「ふう、もうこんな時間か…少し休憩しよう」 日が暮れてからもう何時間経っていた。空には大きな満月が、静かに輝いている。 ああ、今日も日付が変わるまでには帰れなさそうだ…。 気分転換も兼ねて自販機スペースへ向かう途中、会議室の一つに明かりがついているのに気が付いた。 この時間だし、誰かの消し忘れだろう。さすがに誰もいないと思うが、一応確認はしておかないとな。 …そう思って近づいてみたら、中から何やら声がする。 いきなり扉を開けなくてよかった。念のため数回ノックをしたら、 「はい、どうぞ〜…」 中から返事があった。この声は、雫か? 「入るぞ?」 ゆっくりと扉を開けて、中を覗き込んだ。 予想通り、中にいたのは雫だった。ただ、いつもとはちょっと違う。 「こんな時間まで、どうしたんだ?それにその髪…」 何をしていたか、はちゃんと手元を見たらわかった。何かの冊子…いや、台本か。 最近劇団★見の次回公演の話をしていたから、その練習をしていたのだろう。 「牧野さん、お疲れ様、で…ですわ。  えっと、劇団★見でまた新しい演目をやるから、その練習…ですわ」 予想通りだった。となると、次の疑問はその演目。 「ですわ、にその髪型…何かのお嬢様かお姫様の役…ってところか?」 雫の髪型。以前、誕生日に友達がセットしてくれたという、いわゆる姫カットだ。 「さすが牧野さん。察しがいい…ですわ。演目は、これ」 台本を持ち上げて、こちらに見せてくれた。 「かぐや姫、か。なるほど」 「役作りのために、形から入ってみた…ですわ」 語尾に『ですわ』を付ければ高貴な感じになるってものではないと思うが…まあそれはいいか。 「今回はみんなが主演候補だから、できることはやっておきたくて、また友達に頼んでこの髪型にしてもらった。  本当は着物も着られたらよかったけど、さすがに持ってないし、持ってても普段から着るのは難しいから…」 「髪型だけでも雰囲気は出てると思うぞ。主演争い、結構厳しい感じなのか?」 問われた雫は、難しい顔をする。 「うーん、正直、難しい…かな。  かぐや姫のイメージって、やっぱり月とか、長い黒髪って感じだから、琴乃ちゃんはビジュアルからはまり役。  すずちゃんと優ちゃんはお嬢様だから、高貴な感じはお手の物だろうし、  それに、今回のかぐや姫は、すごく行動派で破天荒な感じだから、さくらちゃんにピッタリ」 …あれ?かぐや姫ってそんな感じだったか?確かに求婚してきた相手に無理難題を言ったりはしていたはずだが…。 という疑問を察したのか、雫が説明してくれた。 「ええと、今回の演目は普通のかぐや姫じゃなくて…優ちゃんが最近観たアニメがモチーフになってる。  歌って踊ってゲーム配信もする、行動力の化身みたいなかぐや姫。  私も一緒に観に行ったけど、すごく楽しかった。おすすめ」 そう言って、スマホで公式サイトを見せてくれた。 なるほど、雫のイメージからすると、確かに演じるのは大変そうだ。 「それでこんな時間まで秘密の特訓をしてた、ってことか」 「うん。自分と全然違うキャラクターを演じるって、大変だけど、すごく面白い。  かぐや姫の役になれるかはわからないけど…。座長として、アリスの時みたいに、挑戦してみたい」 雫の真剣な眼差しから、本当に楽しくて仕方がないというのが伝わってくる。 俺は時計を確認した。…もう少しくらいなら、大丈夫そうか。 「頑張るのもいいが、今日はもう遅いから、もう少ししたら終わりにしよう。  こんな時間だし、終わったら寮まで送るよ」 「見てもらえるのは嬉しい、けど…牧野さん、忙しいんじゃ?」 「仕事は切り上げて持ち帰るから、気にしなくていいよ。俺にも練習、見せてくれるか?」 「う、うん。ありがとう、ございます。一緒に帰れるの、嬉しい…。  じゃあ、やってみる。見てて」 俺は雫の対面になる席に腰を下ろした。その間に、雫は目を閉じて気持ちを込めていく。 ゆっくり目を開くと、そこにいたのはもう『兵藤雫』ではなく、月からやってきた『かぐや姫』だった。 雫は自信が無さそうなことを言っていたが、しっかりと演じられているように見える。 表情一つ、言葉一つ、真剣に演じていく。 雫がかぐや姫役を勝ち取れるのかはわからない。結果が出るまでちゃんと見守ってあげないとな。 …って、あれ?急に雫が演技を止めてしまった。 「これ以上は、ネタバレになるから、ダメ」 「ええ!?すごく気になるところで終わったんだが…」 急に切られると気になってしまうじゃないか。 「続きは映画館で…あ」 雫は何か思いついたように声を上げた。 「えっと…私、このアニメもう一回観たいから…一緒に、行く?」 劇団★見の公演は大分先だ。そして、それまでに練習を見に行ったらネタバレになってしまう。 …。 「ネタバレ踏まないように情報はシャットアウトしておくよ」 「…うん。期待してて」 片付けをしての帰り道。雫はアニメのことを色々と話をしてくれたが、都度ネタバレにならないかの葛藤に苦しんでいた。 そんな様子も可愛らしかったが、こうも会話が途切れるのもそれはそれでモヤモヤしてくる。 早く気兼ねなく話ができるようにしたいものだ。 終わり。