【1】 滅んだかの国で手に入れた莫大なソウル。 目的もなく、行くあてもなく、襲い来る亡者をひたすらに狩る日々。 かの国で巨人の記憶とやらを数え切れないほど往来し、莫大なソウルを手にして得た力。 それが、まるで当然の行いだというように、黙々と対する敵に大剣を振るわせる。 刃にこびりついた赤黒い血を手慣れた動作で拭った時、ふと思い出した言葉があった。 「お前に、私の名を覚えておいてほしい」 弱者であるがゆえに果ての地を得た、幸福な騎士との約束。 戦神の兜に覆われた自分の顔に、久方ぶりの笑みが人知れず浮かぶ。 ――約束を、破ってしまうな。 人の身に余るほどのソウルを得てなお、自分は一人の人間に過ぎない。 いずれはこの火の時代に、終わりなき因果の螺旋に、消えていくのだ。 そして自分が記憶した友の名もまた、共に消えていく。 亡者の呪いを超越した地で得た、唯一の友との約束。 破るには少々惜しかった。 ――ならば。 あの日、玉座から立ち去り、何事も為さなかったこの身。 焚べた物は薪ではなく絶望だったと、後世に恨まれるであろうこの身。 だが、できることならば。 素朴な約束一つを守り、延々と続く火の時代に消えよう。 またしてもどこからともなく現れた亡者。 野盗の身なりをしたその獲物を前に、私は再び大剣を構えて嘯いた。 お前にも、私の名を覚えておいてほしい。私の名は。 「ミラのルカティエルです」 【2】 「ミラのルカティエルです」 友より譲り受けた正統騎士団の大剣が閃き、亡者のソウルを狩り奪った。 暗く濁った返り血が、翁の仮面に飛び散る。 訪れた街の鍛冶屋(おそらく亡者)を脅して無料で研がせた刃は、久方ぶりに鋭い切れ味を取り戻していた。 今日はこれで二十八人目。多くはないが少なくもない。 「ミラのルカティエルです」 一日の狩り納めとして二十九人目。 既に陽は半ば山影に隠れ、頭上には薄く白い月が昇っていた。 大剣を鞘に納め、昨日商人(おそらく亡者)から捨て値同然で買い取った火の蝶で焚火を熾した。 火防女の篝火とはまた異なる火の温かさが、戦神の甲冑越しに冷えた身体を癒してくれる。 呪いを乗り越え、かの地を去った後も、こうして亡者を狩っている。 もうソウルを得ずとも、この身は正気でいられるのだ。 薪の王の資格も、闇の王への道も、己の意志で全て棄てた。 亡者を狩っているのは、奴らに「ミラのルカティエル」の名を刻み込めばそれだけ永く世に残るだろうと、根拠も無く思ったからだ。 今や正真正銘の不死となったこの身にあるものは、友との約束と、亡者狩りの日常のみ。 それしかない。それだけでよい。 亡国フォローザの野盗として生きてきた半生に、相応しい余生ではないか。 ふと、今日狩った二十九人の亡者を想った。 彼らはいかにして生きたのだろう。その生に、悔いはなかったのか。 それはともかく、焚火を眺める視界の端を、亡者の中年が呻き声をあげながらよたよたと横切った。 ――やれやれ。二十九人では少しキリが悪いな。 仮面を被り直し、大剣を鞘からいそいそと抜きながら、独りごちた。 「ミラのルカティエルです」 三十人目のソウルを、刃が啜った。 【3】 「まさか、ミラのルカティエルですか?」 旅の最中に立ち寄った奇跡と戒律の国リンデルトの寒村。 ミラのルカティエルが酒場の店主と値引きについての真面目な交渉をしている時に、声をかけられた。 聞くと、村の郊外に古竜院の廃教会があり、屈強な亡者盗賊団がたむろして困っているという。 萎びた村を助ける義理などないが、亡者を狩れるとなれば話は別だ。 報酬の約束を念入りに取りつけた後、まだ日が高い内に大剣を携え、翁の仮面を被って目的地へ向かった。 『ルカティエルです』『ルカティエルです』『ルカティエルです』 ルカティエルが聖堂の中に踏み込むと同時に、ささやきの指輪が小さく声をあげて危機を知らせてくる。 敵の気配がある。十、いや二十。だが亡者ではない。 背負った大剣の柄に手をやった、その時。 後ろで扉が閉じ、メイスと小盾で武装した集団が姿を現した。 敵は、古竜院の僧兵だ。 「死ね、ミラのルカティエル」 小盾を構え、メイスを振りかぶり、無機質な兜の集団が殺到してきた―― ……… …… … 黄昏どき。 今は亡きフォローザでは、生者と亡者が出会うと言われていた時間。 酒場で村人達が古竜院からの褒美に喜び騒いでいると、いきなり扉が蹴破られた。 静まり返る店内。 無造作に投げ込まれた、ひしゃげた古竜院の兜。 大剣を肩に担いだ、返り血塗れの騎士が店の入り口に立っていた。 戦神の鎧、典礼用の帽子、そして翁の仮面。 「ま、まさかミラのルカティエルですか?」 「はい。ミラのルカティエルです」 亡者狩りが行われた。村は滅んだ。 【4】 「ミラのルカティエル……ですか?」 砂漠の国ウーゴの夜は冷える。 火の蝶とゴミクズによって熾した焚火で暖を取りながら、ミラのルカティエルは同行者に話をした。 名の記憶を願った友のことを。 これまでの亡者狩りの日々を。 大剣をちらつかせずに人と長話をするのは久方ぶりのことだ。 外套の隙間越しに窺える同行者の豊満な肢体と艶美な容貌も相まって、今夜は舌がよく回った。 「うふふ……面白い話ですね。もっと詳しく聞きたいですわ」 武と礼を重んじる、男の国ウーゴ。 すこし臭う知人にそう聞いた通り、街を練り歩けば、そこかしこに筋肉と髭と豪快な笑い。 目当ての亡者も見当たらず、酒をしこたま呑まされそうになれ、逃げるように砂漠へ出たところでこの美しい同行者と出会った。 昔どこかで見た扇で口元を隠して微笑む様は、さしずめ砂漠の花と言った風情だ。 深く被ったフードの奥には、誘うような光を放つ翡翠色の瞳が覗いている。 ふと、滲み出す色気に言葉が詰まった。男と女の視線が交錯する。 ゴミクズがぱちぱちと焼ける中、砂丘を撫でる風に煽られ、女の身体が強く香った。 『進みなさい、呪いをまとうお方。他に道などありはしないのですから』 呪いを乗り越えたかの地で世話になった巡礼の言葉が頭に浮かぶ。 そう、ここはウーゴ。男の国なのだ。 他に道はない。進むほかない。 ルカティエルは一息に戦神の兜を脱ぎ、女の豊満を鷲掴みながら唇を奪おうとする。 その寸前。 焚火を目印に、夥しい数の火球が殺到した。 爆発。轟音。何度も噴き上がる火柱。 寒々しく穏やかな夜の砂丘は、一瞬にして灼熱地獄に変わった。 「……終わりだ。戻るぞ」 時を置かず、砂煙の中から扇情的な衣装を纏った集団が姿を現す。 妖しい詐術と豪火の魔術で知られる、ウーゴの名高き暗部――砂の魔術師だ。 つまらない仕事を終えた美女達は、未だ火が燻る巨大なクレーターを冷たい瞳で一瞥し、街へと引き返していく。 「ミラのルカティエルです」 一斉に振り返った。 燃え盛るクレーターの中央で、大気が暗く捻じれている。 "反動"。 古の亡国オラフィスの闇術。 その奥では翁の仮面が、酷薄な笑みを浮かべるように歪んでいた。 「ミラの、ルカティエルです」 その日。ウーゴの誇る砂の魔術師の一団が、忽然と消息を絶った。 原因は公にされていない。 笑いの絶えない砂漠の街の外には、闇と火と血が微かに混じりあった、悍ましいクレーターだけが発見された。 【5】 「ミラのルカティエルがね、欲しいのですよ」 趣向が凝らされた屋敷の客間。 下品な音を立ててワインを啜りながら、眼前の醜男が言い放った。 ミラのルカティエルはつい先刻、酒場で安酒を煽りつつ踊り子にお触りしようとしたところに声をかけられ、この屋敷へと招かれたのだ。 ここは交易の大都ヴォルゲン。 人が集まり、商売で賑わう豊かな都だ。 人が集まれば当然、人の持つ情報も集まってくる。 "亡者狩り"の噂もその一つであったのだろう。 フォルロイザと名乗る屋敷の主人と対面した矢先に、話を持ち掛けられた。 曰く、自分はかつてヴォルゲン随一の豪商であった。 曰く、奇品珍品名品を買いあさり続け、やがて没落した。 曰く、再び成り上がるためのきっかけが必要である。 「この国はね、金の亡者だらけですよ。亡者狩りが必要なのです」 フォルロイザは贅肉に食い込む指輪を撫でながら、にやつき顔で語り、机上に金貨袋を置いた。 同時に、後ろに控える傭兵が一歩前へ出る。 舐められたものだ。 大事な友の名を、積み上げてきた名声と技を、金と暴力で売ると思われている。 ミラのルカティエルも、亡者狩りも、舐められたものだ。 満月が高く上る頃。 フォルロイザに代わってヴォルゲン随一の商人となった男の屋敷。 その正門を、青白い"ソウルの奔流"が叩いた。 豪快な音を立てて吹き飛ぶ大扉の前に、雇われの傭兵部隊である大鷹師団が素早く集結する。 相棒の鷹を腕にとめ、刺剣を構える精鋭たち。 猛禽の如き鋭い眼光の先には、戦神の甲冑を身に纏う騎士が佇んでいた―― ……… …… … 「ぐふふ」 フォルロイザは屋敷の自室で、街の喧騒を肴にワインを啜っていた。 商売とはすなわち"流れ"だ。 最も高いところを潰せば、その下は全て機能しなくなる。 混乱さえ起これば、元々商才と人脈に恵まれている自分が返り咲くのは酷く容易い。 この日のために、辛抱強く懇意にしてきた商売相手もまだ多くいる。 屋敷の蔵では、買いあさった宝物が主人の名声の復活を待ち望んでいた。 そしてまだ見ぬ宝も、ミラのルカティエルさえいれば。 思考を遮るように、庭先で雷の槍が空へ打ち上がった。 依頼達成の合図。終わった。 いや、始まるのだ。 新しく、前にも増して素晴らしい栄華が。 フォルロイザは自室をのっそりと出て、口先だけの労いのために玄関の扉をわざわざ自ら開けてやった。 そこには。 「こんばんは。ミラのルカティエルです」 翁の仮面と、大鷹師団がいた。 鷹が夜空へ鳴き、金の亡者が一人逝った。 【6】 「ミラのルカティエルだ。討ち取れ」 戦神の重装を着込んだ偉丈夫が、一振りの長剣を祖国の大地に突き立て、ごく短い号令を発した。 轟雷の如き雄叫び。波濤の如き突撃。 ただ一人の敵に、百を超える殺意が押し寄せる。 フォローザ、戦神と獅子の国。 隣国との戦乱により滅びたこの国に、再び一陣の風が吹く。 獅子騎士団。 戦神ファーナムを信奉し、二刀流の名手として武威を誇った戦士達だ。 しかし、今まさに獲物に殺到せんとする獅子の中に、二刀を携える者は一人としていない。 自ら棄てたのだ。 滅び去る故郷の、忘れ去られる戦神の、せめてもの慰めに。 自ら棄てたのだ。 必ず取り戻す、今日この日のために。 ……… …… … 「皆、待ちに待った時だ」 遡ること数日。 大国リンデルトの大聖堂の前に、武装した一団が集っていた。 彼らは金で雇われ、言いなりに人の命を奪う薄汚い亡国の傭兵団。 戦神に捧げたはずの身命を、質の悪い貨幣に換える日々。 百戦練磨の技は、決して称賛されることはなかった。 だがこの生き地獄に、ついに光が差し込んだ。 古竜院の大司教から直々の依頼があったのだ。 戦地は魂の場所、祖国フォローザ。 敵は"亡者狩り"ミラのルカティエル。 もはやこの大陸に、知らぬ者のいない武名だった。 「我等の誇りを、牙を、取り戻す時が来た」 獅子達の咆哮が、灰色の空に轟いた。 ……… …… … 亡者狩りの大剣が振り下ろされ、若き獅子が逝く。 "ソウルの奔流"が、勇者達を無慈悲に貫いた。 太陽のごとき爆炎。炭と化す古い戦友。 誰一人として逃げ出す者のいない戦場に、一人、また一人と再起を誓った同胞が横たわっていく。 「ここまでか」 放たれた暗い"闇の嵐"に、我が子が呑み込まれるのを見たその時。 最後の獅子が、大地から長剣を引き抜いた。 裂帛の気合と共に同朋達の屍を踏み越える。 青白い閃光が、大地を抉る爆発が、最後の敵をすり潰そうとする。 だが、獅子は止まらなかった。 術の間合いを抜けた。 敵は、上段の構え。 ならばと、下段から長剣を斬り上げた。 刃が叩き折られて、砕け飛ぶ。 「まだだ、獅子はまだ」 獅子は折れた剣を手放さず、拳を握った。 そして翁の仮面めがけて己の全てを――― 「ぐっ……!見事だ。名は」 「ミラのルカティエルだ」 「……ふっ。戦神よ、強者に……祝福、を……」 その日。 戦神の愛した国に、誇り高き獅子達が眠った。 【7】 「ミラのルカティエルよ、ここが"亡者の大学"だ」 豊かな白髭をしごきながら、同行者の老魔術師が眼前の館の大扉を杖で小突いた。 メルヴィアといえば、魔術が特に栄える国として有名だ。 その辺境に、"亡者の大学"はあった。 魔術の探究者にとって、気の狂いはありふれたことである。 才ある者達は一時の狂気を乗り越え、己の進む道を見つけていく。 だが、快復の見込みのない者はそのまま魔法院を破門されてこの"大学"に送られ、やがて亡者となるという。 「亡者はもう邪魔だ、ということだな」 気まぐれに"ソウルの奔流"を見せたらついてきた老いぼれがこちらを見やり、得意げに笑う。 ミラのルカティエルは無視して奔流を放って大扉を破壊し、亡者を狩るために内部へと押し入った。 長く続く、暗い廊下。 魔法院の元学徒らしき者たちが分厚い書物を頭に載せ、衣服を半ば肌蹴て蹲っている。 そして、不自然なまでの、完全な静寂。 基本的に亡者化したものはやがて言語機能が衰え、常に呻き声を上げるようになる。 これほどに周囲が静かなことはまずありえない。 まさか、彼らは全員生者なのか―― 「生者ゆえの静寂、とでもいうのか?」 気まぐれに"ソウルの奔流"を見せたらついてきた老いぼれがこちらを見やり、得意げに笑う。 亡者かどうかを確かめる必要があった。 これまで多くのソウルを奪ってきた身だが、無辜の生者を無差別に殺さない程度の常識が、ルカティエルにもあった。 手近な一人の女学徒に近づき、豊満を一揉みした後でその頭上の書物へ、手を伸ばした―― 魔術。竜。鱗。ビッグハット。純粋派。隠密。ミラのルカティエル。蠍。白竜。竜の二相。巨人の王。星占い。青春。常識。輝石。ミラのルカティエル。 学院。豊満。旅の靴。塔の上に火山。禿。梯子。月光。ミラのルカティエル。晦冥。弱い。風車。神聖な樽。キノコ。ルラのミカティエル。 魔術と魔法の違い。ショウダイ。蜘蛛。ミラのルカティエル。結晶。ミラのルカティエル。着せ替え。ミラのルカティエルルカのミラティエルミラのルカティエルミラのルカティエルミラの―― 「どうした!どうしたんじゃミラのルカティエル!」 突如ルカティエルは甲冑を脱ぎ捨てて翁の仮面と大剣のみを身に着け、街へと駆けていった。 魔術の国メルヴィア。 かの国に伝わるミラのルカティエル伝説は、他の国とは趣が異なる。 魔法院に続く大通りを、大剣を大上段に構えて裸で疾走する翁の仮面の笑い話。 だが、高名な賢者達は彼を決して笑わない。 それは神代の魔術の大家が蒙を啓いた似姿、魔術の深奥なのだから。 【8】 「我が名はローシャン!いざ!」 「ミラのルカティエルです」 由緒正しき"雄叫び"の所作と共に、二人の強者の名乗りが辺境の荒野に響いた。 死合では本来、開戦の儀礼は決して尊重されるものではない。 命のやりとりにおいて、それは明確な隙の露呈であり、同時に甚だしい甘えであるからだ。 だが、ごく一部の強者達は、この格式めいた愚かしい行いをよく好む。 決して敵対者への礼儀ゆえではない。 全ては相手を蹂躙し、圧倒する己を誇示するために。 フォローザの"盾なし"ローシャン。 ミラの"亡者狩り"ルカティエル。 亡者と不死。 荒野に、二つの命運が交錯する。 ……… …… … 「我が名はローシャン!!」 遡ること半刻。 寂れた街の酒場に、威勢の良い大音声が轟く。 誰もが入口を見やると、一人の放浪騎士が立っていた。 傷だらけの戦神の鎧に、粗布の外套を羽織り、竜の鱗を思わせる籠手を身に着けた大男。 腰には赤錆著しい曲剣を佩き、三日月を思わせる大斧を背負っている。 一目に歴戦の猛者と分かる風貌。 吟遊詩人が物語に謳うような、勇ましい戦士の出で立ちだ。 だが、その美点を大いに失わせるものが、微かに漂っていた。 肉が腐り、理性が溶けた者特有の――亡者の臭いである。 「人に飽き!竜を屠り!そして今また人間(じんかん)に戻ってきた!我を討てる者はいるか!」 「おいおいなんだよいきなり!」 「常識ねえのかよおっさん!」 向こう見ずの若者達が早速、闖入者に食いかかる。酒の力だ。 刹那。大斧が薙ぎ払われ、青白い雷光と共に砕けた肉の炭が酒場に飛散した。 「人に飽き!竜を屠り!そして今また人間(じんかん)に戻ってきた!我を討てる者はいるか!」 繰り返される言葉。息を呑む店内。 不安げに揺れる女店主の豊満。 「おらんのか!!」 怒気と殺気を孕んだ、大音声。 ずん、と踏み出す一歩。 皆殺しか。酒場の誰もが怯えたその時。 「います。ミラのルカティエルです」 翁の仮面が、亡者狩りの狼煙を上げた。 ……… …… … 「はいやーっ!」 開戦の名乗りから数瞬。 先に動いたのはローシャンだ。 空高く跳躍し、重力を味方につけた一撃を狙う。 ルカティエルにより迎撃の"奔流"が放たれた。 ソウルの大牙が空中の獲物を穿たんと殺到する。 「いやーっ!」 見事な半回転捻り。遠心力を味方につけた赤錆の曲剣と三日月の大斧が、奔流を霧散させる。 そして、そのままの勢いで大剣を構えるルカティエルに、大斧の刃を撃ち込んだ。 雷を纏った斬撃が正統騎士団の大剣に響き、大きく吹き飛ばす。 人でありながら、巨人族を思わせるほどの凄まじい膂力だ。 ローシャンは着地と同時に大地を強く踏みしめ、そのまま追撃に走る。 砂煙の中から撃ち出された巨大な火球が、それを押し留めようとする。 「いやーっ!」 裂帛の気合と共に"封じられた太陽"が大斧に両断され、余力が熱風となって砂埃を掻き消す。 さらに赤錆の刃がルカティエルを襲った。 大剣にて迎え撃つ。鍔迫り合いだ。 と見せかけ、ルカティエルは刃を素早く立たせてローシャンの顔面を―― 「はいやーっ!」 轟雷が勢いよく、大地をすくい上げた。 ……… …… … 「いやいやいやいやーっ!いやーっ!」 「ミラミラミラミラーっ!ミラーっ!」 決闘が始まり一刻。 "盾なし"と"亡者狩り"は、互いに必殺の間合いの中で曲剣を回していた。 一回転。二回転。三回転。四回転。一拍の間を置き、五回転。 決して戯れているわけではない。お互いに隙を窺っているのだ。 汗と唾を飛ばし合いながらひたすらに回し、受け流しからの致命の一撃を狙う。 無双同士の戦いの、なんと高度なことか。 「ミラ!!」 「いやーっ!!」 二人同時に生じた、否、あえて作った隙。 再び打ち合い、闇と大剣が放たれ、雷と赤錆が閃く。 剣戟の度に、荒野は戦の凄惨さを刻みこまれていった。 ……… …… … 「…………」 「…………」 決闘が始まり数刻。 適度な距離を取った、静謐なる正対。 しかし、交わる視線の狭間には、これまでの戦以上の攻防が過っていた。 大剣、大斧、赤錆、奔流、受け流し、太陽、すくい上げ。 仇敵を確実に討ち取る方法を、亡者と不死が模索する。 そして。 「はぁいやぁーっ!!!」 やはり先に動いたのは、"盾なし"ローシャンだった。 初撃を遥かに超える、渾身の大跳躍。必殺の意志は明らかだ。 対して触媒を迸らせ、ルカティエルが放ったのは。 "渦巻くソウルの塊"。 目晦まし、あるいは逃げ場を封じるようなソウルの渦が、ローシャンを包み込んでいく。 「いやぁーっ!!!」 ローシャンは逃げない。真っ向から渦中へと急降下し、その先の翁の仮面を狙い、そして、 両断した。 「ミラのっ!」 これが最後だ。 ルカティエルが翁の仮面を囮に、大斧が巻き上げた砂塵を突き抜け懐へ入る。 「ルカティエルです!!」 全霊を乗せた袈裟斬り。 ローシャンは夥しい血とソウルを撒き散らしながら、空中へと吹き飛んだ。 フォローザの豪傑、"盾なし"ローシャン。 ローシャンは貧民から将軍へと成り上がった、立志伝中の人物である。 彼はその二つ名が示す通り、一度も盾を持たず、常に捨て身で戦いに赴いた。 無敵無敗を誇ったローシャンは、やがて戦場を去り、その消息は途絶えている。 後世に伝わる英雄譚によれば、人を相手にすることに飽きたらず、伝説の竜を屠る旅に出たのだという。 しかし、この物語には由来の知れぬ異聞が存在する。 英雄ローシャンは見事竜を屠り、人の世界に戻ったが、ミラのルカティエルに亡者として討たれたのだ、と。 その真偽は、誰にも分からない。 【9】 「おらギリガン!とっとと歩け!」 「はい。ギリガン歩きます」 南の果ての島国、ラル・カナル。 照りつける日差しの中を、衛兵に連れられて一人の男が歩いていた。 男の名はギリガン。貿易船に潜んでいた密航者だ。 鎖国を国是とするこの国にあっては、決して許される存在ではない。 密航のための変装であったのだろう、この国独特の旅商人の衣服を身に着け、 頭には、戦神の兜を被っていた。 ……… …… … 「ほう、仮面の修理をな」 死力を尽くした激闘から早や数週間が経つ。 ミラのルカティエルは真っ二つになった翁の仮面を修理するため、知己を尋ねてメルヴィアに来ていた。 以前気まぐれに"ソウルの奔流"を見せたら馴れ馴れしくしてきた老いぼれが、魔術の権威を自称していたことを思い出したのだ。 「無理だの」 ばっさりとした答え。 曰く、メルヴィアの魔術は多くが理力に指向性を付与するものであり、それ以外の用途の研究はまだ未成熟だという。 今までも大剣をちらつかせながら多くの鍛冶屋を訪ねたが、どう頑張っても繋ぎ目か溶接痕が残ると断られてきた。 窮してこの老人を訪ねたが、これもどうやら徒労に終わったようである。 「この際仮面を変えればどうだ。例えば翁の仮面から大きな仮面にな」 以前気まぐれに"ソウルの奔流"を見せたら馴れ馴れしくしてきた老いぼれがこちらを見やり、得意げに笑う。 ルカティエルは糞団子を書斎の本棚に投げつけて退出し、なんとなく憂さ晴らしにラル・カナルへ密航することにした。 ……… …… … 「ようそろー!」 「ようそろー!」 小さな貿易船に、水夫達の威勢の良い声が響く。 意味は分からないが、どこか勇気づけられる言葉だ。 ラル・カナルは鎖国政策を取る島国であるが、決して狭隘ではない。 国体を堅守しつつも、大陸の優れた技術や学問を取り入れるため、御用船でのみ小規模な貿易を行っているのだ。 メルヴィアもその数少ない貿易相手の一つ。定期的にラル・カナル行きの船が運航していた。 「ようそろー!」 その貿易船の積み荷の中に、一つだけ若干色合いの違う樽が混じる。 ミラのルカティエル。 "擬態"の魔術による、大胆な密航者だ。 よく見れば気づくであろう小さな差異を、大量の積み荷と船内の暗闇が覆い隠す。 楽なものだ。 身じろぎしなければこのまま労せずして、ラル・カナルに至れるのだから。 「ようそろ〜」 不意に、一人の水夫が鼻歌交じりに積み荷を確かめにやってきた。 いや、水夫ではない。水婦だった。 程よく焼けた健康的な豊満が、大きく開いた襟元から深い谷間を覗かせている。 床に置かれた箱の中身を確かめようと腰を折る水婦。 星の重力に惹かれ、豊満がたゆゆんと躍った。 その時である。動くはずのない樽が、女めがけてのろのろと動いた。 ミラのルカティエルは捕まった。 ……… …… … 「ここで反省してろ密航者!」 「まったく密航とか常識ねえのかよ!」 「ギリガンよ、沙汰を待て!」 少し湿った牢屋に押し込められた。 友の名に密航の汚名を着せないための、常識ある詐称だ。 埃っぽい寝台に身を横たえる。ぎしぎしと嫌な音がした。 天井を形成する石板はひび割れ、時折内部の砂が漏れ落ちてくる。 いつ以来だろう。翁の仮面も大剣も手放し、一人思索に耽るのは。 歓迎すべからざる静寂の中で、男はこれまでのことを想い返す。 呪いを乗り越えたかの地を去り、常人の世に戻り、多くの国を巡ってきた。 リンデルト。 ウーゴ。 ヴォルゲン。 フォローザ。 メルヴィア。 そしてこのラル・カナル。 ふと気づく。 そういえばまだ、肝心のミラに行っていない。 いつか行こう、友の故郷に。 そこでルカティエルを名乗れば、人々はどう応じるだろうか。 火が陰ったこの時代、いかな強者であろうと身一つで国々をめぐることは容易ではない。 それを可能にしたのは、かの地で得た力であり、奇跡であり、呪術であり、闇術であり、魔術だった。 ――魔術。そうだ。かの地で得た古い魔術があった。"修復"の魔術そのものが。 思索により天啓を得た密航者は、兜に仕込んでいた触媒によって牢屋を吹き飛ばした。 ありがとうラル・カナル。ありがとうギリガン。ありがとう豊満。 翁の仮面よ、今こそ蘇れ。 ミラのルカティエルは、ここに翁の仮面の騎士として復活を果たした。 密航者ギリガンは指名手配された。 【10】 「ミラのルカティエルだぞー!」 「僕もミラのルカティエルだー!」 木剣を持ち、鮮やかなお面を被った子供たちが、街の目抜き通りを騒々しく駆け抜けていく。 青教と交易の都ヴォルゲン。 人が集まり、商売で賑わう豊かな場所だ。 人が集まれば当然、人の持つ情報も集まってくる。 "亡者狩り"ミラのルカティエルの逸話もその一つである。 大剣を携えて諸国を放浪し、堕ちた亡者を狩る、仮面の狂戦士。 脚色がふんだんに盛り込まれた紙芝居は、ヴォルゲンの裕福な少年達の好むところだ。 「ミラの……ルカティエル……」 身なりの良い腕白集団が通り過ぎるのを、一人のみすぼらしい少年が路地から眺めていた。 盗みで生計を立てる、没落者の捨て子。 このヴォルゲンでは珍しくもない、ありふれた存在だ。 今日も朝から正規兵に追い回され、打撲で酷く痛む身体をさすりながら、往来で名を聞くばかりの英雄に思いを馳せる。 腕一つで成り上がれる国がある。青の教徒に媚びなくても生きていける国がある。 卑しい身分から騎士となり、やがて伝説にまで謳われる人がいる。 この街で生まれ、そして死んでいくであろう少年にとっては、何もかもが遠い夢物語であった。 「ミラのルカティエル?」 薄暗い路地裏で、腐りかけのパンを齧りながら、盗み仲間の少女に"亡者狩り"について尋ねる。 以前人買いに売られていくところを助けた、整った顔立ちの娘。 ミラの生まれだと言っていたから期待したが、何も知らなかった。 少年は英雄のことをもっと知りたかった。 英雄を知れば、英雄の気分になれる。 あの恵まれた子供達のように、英雄になった気でいられる。 「なった気だけでいいの?」 汚泥に塗れながらも輝きを失わない、力強い瞳。 腐った世界しか知らない自分が唯一、美しいものとして見知る例外。 不意に、煤けた少年の手に、少女の手が重ねられた。 ささやかな触れ合いが、確かな熱と想いを伝えてくる。 こんなところで終わるつもりは、終わらせるつもりは、決してないと。 「一緒になろうよ。ミラのルカティエルに」 少年の心に、消えぬ火が灯った。 【11】 「ゆけー!ミラのルカティエルッ!」 紙切れを握りしめながら豊かな白髭を激しく揺らし、老魔術師が友の名を叫んだ。 声援を背に受け、翁の仮面が速度を上げる。 鋭い枝に身をかがめ、木の根を飛び越え、前を行く亡者へとぐんぐん迫っていく。 ここはメルヴィア郊外の森。 "亡者競走"の開催地だ。 ……… …… … 「ミラのルカティエルよ、後生だ。"亡者競走"に出てくれ」 魔法院の一角。豊かな白髭をしごきながら、老魔術師が頼み込んでくる。 メルヴィアといえば、魔術が特に栄える国として有名だ。 その郊外の森では、夜な夜な亡者達が走り込みを行っていた。 魔術の探究者にとって、気の狂いはありふれた症状である。 啓蒙の果てに筋力と技量に目覚めた者は、魔法院を破門されてこの"競走"に参加させられ、やがて亡者となるという。 もちろん出るつもりなど毛頭ない。 糞団子を床に叩きつけ、大剣を担いで堂々と書斎を退出する。 「逃げるのか?」 白髭と、とんがり帽子の狭間から、声。 「ミラのルカティエルが、"亡者狩り"が、亡者から逃げるのか?」 "亡者競争"への参加が決定した。 ……… …… … 先行する亡者をまた一人、追い抜いた。 元は魔法院の貧弱な学徒とはいえ、この森で亡者化するまで走り込んでいただけはある。 複雑な起伏と、鬱蒼とした木々を理解しきった、華麗な走り。 戦神の重装を纏った身には、つらく厳しい戦いだった。 だが、あと一人。 あと一人抜いて先頭を維持すれば、勝てる。 鎧の金属がひどく食い込む肉体を叱咤し、生者は躍動した。 手を延ばせば届く距離。速力はこちらが上だ。 並んだ。追い抜く。追い抜いた―― 「どうしたミラのルカティエル−!!」 紙切れを握りしめながら高台から老魔術師が叫ぶ。 戦神の鎧がぬかるみに突っ込み、翁の仮面が泥の涙を流していた。 転んだ、いや、転ばされた。 透明亡者が狙いすましたかのように走路に横たわっていたのだ。 状況を理解し、身体を起こそうとする"亡者狩り"の側を、後続の亡者が次々と追い抜いていく。 先頭は、もう見えない―― 「立てー!立つんだミラのルカティエルー!!」 老魔術師の声が遠く聞こえる。 負ける。負けるのか。亡者に。"亡者狩り"が。ミラのルカティエルが。 負ける。亡者に。負ける。亡者に。負ける。負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける―― 青と赤の爆発と共に膨大な理力が木々の間を迸った。 "魔力解放"、たいまつ、そして裸。 翁の仮面が再び、蒙を啓いたのだ。 そのまま矢のように走り出す。 覚悟か錯覚か、今までとはまるで別物のように軽くなった肉体が、一人また一人と亡者を突破していく。 「差せ!差せー!ミラのルカティエルッ!!」 紙切れを握りしめながら豊かな白髭を激しく揺らし、老魔術師が友の名を叫んだ。 再び先頭に迫る。森の終端はすぐそこだ。 足の行く先に暗い影が伸びた。透明亡者だ。 たいまつの光によって、横たわった影だけが浮かんでいる。 「ミラの!」 これが最後だ。"亡者狩り"は透明亡者をあえて踏みつけ。 「ルカティエルです!!」 その勢いのまま、大きく跳躍した―― 「一着だ!感動した!感動したぞミラのルカティエル!」 以前気まぐれに"ソウルの奔流"を見せたらついてきた老いぼれが鼻水を垂らしながら、抱き着いてくる。 息が上がりに上がり、全く思考が定まらない。 だが、勝った。勝ったのだ。 "亡者狩り"は。ミラのルカティエルは。今日もまた亡者に勝ったのだ。 「これで勝ち越しじゃー!」 老魔術師に握りしめられていた紙切れが空高く舞い上がった。 歴戦で鍛えられた確かな動体視力が、ミラのルカティエルに内容を伝えてくる。 ――単勝。ミラのルカティエル。金貨二十枚。 亡者狩りが行われた。森は荒野となった。 【12】 「無駄ですよ、ミラのルカティエルさん。あなたは私を倒せない」 爆炎の中を、一人の聖職が己の身を灼きながら、粛然と歩んでくる。 ひしゃげた兜を脱ぎ捨て、大仰な宣言を終えた直後、灼けていたはずの肌身は既に、何事もなかったかのように回復していた。 眠り竜を象った大盾を構え、長柄のメイスをこちらに向ける、眉目秀麗な青年。 国の興りより伝わる漆黒の鎧に、純白の法衣を重ね合わせた威容は、リンデルト――その高位聖職者のものだ。 男の名は、フォーサル。 味方からは"聖騎士"と称えられ、敵対者からは"悪魔の力を得た男"と恐れられる、リンデルトの英雄である。 ……… …… … 『ミラのルカティエル討つべし』 リンデルトで年に一度執り行われる、聖職者達の総会。 その伝統ある場で、大司教"白のローネス"の名の下に、ごく短い勅令が一人の敬虔な信徒に与えられた。 以前に古竜院が敗走し、一つの村が滅んだことは、既に国の内外に知れ渡っている。 あってはならないことだった。神にその生を捧げたものが、邪教の輩に敗れるなどと。 あってはならないことだった。この国の秘匿を知る者が、生きているなどと。 故にリンデルトはついに、"聖騎士"を頼んだのだ。 戒律と布教に背く異端を、悉く征してきたその男を。 「我らが神に誓って、必ず」 名門アウストリア家の嫡男フォーサルは、高い地位と積み上げた戦果にも関わらず、陰謀には全く無頓着であった。 影に蠢く思惑など何も知らず、ただ同胞と弱き民のために、敵の誅滅を誓った。 ……… …… … 「初めまして、ミラのルカティエルさん。フォーサルと申します。あなたを討ち取りに来ました」 ミラへの道すがら、偶然リンデルトに程近い村に立ち寄り、偶然昼間から酒場で豊満な踊り子を見ていたミラのルカティエル。 戦神の鎧を纏い、大剣を背負った彼の杯に酒瓶を優しく傾け、剣呑な言葉を告げる青年がいた。 あまりに物騒な挨拶でありながら、その優美な雰囲気故か、不思議と嫌味を感じさせない。 貴族の御曹司であろうか。 だが、立ち上る闘気はまぎれもなく、強者のもの。 「こちらこそ初めまして。ミラのルカティエルです」 短い挨拶を返し、酒の返礼をする。 そして二人で豊満の踊りを最後まで見物し、拍手を送った後。 命の奪い合いのために、村の外れの丘へと向かった。 ……… …… … 丘の上に、金属のぶつかり合う音が、空高く響き渡る。 フォーサルは強かった。多くの戦いをくぐり抜けてきたことを感じさせる、確かなメイス捌き。 だが、この程度では脅威とはなりえない。 全ての面において、ミラのルカティエルが上回っている。 十合とせぬ内に大剣の一撃が、彼の胴を薙いだ。 「お見事。しかし、まだまだ」 青年は致命傷を負ったまま、変わらぬ力強さで打ちかかってきた。 目を疑う。甲冑を切り裂いて肉体に到達し、死に至らしめるはずの重傷が、即座に塞がっていく。 "溢れ出る生命"だ。 信心深き聖職のみに許される、強大な奇跡。 しかし、強大ゆえに長くは続かない。 この実力差では、ただの時間稼ぎも同然だ。 ルカティエルはすぐさま気を取り直し、再び攻め始めた―― ……… …… … 「無駄ですよ、ミラのルカティエルさん。あなたは私を倒せない」 黄昏色の空の下、巨大な火球が生み出した爆炎の中を、フォーサルが己の身を灼きながら、粛然と歩んでくる。 脳天を打たれてひしゃげた兜を脱ぎ捨て、大仰な宣言を終えた直後。 灼けていたはずの肌身は、砕かれたはずの頭蓋は、何事もなかったかのように回復していた。 死合を始めて数刻。 命を奪うに不足ない攻撃が、幾度となく治癒されていく。 理解を越えている。 "溢れ出る生命"がこれほど強く、これほど長く持続するとは。 どれほどの信仰と覚悟が、その力を支えているというのだろう。 「隙あり!」 距離を素早く詰めたフォーサルのメイスが、翁の仮面を掠めた。 体勢を崩したところを、大盾のバッシュで大きく吹き飛ばされる。 そのままメイスで追撃。 カウンター気味に振り上げたルカティエルの大剣が、端正な青年の顔面を眼球ごと抉り斬った。 が、フォーサルの攻撃は止まらない。 戦神の鎧を強かに打ち据え、さらに連続で打擲してくる。 ルカティエルは呻きながら魔術の"衝撃"を使った。 こけおどしの衝撃波が功を奏し、二者の距離を再び開かせ、そして。 続けて放たれた"ソウルの奔流"が、敵の全身を貫通した。 「無駄だと言いました」 "悪魔の力を得た男"が起き上がり、傷一つ無い群青色の双眸を向けてくる。 眠り竜の大盾が与える無尽蔵の体力と、奇跡による無限の治癒。 そしてそれらを最大限に活かす、捨て身の攻勢。 神に全てを捧げきったこの信徒は、失うべからざる物を何一つ、戦場に持ちこんでいない。 実力も経験もルカティエルが上回るが、このままでは確実に押しきられる。 ならば、心の臓を貫く。 いや、もっとだ。首を、一撃で刎ねるほかない。 翁の仮面が覚悟を決めると同時に、相棒たる大剣を闇のソウルが幾重にも取り巻いた。 "共鳴する武器"。 己がソウルを闇と転じて刃に乗せる、禁術だ。 否、武器だけではない。 ミラのルカティエルは、全身から闇を噴き出し、力へと変換していった。 「ミラのルカティエルです。行きます」 「成程。お互い捨て身ですね。では、参ります」 フォーサルの"溢れ出る生命"もまた、主の昂りを受けて輝きを増す。 光と闇のコントラストが、黄昏の丘を彩り。 ミラのルカティエルが。リンデルトのフォーサルが。 それぞれ勢いよく、踏み込んだ。 『踊り子を見るのは、それも倒すべき相手と共に見るのは初めてですよ。リンデルトにも戦場にもいませんからね』 『私の身命は、神に捧げられたものです。私自身のために使おうと思ったことは、ありません』 『ミラのルカティエルさん。あなたは、何のために生きているのですか?』 「お見事です、ミラのルカティエルさん。あなたの旅路が……」 交錯の後、数拍置いて。 "聖騎士"の首が鮮血を撒き散らしながら、大地に転がった。 "亡者狩り"もまた、闇を霧散させながら、膝から崩れ落ちた。 その時である。 死戦の丘を囲むように、古竜院の大軍が現れた。 満身創痍のこの瞬間を狙っていたのだ。 「ミラのルカティエル討つべし」「ミラのルカティエル討つべし」 「ミラのルカティエル討つべし」「ミラのルカティエル討つべし」 激闘と信念の果てに散った青年の首を蹴飛ばし、破れた法衣を踏みにじり、顧みることなく古竜院達が迫る。 「すぅー。はぁー」 "亡者狩り"は嘆息するように息を整え、翁の仮面を戦神の兜へと着け替えた。 亡者でもなく、不死でもなく、生者でもなく、ただ形ばかりの信仰に堕ちて同朋の死も悼まない、獣共。 友の名を語る必要が、あろうはずも無かった。 奇跡と戒律の国、リンデルト。 亡国ドラングレイグに匹敵すると謳われた大国は、ある日を境に、急速に衰退し始めた。 ひび割れる戒律。翳りを見せる信仰。荒む民心。 国の中枢を支えた古竜院の権威は失墜し、知られるはずのなかった秘匿が、広く知られていった。 そしていつしか、誰もが、必然のように口にするようになった。 リンデルトは、滅ぶのだと。 【13】 「ああ、ああ……ルカティエル……よく戻ったな」 身すぼらしい住家の中で、二つの人影が寄り添っている。 寝台に横たわった盲目の老人が、傍近く寄った騎士に語りかけ、震える手を伸ばす。 手を取ると、枯れ木のような肌触りの中に、微かな温もりと、潰れた大量の水疱を感じた。 永く、永く剣を握っていたであろう、老いた騎士の手。 今まさに、失われようとする命が、叶うはずのなかった再会を確かに喜んでいた。 ミラ。騎士と誇りの国。 名の記憶を願った友の故郷で、一つの物語が今、区切りを迎える―― ……… …… … 「ミラのルカティエル饅頭だよー!ミラのルカティエルお面もあるよー!」 「そこのお兄さん!ミラのルカティエル感あるね!」 外套で身を隠したミラのルカティエルが活気あるミラの市場を、人混みを避けながら歩く。 人間とは逞しい生き物だ。 かつて国を棄てた騎士の名をすら、こうして己の生業に活かしているのだから。 扇情的な衣装を着込んだ美女の客引きに足を止め、ミラのルカティエルは商品と豊満を眺めた。 周辺諸国を放浪する"亡者狩り"ミラのルカティエルの名は勿論、ミラにも轟いていた。 兄を追い、国を棄てた女騎士の、遅れてきた活躍は当然、ミラ王家の歓迎するところではなかった。 しかし、人間はいつも強さと自由と、そして利権に惹かれるものだ。 市井に声望が高まり、今やかの騎士の武名は、大きな商いとしてすら成立している。 当初は取り締まっていた王家もまた、既に見て見ぬふりを始めていた。 友の名がその故郷へ知れ渡り、ミラのルカティエルも鼻が高い。 ミラのルカティエル漬けとミラのルカティエルお面を買うことに決めたミラのルカティエル。 腰の袋から少し多めに金貨を取り出し、売り子の美女へと手渡す。 するとどうだ。 女は釣り銭を胸の谷間に差し入れ、柔肉を両手で下から持ち上げるようにして男へと差し出したではないか。 素晴らしい。なんと栄光ある騎士の国に根差した男の誇りを賛美する女の常識ある礼儀の手厚いことか。ミラ万歳。 ご厚意に甘え、谷間ではなく豊満そのものへ手を伸ばした。 その背中に、軽い衝撃が走った。 少し離れたところを、木の棒を背負った身なりの悪い少年が素早く駆け去っていく。 すぐに理解する。腰の袋が無い。 ミラのルカティエルはミラのルカティエルお面を被り、小柄な盗人を追った。 「畜生!こうなったら……!」 路地裏の袋小路へと追い詰められた少年が、背中の得物を抜き、逆に突っ込んでくる。 所詮窮鼠の一噛みと思っていた動きが存外にも、興味を強く引いた。 手練れの手ほどきを感じさせる、確かな「型」を持った鋭い打ち込み。 軽くいなされた棒切れはしぶとくも、切っ先を返しながら再びお面を狙ってくる。 ルカティエルは素早く身をかがめ、少年の足を払った。 さらに体勢を崩しながらも武器を手放さぬ細腕へ、追撃の手刀。 木の棒を取り落とし、少年が痛みに呻いて蹲る。袋を返してもらおう。 「ぐっ……!ごめん、ルカの爺さん……」 その時。気になる言葉が、お面越しに耳へと届いた。 ……… …… … 「ここがルカの爺さんの家だよ」 街の端にある貧民街。ミラのルカティエルはその一角を、先ほどの少年と共に訪れていた。 賤しい身ながらも英雄を志す少年に剣技を授けたという、身寄りのない老人の家だ。 つい先日病に倒れ、みるみる痩せ細り、既に寝たきりになっているらしい。 少年が盗みを行ったのも、高価な薬を買うために已む無しであった。 寝台の上で苦しげに寝息を立てる病人に近づき、ミラのルカティエルは"大回復"を試みようとする。 しかし。 「そっか。爺さんは、助からないのか……」 住家の軒先に座り、少年と共に話をする。 強大な奇跡、聖なる秘薬をもってしても、人の持って生まれた寿命そのものは延ばせない。 畢竟、この世における生命とは全て、ソウルの器に他ならない。 器の大きさは生来決まっている。 そして、器自体が摩耗すればソウルは漏出し、再び元の量を注ぎ直すことはできないのだ。 老人の器は既に、限界を迎えようとしていた。 「ルカの爺さんはさ、昔は正統騎士だったらしいんだ」 目元に涙を溜めながら少年は、老人に聞かされた話を教えてくれた。 老人がかつて、謂れのない罪で騎士を追われたこと。 二人の子供がいたこと。 剣技を教え、子供達を立派な正統騎士にしたこと。 そして二人の騎士が、国を棄てたこと―― 「ああ、坊主……そこにいるのか」 室内から細い声が聞こえた。 少年は弾かれたように立ち上がり、家の中へと走っていく。 続けて、嗚咽が聞こえてきた。 久しく聞いていなかった、心からの惜別の声だ。 無粋と知りつつも、足が勝手に動いてしまう。 手が、外套の懐に隠し持っていた翁の仮面へ伸びた。 寝台と一振りの大剣の他に何も無い室内に、老人の苦しげな呼吸と、少年が鼻をすする音だけが、響いていた。 「ルカティエル……?ルカティエルなのか……?」 少年の頭を撫でていた老人が身じろぎし、視線を向けてきた。 不自然に白く濁った瞳が、確かにこちらを捉えている。 気付いた少年が涙を拭って脇に寄り、"ルカティエル"を促した。 「ああ、ああ……ルカティエル……よく戻ったな」 寝台に横たわった盲目の老人が、傍近く寄った騎士に語りかけ、震える手を伸ばす。 手を取ると、枯れ木のような肌触りの中に、微かな温もりと、潰れた大量の水疱を感じた。 永く、永く剣を握っていたであろう、老いた騎士の手。 今まさに、失われようとする命が、叶うはずのなかった再会を確かに喜んでいた。 「はい。ルカティエルです。ミラの、ルカティエルです」 女の声ではない、男の低い声が、老人に応える。 しかし、老人は満足そうに、その声に頷いた。 身に着けた翁の仮面が、萎びた指に撫でられる。 親が子を褒めるように。愛おしむように。 「ありがとう。ありがとう、ミラのルカティエル……」 ……… …… … 「じゃあ、ここでお別れだな。ミラのルカティエルさん」 騎士の国から少し離れた、街道の分かれ道。 身の丈に合わない大剣を背負った小柄な同行者が、別れの言葉を告げてくる。 ミラのルカティエルは、北へ向かうのだ。 ドラングレイグを越え、遥か北へ。 いつか旅先で耳にした、騎士と飛竜の国。 全てが流れ着き、全てを征するという、聖王の国へ。 「俺も絶対に名を上げてみせるよ。あんたに負けないくらいの、とびっきりの武名をさ」 少年が、どこか照れくさそうに手を差し出してくる。 今はまだ小さなその手と、固い握手を交わした。 幾度も繰り返される、火継ぎの時代。 途切れない因果の世にある時、一つの名が轟き、一つの伝説が生まれた。 伝説は新たな伝説を呼びながら、その名を、決して忘れられることがないよう、歴史へ確かに刻みつける。 "亡者狩り"ミラのルカティエル。 絶望が焚べられた時代に輝く、一人の騎士の名だ。 【おまけ1】 「ミラのルカティエル、御免!」 「御免!」 「御免!」 踊り子とお楽しみ中だった旅人の名を叫び、酒場の一室に突如胡乱な武装集団が乱入してきた。 見るもみすぼらしいボロ布を肩からひっかけ、申し訳程度に恥部を隠した押し込み強盗達である。 瞳は濁り、肌をぐずぐずに腐らせたその出で立ちは、紛れもなく亡者。 赦されぬ不死の成れの果てであり、世に忌み嫌われる存在。 旅人は素早く部屋の灯りを消し、月明りのみを頼りに、窓から隣の建物の屋根へと飛び移って逃げ去っていく。 強盗達もまた、口々に意味を為さない言葉を叫び、その後を追う。 多数に踏み荒らされた部屋には、代金の支払いを求める踊り子の声だけが、小さく木霊した。 絶望が焚べられたこの時代。火が陰り、闇が覆わんとする因果の世に、一人の旅人がいた。 戦神の鎧を身に纏い、正統騎士団の大剣を担いだ、翁の仮面の男。 "亡者狩り"ミラのルカティエル。 "予言の地"ロスリックを目指す、放浪騎士だ。 ……… …… … 時は少し遡る。"廓"と呼ばれる高級酒場の二階。 「あーれー!ミラのルカティエルさまー!あーれー!」」 「よいではないか。よいではないか。ミラのルカティエルです」 紙製の引き戸と木の柱で細かく区切られたその一室に、女の艶っぽい声が響く。 ミラのルカティエルが、厚着の踊り子"舞妓"の腰帯を解いているのだ。 決して批判されるべき行いではない。 この国では、傍目に狼藉めいたこの行為こそ、酒場の最も常識ある楽しみ方とされていた。 腰帯を解き終えた途端、美女はしなしなと身体を回転させつつ優雅に崩れ落ちる。 はだけた着物からは形の良い豊満がまろび出て、男の興趣をこれまた強く誘った。 ここは東の果ての国、人呼んで東国。 多くの風変りな文化文明を持つ、小さな国。 北へ旅立ったはずのミラのルカティエルは、迷いに迷ってこの地まで来ていた。 目的地へ再び向かうためにも、情報が必要であった。情報収集とくれば酒場しかない。 こうした異国の踊り子との戯れもまた、重要な情報収集の過程なのである。 「ロスリック……どすえ?」 半裸に剥かれ、息を荒くする豊満を至近で問い詰める。 明白な答えは返ってこない。 ならば体へ聞くしかあるまい。さらに精密な情報収集をしようとしたその時。 引き戸を蹴破り、半裸の集団が、駆け込んできた。 「出会えー!」 「出会えー!」 屋根を次々と飛び移る翁の仮面を、多数の半裸強盗が追随する。 ただの半裸強盗ではない。 彼らは東国始まって以来と謳われた武辺者達、剣客警邏団"達人"である。 しかし、かつては名を轟かせた一団も、頭領の出奔と不死の呪いの蔓延により、今や罪なき手練れをつけ狙う亡者の集まりと化していた。 この国に入ったミラのルカティエルがこうして追われるのも、決して初めてのことではなかった。 「御免!」 「御免!」 ひたすら建物の上を行き、街の中心にまで至ったミラのルカティエル。 素早く路地へと飛び降り、そのまま走り抜けていく。 打刀を抜き、あるいは槍を構え、"達人"達が背中に迫る。 身を翻して大剣を一閃。先頭の敵が後続を巻き込みながらソウルと濁った血を吹き上げる。 骸を踏み越えてきた槍使いを迎え撃ち、両断。再び走って逃走。 多数の強者を相手にする時は、如何に一対一の状況を作り出し、一人ずつ仕留めるかに気を配ればよい。 二度三度と奇襲を受ければ、亡者の低劣な戦術など歴戦のルカティエルにはもはや児戯に等しいのだ。 「ミラの……」 曲がり角のすぐ先に設置した"漂う火球"が複数人を巻き込んで盛大に爆発した。 「ルカティエルです!」 爆煙を抜けてなお、追いすがってくる亡者達に向けて"ソウルの奔流"を放つ。 青白い大牙が逃げ場のない敵を飲み込み、木っ端微塵に粉砕。 腐り落ちた理性ゆえ、危険を察知できなかった後続もまた、次々に光の中へ消えていった。 その場に留まり、少し待つ。追手の気配はない。"達人"は、全滅したのだ。 東国で頭を悩ませ続けてきた懸案が解決したことを、実感する。 ミラのルカティエルは一人頷き、再び情報収集のために夜の酒場へ戻るのだった。 この時。安堵の感情が、豊満への慕情が、この無双の男の感覚を少しだけ鈍らせていた。 暗い屋根の上に、翁の仮面を見つめる、一つの"影"があったのだ―― 【おまけ2】 「逃ガサンぞ人間!」 東国の、鬱蒼とした山地の奥深く。木々を次々に薙ぎ倒しながら、意外なほどの俊敏さで巨体が獲物を追撃する。 筋肉を漲らせ、豪快にトゲ棍棒を振りまわす半裸の赤ら肌。 禍々しい角が生えたその醜悪な容貌は、東国で"鬼"と呼ばれる、巨人族の姿である。 追われている獲物は、大剣を担いだ翁の仮面の男。 ミラのルカティエルその人であった。 ルカティエルは後ろを振り返ることすらせず、ひたすらに森の中を逃げ続ける。 後方からは、鬼がひたすらに罵り障害物を吹き飛ばす轟音が聞こえてきた。 不意に森が終わり、開けた場所へ出る。 眼前には、大矢をつがえ大弓を強く引き絞った一人の女。 「よくやった!ミラのルカティエル!」 瞬間。捻りを加えて放たれた大矢が一直線に空気を裂きながら、鬼の眉間へと確かに命中した――― ……… …… … 「ミラのルカティエル。力を貸してほしい」 "茶屋"と呼ばれる酒場の一室。 藺草で編まれた床の上にそのまま座り込み、二人の人間が会合していた。 一方は戦神の鎧を身にまとった旅人、ミラのルカティエル。 もう一方は黒装束に身を包み、鼻と口を覆面で覆っているこの国の隠密。 整った目元と泣き黒子、上衣を大きく盛り上げる豊満、そして澄んだ声が、隠密が並外れた美女であることを暗に示唆する。 "影"と名乗ったこの隠密は、東国の王に仕える裏の騎士団の一員であるらしい。 二人の間では、炊き蒸した穀物の上に生魚の切り身を乗せた奇態な料理が、独特の匂いを放っていた。 「この国は、"鬼"と呼ばれる巨人族の攻撃を受けていた」 沈黙を是と受け取ったのか、"影"が滔々と語り出す。 曰く、東国のさらに東より海を渡ってきた鬼達が、突如国を荒らすようになった。 曰く、多くの村を滅ぼされながらも、国の騎士団の犠牲により最後の一体となるまで数を減らした。 曰く、最後の鬼があまりにも強く、もはや騎士団も積極的に打って出るほどの戦力が残っていない。 つまるところ、ミラのルカティエルに、鬼を討つ手伝いをしろというのだ。 「もちろん、ただで協力しろとは言わない」 女は大ぶりの金貨袋を差し出してきた。あけすけなほどの、報酬の示唆である。 舐められたものだ。旅路と修練によって磨き上げてきた技を、金で売ると思われている。 ミラのルカティエルも、亡者狩りも、舐められたものだ。 「そうか。ならばこれならどうだ」 女は下衣の裾をかすかにずらし、眩しい太ももと純白の下穿きをあらわにした。あけすけなほどの、報酬の示唆である。 舐められたものだ。旅路と修練によって磨き上げてきた技を、色で売ると思われている。 ミラのルカティエルは快諾した。 ……… …… … 「くっ……化物め」 大矢が分厚い皮に阻まれ、勢いを失ってポトリと地に墜ちる。 寝床から釣り出した鬼を鬼討ちの大弓で射貫く作戦も失敗だ。 当然である。寝込みを襲った"奔流"すら満足に痛手とならなかったほどの頑強。 女の細腕が撃ち出した矢では、気休めにもならない。 「死ネ、人間!」 鬼がトゲ棍棒を振りかぶる。狙いは弓を射た"影"だ。 ミラのルカティエルは注意を引くため、"封じられた太陽"を放った。 巨大な火球が鬼の剥き出しの上半身を呑み込み、大爆発を起こす。 爆炎を払い、無傷の巨体が翁の仮面へと標的を変え、咆哮と共に突進してくる。 打ち下ろされる一撃。 空を切った棍棒がそのまま地面を砕き、大量の石礫が飛散して翁の仮面をしたたかに打った。 苦し紛れに放った"ソウルの奔流"。幾重ものソウルの大牙が鬼へ殺到し、そして、やはり無駄に終わった。 「死ネ!」 棍棒が再び唸りを上げて二人を襲う。 力ばかりの一撃を躱して棍棒を駆け上がり、大剣で喉元を切り裂く。 "影"も刀を抜き、果敢に続いた。 だが、出血させることすら適わない。厚い肉の皮に、二筋の擦り傷を残しただけだ。 「退け!態勢を立て直すぞ!」 恐るべきは鬼の強靭。 "影"の女が"毒の霧"を、ミラのルカティエルが"猛毒の霧"をそれぞれ生み出し、鬼の視界を遮る。 棍棒が地を砕く轟音と怒りの大音声を背に、二人の戦士はしめやかに撤退した。 「どうする……どうすれば……」 少し離れた森の中。 "影"が息を整えながら手持ちの武具道具を拡げ、思案にくれる。 ミラのルカティエルは一人、震えていた。 大剣が、"奔流"が、"太陽"が、全て効かない。 呪いを乗り越えて以来の、かつてない壁。 恐怖からではない、強敵に相対する高揚が、翁の仮面を昂らせる。 「おい!一人では無謀だ!」 同行者の制止を振り切り、大剣を力強く握りしめ、ミラのルカティエルは疾駆した。 「グググ、死ネェ!」 なぜか引き返してきた獲物を嗤い、巨人が躊躇なく突撃する。 敵は先ほどにべもなく撤退した。明らかだ。この小人は、鬼の皮膚を貫く手段を持っていない。 出方を窺う必要など何一つない。ただ、迫り、砕くのみ。 翁の仮面めがけ、トゲ棍棒が、振り下ろされた―― 「!?」 砕け散った。ミラのルカティエルが、ではない。鬼の得物が。鬼の腕が。 振りきられた正統騎士の大剣が、幾重もの闇を纏っている。 "共鳴する武器"。 ルカティエルの莫大なソウルを糧とし、大剣がその威圧を増しているのだ。 「鬼さん、初めまして。ミラのルカティエルです」 奇怪な敵の名乗りが、戦士の本能が、素早く鬼の笑みを消し去り、距離を取らせる。 闇に彩られた戦神の鎧がそれを追い、再び暗黒の刃を振るった。 巨体が翻り、身を反らせ、一つ二つと斬撃を躱す。 強敵を前に冴えわたるのは何も小人だけではない。 「グガァ!」 鬼の爪が地面を抉り、勢いよく掬い上げた。 大量の石と苔がミラのルカティエルの視界を奪い、続いて上方より拳が迫る。 予測通りだ。"反動"により捻じ曲げられた大気が、鬼の一撃を正確に受け止め、相殺する。 ミラのルカティエルは距離を取り、触媒を構え、ソウルを練っていく。 今までの"ソウルの奔流"を遥かに越える、大量のソウルを。 「ミラノ……ルカティエルゥッ!」 それを許す鬼ではない。生じた隙を物にするため、拳を振りあげて翁の仮面を――視界が塞がった。 火球の直撃による爆炎。追いついていた"影"の技。 「はい。ミラのルカティエルです」 ソウルが放たれた。幾重もの大牙ではない、一筋の、まさしく"奔流"。 極太の閃光が鬼の上半身を呑み込み、跡形もなく、消し飛ばしていった―― 遥か東の果ての国、東国。 かの国ではある時より年の初めに、奇妙な儀式が催されるようになった。 鬼の仮面と翁の仮面、二人の演者がそれぞれ刀を持ち、女の笛の音に合わせて舞踊を舞う儀式。 邪を払い幸福を呼ぶとされるこのしきたりは、その興りも知れず、しかし鬼討ちの神話に基づくものだとのみ、後世に言い伝えられている。