トンカツ・トーチャリング 世界樹教団の宴会場、それは教主が無償で食事を振舞う使徒達の憩いの場である。しかし、今日に限ってはいつもと様子が違った。和やかな宴会場に似つかわしくない、異様なオブジェが聳えていたのだ。 それは巨大な十字架。 まるで罪人を磔にでもするかのような大きさである。いや、実際にそこには一人の使徒の姿があった。 鈍色に輝く鉄の鎧。俯き、表情の読めない頭部には栗毛の髪。束ねた長い髪の間から僅かに尖った耳が覗いている。 エルフのスパイ、ローネである。 彼女が何故このような憂き目に遭っているのか?宴会場で談笑する使徒達は誰も知らない。と言うよりは、心当たりが多すぎて予想も付かないというのが正しいだろうか。 兎も角、ローネが罰を受けるのだという事は誰もが理解していた。そう、彼女は既に罰を受けているのではなく、これから罰を受けるのだ。 キィィィ...バタン。 宴会場の使徒達の注目を集めるためか、やや大きな音を立てて扉が開かれる。現れたのは今宵ホスト、教主である。 「みんな、今夜はよく集まってくれた。それじゃあ食事会を始めよう。」 教主がそう告げると、使徒達は思い思いの席に着く。教主が向かうのは、教団の誇る魔法の調理鍋を擁する調理台だ。 そこで教主が取り出したるは桜色の大きな肉塊、豚肉である。 片側に白い脂身の層を備えたその肉はロースと言われる部位であった。教主はその肉塊を、小指ほどの厚さにきり分ける。大きさは手の平程だ。 その切り身に包丁で薄く切れ込み入れたら、今度は包丁の背で丹念に叩く。肉の筋を解し、柔らかくするためである。人数分の肉を用意したら、塩コショウで下味を付け、布巾を掛けてしばし肉を休める。 「ぁ...ぅ...あ...!」 そんな教主の包丁捌きを見て、うめき声上げる使徒がいた。ローネである。磔にされた彼女は、誰よりも高い位置から教主が調理する姿をよく見る事が出来た。 そんな声など気にもせず教主は調理を続ける。ガラス製のボウルに卵を一つ、二つ、三つと割り入れる。今朝方マーゴの牧場から届けられた新鮮な卵である。それを竹製の菜箸で切るように混ぜ合わせたら卵液の出来上がりだ。 次に教主はアルミトレイを取り出す。そこにそれぞれ薄力粉とパン粉を入れれば準備完了だ。 ここまで来れば教主が何を作ろうとしているかは明らかだろう。 「ト...トンカツ...」 生唾を飲み込みながらローネが呟く。 そう、今日は教主が主催するトンカツパーティなのである。料理によって何にでも使える魔法の大鍋に、今日は油が満たされている。米油とラードと少量のゴマ油を秘密の割合でブレンドした教主特製の揚げ油である。菜箸を油に差し込めばつぷつぷと小さな気泡が沸き上がり、温度も丁度よい頃合いであった。 教主は寝かせていた豚肉を薄力粉のトレイに載せて、ひっくり返す。満遍なく粉が付いたら次は卵だ。とぷん、と音を立てながら卵の海に沈めたら、薄力粉が溶け出す前に引き上げる。黄色く染まった塊をパン粉の上にそっと置き、隙間の無いように衣を着せる。実はこのパン粉も最上級品である。こう言っては当人に怒られるかもしれないが、エーリアス最高と呼び名の高いエシュールのパン工房の食パン、惜しげもなく使った逸品だ。 最高級の衣を着せられ、万事準備の整ったトンカツが、鍋の縁の斜面を滑り降りるように油の中へ投入される。 ジュワッ! 油が僅かに跳ねてパン粉の揚がる香ばしい匂いが宴会場に立ち込めた。人数分のトンカツを油に浮かべたら、揚がるまでのしばしの時間で教主はキャベツを刻む。揚がったトンカツ載せるための付け合わせだ。 トントンとキャベツを刻み、合間に揚げ中のトンカツを油の中でひっくり返す。キャベツを刻み終え、それぞれの皿に載せる。人数分の皿が用意された頃にはトンカツは綺麗な狐色へと変わっていた。 最初に鍋へと投入したトンカツを取り出したら、まな板上で食べやすい大きさにきり分ける。サクッと軽やかな音と共にで姿を見せた断面は、中心部分にほんの僅かな桜色を残した最高の揚げ上がりだった。 キャベツの上に切ったトンカツを載せる。中央の一切れは断面を見せるように上を向け、揚げ加減が一目で分かるように心配りも忘れない。トンカツの皿には端に和からしを添える。トンカツを楽しむために用意された非常にシンプルな一皿だ。 そんな至高の一皿に、横からそっと箸が伸ばされた。つまみ食いだろうか?しかし皿からトンカツが消えた様子はない。代わりにキャベツの脇に鮮烈な緑があった。斜めに薄切りにされたキュウリである。 教主は驚いた顔を見せたが、特に怒ったりはしなかった。自分の料理に勝手に手を加えられる事を好まぬ料理人は多い。だが教主はそうではなかったようだ。 トンカツの皿に加えられた緑の彩りを、そう悪くないと思ったようである。 キュウリを乗せた使徒、キュウイの頭を撫でて他の皿にもキュウリを載るように促す。増えた彩りに合わせるように、教主はトマトを六切りにして皿に添えていった。 出来上がったメインディッシュを盆に載せ、一緒にご飯とみそ汁も載せる。みそ汁はシンプルにネギと豆腐だけのものだ。そこにもう一つ。小さなすり鉢に入れられた胡麻と、小さなすりこぎだ。 好みの粗さで胡麻を引いて、ソースと合わせて胡麻風味のソースにするのだ。 これにて教主謹製のトンカツ御膳の完成である。 準備が出来た御膳から使徒の元へと配膳されていく。全員の元にトンカツが行き渡ったタイミングで教主が一言。 「いただきます」 トンカツパーティの始まりである。 だが、このパーティに異議のある者もいた。 「私の!私のトンカツは!?」 ローネである。磔にされたローネには当然、席は無く、トンカツ御膳も用意されていない。 しかし誰もその声を気に留める者はいなかった。目の前のトンカツに夢中なのである。各自が思い思いにトンカツに舌鼓を打つ。 ゴリゴリゴリ... プチプチとした感触を楽しみながら、すりこぎで胡麻を潰す。自分で手を動かして料理を完成させるのも又、食事の愉しみである。すり鉢にソースを注いだら軽く混ぜればどろりと粘度を増した胡麻ソースの出来上がりだ。 それを揚げたてのトンカツに掛ける。そうすれば、後は口に運ぶだけである。 サクリ。 からりと揚がった衣が口内で弾ける。 その内側の豚肉は確かな弾力を感じさせながらも柔らかく、程よい余韻を残しつつ噛み切る事が出来た。肉から溢れる肉汁は思ったよりも少ない。だが旨味が少ないなどと言う事は決してない。豚の旨味、その肉汁は衣がしっかりと吸っているのだ。衣の香ばしい香りと豚肉の旨味と、そこにソースの複雑な風味と胡麻の香りが混ざり合い、何とも言えない絶妙な味わいを作り出す。 それは、食した使徒が思わず笑顔を見せる程の絶品であった。 「あ...あ...トンカツ!私のトンカツ!!」 目の前で消費されていくトンカツ。その様子にローネが叫び、何とか拘束から逃れようと全力で藻掻く。だがローネの手足は革製の拘束具でしっかりと十字架に固定されている。非力なエルフの腕力では、決して逃れる事は出来なかった。 その間にも宴は進む。トンカツは消費され続けていく。胡麻と合わせたソースで食す者。シンプルにソースだけで食す者。和からしを付けて辛味を楽しむ者。使徒の好みによって様々だ。 だが、一際ローネの目を引いたのは妖精の女王、エルフィンの食事風景である。なんと彼女は、トンカツに豚肉の味も分からぬ程のソースを掛けていたのだ。 「そんな食べ方はトンカツ対する冒涜です!!」 ローネが叫ぶが当然エルフィンの耳には入っていない。 エルフィンは箸を握り、トンカツに突き刺す。ソースが滴るトンカツを貫いた箸を振り上げ、もう一度。更にもう一度。 ソースまみれのトンカツが三切れも刺さった所でエルフィンはそれを口に放り込んだ。 「そんな...一度に...もったいない!!」 ローネの声は最早、悲鳴と呼んでも差し支え無いものだった。 しかしエルフィンは止まらない。咀嚼しながら再びトンカツを突き刺す。突き刺す。突き刺す。そして前のトンカツがまだのこっている口内に、新たなトンカツを放り込んだのだ。そこには味わうという概念は存在しなかった。だた、旨いから食らうという、ある種の動物的な本能の行動である。たった二口でトンカツを平らげるたエルフィンが叫ぶ。 「おかわり!」 そんなエルフィンの様子に、苦笑をしながらも教主が次の皿を供する。付き合いの長い教主にはエルフィンの行動などお見通しなのだ。当然の様に次のトンカツが用意されていた。 そして、それを見た他の使徒達も、今日の食事会の意味を正しく理解した。 今日はトンカツパーティ。 おかわりだって仕放題なのだ。 他にもおかわりを求める声が上がり、それに応じてトンカツが運ばれていく。その間も次々にトンカツが揚げられ、使徒に供されて行く。しかもただのおかわりではない。飽きさせぬ為に様々な趣向が凝らしてあった。 味に変化を加えるため、柚子胡椒を添えた皿。高齢のディアナの為、さっぱりとしたおろしポン酢を用意した皿。こってりとした味が好みの獣人たちの為には、薄く切った豚肉の間にチーズ挟んで揚げたミルフィーユカツなども作った。食の細いエルフ達にはわざわざ脂身の少ないヒレカツまで用意した。 「ヤメロヤメローッ!」 目の前で、ただひたすらに消費されていく様々なトンカツにローネの正気が削がれていく。 「ヤメロヤメローッ!」 ローネに出来る事は、もう泣き叫ぶ以外に何も無かった。最早まともな言葉すら発する事が出来ないようだ。 そんなローネの悲鳴をBGMにトンカツパーティの夜は更けて行く。 それから暫く時は経ち、趣向を凝らしたトンカツによって腹を満たした使徒が一人、また一人と宴会場から去って行く。 最後の一人を見送った宴会場には、もう豚肉の一切れすら残ってはいなかった。 正に宴の後といった様相だ。 そんな閑散した宴会場で教主がローネに近づき、縛めを解いて十字架から解放した。 しかしローネはそのまま宴会場の床に崩れ落ちる。泣き、叫び、暴れ、疲れて精根尽き果てたローネは立ち上がる気力さえ残っていなかった。 「なぜ...こんな事を...?」 しかし、そんな状態でもローネは問わずには居られなかった。顔だけで教主を見あげながら当然の疑問を口にする。 「未実装の使徒は宴会場には呼べないから...」 教主の口から語られた言葉は真理であった。そして、それはローネ自身にはどうにも出来ない事であった。 「そ...そんな...」 絶望の淵に沈むローネ。 だが、そんなローネに教主は優しく微笑んだ。 「明日になれば、ローネも宴会場に来る事が出来るから...料理を用意して待っているよ」 教主の言葉に、ローネは雷に打たれたように体を震わせる。明日になれば、自分もあのトンカツの宴に参加できる。そう言われたのだ。 「絶対ですよ!約束ですからね!!」 ローネは今までの様子が嘘のように跳ね起きると、そのままの勢いで教主へ詰め寄った。その様子に教主は苦笑しつつ返した。 「ああ、それじゃ私は明日の仕込みをするから、また明日」 教主の返答に満足したローネは挨拶もそこそこにスキップをしながら帰路に着いた。その様子を眺めながら教主は笑みを深める。 お気づきだろうか?教主はローネにトンカツを振る舞うとは、言っていない。ローネには"料理"としか言っていないのだ。 そして、教主の仕込みはたった今、完了した。 明日、ローネが見る教主の動きは今日と寸分違わぬ物になるだろう。 だた一点、違う所があるとすれば。 豚肉の不在。 教主が切り分けるのは豚肉ではなく空。教主が揚げるのは豚肉ではなく気。 ローネには、熟練のパントマイムのように、無いものを調理する教主の姿が披露されるのだ。 空気《エア》カツ これは本物のトンカツを知る者にこそ良く効く。だからこそローネには教主の作るトンカツを知ってもらう必要があったのだ。 果たして空気カツを供されたローネはどのような反応を見せてくれるだろうか? その姿は是非とも教主各位で確かめて頂きたい。 とても愉しみです。 おわり