1 「えぇ~、アングラの成果を人体ケアに?」 「UNDERGROUNDの実体験を持っているM∀LICEにしかできないことだ。君たちが作られる前のことは知っているね?」 「とりあえずで生身の人間を突っ込ませた結果、何人も可哀想なことにしちゃったんだよねー?」 「UNDERGROUND」とは、「大穴」を通して入ることができる電脳空間のこと。 その内部を探索できるのは、適性を持った少女から生まれた自律型AI「M∀LICE」だけ。 では、常人が調査を試みればどうなるのだろうか? M∀LICEのみが影響を受けずに活動できるという結論は、UNDERGROUNDが人間には悪影響を及ぼすという研究成果……即ち失敗を経て生まれたものだった。 M∀LICEをその過程で出た犠牲者の回復にも応用できないものかと、M∀LICEの内の一体「Cheshire Cat」が打診を受けている最中なのが、この会話である。 「……その通りだ。調査が進み、ひと段落ついた今、UNDERGROUNDで受けた被害はUNDERGROUNDの成果で埋め合わせようというわけなんだ」 「調査用AIに介助なんてできるかはわかんニャいけどねー。まぁ一応やるだけ」 「助かるよ。子守はネコ型の役目でしょ、とDormouseには断られてしまったのでね。M∀LICEの今後の活動方針も君の結果次第だ」 「んにゃあー………………」  かくして、M∀LICECheshire CatはUNDERGROUNDで持ち帰った知識を頼られ、ここに新たなミッションを課されることとなった。  端的に言えば、やることは尻ぬぐい。  気が乗ってないのは火を見るよりも明らか。  しかし何故か──自身でも分からないくらいに不思議なことではあるのだが──その場で断ることなく、彼女はこれを承諾した。 2 「現実活動用のボディはちょっと慣れないなぁ。この人でいいんだよね?」  電子上の存在であるCheshire Catを現実世界で接触させる為、彼女の身体は寸分違わぬ姿の義体へとインストールされていた。  そのまま機械だらけの、病室とも言い難い部屋へと歩いてきたものの、当人としてはやはり違和感があるらしい。 「そうだ。では、検討を祈る」 「行っちゃった。無責任だなぁ」  場を去った指令に毒を吐く彼女。  居ても邪魔なだけな為、Cheshire Catの自由な発想を阻害しないように退出……というつもりではあったのだが、彼女にはそれも不服だった。  それは、生み出された犠牲を目の当たりにしたというのもあったのだろう。 「……ひどーい!どこも動けてニャいよねこれ!」 「…………………………」  担当することになった男性は、瞳以外は動かすことができない……いわゆる閉じ込め症候群であった。  この症例の恐ろしいところは、意識だけは保つことができてしまっている点である。  眠っているほうがまだ苦しまずに済むかもしれない、生き地獄という言葉が相応しい状態だ。 「まぁなんとかはなるね。えーっと……じゃあこれ使っちゃお」  しかし、Cheshire Catは先程見せた驚きに対して存外すぐに落ち着き、特に滞りもなく、可及的速やかに作業を開始した。  まずは、部屋にあるコード類を男性の全身に張り付ける。 「脳波は……ふむふむ。じゃあ、これで」  計測を終えると、次はカタカタとキーボードを叩いていく。  なんと、ものの数分で最後にエンターキー入力を以て作業は完了した。  結果的に言えば、司令の見込みは正しかったといえる。  大した疲れも溜まっていないのに、Cheshire Catは伸びをひとつ。  義体でそんなことをする必要は一つもないのだが。 「ああ、言い忘れてた。終わったよー?」 「すぅー……ふぅー……!ん……んぅ……?」  久方ぶりに喉を震わせる感覚に不慣れそうに、男性が返事をする。  措置は終わったが、しばらく使っていない器官を使用するには再びの訓練を要するようだ。  まともな発声も叶わなくなった惨状を物語っているといってもいいだろう。  だが、彼女の働きがなければそれすらも出来なかったのだ。  彼の意識の内には、感謝の意で満ち溢れていた。 「キミはアングラのせいで身体の電気信号がうまく伝達できてない身体になっちゃってたんだ。ボクがそこをこう……なんやかんやして動くようにしてあげたというか」 「ん……んぅ……!」 「おー喜んでる喜んでる。無理に喋らなくて良いからねー」  間違いなく、その声色は歓喜している。  Cheshire Catが手柄を誇らしげに語るのを、男性は嬉しそうに聞いていた。 「言っておくけど、ボクはM∀LICEの中でも性格が悪いのがアイデンティティでねぇ。むしろ人に意地悪するのが好きだから、無反応だと面白くないとさえ思っているんだ。今回やる気があった理由はそ・れ♡」 「んん……?」 「まぁ、もう会うことはないだろうけどね。これ以上ここにいたら手元が狂ってしまいそうだ。後は自分の幸運を噛みしめながらリハビリを頑張ることさ」 「んー!」  そうして、Cheshire Catは部屋を後にする。  達成感らしい達成感は特にない。  治療そのものは存外呆気なく対応できたから。  せいぜい、「自分ってこんな才能もあったんだ」といい気になる程度のことである。  後は自分のデータを参考に治療方式が確立され、いつも通りUNDERGROUNDを調査する日々が待っているのだろう。 ……と、彼女は考えていたのだが。 3  またまた呼び出しを喰らったCheshire Catは、それがどうせまた面倒事だということは察していた。  しかし、想定していない内容だった為に面食らわざるを得なかった。 「また彼と会うのかい?」 「すまない、完治して社会復帰までのデータも欲しいんだ」 「はぁ~~~~。いいよ、わかったわかった」 「──というわけで、キミと会わニャならなくニャッたのさ」  彼の元への再訪。  今度は、一般的な病室だった。  白いベッドに横たわる男に、Cheshire Catは相変わらずの笑顔で話しかけた。 「ごめん。いや、まず最初に『ありがとう』ですね。アフターケアまで頼んだつもりは無かったんだけど……でも、居てくれるなら話したいことはいっぱいあります」 「お、よく喋るようになったね」 「お陰様で」  復活して少し日が経ったからか、彼は言葉を取り戻していた。  喋ってみれば礼儀正しそうで弄り甲斐のある人間だ、とCheshire Catは考えた。  この手の人間は言う事を真に受けてくれるから可愛げがある。 ……しかし、それともう一つ、不覚にも思ってしまったことがあった。 (嬉しいな……。いやいや、これはそういう意味じゃない、違う違う。遊んでやる余裕が出た。いい玩具が手に入ったんだ)  誰が聞いているわけでもない是正を、彼女は頭の中で繰り広げる。  否、沈黙で間が空いてしまうのも不自然であり、何か悟られるかもしれない。  即座に適切な応答を選択する必要があった。 「前に言った通りボクは意地悪だよー?なーにされても言われても知らないよー」 「本当にそうなの?あんまりそれっぽく見えないんだけど」 「……な、なら、一緒に居たくなくなるくらいには分からせてあげるよ!」 「そう思えるくらいになった頃には、一人で居ても大丈夫なのかな……?」 「……………」  彼女は普段から多くを語らず、本心を見せないことが多い。  だが、こと彼の事となると憂いを帯びた顔を隠すことができなくなってしまうことが目立ってしまっていた。  トリックスター気取りも、本音を悟られれば形無しだ。 「あの……」 「ま、せいぜいカウンセリングごっことリハビリごっこを楽しむとするよ。これでも下調べはちゃーんとしてきたから、だらだらするだけのあまーい日々が来るとは思わないことだね♡」 「嬉しいです!今までに加えて、これからもありがとう……ですね」 「調子狂うなぁ」 4  ともあれ、こうして「経過観察」が始まった。  男性が眠っている間以外は、Cheshire Catはいつも一緒。  日中はリハビリを手伝い、話を聞いて過ごす。  眠っている間は自身の義体の充電時間とした。 「よーし、あとはこれやったら終わり!」 「く……う……あ……はぁ、はぁ……」 「はーいお疲れさん。身体解すから横になってー」 「はい」  先程まで行われていたのは、歩行訓練。  弱り果てた身体は、未だに一人での生活を不可のものとしていた。  そんな彼の心境や如何に。 「いやー、頑張ってるね。この分だと退院は……」 「えっ!?」 「大分かかりそうなんだなぁーこれが。ざんねん♡」 「そう、ですか。本当のこと言ってくれて嬉しいです」 「うふふ、なーんか複雑そうな顔だね?」  ニマニマといやらしい笑みを作ったCheshire Catから言い放たれたのは、非情な現実である。  しかし、相変わらず彼女の態度に反感を覚えることなく彼は対応する。  彼女のほうもそろそろ「調子を狂わされる事に慣れてきた」ようで、この男はそういうものだと想定外を楽しみながら揶揄うようになっていた。 「本当のこと言ってくれて嬉しいのは本当ですよ」 「なんだかちょっと不思議な響きになったね。嬉しさは何割くらい?」 「……5割くらいです」 「残りの5割は?」 「リハビリ大変だなぁって……」 「他にもあるでしょ」 「はい……」  悪意渦巻くUNDERGROUNDを闊歩してきただけのことはあり、言葉の裏はすぐに見抜くことが出来る。  それが素直な彼なら猶のことだった。  だが、彼がそういった影を見せるのはこれが初めて。  この機会を逃さずに尻尾を掴みたい、というのが今のCheshire Catの心境だ。 「……怖いんです。この日々が終わるのが」 「へぇー……」  礼儀正しく、真面目な彼が嘘をついたことはない。  しかし、曝け出していない本音はあったらしく、この告白は興味深いものだった。  揶揄い甲斐とはまた別の関心である。  Cheshire Catの顔は、久しぶりに意地の悪い顔を浮かべていた。 「もしもある程度の生活ができるようになったとして、一人で生活するようになったとして、また動けなくなったらと思うと……怖い。」 「へぇー……」  成程、それは当然のこと。  自分には覚えがないが、トラウマというやつなのだろう。  そして、その言葉の根幹は自分への依存だと彼女は考えた。  無力感に苛まれ、高度なAIに救われてしまった。  自信がなくなるのも当たり前だ。  さて、ここをどうするかが分水嶺。  彼の命運を完全に掌握しているのが分かった以上、自分の言動で全てが決まってしまうのだ。  彼女の選択は──。 5  男が膝の上で横たわっている。  膝の主であり、それを愛おしそうに撫でるのは、一体の女性型AI。  二人とも満足げな笑みを浮かべていた。  その数日前──。 「えー報告報告。彼は肉体はすっかり回復できたよ。けど精神の時は非情に危篤。回復にはまだまだ時間がかかりそうだね。ケアは継続が望ましい。交代も無しで。以上」 「ふむ……。まぁ、良いだろう。心身共に完治までのデータは欲しいからな」 ──そういった打ち合わせがあり、Cheshire Catは未だ男性から離れることなく世話を続けていた。 「ごめんなさい……。まだあなたを束縛して……」 「いいって。キミは謝罪よりも感謝をすればいいのさ」 「……ありがとう」 「よしよし」  実際のところ、束縛しているのはお互い様。  彼女もこの玩具を手放したくなかったのだから。 ……実はもう一つ内に秘めた執着のカタチもあるが、それに気付くのはもう少し先のこと。  そして、介護用M∀LICEが量産されるのも、もっと少し先のことである。  ふと彼女は「子守ならネコ型」というDormouseの言葉を思い出す。  案外、正しかったのかもしれない。 「依存なんて辞めさせてやらないという意地悪」をこれからも楽しめる。 こんな役得を。笑みを浮かべて続けられるのだから。 「いつまでも、いつまでも、弄んであげるからね」