【その傷に、誉はありや】  パチパチと、焚き火にくべられた枝が爆ぜる音がする。  日が傾きかけた山腹の森。  川のせせらぎが遠く響く中、二人の男女がずぶ濡れになった体を乾かしていた。 「……イザベル。まだ痛むか」 「大丈夫。貴方の回復魔法のおかげで。……随分と、見違えたのね」  木の枝を焚き火にくべながら問いかけた男の名は、サーヴァイン・ヴァーズギルト。元・聖騎士だ。  その問いに答え、薄く微笑んでみせた女は、イザベル。こちらもまた、元・聖騎士だった。  “聖都”カンラークの滅亡から早数年。  亡国の憂き目を生き延びた聖騎士達は各地へと散り散りになり、その大半は放浪の旅を続けていた。  そんな折、ふとした偶然からサーヴァインは、かつての仲間、イザベルと同じ山中で再会を果たした。  どこからか流れ着いてきて、山を荒らしている巨獣の討伐。  麓の村々から出されていた討伐依頼を、たまたま同じタイミングで受けていたのだ。 「色々、あったからな」 「……そうね。私も……色々とあった」  そう言って、イザベルが自身の右腕に視線を落とす。  焚き火の炎を反射して鈍く光沢を放つ、硬質の金属の腕だ。 「……義手か」 「ええ。あの日……奴に、ね」 「…………」  そこで会話が一旦途切れる。  時折爆ぜる焚き火の音。ギャアギャアと遠くから聞こえる鳥の声だけが、一旦その場を満たした。   *  *  *  二人がこうして身体を乾かすに至った経緯は、こうだ。  巨獣の討伐依頼。  それそのものは歴戦の聖騎士達、それにギルと旅と共にしていた仲間達にとってはさほどの難敵ではなかった。  だが、山というフィールドは決して踏破するに容易い土地ではない。  遭遇した巨獣との戦いの最中、前日の雨で緩んでいた地盤が崩壊し、足を取られたイザベルがすぐ横を流れていた川に身を滑らせたのだ。  軽鎧とはいえ、全身に甲冑を纏った身である。  増水して勢いを増した川に飲まれれば、いかな泳ぎの達者であろうと身が危ない。  咄嗟に腕を伸ばしたイザベルに布付きのハーケンを投げ渡したのはサーヴァインであった。  足を踏ん張り、手近な木に手を伸ばそうとするサーヴァイン。  だがそこに、仲間達との戦闘で追い立てられた巨獣が突っ込んできた。 「チィッ……!」  地面を揺るがす衝撃。  木に激突した巨獣が苦悶のうめきをあげ、辺りにへし折れた枝葉が飛び散る。  そして、その余波を受けたサーヴァインもまた、川の上へと身を躍らせていた。 「──ギル!!」 「俺に構うな、ハナコ! そいつを確実にここで仕留め……」  言い終わる前に、ざぶん、と水音が響き、二人の聖騎士の姿は荒れた川の流れに飲み込まれていった。   *  *  *      幸い、さほどの距離を流される前に、二人はどうにか岸辺にたどり着くことが出来た。   サーヴァインが肌身離さず背負っている棺桶型のウェポンラックがたまたま『桶』の役割を果たし、水に浮いたのだ。  手近な岩場を伝って地面へと戻ることができた二人だが、仲間とははぐれてしまった。  すでに日も傾きかけている。  このまま体力を奪われた状態で闇雲に歩き回るより、火を起こして野宿の準備をする方がいいだろう。  川沿いから離れすぎなければ、明日中には仲間達が探しにやってくるはずだ。  そう結論づけた二人は、今こうして焚き火を囲み合っている。 「……っくしゅん」 「大丈夫か、イザベル。……風邪には気をつけろ。俺の魔法は、病を治すことはできない」 「えぇ、面目ない。……濡れたまま火に当たるより、まずは肌を乾かすべきね」  イザベルは苦笑すると、外套を脱ぎ、そして鎧の留め具を外し始めた。  二人とも同郷の騎士である。まして、今は魔物も生息する油断ならぬ山中。  そこに、男女の間に起こり得るような照れはなかったが、多少なりと露わになったイザベルの肌を見て、サーヴァインは視線を僅かに細めた。 「うん? ……あぁ、ごめんなさい。見苦しかった」 「……そういうわけじゃない」   『戦傷は騎士の誉れ。   その身に刻まれた傷の一つ一つが、無辜の民を守った証と心得よ』  ──かつてよく耳にした心得が、どうしてかサーヴァインの脳裏をよぎった。  イザベルの肌のそこかしこに刻まれていたのは、そんな無数の傷痕だったからだ。 「……ただ」 「ただ?」  その先を言おうとして、サーヴァインが一瞬、逡巡する。   「……ただ少し、羨ましいと思っただけだ」 「…………」  サーヴァインが何を言おうとしているのか、イザベルはすぐに理解した。  あの日。  イザベルを始め多くの聖騎士達が魔王軍四天王エビルソードと戦い、その殆どが命を散らしていった。  だが、眼前にいるこの男はそうではない。  聖都に保管されていた数多の宝具、術具を管理していた『墓守』であったサーヴァインは、聖都からそれを脱出させるためにいち早く聖都を後にしていたのだ。  無論、それは各々が各々のすべき役目を果たしたからに過ぎず、そこに上下は存在しない。  だが、結果として聖都は滅亡し、その最後の戦いにサーヴァインは参加していなかった。 「サーヴァイン。あの時、お前があの場にいたとしても……」 「わかっている。俺は、弱かった。……それでも」 「…………」  元々、剣技より道具の扱いや回復術の方に適性を持っていた男である。  エビルソードとの戦いに参戦していたとして、何も結果は変わらなかったかもしれない。ただ徒に命を散らしていた可能性の方が、ずっと高いだろう。  それでも、そのことが本人の心にわだかまりを残しているのは明白だった。  パチ、と焚き火の中で木々が爆ぜる。  ややあって、イザベルは口を静かに開いた。 「サーヴァイン、ひとつ聞かせてほしい」 「…………」 「お前は、戦って、死ぬために旅をしているのか?」  二人の間に静寂が訪れる。  サーヴァインは陰鬱な表情を浮かべたまま炎をじっと見つめ──そして、イザベルへと視線を向けた。  イザベルの背筋に、一瞬、ぞくりとしたものが走る。 「俺は、殺すために旅をしている」  昏い憎悪と、冷酷な決意を秘めた目だった。 「奴を。……エビルソードを」  エビルソード。  その名を聞いて、イザベルは心が粟立つような感覚を覚えた。  否、その名に何の感情も持たない聖騎士など存在しまい。  彼らはみな一様に、心に傷を負っている。  『戦傷は騎士の誉れ。   その身に刻まれた傷の一つ一つが、無辜の民を守った証と心得よ』  結局のところ。  聖騎士達は、守れなかったのだから。  それきり二人の会話は途絶え、夜闇と月だけが忍び寄るように彼らを見ていた。 【了】