【賞味期限】2026/03/22 「うわ、なにコレ」  バレンタインの前日だった。  帰り道、駅前の洋菓子店の前で、ミカが足を止めた。  ショーウィンドウの中に、等身大の少女のチョコレート像が飾られている。  チョコレートファウンテンの中に据えられたソレは、上から絶え間なく流れ落ちるチョコの膜に覆われて、艶めかしい飴色の光沢を放っていた。  ポニーテールの髪。一枚の布も被ってない引き締まった肢体。ガラスに押し当てるように伸ばされた片手。  そして、歯を食いしばって目を細めた情。  まるで、何かに耐えているみたい。 「趣味わっる」  私は率直な感想を述べた。 「ね。リアルすぎて気持ち悪い」  ミカも同意する。でもミカの視線はチョコ像に釘付けのままで、その口元はもう笑っていた。 「ていうかさ。コレ、バスケ部の椎名さんに似てない?」 「え?」  ミカがスマホを取り出して、SNSの画面を見せてくる。バスケ部の椎名さんのアカウント。  最新の投稿は、試合中の姿。ユニフォームが翻って、汗ばんだ笑顔がまぶしい。  キャプションにはこう書いてあった。 『今が一番キツいけど、今が一番楽しい。人生って、賞味期限あると思う。県代表までラストスパート!』  ショーウィンドウのチョコ像と、スマホの画面を、交互に見る。 「……似て、るかも?」 「でしょ? このポニテとか、体つきとか」 「あー、確かに」  椎名さんと話すことは少ない。真面目で、バスケ部のエースで、私たちとは違う世界の子、という認識しかない。 「ねえ、コレの写真。あの子に送ったら絶対動揺するよね。数日休むかも」 「やめなって笑」 「写真撮っときなよ笑」  言われるままに、なんとなくスマホを出してショーウィンドウを撮った。 「てかさ、買って教室に持ってかない? 『椎名さんチョコでーす』って」 「え~、いくら? ──うわ、たっか笑」  値札は七桁だった。驚いて数えなおしても、七桁だ。ただの大きなチョコが。 「さすがに無理笑」 「だよね笑」  私たちはひとしきり笑って、チョコ像に背を向けた。  明日はバレンタイン。本命はいない。義理の準備もしていない。  でも、まぁいっか。私には関係ないイベントだ。毎年そう思いながら、毎年なんとなく過ぎていく。   ふと、椎名さんのキャプションの言葉が頭をよぎる。 『人生って、賞味期限あると思う』  人生の賞味期限、か。  椎名さんみたいに、何かに全力で打ち込んでいる人はあるのかもね。  私には無いな。そういうの。  少しセンチになってると、ミカが別の話題を振ってくる。明日の小テストがどうとか、このあと推しのラジオがどうとか。  そしたら帰り道はいつも通り過ぎて、五分後にはチョコ像のことなんか忘れていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  次の日、椎名さんは学校に来てなかった。  風邪で休んでいるらしい。そう、誰かから聞いた。  昼休み、ミカが昨日の写真をクラスの友達に回した。 「やっぱ似てるって」 「ほんとだ笑 ってか裸笑 ヤバ笑」  チョコ像が椎名さん似てるかどうかで盛り上がり、みんなで笑った。  でも椎名さん自身のことは誰も話題にしなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  二日後の金曜日。  一人で帰る日だった。ミカは塾で別方向だし、他に一緒に帰る相手もいない。  洋菓子店の前を通りかかって、なんとなく足が止まった。  バレンタインを過ぎたのにチョコ像はまだそこにあった。  SALE。六桁。値札の数字が、あの日の半額になっていた。  この前はミカと笑ってすぐ通り過ぎたから、ちゃんと見てなかったのだろう。  一人で見ると、少し、印象が違った。  チョコレートファウンテンは今日も稼働していて、上から流れ落ちるチョコが、像の肩を、腕を、絶えず伝い落ちている。  でも、今日は少し暖かいせいか、表面のチョコが微かに緩んでいた。  目元のあたりの光沢が滲んで、顔の輪郭がぼんやりしてきている。  溶けかけている。  当たり前だ。チョコなんだから。  でも、その「溶けかけ」が、なぜか私の目を捉えて離さなかった。  目尻の線が崩れ、ファウンテンの受け皿にぼたぼたと滴が垂れていく。  まるで、涙みたいに。形を保つことを、少しずつ諦めていくみたいに。  そして、改めて、顔を見た。  食いしばった歯。細めた目。歪んだ眉。  これは。  ──苦しんでいる顔だ。  チョコ細工として「そういうデザイン」なのだと、あの日は思った。今も、そう思おうとしている。  でも、一人で、静かに、ガラス越しに見つめていると、それは「デザインされた苦悶」ではなく、もっと生々しい何かに見えた。  ガラスに押し当てられた手は、外に向かって伸ばされ、何かを掴み取ろうとしている。  まるで、人が助けを──。  いや、やめよう。 「……やっぱ趣味悪」  声に出して、背を向けて歩き出した。  なのに、十歩ほど進んでから、なぜか振り返ってしまった。  ショーウィンドウの中で、少女は変わらず歯を食いしばっている。  流れ落ちるチョコだけが、永遠にその体を覆い続けていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  週が明けた火曜日、偶然またあの店の前を通った。  ショーウィンドウの中身が変わっていた。  二十日以上も先のホワイトデーのギフトボックスが、春らしいパステルカラーの包装紙に包まれて、綺麗に並んでいる。  あのチョコ像は、無かった。  ファウンテンも片付けられていた。あの飴色に光る少女がいた場所に、白とピンクの包装紙がちんまり並んでいるのは、なんだかひどく間の抜けた光景だった。  別に気にすることじゃない。季節商品なんだから。バレンタインが終われば入れ替わるに決まっている。  ──でも、なんとなく、店に入ってしまった。  ショーケースには色とりどりのケーキやマカロンが並んでいる。平日の夕方、客は私一人だった。 「すみません」  自分でも馬鹿なことを聞いていると思いながら、レジのお姉さんに声をかけた。 「あの、ショーウィンドウに飾ってあったチョコの像、どうなったんですか?」  お姉さんは一瞬きょとんとして、それから、ああ、と頷いた。 「あれですか? 賞味期限切れちゃったので。溶かして処分しちゃいましたね」  虚を突かれて驚く。    賞味期限切れちゃったので。溶かして処分しちゃいましたね。  賞味期限切れ。溶かして。処分。    お姉さんの言葉が、なぜか、頭の中でぐるぐると回った。 「……そう、ですか」 「先週まではセールしてたんですけどね。気になってました?」 「いえ、別に。それ、ください」  私はなんでもないようなフリをして、ケーキを一つ指さした。 「チョコレートケーキですね。お家までは30分以上かかりますか?」 「いえ、すぐです」  保冷剤を適当に断って、お姉さんが組み立ててくれたケーキ入りの紙箱を受け取る。  封するシールには、今日の日付の賞味期限が書いてあった。   「またよろしくおねがいしまーす」  お姉さんの平常運転な声に見送られて店を出る。  すっかり様変わりしたショーウィンドウを再び眺めると、自然に声が出た。 「チョコにもあるんだ。賞味期限」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  翌朝のホームルーム。  担任の声が、いつもより硬い。 「椎名さんのことで、少しお話があります」  教室が静かになった。 「実は先週からご家族とも連絡が取れない状態が続いています。何か心当たりのある方は、どんな些細なことでもいいので、教えてください」  ざわ、と教室が揺れる。 「えっ、椎名さんって風邪じゃなかったの?」「家族も?」「マジ?」  急に冷や汗が滴る。スマホをポケットの中で握った。  カメラロールを開く。  あの日のショーウィンドウの写真。飴色の少女。歯を食いしばった横顔。  そして、椎名さんのSNSの最後の投稿。  あの時は気にも留めなかった、日付が目に入る。  ──あのチョコ像がショーウィンドウに現れた、前日だ。  それ以降、椎名さんは何も投稿していない。 『人生って、賞味期限あると思う』  心臓が一拍だけ、大きく鳴った。  写真の中の笑顔と、チョコ像の苦悶が、一瞬だけ重なった。  仮に、万が一、あり得ないけれど、もし──  ──もしそうだったとしても。 『賞味期限切れちゃったので。溶かして処分しちゃいましたね』  もう、処分された後だ。  もう、溶かされた後だ。  もう、どこにもいない。  私はなぜか震えてるスマホをポケットにしまった。 「まさかね」  小さく呟いて、椎名さんの空席から目を逸らす。  だって私には、賞味期限なんて無いんだから。 <終>