真っ暗な通路を進む。 一つの扉の前で少女は立ち止まり、扉を叩く。 「マスターデラーシュ、華歩様をお連れしました」 「私もいるぞ」 「…っ💜ッッ💜💜」 部屋の奥から何かに抑えつけられているような、くぐもった声が聞こえる。 「ベル…AliceとMercyには逃げられた。彼女の存在はヘドニストを抑えつける理由にはなるだろうが、パイオニアに手錠をかける証拠は無い」 「こちらも同じです~。あの子の身体には糸影術は一切使われてないので、製作者の面で証拠を押えるのも難しいかと~…」 「~っ💜っ💜っ💜っ💜」 抑えつけられた声が激しくなる。 「確かにパイオニアの存在は留意するべきだが影星の最接近は近い、これ以上の遅れは無理だ」 「~~~~~~ッッッッ💜💜💜💜💜」 「ところでマスターデラーシュ、今連れ込んでいるのは何方ですか?」 「ふぅ。コイツの事なら、パラティリテスだよ」 全裸のデラーシュは、ぐったりとうつ伏せで倒れ込む少女の真っ白な髪を引っ張り、こちらに見せる。 目元が布でグルグル巻きにされていてよくわからないが、完全に気を失っている様だった。 「あら~…確認してから話すべきでしたかね?」 「君がパイオニアの部下を使っているとは思わなかったよ…」 「妙な動きをしていてな。心配するな、とっくに気を失って聞こえちゃいない。聞こえていても変わらん。どうせコイツがいなくても聞き耳を立てているだろうし…なっ」 「ッ…💜」 そう言って小さいお尻に平手打ちをしながらベットから立ち上がる。 「あ…あのっ…それ…」 「おっと、すまないな」 余りにも巨大な”ソレ”に対する生娘の様な私の反応を見て、デラーシュは何所からか布を出し腰に巻いた。 「華歩くん、私の部下の勝手に巻き込んで本当にすまなかった」 「いえ、勝手な事をした私のせいでもありますから…」 「君を危険に晒したのは事実だ。だから謝罪の念としてこれを君に渡す」 そう言って見せてくれたのは黒い指輪だった。 「これは…」 「お守りみたいな物だ。君の身に重大な危険が迫ったとき、君を守ってくれる」 デラーシュは近づき私の手を取ると、手袋を外そうとする。 「あっ…やめて…」 咄嗟に手を跳ねのける。デラーシュは驚いた表情を見せると同時に、申し訳なさそうに頭を下げた。 「…すまない、配慮が足りなかった。何分、普通の女性の相手は苦手でな…」 「い…いえ…」 「所で、君は何故それを隠す。隠すような物でもなければ、君からは深い”人の繋がり”を感じなかったが…」 「マスターデラーシュ、眷属でもない女の子の心を探るのは止してください」 デラーシュの言葉を遮る様に、ソリストが口を開いた。 「おっと…。だが君たちの責任でもあるぞ、いつも心を見ろと言って来るのは…」 「わたくしたちだけとも言いましたよね!言い訳は不要です!」 叱責に肩をすくめるデラーシュからソリストは指輪を受け取ると、それを私の手に握らせながらにこやかに話す。 「華歩様~、予報では明日の夜には豪雪期は過ぎますので~、明後日までは大人しくしていてください~」 「は…はひ…」 「ところで君は特殊封印郭防護層…この城の地下に行ったそうだね。酷い場所だっただろう」 リベラリストが口を開く。 「ええ、たくさんの女の子が酷い目に…」 「あの防護層にあった人形に世界の人間を全部作り変えるのがパイオニア達の目的だ。私の為だとは言っているがな」 デラーシュは頭を抱えながら語った。 「パイオニアとヘドニストは天才を超えた天才です。我々だけではどうにも限界がある、だからガーディアンと…カッサーノと協力しなければならない」 「貴女にはガーディアンにいるカッサーノという方にこの事を直接伝えて欲しいのです~。彼はガーディアンの中枢にいるのですが、もうずっと引きこもってるみたいで~…」 どうやらかなりの大物の様だった。 「私のような一介のガーディアンが、会おうと思って会える方とは思えないのですが…」 「それについては問題ありません。ガーディアンのネットワークにこの写真をアップロードしてください」 渡されたのは白黒の砂嵐が一面に写った一枚の写真。 「これは?」 「簡単に言ってしまえば餌です。その餌に釣られた魚を使えば容易に会えるでしょう」 「では行きましょうか~」 写真を受け取ると少女に急かされたので、部屋を後にした。 ──────────────────────────────────────────── 少女の後に付いて以前の部屋に向かうと、遠くから見ても分かるほどに瓦礫まみれであった。 「うわぁ…」 壊れた扉から中を覗き込むと、高級そうな家具はどれもこれもひどい有様で、窓に乱雑に打ち付けられた板の隙間からは冷たい風が吹き込んでいた。 「この通り貴女の部屋は暫く使い物にならなくなってしまったので~、保護も兼ねて私の部屋で二泊してもらいます~」 「それと貴女一人では安全が保障できませんので~、外出中も私と一緒に行動してもらいます~」 隙間風に晒されながら聴くその言葉には強い説得力があった。 ──────────────────────────────────────────── 13階。エレベーターから降りると上層とは違って簡素な装飾で彩られた廊下が広がる。 「そういえば…なんとお呼びすれば…」 「ソリストとお呼びください~」 その名前に何故か寂しさを感じた事を不思議に思いながらも進み、[Soliste]と書かれた扉の前で立ち止まる。 「ここです~」 扉の向こうには余りにも殺風景な部屋があった。 何の装飾もないベッドと机、大きなクローゼットを除けば一切が無味無臭であった。 「…何もない…」 「すみません~…。わたくし、家具を凝ったりする趣味が無くて~…。あっ、ベッドはふかふかで寝心地がいいですよ~」 そう言われ、ベッドへ寝ころぶと前の部屋のベッドとは比べ物にならない寝心地の良さで、眠気が一気に押し寄せる。 「ふぁ…」 「ふふっ、おやすみなさいませ~…」 ソリストに頭を優しくなでられ、そのまま深い眠りに落ちる。 ──────────────────────────────────────────── 華歩は夢を見た。 一人の少女の夢。 少女の歌には力があった。 人々を惑わせ、狂わせる歌。 少女は大人たちに言われるがままに歌う。 少女の歌は美しかった。聴きたがる者は一人としていなかった。 どんなに美しい歌声でも、聞く者は皆狂う歌声。 皆が嫌う歌声だった。 それでも少女は言われるがままに歌った。歌うのが好きだったから。 それを繰り返している内に誰もが彼女の前では耳を塞いだ。 お陰で少女がどれだけ歌っても誰も狂わなくなった。 少女は誰も歌声を聞かない事に悲しみ、大人たちは使えない少女を痛めつけた。 少女は自分を壊れた道具だと思うようになった。 使えないから使われないのだと思った。 狭く、暗く、隙間のない部屋で少女は歌い続けた。 そして何時しか歌声は全てを狂わせ、呪い、壊し始めた。 大人たちはそれを見て喜び、少女に再び歌う事を命じた。 少女が歌った後には何も残らなかった。それでも少女はただ命令に従った。 少女は自分の歌声で壊れ始めた。 それでも大人たちは歌わせた。 少女は歌い続けた。 少女の喉はもはや使い物にならなかった。 それを気にすることなく大人たちは歌わせた。 少女は遂に壊れ、目を閉じた。 少女の最後のコンサートにはもう観客はいなかった。 少女は誰かに最後まで歌を聞いて欲しかっただけだった。 少女は目を開けた。知らない場所だった。 違う大人たちが少女を拾う。 少女の使い道は変わらない。 歌い続ける。 歌い続ける。 歌い続ける。 壊れ始める。 少女は何も思わない。 歌い続ける。 歌い続ける。 壊れかける。 自分は道具だから。 歌い続ける。 歌い続ける。 少女は歌う。 少女は思う。 歌い終われば自分は再び壊れると。 それでも歌う。 少女は歌う。 少女は思う。 もうすぐ壊れるだろうと。 歌い終わり、深々と頭を下げる。 何処からか拍手が聞こえる。 頭を上げる。 観客はいない。 右を見る。 観客はいない。 左を見る。 観客はいない。 再び前を見る。 正面に男が一人、座っていた。 彼は拍手する。 少女は目を見開く。 彼は微笑みながら拍手をする。 目を擦る。 彼は拍手を続けながらこちらに歩く。 彼は少女の前に立つ。 少女は彼を見る。 夢にまで見た自分の歌を最後まで聞いてくれた人を。 彼は言う。 「俺と来い」 少女は壊れかけた喉で紡ぐ。 「わたくしはもう壊れています」 「あと数回使えば壊れる道具」 「使い道はありません」 彼は言う。 「確かに君は壊れかけの道具かもしれない」 彼は少女の喉に触れる。 「道具は直して使う物。どんな物であれ使い方を知らなければすぐに壊れて使い物にならなくなる」 「君が壊れかけの理由。それは君は君自身を使う資格がある存在に、出会うことが無かったからだ」 「君は二度と壊れない…いや、壊さない」 「俺が、君を使うからだ」 喉はきれいさっぱり直っていた。 少女は歌う。 今までで一番きれいな歌声を。 彼はその歌に聴き惚れた様子だった。 コンサートホールは崩れる。 彼は気にしない。 少女も気にしない。 少女は歌い続ける。 歌い続けて、歌い続けて、歌い続けて。 少女は疲れて倒れ込む。 彼は少女を受け止め、抱きしめた。 少女は彼の胸の中で大粒の涙を幾つも零していた。