◇姫野サクラコ  白く輝く光の下、沖合では水着美女や海パン野郎に加え多種多様な人々、そしてデジモン達がまき散らす飛沫があちこちで瞬き、砂浜では更に多くのキャラクター達が食えや遊べやの大騒ぎ、青空には時折必殺技が放たれ、別々の催しが同時開催しているような陽気な喧噪を巻き起こしていた。 あらゆる世界からテイマーとデジモンが集められたこのビーチはとある『祭り』の為に用意された舞台であり、彼らはその趣旨に沿いながら体と心を癒し、交流を深め、思い思いにこの機会を楽しんでいた。  その舞台の外れ……熱の籠った岩場を潜り抜けあぜ道を少し歩いた先は森に近く、茂みに囲われるように開けた場所には休憩所を兼ねた更衣室がある。やましいことに使ってねと言わんばかりの位置にあるその室内は外の賑やかさを切り離したような静寂に支配されていた。 「姫野さん……あの、僕、はじめてで」 「ふふ、怖がらなくていいよトウマ君」  裸に近い恰好の二人が向かい合う。  姫野サクラコの金色の瞳は眼前の小さな少年──大木トウマのあどけなく、しかし『へ』の字に眉間を歪めた顔を捉えたまま離さず、彼の紫苑色の瞳もまたサクラコの微笑みを映し返している。スチール椅子に座って縮こまる小学生に対して中学生である自分が中腰で向き合う様子はまるで脅迫のように見えなくもないが、トウマの短い吐息と染まった頬が彼が興奮しているということをはっきりと伝えていた。    ごくり、と大げさに喉を鳴らした首元には薄い汗がだらだらと滴っている。火照った顔は室内の冷房を寄せ付けず今にも湯気が出てしまいそうだ。トウマ自身それを自覚していて冷静に努めようと押し黙っているのだが、それがまた緊張を生んでより興奮してしまう……そんな初々しい心境であることが忙しなく動く手先足先から如実に伝わりサクラコを興奮させてくれるのだが、今すぐ手を出したいという衝動を笑顔の裏にひた隠し、ゆっくりと諭すように話しかけた。  「トウマ君は初めてなんでしょう?緊張するのは恥ずかしいことじゃないよ」  そう、彼は初めてなのだ。  膝の上に差し出されていた彼の両掌を包みこむように握る。「ひゃあ」と鳴き声を上げるトウマの掌は汗でじっとりと塗れていた。 恥ずかしさと申し訳なさがないまぜになったその表情は赤みを増し、伺うように見上げる大きな瞳は潤んでいる。可愛らしさのあまりサクラコの口角が必要以上に尖っていく。 「大丈夫。焦らなくていいよ、まずはリラックスしよう」  柔らかな手の甲を軽く撫ぜ緊張を緩和する。恥ずかしくなるのは当然だ。サクラコ自身初めてはそうだった。  今でこそ堂々と楽しめるようにになったが、初体験は緊張でガチガチだったし、自分が自分でなくなりそうな本能的恐怖さえあった。しかし初めてみれば止まりどころを失い、終わってみればそれまでの価値観を吹き飛ばすような感動と高揚、何よりまた何度でもやりたいという欲が生まれた。人生が変わったという表現はチープだが、少なくとも今はもうこの楽しみがない生活は考えられない。  トウマの人生をどうこうしたい訳じゃない。けれどせっかく体験させるならいい思い出に、最高に気持ち良くなって欲しい。経験豊富な私ならそれができるはずだ。    そのようなことを考えながらも微笑みは崩さず、小さな掌に優しく沿い続ける。  「落ち着いたかな?」 「……はい。とりあえず、でも」  無言で頷くその顔から険しさこそなくなったが、揺れる瞳は不安そうにこちらを見つめ、幼く柔らかな掌はこちらを少し放したり握ったりを繰り返している。こちらへの信頼、いや不安が反転した依存といってもいいものが生まれてきている。その手を少し強く握ってみると、彼も強めに握り返してくれた。  ますます可愛らしい。これからこの子を好きに弄べると考えただけで背筋にゾクゾクとしたものが走る。  第二次成長期を迎える前の肉体、中性や無性に近いそれは蕾や真っ白なキャンバスに通じる無垢の美だ。そしてそれだけではない。目の前の身体は同年代と比べても非常に魅力的だ   陶器のように白い肌、無駄も不足もない肉体、柑橘系を思わせる鮮やかな髪、幼く整った顔の造形、鋭い眉根と陰りを帯びた瞳のコントラストは庇護欲と嗜虐心の相克を刺激する。神に愛されたという比喩はこのような容姿に使われるのだろう。先程トウマをキャンバスに例えたが、これはそのままでも美術館に展示できる現代芸術になりえる。世に訴える力があると確信した。  おそらく天然でこの作り、美容に気を遣っている身としては羨ましさがある。しかしそれ以上に姫野サクラコの内面を支配している感情はやはり、この天使を独占できる興奮と悦びだった。  そしてわかる。揺らぐ視線、瞳の拡縮、表情から推定できる口内の動きで伝わる。この子がいまだこの状況に興奮し、それを必死で抑えようとしていることに。  期待が羞恥に勝っているのかあるいは羞恥そのものに興奮しているのか、いけない子だ。 「あっ…あぅ」  もはや口をぱくぱく動かすので精一杯のようだ。ものわかりが良い子は好ましいが、緊張されすぎると行為に支障をきたす。  持参のポーチから小箱を取り出し、更にそこから透明樹脂の香水瓶を手に取り、手首に軽く吹きかけた。  ローズ・ゼラニウムのように清やかで、より甘く瑞々しい香りが辺りに漂う。ビーチにはそぐわないが心を落ち着けてくれるフレグランス。 父親とパートナーデジモン……二人の家族と一緒に作ったシングルフローラルだ。ちなみに家族兼原料のアルラウモンは更衣室の外で見張りを務めている。この空間に邪魔者は入ってこない。  トウマの様子を見ると、顔は赤いまま全身の動きが緩慢になり安定した呼吸を始めている。眉もなだらかに下がり落ち着いてきたようだ。 「いい香りでしょう?」 「ふぁあ、はい……」  頬を撫でながら聞くと、消えるような声で応えてくれた。リラックスというより弛緩したような顔でこちらを見ている。流されやすい体質なのだろうか。都合がいい。  鼻唄混じりに小箱をまさぐりどう開発してあげようかと心躍らせる。  「優しくしてあげるからね」  そう告げるやいなや、サクラコは穢れない体を味わうように撫でまわした。 ◇大木トウマ     「優しくしてあげるからね」  そう言われるがまま大木トウマの小さな体は姫野サクラコに弄ばれていた……。 「化粧水が目に入るとよくないから、しっかり閉じててね。んーやっぱりブルベを活かしたいな、ストレートにピンク系、でもトウマ君のイメージとしてはオレンジ?夏テーマも加味したらこっちなんだけどあえて赤で冒険するのも……でもそうなるとコーデから考え直しになっちゃうよね。ただあくまで暫定の衣装だし、一通り試してみたいけど流石にそれはまたの機会にしないと……」  目を閉じた状態で聞こえてくるサクラコの早口は独り言だということ以外さっぱりわからず、しかし熱っぽい声と裏腹にひんやりした掌はトウマの顔を丁寧かつ迷いない動きで撫でつけて乳液を馴染ませている。  現状を要約すると、トウマはメイクを施されようとしていた。しかも女装させられた状態で。 ──なぜ自分は年上のお姉さんにお化粧させられているのだろう。トウマはぼんやりとした意識でこれまでのことを振り返った。    ビーチでのバーベキュー、すなわちBBQを越えたBBBQ、海と焼肉の組み合わせに心躍らないキッズがいるだろうか。  ウンコとちんちんで盛り上がるクソガキ期を小5にして卒業したエリ-トマセガキのトウマであってもその魅力には抗えず、一秒と悩まず参加を決意し、パートナーデジモンであるリボルモンと共に事前準備を行い、お母さんと一緒に持ち物の確認をし、興奮のあまり眠れなくなることを加味して普段よりも二時間早く睡眠を取り、9時間半寝た。ハミガキとトイレはしっかり済ませ当日のコンディションもばっちりだ。  行きの便で気持ち悪くならないよう早めの朝ごはんを軽く済ませ、いつもより浮かれている(ような気がする)リボルモンと共に戦場へ向かった。  島にたどり着いてすぐリゾートホテルに大事なものを預け、バーベキューが開催される昼前まで泳ぐことにした。TVで見るような南国のビーチそのものの光景に興奮したのもそうだが、体を動かした後のご飯は旨いというトウマの知見に基づいた作戦だ。全てはバーベキューの為、ビュッフェやケーキバイキングなどのホテルサービスに焼きそばやかき氷などの出店コーナー……誘惑を振り切って海へと臨むその瞳には早くもしょっぱい水が溜まっていた。  しかしここで問題となるのが一緒に準備運動をしているリボルモンの存在である。  事前準備の際に彼の水着を用意する流れになり、「そういえばリボルモンって泳げるの?」と聞いたところ、相棒は人差し指で「チッチッチ」のジェスチャーを行い、付き合いの長いトウマはそれだけで彼がカナヅチだと理解した。  考えてみればカナヅチどころかピストルまんまの体は泳ぐ以前に浮くのか疑問だ。風呂や温泉には平然と入っていたので錆びる心配はなさそうだが、水深がある場所では沈んでしまうかもしれない。  無口で何を考えているのかわからないが機敏なアクションと判断の速さで敵を撃ちぬくクールなガンマン、そんな彼の素朴な弱点を知り泳げる側のトウマは少しばかりの微笑ましさと優越感を覚えたが、すぐさまリボルモンも楽しめるようにする為の会議に移り、浮き輪が入らないといったトラブルを越え最終的にトウマが持つ力を使えばいけるんじゃないかというやっつけ気味な結論に至り、タッグで母親におねだりしてその力を振るう為の品を買ってもらった。   リボルモンと共にラジオ体操第一を終えたトウマは水着のポッケから防水加工が施された定期券入れ…その中の透明シートが何重にも張られたカードを取り出し、同じく取り出した小型機器『Dアーク』に大げさな動きで切るように読み込ませる。 「カードスラッシュ!『メタルシードラモン』!」 トウマが所有するデジヴァイス『Dアーク』には読み込んだカードがもつ能力をリボルモンに反映させる機能が備わっている。水棲デジモンのカードをスキャンすることにより体そのものを水中向きにするという作戦だ。  数あるカードの中からメタルシードラモンを選んだのは究極体なら速く泳げそうというというイメージによるもので、更に言えば巨大な砲塔にリボルモンとのシナジーを感じたからだ。何にせよカードショップまで車を飛ばしてくれた母親には相棒共々頭が上がらない。  防水加工を厳重に施したカードを読み込めるのか不安だったがトウマのDアークは感度がとても良いらしい。スキャンされたカードの情報は機器を伝わり鋭い電光を放つ。余談だがデジヴァイスはどれも完全防水らしく、みんな水着にぶらさげたり忍ばせたりしているようだ。  そしてDアークと共にリボルモンの体もまた光を放ち、変化が始まった。    カードスラッシュは参照元の技を出したり能力を上昇させたりといった効果がほとんどで姿形を変化させるケースは少ないのだが、究極体のパワーが強すぎたようだ。気が付けばリボルモンの胴体は金色に輝く巨大な竜頭の形状になり、更に背中からはこれまた竜のような尾が生え……というよりメタルシードラモンの頭からリボルモンの五体が生えていると言った方が正しく伝わるようなデザインへと変化した。  尾を含めた全長は10mほどだろうか?本物はもっと大きいだろうがその変化はスキャンしたトウマさえ驚くほどのインパクトがあった。まさかここまでの変化が起きるとは考えていなかったのだ。もし家で試していたら叱られるどころの話ではなかっただろう。  そして変化した本人はというと肥大化した胴体といきなり生えた巨大な尾の制御に四苦八苦しているらしく、ビタンビタンと打ち上げられた魚の如く跳ねている。身の危険を感じトウマは慌てて離れるが、リボルモンはそのままもつれるように海へ突っ込んでいった。  勢いよく入水したリボルモンはその勢いのまま撥ね続け、波飛沫を飛ばしながら水平線へ突き進み、やがて音もなく海に沈んでいく……。  (……あれって泳げるの?)  ダイブした相棒を呆然と眺めていたトウマだったが、最悪の可能性が浮かんだ瞬間行動に移った。 「リボルモーンッ!!!」  叫ぶと共に海に飛び込み、クロールしながら海中を探す。トウマの力では引き上げられないとか、周囲に助けを求めるだとか、そういう冷静な判断は吹き飛んでいた。  しかしいくら泳いでも見つからない。一体どこにと焦る脳裏にある話がよぎり始めた。親や先生やネット……至る所で戒めのように聞かされる話だ。  ──溺れた人を助けに行った人が力尽きて溺死してしまうケースがある。  火照っていた脳が急激に冷えこみ、自分が陸地から20m以上離れてしまっていることを自覚した瞬間、恐怖で体が固まり出した。助けを呼ぼうとして声が引きつり、脚の感覚がなくなり、そして  次の瞬間、トウマの体はイルカショーの如く真上に撥ね上げられた。 「あああああああああああああああああああああああああっ!?!!?」  顔中の穴という穴から液体を飛ばしながら上空5mを横回転するトウマだったが、次の瞬間馴染みのあるレザーグローブに抱きかかえられた。リボルモンだ。 「……海でも外さないんだ。それ」  見当違いの質問にコクリと頷く彼の体は宙に浮いていた。  正確に言うと先程生えた尾の部分が水の中に浸かり、海上にリボルモン本体を含めた顔の部分が飛び出ているのである。海から首をもたげる海竜そのものの姿……というには顔部分から垂れ下がった手足のせいで恰好がつかないが、本人はまんざらでもないらしい。人が乗れるほど肥大化した銃身部分にトウマを乗せ勢いよく海上を進んでいく。  心配して損した!という怒りと安堵のぶつけどころに困ったトウマだったが、潮を切る風は心地が良く、何よりリボルモンが珍しくはしゃいでるようだったのでそんな気持ちも吹き飛んでしまった。    トウマ達が砂浜に来た当初から既に何十組ものテイマーとデジモンがいたが、リボルモンと遊んでいる内にあっという間に3ケタ台の人数に到達し、各々が知人友人と語らったり遊んだりで次第に大賑わいとなっていく。いまだ遊泳を楽しんでいるリボルモンから降りたトウマも様々な人に声をかけられたのだが…… 「たまには海もいいよね~!森と違っていちいち燃えたりしないし。えっそもそも森ってそんなに燃えたり生えたりしないの?いやでもボクの居場所はアトラーカブテリモン様の森だから!!」 「オーッホッホッホ!!庶民はこんなしみったれたビーチで楽しく遊べるんですのね~!!この大聖寺奏恵とバルキモンが盛り上げてさしあげますわ~!!」 「海はいい。泳がずともただ歩いたり遊んだりするだけで筋肉が鍛えられる天然のジムだな。トウマ君も一緒に……おや、ゴブリモンはどこだ?」 「デジカカオの件以来ってことになるんだけど……ほぼはじめましてだよね?姫野サクラコです。実は大木君にお願いがあって……」   気兼ねなく話しかけてくる女性テイマー達だが、健全な男子であるトウマにとって生で見る水着女子は目の薬を越えて劇薬だった。  彼女らと接する際はその姿を直視しないよう目の焦点を遠くに逸らし、意識しないように極限まで脳の活動を停止し、何を言われても「はい」や「そう思います」といったぼんやりとした受け答えに徹した。  もっとも気兼ねなく話せる男性テイマー達とも出会い遊んでいる内にトウマも熱が入り、皆と共に体を動かし、はしゃぎ、リボルモンを乗り回してる内に恥ずかしさは霧散していき、主目的であるバーベキューが開催されるまでそのことを忘れるほどに遊びつくしたのだが、女性陣の水着や素肌が視線の端に映る度に首ごと目を逸らしてしまうことだけは変わらなかった。 「トウマ君は食べさせ甲斐があるね」  バーベキュー会場では尊敬できる年上男子の映塚黒白が声をかけてくれた。気遣いの鬼である彼が絶妙な加減で肉を焼いて周囲の人々に恵み続けてくれたことはトウマにとって幸運であり、その細身の体から想像もできない勢いで肉を食べ、肉を齧り、肉を飲み、肉を貪り、腹十二分目になるまで脂の楽園を堪能した。  元の姿に戻ったリボルモンもまた分厚い肉にがっついていた。素顔の見えない彼がどうやってものを食べているのか?永遠にしてどうでもいい謎だ。  食べ終えてしばらく胃袋の幸福感に満たされていたが、黒白に「トウマ君も焼いてみる?」と誘われ、「僕でも肉くらい焼けますよ!」と男子相手には堂々と振る舞えるトウマは意気揚々と引き受け、気遣いの悪魔である黒白は次々と差し出されるやや生だったり焦げていたりする肉をパクつきながら、後輩テイマーが張り切る姿をなんだか遠い目で眺めていた。 「うぷ、ちょっと食べすぎたかも…リボルモン、また泳ぐ前に休まない?」 「……」  肉色の至福を過ごしたトウマ達は会場から離れ、胃袋を休ませる為に近くの岩場に座り込んだ。  波打ち際に近いそこは座っているだけでも海に来た実感を潮風に乗せてくる。都会っ子のトウマが鼻を広げていると、不意に後ろから声がかかってきた 「トウマ君達も休憩?」 「うひゃあ!?」  ビーチで挨拶した女性の一人、姫野サクラコがパートナーのアルラウモンを抱え佇んでいる。 「お話したいんだけど、隣に座ってもいいかな?」 「ン座らせてもらうよっ!」 「うぅ、あ、ぁいっ」  声変わり前のゾンビのような呻きを出しながら許可をだす。がしかし。  ……近い。トウマの足幅ほどもない距離に年上の水着お姉さんが座っている。装いの大半は日焼け対策の衣服に隠されているが、だからこそ無防備に晒している脚に目が向かう。暗色の岩場に映える白い肌から必死に意識を逸らしていると声をかけられた。 「あのさ、私達って話すのは今日が初めてでいいんだよね?」 「え?はい……多分」 「そうだよね。ごめん、変なこと聞いちゃった」  記憶が正しければ、彼女に会ったのはデジカカオ実るアトラーカブテリモンの森……バレンタインの催しが初めてだったはずだ。    チョコを求め彷徨うトウマは『プリンセスネオ』という見た目も名前も怪しいお姉さんに誘われ付いて行き、その途中で彼女は謎の飛行物体に跳ね飛ばされ空に消えた。  後で聞いた話によると彼女は悪人で、実は危機一髪だった訳なのだが……どうやらその飛行物体の正体が目の前の姫野サクラコだったらしく、つまりトウマにとって彼女は恩人ということになる。しかし直接話すのは今回が初めてだ。 「あの、姫野さん。あのときはありがとうございました」 「あはは……それなんだけど、力の制御に失敗しちゃって覚えてないんだ。ごめんね」  物騒なセリフを吐いているが口に手を当て申し訳なさそうにする姿は清楚そのものだ。その端正な顔に見とれていると何か既視感を覚え……しかし気のせいだろうと思い直す。  誰々に似てるという言葉は女性に対して失礼だと聞いたことがある。それが悪人ならなおさらだ。 「こちらこそありがとう」 「え?」  サクラコの言葉に面食らう。何かしただろうか。 「アルラウモンのこと」 「感謝してるよ小さい勇者クン!そしてその愛馬クン!」  花が生えたカエルのようなデジモンが胸に手を当て高らかに感謝を述べる。クドいデジモンだ。  幼稚園児程度のサイズの彼はサクラコの白い腕に包まれながら紫色の花を揺らしている。正直羨ましい。  トウマから少し離れた場所に座っていたリボルモンが軽く手を振りアルラウモンに応えた。 「ちゃんと名前で呼びましょうね?」 「ンン!!そんなにほっぺたを伸ばされたら表情筋がより柔らかくなってしみゃうよヒミェ!」  綺麗な女性に叱られながら弄ばれている姿を見るとますます羨望を覚えるが、愛馬というワードで思い出した。塩水が苦手だという彼をメタルシードラモン化したリボルモンに乗せたはずだ。 「海を楽しみたいっていうアルラウモンの希望が叶った。二人のおかげだよ」 「いや、それは……」  朗らかな笑みを向けるサクラコを直視できず、下を向いて応える。  照れではない。功労者はリボルモンであって自分は何もしていないという後ろめたさだ。  カードスラッシュを行ったが、それは持ち物が凄いのであってトウマの力ではない。  しかしせっかくの感謝の言葉を断る気の強さもなく、かといって素直に受け取るほどの度量もなく、曖昧な反応を出して場が流れるのを待つだけだ。褒められてるのに惨めな気持ちになってくる。 「トウマ君?」 「ヒメに褒められて緊張しているのかい!お気持ちわかりすぎるよ勇者クン!」  勇者……臆病でちっぽけな自分には重すぎる肩書だと思った。  空気の熱が心まで燻ぶらせてるのだろうか?少し冷静になりたくて会場の方に顔を向ける。ひゅーひゅー、きゃーきゃーといった黄色い声が飛んでいる。何か催しがあるらしい。 「水着コンテストの準備だね」 「水着コンテストッ!?」    衝撃のあまり先程のネガティブは吹っ飛んでいった。  忘れていた。これから一時間後くらいに開催されるはずだ。噂によればこの為のセクシー水着を持ってきた人もいるらしいが…… 「トウマ君も興味あるの?」 「ないですっ!!!!!!」  リボルモンを呼んだ時より大きな声が出て、恥ずかしさの余り頭を抱える。 「コンテストを見ないのはもったいないよ勇者クン!なにせヒメも出るんだからね!」 「おかげでバーベキューあんまり食べられなかったけどね……」 「大丈夫さヒメ!代わりにボクが二人分食べたから!げっぷ」 「代わりになってないしそのせいでお腹痛くなったんでしょ?確かに食欲は失せたけど……。じゃあ私も用意しに行くね。トウマ君も応援してくれたら嬉しいな」  サクラコも出る。しかも応援して欲しい……つまり自分に見て欲しいということだ。。トウマの頭脳はフル回転し始めた。  応援はしたい。しかしその動機に不純物がないと言えば嘘になる。もしこれがボディビル選手権で、出場するのが黒白などの知人男性だったらキレてるキレてると声を張り上げ称えるだろう。しかしこれは女体だらけの水着コンテストなのである。下心を出さない自信はない。ばれて軽蔑されるのが怖い。  だが彼女は応援を望んでいる。こちらの内心を知らないから……それとも知った上で弄んでいるのか?だとすればこの人はスケベなのでは。そんなことを考えてしまう自分は最低だろうか。自分とは何なのか。自他の境界とは一体。心とは。世界とは。宇宙とは。 「応援したいけど……見たい訳じゃないんです」  つっかえつっかえ言葉を引き出したが、失礼な言い方をしてしまったと気づき慌てて口を動かす。 「あのっ、見たくないとかじゃなくて、僕はそういうんじゃなcくて、むしろ好きっていうか、その」  何のフォローにもなってない弁解に頭を抱え、そして沈黙が訪れる。やってしまった。軽蔑される。嫌われる。  サクラコの顔を見るのが怖い。しかし沈黙にも耐えられない。勇気を出してというよりは介錯される気持ちで顔を上げた。 「……」  そこに軽蔑の色はなかった。サクラコは口元に手を当て、真剣な眼差しでこちらを見つめていた。  無言の姿はむしろ彼女の上品な佇まいや整った顔を強調させ、改めて綺麗だと思い、しかしそこで彼女は口を開いた。 「そっか……トウマ君もそうなんだ」 「え?」  彼女の声は優しく、その目にも穏やかなものが宿っていた。しかし言葉の意味がわからない。  自分もそうとは一体。  ──僕が姫野さんにドキドキしているように姫野さんも僕にドキドキしている?  そう思った瞬間、頭の奥の本能的な部分にヒリつくような感覚が走る。  先程まで直視できなかった彼女の白い体を、綺麗な顔を、潤んだ瞳を、艶めく唇を、ぼんやりと見つめていた。  邪な心、同じ気持ち、見つめあう男女、火照る体、頭が変になる。  姫野さんが僕の手を握る。思ってたより大きくてひんやり。なのに熱い。目の前に彼女の体。良い匂いがする。夏の果物のような瑞々しい匂い。ダメです。そう言わなくては。なんでダメなの。きっと素晴らしい。何も考えられない。ダメになりたい。姫野さん。僕。姫野さん。ひめのさん。いいにおい。ああ。 「見るだけなんて嫌だよね。着てみたいよね。」 「は?」  その後はあっという間だった。意外すぎるくらい腕力があるサクラコに引っ張られ、水着コンテストにエントリーさせられ離れにある更衣室で女装させられている。  レンタル水着を何着も持ってきた彼女は興奮した様子で「誰だって主役になっていいんだよ」とか「憧れは止められないもんね」などと言っていたが恐らく何か勘違いしている。  しかしそう思ってはいても抵抗ができず、用意された水着を着せられてメイクを施されているのが現状だ。一人で着替えさせてくれたことだけが救いだが、非現実的な状況と緊張感でどんな服を渡されどうやって着たのか覚えていない。着た後も極力意識しないようにしているが、ピッチリした感触は否応なしに健全な男子の体を刺激し苦しめている。鏡を見るのが怖い。  ちなみにリボルモンはというとアルラウモンと共に外でおやつを食べている。何が護衛だちくしょう。  寡黙な相棒は更衣室に引き摺り込まれていくパートナーを見て親指をグッと突き出していた。「男になってこい」という意味だ。女の子にされているのに。  閉じた視界の中、ふわふわしたくすぐったさと粉っぽい感覚を頬に感じながらどうしてこうなったのか?と考えた。会話ミスか?変に取り繕うとしたのがよくなかったのか?  意思表示するのが恥ずかしくて、でもバカにされるのも嫌で、半端に見栄を取ってダサい感じになってしまう。いつもそうだ。  応援にしても遠慮にしてもハッキリと意思表示できていれば恥をかくことも辱めを受けることもなかった。何より姫野さんを勘違いさせてしまうことだってなかったのに。  今更「やっぱりいいです」なんて言ったら姫野さんはガッカリするだろう。楽しそうな彼女にそれを伝えるのが怖いが、それはトウマの何に起因するのか自分でもわからない。配慮か、それともやはり嫌われたくないといいう浅ましさか?  暗闇の中でネガティブ思考が襲ってくる。しかし化粧されている状態で顔を歪めることもできず、不動のまま胸の内だけがじんわりと重くなっていく。石像になった気分だ。  ふと、頭をくすぐる感覚があった。  何も見えない中で感じ取れるこれは、鼻腔を通り伝わるその正体は、匂いだ。  バラのような、それでいて果物のような……トウマの心中にアバウトなイメージが浮かぶ。当然だ。芳香など家のトイレくらいでしか嗅ぐ機会がない。  わかるのはそれがサクラコが持つ香水ということだけだ。先程は目の前の状況に興奮してくらくらしてしまっていたが、こうして視界を塞いだ状態でじっくり嗅いでみると濃い香りの中に包まれるような心地よさと爽やかさを感じた。南国の花ってこんな感じなのかな。そう思った。 「大丈夫、自信をもって」  え、と思わず目を開けてしまう。目の前にサクラコの微笑みと指先があった。 「でも、もっと意識して背筋を伸ばした方がいいかな。綺麗な顔立ちなんだからもったいないよ」  顔面の話だったらしい。かっこいい側によりたいトウマにとって綺麗という評価は複雑だが、褒められることにはこそばゆい嬉しさがある。  心地よい香りに包まれながら瞼を閉じると、同じ暗闇でも少しばかり穏やかな気持ちになれた。時間間隔がなくなり、起きているのにまどろんでいるような感覚。  いつしか時間の流れも忘れていた。    ─がしかし、トウマは再度目を見開いた。   扉の向こうで爆発音が起きたのだ。 「何の音!?」  サクラコが困惑を口に出すが自分にはわかる。何度となく聞いたこの轟音は……。 「リボルモン!?」  彼の必殺の発砲に間違いない。他のテイマーが接近して来たから撃った?いや違う。  トウマが意志表示する前に撃つおかげでトラブルに巻き込まれることも多々あったが、無害な相手に攻撃したことはない。はずだ。多分。そう思いたい。  つまり明確に害を与える敵が現れたのだ。  二発、三発と爆発音が続き、簡素な作りの更衣室は激しく揺れる。  リボルモンの心配、そして室内は危ないという危機感が働きとっさに体が動いた。立ち上がってサクラコの手を掴む。 「姫野さん!」 「トウマ君!?」  彼女を引っ張って入口兼出口である扉まで走り出す。だがその扉をぶち破って何者かが飛び込んできた。そのまま床を転がった後侵入者は顔を上げる。 「大変だヒメ!」  アルラウモンだった。頭にタンコブをつけた彼はそれを意に介さずに敵の正体を告げる。 「ウナギチンポモンだ!!」