『出会い』 「ママ」 「どうしたの」 「緊張してきちゃった。おトイレ」 「あらあら、しょうがない子ね。自分が演奏する訳でもないのに」 「だってぇ…」 「冗談よ。早く行ってらっしゃい。場所は分かるわね」 「うん」  うんしょ。  淡いブルーのワンピースを着た少女はふかふかの肘掛け椅子を降りると、遮音扉に向かって、歩き出した。  短い浅黄色の髪に薄桃色の花の髪留めが付けられており、それが歩く度に揺れている。  長い廊下を歩き、広いロビーに出る。  演奏会の関係者だろうか、皆色取り取りの衣装を身に纏っている。所々で嬌声が沸き起こる。  ロビーは全面ガラス貼りで、その向こうには、人工的に作られた小川が流れている。  ここ見滝原の文化会館にも冬の足音が聞こえ始めていた。周囲の林から紅く色付いた木の葉が落ち、風に吹かれて宙を舞っている。少女はロビーを横切って、トイレに入って行った。  用を済ませ、洗面台で髪を軽く整えながら、少女は思った。 「早く、戻らなきゃ」  トイレを出て再びロビーに戻ろうと、角を曲がった瞬間、少女は何かにぶつかった。  どんっ! 「あいたたた」 「何処見てんだい。廊下は、走るなって言われてるだろ!」 「ごめんなさい」 「分かりゃぁ、いいんだ」  そこには、フード付きの青いパーカーを着たジーンズ姿の長い赤毛の少女が立っていた。 「綺麗な髪…」  思わず少女は呟いていた。  赤毛の少女が、座り込んでいる少女に手を差し延べる。 「怪我、なかったかい?」 「うん」  少女は、差し延べられた手を、ぎゅっと握り締めた。  赤毛の少女は、立ち上がった少女の服の埃を掃ってやりながら訊いた。 「何で、そんなに急いでたんだ」 「今日は、お友達の演奏会なの」  はっとして、少女は続けた。 「そうだ、早く戻らなきゃ」 「大丈夫だよ。まだ開演まで三十分はある」  赤毛の少女は、ぐるっと、周りを見渡した。 「座るかい」  その少女が顔で指し示した先には、黒い長椅子が置かれてあった。  二人は、並んで腰掛ける。 「あたいは、杏子」 「あたし、さやか。杏子ちゃんも演奏会に出るの?」 「まさか。あたいは、親父の手伝いさ」 「親父って?」  杏子は、頭を抱えた。 「あちゃあ、これだから金持ちってぇのは…。親父って云うのは、パパの事さ」 「なあんだ、パパの事か。杏子ちゃんのパパって、どんなお仕事しているの?」 「教会で牧師をしている」 「あっ、知ってる!さやかもクリスマスには、お祈りに行くよ」 「それとは、ちょっと違うんだが…」 「どう違うの」  う〜ん、と杏子は少し考えた。 「同じ林檎でも青森のと長野のとでは味も形も違うだろ。だから、ウチの教会とさやかの知ってる教会とは違うんだ。分かったか」 「全然、分かんない」 「あちゃあ」  再び頭を抱える杏子。 「杏子。杏子」  黒衣を纏った牧師が近づいて来て、杏子に声を掛けた。 「あっ、親父」 「ビラを配るのを手伝ってくれないか」 「いっけね」 「おや、そちらはお友達かい」 「うん、さやかってんだ」 「さやかちゃん、こんにちは」 「こんにちは…」  さやかは、長椅子に腰掛けたまま、消え入る様な声で返事をした。両手でワンピースの裾を握り締め、顔を伏せたままもじもじしている。 「そうか、お友達なら仕方が無いな。そうだ、さやかちゃんにお菓子をあげよう」  そう言って、杏子の父親はポケットから、ポッキーの小袋を取り出すと、顔をあげたさやかに手渡した。 「二人で仲良くお食べ。杏子、お前はお友達とそこで遊んでいなさい」  そう言って、杏子の父親は再びビラを配りに戻って行った。  さやかが持っていた小袋を杏子が取り上げ、封を切って、さやかの方に向けた。さやかは頷いて、一本抜いて口の中に入れた。杏子も同じ様に口の中に入れた。 「美味しいな、これ」 「うん」  二人は嬉しそうにぽりぽりと音をたて、二本目を頬張った。 「杏子ちゃんのパパって、優しそうな人だね」 「だろ。さやかん家は、違うのか」 「そうじゃないけど、いっつもお仕事が忙しくって、あんまりお家に居ないの…」 「そっかぁ…」  杏子は、足をぶらぶらさせながら、さやかの話を聞いていた。 「さやか、さやか」  さやかを呼ぶ声がした。  さやかの母親がロビーを横切って、さやか達の方に近づいて来た。 「もうすぐ、演奏会が始まるわよ。あら、お友達?」 「う、うん」 「じゃ、あたい戻るわ。ごめんな、さやか」  杏子は長い髪をなびかせながら、 「あっ、杏子ちゃん」  さやかが静止する間も無く、杏子は入口の方に向かって、走り去って行った。 「あんまり遅いんで、探しに来たのよ。それにパパももうじき来るって連絡があったし」 「そっか、ごめんなさい」 「あれ、パパじゃない?」  さやかの母親は、入口の方を指差した。 「パパ」  見ると、さやかの父親は杏子の父親に声を掛けていた。  二人は入口を出て、ゆっくりと父親達の方に近づいて行った。 「失礼ですが、どちら様ですか」  さやかの父親は、さっき手渡されたビラを見ながら、杏子の父親に訊いた。 「私は、隣町で牧師を営んでいる佐倉と言う者です。今日は布教の為、こちらにお邪魔させて頂いたのですが、何か問題でも」 「私は主催者の一人だが、今日は、子供達の演奏会だから、出来れば布教活動は遠慮して貰えないだろうか」 「と申しますと」 「信教の自由については、とやかく言うつもりもないが、宗教上の違いが子供達には理解出来ないだろう。だから子供達が主役の今日の演奏会では、遠慮して頂きたい」 「親御さん達に、このビラを配らせて頂けるだけでも構わないのですが」 「いい加減にしてくれないか」  少しイラ立った様子で、さやかの父親が言う。  黙って成り行きを見守っていた杏子が二人の間に割り込んだ。 「クソジジイ、親父が何をしたってんだ!ビラぐらい配ったっていいじゃねえか!」  杏子の肩に手を置き、父親が制した。 「いいんだ、杏子。そうですか、分かりました」  そう言って、杏子の父親は、入口脇に置いてあった鞄にビラを仕舞い込んだ。  一礼をして杏子の父親は、杏子と一緒に階段を下り始めた。父親の手は、杏子の肩に置かれたままだった。 「バッキャロー」  振り向きながら、杏子が叫んだ。  さやかは母親の影に隠れながら、杏子達の姿を見送っていた。その手は、母親のスカートをぎゅっと握り締めていた。 「やっと、お友達になれたのに…」  遠ざかる二つの影が消える迄、さやかはずっとずっと並木道を見つめていた。  二人が再び出会う前の遠い遠い昔の物語。