魔王城、最高幹部会議室…  緊急招集を受けた四天王ダースリッチ、エゴブレイン、ヘルノブレス、そしてエビルソードの表情はいつになく固い。  それもそのはず、現在魔王軍には捨ておけぬ脅威が迫っていた。 「ロゼトス…厄介なものが現れましたわね…」  魔酒ロゼトス、最近魔王領に出回っている大衆酒。  安価で手に入りしかし味も良く、一献飲むだけで天に昇るかのような酔いを得られる。  だが恐るべきはその依存性、一度ロゼトスに染まった者は毎日のようにロゼトスを求めてしまい他の酒では決して満足できなくなるという麻薬酒。  さらに中毒症状として魔力消失や戦闘意欲の低下など無視できない影響が確認されている。  これが蔓延してしまえば人類との戦争どころではない…大変悩ましい問題に、ダースリッチは対面に座るエゴブレインへと目を向ける。 「エゴブレイン、中毒症状の治療薬はどうなっている?」 「既に完成しておる…じゃが量産には時間が必要じゃ…どう考えてもロゼトスが出回る方が早いわい」 「やはり元を断たねばならんか……あれの出所は?」 「…ヨッテリアですわ」  しばしのためらいの後、ヘルノブレスが口にしたその名に皆はしばらく閉口する。  酒造の国ヨッテリア…住民が常に飲酒し泥酔しているというとんでもない国であるものの、酒類の輸出のみで莫大な貿易利益を得る経済大国。  魔王軍支配下にあるその国では例外的に国の安全が約束されており、惑星のマナを醸造した魔王モラレルへの献上酒も造られている。  これも全ては元ヘルノブレス軍参謀長、アルハラスの緻密な取り込み工作の結果だったのだが…彼は不幸な出来事により既にこの世にいない。  それ以降、ヨッテリアを管理する魔王軍幹部は誰も据えられていないというのが実情だ。 「…行くか」  沈黙の中、今まで腕を組み会議を静観していたエビルソードが立ち上がる。  瞬間、同席していた三将に緊迫が走り慌ててダースリッチが制止した。 「ま、待てエビルソード!貴様は行くな!」 「…何故だ?」 「よもや貴様、ヨッテリアごと壊滅させて仕舞いにする気ではあるまいな!」  エビルソードには絶大な武功の反面、多すぎる前科がある。  彼の問題解決は武力行使一辺倒であり、領内に蔓延る悪酒の製造元を突き止め摘発するなどの緻密な立ち回りは到底期待できない。  有象無象の支配地ならともかく、魔王軍の重要な資金源であり魔王様のお気に入りの地で暴挙を働かせるわけにはいかない。  では代わりに誰が行くか…ヘルノブレスは高貴な出自故に退廃した都には不向き、ダースリッチは膨大な事務処理を抱えている、エゴブレインは論外だ。  会議が暗礁に乗り上げる中…会議室の奥、晦冥のヴェールが蠢いた。 「………フー…」  魔王モラレルの、たった一つの溜息。  それだけで四天王はその場の重力が何倍にも増した錯覚を覚え戦慄する。  最早一刻の猶予もなし、こうして会議が堂々巡りする間に魔王様の勘気をこうむれば一体何人の首が飛ぶか予想もつかない。  ここは無理でもヘルノブレスかダースリッチが対応すべきか…! 「わしが行ってやろうか?」  切迫した会議室に軽薄な声が響く。  四人が出入口へと目を向けると、そこにいたのは一人の鬼族の青年…壁にだらしなくもたれかかり瓢箪で酒を呷っていた。  その者こそは東の魔王、噂のイケメン鬼公子・シュテンである。  極東の勇者に敗北した彼は命からがら逃げ延び、親戚筋の魔王モラレルの軍へと身を寄せ再起を図ろうとしている。  そんなシュテンはニヤニヤと笑いながら会議机に跳び乗り、行儀悪く胡坐をかいて四天王の顔を見回した。 「ちょうど暇をしておったのよ、そうしたら随分面白い話が聞こえたものでな」 「シュテン様…しかし…」 「ようは叔父御の膝下でくだらん真似をしてるネズミを捕まえてくればいいのだろう?観光ついでの運動にゃ丁度いい」  シュテンは厄介な男である。  敗走して庇護を受けている割には魔王様の親族という立場をフルに発揮し魔王軍内では無視できない発言権を得ている。  まさしく親族コネ入社の名ばかり管理職である彼だが、軽く扱ってしまえば魔王様の不興を買うことにもなりかねない。  そんな彼がヨッテリアの対応にあたると宣言したならば四天王であれど決して無碍にすることはできないのだ。  しばらくの思案の後、ヘルノブレスが軽く目を伏して言葉を返す。 「……わかりましたわ、その代わりシュテン様一人にお任せするわけには参りません」 「おお!では共に参ろうヘルノブレス殿!こいつは親睦を深める滅多にない機会…」 「信用できる供回りをつけますわ、その方と協力して事に当たってくださいまし」  一瞬目を輝かせたシュテンだが、続くヘルノブレスの素っ気ない言葉にがくりと肩を落とす。  一方で他の四天王たちはヘルノブレスの上手い対応に舌を巻いた。何をしでかすかわからないシュテンだが首に鈴をつければある程度抑制できる。  問題は誰がその役目を負うかだが… 「ええい、女だ!供回りは女でなくば認めんぞ!」  こうなると、人員は限られてくることになる。  * * * * * 「ま…そんなことだろうと思ったけどね…」  魔王城正門前。  シュテン用に豪勢に飾られた魔馬車の前で、元勇者ショウキは髪をかき上げながら溜息を吐いた。  腐っても東の魔王…ひとたび暴れられればそれに対応できる人材は限られている。その上で女性限定となればほぼ名指しのようなものだ。  その側、同じく供回りに任命された魔伝令カラレアが不安そうに呟いた。 「シュテン様って大丈夫なんですかね…悪い噂しか聞かないんですけど…」 「さあ?魔王様の親族だからね…強いのは間違いないんじゃない?」 「…ずいぶん余裕ですねショウキ先生、魔王名乗ってた人が来るんですよ」  一度魔王倒してるしなあ…という言葉をショウキは飲み込んだ。  ともあれ待つこと数十分、誑かした女たちを大勢引き連れながら問題の男…シュテンはそこにやってきた。  彼は魔馬車の前に立つ二人を品定めするようにじろじろ見ると嘆息して肩をすくめる。 「女とは言ったが…どうにも陰気臭い奴らだのう…」 「そりゃ失礼、アンデッドなものでね…私はショウキ、こっちは…」 「あー、堅苦しいのはいらんいらん!瘴鬼に鴉天狗だな!よろしく!」 「なんなんだこの人」  イラッとしたカラレアのツッコミもどこ吹く風、シュテンはさっさとキャビンに乗り込むと一番良い席で酒を呷り始めた。  少し遅れて見送りの女たちの中から一人、角の生えた機械少女…シン・イバラキが進み出て二人に一礼し続いて搭乗する。  遭遇数秒で発揮された傍若無人さ…憤慨するカラレアの肩をショウキが軽く叩き、二人もまたキャビンへと乗り込んでいく。  やがて、魔馬車はヨッテリアに向けて走り始めた。 「ほれ一献」  乗るや否や、イバラキにより酒を注がれた盃がショウキとカラレアに手渡される。  業務中…しかもこれから向かうのは重要任務だ。遵法意識の欠片もない振る舞いにカラレアは思わず顔を顰める。 「これから酒の都に行くのに今から飲むんですか?」 「慣らしだ慣らし!ちょっとは酒入れて慣らしとかんと向こうで潰れられたら困るからのう!」 「意味が分かりません…これだと到着する前に酔っぱらうでしょ…」 「ケケケ…聞いたかイバラキよ、西の魔族はこの程度の酒にも耐えられん軟弱者だと!」 「フフ…笑っては失礼ですよシュテン様、どうやら大層お真面目な方々のようですから…」 「こいつらマジ…」 「カラレア、我慢我慢」  結局、強引なシュテンに押し切られて二人は酒を口にする事になった。  飲めば自然と口が回る。改めて四人とも自己紹介する流れとなり、それぞれ簡単に身の上や現在の立ち位置などを語っていく。  そんな折、ショウキの話を聞いたシュテンの爆笑が響き渡った。 「それで何だ、魔族を殺し尽くした英雄様が裏切られて討たれたと!?」 「ああ、そうだよ」 「ウヒャヒャヒャヒャ!こりゃ傑作!まっこと阿呆な勇者が居ったものよ!」  ゲラゲラと腹を抱えて笑うシュテンの側、イバラキも笑いを堪えるようにくっくっと肩を揺らす。  対するショウキは感情が読めない笑みを浮かべたまま…いよいよ堪えきれずにカラレアは激昂した。 「悪いのは裏切った人間でしょ!」 「ヒッヒッヒ…いや、自業自得だな…どうせ己の力を私利私欲に使ったことなど一度もないのだろう?」 「何…」 「クク…欲を見せぬ者ほど信用できん者はおらん、絶大な力を持っていれば猶更よ」  シュテンはそう言い切った。  食欲、性欲、睡眠欲、あるいは金銭欲、支配欲…生きとし生ける物はすべて欲のために行動する。  そうした欲を前面に出して動く者は嫌悪や軽蔑の対象になりはすれど、行動の理解を得られないということはない。  何故ならそれは誰しもが持っている感情…どれだけ清廉に生きようとも目を背けられない根源的欲求だからだ。  それを理解しているからこそ、人は一切の欲を見せない者に対して尊敬と同時に少なからず疑心を覚える。  特に…すべてを手に入れられる力を持ちながら、それを自分のために使わず弱者のためだけに振るう者には。 「瘴鬼よ、貴様は持っている力に対して欲が無さすぎたのだ、カスどもからしてみればさぞ得体の知れぬ存在であったろうな」 「…私はただ、大事に思った人たちを…その人たちが住む世界を守りたかっただけだよ…その欲では不足していたと?」 「クハッ!足りん足りん!そうさのう…わしが貴様の立場で言うなら、こうだ」  シュテンはにやりと笑って続ける。 「“この世界は全て我が所有物、我が意にそぐわぬ不届者は鏖殺する”」  それではまるで魔王じゃないか。  そう言い返そうとしたショウキだが、ふと今の立場を思い出して口を噤む。  彼女を裏切って処刑した後…人間たちはすぐに人間同士での戦争を始め、守りたかったものはあっさりと崩れ去った。  結局人間も魔族も変わらない…そう思ったからこそ今は、かつて滅ぼしかけた魔族を守る立場で戦っている。  もしあの時…今シュテンが言ったような言葉が言えていたら何かが変わっていただろうか…  そこで我に返ったショウキは見透かしたように語るシュテンに腹が立ち、意趣返しの言葉を投げかける。 「随分知った風な口を利くけど、君を負かしてここまで敗走させた極東の勇者…彼も無欲の勇者だと聞いたけど」  途端、それまでニヤついていたシュテンは興を削がれて口をへの字に曲げる。  どうやら彼にとっては不都合な話題のようだ…傍で聞いていたカラレアはざまあみろと内心舌を出す。  彼は憮然としながらイバラキに酌された酒を一気に飲み干し、言った。 「ケッ!やつは無欲とかそういう問題ではないわ、ただ鬼を滅するために桃から生まれた殺戮絡繰よ」 「へえ…そんな勇者もいるんだ、面白いね」 「何が面白いものか!やつ自身には信義も欲望もない、ただそこに鬼がいるから鬼を狩り続けるのみ…まことつまらん男よ」  かの勇者は国を救った今もなお、国外に逃げ延びた鬼を追って極東を旅立ったという…  苦々しげに語るシュテンと黙して付き従うイバラキに浮かぶのは、憤怒と畏怖、そして僅かな憐憫をないまぜにした複雑な表情。  どうやら短い会話で推し量るには語り尽くせない人物であることは確かなようだ…ショウキはその勇者に少し会ってみたくなった。  一転して気まずい沈黙がキャビンを支配する中、カラレアが外から漂ってきた強烈な匂いに顔を顰める。 「うへっ…酒臭…!」 「酒気が一層濃くなりましたね、どうやらヨッテリア領に入ったようです」  イバラキの言葉と共にシュテンの態度はまたもや一転、上機嫌に窓の外を眺める。  見渡す限りの酒蔵が立ち並び、それぞれに古今東西の銘酒の看板が掲げられている。  まさに酒飲みにとっては夢のような光景…シュテンは目を輝かせて少年のようにはしゃいだ。 「おおっ!かような極楽があろうとは西方もなかなか侮れんではないか!」 「シュテン様、ここに来た目的を忘れられては困るよ」 「わかっとるわかっとる!瘴鬼、貴様も酔って使い物にならんとか言うでないぞ!」 「生憎、アンデッドになってからそう簡単に酔えない身体なもので」  やがて魔馬車はヨッテリアの街へと到着。  四人は強烈な酒気漂う妖しい都へと降り立った。  * * * * * 「よ~~こしょ~~、こっこここはしゃけの…しゃけのみやこ?よっちゃりあだよぉぉ~~~ひっく」 「なんて?」  魔馬車を降りるや否や、ひどく酩酊した女性に絡まれたカラレアは困惑した。  酒の都ヨッテリア…居住区は酒蔵が立ち並ぶ外周区よりもさらに酒気が濃く、昼間だと言うのにあちこちで住民が飲酒しては泥酔している。  まるで何らかの呪いを受けたかのような異常な光景だがヨッテリアではこれが正常、これで国が問題なく回っているので摩訶不思議である。 「おっとお兄さんたち旅人かい?駆けつけ一杯!」  そんな中、比較的酩酊ぶりがマシな酔漢がシュテンたちに目をつけるとその肩をバシンと叩きジョッキを差し出した。  途端、上機嫌にしていたシュテンの表情が消失する…東の魔王と呼ばれた彼にそんな暴挙を振るう者は西にも東にも存在しない。  シュテンの怒りより先んじ、一歩前に出たイバラキがよく通る声で恫喝した。 「無礼者!この方をどなたと心得る!」 「エッ…お、お兄さん…まさか偉い人…?」 「魔王モラレル様が御親族!かつて東国一帯を恐怖のドン底に陥れられた噂のイケメン鬼公子・シュテン様であらせられるぞ!頭が高い!」 「モ…モラレル様の!? ははーっ!!」  その名を聞き、震え上がって平伏する酔漢。  シュテンはその側に座り込むと乱暴に胸ぐらを掴み、吊り上がった目で睨みつけた。 「おい貴様ァ!ようもこのわしに対してナメた真似をしてくれたのう!」 「ひ…ひぃぃ…!い、命ばかりは…!」  すっかり酔いも覚めて命乞いする男の顔に、怒れる鬼はジョッキをぐりぐりと押しつけながら続ける。 「このシュテン様の駆けつけ一杯がこぉんな小さい杯で足りるかあ!!樽で用意せい、樽で!!」 「エッ…アッ…?た…ただいまぁ!!」  幾ばくもしない内に用意された巨大な酒樽…シュテンはそれを怪力で持ち上げると、大口をがばりと開けて一気に喉奥へと流し込んだ。  豪快にも程がある飲みっぷり…恐怖で遠巻きに見守っていたヨッテリアの住民たちがどよめき、畏怖の視線が尊敬に変わる。  ものの数秒で酒樽一つ飲み干したシュテンが大きくゲップして樽を転がした瞬間、どよめきは既に歓声に変わっていた。 「ス…スゲェ!さすがモラレル様の御親族!」 「鬼族は特段酒に強いと聞いていたがまさかここまでとは!」 「おい足りんぞ!シュテン様にもっと酒をお持ちしろ!」 「ううむ…ヨッテリアで一番の酒豪はウワバミさんかと思っていたがその看板は今日破られるかも知れん!」 「何ィ…?」  人々の中心で誇らしげに歓声を浴びるシュテンに、一人の大柄な竜人の女がぬうっと歩み寄るとその横にどっかと腰を下ろした。  シュテンは一瞬怪訝な顔をするも彼女の顔を見、胸元を見、すぐにその意図を察してにやりと笑う。 「良い胸の…もとい良い度胸の女だ、名は?」 「ウワバミ、そっちこそ良い女子を連れてやがる」 「イバラキか? やらんぞ、あれはわしの物だ」 「それはこれから決めること…いざ尋常に!」  座る二者の前に運ばれてきた酒樽がドンと鎮座する。  民衆のボルテージが最高潮に上がる中、誰かの乾杯をゴングに鬼と竜の飲み比べ対決が始まった。  大歓声の中、次から次へと運ばれてくる酒樽がどんどん空になって転がされていく…  そんな熱狂の渦から少し外れ、ショウキとカラレアは顔を見合わせて肩をすくめた。 「あの人何しに来たんですかね…」 「ま、いいさ、最初から期待してないよ…それよりこっちはロゼトスの出所を突き止めないとな」 「とは言ってもショウキ先生、これだけ酒蔵があってピンポイントで一つ探すのは我々だけでは到底無理ですよ」 「いや…所々にヒントがあるみたいだ」  そう言ってショウキが目を向ける先に居るのは複数名の竜人。  彼らはお祭り騒ぎにも関わらず何事かひそひそと囁き合うと路地裏の闇へと消えていく。  露骨に怪しい集団であったが、誰も気にする者はいない。何故なら全員酔っているからだ。 「あいつらは…」 「九頭竜だな、魔王領にも手を出していたか…」 「九頭竜ってあのマフィアの…?」  九頭竜…巨大な非合法組織ヒュドラから離反し、短期間で一大勢力を築き上げたマフィア。  竜人を中心に構成されたその組織は果ては極東からセーブナまで勢力を広げており、活動範囲においては全盛期のヒュドラをも超越する。  死にかけた大蛇の肉を喰らいながら飛翔する巨竜…その勢いは凄まじく、いずれは人類の各国や魔界ですら飲みこまんとしているのだ。 「ってことはロゼトスを出回らせてるのは九頭竜…?」 「さあ、どうかな…頭目ザモは全てを手に入れたい強欲者だけど魔王様との力の差も分からない馬鹿じゃない…」 「でも現に九頭竜いるじゃないですか…あれはどういうことなんです?」 「それを今から調べるんだよ」  何かを促すように手を振ったショウキに、カラレアは猛烈に嫌な予感を覚えた。  さっきの男たちを空から追跡することは可能…だがバレた時に最も目立つのも空中だ。しかも地上と違って身を隠す場がない。  鉄砲が標準装備である九頭竜構成員を空から追うのはあまりにも危険がすぎる… 「す…すいません…酔っちゃったみたいで酒気帯び飛行はちょっと…」 「毎晩つよゼロ飲んでるカラレアがあれくらいで酔う?」 「ギク…!」 「私がお前を選んだのは酒気への耐性が強いと思ったからだけど、本当に飛べない?」 「……あーもう!分かりましたよ!追えばいいんでしょう追えば!」  静かな圧力に敗北したカラレアは翼を広げ、路地裏に入っていった竜人たちを空から追っていく。  そしてショウキは酒宴のど真ん中で盛り上がっているシュテンを一瞥して溜息を吐いた後、彼女もまた路地裏の闇へと消えていった。  * * * * *  あの方のことは一秒たりとも忘れたことはない…  ガスマスク越しでも一切劣らない端正な顔立ちに、怜悧なあの眼差し。そして何より魔王軍では珍しく部下を思いやれる人柄。  かつて思いの丈を伝えた時、彼には既に想い人がいると知って身を引いた。自分は彼に相応しくない…もっと幸せになってほしいと思ったからだ。  だが…彼は幸せになることはなかった。尽くしてきた魔王の気まぐれであっさりと…何の落ち度もないのに命を落とすことになった。 「アルハラス様…」  酒蔵に偽装された麻薬工場…一人の魔族の女がロケットペンダントに収められた写真を見ながら小さく呟いた。  その背中に九頭竜構成員…ちょっと上質なスーツを着た竜人の男が声をかける。 「ウラミハラスさん、今週の納品終わったぜ」 「ご苦労様、金はいつもの場所に用意してあります」 「毎度あり!ヒヒッ、大口顧客にボスもお喜びだ」  女の名はウラミハラス。  かつてヘルノブレス軍参謀長アルハラス直属の部下として働いていた魔将である。  そして今回、麻薬酒ロゼトスを九頭竜から仕入れていた黒幕…アルハラスが使っていた信頼のおける卸ルートでロゼトスを魔王領に蔓延させたのだ。  九頭竜が直接行えば警戒され難航したはずの麻薬汚染…それが一気に燃え広がったのはウラミハラスという内通者を介していたからこそである。  しかしこれは主君であるはずの魔王に楯突く行為。彼女の目的は一体… 「しっかし怖いねェ、女の恨みってのは…」 「アルハラス様は魔王とヘルノブレスに忠誠を尽くしていた…なのに単なる気まぐれで殺されてしまった…私は絶対にあの二人を許しません」 「ヘルノブレス何も悪くなくない?」  竜人の男のツッコミも、復讐という名の美酒に酔う彼女の耳には届かない。  こうして麻薬汚染を続けていけばやがて魔王領はボロボロになり社会構造を保てなくなる。社会が腐敗すればそれは軍の腐敗と弱体化に繋がる。  そうすれば人間たちもその機を逃すことはない…一気に攻め入ってついには魔王とヘルノブレスを討ち取ることだろう。  遠くない未来を夢想しながら、ウラミハラスは彼との思い出を胸に抱きしめて呟いた。 「見ていてくださいアルハラス様…私は必ずや貴方様の仇を取ってみせます…」 「望んでないと思うけどね、彼は」  不意に割り込んできた声。  弾かれたようにウラミハラスと竜人の男が酒蔵の出入口に目を向けると、そこにはショウキとカラレアの姿があった。  追跡は驚くほど容易だった…普段無警戒同然のヨッテリアで活動している九頭竜構成員たちもまた随分と気が抜けていたようだ。  ウラミハラスは忌々しげに舌打ちして隣の竜人を睨んだ後、ショウキたちに視線を移す。 「嗅ぎつけて来ましたか…魔王の走狗めが」 「もう一度言う…月並みな言葉だけど、アルハラスは多分復讐など望んでいないよ。特に彼が忠誠を尽くした相手にはね」 「黙りなさい!貴女にアルハラス様の何が分かると言うのですか!」  ウラミハラスの激昂と同時、駆けつけた九頭竜構成員たちが二人を取り囲んで銃を構える。  数的には圧倒的に不利…しかしショウキからすれば銃を向けられようが取り囲まれようがこんなものは何の脅威でもない。  目配せしてカラレアを空中に避難させると同時、彼女はすらりと剣を抜き放つ…  その瞬間、ウラミハラスの魔法が発動した。 「“オディオ・グラウィス”!」  二人を巻き込む形で強力な重力場が発生。ショウキは思わず膝をつき、カラレアは地べたに叩き落とされる。 「ぐえっ!?」 「これは…!」 「これは私の恨み、負の感情が強ければ強いほど重力を増す魔法…あの方を想えば例え元勇者であろうと…!」  精神感応タイプの重力魔法か…厄介な術式にショウキは内心舌打ちする。  確かに強力だが、強引に弾いて一気にウラミハラスを仕留めるのはできなくもない…しかし今は九頭竜構成員たちに銃を向けられている。  仮に単独でなんとかしたとしても同じく動けなくなっているカラレアは重力で縛られたまま撃たれれば十中八九助からない。  さて、どう打開すべきか…彼女が高速で思考を巡らせていた…その時である。 「うぃー…ひっく……おいコラァ!瘴鬼!鴉天狗!わしの酒を飲みもせずに立ち去るとは何事かぁ!」 「シュテン様、ここ段差ありますので足元にお気を付けを」  すっかり出来上がったシュテンと、それに甲斐甲斐しく付き従うイバラキが現れた。  あからさまに空気を読めていない登場に場の全員が呆気にとられる中、シュテンはずかずかと酒蔵の中に踏み込んでくる。  ショウキたちに向けられていた銃口は一斉に新たな闖入者へと向き、銃を向けられた彼は心底つまらなさそうに鼻を鳴らした。 「何だシラフ者ばかりが集まりおって!酒の都で無粋であろうが!まったく…」  敵意と殺気が渦巻く中心にも関わらずシュテンは瓢箪に入った酒を呷り…凶悪な表情でにやりと笑った。 「致し方なし、わしが酔わせてくれようぞ!」  大きく息を吸い込んだシュテンは次の瞬間、勢いよく紫色の霧を吐き出した。  瞬間、辺り一帯に立ち込めた霧…それを思わず吸い込んだ九頭竜構成員たちはそれぞれ強い眩暈と吐き気、平衡感覚の喪失を覚える。 「うげっ…!毒霧か…!?」 「いや、違う…!酒臭え…!これ酒だ!」 「や…野郎…!ふざけやがって…!」  その霧の正体は高純度アルコールによる酒気…一吸いで血中アルコール濃度を引き上げ強制酩酊させる魔性の霧だ。  シュテンは足取り覚束ない竜人たちを嘲笑いながら睥睨し、また酒を呷る。 「そぉれ!次は火吹き芸を見せてやる!」  シュテンは再び大きく息を吸い込み、一拍置いて火焔の息を吐き出した。  火焔は高純度アルコールの霧に引火、爆発的な速度で燃え広がり突如として阿鼻叫喚の地獄へと様相を変えた。 「ぎゃああーっ!」 「あ、熱い!水をくれえっ!」 「カカカッ!竜たるものが情けないのぉ!さあ、次は稲妻でも呼んでやろうか!」  火だるまにされた九頭竜構成員が広い酒蔵を右往左往する中、東国で暴虐の限りを尽くした鬼は高らかに笑う。  例え無礼を働かれようと機嫌が良ければ寛大な面を見せる一方で、まるで遊びのように命を奪う…それがシュテンという魔王なのだ。  魔王の暴威が奮われる中、地獄に飛び込んできて斬りかかった竜人の剣客が一人… 「おい手前ェ!なんてことしてくれてんだァ!」  先ほど飲み比べ対決をしていたウワバミである。相当焦っているのか彼女の酔いはすっかり醒めているようだ。  咄嗟に抜刀して剣を受けたシュテンは鍔迫り合いで彼女と額を突き合わせる。 「ここを潰しちまったら私がザモに叱られんだろうがッ!」 「それは可哀想に!なんならわしの物にならんか?歓迎するぞ!」 「残念だが趣味じゃねえんだよ鬼野郎!」  炎の中、激しい斬撃の応酬が始まり火花を散らす。  シュテンが力任せに振るう一刀をウワバミは意外にも繊細に受け流し、返す刀で逆袈裟に斬りつけた。  意外な強者の登場…回避しながらシュテンは楽しげに笑うが、次の瞬間その胸から血が噴き出す。 「おっ?」 「はん…こっちは二刀流だぜ、油断大敵だな!」  ウワバミの二の腕には刃が生えている…刀による斬撃を回避したシュテンだが、さらに追ってくる刃は躱せなかったのだ。  シュテンは自分の胸を撫でてぺろりと血を舐め、軽く鼻を鳴らす。 「このシュテン様相手に面白い女よ…ちょっとだけ本気を見せてやるとするか」 「ンだとぉ…?」 「イバラキ、金棒だ!」 「かしこまりました、シュテン様」  控えていたイバラキ…その機械の体の唯一生身の部分、右手が差し出される。  その掌、中心部にあった口がげろりと巨大質量を吐き出し始め…やがて六尺はある巨大な金砕棒がその場に現れた。  明らかにイバラキの体躯より巨大なそれをシュテンはおもむろに担ぎ上げ、力任せに振り抜く。 「うおおおっ!?」  間一髪、回避したウワバミの元いた位置に破壊の風が吹く。  一振りで酒蔵の中は滅茶苦茶に破壊され、納められていた麻薬酒ロゼトスが噴き出して床にぶちまけられる。  そんな状況を微塵も意に介することなくシュテンは豪快に笑った。 「カカカカッ!どうしたどうしたぁ!二刀流対決といこうではないかぁ!」  また一振り、今度は轟音と共に酒蔵の壁がビスケットが如く砕けて吹き飛ぶ。  退避して物陰から様子を窺っていたウワバミはその破壊力に舌を巻いた。あんなものを振り回されては斬り合いどころではない。  そして、そこから先の判断は早い。 「よし無理だ!私ァとっととズラかるぜ!」 「お…おいウワバミ!逃げる気か!」 「そもそも魔王に目ェつけられたんだ、潮時だろ!手前も退き際見誤るなよ!」  そう言うとウワバミは刀を納め一目散に逃走する。  ウラミハラスと取引していた竜人は一瞬咎めるも、最早どうしようもない形勢不利を悟って自分もすぐに姿を消した。  一方、対するシュテンは逃げる者たちを意に介することもなく馬鹿笑いしながら破壊の嵐を巻き起こし続けている。  理不尽なまでの一方的な暴力…あっさりと計画を踏みにじられたウラミハラスは少し離れた場で怒り狂う。 「おのれ…おのれおのれぇ…!あのようなカスに私の計画が…!」  これ以上暴れさせるわけにはいかない。  重力魔法をシュテンに向けて発動すべく思い切り負の感情を乗せて掌を彼へと向けた。今度は拘束どころではない、その身を重力で引き千切る…!  しかし魔力集中し術式を発動しようとした瞬間、彼女はあることに気付く…先ほどまで拘束していたはずのショウキとカラレアの姿がない。 「し…しまった!どこへ!?」 「上だ」  弾かれるように上を向いたウラミハラス…その瞳に映ったのは、飛行するカラレアの手を掴み空中に浮くショウキの姿。  彼女はシュテンが乗り込んできた大騒動の隙に重力魔法を解除、カラレアを飛ばせていち早く上空に避難していたのだ。  二人の視線が交錯した瞬間、ショウキは手を離して自由落下。落ちながらにして剣をすらりと構えた。 「“オディオ…」 「出来ないだろ、その位置じゃ」  指摘の通り、ウラミハラスはショウキへ向けて手を掲げるも術式を発動することはできない。  何故なら彼女が扱うのは重力場を発生させる魔法…標的と座標の縦軸が重なっている以上、放てば自らの体も押し潰してしまう。  ショウキの前ではその一瞬の迷いが命取り。彼女の剣が閃くと同時、ウラミハラスは右肩と左足から血を噴き出し地に伏した。  瞬時に利き腕と移動力が奪われた彼女は残心を取るショウキを睨みつけ、呪詛を吐く。 「魔王の言いなりになっているだけのアンデッドめ…!私は…アルハラス様の仇を討たなくては…!」 「…アルハラスが守ってきた魔王領の人々…それを巻き込んだ仇討ちのどこに正義があるんだよ」  倒れたウラミハラスに剣を納めながら歩み寄ったショウキは、ブーツで彼女の頭を踏みつけ低くドスの利いた声で恫喝する。 「自己陶酔に死んだやつを利用するな」  言葉の刃がウラミハラスの胸を抉る。  ショウキは力なく項垂れた彼女から視線を外し、程なくして側に降り立ったカラレアに目を向けた。 「黒幕確保、連れて帰ろう」 「…この人、どうなるんですかね…」 「それは私たちが知ることではないさ」  ウラミハラスの犯した罪は軽くない。処刑か、はたまたそれ以上か…ロクな末路を迎えないのは確かだろう。  少しだけ同情の気持ちを抱き、複雑な表情を浮かべるカラレア…ショウキはその肩をぽんと叩いて促した。 「それよりだ、他にしないといけないことがある」  二人が目を向けた先…上機嫌に破壊の限りを尽くしているシュテンがいた。  もはや敵など残っていない、残っているのはかつて敵だった骸ばかり…今や単に酔っ払いが暴れているだけなのだ。  このまま放置しておけば被害は拡大し続けてヨッテリアに甚大な損害をもたらすだろう… 「……あれ、どうするんです?」 「殴って止める、それしかない…カラレアはウラミハラスを監視してて」 「ご、ご武運を…」  ドン引きしているカラレアを尻目に、ショウキは大きく溜息を吐くとシュテンの前に立ちはだかった。  …後に、その戦いはヨッテリアで長く語り継がれる激戦となったという…  * * * * * 「…以上がショウキ殿からの報告ですわ」  魔王城、最高幹部会議室。  ヨッテリアの一連の騒動の報告を受け、四天王はそれぞれ安堵の一息を吐く。  被害最小限で元は絶った。あとは依存症や後遺症が出た者たちをエゴブレインの特効薬で治療していけばいい。 「さすがはショウキ…迅速かつ完璧な働きぶりだ」 「シュテン様と真っ向からやりあって無事とはの…いやはや、末恐ろしい強さじゃわい」 「これほど敵でないことを安堵した人は居りませんわ」  四天王が口々に誉めそやす中、エビルソードは剣の柄にかけた指をうずうずと蠢かせる。  それを見咎めたダースリッチが鋭く声を飛ばした。 「…決して手合わせなど考えるなよ、エビルソード」 「む…」 「ショウキ殿と貴殿が本気で戦っては魔王領がどうなるか皆目検討もつきませんわ、絶対にやめてくださいまし」 「むう…」  止められたならば致し方なし…  エビルソードは兜の奥で嘆息し、もう一人の猛者…シュテンへと思いを馳せる。 「……シュテン様は?」 「シュテン様は魔王様の私室に呼ばれておる…今回の件、さすがに咎められるじゃろう」 「フン…あの方には良い薬よ、これで多少大人しくなってくれれば良いのだがな…」  良い気味だ、と髑髏の奥の目を細めるダースリッチ。  彼らの会話を他所に、ヘルノブレスは密かにシュテンの身を案じていた。  魔王の親戚筋である彼女にとってもシュテンはそう遠くない親戚、困った男ではあるが幼い頃を知っている故に憎みきることもできない。 (…せめて、命が無事であれば良いのですが…)  魔王モラレルの気まぐれは苛烈だ。アルハラスのようにあっさり命を奪われることもあるだろう。  ヘルノブレスは少しだけ…シュテンの無事を祈った。  * * * * * 「……フー…」  晦冥のヴェールの向こう、魔王モラレルは深々と溜息を吐いた。  その御前、胡座をかいたシュテンは巨大な盃に美しく輝く酒を注ぎ…魔王へと差し出す。  ヨッテリアの最高級地酒…千年樹からマナを抽出した、並みの者ならば存在すら知らない魔酒である。 「飲まれよ叔父御!二日酔いには迎え酒が一番ぞ!」 「うむ…」  ヴェールの向こう、盃を手にした魔王モラレルは一気に飲み干し…極上の味わいと酔いが、自らを苛む頭痛と吐き気を取り払うのを感じる。  そんな彼を見、シュテンは上機嫌に鼻歌を歌いながら自らもまた最高級地酒を味わう…これが欲しくてヨッテリアに向かったのだ。  喉を通っていく究極の味に、シュテンは感動して拳を震わせる。 「さすが叔父御よ!桃源郷を既に手中にされておるとはのう!まったく羨ましいことこの上ない!」 「ああ…」 「次は共に参ろうぞ!ヨッテリア中の酒を一晩で飲み尽くそうぞ!」  テンション高く騒ぐシュテンに対し、モラレルは静かに癒しの酒を味わっている。  誰も知ることのない魔王の酒宴…二人は各々の飲み方で、ささやかな楽しい時間を過ごすのであった…