……今日もここか。   ヤチヨの部屋にログインすると、そこは数ヶ月前まで住んでいたアパートだった。  彩葉の部屋からでもヤチヨの部屋に入れるようになったが、天守閣に迎えられることはあまりない。  その上、現実世界の彩葉をそっくり再現したパジャマ姿のアバターになっていて、一瞬現実とツクヨミの境が曖昧になる。 「彩葉。いらっしゃい」  黒いオーバーサイズのTシャツを着て、ふわりと笑うヤチヨ。この笑顔がなければ、今自分がどこにいるのか、はっきりとはわからなかっただろう。  ヤチヨは、彩葉の手を柔らかく包み、座卓に誘う。  彩葉が腰を下ろすと、対面にヤチヨも座った。  かぐやだったら、抱きついて手を掴んで強引に座らされたんだろうな。  そんなことを思うのは、この部屋のせいだ。色々思い出してしまう。  かぐやが増やしたガラクタは全くなくて、多分、かぐやと出会ってすぐくらいの部屋だろう。何から何まで精巧で、こんなところまでと驚きたくなるくらい正確に再現されていた。  それは、彩葉のアバターもそう。  鏡を見ても、毎日見ているそのままの彩葉がそこにいた。正面も横顔も背中ですら、違和感が全くない。なんでパジャマ? と思わなくはないけど、それにしてもよく見てたんだな……。 「どうしたの?」 「……改めて見返すと、ボロアパートだなぁって」 「ここでの生活も、楽しかったよね」 「なんかボロだの映えないだの散々言われた気がするけど」 「そうだっけ。8千年前だから忘れちゃった」  おい。 「それより彩葉。今日学校どうだった?」  ヤチヨが身を乗り出してくる。 「んー。まあ、いつも通りといえばいつも通りだったけどね。今日は……」  昨日一昨日とあまり変わらない話を、ヤチヨは楽しそうに聞いている。  ヤチヨは、彩葉の周りの出来事や感じたことを、彩葉の口から聞きたがった。それは現実世界のことだけでなく、ツクヨミの中のこともだった。調べようと思えばいつでも調べられるのに、ヤチヨはそうしない。  ヤチヨは、彩葉を知りたいだけなんだろう。  何があったか、誰がなにをしたのか、そういうことはあまり気にしていない。現実世界に触れることは叶わないヤチヨは、彩葉の心に触れたがっている。  それがわかるからこそ、彩葉は細かいことに目を配ったり、視点を変えてみたり、喋り方を工夫してみたり、工夫している。  なんとなくそれが伝わっている節もあって、ただ話すだけでヤチヨは嬉しそうにしていた。 「あとは、模試の結果も帰ってきたけど、まあ、順調かな」 「そっかそっか。でも、無理はしないでね、彩葉」 「大丈夫だって。バイト減らした分、前よりも楽なくらいだし」 「彩葉はがんばりやさんだから、ヤッチョは心配だよ~。体調崩しても看病してあげられないし……」 「あー、もっと頑張れそう」 「えーっ」  そういう他愛のない会話は楽しいし、ヤチヨがかぐやと同じように笑ってくれるのが嬉しかった。  ふと、会話が途切れる。  ヤチヨはぼーっとした顔で、こちらを見ていた。 「ヤチヨ?」 「……あ。ごめんごめん、なんだっけ」 「大丈夫? 時々、今みたいにぼーっとするけど……。どっか調子悪かったりとか……」 「彩葉に見とれてたって言ったら、どうする?」 「ちょっと、何言って……! ああ、もう。からかわないで」 「ホントなんだけどな~」 「ヤチヨ!」 「ほんとだよ」  おどけた雰囲気がすっと変わって、ヤチヨが真正面から見つめてくる。  彩葉は息を呑んだ。 「ずっと好き、大好き、結婚しよって言ってたのに。信じられない?」 「いや、信じられないっていうか、えっと……」  身を乗り出したヤチヨが、彩葉の手を取る。 「彩葉。この部屋を見て。どう思う?」 「よくできてると、思う」 「どうして再現できたと思う?」 「え、ええと……、赤ちゃんのときから見てた、から?」 「ちがうよ~。この部屋はね」  顔を寄せたヤチヨが微笑み、 「かぐやが、彩葉を好きになった時の部屋」 「え、ええ……? それって、いつ……」 「かぐやが初めて彩葉とお話した夜。ちなみに、彩葉のアバターもその時の彩葉だよ~」 「……最初過ぎない?」 「彩葉が本当にきれいで、好き~! ってなって、周りの世界ごと目に焼き付いて……。ずっと色褪せない光景なんだ」  顔が熱くなるのを感じる。現実世界ではきっと耳まで真っ赤になってる。今だけはかぐやが横にいなくてよかった。 「だから、ヤチヨはここが好き」  そんなことを言いながら、ヤチヨはマンションも楽しかったけどね、なんて舌を出す。  なんて言ったらいいかわからない。わからないけど、とにかく気持ちが爆発しそうだった。  あの夜、そんな大したことを話したわけじゃない。オムライスとタコライスを食べさせて、かぐや姫についてちょこっと話して、勢い任せに生きる子どもに説教をくれてやったくらいだ。  なのに、かぐやは彩葉をきれいだと思い、8千年の間、鮮やかさを保った美しい思い出として持ち続けていた。  彩葉は、反射的にヤチヨを抱きしめていた。 「ほんと、敵わないな……。かぐやには」 「彩葉と、出会えてよかった」  ヤチヨの声が震えている。 「うん」 「8千年。辛かった。苦しかった。でも、彩葉と出会ったことは一瞬だって後悔しなかったよ」 「……っ、うん」 「彩葉にまた会えたら、辛さも苦しさも、全部どうでもよくなっちゃった」 「…………っ」 「彩葉。見つけてくれて、ありがと」  そこからは、どちらも言葉はなかった。  静かに、静かに、涙が流れるに任せた。  数日後。 「ヤチヨ。一個聞いてもいい?」 「なんだいなんだい?」 「私が気づく前から、現実の私のアバター作ってたよね」  そうじゃなければ、あの一瞬でアバターが切り替わることはなかったはずだ。 「…………」  ヤチヨは笑顔のまま固まっている。 「……なんで?」 「…………」  聞き取れないほどの小さな声で、ヤチヨが何かを呟いた。 「ヤチヨ?」 「おっと☆ そろそろ配信の時間だ!」 「ちょっと」 「じゃ、彩葉! またね! さらば~い!」 「あっ逃げた! ヤチヨ!!」