという。 「貴女はシュウくんを知っている…と」 「ええ…彼には少しばかりお世話になりましたの。なんてことない、ただの"お掃除"ですわ」 "お掃除"─この小さな口から発せられると、その言葉もなんだか別の意味合いに聞こえてしまう。 彼女は一見すれば礼儀正しく、教養ある令嬢。 だが丁寧に整えられた言葉の裏に、どこか冷たく乾いたものがひっそり佇んでいる。 「彼は、今どこに?」 リョースケが静かに尋ねると、冥梨栖は白い指先でカーテンをつまみ、曇った窓の外へ視線を投げた。 曇り空が薄く反射した窓ガラスに、整った顔が重なる。 「さあ…ですが、また会おうと仰っていましたわ」 リョースケもつられて窓の外に目を向ける。 風に揺れる枯れ枝、沈むような色の空─ただの曇天なのに、胸の奥でざわりと違和感だけが広がる。 彼は、視線を冥梨栖に戻し向き直る。 だが、そこに彼女の姿はなかった。 ソファやその周囲は当然に、足音も衣擦れ…彼女が動いた痕跡すらどこにも残っていない。 その綺麗な空虚に、リョースケは息を飲んだ。 それは恐怖というより、理解の外側に置かれた感覚だった。 「幽霊…いやまさかね…」 リョースケの呟きは、古びた天井に吸い込まれ、跡形もなく消えていった。 ・06 神田颯乃 夕暮れの公園は微かな風が吹いていた。 ブランコの鎖が立てたきしりという音と共に竹刀が振るわれ、落葉を捕らえた。 颯乃はベンチに座って右腕をじっと見つめると、無言で水筒の水を口にした。 ふと気配を感じて顔を上げると、松葉杖の青年が少し離れた場所に立っていた。 「君が…神田颯乃さん、で合ってるかな」 低く控えめな声だったが、その瞳はまっすぐ彼女を射抜くようだった。 颯乃はわずかに眉をひそめ、竹刀袋に指をかけた。 「…はい。どちら様でしょうか」 男は軽く頭を下げる。 「あ、ごめん。驚かせたよね─僕は藤原遼輔。シュウくんの友達なんだ」 その名が出た瞬間、颯乃の目がかすかに細められた。 「…そうですか。それで、私に何のご用ですか」 「君の友達から…ここなら会えるって、聞いた」 リョースケは少しだけ逡巡し、ゆっくりと足を運んでベンチの端に腰を下ろした。 動作はどこかぎこちなく、バランスを取る仕草が目に入る。 松葉杖をベンチに立て掛けると、小さく息を吐いた。 「僕ね、彼とはもう十五年も会ってないんだ」 ベンチの木目を指先でなぞりながら、リョースケは言葉を継いだ。 少しだけ息を詰め、顔を上げる。 「シュウくんって明るくて、仲間の中心にいて…今は、どうなんだい?」 彼は、木目を見つめたまま指先を止めた。 颯乃は間を置いて短く息を吐くと、視線を遠くの夕焼けに投げる。 「明るくしてますよ…でも、無理してる気がします」 その言葉にリョースケは苦く笑い、ベンチの木目をまた指先でなぞる。 ブランコの鎖が、またかすかに揺れた。 「君は…シュウくんのこと、どう思ってる?」 震えが混じる問いかけだった。 「…貴方を見て、改めて思いました」 目を伏せた颯乃はわずかに眉をひそめ、竹刀袋を握る手に知らず知らず力をこめていた。 「あの人…私と少し、似てるかも」 黒く色を落としつつある空の下、彼女の脳裏にはシュウの右腕の傷が浮かんでいた。 ・07 甘美来美 閉店後の喫茶スペースには、わずかにバターと砂糖の香りが漂っていた。 カフェでもレストランでもない、どこか中途半端な空間。 だが、リョースケにとっては人と話すにはちょうどよい静けさだった。 「今日はありがとうございます、甘美さん」 「いえ。私の知っていることはあまり詳しくないけど、参考になれば嬉しいわ」 新進気鋭のパティシエール─彼女は、シュウが転校した後のクラスメイトだという。 落ち着いた物腰と、どこか子どもっぽい好奇心を同時に宿したような瞳。 不思議な温度を持つ女性だ、とリョースケは直感していた。 二人の間のテーブルには、奇妙な形の砂糖菓子が置かれている。 角度によって見え方が変わる、不思議な立体。 その外観に負けないくらい、味もずいぶん不思議だった。 「それにしても随分と味が濃いですね…」 「デザインも奇抜でしょう?」 リョースケは一口だけで驚いた顔をしてしまったのだが、甘美はその反応を責めるどころか楽しげに微笑んだ。 「みんなそういう顔で驚くわ」 「でも、あの人は肯定してくれたの。"まぁ、いいと思うよ"……ってね」 穏やかな声でどこか遠い記憶をなぞるように語る彼女の横顔は大人びて見えた。 リョースケは、彼女の言う"あの人"が誰なのかを聞かずとも理解している。 「この話、墓場まで持っていく事になると思ったんだけど…案外そうでもなかったわね」 「……よかったですね」 「意外そうな顔するじゃない」 「最近、何回も言っています」 甘美はくすっと笑い、キャリーバッグをごそごそと探った。 そして、別の砂糖菓子を取り出す。 先ほどのものとは形がまったく違うが、創作意欲が暴走した結果であることだけは共通していた。 「こっちも試してみる?私の好みに合わせたのだけど」 「それは楽しみだ。是非とも頂きます」 リョースケは冷やされた砂糖菓子を一口かじる。 次の瞬間─ボバッという奇妙な破裂音とともに、口の中で濃厚すぎる甘味が爆発した。 「─ッ!?」 思わず口から飛び出す砂糖菓子。 甘美は動じることもなく、薄く微笑んだまま首を傾げた。 「気に入らなかった?」 「も、もう少し薄味になっていると思って……」 ・08 カノン 喧騒が遠くに沈む路地裏は、どこか街中から取り残されたように静かだった。 蛍光灯の冷たい光が床に薄く反射し、その明るさの中でリョースケは、年齢より落ち着いた雰囲気を纏う少女に声をかけた。 リョースケの問いかけにカノンはぱちりと瞬きをし、一拍置いてからゆっくりと目を閉じた。 まるで胸の奥に沈んだ何かをひとつずつ掘り返すように、しばらく黙り─そして言葉を落とした。 「あのおじさん、度胸あるよね。嫌いじゃないけど」 「度胸…何があったんだい?」 期待を含んだ問いがリョースケの声色に滲む。 カノンは毛先を弄びながら、少し困ったように目線を逸らした。 「危ない仕事で助けてもらったことがある。でも、逆に仕事を邪魔されたこともあって……」 苛立ちと、微かな喜び─真逆の感情がカノンの声にはっきり混ざっていた。 「ソレはデジモン…ってやつの関係?」 「そ。仕事仲間…仲間?から追われることもあったけど助けてくれてさぁ…」 カノンは遠い記憶を引き寄せるように視線を泳がせる。 その表情は、先程の飄々とした態度とは違い、どこか幼く見えた。 逃げ場のない一撃に割り込む影─轟音、衝撃、舞い上がる煙。 煙が晴れたとき、ストライクドラモンの背中が彼女と傷ついたディノビーモンの視界の中心に立っていた。 「地球の裏にいても助けてやる〜とか、なんかクサいことまで言うし……」 思い出した瞬間、カノンはジトッと目を細めた。 飴を口にくわえたまま、呆れたように首を振る。 「おじさん、中々……その、お節介だよね?でも……」 「でも…?」 言葉を引き出すようにリョースケが問い返す。 ぱき。カノンは飴を噛み、たどたどしく口を開く。 その不満げな表情は、置いていかれた子どもの表情だった。 「あいつ、私に "任せた" って言ってくれたことないんだ」 ・09 相原浩介 ホテルのロビーは朝の光に満たされ、ガラス越しに射し込む橙がソファの縁を薄く照らしていた。 その柔らかな明かりの中で、リョースケと浩介は並んで腰を下ろしていた。 二人の間にあるのは初対面のぎこちなさよりも、"同じ人物を知っている者同士"の静かな距離感だった。 浩介は、手にした野菜ジュースの缶を振ってプルタブを開けた。 「君の名前は、シュウからよく聞いたよ」 「…シュウくんは、何か言ってましたか?」 リョースケは思わず顔を上げ、少し戸惑ったように問い返す。 「アイツ、ああ見えて自分まわりのことは話さないからなぁ」 浩介は軽く肩をすくめる。 「でも…君たちの名前を出す時だけ、少し声の色が違った」 「……そうですか」 返した声は小さく、胸の奥のどこか深いところまで沈んでいく。 浩介はその影に触れた気配を感じ取り、缶を持つ手を少しだけ緩めた。 「自分のせいだ─そう思ってるんだろ?」 リョースケは視線を落とした。 ホテルの床に映る、自分の細い影が揺れている。 「…はい。あの日から、シュウくんは…変わってしまったんじゃないかと」 出会ってきた人々の言葉が脳裏に蘇る。 彼らの語る"祭後終"は、自分が知っている少年とは少し違う。 それが、胸を締めつける。 浩介は缶を口に運びながら、静かに言った。 「君の話を聞いてるとさ、アイツは昔から根っこは変わってないなって思うぜ?」 「でも…!」 言いかけた声を、浩介が正面から受け止める。 その瞳は飾りがなく、ただ真っ直ぐだった。 「変わるもの、変わらないもの、変えたいもの、変えたくないもの─俺にはあるな」 短い沈黙が落ちた後、浩介は空になった缶をテーブルに置く。 彼自身もまた、誰かの変化と喪失を見つめてきたのだろう。 リョースケは自分の胸の奥にある嫌いな部分─弱さや逃避や、過剰な自責を思い浮かべ、かすかに目を伏せた。 「それは、僕にも」 浩介は、そんな彼を真正面からすくい上げるように語りかけた。 「だから君は、今のシュウとまた友達になればいいんじゃないか?」 ロビーの外から差し込む光が、浩介の横顔を柔らかく照らした。 その子どもっぽい笑みは、まるで"消えた時間は、まだ取り戻せる"と告げているように明るかった。 ・10 松戸城士 リョースケは、少し騒がしい住宅街をゆっくりと歩きながらメモにあった名前を胸の中で反芻していた。 「えーっと…ここらへんに住んでるって聞いたんだけどな」 不自由な足で長距離を歩くのは辛く、コンビニの壁に背を預ける。 心配な顔をしつつ、スマートフォンで地図を確認したときだった。 「おい、そこの兄ちゃん」 低い、けれど妙に聞き取りやすい声。 振り向けば、道の端からこちらに手を振る大柄な男がいた。 広い肩幅、黒いタンクトップから覗く丸太のような腕…しかしその表情だけは、犬みたいに素直だった。 「迷子か?俺も最近来たばかりだが、この辺はややこしくてよくねぇな」 リョースケは驚きつつ、チドリから渡された解像度の低い写真を二度見する。 「あ、あの…松戸城士さん、ですか?」 「おう…まさか、あの変な女が言ってた俺を探してるヤツってのはお前か?」 少し照れくさそうに鼻をこする。 その仕草のギャップに、リョースケの肩の力が抜けた。 「よければ部屋で話すか?立ち話もなんだしな」 「…凄いですね」 ジョージが扉を開けた瞬間、リョースケは思わず息を呑む。 甘さと青さが入り混じったその香りは、わずかながらの異世界感があった。 その原因は、色とりどり─というより、混沌と喚びたくなるほどに積まれた大量のプランターだった。 ジョージは平然とした顔で腰を下ろすと、腕を組んだ。 「な?普通は気になるんだよ」 にゅっとベタモンが机の上から顔を出し、深いため息を吐く。 リョースケは未だにデジモンには見慣れず、少し後ずさる。 「…ほら、俺、強面だろ?印象よくしたくてよ」 ジョージの首を掻きながら笑う姿は、十分優しかった。 リョースケは部屋の空気を一度吸い込み、ゆっくりと向き直った。 「それ…シュウくんにも渡したかったんですか?」 ジョージの笑みが、気まずそうにゆるむ。 「あぁ。タイミング狙ってんだが…あいつ、いつも煙みたいに消えるからよ」 「もう造花でいいんじゃないか」 ベタモンは諦めないジョージに呆れながら皮肉を挟む。 ジョージは大きく息を吐き、机に腰を預けた。 「なんか、放っとけねぇんだ。アイツは戦士ってタイプじゃないだろ? リョースケは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。 「ええ…シュウくんは、怖がりながら前に出るタイプです」 「お前も、アイツの大事なとこ知ってる顔してる」 リョースケは指を握り、視線を落とした。 「僕は、逆ですよ…親友だったのに、何も知らなかった」 花の香りが、不思議なほど静かに満ちていた。 ジョージはしばらく黙り、それから部屋の隅から一つ、白い小さな花束を手に取った。 「じゃあよ。これで仲直りでもしてくれ」 不器用に差し出された花は、派手な部屋の中で逆に目立つほど、控えめで綺麗だった。 リョースケはその重さを両手で受け取り、小さく頭を下げた。 「松戸さん、ありがとうございます」 「礼はいらねぇよ…もう会えないってワケじゃないんだ。いくらでもやりようはあるさ」 ジョージの真剣な目付きに、リョースケは頷いた。 その言葉から、仲間となにかがあったことを感じさせた。 「あっ…いっぱいあるからこれと、これと、これと…あれも持っていっていいぞ」 ジョージはポンポンポンとプランターを重ねていく。 「…でも僕杖突いてるんであんまり荷物は…」 ジョージはとても残念そうな顔をした。 ・11 ディン 「あなたが藤原遼輔?もっとガタイのいい男かと思ってたわ」 「えっ、あぁ……すみません、こういう体でして……」 反射的に頭を下げると、ディンは「謝るんじゃないの」と軽くあしらい、 槍を壁に立て直してから椅子に腰を落ち着けた。 その動作があまりに自然だが、何故こんなものを女の人が普通に持ち歩いているのか…リョースケには理解が追いつかなかった。 「いい男よ。実に惜しいわね」 ディンは頬に手を当て、値踏みするように彼を眺めた。 視界の端に、立て掛けられた銀色の槍が映る。 「…惜しい?」 「いいイケメンはね〜!死んだイケメンだけよ〜!」 きゃあっと少女のように盛り上がる声が部屋に弾む。 場にそぐわぬ軽さに、リョースケはひきつった笑みしか返せなかった。 目の前の女性が危険物を側に置きながらはしゃいでいるという事実が、彼の心拍を無駄に上げていく。 ディンは足を組み直しながら、ふと物憂げに視線を落とした。 「シュウちゃんってね、死にたがりみたいな目をする時があるの」 「死に、たがり…?」 その一言に、リョースケの呼吸がひゅ、と細くなる。 胸の奥の古傷に冷たい指を這わされたような感覚が走った。 「ええ。でもあの子は死にたいんじゃない…"生き方がわからないコドモ"って感じ?」 「それも、僕が悪いんです。"シュウくんは悪くないよ"…そう言えなかったから」 自分でも驚くほど低い声が口からこぼれた。 ディンはその弱さを責めず、ただじっと、やや飄々とした瞳で見つめる。 「藤原ちゃん。貴方、優しいわね」 「そう、見えるだけですよ」 ディンは頬杖をつき、いたずらっぽい笑みを浮かべた。 「ううん。本当に優しい子は、自分のせいにするの。祭後ちゃんの目とちょっと似てるわ」 そう言って、彼女は軽くリョースケの肩を叩いた。 その手はふざけたようでいて、どこか痛みを知る者の温度を帯びている。 「でもね─それは"他人を苦しめる優しさ"よ」 「…苦しめてる?」 「そ。貴方の沈んだ背中は特にダメね〜。友達の悲しい顔は、子どもを壊すの…だから笑いなさいな」 ディンは深く椅子に腰を預け、愛しいもの思い出すような、どこか母親めいた笑みを浮かべた。 「あなたが笑えば─ま、少しはなんとかなるんじゃなぁい?」 その言葉は軽やかだったが、胸に落ちると不思議と痛みより温かさのほうが勝った。 ・13 祭後瑛都 見慣れたはずの病院の廊下が、今日に限って延々と続く無人の洞穴のように思えた。 蛍光灯の白さはどこか青く、影はどこか濃い…胸元で汗ばんだ手が、握りしめる松葉杖を何度も滑らせる。 ──行かない方がいいよ。 チドリの掠れた声が、脳内で反響しつづけている。 その忠告の響きが、足取りをゆっくりと遅くするのに、その身体だけは逃げることを禁じられたように前へ進み続けた。 看護師たちが忙しなく通り過ぎる。 その早足と低い囁きが、取り残された子どものような焦燥を増幅させていく。 【707】 書かれた扉をそっと押し開けると、そこには機械の規則的な音だけが存在していた。 薄いカーテン越しに差し込む光に照らされて、ベッドの上の男の肌は青白く、輪郭はどこか薄かった。 まるで、色を失った命という器だけがそこに残っているかのように見えた。 もしここから魂が抜け落ちても、誰もすぐには気づけない…そんな静謐な空白。 リョースケは胸を押しつぶされるような焦りを抱え、身体に張り巡らされたチューブと、機械の数字の列を見回す。 そこで、不意に視界に引っかかったものがあった。 花瓶の下でわずかに覗いた、クリアファイルの端。 なんとなく…いや、嫌な予感の方が強かった。 リョースケは花瓶を持ち上げ、ファイルを引き抜いた。 瞬間、視界に飛び込んだ見出しは小さく、しかし鋭かった。 【殺害未遂の女逮捕】 簡潔にして冷淡…事実だけが薄い紙に封じ込められている。 浮気、破局、逆恨み─平坦な単語の羅列が、まるで人の人生を切り捨てるための刃のように淡々とそこに印刷されていた。 リョースケの喉がひくつく。 だが、彼が紙をめくったとき、胸の奥で何かが完全に崩れた。 それは、シュウの戸籍謄本だった。 どこで手に入れたのかすらわからないその紙には、十三年前の離婚が記されていた。 ─あの夏だ。 その瞬間、あの日シュウが来なかったのは母親の問題によるもの…嫌でもそう理解してしまう。 壁にかかる時計の素早い秒針が、それぞれに書かれた名前が全くの同一であることを受け入れることを急かしてくる。 松葉杖を落とし、そのまま床に転んだリョースケは握りしめた紙をくしゃくしゃに潰す。 親友の家庭に巣食っていた闇を知らなかった自分の無力さに強い嫌悪感を覚え、なんとか吐いた自問自答の声は虚しく病室に消えるだけだった。 「僕は…どうすればよかったんだ…」 ・14 浅村ゆらぎ 病室で呻くリョースケの背に、わずかな気配が触れた。 「…リョースケ様?」 振り返ると浅村ゆらぎが立っていた。 白い光を帯びた金髪に驚いた瞳。 病院の静けさの中で、彼女だけが別の空気を纏って見えた。 ─病院一階のカフェは、夕方の光と小さなクラシックに満たされていた。 窓辺に座るゆらぎは、リョースケの記憶にある"高嶺の花"のまま大人びていた。 席につくと、リョースケは木目を見つめたまま告げる。 「…シュウくんのこと、なんにも知らなかったんだ」 「私もです。数年前までは」 ゆらぎは紅茶の水面を眺め、小さく頷く。 「再会したシュウ様は、辛そうな顔を隠していらして…妹様が失踪してからも、なんとか笑っていました」 リョースケは胸の奥が軋んだ。 異父妹─ゆらぎの言葉が、自分の知らない十数年を鮮やかに照らし出す。 「デジモンの騒動に関わるのも…妹様を探し続けた結果だと聞きましたわ」 「……僕たちが、あの日、何も知らずに飛び出したのも悪かったんだ」 ぽつりと零れた後悔に、ゆらぎは静かに首を振る。 「リョースケ様がご自分を責めるのは、とても優しい証です。あの方も同じ。ご自分が壊れそうでも、誰かを助けようとする…不器用な従者様ですもの」 大げさだな事をと思いつつも、言葉の柔らかさに否定はできない。 ゆらぎはカップの縁を指でなぞりながら続ける。 「わたくし、信仰でシュウ様の辛さを和らげられないかと考えていました。でも─夢は覚めるもの。そう言われて、気づいたのです」 彼女の瞳に、微かな強さが宿る。 「逃げるためではなく、前に進むための信仰でなければ…と。わたくしは、シュウ様と"明日"が見たいのです」 リョースケはゆっくりと息をつき、ゆらぎを見た。 「……昔から、浅村さんはそういう人だったね」 「え?」 「優しくて、綺麗で…誰かのために必死になれる」 「それは…シュウ様と、タカアキ様と、あなた様が助けてくださったからです」 「タカアキくんが聞いたら喜ぶよ…君にそんなふうに思われてたなんて」 リョースケはただ静かに微笑み、カップを包み込む。 病院の片隅で、かつての三人の影がふわりと揺れたように見えた。 「…ありがとう、浅村さん」 リョースケからそう言われたゆらぎは、誇らしげに胸へ手を添えると優雅に頭を下げた。 「いいえ。ユキアグモン様に仕える身として、誰かの悩みに声をかけるのは当然のことです」 「……???」 聞き慣れない単語に、リョースケの思考はきれいに止まった。 ・15 鳥藤すみれ リョースケはシュウが抱えていた両親の離別、ゲーム大会を欠場した夏、引っ越しと転校、そして─タカアキの死。 それら全てを、本当は言うつもりなんてなかった…そういう罪悪感を抱えつつ、鳥藤すみれへ吐き出していった。 すみれは、その話を黙って聞いていた。 乱暴でも優しすぎるわけでもない、ただ"向き合う人間"の顔で。 「落ち着いた感じとか、優しい感じは藤原くん。誰かを助けたり引っ張ったりするのは結城くん…」 「…なにが、だい」 机に置かれた指が、少し震えていた。 「祭後くん、きっと…貴方たちになりたかったんだと思う」 「嫌われたくない、傷つきたくない……だから"理想の兄貴分"を演じてる。」 すみれは迷いなく告げた。 言葉が出ない─思い返せばシュウの話をする時、"守られる側"の顔をしていた人が多かった。 「いや…シュウくんがこうなったのも、ボクのせいだ。もっと踏み込んでいれば…!」 彼は机に突っ伏し、握りしめた拳を震わせる。 すみれは小さく息を吸い、ゆっくりと背を伸ばした。 「私たちは子供だったの。大人の都合とか、闇に立ち向かえはしない、ただの子供」 「だから、今の私にはなにかできると思ってる」 "変わるもの、変わらないもの、変えたいもの、変えたくないもの"─。 思わず、浩介の言葉を思い出す。 「そうか…シュウくんがなりたがってたものって、鳥藤くんも含まれてるんだ」 「…私は、そんなに立派じゃないわ」 すみれは目を丸くするが、すぐに俯いた。 「誰かのため、正義のため…ドラマや映画みたいにって思ってたけど」 彼女の声は弱いが、嘘ではない誠実さがあった。 「実際の警察って、しがらみだらけなの。助けたい人がいても、動けないことばっかり」 「─それでも、動こうとする鳥藤くんをシュウくんはずっと見ていたと思うよ」 すみれは、シュウが何度も自分の前に現れては心配する素振りを見せていたことを思い出す。 彼は言葉にすることは無かったが、バレバレだった。 「僕には、それができなかった。シュウくんの元を、離れてしまった」 リョースケの自責の念が、静かな声に沈んでいた。 「シュウくんはまだ、ボクを友達だと思ってくれてるかな…」 「私は祭後くんじゃないわ。だから─直接聞きに行きましょ?」 「…そうする。ようやく決心がついたよ」 リョースケは迷いを振り切り、優しい笑顔を見せた。 「なにやってんだ素直になれ!逃げるな!って一発ビンタしてやらないと」 「い、いや…それはダメだよ…?」 風を切る音を立てながら手首を振るすみれの姿に、リョースケは思わず笑ってしまう。 小学生時代、シュウがすみれに力負けしては痛い目を見ていた日々が蘇った。 「ふふ…私の人生ってね?もうアイツの尻を後ろから蹴り続けるのが運命かなって」 その声音に宿るのは、恋でも義務でもない─ただ"守りたい人"を知る者の強さだった。 珍しく歯を見せる彼女の笑い方は、どこかシュウに似ていた。 ・16 滝谷陽奈美 千代田区で起きた大規模爆発事件から、数日が過ぎていた。 政府は「テロリストによる攻撃」と発表した。 だがSNSには、巨大な影の映像や退避した人々の証言が流れ続け、デジモン同士の戦闘が原因ではないかという声が火のように広がっていた。 さらに…追い打ちをかけるよう、今日は川崎で大規模な爆発が起こった。 避難した人たちが配信した映像に映るのは、現実離れした"巨大な何か"が瓦礫を薙ぎ払う瞬間。 スマートフォンの画面に偶然映ったソレを見たリョースケは、理由もなくシュウがそこにいることを確信した。 未だに戦闘が続く周辺の交通機関は止まり、タクシーも捕まらない。 リョースケは松葉杖を突き、曇天の下を歩き続けた。 地面のわずかな傾斜でも足に負担がかかり、息が荒くなる。 鎮火したはずの瓦礫はまだ煙の匂いを抱え、通り一面に散った薄い灰が、歩くたびに靴底で乾いた音を立てる。 崩れた歩道を越えるたびに、街が失った色が目に入る。 看板は歪み、窓ガラスは割れ、道路には黒ずんだ焼け跡。 電柱の影、家の扉…いたるところに避難勧告の紙が貼られていた。 瓦礫の山に圧倒され、集中力を切らしてしまったリョースケは松葉杖の先をひっそり突き出た石片に引っかけてしまった。 身体がふっと前に傾く─受け身を取る余裕すらない。 「─大丈夫ですか!?」 そう思ったら瞬間─小さな声とともに、腕を掴まれた。 両腕でなんとかこちらを支えてくれる影。 足元の瓦礫がガラリと音を立て、リョースケは慌てて近くのコンクリート片に手をついた。 息を整えながら振り向くと、泥で頬に薄く汚れがついた少女が、まっすぐな瞳でこちらを見上げていた。 「あ、ありがとうございます」 「いえ!私、ここで友達と避難所を作ったりしてるんです。お兄さんも…誰か、探してるんですか?」 声は明るいのに、どこか張り詰めていた。 リョースケはすぐに答えられなかったが、遠くで崩れかけたビルの影を見た彼は、急ぐ必要があるかもしれないと焦りを感じた。 胸の奥のざわめきが、ゆっくりと言葉を押し上げた。 「…大切な友達なんだ。10年も会ってないけど、アイツは─ここにいる気がして」 震えるように、それだけ言った。 懐から取り出した写真を少女へ見せようとしたそのとき─二人の背後から、明るい少女の声が飛んだ。 「陽奈美ちゃ〜ん!」 ふにゃりと間延びした声が響かせ、制服姿の少女が駆けて来た。 その横を、ぷにぷにした緑のベタモンがぴょこぴょこと跳ねてついてくる。 陽奈美と呼ばれた少女と、リョースケが反射的に振り向く。 その時─リョースケの手から写真がふわりと落ちると、風が写真を転がしてしまった。 「おっとっと…はい、とったんよ〜!」 少女が慌てて追いかけ、両手でしっかりと掬い上げた。 にこっと笑った彼女の視線に、写真に映ったものが見えた瞬間─少女の表情は深い驚きへ変わった。 「あれ…この子ってシュウくん……?」 その声は、風よりも静かだったのに、リョースケの胸を揺さぶるには十分だった。 「ん、幸奈ちゃんどうしたの」 陽奈美が小さく瞬きをしてから、そっともう一人の少女へ歩み寄った。 声は柔らかいが、瞳は僅かな不安を映して揺れていた。 なぜこの子は親友の名前を口にできるのか─リョースケは胸をつかまれたように息を呑み、思わず幸奈を見つめる。 「君は…彼を」 「私をずっと助けてくれてる人に…そっくりなんよ」 幸奈は胸の奥をそっと撫でるような声で言い、陽奈美へ差し出した。 写真を覗き込んだ陽奈美は、息を詰める─驚くより先に、胸の奥で何かが結びつく感覚があった。 「私も…知ってる人、かも…」 そこには、シュウ、タカアキ、そしてリョースケ─三人で肩を組み、夏の日差しを思わせる笑顔を向けている写真が映っていた。 幸奈は小さく息を漏らす。 「たぶん…想像どおりだよ」 二人の元に、松葉杖がアスファルトを叩く乾いた音が近づく。 リョースケがゆっくりと二人に歩み寄り、写真を覗き込む。 その目に浮かぶ感情は、懐かしさでも後悔でもなく、その両方が重なったような影を帯びていた。 ・17 井赤晴夏 「…そんな過去があったんですね」 陽奈美は写真の三人を見比べ、眉尻をそっと下げる。 「まじまじと昔の写真を見られると少し恥ずかしいね…」 「あっ、ごめんなさい。その…シュウさんって、こんな風に笑う人だったんだなって…」 少し照れるリョースケに陽奈美は謝りながらも、写真に写ったシュウの顔を見つめた。 「シュウくん…いつも俺が、俺がって…全部一人でやろうとしてるんよ」 幸奈の言葉に滲むのは責めようという気持ちではなく、寂しさだった。 「君たちの知っているシュウくんは…どんな人だったんだい」 リョースケが問いを紡ぎ終えるより早く、幸奈の肩が微かに震えた。 ハッと振り向いた彼女の視線の先に、白い影が遠ざかっていく。 彼女は一瞬の迷いもなく、ベタモンのべたたんをエアドラモンに進化させる。 「あの変なベルトは間違いなくシュウくんの…べたたんっ!」 「お、おい!君…ぐっ!」 リョースケも慌てて後を追うが、べたたんの起こした風にバランスを崩して倒れかける。 陽奈美が慌てて駆け寄るが、リョースケは悔しげに呻く。 「うわーっ!危ないですよ!?」 「あの子…何か知ってそうだった…追いかけないと…!」 陽奈美が支えようと伸ばした手がリョースケの肩に触れた瞬間、空気が裂けるような重低音が空を震わせた。 ズォン─巨大な質量が地面を大きく揺らし、鈍い衝撃が街路を叩いた。 瓦礫の粉塵が舞い上がる中、そこに立っていたのは禍々しい巨体だった。 「ヴェノムヴァンデモン…!?」 陽奈美がデジヴァイスに表示されたステータスを見て、驚きの声を上げる。 闇の匂いを凝縮したような存在感が空気を押し潰し、リョースケは思わず咳き込む。 「こっ…こいつもデジモンなのか!?」 リョースケの声は震え、喉がひきつるように塞がった。 「デジモンイレイザー様のためにぃ…!」 ヴェノムヴァンデモンは湿った呪詛のような声を漏らし、巨大な獣脚を振り上げる。 影が落ち、空気が凍る。 リョースケは反射的に目をつむった。 ガキッ──金属が石を噛み砕くような硬質の音が響く。 痛みが来ない。 不自然な静寂を感じて、リョースケはゆっくりと瞼を開いた。 そこに立つのは、青銀の鎧を纏う竜の騎士・スレイヤードラモンだった。 腕に沿ってせり上がる甲冑が、ヴェノムヴァンデモンの一撃を正面から受け止めていた。 「ヒナミ、遅れてすまない」 澄んだ闘気の声が地面の揺れを押し返す。 「─スレイヤードラモン!」 陽奈美は全幅の信頼を置くパートナーデジモンの到着にぱっと顔を明るくした。 「うおおおおっ!」 スレイヤードラモンは脚を押し返し、そのままヴェノムヴァンデモンの巨体を空中へ放り投げてしまう。 咆哮とともに竜騎士の全身が震え、彼を中心に大気が荒く渦を巻く。 【ゲイルストーム3】 気迫が爆ぜ、空気が刃へと変わり上空へ放たれる。 突風は真空を形成し、その中心に閉じ込められたヴェノムヴァンデモンはズタズタに引き裂かれた。 粉々に砕け散る残骸の向こうで、スレイヤードラモンが空を指す。 「この状況…とても良くないな」 陽奈美とリョースケが顔を上げた。 上空には無数のデジタルゲートが同時に開いており、雨粒のようにデジモンたちが降下してくる。 「アレが全部敵だって言うのかい…!?」 リョースケは膝から力が抜けそうになる。 「ああ…ヒナミの元へ戻る途中で包囲されたが、なんとか切り抜けて来た」 スレイヤードラモンは胸の奥から押し出すように息をつく。 青銀の鎧鱗には細かな傷が刻まれ、陽奈美のデジヴァイスが示す戦闘データには十を越える究極体の名が浮かんでいた。 その時、崩れたビルの影がざわりと揺れる。 フォージビーモン、ハイコマンドラモン─瓦礫の背後から複数の野良デジモンが姿を現した。 彼らがデジモンイレイザーの無差別破壊部隊であることをリョースケたちは知らない…だが、緊張感が空気をキツく締め上げていたことは理解できた。 轟音が響き、キャノンビーモンの砲撃が地を焼いた。 スレイヤードラモンは剣閃一閃で弾き落とすが、連戦の傷がわずかな反応の遅れを生んでいた。 その刹那─スレイヤードラモンの股下を黒い影がガーッと潜り抜ける。 脚部のローラーで死角に滑り込んだ影の正体こそ、暗殺デジモン・シールズドラモンだった。 シールズドラモンは陽奈美とリョースケへ、ナイフを片手に迫った。 炎の渦をまとった拳が、跳びかかるシールズドラモンの顔面にねじ込まれた。 衝撃の音が遅れて響き、シールズドラモンは吐血しながら空中で何度も回転し、瓦礫の向こうへ吹き飛んでいく。 「お、滝谷だったか。怪我無い?」 肩の力を抜いた声が戦場の緊迫を破った。 「ハルカちゃん!」 陽奈美の顔がぱっとほころぶ。 まるで散歩の途中にばったり会ったかのようなテンションで姿を現したのは、陽奈美のクラスメイト─井赤晴夏だった。 背中にギターケースを抱えながら青い髪を揺らし、この状況にそぐわぬ軽やかな笑顔を浮かべていた。 「ハルカ、世間話には早いでござる」 冷静な声が背後から響く。 シールズドラモンを吹き飛ばした張本人、生真面目な古風口調のデジモン・シェイドラモンだった。 突進してきたワスプモンを正面で受け止め、柔術かなにかの様な動きで空中へ放り投げる。 戦い慣れた鋭さと、武人の静けさが同居していた。 「うざ。真面目なんだからぁ」 ハルカは口を尖らせてみせるが、すぐに照れ隠しのような笑みを浮かべる。 「協力、感謝する!」 スレイヤードラモンが低く響く声で礼を告げ、剣を分離。 鎖状に変化した刃が地をはしり、敵の脚をまとめて薙ぎ払う。 「げーっ。強くね?シェイドラモンもああいうのやろうよ」 「究極体の技など、そうそう真似できるモノでは無いでござる」 【メガナパーム】 シェイドラモンが掌に炎の球を生み出し、連続で投擲する。 空中で体勢を崩していたワスプモンの顔面に着弾し、爆炎が花開いた。 「ま、シェイドラモンはシェイドラモンでいいか」 ハルカはちらりと相棒を見て微笑む。 その表情は、軽口の裏に確かな信頼を宿していた。 「─行きましょう。シュウさんのためにも」 陽奈美の声は揺れず、まっすぐにリョースケの胸を貫いた。 「で、でも…僕は、彼と会うことで、また彼を傷つけてしまうんじゃ…」 スレイヤードラモンの背に乗るよう促す陽奈美を前に、リョースケはここで再び立ち止まる。 足元の瓦礫も、胸の奥の不安も、どちらも重く絡みついていた。 「私も色々と経験して思ったんです。本当に傷つけるのは、何もしないこと…なんじゃないかって」 陽奈美の声は震えず、しかし柔らかく響いた。 「好きの反対は無関心…みたいな」 思わず口にした言葉に、彼女自身が少しだけ照れを含ませる。 「あっ!一回りも年上の人に私、なにを…!」 慌てて頭を下げる陽奈美に、リョースケは目を細めた。 その瞬間、心の奥で何かが静かにほどける音がした。 「いや、ありがとう…僕は、シュウくんを心配していいのかな…」 声に戸惑いと安堵が入り混じる。 「当然です。貴方はあの人の"友達"なんでしょう?」 陽奈美は柔らかく微笑む。 「じゃ、思いっきり心配しちゃいましょう!」 そして今度は、スレイヤードラモンにも笑顔を向けた。 「ヒナミ。お前の前向きなところは、俺の好きな所だ」 スレイヤードラモンは微笑み返し、瓦礫の散らばる道を刃で切り裂く。 空間が開き、赤く光る爆心地へ向かう道が生まれる。 「ん。アンタら、行きたいとこあるの?」 ハルカは軽く手を払うように示し、先へ進むよう促す。 「ごめんなさい、私たち…」 「いいのいいの」 「…ありがとう、ハルカちゃん」 陽奈美の声は少し震えていたが、それでも真っ直ぐだった。 スレイヤードラモンの手の上に二人はそっと乗ると、すぐに風を切って飛び立つ。 その背中が、みるみる小さくなり、空の広さに溶けていく。 「…よかったのでござるか?何も聞かずに」 その背を見送りながら、シェイドラモンが静かに呟く。 「後で聞くし。それに…今はこっちのほうが面白そうじゃない?」 ハルカは子供みたいにいたずらっぽく笑った。 その笑みは、戦いの渦中でも不思議なほど明るかった。 ・18 八北一着 「…とは言ったけど数が多すぎじゃない?」 ハルカは乾いた笑いを漏らした。 腕の中の息が荒い…心臓が嫌な速さで跳ねる。 シェイドラモンは獣のように身をひねり、タンクドラモンの砲塔を刃でねじ切った。 金属片を散らせながら続けざまにキャノンビーモンへと跳躍─コンテナにメガナパームを投げつけて破裂させながら着地した。 黒煙が舞い、視界は戦場特有の熱で揺らいだ。 それは圧倒的な制圧に見えるが、その動きにはもう"跳ね"がない。 刃を振り抜く腕に重さが残り、着地のたびに彼の爪先がわずかに沈む。 「テントさん、大丈夫?」 「心配無用。まだ戦えるでござる」 相棒の疲労を察したハルカの声はいつもより低い。 返す声は強気に聞こえるが、息は乱れていた。 そこへ空気そのものを汚染するような、ねっとりとした悪臭が走った。 毛むくじゃらな皮膚を赤黒く脈動させ、ビルの影から姿を伸ばす…ヴェノムヴァンデモンだ。 シェイドラモンは前へ出ようとするが、肩から血のようなデータ片が落ちた。 「ちょっと…やばいんじゃない?」 ハルカは半歩下がりながら呟いた。 スレイヤードラモン無しで格上である究極体を相手にするのはとても無謀だ。 そして─ヴェノムヴァンデモンの両腕が広がり、闇が落ちた。 【イービルスコール】 上空に闇エネルギーのフィールドが膨張し、空気が黒い膜に覆われた。 次の瞬間、雨のように鋭い光線が無数に降り注ぐ。 「来る…ぐっ!」 シェイドラモンはハルカを抱え、地を蹴った。 闇の雨を裂くように走り抜けるが、一筋の光が遅れて彼の背中を焼いた。 抱えたハルカを庇うようにコンクリートの上を転がり、砂煙の中で息を詰まらせる。 「ハルカ…お前は逃げるでござる」 「はぁ!?テントさん何言ってるの!」 シェイドラモンのかすれた声に対し、ハルカの怒鳴り声はよく通った。 火力の弱まった炎の翼を揺らしながら、シェイドラモンは立ち上がる。 その周囲を、冷たい足音で完全体デジモンたちが取り囲んでいた。 視界を埋める殺意の奥で、ゆっくりと三体目のヴェノムヴァンデモンが姿を現した。 「あー、これはー、やっぱあたしは逃げようかな!じゃあ、頑張って!」 ハルカは一歩二歩と後退るが、シェイドラモンに服を掴まれて転んだ。 「もう言ったからには今更逃げるは無しでござる」 「ちっ、しょうがねぇな…付き合ってやろうじゃん!」 ハルカは言葉を飲み、ギターケースを背負い直す。 その直後─ハルカとシェイドラモンを囲んでいた完全体デジモンたちが、一斉に光の粒へと砕け散った。 刃で切り払われた音が遅れて鳴り、地面にいくつかのデジタマだけが残された。 「え…?」 ハルカの声が裏返る。 蒸気を噴き上げるような高音が、戦場の空気を震わせた。 黒い煙の中から現れた黒鉄の巨体が、怒号とともに空を駆ける。 その車輪のような駆動音に合わせ、青い炎が空を焼く。 機関車のようにも見える漆黒の車体が、一直線にヴェノムヴァンデモンへと突っ込む。 魔獣が目から放つ怪光線を正面から受け止めながら、巨体は迷いなく魔王の腹部を貫いた。 その直上、蒼い残光が弧を描く。 アルフォースブイドラモンが高速で空間を裂き、斬撃の軌跡を光として残す。 究極の青が、戦場に一瞬だけ静寂を刻みつけた。 【アルフォースブイドラモン:究極体】 【ギャストリーロコモン:究極体】 「お待たせしました〜」 ふにゃっと輪郭がゆるむような笑顔で、白い衣服の人物が瓦礫の陰から歩いてきた。 髪がふわふわと揺れ、のんびりした気配が戦場とまるで噛み合っていない。 「すみれサンと話して帰るだけのつもりが…まさかこんなことになるなんて思いもしませんでしたよ〜」 わざとらしくやれやれと肩を揺らす。 「よぉし!私たちも参戦─って、集まったのこれだけ!?」 白服の横にいた警察官と思われる女性がひっくり返った。 その声に、他の二人もぴょこっと顔を出す。 「一応連絡はしたんですが〜」 白服の人物─イツキと呼ばれた男は、にこにこしながら頭をかく。 「私たち、集まり悪いから」 パンダのぬいぐるみを鞄に詰め込んだ、派手な格好の女性が小声でぼそり。 「百人くらいいるのに、これはだいぶよくないねぇっ!?」 警察官らしき女性は両手で頭を抱えた。 「イツキくんのプットモンは戦えないから実質二人!なんてことなの!」 「面目ないです〜」 イツキはほんの少しも反省していない顔で笑う。 「見なよシェイドラモン、なんか変なやつらが来たぞ!」 「姦しいでござるな」 ハルカが全力で指差す。 「い、いや変じゃないよ!ほら見て?私、警察官!」 制服の襟を引っ張りながら、必死で否定する女性。 「ふふ…みらい、変なヤツだって…」 ゴスロリ衣装の女性はパンダモンのぬいぐるみで口元を隠しながらクスクス笑う。 「キャス子ちゃんがそれ言う…?」 みらいはわなわな手を震わせる。 黒フリルひらめく彼女の姿は、間違いなく周囲の注目を集めるタイプだった。 「まぁみんなもどこかで頑張ってるよね!よし!」 みらいは斯くして自分の頬をぱしんと叩く。 「─みらい、まだ来るよ!」 頭上からアルフォースブイドラモンの声が鋭く降る。 みらいはむん!と両足に力を込めて立ち、前を向いた。 その横でキャス子はデジヴァイス:を取り出し、イツキは相変わらず緩い笑顔で立ち尽くしている。 瓦礫の風が巻き起こり、三体のデジモンが前へ力強く歩みを進めた。 地上に光る太陽を前に、戦場は再び沸騰しはじめる。 おわり ・19 ? ホテル行きの最終バスはまだ来ない。 夜風が冷えた停留所の下、リョースケはひとり肩をすぼめて立っていた。 ─その背後で、空気が揺れた。 「こ・ん・に・ち・は」 それは、あまりに唐突すぎる声だった。 リョースケはびくりと肩を跳ねさせ、振り返る。 「うわ─こ、子供?君、こんな夜に歩くのは危ないよ」 そこにいたのは、白衣を着た小さな少年。 髪はぼさぼさ、目の下には深い隈…月の下では、まるで色を失った人形のようにも見えた。 その子供は、ニタリと口角だけを持ち上げる。 「私の名前はリョースケ。十五年来の終ちゃんの竹馬の友さ」 風が止まり、リョースケも一瞬呼吸を忘れる。 自分と同じ名前を名乗り、シュウと十五年来の友を名乗る小学生。 「どうしたんだい…?彼の話を聴きたいんだろう?」 白衣の少年はくすくすと笑いながら近づく。 その笑い声は、年齢に似つかわしくないほど落ち着いて…冷たかった。 「あ、あの…リョースケっていうのは…」 「やだなぁ〜、私のことだよ?どうもよろしく」 リョースケを名乗る少年は不自然に丁寧な動きで、妙に大人めいたお辞儀を恭しく行った。 顔を上げた彼の眼は、獲物を見つけたかのように、もしくは新しいオモチャを観察するように…リョースケを見上げていた。 彼は顔を上げると、ほとんど呼吸の隙間もなく言葉を捲し立てた。 「終ちゃんと私は一度たりとも正確な意味で意見を一致させたわけではないのだが、それでも我々は同じ目的へ向かったのさ。正義と呼ぶには破綻し、理念と呼ぶには未成熟で、しかし確かに共有された信念があった。あれはもう、共鳴というより共振と言って差し支えないだろうね。我々は幾度となく廃墟の只中で肩を並べ、時に背中を預け、時にお互いの暴走を笑って黙認し、最後には同じ方向を向いていたのさ。きっと、端から見れば私たちの不可思議な関係性は笑えるものだろうね。要するに、彼は私にとって…いや、双方にとってある種の"指標"だったんだよ。人が自らの光の亡霊に怯えながら、それでも歩みを止めないとはどういうことか?その極端な実例と言っていい。いや、これは決して侮蔑ではなく、純然たる尊敬なのだ。いいかい?あれほど複雑怪奇な魂を私は他に見たことがない。だから私は今でも彼と共にしたあの一連の戦いを、"我々の協奏"だと認識してい」 彼の繰り出すあまりもの言葉の奔流と、どこを縫っても意味に届かない比喩の多さにリョースケはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。 つい先ほどまではただの得体の知れない子どもだったはずなのに、今となっては胡散臭くて扱いに困る厄介な存在へと印象は塗り替えられていた。 リョースケが現実逃避のように首を巡らせた時─すでに最終バスの尾灯が、小さくなっていた。 乗るべきだった帰路は、とうに行ってしまったらしい。 「あぁ…はい…そうですか…」 乾いた声が漏れる。 リョースケは、寒さより先に途方という感情に包まれていた。 .