・01 あれから一ヶ月半、町はようやく動き出した。 瓦礫の山を越えて作業車が入り、クレーンが粉塵を巻き上げながらゆっくりと空にその手を掲げる。 ひしゃげた歩道にはまだ歪んだ鉄骨が残り、復興が進んだ場所と進まない場所の境目が色濃く刻まれていた。 シュウは玄関で靴紐を結び、肩にかけたバッグを軽く叩いた。 「さて、今日も今日とてデジタルゲート探しだな」 歩き出した瞬間、ふくらはぎに鈍い痛みが走る。 思わず足首を押さえると、包帯の端が手に触れた。 その触感が、暗く落ちていく記憶を連れ戻す。 ─ダークドラモンとシャイングレイモンがぶつかった日。 リョースケと再開したシュウは一歩踏み出そうとして止まった。 肺に空気が入らず、心臓だけが遅れて鼓動を思い出したように暴れ出す。 救護活動に勤しむ医療班に囲まれ、担架に乗せられる感覚だけは、はっきりとわかった。 いつの間にか寝ていたシュウが目を覚ましたとき、白い天井がすべてを覆っていた。 病院の静寂は妙に冷たくて、点滴スタンドの影が床で揺れていた。 看護師が何度も彼に「休め」と繰り返すと姿を消し、残されたリョースケは「バカだなぁ」と笑ってくれた。 一ヶ月後、退院の日は雨上がりだった。 止まったままの電車が線路の上に黒い塊となり、誰も乗らぬまま錆の匂いを漂わせている。 復旧の目処は立たず、シュウは仕方なく長い距離を歩いた。 呼吸は浅く、傷口は歩くたびにきしり、汗が目に染みる。 やがてたどり着いたそこに家は無かった。 ほぼ全壊したマンションの前でシュウは立ち尽くし、次の瞬間ストンと膝から崩れ落ちかけた。 「─祭後くん、今日こそトイレ掃除しときなさいよ」 背後から鳥藤すみれの声が飛び、現実に引き戻される。 「いや今日こそってなんだよ、したよ」 「サボったのはユキアグモンから聞きました、それじゃ」 バタンと扉が閉まり、空気が揺れた。 家を失ったシュウは今、すみれの住む部屋の一室…いや、キッチンで寝ている。 浩介とリョースケは旅行客で頼れず、ジョージの部屋は観葉植物で埋まっていて本人の寝床すら怪しい。 ゆらぎのタワーマンションはシャイングレイモンとの戦いで跡形もなく消え、竜崎の部屋は一生サンドバッグを叩く騒音がする。 子供たちの家は親御さんの目が怖く、チドリの部屋とオアシス団の秘密基地なんてそもそも選択肢にはなかった。 家事をする、洗濯物は別、寝床はキッチンで寝袋、必ず帰ってくる、変なことはしない…という厳しい条件を課せられはしたが。 だから、今はここ。 この狭さも、少しだけ落ち着く。 ユキアグモンが大きく欠伸をしながらこちらへ来る。 「シュウ、朝メシ」 「スーパーで適当に…ってバラしやがってよ」 シュウはユキアグモンの鼻をつまむ。 そんなやり取りに、ようやく呼吸が軽くなる。 「掃除はどうすんだゼ?」 「夜な、夜」 バッグを肩にかけ直し、玄関へ向けて一歩踏み出したその瞬間。 その時、軽く無機質なチャイムの音で空気が凍った。 「誰だよ、こんな朝っぱらに」 現在、朝七時─ブツブツ言いながらドアを開ける。 白いコートと中性的な顔立ち、常にふにゃふにゃとした笑顔。 八北一着は、まるで最初からここにいるべき人物のように佇んでいた。 「おはようございます、祭後サン」 相変わらずの軽い調子なのに、声の奥にだけ妙な熱がある。 「えぇとですねぇ、厳城議員が。そろそろあなたと話したい、と」 静かな朝の空気が、少しだけ軋んだ。 ・02 イツキの運転は、驚くほど静かだった。 ハンドルを握る指先に力みはなく、車は滑るように朝の道を進んでいく。 「…慣れてますね」 思わずそう漏らすと、イツキはルームミラー越しにふにゃりと笑った。 「何度か出入りしてますので〜」 その気楽な言い方が、逆に落ち着かなかった。 車窓の景色が、いつの間にか見慣れた住宅街から切り離されている。 シュウは、胸の奥がじわじわと重くなるのを感じていた。 国会議員・厳城権之助…幸奈の、祖父。 前にイツキから聞かされた言葉が、遅れて効いてくる。 この呼び出しに、悪い予感しかない。 これまでの戦いで、彼女が見せてくれたほわほわっとした笑顔が浮かぶ。 それなのに思い返せば、こちらからはぞんざいな態度ばかりだった気がする。 突き放し、巻き込み、ろくに説明もせず─失礼で、無自覚で、身勝手だった。 「…」 思えばデジタルワールドから強制的に追い返されて以降、マトモな会話はなかった。 できれば謝りたい…だからこそ、言い訳を探すのをやめた。 それに今さら何を並べても、軽くなる気がしなかったからだ。 身体は、まだ重い。 戦闘の疲労が抜けきらず、シートに背中を預けるだけで息が浅くなる。 拒否する理由も無いが、力も残っていなかった。 車がやがて緩やかな坂道を登りきると、視界の先に高い塀が現れた。 石造りの塀は人の背丈をゆうに超え、その奥に覗く屋敷は、まるで別の時代の建築のようだった。 門は重厚な鉄製で、控えめながら威圧感を放っている。 警備員が二人、微動だにせず立っていた。 「…マジかよ」 そう呟くシュウだったが、イツキは笑顔のまま短く用件を告げる。 一瞬の確認の後、門が静かな音を立てて開く。 ようやく敷地内に入ると、空気が変わった。 車を降りた瞬間、シュウは黒塗りの表札に刻まれた文字が目に入る。 ─厳城。 シュウは意識せずにはいられず、思わず背をびしっと伸ばした。 砂利を踏む音すら、手入れの行き届いた庭園ではどこか遠慮がちに響く。 「大丈夫ですよ〜。噛みついたりはしませんから」 進むことを躊躇うシュウに向かって、イツキは手をぱくぱくと開く。 人の緊張なんて全く気にもしないふにゃりとした笑顔で、軽く扉の方へと促す。 逃げる理由もないが、立ち向かう準備もできていなかった。 それでも行くしかないシュウは、重厚な扉の前で立ち止まると一度だけ深く息を吸い、何も考えないことにした。 ほとんど音を立てずに扉が開いた先は、とても広かった。 天井は高く、梁は太く、磨かれた床に窓からの光が落ちている。 飾り立てた豪華さではなく、積み上げてきた時間そのものが威圧になる家だった。 「どうぞどうぞ〜」 イツキに促されて一歩踏み出すと、畳の匂いが鼻を打つ。 応接間の中央、低い卓の向こうに男が座っていた。 ─厳城権之助。 第一印象は、動かない岩だった。 テレビやニュースサイトでそれなりに見た彼の背筋はまっすぐで、ただ静かにこちらを見ている。 目つきは鋭いが、剥き出しの敵意はない…それが逆に、逃げ場のなさを強調していた。 「おはよーございまーす」 「八北、ご苦労だったな。二人とも楽にしろ」 低く、掠れた声。 命令ではないが、逆らう選択肢も提示していない言い方だった。 シュウは黙って一礼し、椅子に腰を下ろす。 背中に張り付いた緊張が、簡単には剥がれない。 「ふむ」 権之助は、眼帯の無い方の片目でシュウを頭から爪先まで眺めた。 値踏みではなく、確認に近い視線だった。 「思ったよりくたびれてるな。名前は」 「祭後、終です」 「そうか」 それだけ言って、権之助は視線を外した。 そこには否定も評価もなく、ただ事実を棚に置いたような反応だった。 「今日はな」 そこでようやく、権之助はシュウを見た。 「説教をする気はねえ。脅しもしねえ。単純に、話をしに呼んだ」 シュウは喉の奥で唾を飲み込む。 その"単純"が恐ろしいから、ここにいる。 「まず俺には、とても可愛い孫がいる」 来た─胸の奥が、嫌な音を立てる。 彼は手を空で振り、そこにいない幸奈の頭を撫でるようにした。 「厳城幸奈…知ってるな」 否定する理由はなかった。 シュウは小さく頷く。 「最近な、その孫が、妙な男の話をする」 声色は変わらない…だが、空気が一段締まった。 「危なっかしくて、無茶で、自分の身を顧みねえくせに、誰かを守る時だけは前に出る男だと」 「年頃の娘がだ。そんな男の話を、楽しそうにする」 権之助は鼻で笑うが、シュウは何も言えなかった。 「こりゃあ不健全だと思わねえか?」 冗談めかした言い方で、顎に手を当てて笑うが…その目は笑っていない。 シュウは、言葉を探して─やめた。 「…すみません」 それしか出てこなかった。 「謝るな」 即座に切り捨てられる。 「俺の孫が、俺に選んで話している。それ自体を責める気はねえ。俺が知りたいのは一つだ」 権之助は、ゆっくりと身を乗り出した。 「お前がどんな立場で、どんな覚悟で、あの場に立っていたかだ」 あの場。 シュウの脳裏に、瓦礫と炎がよみがえる。 カオスドラモンの影、シャイングレイモンの光。 「…」 「千代田区での戦い…それに、先月のアレもお前だな」 淡々と、核心を突かれる。 「未確認デジモン複数による甚大な被害。だが最終的に、被害は"食い止められた"」 権之助の指が、卓を一度だけ叩いた。 「現場にいた人間は、皆、同じ事を言う。"黒いドラゴンが全部持っていった"とな」 逃げ場は、もうなかった。 「それが、お前のデジモンだな?」 権之助はかつてイツキがシュウに見せたのと同じ写真を机に投げた。 シュウは、数秒だけ黙った。 否定すれば嘘になる…だが肯定すれば、ここから先が見えなくなる。 「…はい」 それでも、短くそう答えた。 権之助は、深く息を吐いた。 怒りでも、失望でもない。 「そうか」 その一言が、やけに重かった。 「なら話は早い。俺は今、"デジモンイレイザー"と名乗る人物を追っている」 その単語を聞いた瞬間、シュウの背筋が僅かに反応する。 権之助の視線が、再びシュウを射抜いた。 「そのために呼んだ。逃げる気があるなら、今言え」 逃げる理由は、ない。 立ち向かう力も、十分じゃない。 シュウは、ただ椅子の上で背筋を伸ばした。 「…俺の知っていることを話させてください」 その答えに、権之助は初めて、僅かに口角を上げた。 「よし」 短く、それだけ言った。 ・03 「…これが、俺が戦ってきた理由です」 シュウは、躊躇いながら、迷いながらこれまでの戦いについて話した。 デジモンを悪用した犯罪者、デジモンイレイザーの仕掛ける悪辣なゲーム…そして、そのデジモンイレイザーが行方不明の義妹・ミヨであったこと。 言い切った瞬間─背後から、言葉にならない圧が叩きつけられる。 ぞわりとした空気が重く纏わりつき、肺が拒否反応を起こす。 今まで出会ったどんな敵とも違う"格"を、その影だけで叩きつけられた。 「─シュウ、下がれッ!」 反射的に、ユキアグモンがデジヴァイス01から飛び出た。 小さな身体を精一杯張り、シュウを庇うように構える。 黒いローブ、巨大な影、天井の高さすら足りない存在感。 ─魔王。 それを、そう形容するしかなかった。 「勝手に出てくるな」 権之助の低く、鋭い声が割り込んだ。 椅子から立ち上がりもせず、ただ一言で空気を切り裂く。 「政治家サマにゃ段取りってモンがあンだよ」 「…おっと。だがどちらにせよ、話すつもりだったんだろう?」 影が、ローブの奥から楽しそうに喉を鳴らす。 「吾輩の名はデーモン。七大魔王が一柱、"憤怒"を司る者だ」 ユキアグモンが歯を食いしばり、なんとか倒れないように堪える。 七大魔王がなんだかユキアグモンにはわからないが、その力量差が凄まじいことはこのプレッシャーから理解できた。 困惑する様子の相棒を見たシュウは、魔王という言葉が見せる格の違いを読み取った。 「安心しろ、小僧。いまここで殺す気はない」 その視線が、シュウとユキアグモンを射抜いた。 「だが、そのデジモンイレイザー…とやらは吾輩が既に殺した」 一瞬、意味が理解できなかった。 「…………は?」 残った一人の家族が手にかけられていた…シュウの喉から、かすれた声が漏れる。 彼は様々な感情をごちゃ混ぜにした顔で咄嗟にデジヴァイス01を取り出した。 こいつらが生きていていい理由は、既に失われていた。 「面白い。先程とは顔がまるで違う─だが」 「ぐっ…!」 デーモンは念力のようなもので、シュウが手首に巻こうとしたデジヴァイス01を取り上げた。 「我輩の知る"デジモンイレイザー"は小娘ではないのだよ…少なくとも、吾輩の記憶にはな」 その反応を見て、ローブの奥で何かが愉快そうに蠢いた。 シュウの怒りが空気へ滲み出していたのを、デーモンは味わっていた。 「悲嘆、喪失、憎悪…この世に感情は多くあるが、最も甘美なのは怒りだな」 「いい加減にしろ」 権之助の声は低く、苛立ちを押し殺していた。 「コイツはてめぇのエサのために呼んだんじゃねぇ…ここは事実確認の場だ」 「…いや、悪かったな。これが今回お前を呼んだ理由の一つだ」 権之助の片目が鋭く光り、魔王の笑い声が低く響いた。 「さっきコイツが言ったが…始末された"デジモンイレイザー"は男だ」 権之助は卓に肘をついたまま、逃げ場を塞ぐように続けた。 低い声による断定はシュウをわずかに安堵させた。 言葉を探し、シュウは眉間を叩きながらゆっくりと思考を形にする。 「ならデジモンイレイザーは、一人じゃない…?」 口にした瞬間─シュウ自身がその考えの冷たさに背筋を撫でられ、ハッと顔を跳ね上げてしまった。 「倒されても、いなくなっても補充される存在…そこにミヨが巻き込まれた…!?」 「続けろ」 権之助の片目が、わずかに細まった。 短い促しに、シュウは記憶を辿る。 「先程も話した通り、デジモンイレイザーを作り上げたと話す存在がいたんです」 ミヨの横につきまとうブラックセラフィモンの存在…そして、アンコの冷たくも恍惚とした顔はすぐにでも思い出せた。 「なら単純だ。アンコとブラックセラフィモン─ソレの排除をすればいい」 シュウから一人と一匹について聞いた権之助は、迷いのない口調で即答する。 元締めを叩けば流れは止まる─そういうことだと眼差しが告げた。 「ミヨちゃんを助けるんだ!やる事は最初から変わらねぇゼ!」 その瞬間、ユキアグモンがぐっと拳を握りしめて叫んだ。 小さな身体から、確かな闘志が滲み出ていた。 だが─低い笑いが、場の温度を下げた。 「…くく。そう簡単であれば、吾輩も苦労はせん」 デーモンが、肩を竦めるように影を揺らした。 「ネオデスジェネラル。デジモンイレイザーが従える七体の大幹部デジモンだ」 シュウは激しい戦いの中でその名前をすっかり忘れていた。 テラケルモン、ホムコールモン…既に対峙した数体だけでとてつもない力を見せていた。 ─それが、七体。 その数を聞いた瞬間、ユキアグモンも呼吸を僅かに乱した。 「その顔…既に存在を認識しているようだな」 ならば語ろう…デーモンはどこか懐かしむようにそう告げた。 だが、それとは裏腹に空気がさらに重く沈む。 「魔王は七つ。騎士もまた、十三…それは、七大魔王とロイヤルナイツの引き起こした"最終局面"だ」 聖なる白刃と瘴気を込めた魔弾が互いを削り合い、戦場はもはや墓場だった。 数に劣る魔王は強大な存在を眷属とし、その差を覆すと攻め立てた。 「イグドラシルを破壊し、ロイヤルナイツも残すは若僧が一人…だが、その頃には魔王も既に我輩以外は消し飛んでいた」 このレベルのデジモンが20体も集まり、本気で殺し会う─想像もできない戦いに、ユキアグモンが息を呑む。 回りの重々しい空気の中、デーモンだけはどこか楽しげに語り続けた。 『七大魔王は全て撃破した…お前が最後だ、デーモン!』 デーモンの前に立った青い影は、剣を構えた。 「本来であれば我輩がヤツを下し、そこで決着だった。しかし…そこに奴等(ネオデスジェネラル)は現れた」 『今こそ、このデジタルワールドをデジモンイレイザー様のために捧げよう』 7体の竜が深淵から飛び出す─その目的は、デジタルワールドの中枢・カーネルの支配。 彼らは氷の刀を振るい、拳を幻影ですり抜け、鎧を変化させた。 「我等は理解した。これは敵対している場合ではない、と」 仕方なくな…と僅かに潜めたその声が、異常さを物語っていた。 「そ、そんでどうなったんだゼ!?」 ユキアグモンが手を大きく振りながら続きを急かす。 「二体がかりで七体を相手取り、撃退した」 「撃退…」 シュウは唖然とする…あくまでも、撃退。撃破ではなかった。 「だが、我輩もただでは奴等を逃がさん」 デーモンはググッと、力強く拳を握り締めて見せた。 「司令塔たる男─自称デジモンイレイザーを握り潰した」 その言葉に嘘は無いだろう…それ以上にメリットがない。 「深い傷を負ったが、この戦場で最後に立っていたのは我輩だった」 その言葉の後に、なぜかデーモンはチラっとイツキを見た。 「ようやくお話が終わったな」 権之助はため息をつくと、静かにデジヴァイスVへ指を滑らせる。 側面のボタンを押し込むと、低い起動音が一度だけ鳴った。 次の瞬間、ぐおんっと世界が歪んだ。 疑似デジタルワールドが押し広がり、視界が一拍遅れて追従する。 柱も壁も天井も、現実の質量を失い、情報の輪郭だけを残して再構成されていく。 「さぁ。始めようではないか」 足元の感触が変わり、地面が変わる…シュウは、思わず辺りを見回した。 これはデジタルとリアルの境界・ARフィールド、あるいはデジタルポイントに近い空間─。 「あえて呼ぶならば、疑似デジタルワールドか」 「はじめるってなんだ?メシか?」 「試験だ」 ユキアグモンの問いに、デーモンは楽しげに答える。 「コイツはデジモンイレイザーへの報復を俺に依頼してきた」 「我輩としてはこのまま人類が滅びるも良いが…ネオデスジェネラルどもが痛い目を見るなら尚、良しだ」 相棒が話す間に、デーモンがそのローブを脱ぎ捨てる。 ズドンッと重たい布が落ちる音と共に、その巨体が露わになった。 筋肉の隆起は威圧そのものだったが、それ以上に目を引くのは─無数の傷。 切り裂かれ、焼かれ、抉られた痕。 どれも致命傷には至らず、だが確実に殺し合いを潜り抜けてきた証。 敗北の痕などではなく、生きるために刻んだ"結果"だ。 「そうして…権之助が見つけたネオデスジェネラルに対抗できそうな人物が、貴様たちだ」 「カオスドラモンとシャイングレイモンとやりあったお前にその可能性を見た」 権之助は片眼を光らせて、そう言いはなった。 「オマエ強いんだろ!?だったらオマエがやりゃあいいだろ!」 「腹立たしい事に若僧とネオデスジェネラルどもの付けた傷が深くてな…それに、魔王が動くのは最終局面が常だろう?」 ユキアグモンが思わず叫ぶが、デーモンはそう受け流す。 「あーあ。ついに始まっちゃいましたか」 イツキはどこか他人事のようにへにょっと笑いながらも、その目は油断なく状況を追っていた。 一歩も踏み出さず、戦場の外側から眺める者の視線だった。 「…そういえば、デジヴァイスを取り上げたままだったな」 デーモンが、思い出したように指先を鳴らす。 次の瞬間、見えない力がシュウの腕を無理矢理伸ばした。 「─っ!?」 弾き飛ばされるようにして、デジヴァイス01がシュウの手首へ叩きつけられる。 留め具が強引に噛み合い、骨に響く感触と共に固定された。 「ちっ…ユキアグモン、行くぞ!」 歯噛みしながらも、シュウはデジヴァイス01を掲げる。 「っしゃあ!ユキアグモン進化─!」 ─眩い閃光が、ユキアグモンの内側から膨れ上がった。 どこからともなく鋼鉄の装甲が飛来すると、重厚な金属が次々と光の内側へと入り込む。 やがて光は卵の様な形を取った後、限界まで膨張して破裂した。 鋼の兜、悪魔のような翼、シリンダーの露出する足…それは、戦うために鍛え上げられた鋼鉄。 【メタルグレイモンVi:完全体】 巨大な紫の機竜が現れ、シュウのデジヴァイス01に数値が表示される。 だが…デーモンは、ほんの僅かに目を細めただけだった。 「──"ソレ"ではない」 失望とも、断定ともつかぬ一言と共にメタルグレイモンViへ指が向けられた。 瞬間─デーモンの指先を中心に、黒い気迫が噴き出した。 空気が、抑え込まれた怒りに塗り替えられる。 「ぐっ…あぁぁッ!」 メタルグレイモンViは咄嗟に地面を踏みしめ、腕で身を庇った。 だが圧は腕の隙間をこじ開けて侵入し、巨体に膝を突かせる。 光が乱れ、進化の輝きが逆流し…光が弾けた。 そこには、再び小さなユキアグモンが現れていた。 「あいてーっ!」 ぼてっと地面に落下したユキアグモンは、自分の頭を撫でた。 「"あの光竜"を打ち破った姿になれ─舐めているようなら、本当に殺してしまうぞ?」 デーモンの声が、冷たく響いた。 それは命令などというレベルのものではなく、生存するための選択せざる終えないものだった。 これまでの進化のように、安定する保証はない。 力に呑まれ、二度と戻れなくなる可能性すらある。 それでも─ここで退く理由は、もうどこにもなかった。 「シュウ!オレは覚悟できてるゼ!」 ユキアグモンの声は震えていない。 小さな身体に似合わないほど、大きく、真っ直ぐだった。 「へっ…なら俺も、ついていくしかねぇな」 シュウは短く笑い、肩の力を抜いた。 一人と一匹は並び立ち、再びデジヴァイス01が眩く発光する。 その瞬間─胸元にしまっていた、ナガトから託された"石"が、呼応するように淡く輝いた。 意図したわけではないが、確かに二つの光は"重なった"。 「ほう…やはり、か」 デーモンが、心底楽しそうに口角を吊り上げる。 「ユキアグモン、ワープ進化─ッ!」 蒼黒い光が、視界のすべてを塗り潰した。 光は膨張し、限界まで広がったかと思うと、次の瞬間には強引に圧縮される。 まるで巨大な存在を、無理矢理一つの形へ押し込めるかのように。 影が生まれ、竜の輪郭が浮かぶ。 足元に現れた光のリングが、影を包み込みながら上昇していく。 肩、胸、腕、脚─ワイヤーフレームの体に、次々と装甲が装着される。 一つ一つが噛み合い、固定され、形を成していく。 最後に頭部装甲へ、黄色い眼光が灯った。 「うおおおおお──ッ!!」 【ダークドラモン:究極体】 「ダークドラモンッ!!」 蒼黒の竜人が再び世界へ出現する。 着地と同時に、疑似デジタルワールドに僅かな亀裂が走った。 それを見て、デーモンは楽しげに笑った。 ・04 蒼黒の竜人は、静かに拳を構えた。 構え自体は長い戦いの中で洗練されている。 重心は低く、無駄な力はない─しかし、研ぎ澄まされた戦意はあった。 「さぁ!どっからでも来やがれ!」 ダークドラモンの低い声が、疑似デジタルワールドに落ちる。 対するデーモンは、腕を組んでただ立っているだけだ。 だが、その足元から滲み出る圧は、地面そのものを軋ませていた。 シュウは苦い顔をしながらもデジヴァイス01から指令を放った。 「先攻は譲ってやろう」 「なら遠慮なく行かせてもらうゼ─ッ!」 言葉が終わるより早く、ダークドラモンが踏み込んだ。 遅れて疑似デジタルワールドが裂けるような音と共に、拳が放たれる。 直線的で迷いなく振るわれた拳が、デーモンの顔面を正確に捉え─止まった。 「なっ…」 拳は、デーモンの掌に収まっていた。 衝撃は確かに走ったはずなのに、肉が潰れる感触がない。 「軽くはない…だが、届いてもいない」 デーモンはそう言って、拳を受け止めたまま笑う。 次の瞬間にはもうダークドラモンは飛び退いていた。 拳、肘、膝─隙を与えない連続攻撃が次々と放たれた。 しかし…デーモンはその一撃一撃を、肉と骨で正面から受領した。 ダークドラモンは歯を食いしばり、ならばと姿を消した。 次の瞬間─ビシュンという音と共にデーモンの背後へ蒼い影が出現した。 瞬間移動と見紛う速度で、蒼い影がデーモンの背後へと滑り込む。 全身を捻り切った反動を余すことなく乗せ、蒼黒の脚が唸りを上げて放たれた。 首を刎ねてもおかしくない軌道と威力を備えた一撃が、確かに命中する。 ─はずだった。 鈍い衝撃音が疑似デジタルワールドに響いた直後、振り抜いたはずの脚が空中で止まっている。 違和感を覚えた瞬間、足首に食い込むような圧が走った。 視線を落とすまでもない。 デーモンの手が、確かにダークドラモンの足を掴んでいた。 次の瞬間、世界が反転する。 振り回される視界と共に、内臓が遠心力で引き剥がされる感覚が襲ってくる。 直後、容赦なく地面へと叩きつけられた。 床が砕け、衝撃波が走る。 疑似デジタルワールドの地面は蜘蛛の巣状に割れ、蒼黒の巨体がその中心へ沈み込んだ。 受け身は取った…だが、殺しきれない衝撃が全身を軋ませる。 「惜しかった…だが、悪くない」 デーモンはそう言って、呼吸一つ乱さずに見下ろした。 そこには、紛れもなく評価があった。 ダークドラモンは舌打ちすると、拳を握り直す─倒れたままで終わるつもりはない。 風を切り裂く音を遅らせながらも、再び姿が掻き消える。 次の瞬間、股下から放たれた穿弓腿をデーモンは余裕をもって躱した。 直後に放たれた気迫が、疑似デジタルワールドごと叩きつけるように炸裂する。 仰け反らされたダークドラモンは空中で姿勢を立て直し、音もなく着地してみせた。 その姿を前に、デーモンは愉快そうに喉を鳴らした。 まるで、反撃すら想定の内だと言わんばかりに。 「さぁ次はどうする」 この数手で、シュウはデーモンが正面からぶつかって勝てる相手ではない事を思い知った。 力の総量も、戦いの年季も、何もかもが違う。 それでも…先程から「思い通りだ」と言わんばかりの顔をしているのが、どうにも気に食わなかった。 だからこそ、一矢は報いる。 視線をデジヴァイス01に落とし、これまで蓄積してきた戦闘データの文字列を頭の中へ流し込む。 出力の変動、戦法、反応速度…隙はないものかと視線が忙しく走る。 「攻撃が当たらず、そろそろイラついてきたか?」 その間にも戦いは続いており、デーモンは怒りを得ようと露骨な挑発を仕掛けてくる。 ダークドラモンの拳が連続して叩き込まれる。 だが、そのすべては受け止められ、受け流され、最後には押し返されていた。 拳と拳がぶつかるたび、重たい衝撃音が疑似デジタルワールドを震わせるが、均衡は一瞬たりとも崩れない。 「彼らは、究極体に進化したばかりです」 イツキが、痛め付けられていくダークドラモンから目を逸らさずに言う。 「まだ、力を完全に制御しきれているわけでは…」 「なら、余計に使いこなしてもらわねぇと困るんだよ。ここはガキのふれあいコーナーじゃねぇんだ」 権之助は、淡々とした静かに声音だった。 その裏にある意図は明確だった…手負いのデーモンに傷一つ付けられない者に、ネオデスジェネラルの撃破など不可能。 この戦いは、そういった意味での試験だった。 シュウのデジヴァイス01に映し出される数値を見て、彼は小さく「やっぱりな…」と呟いた。 ダークドラモンのステータスは確かに高い─だが、限界には程遠い。 かつてシャイングレイモンと激闘を繰り広げたあの時…あらゆる数値はもっと暴れ、制御不能なほどに跳ね上がっていた。 振り回された力を制御しようとするがゆえに、無意識のままに踏み込めなくなった力。 次の瞬間─ダークドラモンの巨体が抗いきれぬ力に弾き飛ばされ、地面へと叩き落とされる。 疑似デジタルワールドの地面が陥没し、砕けた情報片と土煙が一気に噴き上がった。 「っ…!」 シュウは咄嗟に腕で顔を庇う。 視界が白く塗り潰され、衝撃の余波が身体を叩いた。 ─あの時の記憶が、脳裏を過ぎる。 メタルグレイモンViへと進化した、あの直後。 自分の弱気と迷いが、デジヴァイス01を通して伝わり、力を暴走させてしまった戦い。 守るために強くなったはずなのに、恐怖が先に立ってしまった失敗。 (あの時と違うのは、俺の覚悟─) 煙の向こうに、確かに立ち上がろうとする影が見えた。 揺らぎながらも、折れてはいない蒼黒の輪郭。 シュウは、迷わなかった。 デジヴァイス01の巻かれた右手を握り締め、腹の底から声を張り上げる。 「ダークドラモン!本気を出せ!躊躇うな!」 その名を呼ぶ声には、恐れも、計算もない。 「俺は、お前に気合いでついていく!」 数値、理論、制御、命令…そのどれでもない。 一緒に踏み込む─ただ、それだけの意思。 煙の奥でダークドラモンの背筋が、僅かに伸びた。 その黄色い眼差しが確かにシュウを捉え、強く発光した。 瞬間移動のような速さで起き上がった蒼黒の竜人が、再び地を蹴った。 さきほどまでとは、明らかに違う…抑えていた何かが、静かに外れる気配がした。 空気の流れが、わずかに重くなる。 速度、踏み込みの鋭さ─疑似デジタルワールドを切り裂く音が、一拍早くなっている。 「…ほう?」 デーモンの口角が、わずかに上がったまま止まる。 姿勢は変わらないが、視線だけが忙しなくダークドラモンを追い始めていた。 「貴様の体内にあるダークマター。それは七大魔王の一柱・強欲のバルバモンが作り出した"デジコアの一種"だ」 デーモンは、正確に拳を受け止めながら低く言った。 その声音には嘲りとも、嫌悪ともつかない重さが滲んでいる。 「ンなことが、どうしたあああッ!!」 咆哮と共に、ダークドラモンの動きがさらに加速する。 踏み込みが鋭くなり、残像じみた軌道で拳が放たれた。 「あやつは…我輩を含む、他の七大魔王からこっそりとデータを奪った」 デーモンは攻撃をいなしながら続ける。 「それだけでは足りず、異世界の強力なデジモンのデータすら混ぜ込んだ」 次の瞬間─ダークドラモンが、デーモンの反撃を紙一重で回避する。 「おおおおおおッ!」 回転を殺さず、そのまま踏み込み─跳ね上がるようなアッパーが、デーモンの顎を正確に捉えた。 鈍く、確かな手応え─。 「一撃が、入った……!」 「なんと!」 「やるじゃねぇか」 シュウが思わず声を上げ、イツキは楽しそうに笑う。 そして、権之助は僅かに眉を動かした。 ダークドラモンの拳は止まらない。 押す、押し込む。 デーモンの巨体が、ほんのわずかだが後退した。 「…故に。その力は、強すぎる」 デーモンは、顎に残る衝撃をそのままに告げる。 両腕を組み上げる動作は、あまりにも静かだった。 次の瞬間、その腕がハンマーのように振り下ろされる。 ─衝撃。 ダークドラモンの巨体が地面へ叩きつけられ、空間が歪んだ。 装甲に、はっきりとした亀裂が走る。 「─がッは!!」 デーモンは空中からダークドラモンを見下ろす。 「制御して見せればネオデスジェネラルにも─いや。我輩にすら、傷をつけられる"かも"しれぬな」 彼はダークドラモンたちを認めつつありながらも、自分への絶対的な自身を言葉として発していた。 「本当に…忌々しい忘れ形見よ」 そう吐き捨てるように言い残し、デーモンは地上に降り立った。 「…ったく。オッサンの昔話は、なげーな」 ダークドラモンは、低く息を吐いた。 その声には、怯えも、迷いもない。 あるのは、揺るがない闘志と鬱陶しさだ。 ゆっくりと立ち上がり、口元に滲んだ血を乱暴に拭う。 装甲の隙間から軋む音が漏れ、体が限界に近いことは隠しようもなかった。 「もう一回言ってやるゼ…ンなことが、どうしたってな!」 吠えるように言い放ち、視線を逸らさない。 自分の体の中にあるものが、誰が作った何で、どれほど危険か─少しは理解していないるつもりだ。 だが─。 「オレの中に何があろうと、てめーに因縁があろうと…今ここで、オッサンを殴る理由が変わるわけじゃねぇんだゼ?」 拳を握ると装甲が軋み、ひび割れが広がる。 それでも、下げる気はなかった。 そして─ふいに、ダークドラモンは振り返った。 「そうだろ、シュウ!」 その呼び声に、シュウは一瞬だけ驚くが、すぐにダークドラモンの目を見返す。 「─だよな!」 シュウは短く、いたずらっぽく笑った。 恐怖を押し隠すでもなく、虚勢を張るでもない。 ただ、同じ場所に立っているという確認。 「聞いたかよ、オッサン。オレたちゃ"そういう"コンビなんだゼ!」 ダークドラモンは満足そうに口角を上げ、手のひらを開いた。 【デスブラスト】 紫の光弾が連続して放たれ、一直線にデーモンへと殺到した。 しかし、デーモンが身を捻るその直前に光弾の軌道は不自然に揺らいだ。 その動きを見たシュウは、僅かに目らを細める。 「─!」 ダークドラモンは着地と同時に踏み込み、今度は肉弾戦に移行する。 連続する近接打撃が、嵐のように叩き込まれる。 表示される数値が、明らかに変化している。 それは単なる数値の上昇ではなく、偏りだ。 出力、反応速度、演算の負荷─だが、勢いがありすぎる。 深すぎる踏み込みは数センチの誤差を産み、拳が逸れる。 しかし、デーモンが見せる対応から"滑らかさ"が僅かに失われ始めていた。 【ダークスピリット】 ダークドラモンは闇エネルギーを込めた渾身の拳を、わずかに踏み込みの角度を変えながら撃ち抜いた。 デーモンはそれを受け止める─はずだった掌が、わずかに遅れる。 肩口を掠めた拳から起きた風圧が、周囲にヒビ割れのようなノイズを走らせた。 「─もう一発ッ!」 吹き荒れる闇の余波の中で、ダークドラモンが口元を歪めて笑った。 だが、その瞬間だった。 反撃として振るわれたデーモンの拳が、重たい衝撃と共にダークドラモンを捉える。 「残念だが…また届かなかったようだ」 低く、断じるような声。 蒼黒の巨体が宙を舞い、疑似デジタルワールドを滑るように吹き飛ばされる。 背中から展開されたエネルギーの翼が大きく広がり、爆発的な推進力が生まれた。 地面を抉りながらもなんとか踏みとどまり、巨体が止まる。 「お前、右目に傷があるだろ」 シュウの落ち着いた声に、デーモンの視線が僅かに細くなる。 まさにその右目には、塞がりかけた傷痕が残っていた。 「ネオデスジェネラルか、ロイヤルナイツか…どっちにしろ、今の俺たちには勝てるような相手じゃないだろうな」 「だが─ソイツらがつけた傷のせいで、お前ほどの実力者でさえ右側への対応にほんの一瞬ラグが生まれる」 シュウは、わざとらしく右のこめかみをトントンと指で叩いてみせる。 「…なるほど。届いたな」 デーモンは緩やかに右肩が赤く染まるのを横目に見た。 そう、ダークドラモンの拳圧は肩を射貫いていた。 「さっきのデスブラストはな、それを確かめるためだ。左右にバラ撒いて、反応の差を見る…案の定だったよ」 ソレを見たシュウは、不敵なしたり顔を浮かべる。 成功した作戦をわざわざ説明して聞かせるシュウの悪癖が、ここで顔を出す。 「…それで、その作戦はいつ話した?」 デーモンの問いにシュウは答えず、デジヴァイス01の画面を突きつけた。 そこに映し出されているのは、戦闘開始直後に送信されたコマンドログ。 射撃の角度、踏み込みの方向、間合いの調整…すべてが、最初から組まれていた。 「戦いが始まった時点で、もう指示を出して"いた"よ」 「わかったぞ…ふふ。我輩を、怒らせようとしているな?」 デーモンの口元がゆっくりと吊り上がり、疑似デジタルワールドが軋んだ。 笑みを浮かべたまま、圧だけが一段階跳ね上がる。 確かに届いた…だがそれと同時に、本気で"潰す理由"も与えてしまった。 「この憤怒を司るデーモンを」 ・05 シュウの狙いは、最初から明確だった。 勝つことではない─ましてや、倒すことでもない。 自分を見下ろし、怒らせて遊ぼうとした存在に対する"意趣返し(いやがらせ)"。 最強を自認するデーモンが過去に受けたであろう、屈辱的なダメージ。 シュウはそれを利用し、相手が最も触れられたくないであろう場所を、わざと指でなぞった。 治りきっていない傷を抉るためではない、思い出させるためだけの行為だった。 届かない…だが、届いたと思わせる。 怒りを引きずり出すためだけの、最低限の成功。 それが、この一連の攻撃だった。 (ここで俺たちを簡単に殺すようなヤツじゃないのはわかってる…) イタズラが成功した子供のようにニヤつくシュウを眼下に、デーモンはそれを察していた。 察した上でなお、ほんの僅かに─だが確かに、その強い感情を漏らした。 「…貴様は約束を信じたのか?この"我輩(まおう)"の言葉を?」 低く、深い声が疑似デジタルワールドを震わせる。 デーモンは僅かに腫れた肩にわざと力を込め、全身に濃密なエネルギーを張り巡らせた。 黒と紫の奔流が血管のように浮かび上がり、魔王の輪郭を際立たせた。 疑似デジタルワールドが、悲鳴を上げる…破裂音と共に、周囲の景色が歪み、裂け目の奥から異空間が姿を覗かせた。 空間と空間の境界が剥がれ落ち、データが剥き出しになる。 それは─かつてダークドラモンとシャイングレイモンが、全力でぶつかり合った末に生じた現象。 だが今、デーモンはそれを造作もなく再現してみせていた…あの死闘の結果を、単なる副作用のように。 疑似デジタルワールドの裂け目の向こうで、暗黒のエネルギーが収束する。 紫炎が渦を巻き、竜巻の形を取り始めた。 疑似デジタルワールドそのものの色が変わり、焼かれていくような感覚。 裂け目の縁が黒く焦げ、情報が0と1に崩れ落ちる。 【ケイオスフレア】 それはデーモンが持つ技の一つに過ぎない。 だが、放たれる前から"終わり"を予感させるには十分すぎた。 生き延びるための計算が、すべて意味を失うほどに。 「シュウ、やべーゼ!」 ダークドラモンの声に、焦りが混じる。 「…今更"冗談だから許してください"は、通じなさそうだな」 シュウは乾いた笑いを漏らしながら、デジヴァイス01へ視線を落とした。 表示されるデーモンのステータスは、もはや意味を成していない。 予測上では、あの一発で戦闘は打ち切られる。 怒らせはしたが、本気を出させる前に幕を引く…そういう算段だった。 だが、現実の魔王は違った。 「…流石に、止めた方がいいんじゃないですか」 笑顔を崩さないままだが、イツキはようやく焦りを滲ませた声を漏らす。 天然か冷静か…どちらにせよ落ち着きを保っていたイツキですら、この異常を"遊び"としては見られなくなっていた。 しかし、権之助は断言する。 「人類が滅びるなら、今滅びた方が慈悲深いだろうな」 「─なら、これで行くしかない!」 権之助は止まらない…そう判断したシュウは声が鋭くなり、コマンドが連打される。 【カースアーマー】 【ヘルカウンター】 【変異種防壁(イリーガルプロテクト)】 「防御を三段重ねで展開だ!」 命令は一息。 ダークドラモンは即座に応え、全身にエネルギーを張り巡らせた。 それを見たデーモンが、腕を振り下ろした。 紫炎の竜巻が解き放たれ、世界を喰らうように前進する。 それは攻撃というより、災害だった。 疑似デジタルワールドのヒビ割れが、隠しきれないほど明確に広がっていく。 地を蹴り、ダークドラモンの巨体が宙へと躍り出る。 紫炎の竜巻と真正面から向き合う形で、空中に身を投げ出した。 シュウだけではない─背後にいるイツキ、権之助、その全てを守る位置だ。 力場が空間に展開された瞬間、周囲が歪み結晶化したかのように硬化する。 視界の端で空気が砕け、光が屈折する。 敵との絶対的な実力差を一時的に詰めてしまうほどの異常な防御機能─それが、変異種防壁。 ダークドラモンはその盾を全力で前方へ、嵐へ突き出した。 だが、紫炎が激突した刹那─防壁全体に、耳障りな破砕音が連鎖した。 結晶の層に無数の亀裂が走り、白い粉塵が空中に舞い上がる。 削り取られ、剥がれ、崩れていく。 それほどまでに、七大魔王の力は凄まじかった。 「ぐうっ…ンのヤロー…!」 ダークドラモンは防壁を後ろから押し、何度も空中で踏み込む。 全身のメカと筋肉を強引に噛み合わせ、力を前へと送り込む。 それでも炎の竜巻は、威力を失わない。 抑え込まれているだけで、内部では凶悪なエネルギーが暴れ続けていた。 灼熱と衝撃が、防壁越しに肉体を叩く。 ダークドラモンの喉から、思わず声が漏れる。 それは苦痛であり、覚悟であり…限界の兆しだった。 その時、変異種防壁がついに限界を迎える。 乾いた破裂音と共に、防壁は粉々に砕け散った。 煌びやかな破片が光を反射しながら飛び散り、ダークドラモンの巨体が大きく仰け反る。 だが仮初めの大地へと墜つる前に、ダークドラモンは即座に姿勢を立て直す。 薄紫のオーラ・カースアーマーを装甲の表面に発生させ、攻撃を反射させる黒い渦・ヘルカウンターを展開する。 紫炎の嵐を、逆回転する闇の渦で押さえ込もうとする。 しかし─その圧力は想定を超えていた。 両腕があらぬ方向へ引き延ばされ、骨格が悲鳴を上げる。 全身と喉から、抑えきれない叫びが迸った。 「がああああ゙──ッ!!」 それでも、止まれない。 ここで止まれば、シュウの命が失われる。 さらにその先、疑似デジタルワールドの外にあるリアルワールドもただでは済まない。 両腕が焼き切れようとも、止まる訳にはいかない。 ─その瞬間。世界から、音が消えた。 紫炎の壁に純白の衝撃が突き刺さる。 疑似デジタルワールドが一瞬だけ"昼"に塗り替えられた。 「あ、あれは…!」 自身の頭上を飛翔し、現れたデジモンにシュウは息を呑む。 先程放たれた光の主は、ゴッドドラモン。 腕に巻かれたホーリーリングが、かつてないほど強く輝いていた。 「──遅れて申し訳ありません」 その声と同時に、銀色の光がどこからともなく飛来する。 光はゴッドドラモンの全身を包み込み、装甲の輪郭を軋むように変質させていく。 【ゴッドフィスト】 再び振るわれた拳は、聖と剛を兼ね備えた力がさらに研ぎ澄まされていくのが分かる。 強烈な光を受けた闇の嵐は、その勢いを僅かに衰えさせる。 次の刹那─闇を切り裂くように、強烈な輝きが再び叩きつけられた。 金と銀、二つの光を纏った拳が三度叩き込まれた。 連続して放たれる必殺技に、シュウのデジヴァイス01がけたたましく反応する。 一撃ごとに、ケイオスフレアが確実に削り取られていく。 光はなおも収束を続け、ついにゴッドドラモンの全身を包み込んだ。 【ゴッドドラモンX抗体:究極体】 姿の変化が完了すると同時に、放たれた一撃。 銀光が走り、紫炎の竜巻を真正面から打ち砕く。 遅れた轟音と共に、ケイオスフレアは四散する。 【ヘルカウンター】 すかさずダークドラモンが腕を回し、ヘルカウンターを大きく再展開、回転させた。 逆回転の渦は弱まりきった竜巻をなんとか吸収・収束─巨大なエネルギー弾へと変換した。 ダークドラモンは即座にそれを蹴り飛ばし、デーモンに跳ね返した。 デーモンはそれを避けることもせず、正面から受け止める─そして、手を僅かに焦がしながらも全身に力を込めて握り潰した。 ヘルカウンターの反動で、ついに疑似デジタルワールドの崩壊がはじまってしまった。 そして、ダークドラモンは荒い息を上げながら地に倒れ込んだ。 「…凌いだようですね」 イツキはそう呟き、自分の言葉の軽さに眉をひそめた。 事実、目の前の破壊は止まっている。 だがそれは、ダークドラモンだけの力によるものではなかった。 ゴッドドラモンX─その圧倒的な光の介入が、状況を強引にねじ伏せただけだ。 「しかし、これは…」 言葉の続きを、イツキは飲み込む。 状況の攻略と呼ぶには、あまりにも不格好だった。 デーモンは、砕け散った紫炎の残滓を一瞥すると、ゆっくりと視線を持ち上げた。 その瞳が捉えたのは、金と銀の光を纏う存在。 「…嫌なモノが、現れおったわ」 デーモンは口元を歪め、不快感を隠そうともしない低い声で呟いた。 疑似デジタルワールドが、再びわずかに軋む。 ゴッドドラモンXは一歩も動かない。 だが、その存在そのものが見えない境界線を産み出している。 「貴方の悪巧みは、監視させてもらっています」 静かで、断定的な声…そこには怒りも挑発もない。 ただ、見ているという事実だけが告げられる。 ・06 「ふぅ。うまく行ってよかったんよー」 シュウの背後から、柔らかい声が割り込んだ。 「幸奈ちゃん…どうやって、ここに」 シュウの問いかけは、半ば呆然としていた。 戦場の中心にいながら、まるで日常の延長にいるかのような佇まい。 厳城幸奈─彼女には驚かされるばかりだ。 「ん〜〜。家族のお家に、私がいるのは当たり前じゃない?」 そう言って、少しだけ首を傾げる。 家族─それはシュウにあまりわからないもので、少しうつむきかけた。 「たぶん、デジヴァイスがあったから巻き込まれちゃったのかもね」 銀色に光るデジヴァイスを軽く振り、軽い声色で話す。 その光の中心には、イツキから聞いた"紋章"とやらが浮かび上がっていた。 ふわふわとした態度と柔らかい笑みは、 張り詰めきった疑似デジタルワールドの中で異物のように浮いていた。 そして同時に、シュウの思考のリズムをいつも通りに狂わせていた。 「あのときね、あまり力になれなかったな…って思ったの」 町を破戒し尽くす赤熱の太陽・シャイングレイモンを前に、ゴッドドラモンは地に落ちた。 柔らかく、穏やかな幸奈の表情の背後にわずかな悔しさが滲み出る。 「だからね、友達やべたたんと隠れて特訓しちゃった!」 そう言って幸奈は、えっへんと胸を張った。 誇らしげなその仕草に、恐れや迷いは一切ない。 その成果が、今まさに目の前にある。 X抗体という、才能を限界寸前まで引き出す領域。 それをあっという間に制御させてしまうのが、なんだか彼女らしかった。 「復興の手伝いもして疲れてるだろうに…」 「私は、誰かを助けるシュウくんを助けたいから…ね?」 幸奈はそう言って、一歩踏み出した。 迷いなく差し出された手が、シュウの手を取る。 温かい─戦場の冷気とはまるで無縁の、現実の体温。 かつてなら、振り払っていた。 巻き込むことを拒み、頼ることを恐れ、独りで立とうとしていた。 だから、今のシュウはその手を振り払わなかった。 「ごめん。ずっと、幸奈ちゃんの事を信じてなくて」 これまでの事を謝りたかった─指先に、わずかに力が込められる。 幸奈の視線が僅かに下を向く。 「いいよぉ〜」 「だからこれから─ってええ…?」 「謝ってくれたなら、私は許すんよ〜」 さらっと謝罪を受け入れた幸奈は、顔を上げるとふにゃっと笑う。 シュウも、頭を撫でられながら苦笑いで微笑み返した。 それは、戦いの中でようやく見せれるようになった、素の表情だった。 その様子を見たダークドラモンは、歯を食い縛りながら立ち上がる。 膝が一瞬だけ折れかけるが、それでも拳を構えた。 だがその拳には、もはや十分な力が宿っていない。 「ダークドラモン、無理はしない方がいいですよ」 「へっ。オレはまだ余裕だゼ…さぁ試合再開だゼ!」 虚勢─自分でも分かっているほど、露骨な強がり。 その様子を見て、デーモンは興を削がれたように息を吐いた。 それに、疑似デジタルワールドは完全に剥がれ落ちていた。 戦いをこれ以上続けては、リアルワールドを再び破壊し尽くしてしまうだけだ。 「……もうよい」 低く、だが明確な拒絶。 戦意そのものを切り捨てる声だった。 「貴様たちだけでは、ネオデスジェネラルに敵わんだろう…」 言葉は厳しい…しかし、そこに侮蔑だけはない。 「だが。仲間と共にならば、この魔王にすら食らいついて見せる…それが、貴様たちの強さか」 デーモンは焦げた手のひらを見つめながらそう話すと、再びローブに身を包んだ。 「仲間、仲間─虫酸が走るわ」 彼はすぐに不服そうな態度でそう吐き捨てたが、それは否定しきれない勝機を認めた証でもあった。 「それに…溺愛する孫の登場に、ヤツもすっかり戦意を失ってしまったらしい」 そして、視線だけがゆっくりと別の人物へ向く。 ニヤつくデーモンから権之助は顔を背け、舌打ちする。 「黙れ。次は、ここではやらんことにする」 「気に食わんが、我輩の課した力を示す試験に貴様たちは合格した」 「合格!?へへ、やったゼ…うっ…」 ダークドラモンはデーモンの言葉に喜ぶが、そのダメージが祟り、一気にユキミボタモンまで退化してしまう。 そのまま目を回して気絶すると、イツキに拾われた。 デーモンの怒気はすでに収まり、そこにあるのは冷静な評価の目だった。 「だが…ネオデスジェネラルに今日のような小細工が通じると思わない方がいいぞ」 「厳城さん。一瞬だけですが、デーモンたちの巨影がリアルワールドに漏れてしまいましたよ」 「…後始末は政治家の得意科目だ」 暴れさせすぎましたねぇ〜と、他人事のように笑うイツキを権之助は睨む。 だが、権之助の視線が幸奈へ向いた途端…その表情は嘘のように緩んだ。 次の瞬間、彼は音もなくシュウと幸奈の背後に立っていた。 繋がれてい二人の手の間に、正確無比な指が差し込まれ、絡んだ力だけが切り離される。 直後、権之助の大きな手が幸奈の手を守るように包み込んだ。 その時、ようやく二人は自分たちの手が離れていることに気付いた。 痛みや引き剥がされた感覚はない─シュウは言葉を失い、幸奈は楽しげに笑う。 「怪我はないか?寒くはないか?お腹空いてないか?」 「大丈夫だよ〜ほら、べたたんも元気!」 権之助にぺたぺたと触られる幸奈は、にこにこと答える。 ゴッドドラモンからベタモンへと退化したべたたんは幸奈に抱き抱えられ、笑った。 「おぉ〜べたたんも相変わらずべたっとしてるなぁ〜」 その様子を横目で見ながら、シュウは内心で数歩引いた。 (こりゃ完全に溺愛してんな…) とてもではないが、さっきまで世界を壊しかねない行動を起こした人物と同一人物とは思えない。 「無茶をするなと言っただろう」 「だって大丈夫だって思ったから〜」 権之助と幸奈を少し離れた場所で見つめるシュウに、デーモンは静かに向き直った。 「人間。その石…デジメンタルについて語っておこう」 デーモンは念力でシュウの懐から石を引き寄せた。 魔王の気配に呼応したのか、石がかすかに震える。 その言葉に、シュウはわずかに眉を動かす…浩介たちの持っていたソレとは、明らかに形も性質も違ったからだ。 「俺の知っているモノとは少し違うようだが…」 「違うモノだ…だが、なぜかこう呼ばれているのだから仕方あるまい」 そんな適当な…シュウは苦笑いする。 「ソレは高度な完全体、そして究極体が本気で戦うことで発生する凄まじい余剰エネルギーを吸収し、内部に蓄積する媒体だ」 「それは必要な時に"進化エネルギー"として代替できる…ということか」 デーモンの言葉から即座に仮説を立てるシュウ。 魔王は、ほんの一瞬だけ遠くを見るような目をした。 「そうだ。我輩が、かつてロイヤルナイツとの決戦において仕込んだ"切り札"だ」 風も音もないのに、言葉だけが重く落ちる。 ダークドラモンとゴッドドラモンXが並んでもなお、余裕を見せていた彼が欲しがった程の力。 「ネオデスジェネラルとの戦いの折、我輩と共に戦ったロイヤルナイツの若僧…アルフォースブイドラモンがいた」 その名を口にした瞬間、デーモンの声にわずかな感情が混じった。 少なからずの因縁があったことを感じざるを得なかった。 『お前は用意周到なヤツだ…持っているんだろ?この状況を打破する"切り札"を』 『クク…いいだろう。貴様に使わせてやる』 かつてネオデスジェネラルに囲まれた2体は、背中を合わせながらそう話した。 「奴はその石の力を"全解放"し、ネオデスジェネラルの総攻撃をも叩き伏せた」 「だが…デジメンタルもその戦いの中で失われた、あの若僧もネオデスジェネラルの一体を封印しながら光と消えてしまった」 シュウは、無言のまま息を呑んだ。 「我輩が貴様らに用事があった理由─それは懐かしい物が使われた気配を感じたからだ」 デーモンの視線が、イツキに抱えられたユキミボタモンへと定まった。 そして、しばし逸らされることはなかった。 あの中に、自身の力も込められているのを感じているのだろう。 「やっぱり、そうか」 シュウは乾いた声で呟いた。 「なんとなく察してはいたが…これは、そんなに凄い代物だったってわけだ」 「問題点に気付かんようだな」 デーモンは鼻で笑う。 「先程も説明したがダークマターは、あまりにも強すぎる。魔王の力を束ね、人間の器に流し込むにはな」 魔王たちが融合した結晶とも取れるその力…ここまでの苦戦続きのせいか、まだシュウには自覚がなかった。 「その石は、デジヴァイスを通じて貴様に返る"反動"を相殺している」 その言葉は、救いであり、警告だった。 「つまり俺が今も生きているのは、その石のおかげってコトか?」 嫌な予感が背骨を這い上がり、シュウの喉がかすかに鳴る。 「そうだ。ダークドラモンへの進化を繰り返せば、いずれ石の中のエネルギーは枯渇し、相殺しきれなくなるだろう」 デーモンは、はっきりと言った。 「つまり俺は死ぬってことか」 世界が僅かに遠くなったように感じられたシュウは、目を細めた。 背後では幸奈の笑い声が聞こえている。 それが、ひどく遠い。 「覚えておけ。何もかも時間がないぞ」 その言葉だけを残し、静かに背を向けたデーモンは煙となって完全に消えた。 おわり .