●緑の巨人伝はどうして難解なのか  理由は大きく分けて三種類あると考えます。 1.死んだ伏線が多すぎる  監督がインタビューで仰っている通りなら、本作は最後までシナリオを飲み込みきれずにコンテ上で固めていったようです。  なので、後で使えそうな伏線としていかにもそれらしく描かれているモノでもスルーされることがあり、アニメなどをよく見ている人ほど戸惑います。  特にいかにもクライマックスに関わりそうな展開になりそうなそれらしいエピソードほど、スピリチュアルな展開に呑まれて特に使われずに終わっているようです。 2.あえて説明されない動機が多すぎる  緑の星に住むゲストキャラたちは徹底して「何故そうしているのか」を言いません。  シラーはどうして地球人を絶滅させるという過激な手段を選んだのか。  リーレはどうしていつも不満げに振る舞っているのか。  ドロムシはどうして2つの月が重なる夜に生まれて死んでいくのか。 「わからない」はこの映画の大きなテーマに関わる重要な要素であり、その表現として観客にも情報を伝えないという大胆な手法が取られているために、当然観客は置いてけぼりになります。  観客は作品を理解するために想像力をフル活用する必要に迫られます(これは「1.死んだ伏線」を無視するために必要な「意図的に想像力を働かせない努力」と相反していて、尚更理解を困難にしています) 3.そもそも展開が白昼夢  のび太とキー坊のテンションが上がってクルクル回ると空を飛ぶ――というシーンを皮切りに、物語全体が靄のかかった夢の中のような、足場の定まらない不安定な展開が連続して描き出され、それはクライマックスでピークに達します。  ごく普通の作品で、登場人物の前に困難がある時、天気も薄暗い曇天になる――というのと同じ程度の感覚でそこにあるべきではない小物が突然現れたり、登場人物が不可解な行動を取り、そのことに誰も疑問を持たない――という場面が多々あります(ただし、後者は前述の「2.あえて説明しない」を理由として説明されてない、というパターンもあります)  それはもう、そういうものだと飲み込みましょう。でないと話が進みません。 ●以上を踏まえて  本作内で躓きそうな部分、読み込む意味がありそうな箇所に一つ一つ、個人的な解釈を書いていきたいと思います。  わかりにくくなっている原因について、上述の三種類の要素のどれか(あるいは複数)を振り分け、その上で詳細な説明を加えます。  なお、説明の都合上、後の展開に触れることもありますので初見の方が読むことはおすすめできません。 ●時間のない方へ 【お疲れさまでした。】  の後に、総括としての解釈が書かれています。  私が結論を出すまでに至った道筋と理由に興味のない方は、ctrl+fで【】内のフレーズを調べてそこまで飛んでください。 ●オープニング ・緑の怒りを!  1,2.それっぽいOPですがあまり重要ではありません。少なくともこの映画のテーマは緑を守ろう!ではありません。 (ただし、「緑の怒り」というキーワードそれ自体は、本作の植物人たちの隠された設定に関わる重要なフレーズです) ・0点の答案  どちらかと言えば此方のほうが意味のある伏線ですね。 ●キー坊誕生〜緑の星へ ・やたらに量が多い植物自動化液 1。量が多い→掛け過ぎ  一瓶使い切らなかった→液が足りない どちらにでも展開できるようにしつつ、コミカルな動きの面白さも狙ったものだと思います。多分これも、結局使わなかった伏線ですが、このくらいだとさほど気になりません。 ・キー坊を叱らず一緒になって遊び始めるのび太 2。兎に角キー坊のことを頭ごなしに叱らない、というのは本作のテーマに係る重要な演出です。 ・脚付きブラウン管テレビを始めとする妙に古い家財に狭い家  わさドラの野比家がいつもこんな感じならごめんなさい。  もし意味があるんだとすれば、エコロジーをテーマにするなんぞ70's,80'sにやることだろうが老害どもめダムイット!という監督の嫌味かも…… ・家中に書かれた0点とキー坊を叱らない玉子 2。キー坊は兎に角怒られません。 ・「いつか僕らを雨宿りさせてくれるくらい大きくなるかもなぁ」  なりました。雨は雨でも火の雨ですが。 ・弟ができたみたい  以降、のび太にとってキー坊は弟同然の存在として扱われます。これ以降ののび太は、兎に角キー坊のことが第一です。 ・顔面騎乗  いやらしいですね ・キー坊と緑のオーラ  これ以降もちょくちょくでてきますね ・ぽっかり木がなくなってる  おそらく植物人がサンプルとして抜いていったものと思われます。 ・皆行っちゃったのか 3.最初の白昼夢的演出です。流石に置いてけぼりにするのは不自然ですが、この後のび太一人でキー坊の訴えを聞いて、理解できずに帰る、という場面が必要なので。 ・伝わらないキー坊の言葉 2.キーしか言えないキー坊なので、たまには言葉が伝わらないこともあります。何を言っているのかわからない、というのは大事なテーマです。 ・笑顔の幼女  キー坊にとっての地球での幸せな思い出の代表となるエピソードでクライマックスにつながる伏線です。 ・裏山は緑地として保全  本作のエコロジーに関するエピソードは実質ここで結論が出ています。のび太たちが宇宙人と関わる前に既に人類は解決策を選んで取っているということで、今更緑の保全なんて言うテーマは宇宙人に説教されなくても自分たちで気付いてやっている、という監督の意思が見て取れます。  あとは、地球出身の植物であるキー坊が緑議会でこのことを訴えられれば、この映画はいつでも終われます。 ・頭が緑の子が……  キー坊という名前と急に出てきた裏山の伐採計画の話からなにか感づいたようです。出木杉はほんと出来すぎ。 ・ダメじゃないか!  怒りかけましたが幼女キャンセルが入りました。赤いじょうろは大事な演出です。 ・プロペラのように空を飛ぶのび太&キー坊 3.この映画に普通のルールは通用しないよ、というエクスキューズかも知れません。元の位置に戻ってきたらいつものメンツが揃っている辺りもファンタジーですね。 ・かたづけラッカー  デラックス版で無いものは単に見えなくして片付けたように見せかけるだけの道具でした。デラックスはもう全然別の道具ですね。 ・ポケットにしまった0点の答案  クライマックスに出てきたのってもしかしてこれ……? ・「森が綺麗になってみんな嬉しいのかしら?」「どうなんだろうね」&何に使うかわからない緑の回るゴミ 2.森が喜んでる!と断定はしません。緑のプロペラはパンフレットの説明によれば植物と心を通わせられるらしい、のですが、ドラえもんは使い方を忘れているので本当に正しく使えているかはわかりません。 「草木の気持ちを想像はしても、確信をもって本当にわかったわけではない」というのが大事な要素です。  ただ、ジャイアンが「いいとこだったのに」と言っているので、なんとなく心地よくはなったようです。 ・突然の雷雨 3.不穏な展開に天気が悪くなるのは普通の演出ですが、巨人伝ではその変化も過剰です。宇宙船がやってきたカモフラージュかなにかかも知れませんが。 ・緑のジェルと吸い込まれる樹々  先行した試作機の仕業ですがこれはタンマウォッチで止まりました。後にシラーの台詞で触れられます。 ・落としたタンマウォッチ  が、引っかかった若木はのび太とキー坊が助けた木でしょうか。助けてくれたお礼、なのかもしれません。 ・泥濘の中でのび太の見る夢  一本の若木とそれを見る一人の人、という構図は後に長老が語る緑の星の始まりの姿です。それを夢で見たのかも知れません。 ・「地上との交信を再度試みろ!」  タンマウォッチで地上の時間が止まったため、通信が途絶えたようです。 ・緑の道は緑の星に繋がっている 3。なんであんなところに緑の道=ワームホールがあったのかは考えてもわかりません。 ※終盤での地球に繋がれた緑の道はこの宇宙船の中に予めつないでいた緑の道の出口を設置したものだったと考えれば、緑の道の出口を宇宙船の中に入れて運んだ来た、という理屈なのかもしれません。と、スレでの指摘を受けてここに訂正します。  実際、宇宙船の中のどこかには道を作ってないと、行き来が手間ですしね。 ●緑の星でキー坊を探せ! ・リーレとキー坊 一目惚れかも知れませんね。好きな子にちょっかい掛けちゃう男の子みたいな。  あと多分靴フェチ。 ・植物星人の話に興味のないドラたち 2。わかりあおうという意思がこの段階ではありません。  のんきな会話をしているドラとスネ夫に加えて、しずかちゃんなんて帰りの時間を気にしています。のび太は当然キー坊のことを考えています。  ジャイアンだけはなにやらリーダーとしての責任を感じているようです。別にそんな必要はないんですが…… ・さっきのレディーの仕業 1.後の宇宙のベイビーと合わせて、こういうヤングな口調でしゃべるキャラにしたかったのかもしれませんが、この2例しか無いので多分死に設定です。 ・黄色い羽のような葉  黄色は癒やしの力のようです ・議席から飛んでくる赤い胞子と青い胞子と緑の胞子  シラーの意見及びそれに賛成する声が赤色、穏健派が青色の胞子を飛ばすようです。説明はありません。  姫が出てくるまで、溜まった赤と青はほぼ同数=意見は半々に割れていたように見えます。  後で姫が出てくると全ての意見が姫と同じ緑一色に変わり、そのことにしずかちゃんは苦言を呈します。 ・あらゆる生命が互いに支え合うことにより共生という秩序が保たれている(以下略) 2.共生云々は以降も頻繁に出てくる言葉であり、本作のメインテーマの一つです。長老に言わせれば、この後に続く「共生を損なうものは敵!」という言い方は言い伝えの曲解に当たるようですが。 ・(前略)我が王家に伝わる緑の巨人を再生し、その雷を持って緑の力を、緑の怒りを知らしめるのだ! 2.雷を放つ緑の巨人、というエピソードがシラーの原稿から出てきたことは大きな推察材料になります。 ・私から盗んだものを返して欲しい それが何なのかは、森の民の村でもう少し詳しく語られます ・「哀れな仲間に力を貸そうじゃないか!」 2.キーとしか言えない、「伝える力」のないキー坊は植物人にとって嘲笑の対象であるようです。このことは本作のテーマにも大きく影響します。 ・あとに残った黒い羽の葉  あとでもう少し詳し(ry ・「色々事情があるんだよ」「ここじゃ動物は悪者みたいだし」 3.話を聞いてなかったわけではないようですが、その割には議会のヘビーな議題に対するリアクションが余りにも薄味です。冷静というよりは無関心に近いように見えます。 ・「あいつらを捕らえてどうする?」「巨人復活の要、緑の使者に」「勝手にしろ」「仲間の地球人たちはその場を動いた罪で逮捕しました」 2.この「あいつら」とはドラえもん達のことのようにも思えますが、よく聞くと「仲間の地球人たち」の方がドラえもんなわけですから、ここで言う「あいつら」はキー坊と長老ということになります。 「緑の使者に」というフレーズが出てきますが……後にわかりますがこれは「緑の使者にする」ではなく「緑の使者に捧げる」という意味です。森の民の村での長老とリーレの会話を参照してください。 ・「父上……母上……私の目には緑の危機なんて見えません」 2。ステンドグラス?に描かれている両親は豊かな緑に包まれた色合い、また母親の頭頂部には立派な花が咲いています。  対するリーレは体色として緑色が使われている部分は殆どなく、胸飾りの他はただ一つ、緑であるのは自分の目で見ることのできない瞳それ自身です。  まだ一国を背負って立つにはどう見ても幼いリーレを残して亡くなった先王夫妻、という構図が見て取れ、リーレはなにかのコンプレックスを感じています。 (そして、両親と余りに似ていないその風貌は、あるいは血の繋がりがないことを示しているのかも……?) ・キー坊の後ろ頭みたいな観葉植物? 思い切り殴ってみたり、そっと抱きしめてみたり。地球人で言えばぬいぐるみのような扱いでしょうか。 ・ここにいればやがて会える そう言って黒い羽の葉を渡します。 これは長老が議会から消えた時に残していったものと似ていますが、もう少ししっかりしたものであるように見えます。 ・脱走する地球人を見てほくそ笑むリーレ  姫は退屈しお遊ばせになられているので騒ぎに首を突っ込みます。この時点で地球人がキー坊を抱えることになるとは知らないはずです。 ・あそこにキー坊が! 3.本作でののび太は本当にいついかなる時でもキー坊のことだけを考えているのでモーターボートチェイス中でもキー坊サーチ力がとんでもないことになっています。 ・飛行禁止区域 2.街の外周に当たる水域、あるいは更にその外縁部にあたる原生林は飛行禁止区域であるようです。  街の外に出ることを禁じる何らかの理由があることを示唆しています。 ●森の民の領域 ・キーキーキーキー! 2.降りた途端にキーキーとうるさいキー坊です。 大好きなリーレの匂いでもしたんでしょうが、それを伝える言葉はありません。 ・寝てるリーレ  空から降ってきたいたいけな女の子みたいなツラしてますが、こいつのせいでこうなりました。墜落のショックでエアバックか何かが作動してそのまま寝てたのでしょう。  寝起きは部屋の観葉植物に似たキー坊の風貌に少し安堵?を感じているようにも見えます。 ・笑うな!人間のくせに!  動物は基本的に下に見られます。 ・「緑のことなど私にどうしろと言うのだ!! ……そのこと、二度と言うな」 2.緑のために、というフレーズは地雷です。  王族でありながら「緑の危機」を理解できないコンプレックス、何をすることが「緑のために」であるのかはわからないまま、シラーの指示どおりに振る舞うだけの現状に対する不満と取るべきでしょうか。 ・どうして俺たちが悪者なのか、さっぱりわかんねぇけどよ! 2.議会の内容を聞いていれば、地球人が環境破壊をしているから、というのは理解できるはずですがジャイアンたちはそれを理解していないように見えます。  兎に角、この作品では植物人の言葉の意味を理解する能力がドラたちには徹底的に欠けていますし、また、そもそも植物人の事情について描かれないのが特徴なのです。 ・長老の消えた後に黒い羽の葉  長老の消えた後には必ず何かが残っています。 ・やかんではなく靴で水を汲むことになるジャイアン 2.恣意的な意味があるとするなら、まず靴から靴へと水を移すという画的な面白さが一つ。  そして「自分の器」から「他人の器」への移し替えが本作のテーマである共生に絡んでいるとも考えられます。  先に一度、器としてもっと文明的なやかんを見せたのは、わざわざ自分のものである(そして靴を履かずに歩くと少なからず損失のある)靴を、キー坊を助けるためにあえて捧げるという選択をすることの尊さとも……  大体、やかんはなくてもヤマの水袋はあるわけで、わざわざ靴を使ったことにはそれなりの意味があるとは思うのです。  ジャイアンの足が血まみれにでもなってれば、自己犠牲の表現としてわかりやすかったんですが。これは巨人伝なのでわかりやすくはなりません。 ・毎日水を汲みに行く 2.森の民は文明から遠く離れた暮らしをしています。そのため、子供も当然貴重な労働力です。水道は勿論、後のシーンでわかりますが花火も知りません。 ・巨大な縦穴 2。星の裏側まで〜はいいとして、空まで繋がってるということは平地に空いた穴ではない、ということです。つまり、クレーターや単に掘り進めた穴、というわけではないということ。緑の星で天高くまで伸びるものと言えば…… ・頭の上に飛び乗りキー坊 2。最初にのび太、一通り回って、自分を助けてくれたジャイアンの上では少し長く足をバタバタ。  そして遠くから見ていただけで助けてくれなかったリーレの上でグルグルです。  この頭の上に乗ることが愛情表現だとするなら、ほんとにリーレのことが大好きなのだとわかります。でもキーキー言ってるだけなのでわかりません。 ・リーレの水筒の水が枯れている 2.水を分け与えなかったリーレは、自分の飲む分の水も失ってしまっている、といういかにも教訓的な演出です。共生を讃えるこの映画で共生を露骨に拒んだリーレに報いが描かれています。巨人伝とは思えないわかりやすさ…… ・地面に落ちた実だけを分けてもらって食べる ・「森の民……」 2.リーレがヤマとロクを森の民だと気付いたのはこの発言を受けた時です。  この、一部の過激なヴィーガン(フルータリアンの中でも特に厳格な派閥)のような文化が森の民のスタンダードであることはよく知られていると考えられます。この、森の民の暮らしぶりは彼らの気質を理解する上で特に重要です。 ・「私の星の私の森だ!」  都市部の外の原生林も、一応領土に含まれてはいるようです。少なくとも名目上は。 ・森の民の村 2.大きな葉を組んで編まれた家が点在しているだけの何もない村です。素朴で人々は幸せそうに暮らしていますが、規模はとても小さいものだと言えるでしょう。  10世帯も無いように見えます。 ・「なんだか寂しそう」「そうかぁ?」「うーん、そんな感じもするなぁ」 2.植物人の気持ちはわかりにくいのです。 ・ドロムシと森の民 2.「ハハッ、それはわからない」でお馴染みのシーン。 森の民はドロムシたちの行く手を空けて見守ってやり、ムシたちの行いがどういう理由で行われているかはわかりませんが、その行動を尊重し、祭りの日にさえしています。これは彼らの共生のあり方を示すものでもあります。  そしてドロムシは、どうも、はっきりと確定できる描写があるわけではないのですが、2匹のムシが転がした泥団子の中から1匹のムシしか出てきていないように見えるのが気になります。  ドロムシ(この緑の星原生の動物として唯一描写された存在でもあります!)と森の民を同一視するとしたら――文明から遠く離れ穏やかで静かな生活を営む彼らは、やがてそのまま静かに滅びゆくことを暗示しているのかも知れません。 ・ありがとうナエちゃん 1.ちょっと色恋沙汰書くには尺が足りなくありませんか? ・じい! 2.長老はこの村では大分親しみを込めて呼ばれています。大きくなったねと言われるなら一年ぶりくらいではあるのか……老人は子供を見るとそれしか言わないみたいなところあるのでちょっとわかりませんが、少なくとも議会よりは頻繁に顔を出しているでしょう。 ・「リーレだ!」「あたし……しずか」 1。まさかこのシーンが別に生きないとは…… ・『昔々大きな街に沢山の人が住んでいました。ある日いばりんぼうが現れて、この世界は自分のものだと言い出しました。すると、別の町からもいばりんぼうが何人も現れて、世界の取り合いになりました。取り合いはますます激しくなって、とうとう世界は燃え始め、空から降ってきた火の玉で燃え尽きそうになりました。すると、土の中から大きな木が現れて、この世に残った人たちを、守ってくれました。大きな木の力で、再びこの世界は蘇ったのでした。』 2。超ウルトラスーパー大事なくだりなので全文書き写したいけど超めんどくさいと思ってたら超偉大な先行研究者が書いてくれてたのでコピペしました。まずは感謝の言葉を贈りたいと思います。超ありがとう。  さて、昔話からはいくつものことがわかります。  まず第一に、森の民は「世界は自分のものだと言い出したいばりんぼう」を「悪者」にしていること。  次に、「空から降ってきた火の玉」から「土の中から現れた大きな木」が「残った人々を守った」という一連の流れ。  そして、「大きな木の力で再びこの世界は蘇った」という最後の一文です。  最初の一節から、彼らは世界を(ひいては何物をも)自分のものだと主張することを非難していることが読み取れます。  後の2つは……よく覚えておいてください。 ・揺れる森の民の髪  裏山でキー坊がふわふわしていたときなど、緑がなにやら共鳴し合って気持ちよくなると髪がふわふわ揺れるのは彼らの特徴のようです。森の民もそのようになりますし、逆にスネ夫たち地球人にそういう現象は起こりません。  一方でリーレの髪はふわふわと揺れ、リーレはそれを「違う!違う!」と目を背けるように否定します。   ・「あなた方だってその樹を傷つけてるじゃないですか」「傷つけましたが何か!?」 2.またまた名台詞です。そして、重要です。  シラーが自らの側近の失言に対しても何も言わない以上、これはそれほど大きな失言だとさえ思ってないのでしょう。街に住む植物人は正直に言ってしまえば、動けず喋らないただの木に対して本気の仲間意識を抱いているわけではないようです。  では、シラーは何故過激な地球人絶滅計画を推し進めなければならなかったのでしょうか? 地球の緑を救うため、というだけでないようです。シラーの本当の行動原理を理解することが、この映画で描かれていない植物人の事情を理解することに繋がります。 ・「怒りの力は破壊の力。あんなものを地中深くから掘り返しても、何の解決にもなりゃせん」「貴様、何故それを知っている!?」「ハハハ、そりゃお前さんがワシの懐からくすねたモノだからのぅ」「なにぃ? お前がこの星自身とでも? 伝説の長老とでも言いたいのか!」「そりゃああんた、この星はワシ自身じゃよ。そんでもって、この村はワシのへそあたりかのう!」「嘘をつけぇ。そもそも長老の伝説なんて、デタラメの嘘っぱちではないか」「……大切な戒めの教えを、自分らの都合のいいように捻じ曲げおって」 2.勿論超重要なやり取りです。  長老の正体については、この、ここでしか出てこない伝説の長老の伝説そのままが正体だと思っていいでしょう。  すなわち、長老とはこの星自身、この星の化身のようなものであり、この星の上の何処にでも自由に出たり、消えたり、できるのでしょう。ただし、それはこの星の何かに「なる」ことが必要です。ふらふらと移動するときは羽のように、ただその場でぼんやりと見守るだけであれば枯木の枝でもいいわけです。長老が消えた後に残された黒い羽の葉は長老の依代。となると、キー坊にそれを一枚渡していったのは、なんらかの形でキー坊を手助けできるように、でしょうか。  シラーが掘り返し、他人に知られているはずのなかったもの、というのは後で出てくる巨人の黒玉? とかなんとかいう、巨人の種のようなものです。王家には代々その埋められた場所や復活の呪文などが受け継がれてきたのでしょう。 ・「娘さんや。緑の危機は内なるものじゃ。あの力を使うことは、必ずこの星に災いをもたらす」「わからぬのだ。どうしたらよいのか、わからぬのだ……」「よぉく考えてご覧。大地を揺るがす怒りでは、緑を救うことはできんのだよ。まして、緑の使者などを崇め、あの子の命を捧げてもな」 2.怒りはダメ。というのは長老の一貫した主張です。冒頭から「緑の怒りを!」と度々口にされているわけで、正に、こうした力の振るい方は過ちであると口酸っぱくして伝えています。  リーレが「わからぬ」と深刻に口にするのも重要です。リーレには何もわかりません。緑のためにどうしろというのか。緑の危機とはなんなのか。そしてわからないことには何もせず、逃避し、あるいは言われるがままに行動します。ここではっきりと断言しますが「わからないことに対してどうするか」というのは、本作のメインテーマなのです。  そしてここで前述の「緑の使者に」というシラーの言葉が、キー坊を緑の使者にしたてるのではなく、キー坊の命を捧げるという意味だったとわかります。わかりますといいましたが、こんなのメモ取りながら見てないとわかんないです。  あとレディーって言わないんですね。 ・行っちゃった 2.長老が発するあの強烈なニオイに、水の匂いを感じ取れるほど五感の研ぎ澄まされたヤマや森の民たちはちっともこたえていません。  彼らが長老と非常に近しい存在であることの表現でしょうか。 ・これからじゃよ、大変なのは 残り30分ほどですが、大変なのはこれからです。 ●巨人伝のはじまり ・ここ地球? 3.そもそもキー坊助けに行くのになんで地球? シラーのところでは? と言われればそうなのですが…… ・遅かったか…… 1.3.のび太がキー坊キー坊うるさいので変な話に見えるのですが、のび太を無視すれば「地球絶滅計画!?」「止めなくちゃ!」「地球へ行こう!」「遅かった……!」となって普通の流れです。  のび太のキー坊を助けなきゃ! をそのままの意味で捉えず、「地球絶滅計画を止めてキー坊が道具にされるのを防がなきゃ!」という解釈なら筋が通らなくもないです。わかりにくいのは巨人伝だからです。 ・「あれを見ろ!」「飛行機!」〜  あれを見ろと指差したジャイアンなんですが、ジャイアンは空で止まってる飛行機に気付いたわけではないという変なシーン。どう考えてもただの凡ミスです。  この辺りになると、台本上のミスもマジなのか演出なのか誰にもわからなくなってたのでは……? ・壊れてお詫びします 3.なんで? ・「早いとこ話をつけてこんなバカなことやめてもらおうぜ!」「そうね!」 「キー坊を助けよう!」「助けましょう!」 3.ここまで攻撃されているわりには結構悠長な対応を口にするジャイアン。対話の姿勢は大事です。のび太はキー坊のことしか考えていません。  そしてもっと変なのは、どっちの言葉にも雑に賛同するしずかちゃんです。別に変なことを言ってるわけでもないのですが、なんだかふわふわしています。  ですが気を取られてはいけません。この辺りからは会話はずっとこんな調子です。おおむねノイズですがたまに意味があります。 ・グリーンスライムジャイアント 緑の巨人ではありません。 ・苦しむリーレ 2.緑に覆われて壊滅的状況にある地球を前に悲痛な表情を見せるリーレは自然な演出です。  ですが、「巨人復活の許可をいただきたい!未だもって抵抗する人間どもに最後の手段を!」と力説するシラーの言葉の前でリーレは何か頭痛のようなものに苛まれているのが見て取れます。  リーレが何かに感応する、というシーンは一度だけありました。森の民の中で、森の民やキー坊たちと同様にゆらゆらと心地よく髪が揺れるシーンです。一方で、頭痛を覚えるようなシーンはなかったので、他の何かと比べて類推することはできません。  頭痛に苦しみながらリーレは虚ろなままに緑の巨人再生の許可を出してしまいます。  シラーが巨人復活の準備を始めた瞬間、リーレは一瞬ハッ、としますが、すぐに諦めたように顔を伏せます。  一連のリーレの表情だけに注目すればこのシーンはリーレが巨人再生の許可を出したのは本意ではない(頭痛に気を取られぼんやりしたまま返事をしてしまった)ように見えますが、頭痛の原因が登場人物の誰にも、そして観客にもわからないため、リーレが単に意思なくシラーの操り人形になったように見えてしまいます。  リーレが頭痛を覚えた理由は何なのでしょうか? こうした説明されない物事を推察することが巨人伝を理解するためには必須であり、それがなんと、巨人伝の狙いでもあるようなのです。 ・巨人の黒玉?を!  掘り出したものがコレだったのは間違いなさそうです。でも大事な台詞にエコーが掛かっててよくわかりません。黒玉? クロスタマァって聞こえます。クロスタラかも。  大切なのは、掘り出したその穴から伸びる緑の蔦がケーブルのように緑の道を通じて地球まで伸びているということです。 ・うめぇ!うそぉ!? 3.こういうのノイズです。 ・巨人のクロなんとか  脈動する不気味な種子といった感じです。長老の残していった黒い羽は、この黒い綿毛のようなフサフサしたものの一部だったのかもしれません。とすれば、この黒い羽が巨人復活に関わる代物だとシラーが考えたことに説明が付きます。 ・「我が緑の偉大なる力よ! その頂きを広げ、地を割り、天を焦がす緑の怒りを打ち示すのだ!」 2.おそらくは王家に伝わる呪文か何かであると思われる文言。のちのキー坊が変じる大樹が持つ性質(大きく広がる枝葉、地を割り広がる根、天をも焦がす電撃)をそのままの言葉で表しています。   ・「何故巨人にならん!? 緑の使者よ、コレがその証であろう!」  シラーは長老が残していった黒い羽の葉を手に少し考え込むような素振りを見せていました。これが巨人の綿毛だとあの時点で感づいていたとして、シラーは長老の不思議な力と綿毛とに繋がりを見出していたのかも知れません。  この時長老が投げた羽の葉は、キー坊が持っていたものである可能性があります。捕らえたキー坊から見つけた黒い羽の葉、これを持っていたキー坊が使者に捧げる生贄として相応しい存在だと思ったのかも知れません。  ですが、この羽の葉はキー坊をただ目覚めさせるにとどまりました。巨人の復活を望まない長老が渡したこの黒の羽の葉は、キー坊を何らかの形で助ける力を潜ませられたものであったのかも知れません。単に色が黒いだけで、最初の黄色い葉と同じように、です。  ところで、「緑の使者」とは結局なんだったのか……自然にこの状況で語りかけられる相手というものを想像すれば、思いつくものは一つです。この、黒い玉がおそらく、「緑の使者」なのではないでしょうか。 ・笑うリーレ 2.逃げ出したキー坊を見て腹を抱えて笑うリーレは、この時素に戻っています。この地球破壊が本意ではない証拠でもあります。 ・タンマウォッチ争奪戦 1.始まりません ・呆然とするキー坊とそよぐ髪 2,地球がボロボロになって呆然とゆれるキー坊の髪がそよそよと揺れるのは、地球の植物たちと対話をしようと試みているのかもしれません。しかし、緑のオーラは出てないですし、上手くいっているようにもみえません。そもそも呆然としているのが、対話の結果、共鳴して弱っているのかも。あるいはその対話が始まる前に、キー坊はじょうろの存在に気付いてしまいました。  喋れないキー坊は作画の乱れと嘆きの声で絶望を表現し、その後純粋な怒りによってスーパーキー坊になります。ブルーにもなります。 ・巨人の復活 2.キー坊の「怒り」が「雷」となって巨人の種子を撃ち、根を這わすようにして2つが融合し、全てを飲み込んでいきます。  突然の子供の笑い声が巨人伝節全開でマジで怖いのですが、これは幼女と遊んだ思い出の時間(怒りの原点である、破壊された幸せの象徴)だと考えると何とか腑に落ちます。 ・リーレを庇うシラー  後でリーレが「今度は私の番」といったのはこのシーンを実況に夢中で見逃した人にはわかりません。 ・「私は敵だぞ!」「シラーを……兵たちを……」 2.これだけのことをしでかしたリーレとして、のび太たちと相容れられると思えないのは自然なことです。シラーや兵を思って足を進めるリーレの姿が、悩む余地のない彼女の自然体かも知れません。 ・電撃を放つ枝を伸ばすシーン 2.実は重大な秘密がこのシーンに隠されています。  全ての枝を伸ばし終わり、巨樹を斜め上から見下ろすシーン。巨木の頂点に当たる部分に穴が空いているように見えるのがわかります。  これは後にのび太たちが行く、キー坊の囚われている場所でしょうが、この樹の中央部は穴の開く余地があるということ。  思い出していただきたいのは、あの巨大な星の裏から空の上まで続く巨大な縦穴です。あれは洞窟ではなく、中が吹き抜けになった巨大な枯樹の幹の中だったと考えられはしないでしょうか。  東京タワーを遥かに見下ろし、東京から富士山が望めるところまで枝葉を広げる巨大な樹の、その中央に大きな空洞が空いていたのだとしたら……ちょうど、そんな風になるとは思いませんか。 ・0点の答案 2、3.0点の答案はのび太とキー坊の出会いの象徴であり、キー坊のしでかした落書きがママにあっさりと許された「許し」の象徴でもあります。ですが、この流れで突然0点の答案を握りしめているのはなんで? ポケットに入れていたとしても、なんで? 巨人伝だからです。ここからはもうこういう小道具はその辺から生えてきます。 ・「あやつにはもう心などない!わからんのか!」「そんなことないよ!」 2.人間には植物の気持ちは(ドラえもんの道具でも使わない限り)わかりません。のび太にとっては洗濯機の上に乗っかった若木も、キーとしか言えないキー坊も、破壊兵器となってしまったキー坊も、どれも大事な弟同然のキー坊なのです。 ・「もはや緑の味方でもない! 敵だ!」「どうして言うことを聞かないと、すぐ敵になっちゃうの?」 2.状況だけを見ればこれはもう、制御を失った兵器であり、リーレの言う通り万民の敵です。そしてリーレからすれば、人間だって敵に分類されるはずでした。  実際この作中では、植物人とドラえもん達は驚くほど意思の疎通ができてません。のび太たちはもうこのクライマックスまで至っても、植物人が「何故」地球人を絶滅させたいのかわかっていませんし、地球人の意見なんて植物人はヒアリングする気もありません。ゲストキャラとの交流がびっくりするほど行われていないのです。友達になったから、というパターンでの和解なんて到底望めません。  のび太はそうした「知らない、わからない」相手に対して敵対する態度に疑問符を投げかけます。キー坊はキーキーとしか言えず、勝手なことやイタズラじみたことをしましたし、それを注意することはありましたが、何度か指摘したとおり、それを頭ごなしに叱ることはしなかったわけです。そうしたのび太の態度をこの映画は肯定し、リーレの振る舞いを否定しているのがこの映画のテーマなのです。 ・巨樹の雷、スライムジャイアントの火の玉での反撃 2.このシーンはかなり決定的な場面です。これまで緑を繁茂させることしかしなかったスライムジャイアントがあえて「火の玉」という如何にも攻撃的かつ、らしくない行動をとったのには象徴的な理由があります。  森の民の間に伝わる昔話を思い出してください。 「空から降ってきた火の玉」から「土の中から現れた大きな木」が「残った人々を守った」――という構図を、このシーンは完全に再現しています(のび太とリーレは雷に撃たれかけていますが、樹に取り込まれているドラえもん達は外の惨状から解き放たれた異常に安らかな空間にいるシーンが後に入ります)  既に「感じる映画」になりきっているこの場面で昔話を再現するような画が描かれるということは、すなわち、この情景こそ、昔話に語られるかつてあった戦争の一幕の再現だと思うべきです。  そしてもう一つ。「その雷を持って緑の力を、緑の怒りを知らしめる」というシラーの原稿に合ったリーレの議会での宣言もまた、この情景に沿っていることに気づきます。巨樹の攻撃手段は雷であり、その力は怒りによって目覚めているのです。  王家に(あるいは街の側に住む植物人たちに)伝わっている「緑の巨人」。そして、森の民に伝わる人々を守った「大きな木」。この2つの一見相反する存在が、この光景の中で完全に一致していることに気付くでしょう。  私は、ある一つの過去の出来事、そして戒めの教えが、街の人々と森の民とで、それぞれ形を変えて残ってきたのだと考えます。  また、根の一つが緑の発光するエネルギーを弛まず飲み込み続けています。これは、緑の星からエネルギーを吸い上げ続けているのだと後にわかります。 ・キミが緑の国の力を信じているのと同じように、僕も信じてるんだ……キー坊が僕らを忘れたりはしないって……! 2.結局「わからない」ものに対しては信じるしかないのかもしれません。 ・木の根に飲み込まれて導かれる二人と幼女の笑い声とお昼寝ドラたち 2.どんどんとっ散らかっていく映画だと監督自身が言うだけ合って、クライマックスはどんどんとっ散らかっていきます。  木の根に取り込まれるのび太たちとドラ達が同じような緑の空間に居たことに気づきましたか? つまり、どちらも樹の中に取り込まれた状態です。  そこはドラたちの態度を見るに、異常に心地よく、外界がどれほど荒れていても気にならないどころか、行動する意思すら奪っているように見えます。そしてのび太たちには幼女の笑い声が聞こえます。  解釈するに、この巨樹はキー坊にとって外界を隔絶する殻であり、取り込まれたキー坊は幸せな時間(その象徴である幼女の笑い声に満ちた世界)に居ます。その中に取り込まれた者もまた、おそらく感覚的に同質化し、その心地よい安らぎの中に生きます。そして結果として外界から守られ――森の民が語るような昔話が残る余地が生まれるのです。  また、のび太たちの出てきた場所から見るに、木の根は普通の植物のように水や養分を吸い上げてもいるようです。しかし、これほど巨大な樹が養分を吸い上げ続けるとどうなるか……そう言えばあの縦穴は、星の裏まで通じている、と言っていました。 ・あのバケツと例の泥沼 2,3。何故ここにあるのかはわかりませんが、思い出のバケツです。よく見ると底の近くに大きな亀裂ができていて明らかに水を汲むには適していませんが、のび太は穴を手で塞ぎながら水を汲んでキー坊に捧げます。  そして例の泥沼。ここまでの解釈を踏まえてみれば、あの泥沼は外界に対する拒絶の意思であり、足を踏み入れたものは弾き出されます。なんでぐにゃぐにゃするのかは、センスでしょう。別にマグマとか酸の海でもいいとは思うんですが。 ・気合の長老  長老が全身全霊で巨大な枯れ木に枝葉を伸ばしています。私の解釈ではこの枯れ木は例の縦穴=かつての緑の巨人です。 ・「教えろ!水をやると、これらは解かれるのか? ……答えろ!」「わかんないさ……僕には、これしかできないから」(中略)「帰ろう」「ね、キー坊」 2.このシーンがこの映画の答えだとも言えます。物言わぬ草木や、キーしか言えないキー坊や、遠い宇宙の植物人の考えることはわかりません。  ひょっとしたら、わかったつもりになることはできるかもしれませんが、確証を持ってわかるとは言い切れません。  けれど、のび太はキー坊が枯れて苦しそうにしているように見えたら、水をやってきました。そしてキー坊はそれを喜んでいるようでしたし、喜んでいると信じてきました。なので、今度ものび太は水をやります。そのために自分が傷つくかも知れませんが、それが正しいかもわかりませんが、そうするべきだと信じて。  緑のためにどうすべきかなんて、わからないと言って、行動することをずっと避けてきたリーレが、そんなのび太の姿を見て、ついに一緒に手をとって、答えのわからないままに二人でキー坊に水を与えます。  この瞬間のリーレの成長が、この映画のクライマックスです。 ・「全部見てたよ」「私にも全て見えた……」  別に傍観していたわけではなく、ドラたちも、シラーも、同じような取り込まれ方をして樹と精神か何処かの深いところでリンクしていたのでしょう。 ●伝説の巨人の伝説 ・青い巨樹の幻影  外ではずっと争いが続いていたのでしょう。外は完全に荒野と化し、何もかも燃え尽きています。巨樹の幻影はさながらキノコ雲です。際限なくエネルギーを吸い上げられた緑の星からは街の周囲を取り囲むようにごっそりと緑と大地が失われ、かつての戦争の爪痕が惨たらしく覆っています。  緑に満ちた長老がいつものように転移した後巨樹が一息に成長したのは、あの樹に長老が宿ったと解釈するべきでしょう。そしておそらく長老のパワーによって、緑の星の巨樹それ自体が緑の道となって地球と繋がりました(青い巨樹は緑の星にある巨樹がうっすらと透けて見えているのでしょう)かつての巨人は地球のそれよりも遥かに巨大だったようです。 ・「緑の危機は内なるものであったか……そうとも知らず我々は、大地の癒やしの力を全て吸い上げてしまった……」 2.じゃあシラーは「緑の危機」を何だと思ってたんだよ? ということを考察しようと努力することが大切です。内なるものではない、ということは外なるもの、だと思っていたのでしょう。緑の星の外にある危機、と考えられるもの――シラーに心当たりとして浮かぶのは動物、それも今正に銀河の辺境で植物を傷つけている地球人たちです。  シラーは「緑の危機」に対する不安から、伝説にある「緑の巨人」の力に頼ってでも、その危機の芽となりうる地球人を根絶やしにしたかったのだと思われます。しかし、緑の危機は内なるもの――つまり、植物人たち自身の手によって起こる、起こったものであった。その事実にシラーはうなだれ、また自らの星を傷つけてしまった愚を嘆いています。 ・「父上……これが……」 2.リーレの独白は、いずれ訪れる緑の危機について、先王である父から何か漠然とした警告を受けていたことを思わせます。そして、リーレはその警告の意味を理解できなかった。そのことが彼女のコンプレックスとなり「わからないまま、それでもわからないなりに考え、その考えをきっと正しいと信じて行動する」ことのできない彼女はシラーの言いなりになってきたのです。 ・「ハハハ……もういいだろう」 2。長老が手を振ると緑の星に生えた巨樹=緑の巨人が音を立てて崩れていきます。自らその身を崩したようです。2つの世界のちょうど狭間に立っている(というかゲートの役割も果たしている)巨樹の崩壊は緑の星、地球、双方に土砂津波を齎します。ところで、あの巨樹が「巨人」であるという認識は街に住む一般人も持っているようで、これは重要な部分です。  もういいだろうっていうのは監督の声でもあるのかもしれませんが、まぁ、ねぇ。 ・「今度は私の番だ!」 2.成長したリーレは誰に命じられるわけでもなく、それが本当に正しいことか(例えば気球に乗れる人数の余地は? とか、浮かび上がるのに押し上げる必要はあるのかないのか? とか)そういうことを確認する余裕がなく、「わからない」中で、とっさに自分が正しいと思った行動を選びます。 ・リーレに飛び込んでいくキー坊 2.姫のこと好きすぎ。 ・土砂津波に覆われた緑の星  よく見ると街の辺りは土手になっていて無事です。  昔話/巨人の伝説で語られる諍いの結末も同じような巨人の崩壊による土砂に飲み込まれたものであったとしたら、このクレーターのような土手に囲まれた地域=今街のある箇所は最悪の被害だけはま逃れたのかも知れません。 ●「命を紡ぐ全てのものたちよ――」 2.3。監督公認でなにもかも有耶無耶にしようとしている語りです。それでも大真面目な顔して解釈してみましょう。 ・「のび太さん、キー坊さん。私は君たちの姿に、遠い昔の自分を重ねた。一人と一粒。それがこの星の始まりだった。」  いくら何でも比喩だろうとは思うんですが。兎に角、最初は動物も、緑も、ごく少ない僅かな命からこの星は徐々に発展したようです。 ・「互いに思い合う心。命が命をつないで守ってきた思いやりを、人々は繁栄と引き換えにみんな忘れてしまった。」  という語りはありふれているのですが、大事なのはBGのアニメーション。樹の実りの奪い合いがあり、共倒れになり、そのあと生まれてきた命達が、今度は実りを分け合っています。 ・「最後の力で今それを伝えよう」  死にそうです。 ・「生命の全てが互いに支え合い、宇宙は成り立っている。コレは変わることのない、真の愛だ。そう、宇宙は愛で満ちている。私は信じる――この愛を、未来を担う君たちが、大きく育ててくれることを!」  はい。 ・回る緑のゴミ、なんか集まってくる作画の乱れた植物人、地球も緑の星も覆い尽くす花畑 3.極まってきました。ウゴウゴルーガみたいな描線で描かれているのは植物人だけなので、例の髪が揺れる演出のより凄いバージョンでしょう。例の緑のゴミがくるくる回っているのもそれを思わせます。  これが長老の最後の力であることは間違いないようです。伝説の長老の伝説によればこれは長老=緑の星そのものの力であり、一面の花畑になってまぁ悪い気はしません。  シラーの「大地の癒やしの力」と言う言葉がそのまま、大地のなかに埋めた色々とマズイあれこれを癒やしてくれる不思議パワーなのだとしたら、長老最後のこの癒やしパワーはきっと花畑の下を何もかも都合よくいい感じにしてくれるはずです。  花の咲いたシラーが印象的ですが、ナス野郎の胸の十字キズ(隠し包丁の暗喩?)が凛々しい星(ナスの花?)になってるのがなんかイラッとしますね。兎に角彼らみんな癒やされているのかも。森の民もみんなどこかに花が咲いてます。  ――森の民の昔話の最後の一節。なるほど「大きな木の力で再びこの世界は蘇った」のでした。 ・突然の緑議会 3.考えるな感じろ。 ・花咲く姫様「おおっ、姫様!」 2.みんな咲いたのでむしろ咲かないほうが不自然なのですが、シラーの驚き方、リーレの照れ方を見ると、少し特別な意味もありそうです。植物が花咲くってそういう……っていうのは普通穿った見方なんですが、何せ雰囲気で見せるシーンの連続で誰にもわかんないだろうと思いながら作ってる映画なので、そんな隠喩の一つや二つ、マジにこもっててもおかしくありません。  花が交配するため=繋がり合う愛のために咲くものだとしたら、彼らにとって花が咲くとは相手を受け入れたいと思うくらい心を許すこと、を意味しているのかもしれません。  長老の最後のパワーで知らしめられた愛の力とは、そういうこと、なのかも。 ・ボク、リーレ姫だいすきぃ!→顔真っ赤  おませなしずかちゃんがマジ照れしていて、キー坊も姫も顔真っ赤。この大好きは結構マジで恋愛チックな大好きの可能性がありうると思います。 ・「僕らみんなのほうが」「キー坊の言葉をわかるようになったんだよ!」「ぶははっ、ちげぇねぇ!」 2.3.単に気の利いた洒落た言い回しかも知れませんが、この映画なので愛のパワーでそうなったのかもしれません。 ・小賢しいキー坊  キー坊は賢く成長したのでいっぱい難しい言い回しで色んなことを考えていますが、それはそれとして精神性は幼いままかもしれないですから、これまでの行動の裏で小賢しいこと考えてたの? とか思わないであげてください。 ・「みんな……元気でね!」  姫も勿論ですが後ろのナスとか、どう考えてもそんなに仲良くなってないんですがボロ泣きです。  前述の、長老のパワーが心に宿ってやたらに通じ合ってる可能性が現実味を帯びてきます。 ・キー坊の別れの言葉をじっと聞くのび太 2、のび太はキー坊がキーキーとしか言えなかった頃からキー坊の言いたいことを受け止めようと一生懸命でした。今、キー坊が一生懸命に語ってくれている、理解できる言葉を、のび太も一生懸命に聞いて、受け止めて、キー坊が選んだ道を応援します。キー坊が望んでいることがはっきりとわかるのに、辛いからといって、それを否定することはのび太にはできません。 ・おかえりなさい  渡辺監督のホームとも言える、家族愛のシーンが短いながらも丁寧に描かれる一幕でエンディングです。帰ってきたのはのび太だけでなく、観客たち、監督自身でもあるのかもしれません。  この安心感に満ち満ちたシーンに、ここまでの何も理解できなかった人も(人ほど?)わけの分からない感動に見舞われること必至です。 ・ならんだ靴 キー坊とのび太=植物人と人間の靴が2つ並んで、共に歩いていく=共生していく未来が示されて締め、です。  お疲れさまでした。  もう一周しますか? ●総括としての考察 〜つまり何があったのか編〜 以下、上述した諸々の描写から推測されるこの映画で描かれなかった設定についての個人的解釈を重ねる。 ・緑の巨人の伝説とはなんなのか?  森の民の語る昔話はまず間違いなく、かつて実際に起った戦争がモチーフである。全てを独占しようとした「いばりんぼうたち」が火の玉を降らす戦争を起こし、大地から生えた巨大な樹が人々を守った、というものだ。  対して、街の人々は「緑の巨人」の言い伝えを持つ。そして、物語をわかりづらくしているのが、この街の人々が伝える巨人伝説がどんなものなのか、誰の口からも語られないことだ。しかしヒントはある。  第一に、昔話が事実なのだとすれば、きっとその伝説も森の民の語る昔話と重なるものであるということ。  次に、緑の巨人は雷をもって緑の怒りを「共存することを拒否した愚か者に」ぶつけるものである、というリーレの(シラーの書いた)演説の内容。  そして、実際にキー坊が変じた巨樹=巨人が、森の民の昔話と巨人の形容、その双方に合致することである。  思うに、どちらの昔話/伝説も過去にあった同じことを伝えている。しかしその双方ともが、それぞれの都合の良いように、都合の悪い部分を忘れてしまったのではないだろうか。  森の民が語る昔話には「大きな木」が敵を焼いた、というような言葉は出てこない。森の民は一切の文明を拒否し、動植物を傷つけることすら拒否している。狩猟も農業も行わないその生活は原始的生活ですら無い、ある意味で究極の文明的選択の末の自然崇拝主義者の集まりであり、全てのものを分け与えることを望む平和主義者である。彼らにとって、彼らが讃える「大きな木」が攻撃的な「怒り」の性質を持っていたことは都合が悪い。  一方で、街の人々にとって都合が悪かったのは、愚かな争いを始めた人々が自分たち自身=緑たちだったことである。彼らは巨人を、共存という理想を阻む外敵に対して「緑の怒り(義憤)」を振るう英雄として認識し始めた。その認識の歪みは「緑の危機」を「内なるもの」ではない、外の何者かに求め、その白羽の矢が立ったのが地球人たちだったのではないか。  こうした認識の歪みは共存することを尊べ、という「戒めの教え」を都合よく歪めたものと長老には捉えられ、遂にシラーが行動に移し始めるに当たり、業を煮やして議会への乱入へと至った――という流れが想像される。 ・では、かつて何があったのか?  それはありふれた、奪い合いに始まった戦争だったのだろう。地球人でも想像できるようなごく普通の(ミサイルなどの)兵器が地下に眠っていたので、あのグリーンスライムジャイアントがそのまま過去に使われていたわけでもなさそうである。おそらくは、地球と似たような星だったのだろうと思われる。  緑の巨人はその戦争における最終兵器である。緑の使者とはその種子であり、植物人の命を捧げることで誕生する、と言い伝えられている。その真相としては、植物人の怒りに反応し、そのエネルギーとして星の力それ自体を取り込み、周囲の全てを雷で薙ぎ払い更地にし、やがて枯れ果て星ごと滅んでいく絶滅兵器――といったところではないだろうか。緑の星に生えた巨人がキー坊のそれより遥かに巨大であったことから、ただ一人ではなく、複数の植物人を生贄にすることも、できたのかもしれない。  その巨人の跡は巨大なウロとなって、森の民の間では「星の裏から天高くまで」続く縦穴として知られている。宇宙まで進出している街の植物人たちにも、当然、その存在は知られてはいるだろう。  街の人にも伝説の長老の伝説として語られうる伝説の長老の出番があるとすれば、その後の救済神話(森の民では大きな木の力として語られている。おそらく、今回と同じように長老が力を奮ったのだろう)くらいものであろうが、その長老のくだりは「うそっぱちのでたらめ」程度に捉えられているようだ。伝説の兵器はまだしも、惑星そのものの化身、と言う概念は、宇宙進出まで果たした文明にとっては受け入れがたいものかも知れない(一方で、超自然主義の暮らしを送る森の民と長老は懇意にしていたようである。惑星の立場からすれば、森の民の暮らしのほうが支持したいところではあるだろう)  ドラえもんたちのように巨人に取り込まれた人々があのまま放って置かれたら、どうなっていたのかはわからない。あるいはあれは味方を守るためのものだったのかもしれないし、取り込んだ敵を抵抗させずに養分にするものだったのかもしれない。何にせよ、この最終戦争には生き残りが居た。そして生き残った人々は二派に分かれた。  土砂に呑まれなかった土地が唯一ある。今、植物人たちの街が栄えている、あの土手の内側だ。元は戦争で空いた巨大なクレーターだったのかも知れないが、だとしたら皮肉なことに、あの地に居たものだけが巨人の崩壊による土砂津波をま逃れ、わずかながら文明をその内に遺した。彼らは緑の土地も大切にしながら(まるで地球人のように緑化地域を露骨に作って!)文明を大いに発展させ宇宙にまで進出する。  一方で、巨人の中に取り込まれた・あるいは土砂津波に呑まれながらも何とか生き延びた――もしくは、長老が救いの手を差し伸べたのかも知れない、土手の外に居た生き残りの人々。彼らはこの恐ろしい戦争を教訓として文明から距離を起き、共生の理念を厳格に守り続けることを選んだ。皮肉にも、崩壊した巨人が齎したなにもない土砂は、豊かな肥料を含んだ土壌となって(これこそが、世界を癒やした大きな木の力なのかもしれない)、人々は何とか質素かつ理想に準じた生き方を送ることができた。  文明を再興するものと、文明を拒否し、自然から分け与えられたものだけで質素にくらすもの。前者は限られた狭い街の中で大いに繁栄し、後者は果てしなく広い原生林でささやかに生きていくこととなった――のでは、なかろうか。  街の人々は森の民が住まう地域、あるいはそこへと近づく堀の空間を飛行禁止区域としている。また、森の民の中でも年長者は王族のことを知っていたが、日頃関わりあうことはない、という認識であるようだった。両者の相互不可侵は当たり前のものとしてそこに存在しているようである。 ・リーレ姫って結局何があったの?  巨人伝説よりも更に謎深いのがリーレ姫、もっと言えば彼女の過去である。  漠然としたことを言えば、いくつかのヒントはたしかに、ある。 A.父=先王が遺した「緑の危機」についての何らかの課題をクリアできておらず、それがコンプレックスになっている。 B.森の民やキー坊のように髪が揺らぐことに拒否反応を示した。 C.地球に降り立った時、頭痛に襲われた D.父母とあまり似ていない  しかし、これらのヒントに繋がる糸口はどうにも、か細い。  なのでもう、ここは想像の翼をはためかせて、大いに可能性を広げていくことを許していただきたい。  まず第一に、リーレは「緑の危機」がなんであるかわからずに悩んでいる。では……、である。なぜリーレは「緑の危機ってなんなの?」と父に聞かなかったのだろうか?  考えられるのは、それが遺言、あるいは死後に伝えられた遺書によるものである場合だ。尋ねようにも相手が居ない。  シラーが地球人絶滅を急いでいたこともこの際、ヒントに巻き込んでしまおう。父王は遺言として「緑の危機が迫っている」ぐらいの厄介な言葉を遺したのかもしれない。リーレとシラーがそれを聞いたとする。  シラーには思い当たる節がある。巨人がその怒りを奮ったという伝説に語られる争いだ。彼は緑の危機を内なるものではない=外敵によるものだと思いこんでいた。折しも銀河の果ての辺境で、緑を迫害する地球人なる連中がはびこる星を見つけたばかり。こいつらだ、こいつらこそ緑の危機に違いない! そんな思いに囚われたシラーは王族に代々伝えられる緑の巨人の種子が眠る場所をリーレから聞き出し、掘り出したそれを使うことを密かに決意する。  一方、リーレはどうも釈然としない。かといって、他に思い当たるフシもない。自分は両親のように体に豊かな緑色が映えているわけでもなく……緑の危機が何であるのか感じ取れないのは、自分になにか欠陥があるからなのではないか? そうだ、自分にはきっと緑の危機を感じる才能がないのだ。だからこれは、しかたないんだ。「緑のことなど、係りのものに任せれば良い!」と、彼女は段々と責任を放棄していく。  すっかり拗ねていたリーレは、面白半分に、周囲のものを困らせるような行動を積極的にとっていく。自分に歯向かうキー坊は、お気に入りの植木によく似ているが生意気で、気になるけれど気にいらない存在だ。  そんな中、森の民たちの中に混じって、祭りの最中で、緑の者たち特有の共鳴現象(それは街のものたちにもよく知られた、緑と近しいものが特に起こしやすいものだ)に自身も揺らいでいることに気付く。違う、私は共鳴「できない」はずだ。共鳴できるのなら、緑を感じられるのなら、私は「緑の危機」が何なのか、わかるはずだ……!  長老に尋ねても、答えは「内から来るもの」「怒りではいけない」「よく考えろ」と、今ひとつはっきりしないものばかり。そして考える間もなく、破滅的な状況に見舞われた地球に放り出される。  実際は見た目以上に王族の血を濃く継いでいたリーレは、緑に染まった地球の上で、緑の喜びではなく苦しみの波長を感じて、頭痛に苛まれる。その苦痛のぼんやりとした意識のままにシラーの言葉に答え、巨人の復活を許可してしまう。  ――全てが解決したあと、リーレの頭に咲いた花は、亡き母の頭に咲いていたそれと生き写しのようであった。自身が両親の血を紛れもなく濃く引いていたことがはっきりと証明されたようでもあり、リーレは頬をほころばせた……  以上、八割方妄想でした。 ●総括〜この映画が描きたかったテーマとは〜 ・街の人と森の民〜森の民は「正しい」のか?〜  長老は断然森の民派である。そして作品それ全体が漂わせる空気も、森の民の泰然とした態度を尊んでいるように見える。  しかし、彼らの暮らしは実際質素で、言い方を変えれば、貧しい。彼らは幸せそうに暮らしているが、どう見ても物質的に豊かではない。彼らが見守るドロムシは、やがて滅びゆく運命の暗示であるようにも見える。彼らがはっきりとした正論で怯まずに立ち向かっても、「傷つけましたが何か!?」と開き直った暴力の前にそれ以上何をすることもできない。  森の民の生き方は理想である。なので、それを正しいと言えてしまえばそれは簡単な話だ。彼らの暮らしは否定することは誰にもできはしないだろう。  しかし現実問題、では全ての人々が彼らのような暮らしをするべきだと声を大にして言えるだろうか? 否である。そもそも監督はこの映画で自身がぶつあたったテーマについて「はっきりと答えが出せるものではなかった」とインタビューで明言しているのだ。ヴィーガンどころではない、過激なフルータリアンが正義だ、と言うつもりはないだろう。植物に心があって然るべき世界では野菜だって虫だって食べられようはずはない。共存精神、相手への尊重精神の究極は森の民の暮らしだが、それが現実的でないことが、ごくごくひっそりと、この映画には描かれている。 ・緑のために……ってなんだ?  リーレ自身が深く悩んで居たこのテーマを、地球人の視点から考えてみよう。緑のために地球人が何かをするって、どういうことだろう。  なるほど、むやみに樹を切って環境を破壊するのは良くない。だから、緑地を残すような活動もしないといけないね。そんなことはわかりきっているし、地球人はもうやっている。  キー坊という植物の擬人化をして、彼を対等な存在として扱うのなら、他の樹々も草花も野菜も、全て同じように扱うべきか? 裏山の木々をおもちゃにして遊ぶのはどう考えてもおかしい。では木によく似たブロッコリーを食べるのはいいのか。植物を殺して、ぐつぐつ煮詰めて、もぐもぐ食べて!  その思想の行き着く先は森の民の生き方だ。確かに彼らは清らかで、心静かに暮らしているし、質素だが幸せそうではある。しかし彼らに明るい未来が待っているようにはどうも思えず、彼らはどこか覇気がなく、泰然としてはいるが、それだけだ。  人間に植物の気持ちがわからないことは救いでもある。でなければ、野菜や果物なんて食べられない(議会に出ている面々の中でも、野菜や果物じみた植物人が地球人を庇うのは少し面白い構図だ)。だからドラえもん達は、植物の擬人化である植物人たちと、どこか本質的なところで決定的にわかり合えない。不自然なほど、わかり合おうとしない。  でも、どうせわからないのだから、意思なんて無いんだからと切り捨てて何をやっても良いのか、もしくは何もしなくても良いのか。その道を歩んだのがリーレであり、のび太はそれは違うよ、とはっきり否定する。  自分たちとは全く違うものを相手どって、わからないからといって、ただ流されるままにして良いはずはない。わからないなりに、外から見えることから推測することしかできなくても、精一杯それをして、できる範囲で相手のためになにかすることが「共生」という生き方の在り方なんじゃないか。  おそらくはそこまで監督は考えて、そしてその先がわからなかったのだと、私は思う。植物人たちの事情を徹底して描き切らず、断片的で表面的な描写ばかりを敢えて遺し、ドラえもん達にもそこを問い詰めさせないことで、観客を、まるで「さぁ、このお花は今どんな気持ちでいるでしょう?」と問われているかのような気分にいざなってくる。「わからないなりに行動する」というのび太の姿をクライマックスに「わからないなりに映画を見ている」観客の前に叩きつけて、リーレをそれに同調させることで、「わからなくてもいいから、良いと思うことをしよう!」と答えの「わからない」まま手招きしている。  そこまで描いて、物語は「もういいだろう」となる。長老が愛の素晴らしさを説く。そんなものが素晴らしいのは誰だって知ってる。愛が満ちた世界はこんなに幸せになりますよ、と一面花畑の大団円が訪れる。いずれ地球も上手くいくだろうと、100年もの猶予をくれる。  ……それで、どうやったら地球人たちは、植物人や未来の道具の力を借りずに、長老の最後のパワーもなしに、愛に満ちた宇宙に行けるの?  その答えは出せないまま、ドラえもんとのび太と観客たちと監督は家に帰って、とりあえず、ママとパパの愛に抱かれて一息つくのである。