一話  ざわめきと熱気が渦を巻いていた。  色とりどりのパワーストーンがきらめき、得体のしれない香が燻され、自己啓発セミナーのような威勢のいい声と、ヒーリングミュージックめいた環境音が混じり合い奇妙なハーモニーを奏でている。  ここは、東京ビッグサイトで開催されている「スピリチュアルフェスタ」。  ありとあらゆる「精神世界」の住人が一堂に会する、年に一度の祭典だ。  僕、八坂祐介は、その片隅で完全に場違いな存在として立ち尽くしていた。  なぜ僕がこんな場所にいるのか。話は一週間前に遡る。  僕が所属している高校の民俗学研究部、通称「民研」は、文化祭の出し物で地域の伝承や都市伝説について発表するのが恒例だった。  その資料集めの一環として、現代の「民間信仰」の最前線を見るべきだ、と部長が言い出したのだ。  そして、社会勉強だかなんだか知らないが、イベントスタッフのアルバイトに部員全員で応募し、見事に採用されてしまったというわけだ。  他の部員たちは、物珍しそうにきょろきょろしたり、怪しげなグッズを冷やかしたりと、それなりに楽しんでいるように見える。しかし僕にとって、この場所は地獄に近かった。  生まれつき、僕には「視える」。  人が「霊」と呼ぶものが。いわゆる「霊感がある」ということだ。  それは、映画や漫画で描かれるような、おどろおどろしい姿をした幽霊や怨霊が自分の意思で動き回っている――というのとは違った。  なんといえばいいか。彼らは残り香……のようなものだった。残留思念、とでもいうのだろうか。  地面や場所、もの、人に焼き付いた思いの残像。  僕にはそう感じ取られた。  そしてそれは祝福ではなく、呪いだった。  人混みは情報の洪水だ。他人の後悔や嫉妬、執着が、ヘドロのように足元にまとわりついてくる。だから、僕はいつも人との関わりを避け、目立たないように息を潜めて生きてきた。  部活だって、うちの学校は部活動を義務付けられていたから入部したにすぎない。本来なら帰宅分がよかった。 「おい、祐介!ぼさっとすんな!次の準備始まるぞ!」  部長の声に、僕ははっと我に返る。  僕たちの今日の仕事は、メインステージで行われるイベントの設営補助。  そして、本日のメインゲストが、今をときめく心霊ユーチューバー「スピの介」だった。  チャンネル登録者数100万人を誇る彼は、軽快なトークと派手な除霊パフォーマンスで人気のカリスマだ。  ステージの袖から見ていると、照明を浴びて登場したスピの介に、会場から割れんばかりの歓声が上がる。  ブランドもののスーツを着こなし、ホストのように髪を盛った彼は、テレビタレントと何ら変わりないオーラを放っていた。 「はーい、みんな、スピってるー?君の心の隙間、お祓いしちゃうぞ!スピの介でーす!」  お決まりの挨拶に、ファンたちが「スピってるー!」と絶叫で返す。僕にはその熱狂が、まるでカルト宗教の集会のように見えた。  スピの介の周りには、無数の黒い影がまとわりついている。  それは彼のファンたちの「依存」や「承認欲求」が生み出したものだ。彼はそれを巧みに操り、自分のエネルギーに変えている。詐欺師、と呼ぶのは簡単だが、彼が人を惹きつける力を持っているのは事実だった。  イベントは、公開霊視相談会という形で進んでいった。事前に選ばれた相談者がステージに上がり、スピの介がその悩みを聞いて霊視するという、彼の動画ではおなじみの企画だ。 「じゃあ、次の方、どうぞー!」  司会に促されてステージに上がったのは女子高生だった。いかにも幸が薄そうな、といった雰囲気、表情の子だった。 「……」  僕にはわかった。  彼女には……憑いている。  そこまで悪いものではなさそうだけど……。  女の子は戸惑いながらも、促されてステージに上がった。スタッフが椅子を用意し、彼女を座らせる。 「名前は?」 「あの、一ノ瀬、恵です」 「恵ちゃんね。いくつ?」 「十五です」 「十五かあ、若いねえ。彼氏いる?」  唐突な質問に、恵は顔を赤らめた。 「いえ、いません」 「そっか。でもさ、可愛いからモテるでしょ?」 「そんな、そんなこと……」 「謙遜しちゃってー。スタイルもいいしさ」  スピの介は恵の体をじろじろと眺めた。客席から笑い声が起こる。  僕は音響ブースで眉をひそめた。これは、セクハラじゃないのか。 「で、恵ちゃん。悩みって何?」 「あの、最近、夜に金縛りにあうんです。それで、何か、人の気配がして……」 「ほうほう。怖いねえ。で、その気配って  どんな感じ?」 「なんか、重たい感じで。息苦しくて」  スピの介は頷き、恵の周りをゆっくりと歩き始めた。そして突然、立ち止まった。 「視えた」  客席がざわめく。 「恵ちゃん、君にはね……水子が憑いてるよ」 「水子……?」  一ノ瀬さんは困惑した表情を浮かべた。 「でっ、でも……私……っ」  彼女は首を横に振る。それはそうだろう、彼女は僕と同じ、いや下手をしたら年下だ。  そんな女の子が水子……?  彼女の否定の素振りをよそに、会場からは「ああ……」という同情のため息が漏れる。  スピの介は薄く笑いを浮かべながら言った。 「男の子だ。すごく悲しんでる。『ママ、どうして僕を殺したの?』って……。君、過去に何か、心当たりあるんじゃないかな?」 「な……無い、です。わ、私……そんな」 「へえ?」  スピの介はその言葉を聞いて笑う。 「おかしいな。僕にはちゃんと視えている、一人、二人……三人かな。生まれる前に殺された赤子の魂が。  本当に、心当たり……ない?」 「な、無い……です」 「ふぅん。でもね、水子って実の母親にしかとり憑かないわけじゃないんだ。  水子は生まれる事が出来なかった子供の魂なんだ。それは生きてる人間、生まれる事が出来たひとたちへの嫉妬だね。  だから、自分と違って生まれる事の出来た親類家族を恨み、祟り、憑りつく。  心当たり無いかな、親とかお姉さんとか叔母さんとか、お祖母ちゃんでもいいよ、堕胎したっていう話。  ああ、恥ずかしくて言ってないのかもしれないね、君に。でもあるんじゃない? 心当たり……」 「……」  彼の穏やかな口調と、観客のざわつきが彼女の恐怖を駆り立てる。  スピの介は恵の肩に手を置いた。 「この水子がね、君に嫉妬してるんだよ。君が生きて、成長して、恋もして、楽しく生きてることにね。だから金縛りにあわせたり、君を苦しめたりしてる」 「そんな……」  一ノ瀬さんは涙ぐんでいた。 「大丈夫、俺が除霊してあげるから。ただね、これは結構強い霊だから、ステージじゃ無理なんだ。後で個人的に、しっかり時間かけて除霊してあげる。スタッフに連絡先教えといてくれる?」 「はい……」  一ノ瀬さんは震える手でスマホを取り出す。  僕は、見ていられなかった。  これは嘘だ。  だって、僕には視えているから。  一ノ瀬さんの周りには確かに霊がいる。だけど、それは水子なんかじゃない。老婆の霊だ。おそらく彼女の祖母か、曾祖母だろう。穏やかな表情で、一ノ瀬さんを見守っている。  そして、水子の霊なんて、祟ったりしない。  僕が視てきた限り、赤ん坊や子供の霊は、ただそこにいるだけだった。泣いたり、笑ったり、遊んだりしているだけ。大人の霊のように、執着や怨念を持っていることはほとんどない。  スピの介は嘘をついている。  あの女の子を騙して、個人的に会おうとしている。  僕の中で、何かが熱くなった。 「……違う」  自分でも気づかないうちに、声が漏れていた。それは、喧騒にかき消されるほど小さな呟きだったはずだ。しかし、ステージ上のスピの介は、地獄耳でそれを捉えていた。  僕に視線をやり、そして――にやり、といやらしい笑みを浮かべた。  先程まで彼女に対して浮かべていた好色な笑みとは別の、いやらしい笑み――悪意を孕んだ笑顔。  ぞくり、と僕の背筋が泡立つ。 「ん?今、何か言ったか?そこのスタッフ」  全ての視線が、僕に突き刺さる。スポットライトの光が、僕の顔を灼いた。頭が真っ白になる。 「いや、あの……」 「違う、って聞こえたけど?何が違うんだよ」  スピの介はマイクを僕に向け、にやにやと笑っている。ショーの余興を見つけた、という顔だ。  僕はもう後には引けなかった。ここで黙れば、あの女性は彼の毒牙にかかってしまう。それは、駄目だ。  知り合いでも何でもない無関係な人だけど――嫌だった。 「その人には……水子なんて、憑いていません」  震える声で、僕は言った。  会場が、しんと静まり返る。次の瞬間、スピの介はマイクを通して腹を抱えて笑い出した。 「はっはっは!なんだこいつ!バイトのガキが、俺の霊視にケチつけんのかよ!」  観客からも、くすくすという嘲笑が漏れ始める。  スピの介は鼻で笑った。 「ほう。君は霊が視えるのかい?」 「視えます」 「じゃあ、何が憑いてるのか言ってみなよ」  僕は一ノ瀬さんの方を見た。彼女は困惑した表情で僕を見つめている。その横に、老婆の霊が立っている。 「おばあさんです。おそらく彼女の祖母か曾祖母。穏やかな表情で、彼女を見守っています」  恵が息を呑んだ。 「おばあちゃん……」  スピの介は腕を組んだ。 「へえ。で、なんで水子は祟らないって言い切れるんだ?」 「僕が視てきた限り、子供の霊は祟ったりしません。ただ、そこにいるだけです」 「もしかして」  スピの介はゆっくりとこちらに歩いてきた。そして、マイクを僕に向けた。 「子供は天使とか言い出す、頭のユルいこと言っちゃってる?」  客席から笑い声が起こった。 「違うな。ガキほど残酷な生き物はいない」  スピの介の声が、会場に響く。 「ガキが純粋無垢な天使ちゃんなら、虫とか生き物を平気で殺すか? 幼稚園や小学校を見ろ。残酷に、痛快に、いじめの温床だ。躾なきゃガキは動物同然なんだよ」  僕は何も言い返せなかった。 「お前みたいな甘ちゃんがさ、霊が視えるとか言って、適当なこと言ってんじゃねえよ。この業界、そういう奴が一番迷惑なんだよ!!」  スピの介は僕を指差した。 「いいか、みんな。こういう奴が、霊能の世界を貶めるんだ。中途半端な知識と、思い込みで、人を惑わす」  それは正義だった。それは断罪だった。そして僕は、悪だった。  そう、演出されていた。  スピの介は一ノ瀬さんに向かって、優しく語り掛ける。 「君はどうしたい? 助かりたいのか、助かりたくないのか……」 「わっ……私は……」 「うんうん」 「ほっ、ほんとは……い、嫌だけど……でもっ、このままじゃいけないって思ってるんですっ」 「うんうん」 「だから……だから……除霊をっ……お願いしますっ」  一ノ瀬さんの目からは涙が溢れ出していた。 「そう、わかったよ。それじゃあさっそく話を始めようか」  スピの介は優しく微笑むと、彼女の肩を抱く。  そして僕を見て、信じられない事を言った。 「……ああ、視えた。視えちまったよ」  彼はマイクを握りしめ、会場全体に響き渡る声で叫んだ。 「お前にも水子が憑いてるよ!それも一体や二体じゃねえ!うわ、すげえ数だ!お前、何人孕ませて降ろさせたんだよ!」  時間が、止まった。  何を、言われた?理解が追いつかない。  僕の周りで、観客たちが「うわあ」「最低」「クズだ」と囁き合っているのが聞こえる。 「言ってるぜ、お前の水子たちが。『パパ、次は殺さないでね』ってよ! わかったか、斉賀埼高校二年一組、八坂祐介くぅん!!!」  ◇  イベントが終わり、後片付けもそこそこに、僕は逃げるように会場を後にした。  部長や部員たちが何か言っていたが、耳には入らなかった。  夕暮れの風が、火照った頬にやけに冷たい。湾岸エリアの、だだっ広いアスファルトの上を、僕はあてもなく歩いていた。  結局、いつもこうだ。僕のこの目は、何の役にも立たない。それどころか、下手に口を開けば、今日のように人を不快にさせ、自分自身が笑いものになるだけだ。  もう、誰とも関わりたくない。この目も、感覚も、全て閉ざしてしまいたい。いっそ、何も視えず、何も感じない、普通の人間になれたら、どれだけ楽だろうか。  涙が滲んできて、僕は乱暴に目元をこすった。その時だった。 「見事な負けっぷりだったな」  不意に、背後から声をかけられた。振り返ると、そこに一人の男が立っていた。  年の頃は二十くらいだろうか。今日のイベントで、僕たちと同じスタッフ用のビブスを着ていたのを覚えている。しかし、他のアルバイトとは明らかに雰囲気が違っていた。  彼は、僕がスピの介に晒し上げられている時も、ただ腕を組んで、値踏みするようにこちらを眺めていたのを覚えている。 「……何ですか」  警戒心を剥き出しにして、僕は答える。これ以上、誰かに傷口を抉られたくなかった。特に、あの男の関係者なんかには。  男は気にした様子もなく、僕の隣に並ぶと、同じように夕暮れの空を見上げた。 「スピの介、だっけか。あれは三流の詐欺師だが、ショーマンとしては、まあまあ一流だ。ギリでな、二流よりの。  ま、完全にアウェイの舞台で、プロに喧嘩を売ったんだ。お前の完敗だよ」 「……分かってます。放っておいてください」 「あの女に憑いてたのは、確かに水子じゃなかった。お前の言う通り、老婆だ。年齢は八十歳くらいの白髪。皺の寄った柔和な顔で彼女を見守っていた。手は右利きかな。服装は決して派手じゃない。  違うか?」  僕は、息を呑んだ。男が語った内容は、僕が視た光景、流れ込んできた情報そのものだった。なぜ、この男がそれを知っている?  僕が驚愕に目を見開いているのを見て、男は満足そうに口の端を上げた。 「あんたも、視えるの……?」 「いや、全く。俺に霊感の類は一切ない」  男はあっさりと否定した。「じゃあ、なんで……」と混乱する僕を無視して、彼は続ける。 「ていうか、今のってそれっぽく言っただけの嘘ハッタリだけどな」 「え……?」  男はいたずらっ子の顔で笑った。 「バーナム効果、何にでもだいたいあてはまるって奴だ。俺はそれっぽいことしか言ってないが、しかしお前はそれを脳内でそうだと合わせた。  よくあるやつだよ、「あなたの父親は死んでいませんね」って。死んでない、死んでて居なくなってる、どっちともとれる。ようするに……ハッタリだ」  悪びれずに彼は言った。 「お前の敗因はあれだも空気を読めなかった、そして空気を作れなかった。  真実が常に正しいとは限らない、事実が虚構に勝るとも限らない。特に、ああいうエンターテイメントの世界ではな」 「……」  まただ。また否定される。僕が見たものは、結局、何の価値もない、ただの幻覚や妄想なのだ。そう言いたいのだろう。僕は唇を噛みしめた。 「僕が負け犬だってのは……僕が一番よくわかってるッ!」  僕の口から、叫びにも似た声が出る。 「ずっと昔から視えていた、だけどわかってる、これは病気だ妄想だ幻覚だ気のせいだ白昼夢だ錯覚だ!  何の力も無い、何の役にも立たない、ただの……空想だ。  あの男の……霊能力には勝てない。勝てなかった。そんなの僕が……」  しかし、男の口から出た言葉は、僕の予想を完全に裏切るものだった。 「違うぜ。お前の視えてるものは、決して単なるデタラメなんかじゃねえ。  お前のそれは、『共感覚』だ」 「……共感覚?」  聞き慣れない言葉に、僕は眉をひそめる。 「ああ。共感覚、シナスタジア。狂った感覚じゃねぇぞ、共にある感覚と書いて共感覚だ。  ある刺激に対して、通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象だ。例えば、文字に色が見えたり、音に形を感じたりする。  感情や性格に色がついて視えるなんてのもあるぜ。それが俗に言うオーラ視覚って奴だな。  そしてそれは、病気じゃない。  脳の機能過多、神経回路の特殊な発達……そう言われてる」 「……」  僕は息を呑んだ。 「つまり、僕が視ているのは……」 「おそらくは、場や人、物体に付いている情報の残り香、思念、そういったものが姿かたちとなって視えるというタイプの共感覚。  それがお前の霊感の正体だ。たぶんな」 「た、たぶんって……」  僕は笑い飛ばそうとした。だけど、できなかった。  熱いものがこみあげてくるのが解る。  初めてだった。  誰かに、こんなふうに言われたのは。  信じる、と。本物だ、と。こういったふうに説明が出来るのだ、と。  頭からの完全否定でも、妄信的な肯定でもない。  ただそういうものなのだ、と客観的とも言える事実の陳列。  涙が溢れそうになった。 「だけど、それじゃあまだ駄目だ。確かに視える、だけど視えるだけ。それを活かす知識も方法もお前には無い。  それを解釈し、言語化し、相手に伝える術を持っていない。だから、プロの詐欺師にいいようにあしらわれるんだ」  男の言葉は、一つ一つが的確に僕の核心を突いていた。そうだ。その通りだ。僕には視えるだけ。それだけだ。口八丁手八丁で渡り歩いてきたスピの介のようなプロには、到底かなわない。 「やっぱり、所詮は視えてしまうだけのものなんだ……」  自嘲の言葉が、口から漏れる。 「だけど」  男は、僕の顔を覗き込むようにして、にやりと笑った。 「泣きそうなツラして、腹の中じゃ煮えくり返ってるんだろう? あの下半身野郎に一発お見舞いしてやりたい、ってな」  図星だった。  悔しかった。恥ずかしかった。でも何より、許せなかった。  あの嘘つきが。  そして、あの女の子を騙して……それを見ているだけで何もできない自分自身が。 「なら、俺と来い」  男は、僕に手を差し出した。 「俺なら、お前を上手く使える。そして、お前なら、俺を上手く使える」  彼の目は、冗談を言っているようには見えなかった。真剣で、射貫くような光を宿していた。 「使……う?」 「お前は俺の目になれ。代わりに俺は、お前の手足や口先になってやる」  その言葉は、悪魔の囁きのように甘く、僕の心の隙間に染み込んでいった。  こいつは何を言っているんだ。僕を利用する?  駄目だ。危険なにおいがする。霊感ではない、これは直観だ。このまま流されると――やばい。  だけど。  僕はどうしょうもなく、彼の言葉に耳を傾けるしかなかった。  僕の霊感、共感覚。その力の使い方。そして、あの男――スピの介に一矢報いる。  それは……なんという甘美な誘い。  僕の力を認めてくれた男が、僕を必要としてくれている。  ぶるり、と背筋が震えた。  恐怖――じゃあない。武者震いだ。  僕はもう、きっと戻れない。 「あ、あんたは……いったい、何者なんだ?」  僕の問いに、男は不敵な笑みを浮かべた。夕日が、彼の横顔を赤く染めている。 「俺は草薙獅童。お前と共に、最強の霊能者になる男だ」 二話  夜の帳が下りた東京を眼下に見下ろす、超高層ビルの最上階。  床から天井まで続く一面のガラス窓には、宝石を散りばめたような無数の光が広がり、その光はまるで天の川のようだった。  部屋の中央には、黒曜石のように磨き上げられた巨大な円卓が鎮座している。そこに座るのは、十数名の男女。いずれもが、この国の精神世界――スピリチュアル業界に、良くも悪くも多大な影響力を持つ者たちだ。  彼らこそ、現代の民間信仰を束ね、巨大なビジネスとして成立させている組織、「東京霊智協会」の幹部会であった。 「――以上を持ちまして、先日開催されました関東スピリチュアルフェスタの収支報告を終わります。  結果として、売り上げ、来場者数ともに昨年比百三十パーセントを達成。大成功と言えましょう」  報告を終えたスーツの女性が恭しく頭を下げると、円卓を囲む幹部たちから拍手が送られた。  拍手を送る彼らの視線は、上座に座る一人の男に注がれていた。  年の頃は四十代ほどだろうか。長い髪を整えた端正な顔と柔和な瞳。  一見すると高僧のようにも神父のようにも見える。  だが、その両眼に宿る光は、聖職者のそれとは程遠い、全てを見透かすような冷徹さを湛えていた。  彼こそが、東京霊智協会の頂点に君臨する会長、枢天城(くるるぎてんじょう)その人であった。 「ご苦労。成功は結構なことだ。だが」  枢の静かな声が、広大な会議室に響く。それだけで、幹部たちの背筋がぴんと伸びた。 「成功の裏で、一つ、耳障りな雑音も聞こえてきているようだ」  その言葉を合図に、スーツの女性が手元のタブレットを操作した。壁のスクリーンに映し出されたのは、SNSのタイムライン。夥しい数の、罵詈雑言。その全てが、一人の男に向けられていた。  心霊ユーチューバー、スピの介。本名、岡島武。 「岡島様が、少々ヘマを打ったようでして」  ホログラムを操作する幹部が、嘲るような笑みを浮かべて言った。  スクリーンには、スピフェスのメインステージで撮影された動画が再生される。幸薄そうな女子高生に、スピの介がねっとりとした視線を送りながら「個人的に除霊してあげる」と連絡先を聞き出そうとする場面。  そこへ、一人の少年が異を唱える。 『その人には……水子なんて、憑いていません』  そこから先の展開は、まさに炎上と呼ぶにふさわしいものだった。  激高したスピの介は、少年を論破することに固執するあまり、言ってはならない言葉を口にした。 『ガキが純粋無垢な天使ちゃんなら、虫とか生き物を平気で殺すか?躾なきゃガキは動物同然なんだよ』  そして極めつけは、個人情報を晒し上げた上での、根も葉もない誹謗中傷。 『お前にも水子が憑いてるよ!  お前、何人孕ませて降ろさせたんだよ!』  この一部始終を、スピの介こと岡島は、あろうことか「生意気なバイトを論破してみた」という趣旨で、自身のチャンネルにアップロードしてしまったのだ。  結果は、惨憺たるものだった。 「主婦層、特に子育て世代の女性視聴者からの反発が凄まじい。 『子供を化け物扱いするなんて許せない』『セクハラ目的で少女に近づくクズ』『高校生の個人情報を晒すとか犯罪者だろ』。  チャンネル登録者数はこの三日で二十万人減少し、スポンサーも数社が契約の見直しを検討中とのことです」  報告を聞きながら、幹部の一人が鼻で笑った。 「自爆とはこのことですな。あの少年が何を言おうと、適当にあしらっておけばよかったものを。己のプライドを守るために、金のなる木を自ら切り倒すとは、愚かにもほどがある」 「そもそも、あの女子高生へのアプローチが下品すぎる。あれでは信者もドン引きだろう」 「岡島クンも、少し天狗になっていたということだ。自分の人気を過信し、何を言っても許されると勘違いした。いやあ若いですなあ」  彼らにとって、岡島は同じ組織の仲間ではない。あくまで、利益を生み出すための「商品」の一つ。  その商品価値が毀損され、あまつさえ協会全体のイメージに傷をつけかねないとなれば、容赦はなかった。 「みっ、皆様! この度は、私の軽率な行動により、多大なるご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした……!」  部屋の隅にいた岡島が、絞り出すような声を出す。  しかし、円卓を囲む者たちからの反応はない。ある者は冷ややかに彼を見つめ、ある者は興味なさそうに爪を磨いている。誰も、彼を助けようとはしなかった。 「友よ。言い分は?」  枢が、静かに問う。 「は……はい。あのバイトのガキが……私の霊視を否定してきたものですから、ついカッとなりまして……。あっ、あれは、私の力を貶めようとするアンチの計画的な犯行だったに違いありません! だからこそ、私は真実を世間に知らしめるために、動画を……」 「つまり、お前はまんまと素人のガキの挑発に乗って、自滅したと。そう言いたいのか?」  別の幹部の冷たい声が、岡島の言葉を遮った。 「ち、違います! あれは……」 「見苦しいな、我が友よ」  枢が、静かに告げた。その声には何の感情も乗っていなかったが、それゆえに、絶対的な拒絶を感じさせた。岡島の顔から、さらに血の気が引いていく。 「君がどういう意図で動画を上げたのか、私には興味がない。君がどういう人間なのかも、どうでもいいのだ、友よ。  私が興味があるのは、君が協会にもたらす『利益』。ただそれだけだ」  枢は指を組み、テーブルに肘をついた。 「君は、我々が作り上げた『スピの介』という商品を、自らの手で汚損した。その価値は、今や暴落の一途を辿っている。本来であれば、即刻廃棄処分とすべきところだ」  廃棄処分。その言葉が、岡島の脳天に突き刺さった。この業界から追放されること。それは、彼にとって死刑宣告に等しい。築き上げてきた全てが、泡のように消える。 「ま、待ってください! 会長! どうか、どうかもう一度チャンスを……! 必ず、このマイナスを埋めてみせます! 倍にして、お返ししますから!」  岡島は床に膝をつき、必死に懇願した。その姿は、かつてのカリスマ霊能者の威厳など微塵も感じさせない、哀れな道化そのものだった。  枢はしばらくの間、黙って岡島を見下ろしていたが、やがてゆっくりと口を開いた。 「……三ヶ月だ」 「え……?」 「三ヶ月の猶予を与えよう。その間に、今回の損失を補って余りある利益を、協会にもたらすのだ、友よ。  方法は問わぬ」  それは、慈悲ではなかった。最後の最後、骨の髄までしゃぶり尽くすための、執行猶予。 「もし、それが出来なければ……どうなるか」  枢がすっ、と手を岡島に向ける。 「……っ、く……がっ……!」  途端に、岡島はまるで溺れているかのように、あるいは首を絞められているかのように……苦しみ出した。  金魚のように口を開き、必死に喉を掻きむしる。  それを幹部たちはさも当然のことのように眺めていた。 「分かるな? 友よ」  枢の瞳が、冷たく光る。 「……か、はっ……! は、はい……」  岡島は解放された。しかし恐怖からは解放されない。  何が起きたのかわからない。まさかこの枢天城は、本物の霊能者か超能力者とでもいうのか。  岡島は、全身が凍りつくような恐怖に支配されたまま、その男を見上げる。  この男は、本気だ。出来なければ、本当に「消される」。社会的に、あるいは、物理的に。 「は……はい……! 必ず……! 必ずや、ご期待に応えてみせます……!」  岡島は何度も頭を床にこすりつけると、震える足で立ち上がり、よろよろと会議室を後にした。扉が閉まると同時に、彼の存在など最初からなかったかのように、会議室は静寂を取り戻した。 「さて」  枢は、何事もなかったかのように議題を次に移した。 「岡島をここまで追い詰めた、例の少年。名前は……」 「八坂祐介、です」  その名が出た瞬間、幹部たちの間に、先程までの嘲りの空気とは違う、微かな緊張が走った。 「資料によれば、斉賀埼高校の二年生。民俗学研究部に所属。ごく平凡な高校生に見えますが……」 「平凡な高校生が、百万人を超える登録者を誇るユーチューバーに、満員の観客の前で物怖じもせず反論できるかね?」  枢の問いに、誰も答えることができない。  岡島の霊視は、無論、ハッタリとコールドリーディングを組み合わせただけの詐術だ。だが、それを差し引いても、あの状況で、岡島の嘘を「老婆の霊が憑いている」と、そこまで具体的に看破した少年の存在は、不気味だった。  本物の「視える」人間か、あるいは、岡島を貶めるために周到な準備をしてきた何者かの手先か。 「どちらにせよ、興味深い」  枢は楽しそうに目を細めた。 「岡島という古い玩具が壊れかけている今、新しい玩具が必要になるかもしれぬ」  その言葉に、幹部の一人――これまで沈黙を守っていた人物が、くすくすと鈴を転がすような笑い声を上げた。  円卓の一角。そこに座っていたのは、場違いなほど幼い少女だった。  年は十一か、十二歳ほど。  銀色――いや、白髪か。美しい長髪が頭で揺れ、大きな瞳は人形のように澄んでいる。  豪奢な振袖に身を包んだその姿は、まるで日本人形が生身を得たかのようだった。  だが、その幼い容姿に騙される者は、この場には一人もいない。  彼女こそは、東京霊智協会最古参の幹部の一人にして、「生き神」と称される存在。  八咫姫鈴白(やたひめすずしろ)。  昭和の心霊界隈にその名を轟かせた伝説の霊能者、八咫姫鏡の生まれ変わり――である。 「……貴女が直々にですか」 「ああ」  鈴白は首肯する。  どう見ても年上であるスーツの秘書に対して、まるで年下を相手にするような態度でいた。  そして――それを咎める者は、ここに誰もいなかった。  皆、彼女より年上だと言うのに。 「丁度、新しいオモチャを探していたところでな」 「ふむ」 「それに――」  少女は微笑む。その笑みは、妖艶でありながら無邪気さを秘めていた。 「面白そうな予感がする。とても楽しいことになりそうじゃないか」 「それはそれは……興味が湧きましたか、八咫姫刀自」 「ああ、会長殿。私に任せてくれ。   それと刀自はやめて欲しいものだな、今世の私はまだ11歳の少女だ。  会長殿も、私に小僧や少年、坊主などと呼ばれたくあるまい」  老獪に笑う鈴白。  その言葉に、周囲にも笑いが起きる。 「確かに、この齢でそれは面はゆい。以後注意しよう。  さて、ならば君に任せよう。存分に楽しんで来るがいい」 「感謝する、会長殿」  鈴白は優雅に礼をした。その所作にはどこか、猫を思わせるようなしなやかな美しさがあった。  そして、その瞳には――隠しようのない、爛爛とした不敵な輝きがあった。  誰も気づいていない。  その輝きは――昏い憎悪だということに。 三話  学校へ向かう僕の足取りは、鉛を引きずるように重かった。  僕、八坂祐介にとって、学校はもはや安息の地ではなかった。いや、前々からもそんなかんじだったけど。  とにかく教室の扉を開けるのに、あれほど勇気が必要だったことはない。  案の定、僕が席に着くと、周囲から好奇と嘲笑の入り混じった視線が突き刺さるのを感じた。 「よお、有名人」 「見たぜ、動画。お前、マジであんなこと言われたの?」 「てかさ、スピの介に反論するとか、度胸ありすぎだろ」  クラスメイトたちが、遠巻きに、あるいは直接的に声をかけてくる。そのどれもが、僕の心を抉るには十分だった。特に、あの動画で晒された『お前、何人孕ませて降ろさせたんだよ!』という罵詈雑言は、面白おかしいゴシップとして消費されていた。 「なあ八坂、正直に言えよ。お前マジで孕ませまくりのヤりまくりなんかよ」  休憩時間、ついに一番聞きたくなかった言葉が、クラスのお調子者である男子生徒から投げかけられた。  教室に、ドッと笑いが起こる。僕は顔を伏せ、唇を噛みしめる。違う、と否定したかった。  だが、何を言っても、この空気の中では燃料を投下するだけだと分かっていた。 「いやいや、コイツそんなワルじゃねえって」  不意に、教室の入り口から声がした。聞き覚えのある、やけに自信に満ちた声。僕が顔を上げると、そこに立っていたのは着崩した制服姿の――あの男、草薙獅童だった。 「孕ませた女の面倒は、全員ちゃんと見てるもん」  獅童がニヤリと笑いながら言うと、教室は先程とは違う種類の爆笑に包まれた。  なんてことを言うんだこの人は! 僕はれっきとした童て……いやそうじゃなくて! 「ちょっ……草薙さん!? なんでここにいるの!?」  僕は思わず立ち上がり、叫んだ。  昨日会ったばかりの男が、なぜ僕の学校のこのクラスにいるのか。混乱する僕をよそに、草薙さんはひらひらと手を振る。 「なんだよ、祐介。つれないこと言うなよ。俺、お前の隣のクラスじゃん」 「隣のクラス……って、ええっ!? 高校生!? 同い年だったの!?」  僕の驚愕の声は、教室の喧騒にかき消された。  獅童は慣れた様子で僕の隣の席に腰掛けると、呆然とする僕にウィンクしてみせた。その不敵な態度は、昨日会ったラフな格好の時と何ら変わりはなかった。 「マジマジ!?」 「教えてくれよえっと……」 「おう、俺は隣のクラスの草薙でこいつのマブダチよ。もう前世からの親友。だけどコイツプライベートでは女にモテモテだけど俺に全然まわしてくんねーのよ、俺の女は全て俺んだ、ってよ。なにこの純愛野郎」 「いや絶対ウソだろそれ!」 「八坂のキャラじゃねーじゃん!」 「いやいやマジだって。昨日の俺の夢ン中でブイブイ言わせてたぜ」 「夢かよ!」 「ちなみに夢ん中の八坂は俺でした」 「お前かよ!」  クラスに爆笑が沸き起こる。  何なんだこの展開。 ◇  放課後、僕は草薙さん……いや獅童に半ば引きずられるようにして、駅前のファミリーレストランに連れてこられていた。騒がしい店内で、獅童はドリンクバーから持ってきたメロンソーダを掲げる。 「つーわけで改めて、コンビ結成を祝してかんぱーい!!!」 「まだ結成するなんて一言も言ってないよ!?」  僕はテーブルに突っ伏した。学校での一件以来、僕の頭は混乱しっぱなしだった。  彼が話題かっさらって行ってくれたおかげで少しは楽だったけど、別の気苦労が増えた気がする。トータルではマイナスだ。 「だいたい、なんで今まで知らなかったんだよ……同じ学校なら」 「俺、二学期からの転校生だし。それに、お前、基本的にクラスで空気だろ。周りに興味ないから気づかなかっただけだろ」 「う……」  的確な指摘に、僕は言葉を失う。確かに、僕は霊が「視える」せいで、他人と深く関わることをずっと避けてきた。 「そもそも無理だよ、霊能者なんて……」  弱々しく呟く僕に、獅童はメロンソーダを一口飲むと、グラスをテーブルに置いた。 「なんでだよ」  その声は、ファミレスの喧騒の中でもやけにはっきりと聞こえた。 「あそこにいた誰よりも、お前は『本物』じゃん」 「本物って……」  僕は顔を上げた。獅童の目は、昨日と同じように、全てを見透かすような鋭い光を宿していた。 「あいつら全員、詐欺師か妄想狂しかいねぇよ。  霊能者ってのは、そういう連中だ。そんな奴らが、本当に霊に困って苦しんでる――と思ってる――連中をカモにして私腹を肥やしてる。  正直、虫唾が走るだろ」  獅童の声には、冷たい怒りがこもっていた。 「だから、俺らも霊能者になる。そこに食い込んで、腹ん中から食い破ってやんのさ。痛快だろ」  その言葉はあまりに過激で、僕は息を呑んだ。だが、心のどこかで、彼の言うことに共感している自分もいた。  スピの介のような人間が、人々を弄び、金を巻き上げる。それは、許されることではない。 「……でも」  僕は、なおも反論する。 「視える、って言う人はいくらでもいる。  それにこれは客観的なものじゃなくて主観的なものだ。僕の視界なんて証明のしようがないのに……なんで、僕なんだよ」 「決まってる」  獅童は、テーブルに肘をつき、身を乗り出した。 「お前が、本物だからだ」 「だから、なんでそれが分かるのさ!」 「ああ、それな。実はあの時、ちょっとした罠っつーか、リトマス試験紙みたいなのを仕掛けといたんだよ」 「え?」  獅童は、いたずらっぽく片目をつむった。 「なあ、祐介。霊能者の霊視に、一番必要な能力はなんだか分かるか?」 「それは……霊を視る力、とか……」 「違うな」  獅童は、きっぱりと否定した。 「『如何に前もって依頼人のプロフィールを集められるか』だ。  プロの霊能者は、それを使って霊視をしてる。  いわゆる『ホットリーディング』ってやつだ」  彼は、まるで講義でもするように、指を一本立てた。 「だから、真面目で勤勉なイベントスタッフだった俺は、スピフェスの時にちょっとした仕掛けをしといた。  数名の依頼人の個人情報を、事前に改竄しておいたのさ」 「改竄!?」 「そう。例えば、あの一ノ瀬恵って娘。  彼女の事前アンケートにあった家族構成の欄を、『両親、祖父母、姉、みな健在』って書き直して提出しといた」 「えっ……」  僕は、息を呑んだ。 「普通、霊能者ってのは、その事前情報を見て『霊視』のシナリオを組み立てる。わかりやすい家族に死者がいない場合、どうするか。簡単だ。  死者がいないなら作ればいい。  親類、家族、友人、知り合いの誰かが、こっそり流産や堕胎をしていた――その赤子の霊、つまり水子が、あなたを嫉妬して憑りついている!……ってな。  誰にでも当てはまりやすい、バーナム効果を利用した典型的な霊視だ」  獅童の解説は、淀みなかった。あのステージで起きたことの裏側が、今、はっきりと見えてくる。 「スピの介は、俺が改竄した情報通りに、一ノ瀬恵に死んだ身内はいないと判断した。だから安直に『水子』の話に持っていったわけだ」  そこで、獅童は僕の目をまっすぐに見た。 「だけど、お前は違った。お前だけが、彼女に『穏やかな老婆の霊が憑いている』って言った。  改竄前のデータではな、一ノ瀬恵の母方の祖母は数年前に亡くなってる。  お前はただ、真実だけを視た。……これ以上に、お前が『本物』だって証拠があるか?」  鳥肌が立った。獅童は、そこまで計算して、あの場にいたというのか。 「そして、何より決定的だったのは……」  獅童は、ふっと笑みを崩した。 「確かにお前は、場の空気をモノにできなかった。  完膚なきまでに叩きのめされた。  けどな、空気を読まずに――いや、読んだうえで、あのバカに喧嘩を売ったのを見て、コイツだって思ったのさ。  こいつなら、信用できるって」 「……買いかぶりだよ。僕は、ただ考え無しに動いただけだ」 「いいじゃねえか、考え無しで! 考えるより先に体が動いた――マンガのヒーローみたいで、最高にイカすぜ!」  獅童は、拳をぐっと握りしめた。その目には、一点の曇りもない。 「俺達は、これから霊能者になる。お前と俺で力を合わせて、ビッグになって、あのふざけた連中をギャフンと言わせてやるんだ。  どうだ、祐介。乗るか、そるか?」  僕は、黙って獅童を見つめた。  なんだろう、熱いものがこみあげて来る。胸の奥で、何かが変わろうとしているのを感じていた。  だけど……。 「でも……あの娘、一ノ瀬さんは……大丈夫なのかな。  結局、僕は何もできなかった。あの後、もしかしたら……除霊っていう名目で、酷いことを……」  僕の言葉に、獅童はニヤリと笑った。 「ああ、その心配はいらねえよ。  俺だって、あのエロ豚に好き勝手させるのはムカつくからな。ちゃんと手は打っといた」 「手?」 「俺は、スピの介超スーパー大先生様の熱心な信者を装って、イベントスタッフに潜り込んでたんだぜ?  ミラクル大先生が言ってただろ、一ノ瀬恵に。連絡先教えてくれる? ってよ。  そしてその顧客の連絡先はスタッフが管理する」 「なっ……」  それは、つまり。 「その連絡先……住所と電話番号、書き換えといた。  きっとスピの介先生は今頃……」 ◇ 「ここか、でかい家じゃないか」  スピの介こと岡島武は、何人かのスタッフと共に車を降りる。  眼前には、大きな和風邸宅があった。  昨日の失跡で恐怖、それが転じて怒り、鬱憤が溜まった岡島はそのフラストレーションの為に『除霊』をすることにしたのだ。  除霊、と言えば聞こえはいいが、つまる所セクハラ……いや、凌辱だ。  霊障――ありもしないもの――に困り苦しんでいる若く見目麗しい少女たちを口説き、除霊と称して性交渉を行い、そしてそれを動画や写真に記録する。岡島の趣味と実益を兼ねたライフワークだ。 「御嬢様って奴か。こいつは絞れそうだし楽しめそうだな」  岡島は舌なめずりをする。  一昨日のスピフェスで見た一ノ瀬恵は、幼いながら実にいい体をしていた。嗜虐心をくすぐる表情、豊満な胸。たまらない。良いストレス発散になるだろう。  すでに電話でアポイントは取っている。 「いくぞ」  岡島は揚々と、その大きな屋敷の門をくぐった。  そして―― 「おう、なんじゃ兄ちゃん」 「うちになんか用か」  岡島の前に現れたのは、パンチパーマと角刈りの屈強な男だった。  低い声で問いかけるその口調に、岡島は一瞬たじろいだ。  だが、すぐにいつもの尊大な笑みを浮かべる。 「失礼。私はスピの介と申します。昨日、スピリチュアルフェスティバルでお嬢様の霊障を診させていただいた者です。ご連絡いただいた除霊の件でお伺いしました」  岡島は丁寧に頭を下げながら、内心で舌なめずりしていた。こんな立派な屋敷なら、娘も相当な箱入りだろう。怯えながらも従順に――ああ、たまらない。 しかし、男たちの反応は予想外だった。  パンチパーマの男が、ふっと鼻で笑った。 「あ、お嬢に除霊だ? 何言ってんだてめぇ」 「あ、見た事あるぜ兄貴。こいつテレビにも出てるスピ太郎って霊能者だ」 「そんな山師がお嬢に何の用だ」 「兄貴、こいつらカメラ持ってますぜ」 「怪しいな兄ちゃん。ちょっとこっち来いよ、なあに取って食いやしねえよ……」 「え、ちょっと、いたた、やめてくださいよ警察呼びますよ!!」 「不法侵入は兄ちゃん達だろ。まあ仲良くしようぜ、で……お嬢になんだって?」  ビキビキと青筋を立てながら笑顔で岡島たちの方に手を回す男たち。 「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!」  岡島の悲鳴が響き渡った。  ◇ 「――てな具合にな。ちなみに電話番号は俺の予備の電話番号なんで快く応対しといた。ボイスチェンジャーで」 「ひ、ひどい……」  ひどすぎる。だけど……その話を聞いて少し溜飲が降りてしまった。思わず僕も笑いが漏れる。 「ともあれ、これであのエロ豚は一ノ瀬恵に近づいてエロ除霊することは出来ねえ。彼女を救うのは、お前だよ」 「え、ぼ、僕?」 「出来んだろ。つか出来るようになるんだよ。それが霊能者だ。あいつらと違う、本物のな。  そのために、俺がいる」 「草薙くんが……」 「獅童でいいよ相棒。 「でも、そんなことして大丈夫なの? 君の正体がバレたら……」 「へっ、心配ご無用。  イベントスタッフの草原獅子の介(くさはらししのすけ)君の電話番号は、現在使われておりませーん、だ。  こっちも最初から偽名に決まってんだろ。詐欺師相手にホイホイ個人情報渡すわけねーじゃん」  獅童は、得意げに胸を張った。 「もしかして、草薙獅童っていうのも……」 「ああ、芸名さ。ほれ、これが本名」  獅童は、制服のポケットから学生証を取り出し、テーブルの上に滑らせた。そこに書かれていた名前は、『草薙 司郎』。 「シロウより、シドウの方がハッタリ効いてて強そうだろうが。お前もなんか考えろよ。『八坂龍紋(やさかりゅうもん)』とか、『八坂王虎(やさかおうこ)』とかさ」 「僕のキャラに、全然合ってない……」 「じゃあ、あれだ。今回の炎上記念で、『八坂炎上(やさかえんじょう)』」 「縁起でもないからやめてくれない!?」  僕が全力でツッコミを入れると、獅童は腹を抱えて笑った。 「まあ、芸名は追々考えるとしてだ」  笑いが収まると、獅童は真剣な顔つきに戻った。 「その炎上だよ。この機を逃す手は無い」 「この機?」 「そうだ。炎上したってことは、良くも悪くもお前は今あの業界で有名人だ。  スピの介に公衆の面前で論戦を挑んだ謎の高校生霊能力少年。  今、お前は最高に注目されてんのさ」  獅童の目が、ギラリと光った。  でもその言い方はやめてほしい。 「だから、一気に本丸に乗り込む」 「本丸……?」 「決まってるだろ」  獅童は、窓の外に見えるひときわ高い超高層ビルを指さした。 「東京霊智協会。  あそこも他の心霊協会と同じで、常に認定霊能者を募集してる。そこに、俺達が殴り込みをかける。  今このタイミングでな。組織に食い込んで、勢いのままに頂点に駆け上る!」 ◇  数十分後。  僕と獅童は、あの超高層ビルの前に立っていた。見上げる首が痛くなるほどの威容。ガラス張りの壁面が、都会の夕暮れの太陽を反射して、近寄りがたいほどの輝きを放っている。  そして、大きく息を吸って草薙獅童は言った。 「……うーん。やっぱ、流石に無理があったか!」  頭をガシガシと掻きながら、あっけらかんと言った。  そう、門前払いである。 「ですよねぇぇぇ!!!!」  僕の魂の叫びが、夕暮れ時の摩天楼の谷間に虚しく響き渡った。  カラスがアホー、と鳴いたのが聞こえた。