■主人公■ 名前:二葉敏明 外見:20歳頃の角田信朗 ■プロローグ1:波音と甲殻の狭間■ 俺の足跡が砂に刻まれるたび、波がそれをすぐ飲み込んで消してしまう。 朝の海はまだ冷たくて、吐く息が白く滲む。プロテストまであと二ヶ月。 体重を落としながらスタミナを上げなきゃいけない時期なのに、こんな時間に走ってるのは単純に眠れなかったからだ。 昨夜のミット打ちの感触がまだ掌に残っていて、拳を握るたびに鈍い疼きが走る。砂浜の先、岩場に近いあたりで黒い影が蠢いているのが見えた。 カラスが五、六羽。 翼を畳んで何かを啄んでいる。 普段なら素通りする。 どうせゴミか死にかけの魚だろう。 でも今日は、妙に気になった。 足が勝手にそっちへ向きを変える。近づくにつれて鳥たちの動きがぎこちなくなる。 一羽が首を傾げ、俺の顔を覗き込むように見上げた。 次の瞬間、黒い羽が一斉に爆ぜる。 けたたましい羽音と鳴き声が空気を切り裂いて、群れは低空を滑るように飛び去った。残されたのは、砂の上にぽつんと転がる小さな蟹だった。スナガニだ。 甲羅の幅はせいぜい五センチ。 右側のハサミが異様に大きくて、半分ちぎれたみたいに力なく開いている。 体液が砂に染みを作り、朝陽に濡れて黒く光っていた。 片方の脚が三本、根元から折れて転がっている。 まだ息はあるらしい。 小さな鰓が、かすかに震えながら空気を求めている。 敏明「……可哀想に」 声に出して呟いた瞬間、自分でびっくりした。 こんな言葉、俺の口から出るもんじゃなかった。 リングの上じゃ相手の顎を砕くことしか考えてない男が、何だよ今のは。しゃがみ込んで、そっと指を伸ばす。 助けてやろうとか、そんな殊勝な考えがあったわけじゃない。 ただ、放っておいたらカラスにまた食われるだろうな、というだけの、薄っぺらい同情だ。指先が甲羅に触れる寸前。 ガチッ鋭い痛みが走った。 敏明「っつぅ!?」 見ると、人差し指の第一関節あたりを、でかいハサミが深々と食い込んでいる。 力の入り方が尋常じゃない。 骨まで達してるんじゃないかという締め付け。 血がぽたぽたと砂に落ちて、赤黒い染みが広がっていく。 敏明「離せって……!」 慌てて手を引くが、蟹はまるで命を賭けたみたいに離さない。 むしろ、俺が引く力に逆らって、さらに深く食い込んでくる。 痛みで視界が白く滲む。 思わず左手で蟹の甲羅を掴み、強引に引き剥がそうとする。その瞬間、蟹の小さな黒い目が俺を真正面から捉えた。 何だ、あの目は。恨みでも、恐怖でも、悲しみでもない。 ただ、純粋に「生きる」ことだけを凝縮したような、乾いた光。 俺がどんな人間だろうと、どんな痛みを与えようと、関係ない。 目の前の巨大な脅威に対して、最後の一撃を加えることだけを考えている。 敏明「……っは」 思わず笑ってしまった。馬鹿みたいだ。 俺はプロを目指してるボクサーだぞ。 こんな小さな生き物に、指一本で本気で抵抗されてる。結局、蟹のハサミがわずかに緩んだ隙に、俺は指を引き抜いた。 皮膚が裂けて、肉がめくれ上がっている。 血が止まらない。 砂に染みた赤が、波にさらわれて薄まっていく。蟹は力尽きたように、ハサミを砂に沈めた。 もう動かない。 いや、動けないのかもしれない。俺はしばらくその場にしゃがんだまま、指を押さえていた。痛みはまだ鋭いのに、頭のどこかで別の感覚が蠢いている。悔しい、のか? 違う。情けない、のか?……いや、それも違う。俺は、ただ、「仏心なんて出すんじゃなかったな」小さく吐き捨てるように呟いた。 立ち上がると、風が急に強くなった。 波が足元まで寄せてきて、血の匂いを洗い流そうとするみたいに何度も繰り返す。見下ろすと、スナガニはもう微動だにしない。 潮が満ちてくれば、このまま海に還るのだろう。 それとも、またカラスが来るか。どっちでもいい。俺は傷ついた指を握り潰すように拳を作った。 新しい痛みが走る。 それが妙に心地よかった。走り出す前に、もう一度だけ振り返った。砂浜には、俺の血と蟹の体液が混じった小さな染みだけが残っている。 波が来るたびに、それが少しずつ薄くなっていく。俺は踵を返し、ジョギングを再開した。指の傷口が開くたびに血が滲む。 その痛みを、俺は意識的に噛み締めた。プロテストまで、あと二ヶ月。この程度の傷なんて、何でもない。 ただ、今日という日は、少しだけ、いつもと違う匂いがした。海の塩気と、鉄の匂いと、そして、何かが死に損ねたような、生臭い残り香。 ■プロローグ2:雨中の帰路■ ジムの照明が背後に遠ざかるにつれ、夜の闇が俺の周りを濃く染めていく。 トレーニングの余韻が体に残り、筋肉が熱く脈打っている。 プロテストまであと六週間。 今日のスパーリングは相手の左フックが何度も俺のガードを揺さぶったが、なんとか耐え凌いだ。 汗が乾かないうちに外へ出ると、雨が降り始めていた。 傘を広げ、肩をすくめて歩き出す。 タクシーなんか使ったら、せっかくの有酸素運動が台無しだ。 雨音が耳障りに響くが、気のせいだろう。 街灯の光が水溜まりに反射し、足元をぼんやり照らす。歩き始めて十分ほど。 前方にぼんやりとした人影が見えた。 小柄で、少女のように華奢なシルエット。 こんな時間に一人で歩くなんて、無用心すぎる。 自然と足が速まる。 声をかけて、危ないから送ろうかと言おうとした矢先。人影が振り返った。いや、振り返ったというより、俺の気配に反応して体をねじった。 街灯の下で露わになった姿に、息が止まる。 人間じゃない。 甲殻のような硬質な殻が全身を覆い、関節から突き出た棘が雨に濡れて鈍く光る。 蟹を無理やり人型に捻じ曲げたような、歪んだフォルム。 顔らしき部分は、複眼が無数に並び、口元が裂けたように開いている。 手足は鋏のように鋭く、地面を掻く音が雨音に混じる。俺の体が硬直する。 心臓が喉元まで跳ね上がる。 逃げろ、という本能が叫ぶのに、足が動かない。 怪物が、俺の接近を察知した。 次の瞬間、猛スピードで迫ってくる。 雨を切り裂くような動き。 俺は後ずさろうとしたが、遅かった。体が路上に押し倒される。 背中が冷たいアスファルトに叩きつけられ、息が詰まる。 傘が転がり、水溜まりに沈む。 怪物が俺の上に覆い被さり、甲殻の重みが胸を圧迫する。 複眼が俺の顔を覗き込み、息づかいのような湿った音が聞こえる。 敏明「くそっ……離れろ!」 叫びながら拳を振り上げるが、怪物の手が俺の腕を押さえつける。 棘が皮膚を刺し、痛みが走る。 下半身に冷たい感触。 怪物の手がズボンのベルトに伸び、荒々しく引き剥がす。 ファスナーが破れる音。 下着ごと引き下げられ、雨に濡れた空気に晒される。 ペニスが露わになり、冷たい雨粒が落ちてくる。怪物が口を開く。 裂けた口元から、粘つく舌のようなものが伸びる。 それは俺の股間に近づき、熱い息を吹きかける。 拒絶の叫びが喉から出かけるが、怪物が一気にペニスを頬張った。熱く湿った口腔が、俺のものを包み込む。 内壁が蠢き、吸い付くような圧力。 舌が根元から先端までを這い回り、敏感な部分を執拗に刺激する。 雨音が遠のき、代わりに卑猥な水音が響く。 怪物の人型を模した体が、俺の腰に密着し、甲殻の冷たさが肌に食い込む。 敏明「やめ……ろ……」 声が震える。 快楽が背筋を駆け上がり、拒否の意志を溶かす。 怪物は容赦なく動きを続ける。 口内が収縮し、真空のように吸い上げる。 舌が尿道口を舐め回し、微細な棘のような突起が表面を擦る。 痛みと快感が混じり合い、俺の体を痺れさせる。 腰が勝手に浮き上がり、怪物に押し込むように動いてしまう。 雨が俺の顔を叩き、視界をぼやけさせるが、下半身の感覚だけが鮮明だ。怪物が喉奥まで咥え込み、蠕動するような動きで締め付ける。 俺のペニスが脈打ち、限界が近づく。 敏明「ぐっ……あ……」 射精の波が来る。 熱い精液が怪物の中に吐き出され、飲み込まれる。 怪物は一滴も零さず吸い尽くし、すぐに動きを再開する。 疲弊した俺のものが、再び硬く張り詰めていく。 怪物の手が俺の太腿を掴み、棘が軽く刺さる痛みが新たな刺激になる。 口内の熱さが、俺の理性を蝕む。 二度目の射精が迫る。 体が痙攣し、怪物にすがるように腰を振ってしまう。 背徳的な快楽が、俺の心を汚す。 雨の中、路上でこんな怪物に犯されるなんて、夢でも見ているのか。 だが、感覚は現実そのもの。 怪物が喉を鳴らすような音を立て、吸い上げを強める。 俺は耐えきれず、再び放出する。 精液が怪物の中に注ぎ込まれ、貪られる。怪物は止まらない。 三度、四度と繰り返す。 俺のペニスが腫れ上がり、過敏になる。 怪物の口内が、粘液で滑りを増し、摩擦が激しくなる。 舌が鈴口を抉るように刺激し、俺の体を震わせる。 敏明「もう……無理だ……」 声が掠れる。 怪物が体を密着させ、甲殻の曲線が俺の腹に押し当たる。 その感触が、奇妙な興奮を煽る。 五度目の射精で、視界が白く染まる。 怪物はさらに深く咥え、喉の奥で収縮を繰り返す。 俺の精が尽き果てるまで、貪欲に吸い続ける。 六度、七度。 体が枯渇し、痛みが快楽に変わる。 怪物の手が俺の尻を掴み、引き寄せる。 甲殻の硬さが柔らかい肉に食い込み、背徳の悦びを増幅させる。 雨が怪物の殻を叩き、滑らかな音を立てる。 俺の息が荒くなり、怪物の動きに同期する。 八度目の射精で、俺の意識が薄れる。 怪物が最後の精を飲み干し、ゆっくりと口を離す。 糸を引く粘液が、雨に混じって落ちる。視界が暗転する。 失神の闇が俺を包む。気がつくと、電柱の影に体が寄りかかっていた。 雨はまだ降っているが、弱まっている。 ズボンはきちんと穿かされ、ベルトまで締められている。 手には傘が握らされ、水溜まりに沈んだはずのものが、乾いた状態で。 体に力が入らず、立ち上がるのに時間がかかる。 下半身に鈍い疼きが残り、怪物の感触が幻のように蘇る。 敏明「……何が起きたんだ」 呟きが雨音に溶ける。 周囲を見回すが、人影はない。 怪物は消え、ただの夜の街が広がる。 俺はよろめきながら歩き出す。 ジムからの帰路が、こんな悪夢に変わるとは。 体が重く、精を絞り取られた疲労が骨まで染みる。 プロテストのことが頭に浮かぶが、今はただ、家に帰ることだけを考えた。 雨が俺の背中を叩き、嘲るように続く。 ■第一話:甲殻の影■ あの雨の夜から二週間。 記憶の端っこに引っかかっていた不気味な感触が、ようやくぼんやりと霞んでいく。 ジムでのルーチンが、俺の日常を埋め尽くす。 ミット打ちの反響音、グローブが空気を切る鋭い風切り音。 汗の匂いが鼻を突き、筋肉の疲労が心地よい重みになる。 プロテストが近づくにつれ、集中力が研ぎ澄まされてきた。 あの出来事は、きっと疲労から来る幻覚だったんだろう。 そう思い込むことにして、俺はリングに立つ日々を繰り返す。今日の練習も終わりに近づき、皆でジムの外に集まっていた。 夕陽が建物の影を長く引き、風が少し冷たさを帯び始める。 後輩の拓也が、俺の肩を叩いて笑顔を向ける。 拓也「先輩、プロデビュー絶対いけますよ。俺たちみんな応援してますから」 その言葉に、俺は拳を軽く握り返す。 他の後輩たちも頷き、口々に励ましの声を重ねる。 一人がスマホを取り出して、最近の試合動画を見せ始める。 笑い声が混じり、和やかな空気が広がる。先輩の浩一さんが、煙草をくわえながら俺に目を細める。 浩一「最近、調子悪そうだったけどよ。復調してきてよかったぜ。プロテスト、気合い入れろよ」 他の先輩たちも同意するように、肩を組んでくる。 皆の視線が温かく、俺の胸に小さな火が灯る。 ジムの前でこんな風にだべる時間が、意外と好きだ。 街の喧騒が遠く聞こえ、夕方の空気が肌に優しい。その時、視界の端に異様な影が映った。 2メートルはありそうな巨体。 トレンチコートを羽織り、帽子を深く被っている。 ガタイが尋常じゃない。 肩幅が広く、歩き方がぎこちない。 まるで人間の形を無理に真似したような、不自然さ。 皆の会話が一瞬途切れ、視線がそちらに集まる。浩一さんが、先に口を開く。 浩一「見学なら、明日来てもらえたら助かるんだけど……」 言葉の終わりが、唐突に途切れた。 浩一さんの首が、奇妙な角度で傾く。 次の瞬間、血の噴水が空を染める。 首が胴から離れ、地面に転がる。 鈍い音が響き、血溜まりが広がる。俺の喉から、息が漏れる。 巨体の男──いや、男?──の手が、ゆっくりと下がる。 その手は、ハサミと指の中間のような、歪んだ形状。 鋭い棘が並び、血が滴る。 サングラス越しに、複眼が覗く。 無数の黒い瞳が、冷たく輝く。悲鳴が上がる。 後輩の一人が、慌てて後ずさる。 後輩「ひっ……!」 だが、遅い。 巨体が一瞬で動き、棘の付いた手が振り下ろされる。 肉を裂く音。 骨が砕ける響き。 血が飛び散り、ジムの壁を赤く汚す。 拓也が、俺の腕を掴む。 拓也「先輩、逃げ──」 言葉が半ばで止まる。 巨体の手が、拓也の胸を貫く。 心臓を抉るような動き。 血が噴き出し、拓也の体が崩れ落ちる。 他の後輩たちが、散り散りに逃げようとする。 だが、巨体は容赦ない。 一歩踏み込むごとに、地面が震える。 手が弧を描き、先輩の一人が胴体を真っ二つにされる。 内臓がこぼれ落ち、蒸気が立ち上る。 空気が血の臭いで重くなる。 叫び声が交錯し、足音が乱れる。俺の体が凍りつく。 足が動かない。 巨体の複眼が、俺を捉える。 ゆっくりと近づいてくる。 棘の手が、俺に向かって上がる。 死の気配が、肌を刺す。その瞬間、後ろから手が俺の腕を引いた。 硬い感触。 まるで甲殻のような、冷たくざらついた皮膚。 声が、耳元で響く。 カタコトの、ぎこちない言葉。 誰か「ニゲヨウ」 力強く引かれ、俺の体が後ろへ傾く。 巨体の手が、空を切る。 風圧が顔を叩く。 俺はバランスを崩しながら、引きずられるように後退する。 視界に、血塗れのジム前が遠ざかる。 悲鳴の余韻が、耳に残る。 誰かの手が、俺を闇の中へ導く。 その手の硬さが、妙に現実味を帯びる。 逃げる足音が、俺の心臓の鼓動と重なる。 夜の街が、俺たちを飲み込む。 ■第二話:廃校の息づかい■ 闇が俺の肺を押し潰すような息苦しさで満たされている。 足がもつれ、踵が何度もコンクリートの段差に引っかかる。 後ろから追ってくる気配はないのに、心臓が耳の奥で暴れ続けている。 引きずられるように進む先で、鉄の扉が軋む音が響く。 埃と古い木の匂いが鼻腔を突き抜け、俺はよろめきながら中へ転がり込む。廃校の廊下は、月明かりすら届かない深い影に沈んでいる。 手首を掴んでいた硬い感触が、ようやく離れる。 俺は壁に背を預け、荒い息を吐きながら、目の前の存在を凝視する。163センチほどの小柄な体躯。 全身を薄い甲殻が覆い、関節ごとに細かな棘が並んでいる。 人間の単眼に近い形をした複眼が、暗闇の中で鈍く光を反射する。 顔の輪郭はどこか柔らかく、唇らしき部分がわずかに開閉している。 先ほどジム前で見た巨体とはまるで別物だ。 なのに、甲殻の質感、複眼の冷たい輝き──あの蟹の怪物と同質の何かを感じて、背筋が凍る。 敏明「近づくな……!」 声が上擦る。 体が勝手に後ずさり、背中が冷たいタイルにぶつかる。 相手は動かない。 ただ、首をわずかに傾げて俺を見下ろしている。 危害を加える気配がない。 それが逆に不気味だ。 やつ「モット、オク、マデ、ニゲヨウ」 カタコトの言葉が、湿った空気に溶ける。 ゆっくりと背を向け、廊下の奥へ歩き出す。 俺は迷った。 ここに留まれば、あの巨体が追ってくるかもしれない。 でも、この甲殻の生き物に付いていくのも、正気とは思えない。 それでも、足は勝手に動き出す。 恐怖より、生き延びたいという衝動が勝った。奥の教室に辿り着く。 黒板に残された白いチョークの跡、倒れた机、埃まみれの窓ガラス。 月光が斜めに差し込み、床に長い影を落とす。 俺は一番後ろの椅子に腰を下ろし、膝に肘をついて顔を覆う。 息がようやく整い始める。隣の椅子が、きしりと鳴る。 やつが、俺の真似をするように座っていた。 甲殻の肩がわずかに上下し、深い吐息のような音を漏らす。 敏明「お前……何者だ」 やつ「ワカラナイ」 即答だった。 声に抑揚がほとんどない。 複眼が俺をじっと見つめている。 敏明「さっきの、あのトレンチコートの化け物は?」 やつ「ワカラナイ」 同じ答え。 俺は舌打ちして、髪を掻き毟る。 敏明「じゃあ、何で俺を助けたんだよ」 やつ「アブナカッタ、カラ」 短く、途切れ途切れに。 まるで言葉を一つ一つ拾い集めているような喋り方。 敵意は感じられない。 それどころか、どこか無垢で、幼い子供のような響きすらある。しばらく沈黙が続く。 俺は机に肘をつき、指で木目をなぞる。 やつはただ座っている。 時折、甲殻の表面が月光を反射して、淡く光る。 敏明「名前、あるのか?」 やつ「ナイ」 敏明「……じゃあ、俺が付けてやるよ」 やつ「ナマエ?」 複眼がわずかに細まる。 興味を持ったような仕草だ。 敏明「蟹、でいいだろ」 やつ「……カニ?」 声が少し低くなる。 不満げに、唇の端が下がる。 敏明「他に思いつかねえんだよ。文句あるなら自分で考えろ」 やつ「カニ……イヤ」 小さく首を振る。 でも、それ以上は何も言わない。 そのまま、欠伸のような音を漏らす。 甲殻の胸が大きく上下し、複眼がゆっくり閉じていく。 やつ「ネムイ」 そう呟いて、机に突っ伏す。 棘の並んだ背中が、静かに上下を繰り返す。 寝息のような、かすかな擦過音が教室に響く。俺はしばらくその姿を見つめていた。 恐怖はまだ消えない。 でも、殺意も敵意も感じられない。 ただ、そこにいる。 意味もなく、ただそこに。 敏明「……なんなんだ、こいつ」 呟きが、埃っぽい空気に吸い込まれる。 月が雲に隠れ、教室がさらに暗くなる。 俺は椅子の背もたれに体を預け、目を閉じた。 眠れるはずがないと思っていたのに、疲労が一気に押し寄せてくる。廃校の静寂が、俺と蟹を包み込む。 遠くで、どこかの扉が風に揺れて、ぱたん、と小さな音を立てた。 それが最後に聞いた音だった。 ■第三話:朝の埃と甲殻■ 複眼が、すぐそこにあった。黒い瞳孔が俺の顔を映し、微かに光を屈折させている。 息が止まる。 昨夜の記憶が一気に蘇り、背中が冷たくなる。 でも、蟹はただじっと見つめているだけだ。 危害を加える気配はなく、むしろ首を少し傾げて、俺の反応を待っているような仕草。 蟹「おハヨウ」 カタコトの声が、埃っぽい空気に溶ける。 唇の端がわずかに持ち上がる。 人間の笑顔を真似ようとしているのかもしれない。俺は喉の奥で唾を飲み込み、ゆっくり体を起こす。 敏明「……おはよう」 言葉が掠れる。 まだ夢の中にいるような感覚が抜けない。 蟹は満足したように頷き、甲殻の肩を小さく上下させる。窓から差し込む光が、教室の床を淡く照らしている。 外はもう明るい。 俺は慌ててポケットからスマホを取り出し、画面を点ける。 8:30。 ジムの朝練が始まっている時間だ。 遅刻どころか、完全にサボりになる。 敏明「やべえ……ジム行かなきゃ」 立ち上がろうとして、足がもつれる。 昨日の血の臭いと悲鳴が頭の奥で反響する。 アパートに戻って着替える? いや、それ以前の問題だ。 昨日の惨劇を説明しなきゃ。 警察? いや、そんなこと言ったら俺が頭おかしいと思われる。 でも、このまま黙ってジムに行っても、皆の死体が発見されたら──蟹が、俺の袖をそっと掴む。 硬い指先が、布地越しに冷たい。 蟹「ダイジョウブ?」 複眼が心配そうに細まる。 俺は一瞬言葉に詰まる。 怪物のはずなのに、この仕草が妙に人間臭い。 敏明「ここで待ってろ。すぐ戻ってくるから」 蟹の指を振りほどき、教室の扉へ向かう。 振り返ると、蟹は机に両手を置いて、じっと俺を見送っている。 まるで置いて行かれる子犬のような目だ。廃校の廊下を駆け抜ける。 埃が舞い、足音が反響する。 外へ出ると、朝の空気が肺を刺すように冷たい。 廃校の門を抜け、住宅街の路地を全力で抜ける。 息が上がる。 心臓が喉までせり上がる。走りながら、頭の中で考えがぐるぐる回る。あの蟹を、あのまま放置しておくべきか。 昨日の巨体と同じ種族かもしれない。 なのに、俺を殺さなかった。 むしろ助けた。 毒気が抜けている。 いや、毒気なんて最初からなかったのかもしれない。 ただ、俺が勝手に恐怖を投影していただけだ。路地を曲がり、大通りに出る。 信号待ちの車が、俺の汗だくの姿をチラリと見る。 無視して走り続ける。ジムの看板が見えてくる。 でも、足が急に重くなる。 あの血溜まりと、散らばった肉片を思い出す。 今頃、警察が来ているかもしれない。 テープが張られ、野次馬が集まっているかもしれない。俺は立ち止まる。 膝に手をつき、息を整える。蟹の顔が浮かぶ。 あの複眼が、俺を心配そうに見つめていた。 怪物のはずなのに。 敏明「……なんだよ、あいつ」 呟きが、朝の風に消える。 俺は踵を返し、ジムとは逆方向へ歩き出す。 いや、走り出す。アパートへ向かう道すがら、頭の中はまだ混乱している。 蟹を連れ帰る? そんなことできるのか。 アパートは狭いワンルームだ。 近所にバレたらどうする。 でも、放置したらまたあの巨体に狙われるかもしれない。 蟹は俺を守ろうとした。 少なくとも、そう見えた。アパートの階段を駆け上がる。 鍵を開け、部屋に飛び込む。 汗で張り付いたシャツを脱ぎ捨て、シャワーを浴びる。 熱い湯が体を叩く。 昨日の血の臭いが、ようやく薄れていく。着替えを済ませ、鞄に最低限の荷物を詰める。 財布、スマホ、着替え数セット。 そして、冷蔵庫の残り物の弁当を二つ。 蟹が何か食べるのかわからないが、とりあえず。再び外へ出る。 今度は走らない。 急ぎ足で、廃校へ戻る道を辿る。朝の陽射しが、廃校の窓を白く輝かせる。 俺は息を潜め、校舎の裏口から入る。 廊下の埃が、足跡を残す。 教室の扉を開けると、蟹はまだ机に突っ伏したままだった。 寝息のような、かすかな擦過音が聞こえる。 敏明「おい……起きろ」 肩を軽く叩く。 蟹がゆっくり顔を上げる。 複眼がぱちりと開き、俺を捉える。 蟹「カエッテキタ」 声に、わずかな安堵が混じる。 敏明「行くぞ。俺の家に……とりあえず」 蟹は机から立ち上がり、俺の後ろに付いてくる。 甲殻の足音が、廊下に小さく響く。 俺は振り返らずに歩き続ける。怪物のはずなのに、 なんだか、毒気が抜けきってしまっている。 いや、毒気なんて、最初から俺の中にしかなかったのかもしれない。朝の光が、俺たちの影を長く伸ばす。 廃校の門を抜け、街の中へ溶け込んでいく。 ■第四話:湯気と甲殻の輪郭■ 部屋のドアを閉めた瞬間、蟹の複眼がキラリと光を跳ね返した。 俺の古着──だぼだぼのスウェットとTシャツ──を着せた姿は、まるで子供が大人の服を借りてきたみたいに不釣り合いだった。 袖が手の甲を覆い、裾が膝上まで垂れ下がっている。 なのに、その下の甲殻の曲線が布地を微妙に押し上げ、妙に女性的なシルエットを浮かび上がらせていた。蟹は部屋の中をゆっくり回る。 本棚の端を指先でなぞり、ベッドのシーツを軽く押して弾力を確かめる。 そして、床に置いてあったルンバに視線を留めた。 蟹「コレ……ナニ?」 指がぴょんと伸びて、丸い本体を突く。 ルンバがブーンと低い唸りを上げて動き出し、蟹の足元をぐるりと回る。 複眼が大きく見開かれ、甲殻の肩が小さく跳ねる。 蟹「ウゴク……!」 楽しげに、もう一度突く。 ルンバが方向を変えて壁にぶつかり、ピーッと警告音を鳴らす。 敏明「おい、やめろって!」 慌ててルンバを拾い上げ、電源を切る。 蟹は少ししょんぼりしたように肩を落とした。 敏明「これは掃除機だ。勝手に触るなよ。……まあ、ここは俺の部屋だ。狭いけど、とりあえず落ち着け」 蟹は素直に頷き、部屋の隅に視線を移す。 窓から差し込む午後の陽射しが、甲殻の表面を淡く照らし、微細な棘まで浮き彫りにする。 蟹「ヌギタイ」 唐突な言葉に、俺は固まる。 敏明「……服?」 蟹「キツイ」 確かに、だぼだぼとはいえ、甲殻の厚みがあるせいで肩回りが窮屈そうだ。 仕方なく頷く。 敏明「いいよ。脱げば?」 蟹は迷いなくTシャツの裾を掴み、頭から引き抜く。 布地が甲殻に擦れる乾いた音。 スウェットのパンツもするりと落ち、足元に溜まる。剥き出しになった体は、人間と蟹の中間を残酷なまでに美しく体現していた。 胸元は柔らかく膨らみ、甲殻の継ぎ目が影を落として豊かな谷間を強調する。 腰から尻にかけてのラインは、硬質な殻に覆われながらも、丸みを帯びて揺れるたびに光を散らす。 尻の肉付きは、殻の下でむっちりと張り詰め、歩くたびに微かに弾む。 複眼が俺を捉え、唇の端がわずかに吊り上がる。笑った、のか?俺は慌てて視線を逸らし、喉を鳴らす。 敏明「風呂、入ってこい。汗臭いだろ」 蟹「フ……ロ?」 敏明「湯船に浸かるんだよ。汚れ落とすのにいい」 蟹は興味深そうに首を傾げ、俺の後ろについて浴室へ向かう。 俺は蛇口を捻り、お湯を溜め始める。 湯気が立ち上り、鏡が曇り始める。蟹はその場に立ち尽くし、じっと湯の音を聞いている。 まるで初めて見るものを見るように、複眼を細めて。 敏明「溜まるまで待ってろ。熱すぎたら言うんだぞ」 蟹は頷き、浴室のタイルに座り込む。 尻の丸みがタイルに押し付けられ、殻の継ぎ目がわずかに開く。 俺は視線を壁に固定し、湯気の向こうでぼんやり考える。……茹で蟹、にならないよな?甲殻生物が熱湯に弱いなんて、蟹に限った話じゃないかもしれない。 でも、こいつは普通の蟹じゃない。 人間の比率が四割くらいあるってことは、耐性もある……はずだ。湯が溜まりきる頃、蟹が立ち上がる。 足音が近づき、浴室の扉が開く。 蟹「アツイ……?」 敏明「まだ大丈夫だろ。入ってみろ」 蟹は湯船に片足を入れる。 熱さに驚いたように体を震わせるが、すぐに両足を沈め、腰まで浸かる。 湯が甲殻の隙間に入り込み、細かな泡を立てる。俺はドアの外で待つことにした。 が、数分もしないうちに、奇妙な音が聞こえてくる。ぺちゃ……ぺちゃ…… 蟹「ン……」 小さな、困惑したような声。俺は眉を寄せ、ドアを少し開ける。蟹が、シャンプーボトルを手に持ち、先端を口に含んでいた。 ぺろりと舌を出し、白い粘液を舐め取る。 敏明「おいおい……!」 慌てて中へ入り、ボトルを奪い取る。 敏明「それは舐めるもんじゃねえ! 髪とか体に泡立てて、洗うんだよ!」 蟹は複眼をぱちぱちさせて、俺を見上げる。 蟹「アワ……?」 敏明「そうだ。ほら、見てろ」 俺はシャンプーを手に取り、蟹の頭に垂らす。 甲殻の隙間から生えたような短い毛に泡を馴染ませる。 蟹の体がびくんと震え、複眼が細くなる。 蟹「クすぐタイ……」 敏明「我慢しろ。すぐ終わる」 泡を流そうとシャワーを手に取るが、蟹が今度はボディソープのボトルに手を伸ばす。 キャップを開け、中身を指ですくって、ぺろりと舐めようとする。 敏明「待て待て待て! また舐める気かよ!」 蟹の手首を掴む。 硬い甲殻の下に、わずかな温もりがある。 蟹「マダ……ワカラナイ」 困ったように首を傾げる。 複眼が俺をじっと見つめ、唇が小さく開く。俺はため息をつき、ボディソープを自分の手に取る。 敏明「……仕方ねえな。俺が見ててやるよ。一緒に入る」 蟹の複眼がぱっと広がる。 蟹「イッショ?」 敏明「ああ。監督だ。変なもん舐めないように」 俺は服を脱ぎ捨て、湯船の縁に腰をかける。 蟹は少し体をずらし、俺の隣に場所を空ける。 湯気が二人の間を漂い、視界を白く滲ませる。蟹の甲殻が湯に濡れて艶めき、胸の膨らみが湯面に半分沈む。 尻の丸みが湯の中で揺れ、微かな水音を立てる。俺はシャワーを手に取り、蟹の背中に湯をかける。 泡立てたボディソープを、甲殻の継ぎ目に沿って滑らせる。 蟹の体が、触れるたびに小さく震える。 蟹「ン……スベスベ……」 まだたどたどしい反応。 快感というより、ただのくすぐったさか、未知の感覚に戸惑っているだけだ。俺は黙って手を動かし続ける。 湯気が濃くなり、鏡は完全に白く曇る。蟹の複眼が、俺の顔をじっと見つめたままだった。 ■第五話:湯の底に沈む吐息■ 湯気が立ち込める狭い浴室で、蟹の体温が俺の肌にじわりと染みてくる。 胸に当たる棘が、チクチクと小さな痛みを刻むたび、俺は無意識に肩をすくめる。 でも、蟹は動かない。 ただ、俺の胸に額を預けるように寄りかかり、複眼を半分閉じている。ふと、蟹の吐息が乱れ始めた。 最初は湯気のせいかと思ったが、次第に熱を帯び、湿った音を立てて俺の首筋に当たる。 肩が小さく震え、甲殻の継ぎ目が微かに開閉する。 敏明「おい……大丈夫か?」 声をかけた瞬間、蟹が顔を上げる。 複眼が俺を捉え、唇が近づく。 柔らかい感触が、俺の口を塞いだ。驚きで目を見開く間もなく、蟹の舌が滑り込んでくる。 熱く、ぬるぬるとした感触が俺の舌を絡め取り、甘い唾液が混じり合う。 蟹の息が俺の肺まで流れ込み、頭がぼうっとする。蟹がゆっくり立ち上がる。 湯が滴り落ち、甲殻の表面を滑る。 股間の部分──殻の継ぎ目が、ゆっくりと開いていく。 内側から粘つく透明な液が糸を引き、湯面に落ちて小さな波紋を作る。俺は言葉を失う。 蟹は迷いなく俺の腰に跨がり、膝を立てて体を沈めてくる。 熱く濡れた内壁が、俺のものを根元まで飲み込んだ。 蟹「ン……ア……」 小さな、掠れた声が漏れる。 蟹の腰が、たどたどしく前後に揺れ始める。 内壁が収縮し、俺を締め付ける。 まだ開発されていない肉襞が、ぎこちなく俺の形に馴染もうとする。 蟹の胸の膨らみが、俺の胸板に押し付けられ、柔らかな弾力が伝わる。 尻の丸みが俺の太腿に沈み込み、甲殻の硬さと肉の柔らかさが同時に俺を刺激する。蟹の動きはぎこちない。 上下に腰を落とすたび、複眼が細くなり、唇が震える。 蟹「ア……ク……モゾモゾ……シテル……」 声が上擦る。 俺は蟹の腰に手を回し、支えるように掴む。 尻の肉が指の間に溢れ、むっちりと沈む感触がたまらない。 蟹の動きに合わせて、俺も腰を軽く突き上げる。 蟹「ンッ……アァ……!」 初めての嬌声が、浴室の壁に反響する。 まだ弱々しく、戸惑いが混じっている。 でも、内壁が少しずつ熱を増し、俺を貪るように蠢き始める。 蟹の胸が俺の胸に擦れ、硬い甲殻の下で柔肉が揺れる。 尻が俺の腿に打ち付けられるたび、水音が響き、湯が飛び散る。蟹の腰が速くなる。 ぎこちないリズムが、少しずつ滑らかさを帯びていく。 内壁が俺を締め上げ、根元から先端までをねっとりと擦る。 蟹の吐息が荒くなり、複眼が潤んで俺を見つめる。 蟹「ア……アァ……モット……ナカ……」 言葉にならない喘ぎが、喉から零れ落ちる。 俺は蟹の尻を強く掴み、引き寄せる。 尻肉が指の間に深く沈み、弾力が掌に跳ね返る。 蟹の体がびくんと跳ね、胸の膨らみが俺の顔に押し付けられる。 柔らかな谷間に顔を埋めると、甲殻の冷たさと肉の熱さが混じり合い、背徳的な興奮が俺を駆り立てる。蟹の動きが激しくなる。 腰を前後に振り、俺のものを深く飲み込む。 内壁が痙攣し、俺を締め上げる。 蟹の嬌声が、次第に高くなる。 蟹「アァッ……! ンンッ……アァァ……♡」 まだたどたどしいが、熱を帯びた喘ぎ。 蟹の尻が俺の腿に打ち付けられ、水しぶきが上がる。 胸が激しく揺れ、俺の胸板に何度もぶつかる。 柔肉が波打ち、甲殻の継ぎ目が開いては閉じる。俺の限界が近づく。 蟹の内壁が俺を強く締め付け、精を搾り取ろうとする。 蟹の腰が止まらない。 何度も、何度も俺を飲み込み、吐き出す。 蟹「アァァ……! イク……! イッ……チャウ……♡♡」 蟹の体がびくびくと痙攣する。 内壁が激しく収縮し、俺を締め上げる。 俺も耐えきれず、蟹の中に熱いものを放つ。 蟹の体が震え、複眼が虚ろになる。だが、今回は失神する前に蟹が体を離した。 湯の中で俺のものを抜き、蟹は湯船の縁に腰を下ろす。 複眼が俺を見つめ、唇が小さく開く。 蟹「アツク……ナッテ……ノビチャッタ……」 蟹の股間の開口部が、熱で少し広がったまま震えている。 俺は息を荒げながら、蟹の肩に手を置く。 敏明「……なんなんだよ、こいつ……」 呟きが湯気に溶ける。 蟹は小さく頷き、俺の手に甲殻の頬を寄せる。風呂から上がると、蟹の体は湯気でしっとりと濡れていた。 俺はタオルで蟹の甲殻を丁寧に拭く。 胸の膨らみを包むようにタオルを滑らせ、尻の丸みを優しく拭き取る。 蟹はされるがままに体を預け、複眼を細めて俺を見上げる。俺はジャージに着替え、蟹にはまただぼだぼのTシャツを着せる。 蟹をリビングに連れて行き、ソファーに横たわらせる。 蟹の体が沈み込み、尻の曲線がクッションに押し付けられる。 敏明「暑いだろ……扇風機、出してやるよ」 クローゼットから古い旋風機を引っ張り出し、コンセントを挿す。 スイッチを入れると、強い風が蟹の体を撫でる。 甲殻の表面が風に揺れ、短い毛がそよぐ。蟹の複眼がゆっくり閉じていく。 かすかな寝息のような擦過音が、リビングに響き始める。俺はソファーの横に座り、蟹の寝顔を見つめる。 敏明「……なんなんだよ、こいつ……」 呟きが、扇風機の風音に混じって消えていく。 蟹の胸が、静かに上下を繰り返す。 部屋に、湯気の残り香と、微かな甘い匂いが漂っていた。 ■第六話:朝の柔らかな殻■ 背中が硬い床板に押し付けられ、首筋に冷たい空気が這う。 廊下の隅で丸くなった毛布が、俺の体をわずかに守っているだけだ。 昨夜、蟹にベッドを丸ごと占拠されて、仕方なくここに逃げ込んだ。 棘がなくなった体は柔らかそうだったが、俺のベッドを譲る気にはなれなかった。かすかな物音で目が覚める。 キッチンの方から、ガサゴソと何かが動く気配。 俺は毛布を跳ね除け、体を起こす。 薄暗い朝の光がカーテンの隙間から差し込み、廊下に長い影を落とす。人影が、キッチンの入り口に立っていた。 敏明「誰だ!」 声が掠れて飛び出す。 人影がゆっくり振り返る。 セミロングの黒髪が肩を滑り、柔らかな曲線を描く。 身長は163センチほど。 俺より一回り小さい体躯が、朝の薄明かりに浮かび上がる。蟹だった。棘が消え、甲殻はより薄く、肌のように柔らかく光を反射している。 複眼は人間の瞳に限りなく近く、黒い瞳孔が俺を捉えてわずかに揺れる。 体毛が細かく生え、胸の谷間や腰のくびれを優しく縁取っている。 尻の丸みは昨夜よりさらに豊かに膨らみ、Tシャツの裾を押し上げて影を落とす。 蟹「起きたら……こうなってた」 言葉が、昨日よりずっと滑らかだ。 まだところどころ途切れるが、抑揚がつき始めている。俺は立ち上がり、蟹に近づく。 距離を詰めると、柔らかい甲殻の匂いがする。 甘く、かすかに海の残り香が混じる。 敏明「何が起きたんだ……お前」 蟹「わからない。でも……体が、軽くなった」 蟹は自分の腕をゆっくり見下ろし、指を広げては閉じる。 胸の膨らみが、布地越しに柔らかく揺れる。 敏明「……目の毒だ。服、ちゃんと着ろ」 俺は脱ぎ捨ててあった自分のシャツを拾い、蟹に押しつける。 蟹は素直に受け取り、頭からかぶる。 裾が太腿の半ばまでしか届かず、尻の曲線がくっきりと浮かび上がる。 蟹「これで……いい?」 敏明「まあ……とりあえず」 視線を逸らし、キッチンへ向かう。 腹が鳴る。 昨日の疲労と昨夜の記憶が、体を重くしているのに、飯だけは食わなきゃいけない。冷蔵庫を開け、残り物の卵とベーコン、冷凍の野菜を引っ張り出す。 フライパンを火にかけ、油を引く。 蟹が後ろから覗き込んでくる。 蟹「それ……食べるの?」 敏明「ああ。人間の飯だ。お前も食うか?」 蟹の複眼が輝く。 蟹「食べて……みたい」 俺はため息をつき、もう一枚フライパンを出す。 卵を割り、ベーコンを並べ、野菜を炒める。 香ばしい匂いが部屋に広がる。 敏明「人間の飯、食って大丈夫なのか? でもシャンプー舐めてた奴だしな……まあ、毒なら毒でいいか」 蟹はテーブルに座り、両手を膝に置いて待っている。 胸の膨らみがテーブルに軽く乗り、布地を押し上げる。皿に盛り、蟹の前に置く。 蟹はフォークを握り、ぎこちなく卵を刺す。 一口、口に運ぶ。 蟹「……おいしい」 複眼が細くなり、唇が緩む。 次の一口、三口と、どんどん速くなる。 尻が椅子に沈み込み、柔らかな肉がクッションに広がる。 敏明「そんなに食うなら、もっと作ってやるよ」 蟹は頷き、頬を膨らませて咀嚼する。 俺も自分の分を口に運ぶ。 温かい飯が、昨日の血の臭いを少しずつ洗い流してくれる。食事が終わると、蟹は満足げに背もたれに体を預ける。 胸がゆっくり上下し、布地が微かに擦れる音がする。 蟹「ありがとう……敏明」 名前を呼ばれて、俺は一瞬固まる。 敏明「……いつから俺の名前知ってんだ」 蟹「寝てる間に……聞いた気がする」 曖昧な答えに、俺は肩をすくめる。 敏明「まあいい。今日はジムに行く。留守番できるか?」 蟹「うん。待ってる」 蟹は立ち上がり、俺の袖を軽く掴む。 柔らかい甲殻の感触が、布越しに伝わる。 敏明「変なことすんなよ。シャンプーとか舐めんな」 蟹「わかった……気をつける」 俺は鞄を肩にかけ、玄関へ向かう。 振り返ると、蟹は窓辺に立ち、朝の光を浴びている。 セミロングの髪が風に揺れ、尻の丸みがTシャツの裾を優しく持ち上げる。ドアを閉め、階段を下りる。 外の空気が、冷たく肺を刺す。ジムへ向かう道すがら、蟹の姿が頭に浮かぶ。 人間に近づいた体。 柔らかな甲殻。 少し流暢になった言葉。 敏明「……わけわかんねえな」 呟きが、朝の喧騒に飲み込まれる。 俺は踵を返さず、ジムへの道を急ぐ。 背後で、部屋の窓から蟹が見送っている気がした。